20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 22:11:50 ID:atwj6awi
「徳川四天王」、「東三河筆頭」としても有名な酒井忠次の家臣に。
石原ずんと右衛門と言う人がいた。
…ずんと右衛門である。なんだそりゃと思われても、そう記録されているんだから仕方がない。
とにかく石原ずんと右衛門と言う人がいたのだ。
このずんと右衛門、姉川の戦いの時酒井帯の先鋒を指揮し、300の備を酒井本隊の筋違い、
丁度酒井本隊の脇に置いていた。
さて合戦が始まる。織田軍は浅井軍の猛攻に本陣まで攻め寄せられた。
この時ずんと右衛門の部隊が浅井に攻撃を仕掛けた!
実は彼らが最初位置どった場所が丁度、浅井軍の横を付く形になっており、これに
浅井はたまらず攻勢の足が止まった。
この頃徳川軍が、ついに朝倉軍への反撃に成功していたが、守勢に立った朝倉軍は
浅井の足が止まったのを見て撤退を開始、浅井もこれにつられ軍を返し、ここに姉川合戦は
織田徳川連合軍の勝利に終わった。
合戦の後信長は、この酒井隊の働きを激賞し、忠次に従四位下「左衛門督」の官位を与えた。
が、忠次の方は「こっちのほうが言いやすいから」と言う理由で後々まで、本来従五位の官位である
「左衛門尉」と呼ばせていたそうだ。
ずんと右衛門のこの時の働き、人々は長く称えたとのことである。
「徳川四天王」、「東三河筆頭」としても有名な酒井忠次の家臣に。
石原ずんと右衛門と言う人がいた。
…ずんと右衛門である。なんだそりゃと思われても、そう記録されているんだから仕方がない。
とにかく石原ずんと右衛門と言う人がいたのだ。
このずんと右衛門、姉川の戦いの時酒井帯の先鋒を指揮し、300の備を酒井本隊の筋違い、
丁度酒井本隊の脇に置いていた。
さて合戦が始まる。織田軍は浅井軍の猛攻に本陣まで攻め寄せられた。
この時ずんと右衛門の部隊が浅井に攻撃を仕掛けた!
実は彼らが最初位置どった場所が丁度、浅井軍の横を付く形になっており、これに
浅井はたまらず攻勢の足が止まった。
この頃徳川軍が、ついに朝倉軍への反撃に成功していたが、守勢に立った朝倉軍は
浅井の足が止まったのを見て撤退を開始、浅井もこれにつられ軍を返し、ここに姉川合戦は
織田徳川連合軍の勝利に終わった。
合戦の後信長は、この酒井隊の働きを激賞し、忠次に従四位下「左衛門督」の官位を与えた。
が、忠次の方は「こっちのほうが言いやすいから」と言う理由で後々まで、本来従五位の官位である
「左衛門尉」と呼ばせていたそうだ。
ずんと右衛門のこの時の働き、人々は長く称えたとのことである。
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