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島津尚久、敵の追撃に

2010年01月31日 00:04

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 14:35:26 ID:hKk9CF0a
天文年間のことであろう。大隅の蒲生範清と敵対していた薩摩の島津貴久(島津四兄弟の父)は、
弟の尚久に、蒲生の支城、北村城を攻めさせた。
しかし北村城主、北村清康は巧みな作戦で反撃に成功、島津軍の大敗になった。

島津尚久は撤退の際多くの家臣を失いながら、岩戸川原から久末の岩上を通り、
高牧の井手山(いでんやま)の奥まで逃れた。
しかし蒲生勢の追撃は激しく、ついに尚久は自害を決意した。

ところでこの島津尚久は、かねてから謡曲が好きで良く学んでいた。
そのためこの時、この世の名残にと一曲唄い始めた。尚久の切々とした唄が、
井手山の谷に響く。

これを聞いた追っ手の蒲生勢も尚久の考えを悟り、彼が一曲唄い終わるまでと、
追撃の足を止めた。武士の情けであった。


…と、敵の追撃が止まったことに気がついたのが、唄っている島津尚久である。
彼は傍にいた部下に

尚久『この続き、お前が唄え!その間に俺は逃げるから!』
部下『ええ俺が!?声でバレますよ!』
尚久『そんなのわかりゃしねえよ!いいから早く!なるべく長めに唄えよ!』

そう、部下を身代わりにし、その隙に島津方の吉田城へと逃げ帰ったそうである。


鹿児島の蒲生に、今も伝わるお話である。




169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 17:12:26 ID:Jt6CAZpo
尚久の部下が自ら言い出せばとってもいい話だったのに・・

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 20:29:01 ID:crut5nLU
>>167
島津尚久って若くして病死してるけど記録見ると何だか豪放磊落っぽい性格してるよなぁ
長生きして九州統一戦に参加してたら面白かったんだがな

ところで部下のその後は?w

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/30(土) 21:02:15 ID:LxE0OtuP
>>175
部下「昇天でござる(泣)」

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