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安土宗論の悪い話

2009年04月05日 00:03

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 16:21:39 ID:0uFjOFfF
天正七年、織田信長は浄土宗と法華宗の宗論を安土城下で行わせた
世に言う安土宗論である

菅屋「いよいよ世紀の対決が始まりました。私、グランプリ奉行の菅屋長頼です。
   さて、浄土代表は玉念。彼は関東からの流れ説法者ですね。
   対する法華側は京の高僧ぞろい…これは法華の有利が予想されます」
因果「いえ、ディベートは浄土宗が押してますよ」
菅屋「あ、副判者の因果居士さん…でも、玉念は言に困っているようですが?」
因果「そんなことありません。あれはコレコレシカジカってことで、浄土側の圧勝なんです」
菅屋「…えーと、そうなんでしょうか。判者の景秀さん、どうなんでしょう?」
景秀「……」
菅屋「おや、音声が…景秀さん!景秀さーん!」
景秀「……」
因果「ああ、駄目ですよ。景秀さんはご高齢で耳が遠いんです。耳元でゆっくり話さないと」
菅屋「…それって、この討論は聞こえてるんでしょうか?」
因果「どうでしょうね、聞こえてないんじゃないでしょうか」
菅屋「……」
玉念「ええいっ、勝った!わしの勝ち!」
菅屋「あーっと?ここで玉念、掟破りの勝利宣言!…あ!これに煽動された群集が法華僧に襲いかかっています!」
因果「これはどう見ても浄土側の圧勝ですね」
菅屋「えー…実に予想外な結末となってしまいました。以上、安土城下よりお伝えいたしました」

その後、信長は玉念に褒美を与えた上、法華側の関係者を処刑した





437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 20:31:57 ID:chOFbbvz
>>433
さて、その法華宗、事が終わった後、今後他の宗派を非難しない旨を記した誓紙を出させられた。
問題は誓紙を出した後。
その文面には「争論に負け申し候」の一文があったのだが、後に法華宗の人々、他にも言葉がいくらでもあったもののよりにもよって「負」と書いてしまったのは失敗であったといたく後悔したのであった。
また、法華宗の往生際の悪さを聞き知った人々は、後々まで笑いものにしたそうな。

法華宗の(往生際と外聞の)悪いお話。

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 20:35:28 ID:8ZqhiiS5
信長は従順な勢力に対しては割と融通無碍な男だよな。

比叡山焼討ちの際は、先立って延暦寺永年の宿敵である園城寺の僧に
「山門腐敗し杉」的なアジ演説をさせて花(?)を持たせたりしている。


445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 13:01:48 ID:4oBo3PM0
>437
ホッケの煮付けはこれだから……
と居酒屋政談してたら怒られた

人気官位「左京大夫」・悪い話?

2009年01月31日 00:08

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/30(金) 21:01:53 ID:IL69i8mZ
戦国大名みんなが勝手に名乗ったり金で買ったりした「官位」
当然官位にも人気不人気がある訳で、みんなが欲しがる官位があった

その一つが「左京大夫」という官
本来は室町幕府の中でも四織家にしか与えられない格式の高い官位。そこら辺の田舎大名には手の届かない高嶺の花だったそうな

ところが・・・

金の力にモノを言わせ、大金積んで無理矢理ゲットしちゃったのがまず大内義興
それを聞いて各地の大名みなビックリ。あいつ四職家じゃないのにカネ払えば貰えるのかよ?と
そこで、アイツが貰えるならオレでもゲット出来るかな?と遠路はるばるやってきたのが伊達稙宗
守護ですら無いのにあっさりゲットだぜ! ・・・朝廷の財政状況がいかに逼迫してたのかが伺える

伊達なんかにくれるならオレにもくれよ!と北条氏綱と武田信虎にも催促されまたもやゲット
その後はどこの馬の骨かも分からん田舎大名にも乱発され、すっかり左京大夫の価値は下がってしまったとさ

■左京大夫に任じられた事のある人たち
大内義興・伊達稙宗・武田信虎・北条氏綱・大内義隆・六角義賢・赤松政村
岩城重隆・大宝寺晴時・結城晴広・大崎義直・大内義長・伊達晴宗・北条氏康
斎藤義竜・三好義継・徳川家康

大宝寺晴時なんて国人レベルなのに貰ってるし




66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/30(金) 21:14:18 ID:sIP6jXrB
>>65
伊達稙宗は
「公家連中にもカネばらまかなきゃいけないし面倒くさいわ~
うちは京から遠いから、宅配で届けてくれるとかしてくれればいいのに」
って言ったんだっけ

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/30(金) 21:19:18 ID:+/vaX38H
>>66
ピザ頼むのとは訳が違うのにw

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/30(金) 21:20:00 ID:dAi7PLlt
>>65
義興様ならしょうがない

70 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/30(金) 21:33:12 ID:pcAVUYEu
>>68
30分以内に官位持ってこないと代金は払わないってかw

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/30(金) 22:54:36 ID:C+qOQxgg
琉球守はいいなあ

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/30(金) 23:18:01 ID:RGCbDxqv
もっと調子に乗って朝鮮守とか名乗る奴がい
荒山徹が大喜びでネタにしてくれただろうに



94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/31(土) 17:32:42 ID:5Hyn5l+g
>>65
稙宗は陸奥守護職なんてものまでゲットしてるもんなぁ


宣教師と僧侶の、やり込めた話などについて・雑談

2009年01月28日 00:05

877 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/27(火) 19:19:04 ID:1M08sK3h
まとめ見て思ったけど民衆が宣教師をやり込めた話はあっても坊さんがやり込めた話ってなくね?

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 19:33:16 ID:WBpi6cut
>877
つ 蓮如(のお文)シリーズ
加賀や越前、吉崎御坊の連中はそりゃもう、すごかったンだから・・らしい

臨済や曹洞の坊さんで立派な人も、有力武将を教育したり文通や問答してる人けっこういたよな。

880 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/27(火) 19:42:33 ID:1M08sK3h
いや、坊さんが宣教師をやり込めた話はないなぁと思って
逆にやりこめられて逆ギレした話はあるけどさ

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 20:16:34 ID:CijNhk+Y
宣教師って話を摩り替えちゃうから困る

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 20:27:37 ID:bOGd/W0d
>>880
この時代は日本全体がキリスト教に対してそれほど警戒していなかった。
キリスト教も、神道の八百万の神々、仏教で言う八万四千の法門の一つで、
教え方は違うが根源である真理は同じと神職、僧ともに考えていたみたいだね。
しかし少し時代が下ると多神教風土の日本とキリスト教の相容れない部分が鮮明化しだす。
この時分になると当時のインテリの重鎮、林羅山みずからキリシタンと論戦して勝利している。
そしてキリシタン弾圧、島原という流れ。
島国根性とか言うが、日本人は外来に寛容。
ただ相手が敵なり工作員だったりする場合、気付くのが遅い・・・・
今もそんなとこあるような

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 20:43:42 ID:jQ+y7nnO
考えてみれば八百万の神と仏教が普通に混在してる宗教観も凄いよね
神道祭祀長である天皇が、上皇になれば出家して法皇とか。親王が座主とか門跡とか。
古代の頃より機会主義的だったということかな

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 21:21:09 ID:bOGd/W0d
>>883
神道、仏教ともに八百万の神々と八万四千の法門という他派を許容する宗風なのであまり不思議ではないような。
機会主義ではなくて神仏習合の考えのもとの共存共栄主義だと思っています。

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 21:28:29 ID:rXHLDhQf
ヒンドゥー教も似たような感じなのかな?

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 22:13:29 ID:u6bganoq
>>877
> まとめ見て思ったけど民衆が宣教師をやり込めた話はあっても坊さんがやり込めた話ってなくね?

当然。なぜなら宣教師が坊さんをやり込めたと言う話は。『100%』宣教師自身の
記録であり、逆に言えば宣教師自身の記録にしかない。
はっきり言えば一方的勝利宣言の記録。

だいたい宣教師の文章は、本国に好印象を持ってもらうためもあって、自分たちの活動を、
何かにつけ大げさに書きすぎている。

逆に日本側には、浄土宗や法華や曹洞宗などの間の宗論の話は残っているが、
キリスト教との宗論の話は、どのような記録にも一切残っていない。

記録がすべて消滅したと言うのは非常に考えにくく、当時のキリシタンには、本格的な宗論を
行えるほどの力はなかったと考えられる。

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 22:29:08 ID:nXzywpnJ
大分、後世になるが江戸時代にシドッチという宣教師が日本に潜入し、捕えられて
新井白石と問答した時に、シドッチが天地創造神話を語ると白石は
「天地万物が神が作ったというなら、その神は誰が作ったのか?」
と問いただし、シドッチもこれには返せなかったらしい

最も白石は神道や仏教の創世神話も信じていなかったようだが、キリスト教のそれは
神道や仏教に劣ると評している

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 22:46:43 ID:jGq4czMg
当時、イエズス会は宗論では苦戦も多かった。
その一方で、坊主どもの堕落不勉強も負けず劣らずなかなかで
結構いけてる時もあった。
信長の出席下の法華宗日乗との論戦は有名、へこまされた日乗が
刀を振り回し暴れ、イエズス会が勝ったことになっている。
負けて信長に首を切られた真言の坊主もいた。

言語の問題が大きかったが、カトリック側のイデオロギー的混乱もあった。
ゼウスを大日如来と訳してしまった当初の混乱、どうも
最初の日本人修道士、アンジロウらしいが。
元琵琶法師ロレンソは、かなり善戦し多くの信者を得たし、信長の
覚えもめでたかった。

神を作った物など存在しない、なぜならば最初の差異を為すものは
言及不可の超越者であり、差異は無限の連鎖を為すのは超越者が存在する証、
という論法ではなかったかいな。

誰か当時の神学に詳しいお方・・・

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 22:52:06 ID:u6bganoq
>>892
> 信長の出席下の法華宗日乗との論戦は有名、へこまされた日乗が
> 刀を振り回し暴れ、イエズス会が勝ったことになっている。
> 負けて信長に首を切られた真言の坊主もいた。

それもイエズス会側の著述にしかない。

だいたい日乗は、その「論戦」なるものがあったと言われる時期以降も
信長に重用されており、信長が、目の前で刀を振り回すような不始末をした人間を
そのまま召し使うとはとても思えない。だいたい刀振り回すような事態になれば
必ず話題になり公家などの日記にも出てきそうなものだが、そういったものも存在しない。

このようにキリスト教側の記録と言うのは、そうとう気をつけて読まないといけないのですよ。

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 23:13:09 ID:jGq4czMg
893>

日乗の件、確かにその点はそうだわいなあ。。日本側からの検証は不能。
ただ江戸時代に膨大な記録が綿密に抹消された可能性はあると思う。

当時のポルトガルがもたらした航海術、天文学、地誌学、
諸々の科学への憧憬とカトリックとが二重に重なり、
仏僧の世俗化にうんざりしていた武士、商人らは
カトリックへの憧憬へと変わったのでは、と一つの仮説だけど。。

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 23:20:23 ID:u6bganoq
>>894
> ただ江戸時代に膨大な記録が綿密に抹消された可能性はあると思う。

そりゃ可能性だけならどんな事でもいえるけど…

だいたい、大量の文章の抹消なんて事をすれば、それは必ず行政措置になり、
文章行政の鬼である徳川幕府にその記録が残らないわけがない。

それにそんな大規模な措置が行われれば、必ず話題になりその事自体が記録に残る。
幕府も私的な日記の類に手を出せるわけじゃない。

そう言う論はたまにあるけど、はっきり言って現実的ではないと思う。

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 23:20:41 ID:28ozKFuN
>>892
信長に重用されて毛利と外交した日乗がそんな醜態さらすとは
俺には思えないんだよねぇ・・・

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 23:26:29 ID:u6bganoq
>>891
> 「天地万物が神が作ったというなら、その神は誰が作ったのか?」

もうちょっと詳しく言うと、白石が言ったのは

「天地万物を創造したデウスがいるというなら、
デウスにもまた必ずこれを造り出した作者がいたはずだ。

デウスが自ら成り出でることができるものならば、
天地もまた自成し得ることに何の不思議もない」

って事だったそうな。

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 23:31:59 ID:nXzywpnJ
>>895
江戸時代とそれ以前の記録量くらべても、前者がその数倍あるという現実
それを見れば「徳川家が都合の悪い記録を抹消している」という気持ちは解る
まぁ、書かなかったという事はあるだろうけど、結局的な抹消作業はねーな

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 23:35:16 ID:u6bganoq
>>898
> 江戸時代とそれ以前の記録量くらべても、前者がその数倍あるという現実

ん?記録量って何の?キリスト教関係の?
どれだけの期間の、何を、何に比べて数倍って事?

大愚と愚堂・いい話

2009年01月24日 00:06

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 15:37:27 ID:srlJWbUo
昔々大愚と愚堂という僧がいた
ある日二人のところに男が訪ねて来た
男は位の高い人物で仏道を学びたいと訪ねて来たのである
そこで愚堂は
「あなたほどの官位の高い人物なら容易に禅を知ることが出来るでしょう」と言った
ところが同席していた大愚がそれを聞き
「(゚Д゚)ハァ?官位は高いかも知れんがこいつは禅について無知無学な馬鹿者だぞ?」と愚堂に言い返した
これが発端になって大愚と愚堂は言い争いになったが訪ねて来た男が仲裁に入り
「あなた方の言い分は良く判りました。私は大愚様を師にしようと思います」
と言い男はその後大愚に教えを請うようになった




651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 19:58:00 ID:tUqSTxrj
>>645
細かいこと言うようだけど大愚宗築と愚堂東寔が諮問を受けたのは
福井藩の松平光通(結城秀康の孫)から

つまりその話ぜんぜん戦国時代の話じゃないぞ

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 20:03:02 ID:srlJWbUo
うげ、マジか
戦国時代の逸話って聞いてたんだが

豊国神社と妙法院・悪い話

2009年01月18日 00:01

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/17(土) 02:42:01 ID:mectA3CS
で政権末期に多くの人に迷惑を掛けた殿下が死後逆に酷いことをされたお話

大坂の陣で豊臣家が滅び、徳川の天下が確立した後、
新時代の覇者家康は旧政権の創始者秀吉を祀った豊国廟を取り壊し、
「豊国大明神」の神号も停止する沙汰を下した
しかし豊国神社の社僧梵舜や高台院の必死の働きかけもあり、
社殿は崩れ次第とされながらも、一応秀吉を祀るための祭祀は続けられることになった
更にそれとは別に家康は豊国神社の麓の妙法院に別途に1000石を寄進し、
天台宗の儀式で定期的に秀吉を弔うことを命じたという

家康が生きていた間は大人しくしていた妙法院だが、彼が死んだ後は
朽ち果てていく豊国神社に残った梵舜を立ち退かせるため、
神社にまで至る山道を封鎖したり、社領に立ち入って樹木を勝手に切り倒すなど
狼藉の限りを尽くした妙法院の僧侶たち
耐えかねた梵舜が幕府に妙法院の非道を訴えるが、
既に妙法院から根回しを受けた幕閣から逆に豊国神社からの退去まで命じられる始末
哀れにも梵舜は豊国神社から追い出され、豊国廟と方広寺の広大な敷地が丸々妙法院のものになったとさ


501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/17(土) 02:43:39 ID:mectA3CS
それで妙法院が家康の命令どおり、きちんと秀吉を祀るための
祭祀を継続してればまだ秀吉や梵舜も浮かばれたかもしれない
しかし妙法院が秀吉をきちんと弔ったのは、記録に残ってる限り秀吉の五十回忌が最初、
その後五十年後の百回忌は一応行われたものの、次の百五十回忌は何故か取りやめになるという始末
元から秀吉のことを真面目に祀る気など更々なかった妙法院が興味を示したのは、
豊国神社の広大な社領とそこに保管された秀吉の遺産だったというわけ

当時は1000品を超えたとされる秀吉の遺品も、明治の世になって新政府が数えた際に
残っていたのはわずか数十品、殆ど全てがその時々の門主によって売りさばかれていたのだった
その中に国宝ポルトガル国印度副王親書が有ったことを考えれば、
妙法院から流出した秀吉の遺宝がどれほどの価値が有ったか想像もつかないほど

明治時代になって妙法院が横領した豊国神社の社領は神仏分離令に従い、
再建された豊国神社に数百年ぶりに返還されることになった
だが遺品は現在でも妙法院の財産とされ、妙法院が管理している
ちなみに妙法院がその違宝を見に来た観光客向けに発行している小冊子には、
「太閤秀吉の死後、彼の遺宝の一切が妙法院に 寄 託 された」と書いてある
反面明治政府による廃仏毀釈では全く非のない妙法院が政府の非道により土地を奪われたみたいな書き方
廃仏毀釈は多くの寺院に損害を与えたが、殊妙法院に限っては余り同情できないと思う




503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/17(土) 02:46:52 ID:zxy5hOHw
それで家光が「もう反乱もないだろうし豊国神社再建しようか」って言ったとき、反対したのか!

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/17(土) 03:36:55 ID:Te36QeYL
>>501
ほほうずいぶんお詳しい


505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/17(土) 03:54:05 ID:jIYm5EaW
>>501
これはこれで酷い話だな

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/17(土) 03:56:33 ID:/+4hEgOH
>>501
こんな生臭坊主ばっかりだったら、そりゃ温厚な信長さんもキレちゃうよね

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/17(土) 04:06:25 ID:q8j7U7XH
江戸時代に入っても、寺院がらみの醜聞や喧嘩沙汰はかなり多い
行政機関に組み込まれたせいで、文書にきっちり記録されたせいもあるだろうが
山寺立石寺では僧侶同士の殺人事件まで起きてる

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/17(土) 04:14:01 ID:zy+ivxVr
山寺でそんなことが…
あそこに行くとたまこん食わずにはいられない

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/17(土) 09:43:01 ID:CReAlyns
フロイスが、日本の僧侶は驚異的に腐敗しておる、といったのは
的外れではなかったと。
国王が中世の権力機構として解体したのは、西洋でも一緒だったけどね。

江戸に行かせて下さい・悪い話

2009年01月07日 00:06

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/06(火) 16:22:30 ID:eJwug9YJ
元和二年(1616)、徳川家康が没すと、京の朝廷において、ちょっとした騒ぎが起こった。
公家達が一斉に、

「関東に下向するので休暇をください!」

と、言い出したのである。そのあまりの多さに朝廷では、「初めて下向する者はともかく、
たびたび関東に下向したいる者はくじ引きにしろ!」との仰せを出す始末。

時の帝、後水尾天皇も不審に思い、大納言広橋兼勝に、公家達が下向を望む理由を
提出させた。

その折の、山科言緒の理由書

『もちろん御代替の祝儀もありますが、幕府のほうからも装束について色々相談したい事があるって
言ってきていますし、何より新しい知行地も下さるって事なんすよ!そりゃあ行かなきゃ!
私が江戸に立っても息子の言総がいるので大丈夫です。今病気だけど。
ま、回復したらちゃんと出仕するでしょ。

そんなわけで江戸下向の許可、ヨロシク!』

この言緒の下向、なんと許可された。



35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/06(火) 16:50:57 ID:EcWrSsiy
>今病気だけど。
久々に唾飛ばして噴いたw

らき☆すただけじゃない鷲宮神社・いい話

2009年01月04日 00:05

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 21:26:40 ID:pCwaVxZQ
今やらき☆すたで有名な鷲宮神社。
今年もたくさんの参拝客が詰め掛けているようですね。

ところでこの鷲宮神社、室町から戦国時代は、鎌倉、古河公方の祈願所となるなど
関東諸侯の尊崇を集め、また、この神社は鷲宮城とも呼ばれ、独立した諸侯として忍の成田氏などと同盟し、
上杉謙信の軍と闘うなど活発に活動しておりました。

さて、そんな鷲宮神社に残る戦国時代の文章で、日本史上大変に貴重なものがあります。
それは小田原北条氏五代当主・北条氏直からの、鷲宮神社へのお礼状

「そちらで取れた鮭や鯉を送っていただき、ありがとうございました。」

そう、これこそこの時代、古利根川まで鮭が遡上していた証拠であり、日本の気候変動を
考察する上での重要な記録なのです。


ちなみのこの鷲宮神社、社格の高さを表すものとしては、徳川家康が関東に入った際、
ここの社領として、四百石を寄贈しており、これは家康領内においては大國魂神社の五百石に次ぐ、
2番目の規模でした。

鷲宮神社に参拝する皆さん、らき☆すたもいいですが、こんな歴史にも少し、心を傾けてみるもの
いかがでしょうか?



773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 21:30:42 ID:F6rWKOJX
ほう、鮭とな?

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 21:34:36 ID:Lb0dpe2I
>>773
鮭に食いつくなよw


776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 22:16:35 ID:HYpPB+k9
>773=鮭様

鷲宮神社は桜が綺麗だよなぁ…

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 22:31:16 ID:TkmuVmK+
>>772
やっぱり近所にある神社にある神社が一番身近に歴史を感じさせる物じゃなかろうか。
こういう話はいいなぁ。

興福寺のサイドビジネス・悪い話

2008年10月16日 12:49

556 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/09(木) 21:56:55 ID:7l5IqVQc
応仁の乱が終わっても、大和は両畠山氏の争いが続き、いつ果てるともない戦乱の只中にあった。
そんな中、奈良の町に大規模な土一揆が迫っているという情報が入ってきた。
このままでは奈良は略奪の憂き目に会う。町衆は急遽、大和の領主と言うべき興福寺に相談をしに行った。
彼らに対し興福寺は…



「実費と仲介手数料払えば、鎮圧してくれそうな国人紹介するよ?」



こうして大和の国人古市氏が出動し、一揆は無事鎮圧された。
奈良の町から古市氏に700貫文、興福寺に300貫文。
意外な戦国のサイドビジネスであった。



560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/09(木) 23:38:23 ID:yIG62fU4
>>556
もう仕事デスカラーって感じだな。

大内と尼子、そして毛利と厳島神宮

2008年10月16日 12:38

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/01(水) 12:46:27 ID:3Kqw5GDY
戦争と神様と

尼子氏による毛利吉田城攻め

尼子の大軍が毛利のゲリラ戦に悩まさせる中城下へと迫り、
一方陶隆房率いる大内の援軍が岩国に集結、この緊迫した状況の中
彼らによるもう一つの戦いが、同じ安芸の国で進行していた。

安芸の国一の宮、厳島神宮外宮宝殿の、遷宮式が迫っていたのだ。

大内義隆、陶隆房はいち早くこれに資金を奉幣。負けじと尼子晴久も多胡辰敬を派遣し神楽銭を持参、
毛利元就は吉田城にやってきた厳島の神官に、討ち取った尼子方の首数十をずらりと並べて見せて
「これこそ厳島大明神のご加護でござる」と、遷宮への協力を表明、

戦乱の真っ最中の遷宮式は、大内、尼子、毛利が、お互いの影響力を見せ付けあう奉幣合戦となった。

戦国の世は、神様の領域でも戦っていた、と言うお話




457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/01(水) 22:39:50 ID:5T5mXeOw
各地の有力神社も私兵抱えて武装してたからなあ・・・
寺は僧兵だけど神社はなんていうんだろう

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/02(木) 02:37:16 ID:XzhRekiF
>>457
「神人(じにん)」
ただし軍事専門ってわけじゃなく、雑役一般をこなす。

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/02(木) 09:49:30 ID:poFKyEd/
ゴッドマーン!

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/02(木) 10:18:25 ID:5phBNVhW
地球が危ない♪

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/02(木) 13:42:41 ID:cF3xEyUH
お前が危ないよなw

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/02(木) 17:16:12 ID:EzLelDAc
急いでこーい

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/02(木) 19:23:21 ID:nl2yFVyt
マッガーレ

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/02(木) 21:56:19 ID:YpnXApUI
マッナーガ

比叡山、北谷と南谷の稚児・いい話?

2008年10月16日 10:36

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/25(金) 19:45:48 ID:v5dv92iE
訓練された男色家たちの集まる比叡山。そこで、「雪のようだ」と形容される、ショタ系の稚児の集まる
北谷のファンと、「花のようだ」と形容される、セクシー系の稚児の集まる南谷のファンが、好きが高じて
お互いを罵り始め大論争、ついに比叡山全山が二派に別れ、武器を持ち出しての戦騒ぎになった。
これにあわてた比叡山指導部、西三条逍遥院を呼んで和解を仲介してもらう。

逍遥院「雪も花も、どっちもうつくしいじゃないか」と、みつをみたいな説得。
これに何故か納得した双方、兵を引く。




587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/25(金) 22:53:11 ID:vZXrVNwj
のちにnbngに放火壊滅させられる割には暇そうな比叡山w

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/26(土) 01:06:54 ID:b8hmuUF0
>>587
こんな状態だから何の遠慮も、躊躇もなく焼かれたんじゃないかw

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/26(土) 04:16:25 ID:3924AfUh
信長好みのガチムチ系がいれば焼かれなかったのに・・・

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/27(日) 14:11:58 ID:bxkD3ohp
その息子の信雄は信孝と一緒に高野聖をひっ捕らえて処刑する現場に立ち会っていたが、
一人好みの少年がいたので助命して信孝に嘲笑されたという。

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/07/27(日) 14:27:32 ID:6ipNAtdL
>>586-890

おまいら、信玄公の下へ帰って来い
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1185534039/