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大久保忠常「御当代無双之出頭人」

2010年05月01日 00:08

660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 22:19:15 ID:QzdzjB9J
大久保忠隣の子忠常は家康の孫娘を娶り、将軍秀忠の覚えもめでたいとあって
「御当代無双之出頭人」と称された。
その人気も絶大だったらしく、慶長十六年に彼が病死した際には
無断で小田原へ弔問へ出かけるものが数百人にのぼり、そのかどで閉門を命じられた者もいたという。




661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/29(木) 22:39:00 ID:cSuoxXh7
こういう人に限って短命なんだよなぁ……
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大久保忠常、預けられた三成を

2009年12月22日 01:35

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 23:07:12 ID:EX3RZcIh
関ヶ原合戦の後、捕縛された石田三成、小西行長、安国寺恵瓊三人の身柄が、
大久保忠隣に預けられた。
しかし、この頃忠隣は家康の側にあり大変忙しく、その子息、加賀守忠常(当時二十歳)が
彼らの管理に当たる事になった。

忠常が、三成達の拘束されている場所に行って見ると、三人は高手小手に縛られており、
その中でも三成は、当時腹を壊しており、この苦しさからその場に臥せていたそうだ。
これを見た忠常、自ら暖かい粥を三成の前に持って来て

「どうぞこれを、一口お召し上がりください。」

と言った。これに三成

「おぬし、何者だ?」

「は、これは申し遅れました。先年の奥州の御検地であなたが関東に御下向された時一度、
お目にかかったことがございます。大久保忠隣のせがれ、忠常であります。」

三成、忠常をじっと見て。

「ずいぶん前の事だし、全く覚えていない。」


そう正直に答えた。いかにも三成らしい。

「ところで忠常殿、久しぶりの対面早々何だが、この有様では粥を飲むことも出来んよ。」

と、体中に掛けられた縄を見せた。
そこで忠常、縄を解き手を自由に使えるようにした。三成はこれを大いに喜び、
「今の芳情忘れぬぞ」と礼を言って、小ぶりの茶碗に一杯半ほども粥を飲んだ。
その後、三成達を厳重に縛める事をやめ、首に形ばかり縄をかける形に改めた。

三成は隣室の小西行長を、「摂州!摂州!」と大声で呼び
「家康は果報な男だ。譜代の子供まで良く育っておるわ!」
と、語ったそうである。





368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 23:13:43 ID:motJ3TQ1
ツンデレw


372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 23:35:31 ID:iesOXET8
>>366
忠常は一角の人物だったらしいねぇ

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 08:57:17 ID:2sGqDGmN
>>366
なんか死の間際なのにさっぱりしているな やっぱ三成も武人だったんだな

>三成は隣室の小西行長を、「摂州!摂州!」と大声で呼び
死罪待ちで牢屋に入っているのに普通に世間話しててフイタw

392 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/21(月) 12:37:38 ID:9vtGt5bY
>>389

あまり言い訳をしないところや死罪に際しても動じないところは、広田弘毅にも似ているよな。

393 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/21(月) 13:14:55 ID:SAFYxAn0
>>392
それこそ城山三郎の小説が元ネタで実は「死刑」
になりたくないから黙っていただけと笹川良一が「人類皆兄弟」
で書いていたよ。


397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 14:23:56 ID:ln0/mB8j
>>393
広田弘毅については『落日燃ゆ』の影響もあってか実像と創作の部分が
ごっちゃになっるとはいえ(なので光と陰、功罪を信用のおける資料で過不足なく
見直す必要があるけど)、大体の資料が「泰然自若としてた」とあるし
概ね信用していいんじゃないか。
むしろ笹川良一のほうが、言い方は悪いが収攬されたことすら
自分の栄達に利用したような男だし、よほど信用ならん。
(スレ違いでスマン)

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