頂いた白瓜は

2017年04月26日 14:31

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/25(火) 20:25:41.03 ID:Lm1RqhQh
 京都五条松原の東洞院にある角屋敷で境界をめぐる争いが起きた。
 京都所司代の板倉勝重はその境界争いをしていた者の一方と知り合いであり、
その者は4月初めに見事な白瓜を勝重のところへ贈った。それに対し、板倉勝重
「近日中に境界の様子を見に行く」と答え、しばらく日が経ってから争いの現場へ
おもむいてじっくりと調査した。
 町中の人たちは境界争いの判決がどうなるか固唾をのんで見守っていると、勝重は
白瓜を贈ってきた男に対して丁重にお礼を述べた後で、「さて、よく調べてみたところ、
この土地は隣家のものであるのは明らかなので、いただいた瓜は後でお返ししよう」と
言い渡して帰っていった。見物していた町の人々は「実に明快な裁きだ」と感嘆しあった。



856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/26(水) 17:48:53.51 ID:66AtvZvX
一度は賄賂を受け取ったってことになるんじゃないの

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/27(木) 02:45:46.63 ID:J5Q2jqxA
賄賂に左右されなかったいい話ってことじゃないの

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/27(木) 04:48:59.25 ID:qNUzUGzh
グレーゾーンなら貰っていただろうな
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負けた者も腹が立たぬように

2016年06月13日 11:20

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/13(月) 02:51:28.66 ID:gEWYMp6S
板倉伊賀守殿(勝重)は訴訟の決断の時に、負けた者も腹が立たぬように決断した。
「事にはよるだろうが、奇特なことである」と、分別ある人は語った。

――『備前老人物語』




伯父のもとにいたいか、継母のところにいたいか

2016年05月22日 11:01

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/21(土) 23:23:54.00 ID:w5+VKuAW
 下京にちと裕福な者がおり、男子が一人いた。その子は二歳の春に母と死に別れた。
継母をもらったときの男子の境遇には同情するも、さすがに男やもめで日々を送るわけにもいかず、
男は再び妻を求めて後妻を置いた。しかしその子が六歳の春に、父も病の床に伏した。
快復がかなわない事を分かると、兄に向かって、

「私の子はまだ幼いので、あなたのもとで養育してください。
成人したら家をその子に渡してください。」

と言い置きを残し、ついに亡くなった。
 遺言のように、その子を伯父の方へ呼ぼうとすると、継母が

「我が腹から出なかったばかりに、どれほど辛苦して年月を育てたことか。
この後にまた夫をとろうとは思ってません。髪を剃り、あの子を育て家を盛り立てます。
けっしてそっちへは渡せません。」

と怒り、双方が伊賀守(板倉勝重)の前へ出た。

「いずれにも言う所の理がある。それなら子供をここによこせ」

と呼び、子供を膝元でなつかせられた。
炬燵にあたらせたり、菓子などをやって食わせたりして、子が安心した顔つきになったところで、

「そちは伯父のもとにいたいか、継母のところにいたいか」

と問われると

「伯父のところにいたい。」

と言う。

「そうならば、もとの所にいけ。」

と戻してやった。
 伯父と後家は子の手を取って奪い寄せる。子は泣く泣く伯父の膝に座った。
伊賀守は、

「まずしばらくは伯父の方に預けよ。とかく子は伯父になついているようだ。
その後のことは、そのときに考えるとしよう。」

と物柔らかに言って双方を帰された。
(醒睡笑)



756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/22(日) 06:55:47.91 ID:sMOQ9/Iz
>>755
伯父と継母でひっぱりあいこして離した方に行かせるんかと思ったら違った

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/22(日) 08:45:21.22 ID:00wt5hra
大岡裁きの元ネタの人

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/22(日) 12:50:48.12 ID:+eqi60iP
>>755
>「まずしばらくは伯父の方に預けよ。とかく子は伯父になついているようだ。
>その後のことは、そのときに考えるとしよう。」
すげー柔軟でいいな

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/22(日) 18:01:03.45 ID:3BcdrjFR
>>758
こう言う柔軟さがないと長年京都所司代は務まらなかったんだろうな。



時は盂蘭盆、咎は瓜一つ

2016年05月20日 10:42

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/20(金) 00:34:45.48 ID:S7g6JhYO
 慶長七年七月七日に、背中に笈摺(巡礼者が物を背負う時衣服の背が擦れるのを防ぐための単の袖なし羽織)
などをかけた人足が、痩せ黒んで竹杖にすがって京の町を通っていた。
 見る人々は
「ああ、なんと怖ろしいでしょうか。このごろは地獄の蓋の窯も開き、罪人が聖霊となって出てくると聞くが、そのような者であろうか。」
と言い合っていると、この者はある店に立ち寄った。

 彼は瓜は一ついかほどかと尋ね、店の者は二文であると答えた。
「腰にただ一文ある。盆の結縁と思ってまけてくれんか。」
と言うと、主人は「そうしよう」と提案にのった。
その返事を聞くと彼はすぐに瓜をとって頭からかぶり喰らう。

 食べ終わった後、挟んでおいたはずの銭を見ると、銭はすでに落ちておりただ縄だけがあった。
「瓜の主人よ、慈悲と思って許してくれ」
と嘆くが、この主人は慳貪な性分で
「沙汰の限りだ、おそらくすりの類であろう。皆の衆、出てきてください。」
と町の人を集めて痩せた男を追い立てて、板倉(勝重)殿の垣の内へ引き据え、起こった事を具に訴えた。人足も起こった事をありのまま言上した。
伊賀守はお聞きになられて、
「いずれ事の実否を糾明しよう。先ずこの者を瓜売りに預けようぞ。
一日二回の飯をその者に与え、昼は町でよきように番せよ。なおざりにして我を恨むな。」
と言って帰らせました。
主人はたった一文の事でいらぬ訴えを起こしたら、面倒なことになった物だと思いながら、
一間の所に押し込めて、番を据えて、毎日の飯を与えた。

それから六日七日に及んだが、糾明がないのでこらえかね、
一同が参って「御糾明下さい」と板倉殿にかけあった。
伊賀守は
「やるべき事が多くて忘れておった。
今思案してみると、時は盂蘭盆、咎は瓜一つ、これほどの裁許は初めにすべきであったが、
瓜売りの慳貪な心根の憎さで延びてしまった。
飢えにのぞむ者を見たら、招いてでも与えるべきなのに、
無力な者を捕らえてきて、銭一文の事で首を刎ねよとはなんだ。
 慈悲をさせるために、この日ごろは養わせたのだ。急ぎその者を許して帰せ。」

との下知をされ、その席にいた人は皆頭を下げ、感涙を流さなかった者はいなかった。
(醒睡笑)



747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/20(金) 21:25:33.40 ID:SGk61fVQ
いい話過ぎるだろ(´;ω;`)ブワッ

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/20(金) 22:38:14.71 ID:0j3juup3
>>746
瓜売り「ウリリリリリィィィィィーッ!!!」

松平太郎作はよく諌めた

2013年11月20日 19:03

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/19(火) 19:21:38.98 ID:cohbReQ4
松平太郎作は京都所司代の板倉勝重に近侍して、よく諌めた。
勝重は太郎作が律義である事を知って信用した。

ある年、賄い方の人が扶持方升を小さくした。太郎作は諌めようと思って
勝重の前に出た。すると、勝重は「何か目新しいことはないか?」と問うた。

「この頃、狂歌を読んでいる者がおります」
「それはお前の作意か?」
「私は文盲です。どうして歌を詠めましょうや。
『ほそき物 恋の心に 琴の糸 三郎が脚 扶持方の升』という世上の者が詠んでいる狂歌です」

『三郎が脚』とは、その頃、三郎という脚の痩せて細い男がいたからである。
勝重はこれを悟ってその升を改めさせた。太郎作の諌めは、皆この類であった。

――『武将感状記』




657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/19(火) 22:33:40.24 ID:Gk+GIWkd
京都所司代に近く仕える人が文盲とかありえるのか?

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/19(火) 22:58:01.31 ID:O7LbM148
律儀だから文盲って答えたんだろ。自分を文盲って思わないからこんな質問ができるんだよな。

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/20(水) 04:46:40.59 ID:GLbc1BSI
この時代の「文盲」というのは、「教養がない」くらいの意味でとったほうがいいよ

都の地は国々の寄り合いなのだから

2013年06月29日 20:00

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 18:31:29.62 ID:QxqiNmx1
板倉勝重が京都所司代の時、麩屋町に寺の材木が積んであったが、いずれも印をつけず
縄も張られていなかった。

勝重はこれを見て、その場所の町役人と材木を置いた屋主をともに厳しく咎めた。

勝重は「暗夜にはどんな怪我人があるかもわからない。盲人が通らないとも限らないのだ。
僅かな事が、どれだけの人の難儀の基になることだろう。

都の地は特に国々の寄り合いなのだから、総じてこのような筋目を正して町役を勤めるように」
と言ったということである。

――『責而者草』





580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 20:16:14.71 ID:qqzxEcEo
>>579
現代でも考えれないやつがいるのに、この時代に障害者のことまで考えて政治やってたのか

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 20:26:36.96 ID:fW3y00Y7
>>580
徳川幕府は何故か障害者、特に視覚障害者に対して非常に篤く保護していた(盲目の人間から借りた金を返さなかった場合は重罪になったり)
秀忠の実母が駿府で盲目の女性を保護したりしてたから、そう言う影響があるのかも

「ごぜんのう」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4398.html

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 20:47:26.30 ID:CdywC1KT
シグルイの賎機検校が頭に浮んだが、あれは架空人物だったかな?検校自体は確かに超高位。

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 23:30:34.80 ID:XRomesF3
>>581
家康の先輩の信長からしてそうだからな

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 23:50:07.28 ID:a/5/lKhC
先輩というか同盟相手。
歳上を先輩と呼ぶならその通りだけど

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/30(日) 09:12:55.75 ID:svqe9QSc
天下人としての先輩って意味では?

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/30(日) 20:59:38.28 ID:crWtZLaO
>>583
信長は知障の人を保護したんだよな
慈悲の心ありすぎるのに仏敵っていう

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/30(日) 21:05:50.15 ID:HPu0gylf
>>586
信長の場合は、たまたま目にした障害者を個人的に哀れんだだけで、仕組みや制度のある恒久的な施策として
行ったわけではないから、それを慈悲と呼ぶのは正直抵抗がある。

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/01(月) 00:09:29.40 ID:gV91UkMh
>>587
政治家以外に慈悲のあるやついないのかよ

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/01(月) 00:20:02.04 ID:4xg1CQW2
>>588
信長は最高権力者なんだからそういうことが出来る立場じゃん

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/01(月) 19:40:20.23 ID:8f1b5CkQ
法は定められても行き渡るかは別問題なんだよな
現代でもそうじゃん

大阪城への諜報

2013年02月15日 19:53

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 17:51:04.13 ID:zvtNX2Rp
大阪の陣の勃発前から、京都所司代である板倉勝重は大阪に間者を入れておき、城中のことは
大小と無くこれを知っていた。

そして片桐且元が鐘銘事件の弁明を行い駿府を出発した頃には、本多正信の計らいによって、卯殿半助、田中一蔵という、
甲賀衆のうち間者の手腕に名を得た者両名を大阪に登らせ、諸事万端を聞き合わせてこれを
板倉勝重の元に報告していた。

この卯殿・田中の両人は冬の陣・夏の陣共に大阪城内に有り、
そのため、大阪城の中にいるものすら知らないことでも、勝重はよく知っており、これは全て
関東に報告されていた。
(慶元記)

大阪の陣前後における、板倉勝重による大阪城への諜報についての逸話である。






板倉勝重と焼死体

2012年07月25日 20:50

板倉勝重と焼死体

板倉勝重


603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 11:14:19.47 ID:Sk8GYf3p
徳川の家臣、板倉勝重が京都所司代に就任する以前の話
ある日、勝重の近所で火事があり、焼け跡から一人の男の遺体が発見された。遺体はその家の住人のもので
官憲は火の不始末から火事を起こし、逃げ遅れたものと判断したが、勝重だけは「これは殺された後に
犯人が火をつけた」と主張した。(続く)

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 11:17:07.98 ID:Sk8GYf3p
>>603の続き
官憲がその理由を訊くと「生きている間に火事にあったのならば呼吸で鼻の中に煤が溜まっているはずだが全然ない。
殺された後に火をつけられたとしか考えられない」と勝重は答えた。
ほどなくして犯人が捕まり、勝重の推理どおりだったのが明らかになったので皆、その知恵に舌を巻いた。

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 11:52:47.09 ID:fpYmWtwa
科総研の男-板倉勝重-

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 11:56:48.90 ID:8GRbEXv0
官憲の無能な話しという気もするな

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 12:03:44.61 ID:x9Qp4SZD
自分自身で焼けた遺体の鼻の穴の中を詳しく調べたのか?凄いな。

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 12:19:40.91 ID:S5hYxbOw
>>607
官憲A「あーこれは火の不始末だね~(たりーし手続き終えてさっさと一杯引っかけようや)」
官憲B「左様に相違ござらんな(しからばついでに茶屋じでも…ムフフ)」

勝重「だがちょっと待って欲しい
官憲AB「」

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 12:38:05.77 ID:Sk8GYf3p
板倉勝重は37歳まで永安寺の僧侶だった。葬式で数多くの死体を見てきたので
いつのまにか検死がうまくなってしまったそうだ。

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 14:12:52.13 ID:wg5p9qWP
大津にもこんな人がいたら

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 15:34:19.45 ID:ftSbaHiO
板倉さんは安浦刑事的なイメージしかない
とかく悪い話は少ないし

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 16:45:44.59 ID:rVKlpCgQ
名奉行の起源は板倉勝重

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 16:50:10.03 ID:8GRbEXv0
勝重はともかくこんな無能な官憲が
豊臣家の不利になる情報を嗅ぎまわって大坂の陣を引き起こしたって事か

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 16:51:53.44 ID:F9+hV9Hu
でっちあg

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 16:52:10.69 ID:CL8G2Bac
探偵小説家、久生十蘭の本で主人公が同じことを言ってたが
元ネタは中国の公案(政談)だそうな
うろ覚えだが、豚を二頭、殺したのと生きたのとを小屋の中に入れて
それを焼いた後、鼻と口の周辺に煤がついているか調べたんだと

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 17:06:56.26 ID:Cn0qOEjH
頭のいい人なら考えつきそうなことを、なんでも○○が起源ていうのもなんだかな

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 17:59:43.12 ID:txriBbjn
鼻つまってたらどうすんだろうな

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 18:35:51.78 ID:x9Qp4SZD
>中国が起源
中近世だと、中国は法医学が世界的に見ても進んでいたからな。
検死マニュアル「洗冤集録」が書かれたのは南宋(1247年)だったか。

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 20:23:31.68 ID:ck3bn+84
岩波文庫「棠陰比事」の36話目
「焼殺の実験」に
三国時代の呉の張挙の話として、妻が夫を殺した後、放火したのを実証するため、
生きた豚と死んだ豚を薪を積んで焼かせて
灰が口にあるか調べた、とある。

板倉勝重のwikiにも「棠陰比事」の影響をおそらく受けて、
彼を主人公とする政談ができた、とあるし

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 20:29:41.09 ID:HfGO6pVp
大政所様で検証実験はやっちゃダメですよ、作左さん…

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 21:27:16.99 ID:mnToEhOc
いや、起源ってのはそういうのを当てはめられる名奉行の方のつもりだったんだけどね

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 21:30:52.29 ID:zT7VHnbA
wikiの板倉勝重の項目(wikiで語るのはなんだけど)
>優れた手腕と柔軟な判断で多くの事件、訴訟を裁定し、敗訴した者すら納得させるほどの理に適った
>妥当な裁きを見せ、大岡忠相が登場するまでは、名奉行と言えば誰もが板倉勝重を連想した

>勝重とその子重宗は奉行として善政を敷き、評価が高かった。
>勝重、重宗の裁定や逸話は『板倉政要』という判例集となって後世に伝わった。
>その中には後の名奉行大岡忠相の事績を称えた『大岡政談』に翻案されたものもある。
>三方一両損の逸話はその代表とされる。
>また、板倉政要も、中国の『棠院比事』『包公案』などから翻案された話が混入して出来上がっている。

名奉行の起源は板倉勝重、てのもあながち間違っていない気がするが

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 21:53:15.68 ID:+Z9wKWJX
名奉行の起源って御成敗式目作った北条泰時じゃね?

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 21:54:08.04 ID:Iy/DHkhq
小姓の逸話が森乱丸で上書きされていったのと同じ感じだな

「永井正宗」

2011年11月29日 22:06

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 19:37:57.49 ID:zoPBs4jp
「永井正宗」

関ヶ原の戦も終わった頃、永井善佐衛門という浪人が京への旅路についていた。
彼は当初徳川家に仕えていたが出奔し、蒲生や上杉家に仕えていたが上杉の米沢天封の際に浪人となってしまった。
そのためかつての旧主である徳川家に戻ろうと旧知の板倉勝重を頼って京に上ろうとしていたのである。
その途中である浪人と連れになったのだが、その浪人は善佐衛門の刀と自分のひどく錆び付いた刀を取替え逃げてしまったのである。
仕方なくその刀をなんとか砥いで使おうと思い、京で砥ぎにやらせた。
すると予想以上にすばらしい刀となって返ってきたため、コレはただものではないと考えた善佐衛門は高名な刀剣鑑定家の本阿弥光悦にそれを見せた所、
光悦が言うには「この刀は正に正宗であり、その中でも最上のものである」ということだった。
この刀は後に善佐衛門が板倉勝重の引き立てで徳川家に帰参した際、将軍に献上され「永井正宗」と号されたという

なお、この永井善佐衛門にはもう一つ似たような逸話がある。こういう星の人間もいるのだ。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2690.html




798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 19:57:32.11 ID:HiojDSvx
武辺咄聞書をググったら、114話に刀と壺、両方の逸話が書かれているようだ
114話の前半には、永井さんは政宗の兵六人に取り囲まれたが、四人を討ち取ったという逸話も(残りの二人は逃亡)
その時の刀が、交換される前の太刀だったとしたら盗みたくなるのもわかるな
しかし、
>正宗であり、その中でも最上
に某伯父甥を連想したのは自分だけでいい

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 15:01:59.74 ID:OUvhvBpg
>>797
寛永の三筆の一人で、琳派の創始者の一人で、素晴らしい楽茶碗をつくり、
刀剣鑑定でも高名な本阿弥光悦って、どこの星の人間?

板倉周防守勝重、京の街を通ったときに

2011年03月04日 00:00

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 00:47:24.66 ID:4SO40kY3
ある時、京都所司代である板倉周防守勝重が、儒者であり、あの林羅山の弟である林永喜を同行して
京の街を通った。

所司代の通行である、それなりに格式ある行列で進むのだが、この時、その行列が通っていると
いうのに、ある店舗の端の方で町人の男が、足をだらんと投げ出し鼓を打っているのが見えた。
しかもこれが、余りみっともいい姿ではなく、どうやら足の間から褌なども丸見えというような
ものだったらしい。

これを見つけた林永喜は甚だ怒り

「所司代が通るというのに形も改めず、あのような尾籠な姿で鼓を打っているとは何たる
不埒者でしょうか!あいつは所司代を侮っているに違いない!直ぐにここへ連れてきて
お叱りなさるべきでしょう!」
と、いかにも儒者らしい意見を申し上げた。
ところがこれに板倉重勝、

「いえいえ、私は全く別に考えました。あれでいいのですよ。

仮に私が公事(裁判)を裁くのに依怙を用いていれば、町人たちは私を恐れ、私という存在に
へりくだり非常に気を使うことでしょう。

私は誰であっても公事、訴訟の事があって司代の前に出るときは、その理非のみを見て
判断するようにしています。そのためでしょう、『あの所司代は普段は恐ろしくない』と、
町人たちに思われるようになりました。

そういう事だから、今のように我々の行列を見ても、彼らは姿を改めないのです。
逆に町人たちが私を恐れひれ伏すような事であれば、その時は私が恣意的に、
その権力を使っているということなのです。
だから町人たちが私の姿を気にしていない間は、自分が公平にこの職務を行っていると、
それを確認できるのです。」

林永喜はこれを聞いて、甚だ感服したという。

板倉勝重は町人の姿を見て己の職責の有り様を見る。と言うお話。




33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 02:48:07.23 ID:D5OfQ3fb
良い話だな。
良い話だが、当時の感覚として褌が丸見えって今の感覚にしたらどんなもんなんだ?

ズボンのチャック全開みたいな感じか?

34 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/03(木) 03:31:11.94 ID:OcJQHdM1
>>32
今の政権与党の連中に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 06:32:49.56 ID:6gyWTf+a
>>32
大学に「民に親しむ」とあるし、この場合、儒学的にも板倉さんが正解じゃね?

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 08:28:42.78 ID:gcMn2922
>>34
野党だってひでぇ~もんだ


37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 09:06:26.46 ID:ebSDc3Zh
>>35
まぁ、所詮、羅山さんの弟からさぁ~
しかし、板倉さんちはやはりただの三河武士じゃないwww

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 10:43:44.96 ID:9V9Qzw9Z
なんだか納得できるようなできないような

39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 12:40:39.58 ID://jj0+3P
恣意的は誤用だな。
ある意味正反対な意味を持つ言葉なのに。

ある山寺の僧が弟子を小僧として仕込んでいた

2010年12月03日 00:00

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/02(木) 21:36:55 ID:KH0ouGsx
『ある山寺の僧が弟子を小僧として仕込んでいた。
しかし、ある時この小僧は寺から逃げ出して親のところに帰って来た。

親が小僧に理由を尋ねるには
「僕は立派なりたいと思って頑張って耐えていたのですが、お師匠の
折檻が酷いので逃げてきたのです。お師匠は僕に髪剃りをさせるのですが、
初心者なものですから時々失敗してお師匠の頭から血が出ると、大変折檻されます。

それと味噌をするときに、すりようが悪いと朝夕叩かれたり、便所に行くと
便所に行くのは悪いと折檻されました。もうとても耐えられない」

なんて酷い師匠だろうと思った親は住職にクレームをつけて子どもを引き取ると言った。
すると住職は呆れた顔でこう言った。
「大人のお前が小僧のたわ言を鵜呑みにするとは情けない。
望み通り引き取ってもらうが、檀家の手前、真相をはっきりさせておこう。

味噌の件だが…すりこぎでするのが当たり前なのに、あやつは味噌を鍋に入れて塗り杓子の
背中でこするから注意してるのに、何度も繰り返して何本も杓子を折ったのじゃ。これが折れた杓子ね。

便所の件だが、わしがあやつに何か申し付けると、あやつは代官衆のために新しく作った来客用の便所で
居眠りをしおるから叱ったのだ。誰も入らないように下していた鎖を捻じ切ってな。これが壊れた鎖ね。

そして髪剃りの件だが、あやつも剃る練習をしたろうと、わしの頭を剃らせたら腹を立ててわざと
傷をつけおったのだ。ほれ、わしの頭は傷だらけじゃろ」
そのように証拠を見せられた親は納得して帰っていったということだ』

「…という話でな。これは訴訟で裁く時にも大事なことだ。一方の話だけを聞くと相手はなんて
酷い奴だと思うものだ。また納得した話であっても、ゆっくり聞くと何かおかしいと後で気づく。
断片的なことで全体を判断することなどできはしない。それさえ心得ておれば、もう何も言うまい」
板倉勝重は息子重宗にそう教えた。




板倉勝重、出入商人の妻女の頼みに

2010年05月29日 00:01

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 21:27:53 ID:YFO4jsR9
板倉勝重という人は商人の妻女でも屋敷に出入りすることを許していた。
妻女たちは身内が訴訟に関係すると勝重に懇願する。

「どうか、今度の訴訟では私の夫を勝たせてくださいまし!」
「おう、任せときな。」

訴訟が終わって…

「あのう…私の夫を勝たせてくれましたか?」
「お前の夫を勝たせてやりたかったんだがよう、お前の夫は俺が言って欲しいことを、
上手いこと言わねぇもんだから負けちまったよ。わりぃな。」
「そうですか…そこまでして頂いて負けてしまったなら、仕方ありませんわ。」

勝重はこんな風に対応したため、妻女たちに恨まれることはなかったという。




313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 21:32:47 ID:vcACwl9J

>>312
えっ、なにこのナチュラルなイケメン

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 21:50:35 ID:SxgvWFqk
秀忠なら

「どうか、今度の訴訟では私の夫を勝たせてくださいまし!」
「不届きな!死罪申し付ける!!」

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 23:12:33 ID:g972AdfZ
>>312
夫に責任を転嫁してるように見えるのは
俺の性格が悪いからだな、多分

『解決屋勝重』

2010年02月11日 00:12

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 08:50:54 ID:VE07m/gw
『解決屋勝重』

大坂冬の陣が起こるちょっと前の、慶長十九年(1614年)6月。
朝廷で猿楽の興行があったそうな。
さて、此処に招かれたものの中にとある者がいた。
名を吉岡又三郎といい、武蔵との対決で有名な吉岡憲法の一族である。

この又三郎が禁門をくぐる時に何か粗相をしたのか、雑色に「無礼者!」といわれ棒で打たれた。
カッとなった又三郎、一瞬の内にその雑色を斬って捨てた。
これにおさまらないのが、そのほかの雑色諸氏。
次々と前後左右から又三郎に打ちかかるも、又三郎はひらりひらりとかわしながら、雑色諸氏をどんどん斬り捨てていった。
どうやら剣の腕は本物だったらしい。

あれよあれよと大騒動となった時に、警固担当の板倉勝重京都所司代がついに解決に乗り出した。
解決には定評のある、あの勝重さんである。
今回もスマートな解決をしてくれるに違いない。

ところが彼は「禁裏を血で汚すとは、この無礼者が!!!」と言い放つや、

 自 ら 刀 を 手 に し て、

討ち取ってやろうと意気込んだ。
いつものスマートさはどこいった、勝重。
(怒って当然だけどw)
それを見ていた側近の太田忠兵衛、上司の暴走を押し留めるや解決に乗り出した。

一対一で対峙する、忠兵衛と又三郎。
二人がにらみ合った、その時!



……又三郎が何かにつんのめってコケた。
片膝をつく又三郎に、忠兵衛はこう諭す。

「倒れたものを斬る気はない。立つがよい」

なかなかカッコいいことをいう男である。

又三郎は安心して立ち上がろうとし、


地面から片膝が離れた瞬間、忠兵衛に斬り捨てられましたとさ。

いい話か悪い話かわからなかったが、まとめでスマートな解決屋と言われていた勝重さんの(血の巡りが)いい話ってことで。
もしくは太田忠兵衛の機転のいい話。
(血生臭いから悪い話な気もするがw)




766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 09:50:37 ID:Y5YWJjzE
>>765
さすがの板倉さんもやはり三河武士だったということかw

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 10:03:40 ID:NEYQSu5/
膝が離れた時点で既に立っている、油断するのが悪い

ということか

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 12:01:08 ID:ew3VIK6o
>>765
現代の総合格闘技でも両膝をマットにつけてる状態の相手の顔面に蹴りを入れるのが反則というルールの試合で、
立ち上がり際にぶち込んだのがいたな。
膝を付いてたか、付いてなかったかで試合後揉めた筈。

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 13:30:29 ID:rO2GXv7G
卑怯だらけの戦国時代だったのに、江戸時代から現代まで正々堂々が正しいと
思われるようになったのは権現様のおかげなのか。


771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 13:56:42 ID:IB7FnLqh
儒教を広めた成果だな
ただしその後に、兵学で謀略の扱いに苦慮することになったが

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 14:08:05 ID:LQCrDXJY
>>765
冷静沈着な京都所司代のイメージが音を立てて・・・w

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 14:42:57 ID:Gxh7x2wD
>>773
めんどくさい担当奉行(所司代)に何をお求めか

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 16:10:18 ID:OpWwx50q
キレる直前までは冷静沈着です


777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 16:15:15 ID:b/ozhLNY
市松もキレるまでは冷静沈着たよ!

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 16:22:36 ID:shhyOjo/
酒飲ませりゃ一発よ

板倉勝重「適任だと思う者を指名してくれ」と言われ

2010年01月03日 00:09

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/01(金) 22:13:29 ID:GM0wRCnc
板倉勝重は長く京都所司代を務めて老齢になったので辞任を決意した。
将軍秀忠は「お前に代わる者などいない」と引き止めるが、勝重の意志
は堅い。そこで秀忠は「ならばお前が適任だと思う者を指名してくれ」
と勝重に言った。

勝重は「私は長く京におりましたので江戸にどのような方がいらっしゃる
のか存じません。江戸には優秀な方々が多くおられると思います。ですが、
もし名をあげろと仰せでしたら、僭越ながら我が子、重宗を推挙いたします。
かの者の冷静さならば、父の役目を引き継げましょう」と述べた。そこで
秀忠は重宗に後任を命じたのだが、重宗も父と同じで頑固なのか、自信の
なさから後任を何度も断った。しかし秀忠が「子を知るは父にしかず」と
諭すので、渋々ながらついに役職を引き受けた。

所司代を受けた重宗は父に「私には所司代なんて無理ですよ。それなのに
私を推薦なさるなんて…。私はあなたが恨めしいです」と文句を言った。
これに勝重は「ハハハ、『爆火を子に払う』ということじゃよ」と答えた。

その後、勝重は息子に国光の刀を与えて「人を切るのも、人に切られるのも、
身を守るのも、人の身を守るのも、すべて刀の徳じゃ。されど、この刀を
狂人に与えても刀に代わるとはありえない。おぬしはそれをよく知り、
この刀を狂人に渡さぬ心構えで政事を裁くのじゃ」と重宗に言った。




724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/01(金) 22:56:18 ID:j8SpW5r1
>>723
親子そろってめんどくさい。
似た者親子の典型だな。

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/02(土) 04:54:39 ID:hlJUyFWj
>>723-724
安藤帯刀の過激な?発破もかけられたりしてね。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2626.html

「いつだって(最後は)自分一人が腹を切れば済むように物ごとを片付けておく」って
清廉通り越してる気もするけどw 武士が勤めに出るときの心がけだったろうなあ

京都「猫放し飼い令」

2009年07月29日 00:43

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:41:55 ID:mamzEIGs
京都の「猫放し飼い令」

1602年8月のこと。
名奉行・板倉の勝ちゃんこと京都所司代板倉勝重の名で、「猫放し飼い令」が
京都の町に発布された。猫を飼っている者は放し飼いにしなければ罰すると
いうものである。
当時大発生していたネズミ対策のためであり、実際に効果があったらしい。





881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 00:50:10 ID:Kseaadd7
>>879
無益な殺生が良いとは言わないが
お犬様の時と違ってこっちはかなり意味あったんだねえ。

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 00:56:22 ID:uBn3z0uj
別に猫が可哀想だから放し飼いにしろって意味じゃないだろ

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 01:08:32 ID:HOH3P1CI
チューと半端な鼠対策じゃ
ニャンともいかなかったんだろう

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 03:06:08 ID://RBSVI1
>>881
害獣退治なんだから無益な殺生とはいえないだろ
それにお犬様の方もけっこうな意味があったって説もあるぞ


888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 03:26:10 ID:Kseaadd7
誤解招く書き方だったかもしれんな。

「無益な殺生」はお犬様にかかってるんだよ。
あれは犬猫を殺すという事が当時頻繁にあったから
「生類哀れみ」になったわけで法の理念は間違ってないが
情が先行して犬猫神格化までしたから批判されてる訳で。

板倉さんのは最初から鼠駆除って目的のようだから
「こっちはかなり意味が」って書いたわけ。

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:05:30 ID:mtIaohGm
>>879
直茂「害獣は鼠ではなく猫なのだ!」

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:21:14 ID:JrOi5WHk
道灌「猫かわいいよ猫。猫なら何兆匹いてもいい」

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:29:25 ID:0RQUy/JK
>>892
             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!
 :~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、|         _
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=.  _~:、         /_.}'':,
 ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ
 ,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:'  ノ゙ノブ   <またまたご冗談を
"   .!-'",/  `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
 .-''~ >'゙::    ‐'"゙./  ヽ.,'   ~ /
   //:::::       ',    /    ,:'゙

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:39:54 ID:upl0xPbu
>>879
日本史板の食事スレかどこかで見たことがあるけど
江戸時代のお米の鼠害は酷かったらしい、食事中の人には申し訳ないが糞尿で駄目にされてしまう
新米がありがたがられるようになったのはこの頃かららしい・・・

ちなみに京都市中の町屋の多い地区は今でも鼠害がすごくて
その辺りに立地している大手薬局では普通に「ネズミ取りホイホイ」や
昔懐かしネズミ取りのカゴを売っており
本当にここは人口100万人の政令指定都市なのかという気分になりますw
経験者によると、ネズミ取りホイホイにかかったネズミの断末魔の声は
トラウマになるほどすさまじいらしい・・・

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:44:46 ID:mtIaohGm
>>895
ネズミホイホイって北海道だけにしか売ってないのかとおもってたのだな案外色んな所に
売っているのだなw

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:55:21 ID:PScKmDH7
富山だけどアパートにネズミでたからホイホイでGETしたよ。
設置してから2日くらいできゅ~って泣き声聞こえたから安らかにさせてあげたよ

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 11:21:37 ID:+6R9apP8
俺はこのスレ寝ず見

899 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/28(火) 11:48:35 ID:xRzWT/C2
>>877
お前はこんなモノを見たかったのかw
そして、実際に味わいたいんだなw?
>>884山椒

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 12:19:48 ID:DGnK3hcq
>>895
東京都心部だと若者の街と言われてる渋谷はセンター街中心に昼夜問わず
デケえ鼠が年中大量に走り回ってるので初めて来た観光客とかビビると思う


板倉勝重とその妻、町奉行に抜擢されて・いい話

2009年05月13日 03:58

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 00:46:33 ID:NIr4b7pn
まとめにちょっと書いてあったけど、内容までは書いてなかったので投下。

徳川家康は板倉勝重を町奉行に抜擢した。すると勝重は自分には
荷が重いと言って辞退したが、家康はそれを認めない。勝重は
家で妻と相談すると告げて帰宅した。

勝重が帰ると、妻は勝重の栄転を聞いていてどんな役職なのか
尋ねてきた。勝重は黙ったまま妻と面を合わせてこう言った。

「私は駿府の町奉行になるようにと命令された。私は荷が重いと
思って断ったのだが、辞退は許されなかった。それでお前と相談する
ために帰ってきたのだ。お前の考えを聞かせてくれ」

「私の拙さゆえに相談しろと仰せられたのですか?上様の命であれば
職が務まるかはあなたの気持ち次第ではありませんか。私がどうしろ
と言うべきことではありません」

「違う。重職が務まるかはお前の心掛けも関係する。いいか古今東西、
失脚や滅亡の例は多くあるが、それは裁判で縁故を贔屓したり、賄賂で
道理を歪めたからだ。そして、しばしば女がその原因になる。だから、
私が奉行になったら、裁判の時にお前が親しい者の訴訟を取り持ったり、
少しでも賄賂を受け取るようなことはするな。そして私の身の上に口を
挟むな。それを確認するために相談すると申し上げて帰ってきたのだ」

「わかりました、あなたの仰せの通りにします。ですからこのお話を
お受けください」

妻の言葉に勝重は喜んだ。このことを神仏の前で誓うと、勝重は袴を着て
家康に報告しようとした。すると妻が袴の後ろがねじれているのに気付いた。
彼女がそれを教えて直そうとすると・・・

「お前はたった今神仏に誓ったのに口出しするのか!やはりお前には心掛け
が足りない、この話は断る!」

「そ、そんな!?私が悪うございました、お許しください!」

袴を脱ごうとする勝重に妻は必死に謝るが、聞く耳を持たない。妻が
口出ししないと誓約書に書くとようやく勝重は納得した。

「この誓い、決して忘れるでないぞ」

勝重はそう言って家を出ていったという。勝重にも多くの逸話が
あるが(大岡裁きと全く同じ話も)、公平な人物として描かれる
ことが多い。

しかし面倒くさいね。






板倉勝重の、三方一両損・いい話

2009年05月13日 03:57

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 09:02:53 ID:Jtscmyry
名奉行、板倉勝重の話が出たので、板倉さんの大岡裁き(?)を一つ。

勝重が京都奉行の折、「拾った」といって金三両を届けてきた男がいた。
奉行所で落とし主を探したところ、「自分が落とした」という男が現れた。

ところがこの男、「自分が金を落としたのも運命、その金を人が拾ったの
も運命。だから自分がこの金を受け取るわけにはまいりません」といって
どうしても金を受け取らない。

拾った男も、「落とし主がみつかった以上、自分が金を(ry」といってこ
れまた金を受け取らない。

このやりとりを聞いていた勝重、「このご時世にめずらしいことだ。感動
した!」といって自分の懐から金三両を取り出して金を六両とし、
「ここに天下の奇人が三人いる。そして金が六両ある。この金を三人で分
けようではないか!」といって落とした男に二両、拾った男にも二両与え、
自分も二両を受け取った。
「これにて一件落着!」





529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 10:56:57 ID:jT8keCtC
>>522
浮浪雲にそんな話があったが、これが元ネタだったのか。

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 11:17:22 ID:fjxapkX+
これが伝説の超必殺技、三方一両損か。
一番得したのは、実質一両で後世まで伝わる名声を手に入れたお奉行様だなw

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 11:38:04 ID:HiGu3EJj
元ネタは文曲星こと抱丞さんだっけ?

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 11:40:11 ID:ZP8uLSKm
三河武士にしては面白いよな、板倉さん。


536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 12:39:12 ID:QsicrOUG
>>531
「三方一両損」は日本オリジナルらしい。
ソースは井沢。

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 12:53:52 ID:NWa2RFc5
大岡越前版だと「三方一両損」で
板倉勝重版だと「三方二両得」なんだよね。
東西の違いが出てて面白い。

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 13:15:32 ID:ca+wtIvg
板倉版も三方1両損じゃないのか?

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 13:18:17 ID:6nBlsbYI
実質一緒でも、損を美談とするか得を美談とするか

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 14:11:40 ID:VYGcmMml
>532-533
奉行、裁判官に必要な資質は「わいろを受け取らぬこと」だけだー

とかいいつつ。ただ謹直公正ってだけでなく、かなり懐の深い人物だわね

541 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/12(火) 14:30:11 ID:Xrn1g09Z
どういう見方をすれば板倉が2両得したことになるのかくわしく

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 14:34:39 ID:guhlsXzg
板倉さんは一両損
落とした人も一両損
拾った人だけニ両得

じゃね?

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 14:45:11 ID:soYMCRt1
板倉さんは、その前に3両だしたのは別の話としといて、とにかく2両もらった
落した人は、お金を落した上に自分でもいらないって突っぱねてるんだから一銭も
帰ってこないところが、面目立ててもらった状態で2両かえってきた。

てな話じゃね?

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 15:00:02 ID:NWa2RFc5
>>541
↓のサイトにその辺が詳しく書かれてるでよ。
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~mbear/Jinken/Jinken-004.html

545 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/12(火) 15:19:40 ID:Xrn1g09Z
かなり高度な道徳のお話なのなw

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 15:54:02 ID:6nBlsbYI
当時は給与と経費が曖昧なんで
板倉も「経費として3両出したら2両役得があった」くらいの気持ちになれたかも。



落語ネタ関連
『細川井戸』・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2163.html

板倉勝重、役人としての心構え・いい話

2008年12月07日 00:03

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 02:06:40 ID:LH9GISrf
京都所司代として有名な板倉勝重の、役人としての心構えについて

家康が将軍職を辞して駿府へ隠退していた頃のお話

この時、家康は彦坂九兵衛なる者を駿府の町奉行に任命しようとした
ところが九兵衛は、とても自分には出来る仕事では無いとこれを断ろうとする
なので家康は、近日中に伊賀守(板倉勝重)が来るから一度相談して考えてみろと九兵衛に言った

やがて勝重が駿府へやってきたので、九兵衛は勝重の元を訪れ意見を聞いた
勝重は、九兵衛に役人たる者が守るべき事を説いてやった

「役人が守るべき事はただ一つしかない。それは賄賂を受けない事、これだけだ
お前が奉行となり、民に無実の罪が無いようにするならば、まず自分の欲を無くすことが大事なのだ
役人が無欲でさえあれば、民の言葉が嘘か誠かは火を見るように解るものだ」

「この私も、以前ある者から百両もの金を送られたことがある
無論私はそれを受け取りはしなかったが、それでもその者の罪を隠してやろうと思ってしまった。と九兵衛に打ち明けた」

九兵衛は勝重の言葉に感服し、駿府町奉行を拝命して優れた治績を上げたという

「奉行職で一番重要な事は、町人の賄賂を受け取らぬ事」これが勝重の口癖だった
一方で町人達には「お前達よ。何か訴訟の際には、まず奉行に物を贈るが良いぞ
そうすれば、たとえ奉行がその物を返してこようとも、自然に贔屓してしまうからな」と語り大笑していた言う




86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 16:55:19 ID:nhLGCYwi
>>85
板倉勝重がはじめて駿府奉行になるときの、妻とのやり取りも面白いよね。
同時代的にあれだけ清廉潔白なイメージを残した人物も珍しい。
そう言う意味でも、「徳川殿は人持ち」ですなあ。

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 19:27:55 ID:xbvT4GQN
>>86
お前、俺のやる事に口出すなよ?と妻に納得させたのに、その後すぐ妻が着物が曲がってますよと言ったら怒った話だっけ
そんな人だから奉行として成功したのかな


90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/06(土) 20:02:19 ID:nhLGCYwi
>>88
そう。身内の者が自分のやることに口を出すようになったら、それは不正が付け込む
第一歩だから、って。

まあ、現代でも凄い見識ですな。

越後の亭主と山伏と、板倉伊賀の名裁き・いい話

2008年11月10日 00:16

238 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/09(日) 16:04:13 ID:fpLUCQGR
昔、越後においてのこと。山伏がある家に宿を借りた。
ちょうどその時、その家の亭主は、国入りする領主のお出迎えに出るところだったが、
山伏のさしていた刀が大変見事だったため、亭主はこれを借り受け、腰に挿して出かけていった。

するとその留守中に、越後一国に徳政の札が立った。

亭主は「徳政が出た以上、借りた者は返さなくて良い!」と、山伏に刀の返却を拒否。
これに山伏も怒りお上へ訴え出る。双方引かず、この訴訟はついに、江戸において
徳川家康の直裁を仰ぐ、という話になった。

ちょうどこの時、京都所司代、板倉伊賀守勝重が江戸に滞在していた。
家康からの「この訴訟いかがすべきか」という諮問に勝重は、「私にお任せください」という。
そして亭主と山伏を呼び出し、こう、判決を述べた。


「徳政の札により、刀が亭主の物になったことは間違いない。

ただし
同じく宿として借りた亭主の家は、山伏の物になったとする也。」


亭主は大いに慌て、謝罪し刀を返しさらに多額の金まで支払って、どうにか家を取り戻したとか。



239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/09(日) 17:46:53 ID:4ZvfhH/M
>>238
これはうまい裁定だな。
一休さんみたいだ。

板倉勝重と大阪の米・悪い話?

2008年10月31日 00:06

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 19:44:38 ID:91RvCOW5
大阪の陣が、始まろうと言う時

豊臣家は大阪にある各大名の蔵から、米を兵糧として次々と接収していた。
徳川家も二万石の米が大阪にあり、接収の危機が迫っていた。しかしそれを防ぐだけの
軍勢は無い。

この時、京都所司代、板倉勝重は、豊臣家の大野治長にこの様な書状を出した

『当家の米はどうぞ、今回の篭城に使ってください。』

これを見た治長は「何か裏が…」と怪しみ、ついに徳川家の米に手を出すことが無かった。


疑心暗鬼はこうやって利用するものだ、と言うお話。



257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 19:45:49 ID:sr+oJpmG
うまいもんだ

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 22:53:07 ID:ZN5/MWKI
>>256
事故米か、俵の中に兵士が篭っていたかどちらかだな。

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 00:04:32 ID:Vyw5mJi0
三笠フーズより仕入れし兵糧米にて御座候