三村元親、明禅寺崩れ

2009年12月11日 00:11

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 19:17:16 ID:scC/yPxF
やっとカキコできた記念に
みんな大好きウキウキさんの合戦話。拙い文章ですが・・・
暗殺とかばっかり有名ですが、ちゃんと合戦もできるんです。

直家は三村家親を史上初の銃で狙撃という手段で暗殺したのは有名な話。

その後、三村五郎兵衛の玉砕は以前語られている通り。


「今こそ父の敵を討つぞ!」

家親の死の一年後、跡を継いだ三村元親は備前へ侵攻し、
明禅寺城に夜襲をかけ陥落させた。

この城は当時直家の本拠だった沼城の防衛用に築いた城だった。
当然、その城を奪われると言うことは喉元に刃を突きつけられるに等しい事だった。

直家は奪われた明禅寺城を取り返す為、5000の兵で城を包囲、
それを知った元親は、20000大軍で備前迎撃を行い、直家の目論見を打ち破らんとした。
そして軍を3隊に分け、2隊を明禅寺城へ、元親本隊は直家の本城沼城を目指した。
その報告を聞いた直家、総攻撃を命じて自ら明禅寺城下に突き入り、
先陣が明禅寺城へ到着する前に落城させた。

驚いたのは三村軍の先陣を率いていた庄元祐である。

落城を知り浮き足立った先陣は城を落とした宇喜多忠家らの猛攻を受け、
庄元祐は討ち死にして敗走する事になった。

中軍は敗走する先陣の兵に遭遇し、動揺しているところを
またもや宇喜多勢に襲われ、これも敗走する事になった。

別働隊2隊の敗走は元親の軍にも動揺を与えた。
元々備中の国人衆を寄せ集めた元親の軍は、
次々に勝手に退却、残った元親の軍は覚悟を決めて
直家の本隊に襲い掛かったが、先陣を攻撃していた忠家らの軍も合流し、
ついには三村軍本隊も敗走する事になった。
この合戦を人々は明禅寺崩れと呼んだ。

金光宗高「先陣の道案内は俺がしたんだよねー♪当然内応済みっす。」
中島大炊介「本隊の道案内は拙者が。上に同じく」
直家「計画通り。わざと城をくれてやったら見事に誘いに応じてくれたわ」

この二人のその後を書くと悪い話になってしまうので割愛。

ちなみにこの時戦場となった備前平野では、
その死者を直家が手厚く埋葬したといわれている。
その首塚は、現在もいくつかは現存しています。




34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 19:59:02 ID:mXPFHNjz
中島大炊介って備中の人で、清水宗治の部下で、中国兵乱記を書いた人だっけ。
面白そうなので悪い話スレで楽しみにしてます。

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 16:19:50 ID:0OMNbPok
>>30
悲しいけどいい話やね。新たにやって来た大名(出羽なら佐竹や酒井とか)に仕えたり、
帰農して庄屋・名主で家名を残したり(加賀守護の富樫一族とか)、戦国武将の末裔も様々だねい。

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