安宅冬康は常に連歌を好んだ人だった

2014年06月21日 20:27

564 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/06/21(土) 17:00:52.91 ID:vfRkyEkP
阿波の三好家、安宅冬康は常に連歌を好んだ人だった。
ある時

す々きにまじる蘆の一むら

という句に冬康が句をつけようと思案している折、緊急事態だと文箱が届いた。
冬康が手紙を読んでいると、座にある人々が何事が起きたのかと尋ねた。
冬康は

沼水のあさきかたより野となりて

と言った後に
「それがしの弟、実休が討死した。と伝えてきたのです。」
と言い暇乞いし、すぐさま敵と戦い名誉の高名をあげたそうだ。

備前老人物語


これって三好長慶の逸話であったような・・・というか実休ってお兄ちゃんだったような・・・


関連
三好長慶、飯盛城での連歌の会にて



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安宅冬康の心意気

2009年12月18日 00:05

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 01:54:02 ID:xK+OPYMG
 時は永禄五年、和泉岸和田城近辺。
前年に畠山、六角(あと北畠)連合軍による反三好の一大軍事作戦が発起してからというもの、
山城、和泉、河内の三国は戦乱の巷となって焼け野原となり、
中でも畠山・三好あわせて十万とも称される主力決戦の舞台となった、
和泉河内国内の荒廃ぶりはすさまじいものがあった。
ことに文化財の破壊は酷く、由緒ある寺社仏閣は焼け落ち、多くの史書文物の類が失われた。
後世に伝えるべき先人の想いの数々が、無益な兵火の中に失われてしまったのだ。
教興寺の決戦で大勢が決した後。その有様を見て、悲嘆にくれる一人の男がいた。
彼もまた、その惨状を作り出した一人であるが、
その無常に自らも晒された当事者だからこそひときわ嘆きも大きなものがあったのだろう。
彼がその時の心情を歌に認めるに曰く、
「古を 記せる文の 後もうし さらずばくだる 世ともしらじを」
(古のものごとをしるした文物、史跡も失くなってしまった。憂い深いことだ。
  それがなければたとえ後世にあっても伝わることはないだろうに)
後世に伝えるべき文化、歴史が目前で、己の手で失われてしまった。
おおよそ今を争うべき武家らしからぬ嘆きを書に認めた人物の名を、
三好筑前守の弟、淡路洲本城主、安宅摂津守冬康という。
いずれ自分達も歴史として後世に伝えられる、そのことを彼は意識していたのかもしれない。
名宝や書を保全することを欲得、悪徳と捉えて敢えて打ち砕くことも心意気なら、
歴史を伝えるという使命を強く意識することもまた心意気の表れ。
そんな戦国武将の心意気のありようを示すお話。

ただし馬場さんと安宅さんを近づけるの禁止。




237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 18:09:01 ID:eAiH5svO
>>208
仁者だよねー冬康さん。三好長兄もすげー教養人だし単純に残虐無道て武将じゃないんだけど……

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 21:37:45 ID:lsPYTxvr
安宅と書いて「あたぎ」って読むのね
今更ながらはじめて知った

安宅冬康の諫言・いい話

2009年01月14日 00:09

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/13(火) 08:20:37 ID:TctAPrao
ダンディ松永久秀が確実に謀殺したと言われる男の話


三好長慶は強大な武力を背景に勢力を拡大
刃向かう者は一族皆殺しなんて当然だった
そんな三好長慶ある男が言った

(´・ω・`)「鈴虫だって大切に育てたら長生きするのに何故兄者は人の命を粗末にするの?馬鹿なの、死ぬの?」

この男、三好長慶の実弟で名を安宅冬康と言う
淡路水軍を精強な軍に再編成した凄い男………のはずである
影も薄けりゃゲーム等での評価も低いが
彼を処刑した罪が冤罪だと分かると三好長慶は完全な鬱状態になったと言われる




114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/13(火) 11:01:59 ID:HoVnDeK6
>>112
粛清の原因は弾正師匠の讒言だったんよね。

三好四兄弟は、とにかくツキもなかったようで…
三好長慶は嫡子も若死にして、弾正センセイの仕業かと疑われてたな