890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 09:40:31 ID:pS1Uik82
伊予松山を治める事になった松平定行は領内の農民に軍馬の繁殖を委託した。
体高4尺を定尺とし、それを上回る大きな馬には報奨金を払い増産を奨励した。
一方、定尺に満たない小さな馬は、報奨金を払わないかわりに、農民に無償で払い下げられた。
これは日本では例が少ない馬の品種改良であり、松平定行の思惑としては、やがて
大きく逞しい軍馬を量産するつもりだったのだろう。
しかし、農民にとっては、報奨金よりも無償で馬を払い下げられる方がおいしかったらしく、
定尺に満たない小さな馬同士の交配を重ね、最小の和種馬、野間馬になってしまった。
松平定行の思惑とは全く逆の形で品種改良は成功し、野間馬は農民の労働力として
農業が機械化される近代まで大変役に立ったという。
893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 12:20:43 ID:7jV7hz1v
>>890
http://zookan.lin.go.jp/kototen/uma/u324_4.htm
これは小学生にちょうどいい馬だなw
896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 14:27:05 ID:ox20zh/B
そういえば島津貴久が南蛮船との貿易でアラブ馬を輸入・交配させて
品種改良を目論んだらしいが結果どうだったんだろうな
897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 14:41:05 ID:T7HghYfR
>>896
牛だか馬だかよくわからない珍獣になったあげく、第二次大戦中に食われて絶滅しました
898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 16:33:47 ID:TZ+ldNof
城中での控え席・伺候席で大名同士のひどい逸話って意外と少ない?
899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 17:15:07 ID:k+x6AFbH
>>897
うまそーだななんつって
900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 17:53:27 ID:R9FjoilT
>>896
300年後の明治29年発行『大日本馬種略』によれば鹿児島馬は
「稍々小形なれども(中略)頗る亜剌伯純種の風あり」と評されるほど影響を残しているので
どうも江戸時代を通じて定期的にアラブ種の輸入は続けられていたっぽい。
貴久の努力は無駄にはならなかったのだ
901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 20:13:27 ID:H1IUK9/i
トカラ馬とは別物なん?>鹿児島馬
902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 20:38:18 ID:OKUjg8dG
>> 896,900
薩摩藩が編纂した『三国名勝図会』だと
『吉野は異国の種を牧畜す』とあって、今の吉野町で幕末まで
牧畜は行われていたそうな。
あと比志島にも「ジャガタラ牧場」なるものがあるとか。
903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 21:26:26 ID:XXHGKgcu
その割には満州の馬と交配したと言われる南部馬みたいな評判を聞かないなぁ
島津の軍勢で馬の運用が凄かったって話も聞かない
904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 22:41:51 ID:osD3Tp6U
むしろ逆に、もともと運用が低レベルなところが窮余の打開策として
「活躍できないのは馬が悪いからじゃね?品種改良したら一発逆転狙えるんじゃね?」という
パターンもありえる。
伊予松山を治める事になった松平定行は領内の農民に軍馬の繁殖を委託した。
体高4尺を定尺とし、それを上回る大きな馬には報奨金を払い増産を奨励した。
一方、定尺に満たない小さな馬は、報奨金を払わないかわりに、農民に無償で払い下げられた。
これは日本では例が少ない馬の品種改良であり、松平定行の思惑としては、やがて
大きく逞しい軍馬を量産するつもりだったのだろう。
しかし、農民にとっては、報奨金よりも無償で馬を払い下げられる方がおいしかったらしく、
定尺に満たない小さな馬同士の交配を重ね、最小の和種馬、野間馬になってしまった。
松平定行の思惑とは全く逆の形で品種改良は成功し、野間馬は農民の労働力として
農業が機械化される近代まで大変役に立ったという。
893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 12:20:43 ID:7jV7hz1v
>>890
http://zookan.lin.go.jp/kototen/uma/u324_4.htm
これは小学生にちょうどいい馬だなw
896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 14:27:05 ID:ox20zh/B
そういえば島津貴久が南蛮船との貿易でアラブ馬を輸入・交配させて
品種改良を目論んだらしいが結果どうだったんだろうな
897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 14:41:05 ID:T7HghYfR
>>896
牛だか馬だかよくわからない珍獣になったあげく、第二次大戦中に食われて絶滅しました
898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 16:33:47 ID:TZ+ldNof
城中での控え席・伺候席で大名同士のひどい逸話って意外と少ない?
899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 17:15:07 ID:k+x6AFbH
>>897
うまそーだななんつって
900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 17:53:27 ID:R9FjoilT
>>896
300年後の明治29年発行『大日本馬種略』によれば鹿児島馬は
「稍々小形なれども(中略)頗る亜剌伯純種の風あり」と評されるほど影響を残しているので
どうも江戸時代を通じて定期的にアラブ種の輸入は続けられていたっぽい。
貴久の努力は無駄にはならなかったのだ
901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 20:13:27 ID:H1IUK9/i
トカラ馬とは別物なん?>鹿児島馬
902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 20:38:18 ID:OKUjg8dG
>> 896,900
薩摩藩が編纂した『三国名勝図会』だと
『吉野は異国の種を牧畜す』とあって、今の吉野町で幕末まで
牧畜は行われていたそうな。
あと比志島にも「ジャガタラ牧場」なるものがあるとか。
903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 21:26:26 ID:XXHGKgcu
その割には満州の馬と交配したと言われる南部馬みたいな評判を聞かないなぁ
島津の軍勢で馬の運用が凄かったって話も聞かない
904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 22:41:51 ID:osD3Tp6U
むしろ逆に、もともと運用が低レベルなところが窮余の打開策として
「活躍できないのは馬が悪いからじゃね?品種改良したら一発逆転狙えるんじゃね?」という
パターンもありえる。
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