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例の猩々緋よ、唐冠よ

2019年03月11日 17:14

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/11(月) 09:25:27.29 ID:rW6/n506
摂津半国の主であった松山新介(重治)の家臣である中村新兵衛は度々の手柄を顕した勇将であり、
時の人は彼を「鑓中村」と号して、武者の棟梁と讃えた。

彼は戦場において、羽織は猩々緋、兜は唐冠に金纓を用いていた。敵はこれを見ると「すわ、
例の猩々緋よ、唐冠よ!」と、戦う前から敗れ、あえて向かい近づく者も無かった。
ところがある人が、中村にこの羽織と兜を強いて所望し、彼はこれを与えた。

その後戦場に臨んだ時、敵は中村の羽織と兜を見なかった。これ故中村の部隊に対し
競いかかって切り崩しに来た。中村は鑓を振るって敵を多く殺したが、中村が居ると知らない
敵はこれを恐れず次々と向かって来、彼は遂に戦没した。

これより、敵を殺すのが多いからと言って勝つわけではない、威を輝かして敵の気を奪い、
軍勢の心を挫けさせる事が大切なのだと理解すべきである。

(武将感状記)



781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/03/11(月) 11:52:08.86 ID:drPnIBZj
初陣の松山重治の若殿に貸したとか、死ぬ間際に後悔したとか脚色はあるが
菊池寛がそのまんま短編にしてるな
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槍中村

2016年04月11日 18:03

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/11(月) 16:11:56.56 ID:IoCtMYLU
松永久秀が三好三人衆との戦いで南都多聞城に籠城した時、三人衆は三好日向守、岩成主税介を大将として
大仏殿に陣取っていたが、松永はここを夜討ちし、槍中村と呼ばれた中村新兵衛を討ち取って、大仏殿を
焼いたが、これは松永久秀が切腹したのと同じ10月10日であったという、不思議な事である。

所でこの中村新兵衛とは、当時隠れなき勇士であり、三好の一党が四国より攻め上がって、京都畿内での
合戦で、毎回のように先駆け殿の働きをし、寡を以って多に勝ち、万死一生を出ること多く、
槍中村と異名された。

後に三好一党が彼を大将に選出した時、固く誇示したがかなわず、大仏焼き討ちの時には大将の号を
得ていた。

彼は松永の攻撃から逃げようと思えば逃げることが出来た。しかし

「私を選んでくれたことに応じなければ、生きた印がない」

そう言って義名を清めて討ち死にした。その姿は誠に剛死と呼ぶべきである。

(甫庵信長記)



513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/11(月) 17:36:29.39 ID:6nxEBH5I
東大寺を本陣とした三好と東大寺に夜襲した松永、どちらが卑怯だろう
生き残るために悪名を取った松永は偉いと思う

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/11(月) 21:13:44.25 ID:EBCmPijS
中村新兵衛ってどっかで聞いたなと思ったら
菊池寛の小説に出てくるやつか

自分の鎧だか陣羽織を貸してやった若武者が
新兵衛のネームバリューにビビった敵相手に無双して
普段と違う出で立ちの新兵衛は相手も気後れせず立ち向かってきて討ち取られるってやつ

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/04/11(月) 21:48:53.58 ID:6VygWZv8
「形」の元ネタ話なら数年前に出てた
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-805.html

中村新兵衛の死に様

2010年01月29日 00:12

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 02:32:52 ID:gb7jpn+m
中村高次という武将がいる。
それ自体、あまり通りのよい名ではない。
鑓中村、あるいは中村新兵衛といえば多少は通りが良くなるかもしれない。
三好家の重臣であり、武辺の人であった。

永禄七年、戦国中期の巨人の一人である三好長慶が河内飯森山城で没した。
この頃に三好家の重要拠点である芥川山城を預かったのが、松山安芸守、松山彦十郎と
この中村新兵衛である。

さて、永禄十年のこと。
松山安芸守とともに三好三人衆方についた中村新兵衛は、松永久秀に止めを刺すべく東大寺の
三好本陣に在った。
列座の席次から言えば、三人衆方の総大将は一門筆頭たる三好日向守長逸であっただろう。
しかし、どうした風の吹き回しだったか。軍議の席において、突如総大将を互選で選ぶという話が
持ち上がった。
なにぶん、兵力で松永方に勝った上で、東大寺を盾にしての布陣である。
仏罰や、それに伴う不名誉への気後れもあったのかもしれない。
かくて、あれよあれよという間に互選の話は進み、なんとしたことか中村新兵衛が総大将に
選ばれてしまった。

こんなものは、無茶の無理押しの話である。
承服できぬ、と新兵衛は固く断った。しかし、長逸とて汚名は当然受けたくはない。
無理を、押し通した。新兵衛を、説き伏せ、みなの勧めとして総大将を飲ませた。

「……選ばれた以上、それに報いねば生きただけの価値とてない」

新兵衛はそう、嘆息してこれを受けたという。

果たしてまもなく、東大寺は深夜の失火により焼け落ちて、
その混乱を奇貨として劣勢の松永勢は夜襲を断行、三好三人衆方は総崩れとなった。
この混乱の中、中村新兵衛は討ち死にを遂げた。
彼はたとえ互選とはいえ三好党の総大将を引き受けた身として、
敗軍の中に踏みとどまって、弟正之とともに討ち死にを遂げたのである。

かくして義を貫いた中村新兵衛の死に様を、
のちに伝え聞いた(久秀あたりからか?)織田信長は義士であると賞賛したという。
成り行きをしっかりと受け止め、己に課した勤めを果たした武人の義侠心のあるお話。

ただしソースは甫庵信長記なので信憑性はあんましない。




376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 03:07:52 ID:7EcZOIWS
最後の一行が決め手となって、又聞きの又聞きを聞いた…ってぐらいなレベルの話になっちゃった。

久秀が焼き討ちの責任を逃れるための話にも聞こえるし…。

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/28(木) 07:40:08 ID:lwnumM20
久秀「本殿に火をつけたの三人衆だよ!ホントだよ!」

中村新兵衛の軍装・悪い話

2008年12月22日 00:01

521 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/21(日) 13:53:44 ID:HJ84/qNw
武将の軍装

摂津武将、松山新助の家臣に、中村新兵衛という者がいた。
この新兵衛、戦場にはいつも、唐冠の兜に猩々緋の陣羽織のいでたちで現れ、
合戦のたびに目覚しい活躍をしたので、やがて敵味方から「鬼中村」と呼ばれるようになり、
敵は彼の唐冠と猩々緋の陣羽織を見ただけで

「すわっ!鬼中村が出たぞ!」

と、逃げ出す有様であった。

ある時、家中の者の一人が、この中村の武勇にあやかりたく、彼の有名な兜と陣羽織を
譲って欲しいと言ってきた。
中村はこう言うものに頓着しないたちで、喜んでこれを譲った。

さて、そのあとの合戦での事

いつものように武勇を示す中村新兵衛であったが、戦場の雰囲気がまるで違うことに気がついた。
敵が中村の事を恐れず、果敢に向かってくるのだ。

そう、敵はいでたちが変わった中村を、あの「鬼中村」だとは認識せず、よって、立ち向かう事に
恐怖を感じなかったのだ。

中村は兜と陣羽織を譲ったことを後悔したが、遅かった。
その戦で中村は、名もない雑兵に討ち取られた。

合戦では、実力は勿論だが、敵を威圧する軍装も大切なのだ。と言うお話。



522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/21(日) 15:42:37 ID:dLqAkb9N
これはカッコ悪いな


523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/21(日) 16:05:49 ID:c2hkJU1k
「形」じゃねーかw

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/21(日) 16:25:34 ID:wciIt+BM
ん~、俺が読んだ話だと。この中村って侍、
自分が守役だった若様の初陣に、自分の鎧を貸して戦死したって話だったんだけどな。

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/21(日) 16:29:15 ID:HJ84/qNw
>>524
色々バージョンあるのかな?
ちなみにこれは「明良洪範」にあるもの。

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/21(日) 18:07:53 ID:wciIt+BM
>>525
524は確認してみたら、中学の古典の教科書に載ってたバージョンだった。

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/21(日) 18:42:54 ID:HJ84/qNw
>>529
中学の古典の教科書にも、こんな話載っているもんなんだね~。

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/21(日) 19:11:04 ID:wciIt+BM
地元だからかな??

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/22(月) 01:04:36 ID:abbA/w/b
>>532
菊地寛の「形」としてじゃね
しかも古典の教科書じゃなくて普通の国語の教科書で出てたはず