214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 21:58:32 ID:PNlxEd0L
阿菖蒲姫救出
大阪夏の陣が終わって十日ほど後の事。
世間は残党狩りが激しく行われており、
捕まった者は男女、年齢に関わらず首をはねられるなどの厳しい処遇が待っていた。
街道や国境には徳川の検問が設けられ、通行する者は厳しく検分された。
そんな中、馬に引かせた荷駄車が数台、検問に差し掛かった。
車の上には竹駕篭が設えられており、日よけの幌もかぶせてある。
中にはどうも人がいる様子だ。
あからさまに怪しすぎるが、この荷駄車には旗がつけられていた。
竹に雀。そう、所謂伊達家の家紋である。馬印も同じであった。
不審に思った役人たちは、この荷駄車を調べることにした。
「伊達家中とは重々承知であるが、役目であるゆえ吟味いたす。
この大籠は何か、してどちらへ参られるか」
この一隊を指揮していたのは、伊達家家臣・片倉小十郎の配下の野田伝八郎。
「この度の合戦で負傷した者達を仙台へ運び、療養させるのでござる」
彼は将軍直々のお墨付き手形と、政宗の花押の書付を所持していた。
しかし、こんなに荷駄車をいくつも連ねた仰々しい隊列は珍しい。
「それでは少し、中を拝見させていただきたい」
「ごもっともでござる、どうぞご覧くだされ」
野田は快諾すると、部下に命じて幌を上げさせた。
中には、身体をサラシで巻いた者、腕を縛った者。
あるいは腕を失った者、両足を失った者……身動きできない負傷者ばかりである。
「これは失礼した、結構でござる」
「いやいや。大阪方の残党狩りは厳正にやらねばならぬと、我君も仰せでござった。
どうぞどうぞ、さあ遠慮なく」
と。乗り気でない役人を小突くようにして、すべての荷駄車を開けさせた。
やはり中には、目を背けたくなる負傷者ばかり。
この話はすぐに評判となり、伊達の荷駄車一隊は関所につくたびに
「此度の合戦、ご苦労でござった、吟味は不要でござる」と、
フリーパス状態で通れるようになってしまった。
そうして辿り着いた伊達領、一山越えた頃。
急に乗っていた負傷兵たちが、次々荷駄車を降り出した。
目を負傷していたものは見えるようになり、
腕がなかったはずのものは腕が「生え」。
みなピンシャンとして動き出したのである。
そしてその中に、一際小柄な、そして一際重傷そうな者がいた。
顔がわからぬほどに布を巻かれ、腕をなくした大柄な武士が片時も離れずついていた。
その小さな負傷者もまた荷駄車を降りると、
やはり新しく腕が生えてきた付き添いの武士が、巻かれていた布を取り去った。
中からは緑の黒髪と、まだ幼い少女の顔が覗く。
「さぁ阿菖蒲さま、仙台に着きましたぞ、ここまでくれば安心でござる……」
そう、その小柄な武士は実は、真田信繁の娘の阿菖蒲だった。
年は当時、八~十歳というところ。
伊達軍によってカムフラージュされ、密かに大阪から脱出したのである。
その場には護衛のついた女駕篭が用意されていて、すぐにそれに乗り込むと、
姉が先に保護ざれているはずの白石へと向かったのだった。
(片倉家に伝わる話だと、この時「おかね」という娘も一緒に保護されている)
その後、阿菖蒲は愛姫実家である田村家の嗣子で、
伊達家家臣の田村定広(後、喜多の名跡を継いで片倉金兵衛)に嫁ぎ、
その墓は今でも白石市にある。
215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 22:29:08 ID:7jV7hz1v
>>214
姫一人のためにそこまでやったのか。
演出上手な伊達家らしいと言えばらしいな。
でも、数え年8歳の姫を、見知らぬ屈強な男たちと一緒に、荷馬車に放り込むなんて・・・
姫は不安にならなかったのかな?
216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 22:36:56 ID:Tt4fCfz9
>>215
命あっての事だ
真田の娘なら覚悟は出来ていただろう
217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 22:52:37 ID:Zk3xQXIe
>>214しっかり自分の子孫を残す方策を講じているあたり
真田らしいしたたかさを感じる
関連
大八丸救出
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3535.html
阿菖蒲姫救出
大阪夏の陣が終わって十日ほど後の事。
世間は残党狩りが激しく行われており、
捕まった者は男女、年齢に関わらず首をはねられるなどの厳しい処遇が待っていた。
街道や国境には徳川の検問が設けられ、通行する者は厳しく検分された。
そんな中、馬に引かせた荷駄車が数台、検問に差し掛かった。
車の上には竹駕篭が設えられており、日よけの幌もかぶせてある。
中にはどうも人がいる様子だ。
あからさまに怪しすぎるが、この荷駄車には旗がつけられていた。
竹に雀。そう、所謂伊達家の家紋である。馬印も同じであった。
不審に思った役人たちは、この荷駄車を調べることにした。
「伊達家中とは重々承知であるが、役目であるゆえ吟味いたす。
この大籠は何か、してどちらへ参られるか」
この一隊を指揮していたのは、伊達家家臣・片倉小十郎の配下の野田伝八郎。
「この度の合戦で負傷した者達を仙台へ運び、療養させるのでござる」
彼は将軍直々のお墨付き手形と、政宗の花押の書付を所持していた。
しかし、こんなに荷駄車をいくつも連ねた仰々しい隊列は珍しい。
「それでは少し、中を拝見させていただきたい」
「ごもっともでござる、どうぞご覧くだされ」
野田は快諾すると、部下に命じて幌を上げさせた。
中には、身体をサラシで巻いた者、腕を縛った者。
あるいは腕を失った者、両足を失った者……身動きできない負傷者ばかりである。
「これは失礼した、結構でござる」
「いやいや。大阪方の残党狩りは厳正にやらねばならぬと、我君も仰せでござった。
どうぞどうぞ、さあ遠慮なく」
と。乗り気でない役人を小突くようにして、すべての荷駄車を開けさせた。
やはり中には、目を背けたくなる負傷者ばかり。
この話はすぐに評判となり、伊達の荷駄車一隊は関所につくたびに
「此度の合戦、ご苦労でござった、吟味は不要でござる」と、
フリーパス状態で通れるようになってしまった。
そうして辿り着いた伊達領、一山越えた頃。
急に乗っていた負傷兵たちが、次々荷駄車を降り出した。
目を負傷していたものは見えるようになり、
腕がなかったはずのものは腕が「生え」。
みなピンシャンとして動き出したのである。
そしてその中に、一際小柄な、そして一際重傷そうな者がいた。
顔がわからぬほどに布を巻かれ、腕をなくした大柄な武士が片時も離れずついていた。
その小さな負傷者もまた荷駄車を降りると、
やはり新しく腕が生えてきた付き添いの武士が、巻かれていた布を取り去った。
中からは緑の黒髪と、まだ幼い少女の顔が覗く。
「さぁ阿菖蒲さま、仙台に着きましたぞ、ここまでくれば安心でござる……」
そう、その小柄な武士は実は、真田信繁の娘の阿菖蒲だった。
年は当時、八~十歳というところ。
伊達軍によってカムフラージュされ、密かに大阪から脱出したのである。
その場には護衛のついた女駕篭が用意されていて、すぐにそれに乗り込むと、
姉が先に保護ざれているはずの白石へと向かったのだった。
(片倉家に伝わる話だと、この時「おかね」という娘も一緒に保護されている)
その後、阿菖蒲は愛姫実家である田村家の嗣子で、
伊達家家臣の田村定広(後、喜多の名跡を継いで片倉金兵衛)に嫁ぎ、
その墓は今でも白石市にある。
215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 22:29:08 ID:7jV7hz1v
>>214
姫一人のためにそこまでやったのか。
演出上手な伊達家らしいと言えばらしいな。
でも、数え年8歳の姫を、見知らぬ屈強な男たちと一緒に、荷馬車に放り込むなんて・・・
姫は不安にならなかったのかな?
216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 22:36:56 ID:Tt4fCfz9
>>215
命あっての事だ
真田の娘なら覚悟は出来ていただろう
217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 22:52:37 ID:Zk3xQXIe
>>214しっかり自分の子孫を残す方策を講じているあたり
真田らしいしたたかさを感じる
関連
大八丸救出
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