金子元宅の奮戦

2010年01月11日 00:12

858 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/10(日) 01:48:20 ID:B8sw32no
天正十三年四国征伐に乗り出した豊臣秀吉の命を受けた、小早川隆景三万の軍勢が
伊予国新居郡に上陸した。
迎え撃つは源平合戦の時代から、この地に所領を持つ伊予金子氏、
金子元宅が率いる二千の軍勢。

この金子元宅、勇将の誉れ高く、その人柄は領民たちに慕われていたという。
外交政策は現実派で、長曽我部元親に誼を通じながらも、河野通直を通して
小早川隆景とも友好関係を維持していた。

しかし小早川隆景が自らの所領に進攻してきた以上、自らの出処進退を
明らかにしなければならない。
豊臣秀吉の後ろ盾がある小早川勢と戦をしても勝てる見込みは薄く、
実際に伊予には小早川勢に恭順を示す者たちも出てきている。
だが本来、金子元宅は長曽我部方の人間である。小早川隆景との友好関係も
所領の安定を思えばこそのこと。
意を決した元宅は「約を変じ強きにつくは男子の道に非ず」と言い小早川勢三万と
二千の軍勢で戦うことを決める。
同時に、
「昨日は長曾我部に頭を下げ、今日は又小早川に腰を折る。
所せん肩をひそめて世を渡らんよりは潔く討死をして名を後世に残すべし、
勝負は時の運なり、死力を尽くし一戦を交え、刀折れて矢尽きるまで身命を賭して戦うべし。」
との言葉も残している。

武士の意地をとった元宅に軍勢の士気も上がり、小早川三万に対して勇敢に対抗した。
兵でない領民たちも地元意識と長くこの地を治める金子氏を慕う気持ちから、
自主的に非正規軍を結成して小早川勢と戦ったと言う。

そして七月十七日、もはやこれまでとみた元宅は自ら城に火を放ち、野々市原に討って出た。
そこで金子勢生き残り十三人になるまで戦い抜き、自決してその生涯を終えた。
戦後、小早川隆景は金子勢の武勇を賞賛し野々市原に千人塚を建てて弔い、
同時に旧金子領の復興にも尽力したと歴史は今に伝える。




891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/10(日) 18:56:31 ID:Z8cJ96JH
>>858
> 昨日は長曾我部に頭を下げ、今日は又小早川に腰を折る。

国人なんて、周辺の強豪みんなの御機嫌伺いしなきゃならんのよな
こういう華々しさとは無縁なのが、本来の姿なんだろうね




関連
金子備後守、イノシシの恩返し・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1373.html
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金子備後守、イノシシの恩返し・いい話

2009年02月17日 00:45

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 11:57:33 ID:W+BvMcY6
イノシシの恩返し

金子備後守を始め家臣一同が山上で花見をしていた。 そして宴もたけなわになった頃、
数人の若い者が山の中からイノシシの子を生け捕りにして、備後守の所へ持ってきて、
「殿、イノシシの子を捕らえてきました。子供ですから肉も柔らこうございます。さっそく調理いたします」
というと、居並ぶ家臣たちは、それはよいご馳走だと喜んだ。ところが備後守は顔を曇らせて
「そのような可哀想なことはしないでくれ、どうかそのイノシシの子を助けてやってくれ、
しかも余は亥年の生まれである。」
といった。
 そしてイノシシの子をもとの所へ逃してやりに行った。
ちょうどその時四、五歳であった備後守の長女カネ姫も家来に連れられて一緒について行った。
 命を助けてくれたイノシシの子は、木立の中に走って行った。すると数匹の親、兄弟のイノシシが
出迎えに来ており、一緒になり、十歩行っては後をふり向き、二〇歩行ってはふり返りながら
木立の中に帰って行った。

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 11:59:20 ID:W+BvMcY6
 時は流れて天正十三年(1585)7月14日、秀吉の四国攻略に対して、
土佐の長曽我部と同盟の義理のため、十倍に余る秀吉軍を相手に戦った金子城もついに落城、
当時十六歳になった美しいカネ姫は、家来の守谷一族に守られて、金子山伝いに土佐へ落ちようとした。
しかし敵が追いかけて来て、守谷一族も次から次へと斃れていった。とうとうカネ姫一人になった。
「あれは金子の姫だ、早く捕まえろ」
といいながら敵が追いかけて来た。もうだめかと思ったその時、木立の中から数匹のイノシシが
牙をむいて、敵におそいかかった。
思いもよらぬ出来事に敵がとまどっている間に姫は危機を脱し、無事土佐へ逃げることができた。
しかしイノシシ達は殺されてしまった。
土佐に逃れたカネ姫は、長曽我部氏に優遇され、また山之内氏の時代になって、
奥女中の取締り役となり、八〇歳の高齢を保った。
またカネ姫が逃げる時、身に着けていた衣装や被っている笠が、木立に引っ掛かって
取れなくなったことから、後世の人は衣笠山と呼ぶようになったという。




874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 12:01:18 ID:bqczMiEX
>>872
癒されましたw

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 12:34:35 ID:6ATR2qsf
敵に襲いかかるのも良いが一頭くらい土佐まで背中に乗せていってくれれば…

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 12:43:26 ID:NFeyfWrK
>>875
あー、のけもの姫?

877 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 14:39:49 ID:V3nie5T6
ここでそのボケかよ・・・
折角の良い話が(笑)

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 15:46:46 ID:ryGp4kds
こういう逸話ができるってことは、金子さんは優しい人だったのかね

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 09:07:51 ID:a0qPeNVS
>>878
今の西条、東予あたりの領主で
(伊予へ侵攻してきた)長宗我部と早くに結んでいたが
地元じゃ名将といわれたそうだ


このエピはウリ坊をパパンと一緒に見送った(だけ)が、
姫も慈悲深い人と思われていたんだろねぇ

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/17(火) 09:36:37 ID:wmjzkkFU
金子さんの恩に報いるために(娘である)姫を助けたんだと解釈した

908 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/17(火) 09:45:18 ID:HZEj7cyK
ま、逆の意味ながら「親の因果が子に報い」って奴だ。



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