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立花城と内田入道玄叙

2010年01月18日 00:15

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 23:12:19 ID:A3YhhBJI
過去ログ見たけどさわりしか出てなかったのでカキコ
「立花城と内田入道玄叙」

高橋紹運の立て籠もる岩屋城をやっとのことで攻略した島津勢、予定より遅く立花城に迫った。
城下を埋め尽くす島津勢を前にして、立花城では開城やむなしとする者で大勢を占めたが、
一人宗茂だけ戦闘意欲が高かった
「岩屋は玉砕、その弔い合戦をせずして開城とはもってのほか、去るものは去れ。
俺は闘ってこの城で死ぬこととする」
宗茂の決意により一人として城を去る者もなかった。

これを知った島津忠長、立花城攻略となれば岩屋城に倍する犠牲を覚悟しなければならない。
どうにか無血開城させたかった。
忠長は城方の気勢を削ぐため、城下を焼き払ったりしたが宗茂も負けじと兵を出し
城に傍観するようなことをしない。
そのうち忠長は毛利と四国勢が大友氏救援のために九州に気配を察したため、
やむなく城攻めを覚悟した。

立花城の宗茂、城を取り巻く島津勢の慌しい動きから、いち早くそれを察知した。
そのとき内田入道玄叙という者が宗茂の前に進み出た、玄叙とは道雪も一目置いていた
歴戦の軍師である。
「それがしに策がござる」玄叙は宗茂に耳打ちすると、島津本陣に向かった。
「和を講ぜんために参った。主君の意向がこれにしたためてござる」
城を明け渡すからには、それなりの準備もある、数日の猶予を願いたい
「ついては拙者が人質としてここにとどまる所存」半信半疑の忠長も玄叙が
人質になるなら良かろうと信じる気になった。
ところが幾日経っても、城方に降伏の様子は無い、玄叙に問いただしたところ平然と言い放った。
「虚言で日を稼ぎ申した、府内にも毛利勢と四国勢が加わった。お主らに勝ち目は無い
ただちにこの首はねられい」
島津の諸将はいきりたったが忠長が制した。
「玄叙お主の勝ちじゃ、身をもって城を救おうとしたその気概天晴れである。帰るがよい」

日を稼がれた忠長、援軍の援軍の九州上陸を聞き立花城の囲みを解いて撤退を命じた。
それを見た宗茂、ただちに追撃を命じた。篭城50日に及んだ城の重臣達は反対したのだが、
その決意は固かった
「父の仇も報ぜず、母と弟の恥辱もはらさで、このままおめおめと生きながらえておれようぞ、
俺一人でも奴等のあとを追う。斬り死にして、父上に餞せん」
敵が引き返してくることも憂慮されたが、撤退となると島津勢にも戦意が無かった。
翌日、岩屋城の奪還にかかりそれに成功する。

長くなってごめんね




67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 23:43:14 ID:hjmVr/dD
島津忠長、かっこいいな

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/17(日) 01:58:15 ID:/Ntp0T2a
この人、京でさらされた歳久の首を奪い返したりしてるんだよね。


69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/17(日) 02:11:38 ID:WnsQz/Gt
格好いいのには異存はないが、軍を預けちゃダメな人だな。

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/17(日) 03:20:18 ID:AjC8yxWb
>>69
状況的には秀吉の援軍が来るから戦線縮小して防御ラインで迎撃は正しいと思う

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/17(日) 06:25:01 ID:6Xf7WGha
86年8月時点で九州に入った援軍は毛利軍3千人程度で、撤退するほどじゃなかったんだけどな。
宗茂が単独で追撃したのは引き返してこないようにするための戦略的な必要性もあったと思う。

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/17(日) 09:57:22 ID:Cyfiy+Ox
>島津忠長、かっこいいな
同意。
日新おじいちゃんの子供や孫、曾孫には外れがないなあ。


74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/17(日) 10:22:42 ID:/k9lrLQB
量産しているから出来がいいのもいるが、ハズレもかなりいる

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