故太閤の遠忌

2018年01月15日 11:25

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/15(月) 10:20:40.41 ID:vdZ764Ap
或る年、京都において故太閤秀吉の遠忌を、彼の側室であった松の丸殿(京極竜子)という人が
それまで存えていて、ある寺にて法会修行を行ったが、京都所司代である板倉重勝は、これを聞くと
直ぐに、武士を遣わして法席を破らせ、参詣の男女を追い散らした。

人々は、板倉がなぜそのような行為に出たのか聞くことも出来ず、例の京童たちは口さがなく、
彼の行為を批判した。

そんな中、ある人がこう評した
「幕府にとって秀頼公については敵対したため憚りが有るが、故太閤については仔細は無い。
だからこそ、その位牌は高台寺に置かれており、その菩提を法令するのを、伊賀守(勝重)は無法に
制することはしていないし、忍びて修行している分には、これを聞いてもそのまま差し置いている。

しかし今回は「松の丸殿が故太閤の遠忌を修行する」と宣伝し、参詣の人々が群衆したため、
所司代を軽んじたと憎んだのだろう。また宣伝しての作善は、関東の聞こえ悪しき事でも有る。
その上松の丸殿というのは、元若狭国。武田元明の妻であった。しかし秀吉がその容色を
聞き及び、元明を殺してこれを奪い取り、妾としたのである(古くからある誤伝)。
貞節なる女人ならば、秀吉を恨みこそすれ、これを慕うべきではないだろう。」

(武野燭談)


スポンサーサイト

腰は抜けても、先ず今日は

2018年01月14日 21:14

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/13(土) 23:13:32.92 ID:C3mIsWFd
大阪夏の陣の時、家康の軍勢が京より出陣する朝、各々行粧を調え、御先手より段々に
押し出す所、板倉伊賀守(勝重)は長袴の裾を繰り上げ、家康の乗馬の、轡の水付きを取って
「今日の御出陣は、是非に思し召し止まらせ給え」
と、引き止めた。

これに家康は甚だ機嫌を悪くし

「臆れ者、それを放せ!」

そう叱りつけたが、板倉は重ねて
「なるほど、臆れ申しました。腰は抜けていても、先ず今日は御滞留遊ばすべし!」
そうしきりに引き止め、遂に家康も出馬を思いとどまった。

その日、京都所司代は京市内で、火付けをしようとするなどした大阪与力の党類を、
多く召し捕った。

これを伝えられ、家康の機嫌は直ったという。

(武野燭談)



582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/13(土) 23:43:52.36 ID:69AohDFt
ゲヒ殿の手のもの?それとも別口かな

巻絹裁断

2017年10月05日 17:42

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/04(水) 21:22:35.19 ID:lpvoNYzS
江戸幕府のはじめ、板倉勝重が京都所司代であったころ、二人の男が一反の巻絹を争う訴訟があった。
両人ともにそれが自分のものだという確証がなく、遂に勝重の裁断を仰ぐことと成り、これに対し
勝重は

「双方とも証拠がない以上やむを得ない。これを分かつべし」

そういって彼らの目前でこれを中央より断ち、それぞれに分け与えて去らせた。

その後、勝重は人を遣わして密かに二人の様子を探らせたところ、甲は喜び、乙は怒れる色あり、との
報告が還った。勝重は速やかに甲を捕え獄に下した。

(今古雅談)



285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/04(水) 22:27:21.22 ID:OcJJ7uqw
>>284

巻絹だけに裁断ってか

容易ならぬ風聞

2017年06月17日 09:59

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/16(金) 23:36:40.72 ID:YzgH35zF
大坂落城直後のことでした。市内警護にあたっていた徳川方の役人が板倉勝重のところへ駆け込んでまいりました。
「容易ならぬ風聞を聞き及んでまいりました。」
「容易ならぬとは何か。」
勝重は煩雑な政務を執っていましたが、平生と少しも違ったところなく落ち着いてたずねました。
「さればでござります。大野修理の命令をもちまして、よからぬ禰宜どもが権現様の人形を作り申し、呪詛調伏申したとのことにござりまする。
まことに不届きなる者共、早速召し捕らえて重い罪科にと存じましたなれど、一応お耳に達してからと考えまして参った次第にござります。」
「それはご苦労。」
勝重は、水のように静かにうなずきました。
「せっかくであるが、禰宜どもが召し捕らえるには及ばぬぞ。」
「何と、何と仰せられます。権現様を呪詛いたす大罪人を、そのままにいたせと仰せあるのでござりまするか。」
「いかにも。」
勝重はは莞爾と笑いました。
「禰宜、山伏などと申すものは、金銭をもって依頼されれば、人を呪詛もし、悪魔退散も祈るものじゃ。商売のようなものよ。
我らが大坂方より多額の金銭を与えれば、秀頼公をも呪詛し調伏するのを拒むものではない。
また、彼らごときに呪詛されて御運の傾く権現様ではないはず。
たかが金銭欲しさの呪詛調伏、相手にするでない、すておかれい。」
勝重の一言は、家康の大きさを更に大きくするものでありました。
大坂方からの命で家康を呪詛した禰宜たちは、一時はどうなることかと心配したのですが、
何の咎もなく赦されて、今更のように板倉勝重の徳を讃仰したのでありました。

『明良洪範』(良将言行録)


「なるほど」

2017年05月06日 17:21

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/06(土) 14:43:08.15 ID:N8e2wtiA
 家康の元で京都所司代を務めた板倉勝重は若い頃に僧侶として葬儀の場で
多くの死体を見る機会があったので、自然と死体について詳しくなった。
 その彼が還俗して武士になった後のことである。宿で首吊り死体が見つかった
ので、板倉勝重はその検視をおこなったところ、彼はその死体を見て、
「これは生きているうちに自分で首を吊ったのではない」と看破し、ただちに
よく調べさせると、宿の主人が寝ている被害者を襲って命を奪った後で、
首吊り自殺したように偽装していたことが判明した。

 また、あるとき、男が被害者の死体に切り傷をつけて自分の犯行をごまかそう
と試み、勝重の前で言い訳していたが、勝重は一見して、「この切り傷は生きて
いる時についたものではない」と見抜き、偽りを言ってた犯人の男を捕らえた。

 これらの事件について、なぜ真相がわかったのかと人から問われた勝重は
「死んだ人間の首をくくった時には縄目に血が寄ることはなく、生きた人間が
くくった時には縄目に血が寄ってしまうものだ。また死亡した後、刀で傷を
つけた場合、皮膚は内側にまくれ、生きている時の傷であれば皮膚が外側に
開くものだ」と説明した。
 これを聞いた人々はみな「なるほど」と感心した。



879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/06(土) 18:36:03.71 ID:nEjAVy/z
>>878
独学(経験?)でわかるようになったのかな、すげえ。

880 名前:人間七七四年[saga] 投稿日:2017/05/06(土) 18:47:47.02 ID:gVXBUFCM
>>878
これは名探偵所司代

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/06(土) 18:51:02.73 ID:/cp58xOM
>>879
実は室町期にすでに、この手の犯罪捜査のノウハウは相当蓄積されてたらしい。
筆跡鑑定まであったそうな。

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/06(土) 19:01:04.30 ID:E3ckCFJl
「生活反応」って言葉が一般に知れ渡ったのが、戦後すぐの下山事件(国鉄総裁が轢死体で見つかった事件)だもんな。この人すげーな

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/06(土) 19:01:42.30 ID:RXiS3wbB
板倉勝重の逸話は中国の名裁判集、棠陰比事の焼き直しが多いというが、
(焼死した人の口の周りには灰を吸い込んだ跡があるから
殺した後に焼いたかどうかがわかる、という話とか)
これも板倉勝重以前の出典があるかも

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/06(土) 19:11:47.58 ID:RXiS3wbB
宋に成立した洗冤集録の検死についての記事見たら
こと細かに死体現象や偽装の見分け方について書いてあった
法医学の勉強になる
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/洗冤集錄

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/06(土) 19:27:05.68 ID:2xYhnNdp
灰がどうこうって千字文のあれだろ

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/06(土) 22:43:23.24 ID:rjlC3u6a
だから京都に科捜研の有名な女がいるのか

頂いた白瓜は

2017年04月26日 14:31

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/25(火) 20:25:41.03 ID:Lm1RqhQh
 京都五条松原の東洞院にある角屋敷で境界をめぐる争いが起きた。
 京都所司代の板倉勝重はその境界争いをしていた者の一方と知り合いであり、
その者は4月初めに見事な白瓜を勝重のところへ贈った。それに対し、板倉勝重
「近日中に境界の様子を見に行く」と答え、しばらく日が経ってから争いの現場へ
おもむいてじっくりと調査した。
 町中の人たちは境界争いの判決がどうなるか固唾をのんで見守っていると、勝重は
白瓜を贈ってきた男に対して丁重にお礼を述べた後で、「さて、よく調べてみたところ、
この土地は隣家のものであるのは明らかなので、いただいた瓜は後でお返ししよう」と
言い渡して帰っていった。見物していた町の人々は「実に明快な裁きだ」と感嘆しあった。



856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/26(水) 17:48:53.51 ID:66AtvZvX
一度は賄賂を受け取ったってことになるんじゃないの

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/27(木) 02:45:46.63 ID:J5Q2jqxA
賄賂に左右されなかったいい話ってことじゃないの

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/27(木) 04:48:59.25 ID:qNUzUGzh
グレーゾーンなら貰っていただろうな

891 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/05/10(水) 21:04:01.22 ID:kTD+hc0m
>>856-858
そんなもの受け取れるか‼って直ぐに返したら賄賂送ったから沙汰に影響と思われるからじゃない?

>「近日中に境界の様子を見に行く」と答え、しばらく日が経ってから争いの現場へ
>おもむいてじっくりと調査した。
この間に密かに信用できる者に下見させ、結果を知った上で見に行き
周りに人がいる前で賄賂渡したから怒った訳でもなく真に公平で裁きましたと

負けた者も腹が立たぬように

2016年06月13日 11:20

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/13(月) 02:51:28.66 ID:gEWYMp6S
板倉伊賀守殿(勝重)は訴訟の決断の時に、負けた者も腹が立たぬように決断した。
「事にはよるだろうが、奇特なことである」と、分別ある人は語った。

――『備前老人物語』




伯父のもとにいたいか、継母のところにいたいか

2016年05月22日 11:01

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/21(土) 23:23:54.00 ID:w5+VKuAW
 下京にちと裕福な者がおり、男子が一人いた。その子は二歳の春に母と死に別れた。
継母をもらったときの男子の境遇には同情するも、さすがに男やもめで日々を送るわけにもいかず、
男は再び妻を求めて後妻を置いた。しかしその子が六歳の春に、父も病の床に伏した。
快復がかなわない事を分かると、兄に向かって、

「私の子はまだ幼いので、あなたのもとで養育してください。
成人したら家をその子に渡してください。」

と言い置きを残し、ついに亡くなった。
 遺言のように、その子を伯父の方へ呼ぼうとすると、継母が

「我が腹から出なかったばかりに、どれほど辛苦して年月を育てたことか。
この後にまた夫をとろうとは思ってません。髪を剃り、あの子を育て家を盛り立てます。
けっしてそっちへは渡せません。」

と怒り、双方が伊賀守(板倉勝重)の前へ出た。

「いずれにも言う所の理がある。それなら子供をここによこせ」

と呼び、子供を膝元でなつかせられた。
炬燵にあたらせたり、菓子などをやって食わせたりして、子が安心した顔つきになったところで、

「そちは伯父のもとにいたいか、継母のところにいたいか」

と問われると

「伯父のところにいたい。」

と言う。

「そうならば、もとの所にいけ。」

と戻してやった。
 伯父と後家は子の手を取って奪い寄せる。子は泣く泣く伯父の膝に座った。
伊賀守は、

「まずしばらくは伯父の方に預けよ。とかく子は伯父になついているようだ。
その後のことは、そのときに考えるとしよう。」

と物柔らかに言って双方を帰された。
(醒睡笑)



756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/22(日) 06:55:47.91 ID:sMOQ9/Iz
>>755
伯父と継母でひっぱりあいこして離した方に行かせるんかと思ったら違った

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/22(日) 08:45:21.22 ID:00wt5hra
大岡裁きの元ネタの人

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/22(日) 12:50:48.12 ID:+eqi60iP
>>755
>「まずしばらくは伯父の方に預けよ。とかく子は伯父になついているようだ。
>その後のことは、そのときに考えるとしよう。」
すげー柔軟でいいな

759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/22(日) 18:01:03.45 ID:3BcdrjFR
>>758
こう言う柔軟さがないと長年京都所司代は務まらなかったんだろうな。



時は盂蘭盆、咎は瓜一つ

2016年05月20日 10:42

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/20(金) 00:34:45.48 ID:S7g6JhYO
 慶長七年七月七日に、背中に笈摺(巡礼者が物を背負う時衣服の背が擦れるのを防ぐための単の袖なし羽織)
などをかけた人足が、痩せ黒んで竹杖にすがって京の町を通っていた。
 見る人々は
「ああ、なんと怖ろしいでしょうか。このごろは地獄の蓋の窯も開き、罪人が聖霊となって出てくると聞くが、そのような者であろうか。」
と言い合っていると、この者はある店に立ち寄った。

 彼は瓜は一ついかほどかと尋ね、店の者は二文であると答えた。
「腰にただ一文ある。盆の結縁と思ってまけてくれんか。」
と言うと、主人は「そうしよう」と提案にのった。
その返事を聞くと彼はすぐに瓜をとって頭からかぶり喰らう。

 食べ終わった後、挟んでおいたはずの銭を見ると、銭はすでに落ちておりただ縄だけがあった。
「瓜の主人よ、慈悲と思って許してくれ」
と嘆くが、この主人は慳貪な性分で
「沙汰の限りだ、おそらくすりの類であろう。皆の衆、出てきてください。」
と町の人を集めて痩せた男を追い立てて、板倉(勝重)殿の垣の内へ引き据え、起こった事を具に訴えた。人足も起こった事をありのまま言上した。
伊賀守はお聞きになられて、
「いずれ事の実否を糾明しよう。先ずこの者を瓜売りに預けようぞ。
一日二回の飯をその者に与え、昼は町でよきように番せよ。なおざりにして我を恨むな。」
と言って帰らせました。
主人はたった一文の事でいらぬ訴えを起こしたら、面倒なことになった物だと思いながら、
一間の所に押し込めて、番を据えて、毎日の飯を与えた。

それから六日七日に及んだが、糾明がないのでこらえかね、
一同が参って「御糾明下さい」と板倉殿にかけあった。
伊賀守は
「やるべき事が多くて忘れておった。
今思案してみると、時は盂蘭盆、咎は瓜一つ、これほどの裁許は初めにすべきであったが、
瓜売りの慳貪な心根の憎さで延びてしまった。
飢えにのぞむ者を見たら、招いてでも与えるべきなのに、
無力な者を捕らえてきて、銭一文の事で首を刎ねよとはなんだ。
 慈悲をさせるために、この日ごろは養わせたのだ。急ぎその者を許して帰せ。」

との下知をされ、その席にいた人は皆頭を下げ、感涙を流さなかった者はいなかった。
(醒睡笑)



747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/20(金) 21:25:33.40 ID:SGk61fVQ
いい話過ぎるだろ(´;ω;`)ブワッ

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/20(金) 22:38:14.71 ID:0j3juup3
>>746
瓜売り「ウリリリリリィィィィィーッ!!!」

松平太郎作はよく諌めた

2013年11月20日 19:03

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/19(火) 19:21:38.98 ID:cohbReQ4
松平太郎作は京都所司代の板倉勝重に近侍して、よく諌めた。
勝重は太郎作が律義である事を知って信用した。

ある年、賄い方の人が扶持方升を小さくした。太郎作は諌めようと思って
勝重の前に出た。すると、勝重は「何か目新しいことはないか?」と問うた。

「この頃、狂歌を読んでいる者がおります」
「それはお前の作意か?」
「私は文盲です。どうして歌を詠めましょうや。
『ほそき物 恋の心に 琴の糸 三郎が脚 扶持方の升』という世上の者が詠んでいる狂歌です」

『三郎が脚』とは、その頃、三郎という脚の痩せて細い男がいたからである。
勝重はこれを悟ってその升を改めさせた。太郎作の諌めは、皆この類であった。

――『武将感状記』




657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/19(火) 22:33:40.24 ID:Gk+GIWkd
京都所司代に近く仕える人が文盲とかありえるのか?

658 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/19(火) 22:58:01.31 ID:O7LbM148
律儀だから文盲って答えたんだろ。自分を文盲って思わないからこんな質問ができるんだよな。

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/20(水) 04:46:40.59 ID:GLbc1BSI
この時代の「文盲」というのは、「教養がない」くらいの意味でとったほうがいいよ

都の地は国々の寄り合いなのだから

2013年06月29日 20:00

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 18:31:29.62 ID:QxqiNmx1
板倉勝重が京都所司代の時、麩屋町に寺の材木が積んであったが、いずれも印をつけず
縄も張られていなかった。

勝重はこれを見て、その場所の町役人と材木を置いた屋主をともに厳しく咎めた。

勝重は「暗夜にはどんな怪我人があるかもわからない。盲人が通らないとも限らないのだ。
僅かな事が、どれだけの人の難儀の基になることだろう。

都の地は特に国々の寄り合いなのだから、総じてこのような筋目を正して町役を勤めるように」
と言ったということである。

――『責而者草』





580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 20:16:14.71 ID:qqzxEcEo
>>579
現代でも考えれないやつがいるのに、この時代に障害者のことまで考えて政治やってたのか

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 20:26:36.96 ID:fW3y00Y7
>>580
徳川幕府は何故か障害者、特に視覚障害者に対して非常に篤く保護していた(盲目の人間から借りた金を返さなかった場合は重罪になったり)
秀忠の実母が駿府で盲目の女性を保護したりしてたから、そう言う影響があるのかも

「ごぜんのう」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4398.html

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 20:47:26.30 ID:CdywC1KT
シグルイの賎機検校が頭に浮んだが、あれは架空人物だったかな?検校自体は確かに超高位。

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 23:30:34.80 ID:XRomesF3
>>581
家康の先輩の信長からしてそうだからな

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 23:50:07.28 ID:a/5/lKhC
先輩というか同盟相手。
歳上を先輩と呼ぶならその通りだけど

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/30(日) 09:12:55.75 ID:svqe9QSc
天下人としての先輩って意味では?

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/30(日) 20:59:38.28 ID:crWtZLaO
>>583
信長は知障の人を保護したんだよな
慈悲の心ありすぎるのに仏敵っていう

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/30(日) 21:05:50.15 ID:HPu0gylf
>>586
信長の場合は、たまたま目にした障害者を個人的に哀れんだだけで、仕組みや制度のある恒久的な施策として
行ったわけではないから、それを慈悲と呼ぶのは正直抵抗がある。

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/01(月) 00:09:29.40 ID:gV91UkMh
>>587
政治家以外に慈悲のあるやついないのかよ

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/01(月) 00:20:02.04 ID:4xg1CQW2
>>588
信長は最高権力者なんだからそういうことが出来る立場じゃん

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/01(月) 19:40:20.23 ID:8f1b5CkQ
法は定められても行き渡るかは別問題なんだよな
現代でもそうじゃん

大阪城への諜報

2013年02月15日 19:53

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 17:51:04.13 ID:zvtNX2Rp
大阪の陣の勃発前から、京都所司代である板倉勝重は大阪に間者を入れておき、城中のことは
大小と無くこれを知っていた。

そして片桐且元が鐘銘事件の弁明を行い駿府を出発した頃には、本多正信の計らいによって、卯殿半助、田中一蔵という、
甲賀衆のうち間者の手腕に名を得た者両名を大阪に登らせ、諸事万端を聞き合わせてこれを
板倉勝重の元に報告していた。

この卯殿・田中の両人は冬の陣・夏の陣共に大阪城内に有り、
そのため、大阪城の中にいるものすら知らないことでも、勝重はよく知っており、これは全て
関東に報告されていた。
(慶元記)

大阪の陣前後における、板倉勝重による大阪城への諜報についての逸話である。






板倉勝重と焼死体

2012年07月25日 20:50

板倉勝重と焼死体

板倉勝重


603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 11:14:19.47 ID:Sk8GYf3p
徳川の家臣、板倉勝重が京都所司代に就任する以前の話
ある日、勝重の近所で火事があり、焼け跡から一人の男の遺体が発見された。遺体はその家の住人のもので
官憲は火の不始末から火事を起こし、逃げ遅れたものと判断したが、勝重だけは「これは殺された後に
犯人が火をつけた」と主張した。(続く)

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 11:17:07.98 ID:Sk8GYf3p
>>603の続き
官憲がその理由を訊くと「生きている間に火事にあったのならば呼吸で鼻の中に煤が溜まっているはずだが全然ない。
殺された後に火をつけられたとしか考えられない」と勝重は答えた。
ほどなくして犯人が捕まり、勝重の推理どおりだったのが明らかになったので皆、その知恵に舌を巻いた。

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 11:52:47.09 ID:fpYmWtwa
科総研の男-板倉勝重-

607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 11:56:48.90 ID:8GRbEXv0
官憲の無能な話しという気もするな

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 12:03:44.61 ID:x9Qp4SZD
自分自身で焼けた遺体の鼻の穴の中を詳しく調べたのか?凄いな。

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 12:19:40.91 ID:S5hYxbOw
>>607
官憲A「あーこれは火の不始末だね~(たりーし手続き終えてさっさと一杯引っかけようや)」
官憲B「左様に相違ござらんな(しからばついでに茶屋じでも…ムフフ)」

勝重「だがちょっと待って欲しい
官憲AB「」

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 12:38:05.77 ID:Sk8GYf3p
板倉勝重は37歳まで永安寺の僧侶だった。葬式で数多くの死体を見てきたので
いつのまにか検死がうまくなってしまったそうだ。

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 14:12:52.13 ID:wg5p9qWP
大津にもこんな人がいたら

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 15:34:19.45 ID:ftSbaHiO
板倉さんは安浦刑事的なイメージしかない
とかく悪い話は少ないし

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 16:45:44.59 ID:rVKlpCgQ
名奉行の起源は板倉勝重

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 16:50:10.03 ID:8GRbEXv0
勝重はともかくこんな無能な官憲が
豊臣家の不利になる情報を嗅ぎまわって大坂の陣を引き起こしたって事か

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 16:51:53.44 ID:F9+hV9Hu
でっちあg

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 16:52:10.69 ID:CL8G2Bac
探偵小説家、久生十蘭の本で主人公が同じことを言ってたが
元ネタは中国の公案(政談)だそうな
うろ覚えだが、豚を二頭、殺したのと生きたのとを小屋の中に入れて
それを焼いた後、鼻と口の周辺に煤がついているか調べたんだと

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 17:06:56.26 ID:Cn0qOEjH
頭のいい人なら考えつきそうなことを、なんでも○○が起源ていうのもなんだかな

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 17:59:43.12 ID:txriBbjn
鼻つまってたらどうすんだろうな

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 18:35:51.78 ID:x9Qp4SZD
>中国が起源
中近世だと、中国は法医学が世界的に見ても進んでいたからな。
検死マニュアル「洗冤集録」が書かれたのは南宋(1247年)だったか。

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 20:23:31.68 ID:ck3bn+84
岩波文庫「棠陰比事」の36話目
「焼殺の実験」に
三国時代の呉の張挙の話として、妻が夫を殺した後、放火したのを実証するため、
生きた豚と死んだ豚を薪を積んで焼かせて
灰が口にあるか調べた、とある。

板倉勝重のwikiにも「棠陰比事」の影響をおそらく受けて、
彼を主人公とする政談ができた、とあるし

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 20:29:41.09 ID:HfGO6pVp
大政所様で検証実験はやっちゃダメですよ、作左さん…

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 21:27:16.99 ID:mnToEhOc
いや、起源ってのはそういうのを当てはめられる名奉行の方のつもりだったんだけどね

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 21:30:52.29 ID:zT7VHnbA
wikiの板倉勝重の項目(wikiで語るのはなんだけど)
>優れた手腕と柔軟な判断で多くの事件、訴訟を裁定し、敗訴した者すら納得させるほどの理に適った
>妥当な裁きを見せ、大岡忠相が登場するまでは、名奉行と言えば誰もが板倉勝重を連想した

>勝重とその子重宗は奉行として善政を敷き、評価が高かった。
>勝重、重宗の裁定や逸話は『板倉政要』という判例集となって後世に伝わった。
>その中には後の名奉行大岡忠相の事績を称えた『大岡政談』に翻案されたものもある。
>三方一両損の逸話はその代表とされる。
>また、板倉政要も、中国の『棠院比事』『包公案』などから翻案された話が混入して出来上がっている。

名奉行の起源は板倉勝重、てのもあながち間違っていない気がするが

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 21:53:15.68 ID:+Z9wKWJX
名奉行の起源って御成敗式目作った北条泰時じゃね?

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/25(水) 21:54:08.04 ID:Iy/DHkhq
小姓の逸話が森乱丸で上書きされていったのと同じ感じだな

「永井正宗」

2011年11月29日 22:06

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 19:37:57.49 ID:zoPBs4jp
「永井正宗」

関ヶ原の戦も終わった頃、永井善佐衛門という浪人が京への旅路についていた。
彼は当初徳川家に仕えていたが出奔し、蒲生や上杉家に仕えていたが上杉の米沢天封の際に浪人となってしまった。
そのためかつての旧主である徳川家に戻ろうと旧知の板倉勝重を頼って京に上ろうとしていたのである。
その途中である浪人と連れになったのだが、その浪人は善佐衛門の刀と自分のひどく錆び付いた刀を取替え逃げてしまったのである。
仕方なくその刀をなんとか砥いで使おうと思い、京で砥ぎにやらせた。
すると予想以上にすばらしい刀となって返ってきたため、コレはただものではないと考えた善佐衛門は高名な刀剣鑑定家の本阿弥光悦にそれを見せた所、
光悦が言うには「この刀は正に正宗であり、その中でも最上のものである」ということだった。
この刀は後に善佐衛門が板倉勝重の引き立てで徳川家に帰参した際、将軍に献上され「永井正宗」と号されたという

なお、この永井善佐衛門にはもう一つ似たような逸話がある。こういう星の人間もいるのだ。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2690.html




798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/29(火) 19:57:32.11 ID:HiojDSvx
武辺咄聞書をググったら、114話に刀と壺、両方の逸話が書かれているようだ
114話の前半には、永井さんは政宗の兵六人に取り囲まれたが、四人を討ち取ったという逸話も(残りの二人は逃亡)
その時の刀が、交換される前の太刀だったとしたら盗みたくなるのもわかるな
しかし、
>正宗であり、その中でも最上
に某伯父甥を連想したのは自分だけでいい

801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/30(水) 15:01:59.74 ID:OUvhvBpg
>>797
寛永の三筆の一人で、琳派の創始者の一人で、素晴らしい楽茶碗をつくり、
刀剣鑑定でも高名な本阿弥光悦って、どこの星の人間?

板倉周防守勝重、京の街を通ったときに

2011年03月04日 00:00

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 00:47:24.66 ID:4SO40kY3
ある時、京都所司代である板倉周防守勝重が、儒者であり、あの林羅山の弟である林永喜を同行して
京の街を通った。

所司代の通行である、それなりに格式ある行列で進むのだが、この時、その行列が通っていると
いうのに、ある店舗の端の方で町人の男が、足をだらんと投げ出し鼓を打っているのが見えた。
しかもこれが、余りみっともいい姿ではなく、どうやら足の間から褌なども丸見えというような
ものだったらしい。

これを見つけた林永喜は甚だ怒り

「所司代が通るというのに形も改めず、あのような尾籠な姿で鼓を打っているとは何たる
不埒者でしょうか!あいつは所司代を侮っているに違いない!直ぐにここへ連れてきて
お叱りなさるべきでしょう!」
と、いかにも儒者らしい意見を申し上げた。
ところがこれに板倉重勝、

「いえいえ、私は全く別に考えました。あれでいいのですよ。

仮に私が公事(裁判)を裁くのに依怙を用いていれば、町人たちは私を恐れ、私という存在に
へりくだり非常に気を使うことでしょう。

私は誰であっても公事、訴訟の事があって司代の前に出るときは、その理非のみを見て
判断するようにしています。そのためでしょう、『あの所司代は普段は恐ろしくない』と、
町人たちに思われるようになりました。

そういう事だから、今のように我々の行列を見ても、彼らは姿を改めないのです。
逆に町人たちが私を恐れひれ伏すような事であれば、その時は私が恣意的に、
その権力を使っているということなのです。
だから町人たちが私の姿を気にしていない間は、自分が公平にこの職務を行っていると、
それを確認できるのです。」

林永喜はこれを聞いて、甚だ感服したという。

板倉勝重は町人の姿を見て己の職責の有り様を見る。と言うお話。




33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 02:48:07.23 ID:D5OfQ3fb
良い話だな。
良い話だが、当時の感覚として褌が丸見えって今の感覚にしたらどんなもんなんだ?

ズボンのチャック全開みたいな感じか?

34 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/03(木) 03:31:11.94 ID:OcJQHdM1
>>32
今の政権与党の連中に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 06:32:49.56 ID:6gyWTf+a
>>32
大学に「民に親しむ」とあるし、この場合、儒学的にも板倉さんが正解じゃね?

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 08:28:42.78 ID:gcMn2922
>>34
野党だってひでぇ~もんだ


37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 09:06:26.46 ID:ebSDc3Zh
>>35
まぁ、所詮、羅山さんの弟からさぁ~
しかし、板倉さんちはやはりただの三河武士じゃないwww

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 10:43:44.96 ID:9V9Qzw9Z
なんだか納得できるようなできないような

39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/03(木) 12:40:39.58 ID://jj0+3P
恣意的は誤用だな。
ある意味正反対な意味を持つ言葉なのに。

ある山寺の僧が弟子を小僧として仕込んでいた

2010年12月03日 00:00

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/02(木) 21:36:55 ID:KH0ouGsx
『ある山寺の僧が弟子を小僧として仕込んでいた。
しかし、ある時この小僧は寺から逃げ出して親のところに帰って来た。

親が小僧に理由を尋ねるには
「僕は立派なりたいと思って頑張って耐えていたのですが、お師匠の
折檻が酷いので逃げてきたのです。お師匠は僕に髪剃りをさせるのですが、
初心者なものですから時々失敗してお師匠の頭から血が出ると、大変折檻されます。

それと味噌をするときに、すりようが悪いと朝夕叩かれたり、便所に行くと
便所に行くのは悪いと折檻されました。もうとても耐えられない」

なんて酷い師匠だろうと思った親は住職にクレームをつけて子どもを引き取ると言った。
すると住職は呆れた顔でこう言った。
「大人のお前が小僧のたわ言を鵜呑みにするとは情けない。
望み通り引き取ってもらうが、檀家の手前、真相をはっきりさせておこう。

味噌の件だが…すりこぎでするのが当たり前なのに、あやつは味噌を鍋に入れて塗り杓子の
背中でこするから注意してるのに、何度も繰り返して何本も杓子を折ったのじゃ。これが折れた杓子ね。

便所の件だが、わしがあやつに何か申し付けると、あやつは代官衆のために新しく作った来客用の便所で
居眠りをしおるから叱ったのだ。誰も入らないように下していた鎖を捻じ切ってな。これが壊れた鎖ね。

そして髪剃りの件だが、あやつも剃る練習をしたろうと、わしの頭を剃らせたら腹を立ててわざと
傷をつけおったのだ。ほれ、わしの頭は傷だらけじゃろ」
そのように証拠を見せられた親は納得して帰っていったということだ』

「…という話でな。これは訴訟で裁く時にも大事なことだ。一方の話だけを聞くと相手はなんて
酷い奴だと思うものだ。また納得した話であっても、ゆっくり聞くと何かおかしいと後で気づく。
断片的なことで全体を判断することなどできはしない。それさえ心得ておれば、もう何も言うまい」
板倉勝重は息子重宗にそう教えた。




板倉勝重、出入商人の妻女の頼みに

2010年05月29日 00:01

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 21:27:53 ID:YFO4jsR9
板倉勝重という人は商人の妻女でも屋敷に出入りすることを許していた。
妻女たちは身内が訴訟に関係すると勝重に懇願する。

「どうか、今度の訴訟では私の夫を勝たせてくださいまし!」
「おう、任せときな。」

訴訟が終わって…

「あのう…私の夫を勝たせてくれましたか?」
「お前の夫を勝たせてやりたかったんだがよう、お前の夫は俺が言って欲しいことを、
上手いこと言わねぇもんだから負けちまったよ。わりぃな。」
「そうですか…そこまでして頂いて負けてしまったなら、仕方ありませんわ。」

勝重はこんな風に対応したため、妻女たちに恨まれることはなかったという。




313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 21:32:47 ID:vcACwl9J

>>312
えっ、なにこのナチュラルなイケメン

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 21:50:35 ID:SxgvWFqk
秀忠なら

「どうか、今度の訴訟では私の夫を勝たせてくださいまし!」
「不届きな!死罪申し付ける!!」

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 23:12:33 ID:g972AdfZ
>>312
夫に責任を転嫁してるように見えるのは
俺の性格が悪いからだな、多分

『解決屋勝重』

2010年02月11日 00:12

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 08:50:54 ID:VE07m/gw
『解決屋勝重』

大坂冬の陣が起こるちょっと前の、慶長十九年(1614年)6月。
朝廷で猿楽の興行があったそうな。
さて、此処に招かれたものの中にとある者がいた。
名を吉岡又三郎といい、武蔵との対決で有名な吉岡憲法の一族である。

この又三郎が禁門をくぐる時に何か粗相をしたのか、雑色に「無礼者!」といわれ棒で打たれた。
カッとなった又三郎、一瞬の内にその雑色を斬って捨てた。
これにおさまらないのが、そのほかの雑色諸氏。
次々と前後左右から又三郎に打ちかかるも、又三郎はひらりひらりとかわしながら、雑色諸氏をどんどん斬り捨てていった。
どうやら剣の腕は本物だったらしい。

あれよあれよと大騒動となった時に、警固担当の板倉勝重京都所司代がついに解決に乗り出した。
解決には定評のある、あの勝重さんである。
今回もスマートな解決をしてくれるに違いない。

ところが彼は「禁裏を血で汚すとは、この無礼者が!!!」と言い放つや、

 自 ら 刀 を 手 に し て、

討ち取ってやろうと意気込んだ。
いつものスマートさはどこいった、勝重。
(怒って当然だけどw)
それを見ていた側近の太田忠兵衛、上司の暴走を押し留めるや解決に乗り出した。

一対一で対峙する、忠兵衛と又三郎。
二人がにらみ合った、その時!



……又三郎が何かにつんのめってコケた。
片膝をつく又三郎に、忠兵衛はこう諭す。

「倒れたものを斬る気はない。立つがよい」

なかなかカッコいいことをいう男である。

又三郎は安心して立ち上がろうとし、


地面から片膝が離れた瞬間、忠兵衛に斬り捨てられましたとさ。

いい話か悪い話かわからなかったが、まとめでスマートな解決屋と言われていた勝重さんの(血の巡りが)いい話ってことで。
もしくは太田忠兵衛の機転のいい話。
(血生臭いから悪い話な気もするがw)




766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 09:50:37 ID:Y5YWJjzE
>>765
さすがの板倉さんもやはり三河武士だったということかw

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 10:03:40 ID:NEYQSu5/
膝が離れた時点で既に立っている、油断するのが悪い

ということか

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 12:01:08 ID:ew3VIK6o
>>765
現代の総合格闘技でも両膝をマットにつけてる状態の相手の顔面に蹴りを入れるのが反則というルールの試合で、
立ち上がり際にぶち込んだのがいたな。
膝を付いてたか、付いてなかったかで試合後揉めた筈。

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 13:30:29 ID:rO2GXv7G
卑怯だらけの戦国時代だったのに、江戸時代から現代まで正々堂々が正しいと
思われるようになったのは権現様のおかげなのか。


771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 13:56:42 ID:IB7FnLqh
儒教を広めた成果だな
ただしその後に、兵学で謀略の扱いに苦慮することになったが

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 14:08:05 ID:LQCrDXJY
>>765
冷静沈着な京都所司代のイメージが音を立てて・・・w

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 14:42:57 ID:Gxh7x2wD
>>773
めんどくさい担当奉行(所司代)に何をお求めか

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 16:10:18 ID:OpWwx50q
キレる直前までは冷静沈着です


777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 16:15:15 ID:b/ozhLNY
市松もキレるまでは冷静沈着たよ!

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/10(水) 16:22:36 ID:shhyOjo/
酒飲ませりゃ一発よ

板倉勝重「適任だと思う者を指名してくれ」と言われ

2010年01月03日 00:09

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/01(金) 22:13:29 ID:GM0wRCnc
板倉勝重は長く京都所司代を務めて老齢になったので辞任を決意した。
将軍秀忠は「お前に代わる者などいない」と引き止めるが、勝重の意志
は堅い。そこで秀忠は「ならばお前が適任だと思う者を指名してくれ」
と勝重に言った。

勝重は「私は長く京におりましたので江戸にどのような方がいらっしゃる
のか存じません。江戸には優秀な方々が多くおられると思います。ですが、
もし名をあげろと仰せでしたら、僭越ながら我が子、重宗を推挙いたします。
かの者の冷静さならば、父の役目を引き継げましょう」と述べた。そこで
秀忠は重宗に後任を命じたのだが、重宗も父と同じで頑固なのか、自信の
なさから後任を何度も断った。しかし秀忠が「子を知るは父にしかず」と
諭すので、渋々ながらついに役職を引き受けた。

所司代を受けた重宗は父に「私には所司代なんて無理ですよ。それなのに
私を推薦なさるなんて…。私はあなたが恨めしいです」と文句を言った。
これに勝重は「ハハハ、『爆火を子に払う』ということじゃよ」と答えた。

その後、勝重は息子に国光の刀を与えて「人を切るのも、人に切られるのも、
身を守るのも、人の身を守るのも、すべて刀の徳じゃ。されど、この刀を
狂人に与えても刀に代わるとはありえない。おぬしはそれをよく知り、
この刀を狂人に渡さぬ心構えで政事を裁くのじゃ」と重宗に言った。




724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/01(金) 22:56:18 ID:j8SpW5r1
>>723
親子そろってめんどくさい。
似た者親子の典型だな。

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/02(土) 04:54:39 ID:hlJUyFWj
>>723-724
安藤帯刀の過激な?発破もかけられたりしてね。
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2626.html

「いつだって(最後は)自分一人が腹を切れば済むように物ごとを片付けておく」って
清廉通り越してる気もするけどw 武士が勤めに出るときの心がけだったろうなあ

京都「猫放し飼い令」

2009年07月29日 00:43

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 23:41:55 ID:mamzEIGs
京都の「猫放し飼い令」

1602年8月のこと。
名奉行・板倉の勝ちゃんこと京都所司代板倉勝重の名で、「猫放し飼い令」が
京都の町に発布された。猫を飼っている者は放し飼いにしなければ罰すると
いうものである。
当時大発生していたネズミ対策のためであり、実際に効果があったらしい。





881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 00:50:10 ID:Kseaadd7
>>879
無益な殺生が良いとは言わないが
お犬様の時と違ってこっちはかなり意味あったんだねえ。

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 00:56:22 ID:uBn3z0uj
別に猫が可哀想だから放し飼いにしろって意味じゃないだろ

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 01:08:32 ID:HOH3P1CI
チューと半端な鼠対策じゃ
ニャンともいかなかったんだろう

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 03:06:08 ID://RBSVI1
>>881
害獣退治なんだから無益な殺生とはいえないだろ
それにお犬様の方もけっこうな意味があったって説もあるぞ


888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 03:26:10 ID:Kseaadd7
誤解招く書き方だったかもしれんな。

「無益な殺生」はお犬様にかかってるんだよ。
あれは犬猫を殺すという事が当時頻繁にあったから
「生類哀れみ」になったわけで法の理念は間違ってないが
情が先行して犬猫神格化までしたから批判されてる訳で。

板倉さんのは最初から鼠駆除って目的のようだから
「こっちはかなり意味が」って書いたわけ。

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:05:30 ID:mtIaohGm
>>879
直茂「害獣は鼠ではなく猫なのだ!」

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:21:14 ID:JrOi5WHk
道灌「猫かわいいよ猫。猫なら何兆匹いてもいい」

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:29:25 ID:0RQUy/JK
>>892
             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!
 :~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、|         _
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=.  _~:、         /_.}'':,
 ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ
 ,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:'  ノ゙ノブ   <またまたご冗談を
"   .!-'",/  `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
 .-''~ >'゙::    ‐'"゙./  ヽ.,'   ~ /
   //:::::       ',    /    ,:'゙

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:39:54 ID:upl0xPbu
>>879
日本史板の食事スレかどこかで見たことがあるけど
江戸時代のお米の鼠害は酷かったらしい、食事中の人には申し訳ないが糞尿で駄目にされてしまう
新米がありがたがられるようになったのはこの頃かららしい・・・

ちなみに京都市中の町屋の多い地区は今でも鼠害がすごくて
その辺りに立地している大手薬局では普通に「ネズミ取りホイホイ」や
昔懐かしネズミ取りのカゴを売っており
本当にここは人口100万人の政令指定都市なのかという気分になりますw
経験者によると、ネズミ取りホイホイにかかったネズミの断末魔の声は
トラウマになるほどすさまじいらしい・・・

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:44:46 ID:mtIaohGm
>>895
ネズミホイホイって北海道だけにしか売ってないのかとおもってたのだな案外色んな所に
売っているのだなw

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 10:55:21 ID:PScKmDH7
富山だけどアパートにネズミでたからホイホイでGETしたよ。
設置してから2日くらいできゅ~って泣き声聞こえたから安らかにさせてあげたよ

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 11:21:37 ID:+6R9apP8
俺はこのスレ寝ず見

899 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/28(火) 11:48:35 ID:xRzWT/C2
>>877
お前はこんなモノを見たかったのかw
そして、実際に味わいたいんだなw?
>>884山椒

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/28(火) 12:19:48 ID:DGnK3hcq
>>895
東京都心部だと若者の街と言われてる渋谷はセンター街中心に昼夜問わず
デケえ鼠が年中大量に走り回ってるので初めて来た観光客とかビビると思う