我々両名はここを抜け出し

2016年11月21日 17:33

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/20(日) 18:48:03.06 ID:xqceRrEW
慶長4年正月19日の夕方、徳川家康の屋敷に、石田三成が大将となって攻めかかってくるとの沙汰があった。
徳川屋敷では俄な事でも有り、屋敷の角々に材木、石、棒などによって縄からけの櫓を掛け、敵が
攻めてくるのは今か今かと待ち構えていた。

この時、本多大和守(政重)と本多三弥(正重)は、こう話し合った
「屋敷のうちでどれだけの働きをしても、家に火をかけられ、煙の下で果てるのは口惜しい事だ。。
敵の軍勢が来て屋敷に火をかけてくれば、我々両名はここを抜け出し、その時治部少輔は城の大手広庭に
腰を掛けて下知をしているだろうから、そこに『家康内の者、降参人』と名乗り出よう。
そうすれば、屋敷の様子を聴くために、呼び出されるであろうから、その時二人のうち一人でも、飛びかかって
治部を刺し殺そう。」

このように言い定めたが、その夜、軍勢が攻めかかってくることもなく、翌日から世の中も、
普段と変わりない様子であった。

(慶長年中卜斎記)



335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/21(月) 09:29:13.20 ID:hkhrhd0c
>>333
本多政重はこの時期どの家中よ?

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/21(月) 20:47:42.74 ID:177qegiu
例のやらかしで徳川家出奔中なんだけど、この時期だと大谷なんだか宇喜多なんだか

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/22(火) 16:12:52.35 ID:JNcF8IPW
>>336
宇喜多騒動は何月だっけ?

慶長年中卜斎記もそういうところは研究ってされてるのかね
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本多正重、「旗を・・・」

2015年10月15日 16:00

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 12:13:29.45 ID:bC+R0SwA
本多正重、「旗を・・・」
関ケ原の戦の9月15日辰の刻、東照宮は桃配に御旗を建てた。
本多三弥正重がそこにやってきて「もう少し先に旗をたてましょう。ここからでは敵に遠すぎます」と東照宮に言うと「若輩者が言うことではないわ!」と仰せになった。
正重は後ろに下がったが「俺は若輩者かもしれんが、遠いもんは遠いんじゃ・・・」とブツブツ独り言を言っていたそうな。

『常山紀談』
ただし正重、この時55歳である



491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 23:10:21.52 ID:1bGiAIUY
石田三成と本多正信は武断派武将から恨まれる嫌な奴なのに
三成兄の正澄と正信弟の正重は良い奴ら

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/15(木) 02:07:36.32 ID:UYJcDkYl
カリスマ性って大事だよね

例え弁慶に似た臣下が居たとしても

2013年08月05日 20:02

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/04(日) 20:41:13.64 ID:vnMPtFQG
慶長6年(1601)、徳川家康は伏見にあって、幸若舞の幸若八九郎を召し高館の舞(源義経の最期を歌った曲)
を舞わせたことが合った。

舞が終わった時、家康は機嫌よく近臣たちと物語をしながら

「武蔵坊弁慶は世に優れた人物だな。今の世に弁慶の如き人物は無いだろう。」

と言い、近臣たちも、そうですなあ、などと答えていたところ、そこに控えていた本多正重
この家康の言葉に気が触ったらしく、大声を出して

「例え弁慶に似た臣下が居たとしても、今の世に判官(義経)に似た主君はございません!」

そう言い放つと、退出していったのだという。
(徳川武士銘々伝)





125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 07:03:26.07 ID:V5u4yfNk
なぜ三河武士はああも嫉妬深いのか

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 10:30:19.45 ID:tG/GdoVg
よりによって、かなりdeepにめんどくさい政重の前で...

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/05(月) 10:36:21.62 ID:UhHZ5Ynx
家康的には、そういう反応も既に予定調和だった可能性が

128 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/08/05(月) 13:16:45.16 ID:xPoEgNsV
>>124
安定の三河武士クオリティ

「又、三弥の持病が起こったぞ。」

2013年07月18日 19:50

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/17(水) 21:05:36.71 ID:nlw2eaiU
本多三弥正重といえば、あの本多正信の弟であり、徳川家康の配下として三方ヶ原、長篠などでも
武功が在ったが、何を思ったか三河を出奔し滝川一益の足軽大将となり、前田利家の足軽大将となり、
蒲生氏郷の軍奉行となり、慶長元年(1596年)に到って徳川家に帰参するという経歴の持ち主で、
その経歴にふさわしい武勇の人であったが、性格がきつく、ちょっとした事で拗ねるという厄介な人で、
家康の前でも散々その拗ね者っぷりを見せ、家康から「あいつもあれでは大名に成れないなあ」と
苦笑交じりの発言を引き出した人物である。

そんな本多正重であったが、二代将軍となった徳川秀忠の下に仕えるようになってからは、
少しく着実、謹厳の人となった、という評判が聞こえてきた。

これを知った徳川家康は正重を呼び出し、こう声をかけた

「三弥よ、この頃はすこし嗜みの心が生ぜたか?随分拗ねることが無くなったように聞いたが。」

こう言われて正重は、目を丸くして答えた

「将軍様(秀忠)は誠に御奉公しやすい方です!あのようなご主君に拗ねごとを申すものは、
気違いに違いありません!」

(将軍様は御奉公いたしよく候。あのごとき主君にすね申す者は、気違にこそ候へ)

これを聞くと家康、笑い出し
「又、三弥の持病が起こったぞ。」
と言われたそうである。

(徳川武士銘々伝)




72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/19(金) 19:56:21.51 ID:81fUZ/QC
>>67
いまさらながら似たような話があった
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4431.html


本多三弥(正重)は隠れ無き武勇強直の士である

2013年05月15日 19:58

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/15(水) 18:50:21.59 ID:sB46zRyn
本多三弥(正重)は隠れ無き武勇強直の士である。本多美濃守の家臣で、後に蒲生氏郷に属した。

蒲生殿が筑紫の岩石の城を攻めなさった時、氏郷が貝を吹かれたところ、三弥は、
「腰抜けの吹きは鳴らぬものぞ」言い、貝を引き奪って、音高く吹いた。

帰陣の後、氏郷はこれを恨みに思い、ある時、三弥が禁所で鳥を撃ったことを口実にして、
三弥の屋敷を取り囲んで誅しようとした。

ちょうどその時、都筑惣左衛門という東照宮(家康)麾下の武士が通り合わせて理由を尋ねた。
しかじかと答えると、都筑は大知音なので槍一本を持って三弥宅へ駆け入った。

そして、攻める者が氏郷に注進して「この者もともに討ち取りますか」と言ったところ、
氏郷が「何があっても、二人ともに逃がすのだぞ」と命じたので、ついに命をまっとうしたのである。

この都筑は、顔つきが生まれつき猿に似た人だった。今、麾下にその子孫がいる。

――『老人雑話』





295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/16(木) 08:21:47.42 ID:XGQ9uYst
>>290
この都筑惣左衛門は都築秀綱かな?
子孫は大身旗本と本多(忠勝)家付家老だね

本多正重、蒲生氏郷に兜を見せられ

2012年05月20日 21:18

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 15:31:52.60 ID:nhqIHFtx

本多正重は元々徳川家に仕えていたが出奔して
滝川一益、前田利家と仕官先を転々とし、一時期は蒲生氏郷のもとにいた。

ある時、氏郷が自分の兜にある二つ三つの銃疵を正重に見せたことがあった。

「あー、この御方の武辺も底が知れたな。
徳川の殿様だったら、こんなつまらないことを誇らしげに語ったりはしなかったぜ。

……よし、たとえ領地を貰えなくとも、懐かしき御方にまた仕えるとするか!」

そのように決意した正重は慶長元年には徳川家に帰参したという。


何だかんだ言ってお前家康が好きなだけなんじゃないのかと。




258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 16:12:16.27 ID:GoSTjIYI
ほんとめんどくさい三河武士だなw

一方、家康は直政の傷を数えていた…
( http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-779.html 参照)

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 16:46:30.96 ID:gNbcvUdq
>>258
ワロタwww
しかし自分の兜の片手に余るほどしかない銃疵を誇らしげに語るのは小せえいう事だな
それにしてもそれを自慢げに語る氏郷に一方のこの現場を見せてやりたいw

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 16:58:48.61 ID:dDiLE+Ij
直政『殿っ…、その穴は銃痕で御座います……』

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 17:14:27.78 ID:xk6C+k6i
なぜ家康は直政の傷の詳細を知ってるんだろ?
めんどくさい三河武士たちは疑問に思わなかったのだろうか・・・

はいはい、無粋な問いですねw

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 19:17:27.86 ID:HsB3uCxE
大将が銃砲が届くところに出てくるのは問題なんだがな・・・先方100騎しとめると工場長がそこにいるだっけ?

265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 19:31:31.19 ID:DHQe+AVh
信長「武辺たろうとする気概は立派だが、大将には大将の戦があると教えたのに……」

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 20:17:44.73 ID:shwInrdG
>>260
一方、鮭様の兜についている弾痕は誰がどうみてもヤバいw

267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 20:19:04.41 ID:g0Xsl+xM
氏郷はその若い晩年に大大名になったけど織田時代はは城一つくらいだろ
矢玉避けて後方に居るような立場じゃないしなあ
秀吉に抜擢されていきなり10万石貰ったあとも変わらなかったのはあれだけど
天下人から目をかけられていただけに逸る気持ちもあったのかもしれないね

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 20:53:58.93 ID:RZupEueK
大して功もないし譜代でもないのに信長の娘なんかもらっちゃったから
嫉み嫉みはかなりのものだったんだろうしそれに負けまいと気負ってたんじゃないだろうか

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 21:11:11.46 ID:idqZrqpj
>>269
譜代に娘やるか?
譜代にしたいからとか、縁固めして囲いこみたいから娘ってやるもんじゃないの?

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 21:17:34.88 ID:QPFmaYER
やるでしょ。代々縁組して硬い絆の一門衆を作るわけで。
武田の穴山家とか。 ダメなときはダメだけどな。

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 21:34:50.53 ID:MI6AVIXI
そういう時は姓を下賜してやればいいんだよ!

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 22:02:00.03 ID:RZupEueK
あといらなくなった中古女押し付けたりとかな

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 22:08:38.33 ID:pSZAnek9
嫁も中古、名前も中古にされた人はキレてもしょうがないよね

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 22:58:11.22 ID:50V2Y3sl
蒲生氏郷は信長の娘を側室に差し出しているんだよな、ちゃっかりと。

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/20(日) 23:03:42.35 ID:p4gqCVmF
それはどっち側が望んだことか言うまでもないと思うが…

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/21(月) 00:05:27.40 ID:DnWk8Q1w
おにいちゃんに養女を押し付けたたぬきはどういう心境だったんだろ?

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/21(月) 00:50:27.54 ID:y+MGeZr2
>>276
そんなのわかんないさ。氏郷は良い意味での計算高さもあるし。

本多正重「いかにこの正重に超えたる武功があって!」

2011年03月22日 00:00

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 03:02:12.91 ID:1Ly9naeR
お詫びにもう一つ本多正重話、こっちは出てないはず。

大坂の陣も終わった後のこと、旗本の坂部三十郎久世三四郎に大阪での働きが賞され、
加増されることになった。

と、これを聞いて怒り狂ったのが本多三弥左衛門正重である。

「あの三四三十、いかにこの正重に超えたる武功があって賞を与えられるというのだ!?
許さんぞ!」

側にあった刀をひっつかみすぐさま登城した。無論場合によっては二人をたたき殺す気満々である。
ちなみにこの頃本多正重は70歳を超えている。呆れるほど枯れない爺さんである。

さて、そのころ坂部・久世の両名、ちょうど城から帰る所で、大手の門を出たところであった。
正重この姿を見つけ

「わしの方に向かって、加増をもらって足取り軽く向かってくるわ!なんとけしからん奴らだ!」

と(一方的な思い込みで)憤り怒り心頭。彼らが橋の半ばに至ったとき、大音声を上げて怒鳴りつけた!

「お前たちはいかなる高名をして所領を賜ったのか!?語れ聞かせろ!!」

これを聞いた久世三四郎、すぐさま全てを察した!そして左手で自分の耳たぶを取って見せた。

「こ、これのおかげかな…?」

久世も坂部も耳たぶがとても大きかったのだ。それを見ると正重、大いに納得し

「うははははそうかそうか、生まれながらの幸運のおかげであるか!お前たちは耳たぶが
大きく生まれ幸運が付いているのだろうが、武功においては何条正重には及ぶべきか!」

などとつぶやきすっかり機嫌を直し、坂部久世と連れ立って(二人にはいい迷惑だったであろう)
仲良く帰っていったという。

武功で加増なら許さないが運で加増ならオッケー、という、本多正重の解るような解らないような
価値基準のお話である。


関連
江戸ゆとりvs戦国ジジィ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5503.html




326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 09:17:34.72 ID:vylA11jo
すげー僻み屋だなw

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 12:29:06.90 ID:RYsF2p9H
>>325
ワロタw

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 12:58:06.77 ID:RXxwj/fk
家康「耳たぶの大きな奴は何か他人と思えんのじゃ。」

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 13:18:53.54 ID:bEUnfmy+
>>325
めんどくせえジジイだw

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 15:13:34.65 ID:mE42iHWI
ノリ突っ込みの流れで双方ボケ倒したまま…だと…

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/21(月) 16:36:10.85 ID:Tz0Sa+Eg
久世と坂部もなかなか機転が聞くけど、なんか三河者っぽくないな
普通の三河者なら文句あんのかジジイ!→口論→抜刀→切腹がセオリーなのに

その後の本多(弟)

2010年07月20日 00:00

962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 15:37:07 ID:aLMA7Mta
その後の本多(弟)

本多三弥正重は、兄の佐渡守正信と同様、若い頃に徳川家を出奔して渡り奉公を続け、天下に武勇をもって知られた。

が、兄と違って放浪生活が人間を変える、などと言う事は無かったようで、帰参した後も、その反骨心は絶好調であった。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3685.html

慶長19年(1614)冬、大坂の役が起こると、家康は後継者である秀忠の武略を不安に思い、黒田長政・加藤嘉明等、
歴戦の大名を秀忠の側に置いたり、多くの古強者を秀忠隊に加えたりした。

「この際だ、三弥もくれてやるか。あいつも歴戦の男ではある。」
とは言え、三十代前半の秀忠と、老いてなお反骨心旺盛な三弥の仲を心配した家康は、特に秀忠に
「あいつは、『ああいう』人間だから。なんかあっても、一度はワシに免じて許してやって。」と、言付けしてやった。

ところが戦後、三弥は秀忠に功を賞されて加増を受け、家康をして『あいつに大名はムリ』と言われた男が、
下総舟戸一万石の大名格となった。家康は大いに三弥の加増・昇進を喜び、三弥を呼びつけた。

「いや~、おまえが秀忠にガマンできるとは!人間、いくつになっても成長できるもんじゃ!」
「当然にござる。上様(秀忠)は、実に仕え甲斐のある、素晴らしいお方。あのような方に対してヒネてみせるのは、
逆臣かキ○ガイのする事です。」(え、じゃあワシは……?)

言うだけ言うと、三弥はスタスタと退出した。
「…あれは『病気』じゃから、もう一生治らんのぅ……。」さすがの家康も、あきれて苦笑するしかなかった。




963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 16:23:27 ID:LmW6tjVh
むしろ清清しいなw

964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 16:27:40 ID:1My7Mk+A
>>962
なんでだろう。殿いつの直江が頭に浮かんだ・・・

てか三河武士って全体的に家康の息子や孫達には甘いような気がする
特有の面倒くささは時代や世代的なものなのかね

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 16:34:22 ID:3u0plkmF
面倒くさいおっさんだからこそ、目下には甘いもの。

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 16:37:46 ID:2ej5vrbC
ぶつくさと憎まれ口を叩きながらまんざらでもない顔をしているのが目に浮かぶ。

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 16:39:28 ID:Bi/+I+1l
秀忠だと諫言するとあっさり頷きそうだし、反骨しがい無いように思える。これが家光相手だったら、険悪になりそうで
いくらでも反骨しそうだが

大久保彦左衛門は、秀忠のことをどう評してたっけ?

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/19(月) 16:46:40 ID:LH4oBkbK
反骨っていうのは権力者に対してするものだろ

秀忠は家康の傀儡とみなしていたのでは

が、いきなり正重がキレた

2010年02月20日 00:20

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/19(金) 18:26:00 ID:jz/WPyTP
本多正信の弟、本多正重は武勇をもって活躍したが、直言の士であり、
徳川家康に疎まれて一時出奔したと伝わる。

さて、正重が帰参し、家康が大御所として政治をとっていた頃。
冬のとある夜、正重は家康のもとに参勤した。
すでに兄・正信もいて、食事時だったために皆に御膳が出された。
しかし、ちょうど家臣が用件を持ってきたため、家康はそれに直に指図をした。
正信らは主君に遠慮し、御膳はそのままになっていた。

仕事を終え、家康はさっそく鶴のあつもの汁をすすった。
「普通のあつものなら、もう冷め切ってるはずだよな。
 こんなに寒いのに、これは温かくてうまい。
 大鳥は老人に益あり、というけど、食べるとほんと実感するな」
家康、上機嫌である。
正信も穏やかにこれに応じようと、箸を置いた。
が、いきなり正重がキレた。
「おお、そうでしょうなあ!
 この正重なんぞが食らう小鳥のあつものでは、今頃凍りついてるでしょう!」
どうやら待遇面の不平があり、家康の発言にカチンときたらしい。
言うだけ言うと、正重はさっさと退出してしまった。

唖然と見送った家康、多分気まずそうにしていただろう正信に話しかけた。
「お前の弟は変わらんなあ。反骨心が強いというかなんというか…
 なんとか大名にしてやりたいものだが」




677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/19(金) 21:06:42 ID:/3x0gji0
>>674
鶴の汁物って当時の最高級料理だっけ?
天下取っても麦飯と漬物しか食べてないようなイメージだったけど
家康も結構栄養あるもの食べてたんだね。

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/19(金) 21:15:06 ID:5X7wQXVB
そして激怒する肝付氏

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/19(金) 22:29:11 ID:oPdFXPa+
>>677
(●Д゚)<じゃあ俺がとっておきの鶴の羹を御馳走してやるよ。


687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/19(金) 23:03:58 ID:8ElBEXnS
>>677
鳥居元忠戦死の報を聞いた時も、江戸で鶴鍋を食べていた

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/19(金) 23:30:36 ID:aeeWdBVs
>>674
正重が蒲生家を退転した理由に
「氏郷が鶴狩りを禁止したのに腹を立て、城の堀で鶴狩りを敢行したから」というのがあったとか…

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/19(金) 23:31:24 ID:E6acnt9W
家康「鶴のお吸い物美味しいよね」
彦左衛門「俺の椀に鶴入ってねーし」

家康「鶴のお吸い物美味しいよね、ね?」
お梶「やはり、塩が一番美味しいのではないでしょうか」
家康「塩が美味いとかマジ笑えるwww」
お梶「じゃあ、アンタ次から塩抜きで」

そして、今宵…

家康「鶴のお吸い物美味しいよね、ね?そうだよね?」
正重「カチーンときたこの感じ、とりあえず帰るわ!プンプン」


一体、どうしろと…

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/19(金) 23:40:00 ID:E6acnt9W
あ、鶴は家光さんだった(汗)

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/19(金) 23:41:49 ID:gG5JdssS
>>689
天ぷらでもいかがどす?

本多正重 「これぞご返事に候」

2010年01月14日 00:07

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 12:24:53 ID:64mCZX0X
本多三弥左衛門正重と言う人がいる。
あの本多正信の弟で、物好きだがいやしいところが全く無く、常に身に香の香りをただよわせる
風流人であったが、さらには信長から『海道一の勇士』とまで呼ばれた武勇の者でもあった。

この正重、長篠の戦いの後、徳川家を出奔し牢人となり放浪したが、
ある時滝川一益に仕えて、播磨神吉城攻めに参加した。

この日の戦いにおいて、滝川軍の幕下に入った牢人の多くが手柄を立てる働きをしたが、
正重は何の武功も得られなかった。
彼は当時既に高名な勇者であった。これに一益は使いを立てて

『そなたはこれほど高名な武士であるのに、今日首尾が無いのはどういう事か?』

と言ってきた。これに正重
「この返事は明日申しましょう」と伝言した。

次の日、正重は名のある者の首二つを取ると言う殊勲をなした。その上で一益に
報告した

「これぞご返事に候」


この時代を代表する勇者の一人の心意気である。




14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 17:11:30 ID:auDpEoqS
口で言うより、行動で示す
理想像だね

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 18:24:23 ID:KqtqRKho
ちくいちめんどくせーよ

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/13(水) 18:49:40 ID:IpFMEDh0
めんどくさいけど扱いを間違えなければ忠節は尽くす、
主君に諫言も厭わず、しかも文武に秀でた人間が揃ってる。
こんな家臣ばかりだもん、そりゃ天下もとるわな。

逆に譜代の家臣もいないのに天下人になった秀吉の異質さが際だつな。

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 08:16:50 ID:ahqzR10A
>>13
近くにいる武者が法螺貝を吹き損なうと益々めんどくさいので、
タイミングがむつかしい三弥さんですね

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 11:30:38 ID:SZR2sEMS
>>13
天地人にも出てたけど政重ってやっぱり
言葉より行動で示す素直で実直な人間だったんだな
加賀藩に再就職後、後妻のおとらさんや部下達が後を追っかけてくわけだわw

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 11:49:21 ID:Gg4LPdUF
それは甥じゃ

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 13:19:48 ID:EEDKRzxJ
叔父甥で同じ名だから混同しやすいんだよなw

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 14:07:56 ID:fawX8RiH
政重と正重
名前は似ている

法螺貝後日談。もしくは面倒くさい三河者のあつかい方・いい話?

2009年05月13日 03:54

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 21:35:18 ID:jPagyO9i
法螺貝後日談。もしくは面倒くさい三河者のあつかい方。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1250.html
このお話の続き。本多正重が法螺貝をふけない蒲生氏郷に
「腰抜けには吹けませんよ」と言って自分で吹き、氏郷に恥をかかせた後のこと。

本多正重、当然のように蒲生家にい辛くなり、退転。
色々あって徳川家に帰参する事になった。

このとき家康の御前に出た正重、いきなり叱られた。家康も氏郷との法螺貝の件を
聞き知っていたのだ。
家康、お前は本当に分別が無い、と言う。
これに正重、殿の仰せですがそんな事はありません、あれは考えた上での事です!
と反論。

そこで家康
「では聞くが、お前が法螺貝を吹いて、もし鳴らなかったときはどうするつもりだったのだ?」

「あ」

本多正重、今気がついた。
「…どうしていたんでしょうね?」

「だからお前は無分別だというのだ。」

そう言って大笑いしたそうだ。

流石家康公、三河者がどんなものかお見通しなのであった、と言うお話。




正信の弟本多正重、法螺貝を吹く・いい話?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1250.html


正信の弟本多正重、法螺貝を吹く・いい話?

2009年02月07日 00:15

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 01:35:47 ID:3UCu27uR

これだけではなんなので正信の弟本多正重の話
彼は謀才に優れた兄、甥と違い剛勇な荒武者であった。

兄と同じく三河一向一揆の際に出奔して以来諸家を渡り歩き様々な武功を立てたが
どうにも一箇所に落ち着かない。
なぜなら彼は権貴をはのばからない直言でも知られた男であったから。

秀吉の九州征伐の時正重は蒲生家にいた。
この時主君氏郷は豊前巌石城攻略を秀吉に願い出て許されている。
巌石城攻めの真っ最中、氏郷は味方を鼓舞すべく法螺貝を高らかに吹き鳴ら…せなかった。
音が出なかったのだ。
この時偶然本陣に居合わせた正重が言った。
「総じて腰抜けの鳴らす法螺貝は鳴らぬものじゃ。」
この言葉にむっとした氏郷、法螺貝をぐいと突き出して
「我らが腰抜けと申すか!ならばお主が吹いてみよ。鳴らねば生かしておかぬぞ!!」
すると法螺貝を受け取った正重は
「吹きますとも!!」
高らかに三度吹き鳴らし「剛の者の吹き鳴らす法螺貝の音!しかとお聞きか!!」
そう言い捨てると槍を引っつかんで突進、みごと一番乗りを果たしたという。




367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 01:38:33 ID:HGdrTgMN
>>366
かっこいいけど、やっぱり三河武士だなあ、とも思うわw>正重

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 01:39:10 ID:6vIdf/Qd
なんという三河武士・・・
ただの嫌がらせだよな

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 01:43:14 ID:O3Q8H/F7
>>366
正重と政重(正信の次男)は名前も経歴も似てるからイメージがかぶる。

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 01:54:44 ID:HGdrTgMN
正信の所の本多家は、どいつもこいつも一筋縄で行かない連中ばかりなのが面白いw
恐ろしく濃い一族だ。

372 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/06(金) 02:43:34 ID:OAylLsMJ
正信・正純親子が本多氏、三河武士のなかでいかに異端だったかがよくわかるw

373 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/06(金) 07:39:10 ID:AdfOnqlW
そもそも本多正信は元来武士じゃないだろ

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 13:53:41 ID:rT8bv8y/
>366
それでなんだかんだあって、結局蒲生家も退転したんだよな本多正重・・・
(一時は乱発蒲生姓を賜る程度には家中で尊重されていたそうなんだが)

剛直にもほどがあるw



参考
法螺貝後日談。もしくは面倒くさい三河者のあつかい方・いい話?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2028.html