武士の一分

2015年10月31日 18:47

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/30(金) 18:42:22.12 ID:vbXti872
武士の一分

元和の最上騒動で最上家信(最上義俊)が山形57万石を改易されると、所領1万石以上の大身の重臣は最上領から追放となり、他家預かりや国外追放となったが、狩川城主北館利長だけは「最上の御家騒動に責無し」「庄内治水の功労を認める」と幕命により出羽に住む事を許された

北館利長の所領は当初狩川3000石であったが、庄内潅漑治水の功績により最上義光の遺命で「治水により増えた新田はすべて利長の知行とする」と加増を安堵され、狩川領は3万石近い清算高までになっていた

家信の改易後最上領は複数の家の領土に分けられ、庄内には徳川譜代の酒井氏が14万石で入った

そして狩川領を収公された利長に、新領主の酒井氏から仕官の話がなされた

利長「知行150石の足軽大将並ですか」

利長はこの仕官の口に子(甥とも)の助次郎を酒井氏へ勧め、使者のいなくなった後に助次郎へと話した

利長「いいか、私は亡き大殿(最上義光)から過分の大恩を頂き、家親公・家信公からも身代を許され最上家のために忠勤を励んできた
しかし酒井家にとって私は外様の厄介者に過ぎないらしい
おまえ(助次郎)はまだ若い。150石の知行だが酒井家に仕えよ
それといいか、北館の『館』の字を『楯(城の意味)』に変え、『最上にキタダテあり』の誇りを常に忘れずに、世に気概を示せ」

利長は墨染めの麻袈裟に椀と杖と義光から頂いた愛用の綿帽子だけを持つと
たく鉢坊主となり世を捨て旅に出た

「庄内の昔話」「山形の昔話」ほか




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青鞍の淵

2015年10月30日 09:04

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/29(木) 16:07:35.64 ID:ZBewfPso
青鞍の淵

庄内潅漑用水堰の完成を目前にして、北館利長は更なる困難に悩まされた

清川と最上川の境の大淵辺りに差し掛かると、迫り来る崖と急斜面に掘った堰道は土砂崩れで頻繁に埋まり、その先の大淵は急流のために杭や土のうは流され、工事の進捗は完全に停滞してしまった

利長は「これは土地と川の神が身を弄(いじ)られる工事を喜ばないからだ。なんとか神の怒りを慰めよう」と
狩川城の兵装を揃えた功を主君に褒められ義光から褒美に頂いた家宝の螺鈿の馬の鞍を、最上川の大淵の渦巻く流れに投げ入れた
するとにたちまちに流れが静まった

利長は「土地の神は気を鎮めたり」と人足に作業を進めさせ、最後の難所工事を切り抜け
「庄内末代までの至宝」と呼ばれる大潅漑用水堰の本水道が完成した

「庄内の昔話」



904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/29(木) 23:42:07.22 ID:uMnG671W
ちょっと馬の鞍探してくる

北館利長と殉役十六夫

2015年10月29日 13:48

555 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/29(木) 04:08:11.43 ID:ZBewfPso
北館利長と殉役十六夫

慶長の頃、狩川の水馬鹿北館利長は最上義光の後ろ盾を得て月山から狩川への潅漑用水堰を掘削していた

残す工事もわずかとなったが難所がいくつか残り、山地の迫る急傾斜地の清川御諸皇子神社付近で事故が起きた

掘削地が地滑りを起こし、工事に携わっていた16人の人夫が生き埋めとなった

利長「ここまで死者を出さずに済んでいた工事に、神も気を許し目を離されたか…」

利長は死者を弔い、16人の役目に殉じた人夫の数にちなみ、この先16代に渡り北館家内で大々的な祭事は慎む旨を神前に誓ったと言われる

「庄内の昔話」




556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/29(木) 06:39:07.30 ID:uMnG671W
16代だとまだやってるんじゃなかろうか。

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/29(木) 07:25:52.94 ID:yawErPFg
松江は盆踊りがないそうな…

ヒストリアでやってた

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/29(木) 08:23:36.76 ID:dj4WxJtv
ヒストリアで仏の茂助の仏っぽさが伝わってきたよ

もう一人の乞食大名「北楯大学利長」

2009年12月27日 00:17

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 01:54:30 ID:vh6o6LDx
もう一人の乞食大名「北楯大学利長」

「乞食大名」というと「鮭延越前秀綱」の名前を上げれる方が多いと思いますが
こちらの方も立派の乞食大名かと。

北楯利長・・・最上義光の命により、庄内平野の治水に努め
「庄内の石高を10倍にした男」と評され、義光からは綿帽子をもらい、
自身も義光に鮭をあげるツーカーの仲として知られた。
だが元和8年(1622年)最上氏が改易されると、利長も所領を失い、
庄内に入封した新領主・酒井忠勝からの召し出しを断り
代わりに子の助次郎を薦め、自らは托鉢僧となり俗世に別れを告げた。




最上義光と北楯大学利長「米どころ庄内ビギンズ」・いい話

2008年11月28日 00:09

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 00:30:26 ID:cM5xC/Mr
新米の季節なので。「米どころ庄内ビギンズ」

慶長出羽合戦のあと、最上義光は庄内領有に成功。
これでやっとねんがんの鮭がたべられるぞ! と喜んでいた。
(義光の庄内への野望は、鮭食べたさという伝承が山形にある)
しかし最上家中にひとり、複雑な気持ちのものがいた。北楯大学利長である。
彼は庄内の民が餓えているのを見て不思議に思った。
「なぜ平地なのに稲がないのだ?」「水がひけなきゃ稲作なんか無理ですって」
「そうか…水がないのが悪いのだな」
当時の庄内平野は広大だが水回りが悪く、荒れ地が広がるばかりだった。
大学はそれから日夜庄内を見回り、どうすれば水をひけるか考え抜いた。
彼の熱心さは周囲に奇妙にうつり、農民すら陰では彼を「水馬鹿」と呼んでいた。
それから十年近く経過した。

調査結果をたずさえ、北楯が山形に登城した。彼は庄内開発の利をとくが、
身分の低さゆえに誰も相手にしない。
義光はかねてより、北楯に好感を抱いていたこともあって前向きだった。
北楯に目だった武功はなかったが、義光はかつて彼の居城・狩川城を視察し
武具点検をしたが、装備が見事に揃っていることに感心した。
それ以来義光は北楯に目をかけ、細やかな気遣いを見せる書状を送り続けていた。

だが、主君の寵愛だけで藩を左右する工事は決定できない。
義光は事業が可能かわからず態度を保留した。そしてひそかに大工をやり、
北楯のプランが実行可能か調べた。
結果、「見事な設計、工事可能」という結果が出たため義光は工事許可を出した。
しかし北楯を侮る者は多く、妨害がたえない。義光はこまめに手紙で励まし、
北楯に異例の権限をあたえて工事をすすめた。義光や北楯は、埋蔵金と
いつわって金壷を埋めておいたり(まとめ参照)、上戸には酒、下戸には菓子を与えるなど、
細やかな気遣いで作業員をいたわった。途中、死亡事故が起きるなどしたが、
工事は予定より早くすすんでいった。

ところが最後の難所、青鞍之淵を埋めようとしたところ、水の流れが強すぎて
いくら土をいれてもおさまらない。困る北楯に彼を妬む同輩はいった。
「貴殿は工事がならなければ切腹する覚悟だったな?」
北楯はこの言葉に死を覚悟し、愛馬の鞍をはなつと祈りながら淵に投げ入れた。
すると不思議なことに、流れはぴたりとおさまった。皆喜びここに土を投げ入れた
ところ、淵はあっという間に埋まった。
こうして四ヶ月に及ぶ工事はやっと終わった。

艱難辛苦をへて、大堰と呼ばれる用水路が完成した。
これにより庄内平野の収穫高は十倍にふくれあがった。米どころ庄内のはじまりである。
義光は北楯大学の功績を喜び、
「きっと将軍家にも伝えて代々残るようにする。庄内末世の宝である」と絶賛した。
北楯大学は死後も水神として、庄内のひとびとに敬われた。

のちに明治になって、北楯大学の功績を賞した住民たちは「大堰」を「北楯大学堰」と
改称した。四百年を経てなお、北楯大学堰は庄内平野をうるおし続けている。
ちなみに北楯大学の肖像画や銅像が頭巾をかぶっているのは、義光が
「川風が寒かろう、これをかぶればいい」と頭巾を贈ったことからである。

…そして北楯大学が義光からもらった「鮭トンクスウマー」書状が、後世に義光の鮭中毒ぶりを
詳しく伝えることになった(ちなみに義光はフルーツも好きだったらしい)。




778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 00:46:17 ID:0Mocvpzj
>>775
義光が褒美として300石加増の他、
「この堤の御蔭で増える新田が何万石に成ろうと、全てを北楯の知行とする」って証書を与えてるのが凄いわな。
正に絶賛。

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 00:53:41 ID:69DUr/TM
>>775
うわこれは凄い・・・「ちょっと良い」どころじゃない
知らないだけで偉人ってのは居るもんだな

780 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/27(木) 01:02:03 ID:yZ+s5QpQ
>>778
最上家が存続してればT_T
彼を登用した鮭様こそ名君に相応しいな

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 01:11:40 ID:0Mocvpzj
>>780
因みに最上家改易の後、代わりに入って来た酒井家が召抱えようとするのを固辞し、
息子を300石で酒井家に仕官させて、本人は浪人として静かに余生を送ったらしい。


782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 01:13:29 ID:c7s1WjCd
成富茂安、大谷休伯とならぶ隠れた内政家だな>北楯大学

786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 03:16:10 ID:EEb/vENH
>>781

酒井家は肥沃になった土地をただで手にいれてウマーなのに
功労者の北楯の子にたった300石とか・・・


787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 05:42:34 ID:inr4++4V
酒井忠次「お前も我が子が可愛いか!」

788 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/27(木) 08:15:14 ID:yZ+s5QpQ
>>787
本多重次「オマエモナー」

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 09:34:30 ID:zqby/RLA
>>781
それもまたいい話だなあ

790 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 10:28:59 ID:hn3Br13y
>>786
庄内酒井藩は最上の旧領のうち一部をもらっただけ。収入は限られる。

しかも普通、家老クラスで表高の1/100の禄なんで、14万石の庄内藩が
外様に300石出してんだからむしろ妥当。


791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 10:35:28 ID:KlC+SqFo
よっぽどの大藩でも、1000石以上なんて、お目見え以上(幹部クラス)だしね。
戦国時代の感覚で石高を見ちゃいかん。


792 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/27(木) 10:52:08 ID:yZ+s5QpQ
>>791
加賀本多家(正信流本多家:陪臣)の五万石なんてのは極めて特殊な例だからなぁ

そういや、美術館にはそれを藩主にわたせば10万石にしてやるといわれた壷が展示してあったな
今度見てくるわ



793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 13:40:03 ID:TDutbSxS
うちの先祖が仕えてた藩は5万石だが、千石取りなんて江戸中期に800石から加増された家老の本家だけ。
家老を持ち回りで勤めてた他の家は軒並み200~500石程度。
藩の石高の内の割合なら大体100石が同等だがこれもたまに家老を出す家柄だけ。


794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 14:19:32 ID:Yp2oDNoT
騎乗身分ってやっぱりすげぇなぁ、と思ってしまうな

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 15:13:17 ID:S3mAGxcL
騎乗身分ってなんかエロいなぁ、と思ってしまうな

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 16:58:35 ID:wELQVAI/
憧れの騎乗死     いえ言ってみただけです

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 19:31:04 ID:hRHVFid7
>>797
討ち死にじゃねーかw

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/27(木) 22:04:27 ID:xKOlzuyi
>>780
亀レスだが、義光の北楯宛て書状に
「いい季節だし、工事を見に行けばみんな喜ぶだろうから、是非そうしたいけど、
病気で行けなくてとても残念だ」
とあってせつない。
義光はこの頃、病で体力的にかなりつらかったらしい。死ぬ僅か二年前です。





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2008年10月16日 11:28

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/01(月) 22:14:37 ID:fAL4m92t
ちょっと流れが悪くなったから、鮭を差し入れるお!

最上家臣・北楯大学が大堰を工事していたときの話。
ある日、工事作業員が大騒ぎしているのをききつけ、大学が現場に駆けつけたところ、
金銀のびっしりつまった壷があった。
どうしようかとまどう彼らに大学は言った。
「おまえたちの心がけがいいから、こういうこともあるのだな。とっておけ。
そういえばこのあたりの城主が、落城のときに埋蔵金を残したらしいぞ?」
皆は大慌てであたりを掘り進んだところ、次々を埋蔵金が出てくる。
こうした幸運もあってか、工事は予定よりずっと早く終わった。

実はこの壷…偶然ではない。夜中に大学と家臣たちが現場にこっそり埋めて、
わざと見つかるようにしていたのだった。
大学の親切心と機転のおはなし。


ちなみに大学は最上側で鮭がとれると、最上義光に献上していました。
義光はとても喜んで、彼にもいろいろプレゼントをあげたそうです。
義光が大学を大事にしたのは確かですが、さすがに鮭のせいではないかなと…たぶん




834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/01(月) 22:35:20 ID:hbA9Q5Os
鮭!鮭!

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/01(月) 23:46:30 ID:bHiIscEa
鮭話は和むな
鮭は日本を平和にする魚だな



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