亀田高綱、普請の石垣が崩れたことに

2010年01月23日 00:14

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 23:43:43 ID:5vF8nonj
大坂の役も終わった元和の頃のこと。

浅野家の家老亀田高綱と言えば、小田原、朝鮮、関ヶ原、大阪で活躍した、当時有名な武勇の者であり、
彼のフクロウの鞘の十文字槍は、知らぬものの無かったほどであった。

さて、江戸城の石垣の普請が浅野長晟に命ぜられ、亀田高綱がその総奉行となった。
ところがこの浅野家が担当した石垣、工事中に崩れてしまった。しかも、二度。

将軍、徳川秀忠が普請場を巡検した際、奉行の亀田を召し出して尋ねた。「どういうわけでここの石垣は
こうも度々崩れるのか?」

亀田、これに

「私がフクロウの十文字槍を持ってすれば、備(戦国期の軍隊の作戦単位)であれば一度たりとも
崩れることはありません!ですが…、
残念ながら石には心が無く、私のそう言う頼もしさがわかりませんようで、
まったく仕方の無いことでございます。」

と、自慢なんだか言い訳なんだか、良くわからないことを言ってその場を収めた。

そんな亀田であったが、この普請がどうにか完成すると、秀忠より「骨折り、ご苦労であった」と
馬が下された。その馬は鹿毛のまだらであったのだが、亀田はこの馬を見るや、
土井利勝の家臣、品川弥五左衛門に言った

「チェンジ!」

「せっかく頂いた御馬ではあるが、まだらでかっこ悪い!これ以外ならどんなのでもいいから
とにかく交換して!」
品川、これを土井利勝に報告すると、利勝は「しょうがないなあ」と苦笑い。
新たに別の馬を下げ渡すようにした、とのことである。

ちなみにこの亀田高綱さん、
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-114.html
↑この件で上田宗箇にかなり腹を立て、それが遠因になって浅野家を出奔、紀伊に隠棲することに
なるのだが、その後も「亀田大隅一代働覚」「泉州樫井表合戦次第覚書」といった、ぶっちゃけ
自分の武功を自慢する本を著すなど、実に元気に隠居生活を過ごした模様。

なんというか、この時代の武辺者はとにかく面の皮が厚くてめんどくさいのだ。と言うお話。




906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 00:19:21 ID:bJuK72vR
そもそも上田重安は普通に槍働きで万石取りなった人なのに
何故そこまで侮るのかってのがよく解らんよねw

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 00:49:47 ID:StUnpmmR
相手の武功を知ってる小人物は張り合う気持ちから今零落してるのを過剰に馬鹿にする
知らん連中は…福島家の重臣たちを馬鹿にする若衆みたいなもんでしょ。

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 09:59:14 ID:qo1/Bypk
加賀百万石ならともかく、3、40万石程度の大名家での1万石だからな。
むしろいろいろ言われない方がおかしいというもの。

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