その死期に望んで

2017年08月30日 11:41

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/30(水) 09:52:36.49 ID:QcrXrpWd
神子田半左衛門(正治)は常にこう言っていた
「人間のならい、何事にて失命するか計り難い。その死期に望んで、一言『神子田半左衛門なり』
と話して死ぬのが、一期の思い出、日頃の嗜みと言うべきだろう。」

豊臣秀吉によって彼が成敗される時、彼は残された人々のため、多くの書状をしたためた。
下人が「時間が遅れます」と注意すると、「今ひとつ残っている」と、心静かにこれをしたため、
行水し、立ち腹を切った。
ところが、介錯の者が切りそこない、頸を落とせなかった。
神子田はよろよろと膝を折り、左手にて顎を押して、首を切らせたという。

(士談)



189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/30(水) 13:39:32.46 ID:x7PIFI9f
立ち腹って立った状態で切腹したってことか?

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/30(水) 16:05:17.49 ID:pDb7X0ma
鈴木主水の立腹は立ったまま切腹だった

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/30(水) 19:04:45.99 ID:wVyiwil1
鎧の人は腹切ったまま屋敷に戻って文書の隠滅を図ったとかなんとか

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/30(水) 21:41:01.68 ID:QmuPPF5I
立腹とは

古代中国、宋から来日した禅僧の蘭渓道隆が建長寺で披露した
腹で茶を立てる茶礼のこと

民明書房刊「茶の歴史」より
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下人などは、このようにして殺すものだ

2017年08月28日 18:27

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/28(月) 15:06:36.58 ID:cFxc+vWP
神子田半左衛門(正治)が家中の者を手打ちにするという時、縁側において爪を切っていたが、
その爪を切るための小刀が下に落ちた。そこでその咎人を呼び

「縁の下に小刀が落ちた。取ってくるように」

と命じた。
そこでこの者が縁の下に入った所を、縁の上からそのまま刺殺した。
そして人を呼び、死骸を取り出させた。

神子田は言った
「放し打ちだからと言って、確実さのない成敗を好むべきではない。下人などは、このようにして
殺すものだ。」

(士談)



177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/28(月) 16:33:42.03 ID:X7RjkNXz
>>176
いい話…?

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/28(月) 16:49:35.76 ID:IAXy0+oW
効率のいい話なんだろ

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/28(月) 19:08:56.72 ID:4Ke1VAXr
現代日本人は命ならなんでも大切だと思ってるから困る

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/28(月) 21:38:11.37 ID:OraP3Sqx
>>179
誰が困るんだよw

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/28(月) 23:24:41.70 ID:r7dpqF/e
        _,,:-ー''" ̄ ̄ ̄ `ヽ、
     ,r'"           `ヽ.
 __,,::r'7" ::.              ヽ_
 ゙l  |  ::              ゙) 7
  | ヽ`l ::              /ノ )
 .| ヾミ,l _;;-==ェ;、   ,,,,,,,,,,,,,,,_ ヒ-彡|
  〉"l,_l "-ー:ェェヮ;::)  f';;_-ェェ-ニ ゙レr-{   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ヽ"::::''   ̄´.::;i,  i `'' ̄    r';' }   | 久々にワロタ 
 . ゙N l ::.  ....:;イ;:'  l 、     ,l,フ ノ   | こういう成敗が好まれた
 . |_i"ヽ;:...:::/ ゙'''=-='''´`ヽ.  /i l"  < のが昔の武士なんだよな 今の新参は昔の
   .| ::゙l  ::´~===' '===''` ,il" .|'".    | 武門の心得を知らないから困る
    .{  ::| 、 :: `::=====::" , il   |     \________
   /ト、 :|. ゙l;:        ,i' ,l' ノト、
 / .| \ゝ、゙l;:      ,,/;;,ノ;r'" :| \
'"   |   `''-、`'ー--─'";;-'''"   ,|   \_

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/29(火) 09:01:19.68 ID:8ssQuzbj
>>180
更生の見込みが乏しい元懲役囚のそばに住んでる人とか

神子田半左衛門は豊後にて切腹した

2015年11月08日 06:45

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/07(土) 21:38:52.73 ID:7xZwe7U+
豊臣秀吉創業の頃からの家臣であった神子田半左衛門(正治)は豊後にて切腹した。この時半左衛門は

「私がこのように成った上は、秀吉の心にかかることは最早あるまじ!」

そう言ったという。

神子田半左衛門は長久手の戦いの時、頸一つを取ってきた。
秀吉はこれを見て、敵の襲来を半左衛門が構わず匹夫の功を立てたことを怒った。
しかし半左衛門も反論し、ついに雑言に及んだ。これによって彼は牢人と成り、
後に豊後にて切腹したのだ。

秀吉は半左衛門の頸を一条の戻橋に晒し、そこに『天下の大臆病者なり』と札を立てたという。

(武功雑記)



600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/07(土) 21:55:17.07 ID:dvXvBD1j
成金と同じでプライドと見栄の塊だよな

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/07(土) 23:03:20.38 ID:pLYiESxG
羽柴四天王ってなんか報われないな

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/08(日) 01:25:32.95 ID:wwFiG7we
九州征伐あたりからちらほらラスボスの片鱗が見えるよね
それを考えたらセンゴクは上手く泳ぎきったわさ

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/08(日) 09:26:29.07 ID:J9xDjA1o
二重堀砦の撤退戦だよな
金ケ崎撤退戦の英雄としては譲れないところだったのでは

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/08(日) 11:51:14.26 ID:hS/xgfqa
単独で離脱したらしく臆病者扱い
これ本当なの?

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/09(月) 21:09:35.80 ID:+1n/NtSK
>>604
秀吉軍の撤退中に最前線の二重堀砦は織田信雄軍に攻められ
しかも神子田が勝手に退却したので大ピンチなところを
細川忠興が救援に駆けつけ大勝利
ってのを三斎様が書き残していたような

神子田正治の失脚

2015年02月04日 18:53

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/04(水) 02:21:14.50 ID:IHCwOte5
天正12年(1584)、小牧長久手の合戦が膠着状態に陥ると、羽柴秀吉は7月の1日頃に6万の軍勢を
小牧野青塚あたりまで移動させ、徐々に軍の備えをさせた。

二重堀の仮要害を引き払うとき、ここには木村常陸(重茲)、神子田半左衛門(正治)、小寺勘兵衛(黒田如水)、
明石左近などが入れ置かれていた。この勢が二重堀を引き退くとき、敵の織田信雄勢が追撃したが、
細川越中(忠興)らが引き返してこれと戦い、多くの頸を得た。
この戦いを秀吉は青塚に上がって見ており、大いに感じ入った。

さて、その後秀吉軍は、備えを小口入りにして犬山城に至った。その日の暮れに、神子田半左衛門は
秀吉の前に居たのだが、秀吉はこのように言った
「今朝、二重堀に敵が来たのを、汝が軍を返して討たなかった事は非常に不甲斐なく思った。」
しかし神子田は
「軍勢を持っていなかったので、何事も思うままに出来なかったのです。」
と、言葉を返した。

これに秀吉は気分を害した
「汝が初めて我を頼んだ頃、従っていたのは10人に満たなかったではないか!それを今程まで
してやったというのに、どうしてそのような言葉が出るのか!?」

そう言って怒り、神子田はその後咎めを受けたが、ついには自害させられた。

(豐鑑)

羽柴四天王とも呼ばれる秀吉配下の古参、神子田正治の失脚についての記事である。




神子田半左衛門正治、秀吉と不和と成る

2011年10月30日 22:00

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 13:27:24.99 ID:HGbriStF
天正12年(1584)5月1日、羽柴秀吉は徳川家康との決着がつかぬまま、ついに小牧長久手より撤退を始め、
本体六万は青塚方面へと移動した。

この時秀吉軍最前線の拠点である二十堀砦には、木村常陸守、神子田半左衛門正治、黒田官兵衛、明石右近などが
入り置かれていた。
彼らも撤退を始めたが、これを徳川軍が把握し追尾する。いよいよ徳川軍が襲いかからんとした所を、
細川忠興の部隊が取って返し徳川軍を牽制したため、かろうじて撤退を成し遂げた。
この状況を秀吉は、青塚からじっと見下ろしていた。

やがて秀吉軍が犬山に入ったところで日が暮れた。
その時御前にいた神子田正治に対し秀吉は言う

「今朝、二十堀に敵が襲来したのを、お前なら返り討ちにすると思っていたのに、そのかいもなく
不覚をとってしまったな!」

神子田は、これに反論した
「我々はあれだけの敵に対処できるほどの人数を持たされていませんでした。人数がなければ、ああいう時
どうにもできるものではありません。」

秀吉のそもそもの撤退戦略のミスを指摘したとも取れるこの口答えに、秀吉はサッと表情を変え、
神子田を睨みつけた

「人数だと!?そもそもお前が初めてワシの下に付けられた時、お前の家来など10人も居なかったではないか!
それを今の程までの身代にしてやったというのに、それがどうしてそのような口を利けるのか!」

激怒し、そう怒鳴った。

この事があってから、神子田正治は追放され、終には命を失うこととなった。
(豊鑑)




621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/30(日) 16:58:40.61 ID:17zPE6cd
>>615
神子田さんにとっちゃ踏んだりけったりな話だと思うが
そういう時こそ主君の為に役立たなければならないから難しいな

神子田正治、賤ヶ岳にて

2011年10月29日 22:01

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/29(土) 17:31:46.64 ID:mh++4qZM
天正11年(1583)賤ヶ岳の合戦の折のこと。

4月19日、柳ヶ瀬の佐久間盛政軍の攻勢により、中川清秀が討ち死にしたことが知れると、秀吉方の軍勢は、
主将の秀吉が居ないこともあり恐慌に陥り、秀吉軍は所々の付城すら崩壊しかねない状況となった。

ここで動いたのが、秀吉古参の神子田正治である。

神子田は大音声で

「明日、秀吉は大軍を率いて戻りこの緊急事態を救う!よって人々よ、ここを固く守るのだ!
少しも気弱になってはならない!」

そう、諸陣に触れ回った。

落ち支度をしていた者たちも、神子田のこの言葉に励まされ、そのまま留まった。

この事自体は神子田の当意による計略であったが翌日、果たして秀吉は軍を率いて救援に現れた。
美濃大返しが行われたのである。
(小川栄一氏所蔵文書)

中々記録が残っていない、神子田正治の活躍についての逸話である。





342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/29(土) 17:55:18.50 ID:vI0iBPaO
>>340
えらくタイミングのいい話だ

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/29(土) 17:59:21.06 ID:5fomMfXq
神子田は結構優秀な武将なんだよな
秀吉の初期からの家来だけど最後が悲惨だったな

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/29(土) 18:25:44.92 ID:ayWuz64l
羽柴四天王なんていうのがあったのか
しかし七本槍なんかと比べてどれも良い印象ないね

サッカークラブがJFLからJリーグに昇格しても
選手がJリーガーを続けるのは難しいって事かな

神子田正治の出奔

2010年01月14日 00:02

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 02:44:10 ID:64mCZX0X
神子田正治の出奔

小牧長久手の戦いの時のことだ。
秀吉草創の頃からの配下であり羽柴四天王の一人とされ、竹中半兵衛よりその
後継を託されたとも言われる神子田正治は、尾張二重堀城より撤退の際、後勢が崩れたのを
知ってか知らずか、自分だけ先に引き上げた。
秀吉はこの事を非常に不審に思っていたところに、神子田が首を一つ携えてやって来た。

ともかくも秀吉、神子田に「今に始まったわけではないが、いつもながらの戦功見事である。」
と賞した。ところが神子田

「これを褒められるとは何事か!?」

秀吉にくってかかった

「あなたがこんな小事を褒めるようでは、人々は皆匹夫の働きに心を入れ、
大利の了見を失ってしまうでしょう!
こういう場合あなたは軍全体への影響を考え、私を一方的に叱り飛ばすべきなのです!」

秀吉はこれに激怒した
「お前のような輩が、そういう小事を勤めずして何を勤めると言うのか!?
分をわきまえず過言を言うこと甚だしいわ!」

神子田言い返す
「大利、小利を分ける事無く、ただ戦いに手を砕くことだけを功と言う者は暗将である!
あなたには謀り事が足りない!」

「お前は先に敗軍した上に、敵の攻勢を阻む努力もせず後勢を捨てて撤退したではないか!
そのような者に大軍の勝敗がどうして解ろうか!?
お前のような者を大臆病の至と呼ぶのだ!」

「あなたは目が暗く理非と言うものも知らない!誠に暗将と言うべき人だ!」

そう言い捨て、神子田は出奔した。


神子田はむしろ、秀吉の為に成る事を考えて行動していた事、これも確かであろう。
そして秀吉も又、古参である神子田に対して気を使っていた。
しかし本質的に二人は、人間として合わなかったのであろう。そしてついに、双方のその感情が
爆発してしまった。

そんな事を感じさせる話である。





672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 04:16:34 ID:BetKXrmN
そのあと帰参しなけりゃよかったのにね・・・

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 04:39:21 ID:QDrLWf57
家康なら面倒くさい三河武士で耐性があるから大丈夫だっただろうけどな
秀吉に食って掛かっちゃダメだろ・・・

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 05:48:59 ID:/l8L37/0
ドモンと東方不敗みたいだな  

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 10:43:34 ID:+ZTsfTuk
神子田さんなんというバッドエンドフラグwwwww

ま、結局秀吉は上に直言するタイプが一番嫌いですからね。
黒田さんみたいにワンクッション置ければ命くらいは助けてもらえますがw

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 13:40:53 ID:PSH7/UF2
>>676
案外三成はそういう神子田とかの行く末を見てたから
秀吉に上手く接していれたのかも。

神子田さんが改易された話逆バージョン

2009年12月13日 00:03

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/12(土) 01:51:21 ID:JawmazIO
竹中半兵衛の後継者と言われた神子田さんが改易された話は
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1712.htmlで纏められているけど
どうもこの逆バージョンもあるそうで・・・

小牧・長久手の戦いで、神子田さんが敵の首を1つ取り、秀吉がそれを褒めた所

「は? たかが首1つで褒めるって何それ? つ~か大将ならもっと高所からさぁ」

なんて言ったもんだからさあ大変。ラスボスが本気で激怒。
諸将もラスボスを抑えながら「お前マジ謝れよ」と言ったのだが、神子田はあっさり無視。
結果、神子田は追放。結末は上記の通りと。

ちなみにこの説話を記した本。このエピソードの前に、播磨の5000石を皮肉った話も掲載されていて
「こんなに性格が捻じ曲がっていればそりゃダメだろJK」的な結論にしている。




992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/12(土) 02:04:25 ID:Eiq1EaVQ
普通はそうだよ
まとめサイトに記載されてる方が秀吉悪者にするため曲筆してるだけ

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/12(土) 07:00:07 ID:eh4HWLjs
こやつめ、ハハハ的な対応を期待したんじゃないか

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/12(土) 10:06:28 ID:L9Ii/WfC
頭良いヤツで他人が自分の考えと違う行動すると
「何でそうなるの?バカなの?死ぬの?」な態度取るヤツいるよね

三成とかNGMSに対する又兵衛とか
まーくんに対する直江…は違うかw

神子田半左衛門と五千石の加増・悪い話

2009年04月16日 00:09

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 15:06:38 ID:N7PIbVCe
天正の初めの頃の事。

秀吉が初めて播州一国を任せられた時、この当時秀吉麾下の武功の者といわれた
神子田半左衛門、宮田喜八、戸田三郎四郎、尾藤甚右衛門の四人に、それぞれ
五千石を与えた。

ところが宮田、戸田、尾藤の三人はこれを大変不満とした。たった五千石か、秀吉様の、
我々の働きの評価はそんなものか!
後の「大気者」と呼ばれた秀吉からは想像しにくいが、この当時の秀吉、ケチだった。

そんな中、神子田だけは大喜びしている。そして三人に向かって「秀吉様のところに、
拝領のお礼を申し上げにいきましょうよ!」などと言い出す。

三人、冗談では無い。我らの今までの戦功をあの程度の評価にされて、礼などできるものか。
そう言うと神子田、こう答えた

「わたしが喜んでいるのは、領地をいただいたことに、ではありませんよ。
私たち四人の勲功、この軍の中にそれを越える人間なんていませんよね?

で、秀吉様は播州という大国を任された。この播州は秀吉家中みなに加増しても、
まだ余ることは誰でも知っています。
ところが秀吉様は私達に、『家中の者に分配してもう余りが無いから、とりあえずこれだけで
我慢せよ』などと命じられました。

こんな言葉で納得させられると思っているとすれば…、はてさて、秀吉様は我らを、
無知無才の者だと思っているようです。

そんな無知無才の我らに五千石も加増してくださるとは!
こんな寛大な秀吉様に仕えていること、これを喜ばずにいられましょうか!?
だからお礼に行こうと言ったのですよ。」

そう、お礼とは「皮肉を言いにいこうぜ!」という事だったわけだ。
このように神子田という人は、武功は多かったが常に秀吉を小馬鹿にしていたそうだ。
そんな、秀吉軍陣の空気の悪い話。

ちなみに秀吉麾下の勇将として鳴らしたこの四人、その後、宮田は三木城で討ち死に。
神子田は小牧長久手の折追放、後切腹。尾藤も九州征伐の折追放、後切腹。
戸田だけは秀吉の時代を生き延びたが、関ヶ原で討ち死にした。




657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 15:14:34 ID:KsO0NVVK
武田勝頼「人は城、人は生垣、徳の無いおこないが家臣団の崩壊を招くもの」

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 16:38:00 ID:yvbporLb
神子田って家臣を抱え過ぎて破産した話がなかったっけ?

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 17:04:12 ID:gDHyik7c
神子田って誰かと思えば、
いつぞや書かれた、竹中半兵衛に目をかけられていたやつか。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1712.html

なるほど、秀吉に嫌われるわけだ。

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 17:24:30 ID:JGPnBOC5
>>656>>659
ああ、この人か
そりゃ常日頃これじゃ秀吉も疎ましく思っても不思議無いわ・・・
罪に問う機会を手薬煉引いて窺ってたのかもな

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 17:35:10 ID:WVYiKFBS
>>659
頭の回る男だったんだろうけど、秀吉に文句いうときに嫌味はないよな
思うさま罵倒してちょっぴり正論ぽい理屈つけた方がマシだろ~

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 19:18:46 ID:imlnqVyd
>>658
家臣抱えすぎて破産したのは加藤光泰じゃなかったっけ?
ただ、この時期での5千石って大領だと思うがなぁ。
秀長や蜂須賀小六は別格としても、この時期の山内一豊や堀尾吉晴が2千石くらいだし。

あと、関ヶ原で討ち死にした戸田は弟の方。本人は朝鮮の役で病没している。

664 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/15(水) 20:49:09 ID:gvQd4+kM
>>656
皮肉にしても回りくどいね。
微妙にいらっとくる回りくどさだ神子田。

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 22:09:23 ID:5NjTBSa/
播磨一国の段階で五千石なら十分大封じゃないか?

別に播磨全土が秀吉の好き勝手に裁量していい土地になったわけですらないのに。

幻の軍師、神子田正治・悪い話

2009年03月30日 00:03

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 04:12:16 ID:UqcX7RMr
幻の軍師

神子田正治という人物がいる。秀吉に請われてその配下となり、あの竹中半兵衛がその才能を見込み、
自分の後継者として秀吉に推薦したと言うほどの男である。
そう、半兵衛亡き後の秀吉の「軍師」とは、黒田勘兵衛ではなく、本来この
神子田半左衛門正治であったのだ。

だが、小牧長久手の合戦の折、尾張二重堀城の守備をまかされたが、織田信雄軍の襲来に
これを放棄、秀吉を怒らせた。
さらに正治が撤退戦の折、敵の首を一つ取っていた事も、秀吉の怒りを倍増させた。
「誰がお前に、そんな匹夫の功を立てろと言ったのか!」

この時正治は、秀吉に臆することなく申し開きをした。竹中半兵衛に認められたほどの知性であり、
おそらくは理路整然とした申し開きだったのであろう。しかし秀吉はこれを認めず、口論となり、
正治は所領を没収され、高野山に追放された。しかもそれだけでは秀吉の怒りは収まらず、
天正十三年(1585)には、その高野山すら追放され、諸国を放浪する事になった。

天正十五年(1587)、正治は九州征伐のため豊後におもむいた秀吉の下に、
帰参を申し出に現れたが、秀吉は許すことなく、彼に切腹を申し付けた。

切腹の時正治は、「私がこのようになる上は、秀吉にはもう、心に引っかかる事はあるまいよ。」
と、言ったそうだ。

秀吉はこの正治の首を、京の一条戻橋に晒した。『この者天下の大臆病者なり』との札を立てて。


神子田正治は秀吉草々の頃からの配下であり、おそらくは最も優秀な家臣の一人であっただろう。
それを秀吉は、何故ここまで憎んだのか?

そんな、幻の軍師のお話。




274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 05:15:22 ID:EfFBvyzQ
臆病者ってのがわからないし何かあったんだろうね

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 08:35:04 ID:5GuNLQ/C
神子神子田正治! 神子神子田正治!
生麦 生米 神子神子田正治!!

神子神子田正治! 神子神子田正治!
蛙ピョコピョコ 神子神子田正治!!

神子神子田正治! 神子神子田正治!
セクシャルバイオレット 神子神子田正治!!

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 09:25:16 ID:70UAn1eY
この手にタイプにありがちなのは、
己の才気を鼻にかけて、傲慢になるパターンだよな。

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 12:22:31 ID:SlhsV2Pa
まぁ厳罰主義者だったんだろうね。
同じ家臣時代からの四大重臣の一人尾藤さんも勝ち戦で改易で帰参を懇願して処刑だし

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 14:44:31 ID:YCtA8wVP
半兵衛…策が成功すれば満足、武名が知られればラッキー

官兵衛…足萎えに大領あげたら天下取っちゃうんであげません

神子田…「こいつはくせぇー!!姦雄以下のニオイがプンプンするぜー!!」

とか

279 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/29(日) 14:57:32 ID:vrqnWvsX
>>276
曹操と楊修の関係みたいだな。

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 16:16:07 ID:/jNiXJMz
単に兵に人気がなかったんだとおも>神子田
晩年はともかくとして、秀吉さんは兵とか民衆とかの人気をすげー気にする人だから。

282 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/29(日) 17:22:05 ID:ToBVpv96
>>273
口先だけのセコイ奴に思えたんじゃないの?

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 20:47:32 ID:JP2YucsG
>>280
鈴なりのゴンベは大失態やらかしたのに助けてるもんな

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 21:07:52 ID:b7MOuWon
>>273
小牧長久手の時ならラスボス化する前だからなんらかの理由がありそうだね

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 21:27:58 ID:FgasRb11
尾藤知宣も小牧・長久手でミスをしているから、ラスボス化は既にこの頃から始まっている
つまり、ラスボス化の原因は家康にあり!

292 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/29(日) 21:47:46 ID:viJ9vOs3
ゴンちゃんの失敗は小牧長久手の後だよ

まぁ、ゴンちゃんは復帰のときに大活躍してるのが違うところか


293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 22:04:54 ID:gUlrx5kH
帰参しようとするのが死亡フラグなのだな

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 22:07:08 ID:FgasRb11
>>292
彼の場合、家康を頼ったのが良かった

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/29(日) 22:37:02 ID:X2mgIeGo
>>293
稲富「オレは生き残りました!」