薄田隼人の最期

2015年03月23日 18:30

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/22(日) 20:09:11.94 ID:Ulg04xYJ
薄田隼人(兼相)は大力の侍であり、備前吉景の大太刀を二尺四寸に摺り上げたものを常に帯びていたが、
これは幅広の大業物であった。
大阪冬の陣の時、薄田はこの刀で3人と渡り合い一人は兜の真っ向を拝み打ちにし、鉄の筋甲を打ち破り
額に二寸切り込んだ。その者は尻からどうと倒れ、死んだ。
もう一人は胴を払って打ち倒し、最期の一人は驚き恐れて逃げ去った。

「後藤合戦記」によると、大阪夏の陣、道明寺口の合戦において、薄田隼人は一隊を率いて、
水野日向守(勝成)の部隊と戦った。ここで薄田の部隊は敗れ、備え乱れ立ち士卒散乱したが、
薄田はその場を一歩も退かなかった。

ここに水野の家人、川村新八郎重長が鑓で薄田に突きかかった。早々槍を合わせ、やがて刀を抜いて撃ち合った。
最期には組み合い、上に下にと揉み合ったが、薄田は刀を取り直して新八郎を突こうとした。

ところが、その刀は幅広であったので、取り回しが自由にならず手間取っていたところに、新八郎が
差添えの小刀を抜いて薄田の鎧の草摺の隙間に突き通した。
そうして弱った所を跳ね返して首を取った。

川村新八郎は敵の大将を打ち取るという抜群の功名により、将軍より直々の感状を頂いた。
新八郎がこの時使った差添えの小刀は、三角の形をした、俗にいう鎧通しというものであった。

(刀剣談)



594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 08:45:16.44 ID:oLBHOIyp
そういえばこの前、室戸岬の「最御崎寺」に行ったら
薄田兼相の塚」ってのがあった
大坂で死んだのになぜ高知にもあるんだろ

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 11:20:55.54 ID:D6tZgQIG
義経がチンカス汗になった伝承みたいなもん

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 11:41:12.46 ID:YJsXjdga
高知県には何と武田勝頼の墓もあるぞ

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 12:41:12.81 ID:cmRBqwym
墓が複数あるのはおかしなことじゃないけどね

伊豆には源満仲の墓がある

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/24(火) 13:38:53.31 ID:2gVgBeY2
青森にはキリストの(wy

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/26(木) 09:26:00.39 ID:FPPR5t8Z
>>596
ワロタw
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薄田兼相、ダイダイ武者異聞

2010年08月05日 00:01

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/04(水) 06:29:25 ID:piXtbFNW
結構有名な逸話なのだが、
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3508.html
まとめに載っていないバージョンを。

兼相が大失態をやらかした後、ある軍議の最中に小姓が兼相の前に来て、橙を差し出したという。
小姓「こちらの橙をどう思いますか?」
兼相「大きくて見事なものだな」
小禿「この橙は見てくれはよいのですが、マズくて食べられたものではありません。
口だけは達者なあなたのようではありませんか」
兼相は、主君の豊臣秀頼も臨席している軍儀の場で大恥をかかされた。
一説には、大野治長の仕掛けた悪ふざけだったとも言う。
以後、「橙武者」と呼ばれた兼相は、道明寺の戦いにて三尺七寸の野太刀をふるって奮戦、討死した。
記録によって細部の違いがあるものの、明らかに討死を求めての出陣であったという。




ダイダイ武者

2010年01月19日 00:06

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/18(月) 21:30:22 ID:RmYbBnhZ
「ダイダイ武者」
大阪冬の陣でのこと、博労ヶ淵の砦を守っていた薄田兼相隊は十一月二十九日の夜
蜂須賀至鎮の奇襲を受け、砦を奪取された。
このとき守将の兼相は遊女屋に泊り込んでいた。
このていたらくに対し、大阪城内の味方から図体は大きいが役に立たない、
柑橘類のダイダイとのあだ名がついた。
これを恥じた兼相、大阪夏の陣では汚名をすすぐため道明寺の戦いで水野勝成軍と壮烈に戦い、
討ち死にしている。
どうでもいいが大野治長の弟、治胤も「ダイダイ武者」と呼ばれている

汚名をそそげた良い話…?




144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/18(月) 21:32:39 ID:RmYbBnhZ
島津家の史書に 「古今東西において、類稀なる働きをした勇士」
と真田信繁や木村重成らと共に評価される働きをして討死した逆襲のオレンジファイターでもある

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/18(月) 21:57:41 ID:hiDLsFAG
大阪方諸将の多くに死に花を咲かせたことで歴史に埋もれることを免れた
という面はあるかも知れない。

御宿政友(勘兵衛)とかもそう。
俺は故郷の近所に地名が残っている(東名裾野IC付近)から知っているけど、
夏の陣が無ければ埋もれてしまったかも。