234 名前:(1/2)[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 19:40:42 ID:aGGyzyi9
>>214の続きというか、もうひとつの脱出劇。
長いのでめんどい人はスルーでどうぞ。
大八丸救出
阿菖蒲姫の大阪からの救出でひと芝居うった伊達側であるが、
真田の息子である大八丸の救出はさらに困難を極めた。
何故なら、すでに徳川方の探索網に引っかかり、
母親の大谷氏共々捕縛されていたからである。
当然ながら、真田の血筋、特に男子は根絶やしにするべきだと、
すぐにも打ち首にしようとの話が持ち上がった。
だがここで、政宗が横槍を入れる。
「別に打ち首の決定には反対はしない。
だが4つの子供なんて、まだ乳飲み子じゃないか。
そんな子供の首が刀で切れるだろうか?
せめて乳離れして、首の骨が固まる5つになるまで、待ってやったらどうか」
これに秀忠が賛同したので、大八丸は一年だけ延命されることになる。
とはいえ、打ち首の決定は覆るわけではない。
母親の大谷氏は髪を落として尼になり、大八丸と共に
京都知恩院の尼寺に篭った。
この寺周辺には徳川の警戒網が敷かれ、
特に九度山にいる真田信繁を大阪城へ入れるなと厳命されていたにも拘らず、
まんまと警戒網をくぐられて大阪城へと入られてしまったという「前科」がある浅野長晟隊は、
面子にかけても失敗するわけには行かない。
そんな尼寺に、一人の尼僧が入っていた。
見目も麗しく、立ち居振る舞いも気品がある尼僧は、
夏の陣で死亡した夫の菩提を弔うと言って寺に入ったのであるが、
生来の子煩悩だったのか、大八丸とすっかり仲良くなり、
まるで母子同然のように、楽しげに遊ぶ姿が垣間見られたという。
流石の徳川方の警備の者も、その光景には涙を誘われた。
さて、そんな日々も足早に過ぎ、とうとう大八丸は5つになる年を迎える。
元和二年五月五日、この日京都の加茂河原で、子供達が印字打ちに興じていた。
この印字打ち、雪合戦の石バージョンとでも言おうか、
二手に分かれて集団で石をぶつけ合うという、実に危険この上ない遊びだった。
すっかり廃れてしまったが、戦国の子供らには人気があったらしい。
この子供達の印字打ちも、徳川方の監視がつけられていた。
何故なら、大八丸も参加していたからである。
異変は、石合戦が終わった後に起こった。突然、大八丸の母親の大谷氏の、
凄まじい号泣が河原に響いた。
「何事か!」
慌てた監視の者達が河原に下りてみると、
そこにはすでに冷たくなった子供の遺体をかき抱いて号泣する、
大谷氏の姿があった。
慌てた監視の者達は、将軍家や自分達の主君・浅野邸に知らせに走るなど、大騒ぎになる。
半狂乱になって泣き続ける大谷氏から子供の遺骸を取り上げてみれば、
顔は酷く腫れあがり、二目と見られぬ顔になっていた。
「印字打ちの石の総攻撃を受けたに違いない!」
大八丸、刑場の露と消える前に事故で死す……この知らせはすぐに幕府に届き、
正式に検死が行われ、大八丸の死は確定した。
高野山蓮華院の記帳に「大八丸五月五日、加茂河原の印字打ちにて御死去賜う」とある。
そんな大騒ぎの最中。
あの、大八丸と仲の良かった美しい尼僧が、
ひっそりと姿を消していたのを、気付いた者はいなかった。
235 名前:(2/2)[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 19:43:34 ID:aGGyzyi9
それからしばらく後。
奥州刈田郡白石の小原温泉郷の河原で、川遊びに興じている母子の姿があった。
母親と見られる女は、まだ髪が伸びきっていない。
子供の顔は母親とあまり似ていない。
……そう、あの尼寺にいた美しい尼僧と、死んだはずの大八丸である。
この尼僧、正体は「お麻紀の方」と呼ばれる、政宗の側室だった女性である。
政宗の寵愛深かったが、残念ながら子供に恵まれなかった。
政宗はそんなお麻紀の方を哀れに想い、将来を案じていたのだという。
大八丸の処刑に横槍を入れて稼いだ、一年の猶予。
これを使い、政宗は子供を欲しがっていたお麻紀の方を、尼僧に仕立てて尼寺へ送り込み、
大八丸を手なずけ、まんまと仙台へと連れて帰ったのだ。
では、印字打ちで死んだ子供は一体誰か。
これは同じ頃に伊達家中で、はしかで亡くなった子供だと言う。
死んだ子供の顔は熱で膨らんで、一見石打で死んだのと判別がつかない。
しかも子供の顔は成長につれて変わるから、他人には更にわからなくなる。
そこで子供の遺体に大八丸の着物を着せて、
大谷氏にひと芝居うってもらったのであった。
こうして伊達家と片倉家に保護された、阿梅や阿菖蒲、大八丸ら真田信繁の子供達は、
片倉家の身内として遇されて養育され、
大八丸は元服すると片倉久米ノ助を名乗り、
食客扶持一千石の破格の待遇を与えられた。
大八丸もこれに応えて忠勤に励み、その血筋は仙台真田家となる。
(ただし真田姓に復するのは、約百年の時を待たねばならない)
大八丸救出に一役買ったお麻紀の方は、
終生大八丸の育ての親として、その傍らにあったという。
236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 19:47:31 ID:32xgQdvm
>>234-235
芸が細かいなあ
237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 20:29:42 ID:RouLmvBu
いかにも伝説じみているけど、こういう話好きよ~
238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 20:58:45 ID:JRHDzDbd
新人物往来社の『伊達政宗と片倉小十郎』内の文章と
激しく似てるんだが・・・・引用?
239 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/22(金) 21:38:16 ID:XUcHJsy4
伊達家のすることはいちいち手が込んでるなwww
240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 22:20:58 ID:yZRXBJgI
伊達政宗┌伊達忠宗─田村宗良
├──┘
┌田村清顕─愛姫
│
└田村氏顕─田村宗顕─片倉定広
│
真田信繁─阿菖蒲姫
こんな感じ。(関連:http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2448.html)
241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 22:37:37 ID:fPeLY/OY
末裔が湾岸戦争時に在イラク大使だったんだよね
242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 23:23:19 ID:ogY8sp1n
事の真偽はさておき、政宗が嬉々として計画立ててそうな話
243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 23:25:36 ID:OV0SG0Bw
>>241
http://www.geocities.jp/ryuryuiso/Research/BunkaToSeiji/Iraku-Katakura.html
片倉サンだね。
>>214の続きというか、もうひとつの脱出劇。
長いのでめんどい人はスルーでどうぞ。
大八丸救出
阿菖蒲姫の大阪からの救出でひと芝居うった伊達側であるが、
真田の息子である大八丸の救出はさらに困難を極めた。
何故なら、すでに徳川方の探索網に引っかかり、
母親の大谷氏共々捕縛されていたからである。
当然ながら、真田の血筋、特に男子は根絶やしにするべきだと、
すぐにも打ち首にしようとの話が持ち上がった。
だがここで、政宗が横槍を入れる。
「別に打ち首の決定には反対はしない。
だが4つの子供なんて、まだ乳飲み子じゃないか。
そんな子供の首が刀で切れるだろうか?
せめて乳離れして、首の骨が固まる5つになるまで、待ってやったらどうか」
これに秀忠が賛同したので、大八丸は一年だけ延命されることになる。
とはいえ、打ち首の決定は覆るわけではない。
母親の大谷氏は髪を落として尼になり、大八丸と共に
京都知恩院の尼寺に篭った。
この寺周辺には徳川の警戒網が敷かれ、
特に九度山にいる真田信繁を大阪城へ入れるなと厳命されていたにも拘らず、
まんまと警戒網をくぐられて大阪城へと入られてしまったという「前科」がある浅野長晟隊は、
面子にかけても失敗するわけには行かない。
そんな尼寺に、一人の尼僧が入っていた。
見目も麗しく、立ち居振る舞いも気品がある尼僧は、
夏の陣で死亡した夫の菩提を弔うと言って寺に入ったのであるが、
生来の子煩悩だったのか、大八丸とすっかり仲良くなり、
まるで母子同然のように、楽しげに遊ぶ姿が垣間見られたという。
流石の徳川方の警備の者も、その光景には涙を誘われた。
さて、そんな日々も足早に過ぎ、とうとう大八丸は5つになる年を迎える。
元和二年五月五日、この日京都の加茂河原で、子供達が印字打ちに興じていた。
この印字打ち、雪合戦の石バージョンとでも言おうか、
二手に分かれて集団で石をぶつけ合うという、実に危険この上ない遊びだった。
すっかり廃れてしまったが、戦国の子供らには人気があったらしい。
この子供達の印字打ちも、徳川方の監視がつけられていた。
何故なら、大八丸も参加していたからである。
異変は、石合戦が終わった後に起こった。突然、大八丸の母親の大谷氏の、
凄まじい号泣が河原に響いた。
「何事か!」
慌てた監視の者達が河原に下りてみると、
そこにはすでに冷たくなった子供の遺体をかき抱いて号泣する、
大谷氏の姿があった。
慌てた監視の者達は、将軍家や自分達の主君・浅野邸に知らせに走るなど、大騒ぎになる。
半狂乱になって泣き続ける大谷氏から子供の遺骸を取り上げてみれば、
顔は酷く腫れあがり、二目と見られぬ顔になっていた。
「印字打ちの石の総攻撃を受けたに違いない!」
大八丸、刑場の露と消える前に事故で死す……この知らせはすぐに幕府に届き、
正式に検死が行われ、大八丸の死は確定した。
高野山蓮華院の記帳に「大八丸五月五日、加茂河原の印字打ちにて御死去賜う」とある。
そんな大騒ぎの最中。
あの、大八丸と仲の良かった美しい尼僧が、
ひっそりと姿を消していたのを、気付いた者はいなかった。
235 名前:(2/2)[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 19:43:34 ID:aGGyzyi9
それからしばらく後。
奥州刈田郡白石の小原温泉郷の河原で、川遊びに興じている母子の姿があった。
母親と見られる女は、まだ髪が伸びきっていない。
子供の顔は母親とあまり似ていない。
……そう、あの尼寺にいた美しい尼僧と、死んだはずの大八丸である。
この尼僧、正体は「お麻紀の方」と呼ばれる、政宗の側室だった女性である。
政宗の寵愛深かったが、残念ながら子供に恵まれなかった。
政宗はそんなお麻紀の方を哀れに想い、将来を案じていたのだという。
大八丸の処刑に横槍を入れて稼いだ、一年の猶予。
これを使い、政宗は子供を欲しがっていたお麻紀の方を、尼僧に仕立てて尼寺へ送り込み、
大八丸を手なずけ、まんまと仙台へと連れて帰ったのだ。
では、印字打ちで死んだ子供は一体誰か。
これは同じ頃に伊達家中で、はしかで亡くなった子供だと言う。
死んだ子供の顔は熱で膨らんで、一見石打で死んだのと判別がつかない。
しかも子供の顔は成長につれて変わるから、他人には更にわからなくなる。
そこで子供の遺体に大八丸の着物を着せて、
大谷氏にひと芝居うってもらったのであった。
こうして伊達家と片倉家に保護された、阿梅や阿菖蒲、大八丸ら真田信繁の子供達は、
片倉家の身内として遇されて養育され、
大八丸は元服すると片倉久米ノ助を名乗り、
食客扶持一千石の破格の待遇を与えられた。
大八丸もこれに応えて忠勤に励み、その血筋は仙台真田家となる。
(ただし真田姓に復するのは、約百年の時を待たねばならない)
大八丸救出に一役買ったお麻紀の方は、
終生大八丸の育ての親として、その傍らにあったという。
236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 19:47:31 ID:32xgQdvm
>>234-235
芸が細かいなあ
237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 20:29:42 ID:RouLmvBu
いかにも伝説じみているけど、こういう話好きよ~
238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 20:58:45 ID:JRHDzDbd
新人物往来社の『伊達政宗と片倉小十郎』内の文章と
激しく似てるんだが・・・・引用?
239 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/22(金) 21:38:16 ID:XUcHJsy4
伊達家のすることはいちいち手が込んでるなwww
240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 22:20:58 ID:yZRXBJgI
伊達政宗┌伊達忠宗─田村宗良
├──┘
┌田村清顕─愛姫
│
└田村氏顕─田村宗顕─片倉定広
│
真田信繁─阿菖蒲姫
こんな感じ。(関連:http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2448.html)
241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 22:37:37 ID:fPeLY/OY
末裔が湾岸戦争時に在イラク大使だったんだよね
242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 23:23:19 ID:ogY8sp1n
事の真偽はさておき、政宗が嬉々として計画立ててそうな話
243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/22(金) 23:25:36 ID:OV0SG0Bw
>>241
http://www.geocities.jp/ryuryuiso/Research/BunkaToSeiji/Iraku-Katakura.html
片倉サンだね。
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