会津城安寺の怪異

2011年08月12日 23:04

冬姫   
385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/12(金) 00:54:54.62 ID:p/d1Cp+K
会津若松は融通寺町に、城安寺という寺があった。
長らく住職もいない寺だったが、いつからか覚夢という修行僧が住み着き、勤行や行事など勤めていた。

覚夢は縁あって領主・蒲生氏郷の嫡男、鶴千代(のちの秀行)の乳母と親しくなったが、ある時から乳母は
まだ若いのに「私に何かあれば、後のことはよろしくお願いします。」と言うようになった。

その言葉通り、乳母は何者かに讒言によって鶴千代の母・冬姫の怒りを買い、自害を強いられた。

覚夢は故人の希望に従い、城安寺で葬儀を執り行ったが、覚夢が引導を渡そうと読経を始めたとたん、
棺のフタがガタガタと動き出した。
やむを得ず、覚夢は近所の力自慢たちを集めてムリヤリ棺を押さえさせ、やっと葬儀を終える事が出来た。

翌日から、城安寺には乳母の幽霊が出るようになった。

幽霊は決まって寺の御堂に現れて御堂の真ん中で座り込んだままで、数時間も過ぎると何処かへ去った。

噂を伝え聞いて、ある絵師が寺にやって来て、幽霊の姿を描くことに挑戦した。
何日か経ち、絵は瞳を入れることで完成、というところまで来たが、絵師が瞳の上に筆を持ってきた瞬間、
幽霊はスッと消え失せ、二度と寺に現れることは無かった。

絵は一幅の掛け軸にされて城安寺に伝わり、檀家の求めに応じて観覧させていたが、いつからか
「子が絵を見れば父母が、妻が見れば夫が死ぬ」
と『目上の者に祟る』と言われるようになってからは、みだりに観覧を許さなかった。


旧会津藩士・小川渉の「志ぐれ草紙」によると、絵は戊辰戦争の戦火を逃れ、新発田の好事家の手に渡った
と伝わるが、定かではないという。

ほら。貴方の近所の骨董品店、いわくありげな掛け軸、置いてないですか・・・?




386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/12(金) 01:55:42.43 ID:d1QFz5Up
ちょっと怖い話だこれー

387 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/08/12(金) 10:22:07.93 ID:Fk+4L6Jh
乳母が仕えた蒲生家自体が以後に呪われたような末路をたどる訳だが、怨み足りなかったのかね
どうでも良いが棺桶を押さえつけて読経したり幽霊を放置する覚夢さんマジありえんッス

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/12(金) 10:26:27.78 ID:TuqoDfaD
冬姫って信長の娘?

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/12(金) 14:02:01.72 ID:HEBsJj8j
>>388
Exactly.(その通りでございます)

コレって家族がいない侍が見たらどうなるんだろうな
蒲生秀行やその子供ってみんな30前後で死んでるんだけど…

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/12(金) 20:27:52.51 ID:jyTJ+mAO
恨みが冬姫に向かうわけではないんだな。
長生きしたよね冬姫って。

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/12(金) 20:51:22.88 ID:pYI34HCL
>覚夢が引導を渡そうと読経を始めたとたん、
>棺のフタがガタガタと動き出した。




ぶっちゃけコレ息吹き返してるよね?

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/12(金) 20:57:02.22 ID:6X2HmRnO
蘇生してますね

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/12(金) 21:09:45.24 ID:0Xi78XVX
たぶん冬姫に疎まれていた乳母に冬姫から頼まれて覚夢が乳母に接近
親しくなった覚夢のお寺におびき出して生き埋め
覚夢自体は野伏集団の頭目、力自慢の村人はその一党

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 01:14:10.66 ID:Lrnv1mbI
>>393
痴情の縺れ的な、御手付きさんと正室の複雑な争いが有ったんだろうか
スポンサーサイト

蒲生氏郷の妻、冬姫、秀吉の要求に

2010年05月26日 00:04

冬姫   
5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/25(火) 01:54:58 ID:by8LawWD
文禄4年(1595)2月7日、蒲生氏郷死去。
この時豊臣秀吉は蒲生家の者を呼び、こう言った

「氏郷の妻、冬姫をすぐに、会津より呼び寄せるのだ!
彼女は信長公の御息女である!よって、別殿を与え、淀や松の丸のようにわしの側室として
側に置くのだ!」

これを聞いた冬姫、夫の死の早々にこんなことを言ってきた秀吉に、流石に怒った

「昔から貞女は二夫にふれずと言います。
私は宰相殿(氏郷)の妻となり、今は鶴千代(氏郷の嫡男、後の秀行)の母にもなりました。
それがどうして太閤様の側室などに、なることが出来ましょうか!?」

そう言ってすぐに尼となった。これにより秀吉は彼女を側室にすることを断念した。が、
このために蒲生家は秀吉の怒りを買い、後の改易につながったのだとも言う。

秀吉、冬姫を側室にしそこねる。と言うお話。




豊臣秀吉がふられた話

2010年02月01日 00:02

冬姫   
201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 13:28:03 ID:ZvPuUy1T
原典は不明だけど、豊臣秀吉がふられた話を。

会津を治めていた蒲生氏郷が亡くなったと聞き、秀吉は氏郷の妻・冬姫を慰めるべく使いを出した。

「冬姫殿には此度のご不幸、心よりお悔やみ申し上げます。
ご子息の秀行殿がしっかりと領国を治められるよう、出来る限り力をお貸しする所存でござります。
つきましては冬姫殿には今後身の回りのお世話をさせて頂きたいので、是非ともわが城においで頂きたく存じます」

冬姫「いやな予感・・・」

予感は的中した。冬姫が秀吉の所に着いたら、すぐさま側室として迎えようと言う魂胆だと分かるのに、
時間はかからなかった。
ただでさえ冬姫は天下に名高い美貌の持ち主で、しかも織田信長の実の娘である。
織田氏と血縁関係となり、自らの権威を高めたい秀吉にとっては
喉から手が出るほどほしい女性であろう。
しかし氏郷と冬姫は生前から仲の良い夫婦として有名であり、亡き夫に操立てする冬姫には
どうしても秀吉の条件は受け入れられない。
それに加えて、蒲生家家臣団はいくつもの派閥がいがみ合っており、今回のことがきっかけで
大騒動になってしまった。

家臣A「けしからん!何ゆえ信長公のご息女であらせられる奥方を、あのサルごときが!」
家臣B「しかし淀の方様や三条の局さまの例とてござろう・・・」
家臣C「それにほら、宇喜多殿のお母上とて後家となられて以降太閤の元に身を寄せておいでじゃが、
     母子とも懐いておいでではないか」
家臣D「これ↓目当てじゃないの?」
  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                     
 ( つ旦O
 と__)__)  旦    

家臣E「おお、やはり殿のご最期は・・・」
秀吉「おい!」Σ(゚д゚|||)

さりとて秀吉の好意を無理に断ればあらぬ疑いをかけられかねない。仕方なく冬姫は
秀吉の下へと向かった。
秀吉「うふふ、茶々に三条殿に続き、もうすぐ冬姫殿も手に入る・・・♪」
やがて到着した蒲生家の駕籠から降り立ったのは・・・・

尼姿の冬姫であった。

秀吉「あんまりだぎゃーー!!そこまでこのサルめがお嫌いかや!?」∑(TДT;)
冬姫「いえ・・・ただ私のことはどうかそっとしておいて頂きとうござります・・・」
やはり亡き夫を忘れることは出来なかったようである。
それから間もなく蒲生家にお家騒動が起こったとき、氏郷の嫡子・秀行は会津92万石から
宇都宮12万石へと領地を削られてしまった。
この大左遷には謎が多く、「ああ、太閤様は冬姫様のこと根に持ってんだな・・・」と
噂をする者もいたようである。

202 名前:201[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 13:30:30 ID:ZvPuUy1T
おまけ

後年、この話を聞いて

[諦めたらそこで試合終了だよ♪>( ゚∀゚)

と徳川家光が言ったとか、言わなかったとか。




203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 13:42:16 ID:EmWy2KU7
(●∀・)<諦めたらそこで終了だよ☆

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 15:02:18 ID:83DlF3yK
>>203
お前が言うなwwww

205 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/31(日) 15:31:22 ID:R5+Tol06
武田信玄「為せば成る為せねば成らぬ成る業を成らぬと捨つる人の儚き
     太閤殿、尼削姿もまた良いではありませんか
     寺の病も気になりますまい」

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 16:31:10 ID:bMmQ8csg
秀吉サイドに春日局がいなくてよかったな

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 17:05:11 ID:64c4b6f3
実際には東北の要地(というか対伊達)である会津を若年、
しかも家中も纏められない秀行に任せるのは戦乱の種になるからだよね。
蒲生に替わり上杉が会津に入ってるし。

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 18:11:41 ID:VENDbR73
>>207
『実際には』理由は不明だよ。
秀吉が直々に「転封は〇〇のためである」と書き残したわけじゃないし。
207の言ってることも解釈のひとつにすぎない。

それに、伊達のことを秀吉がそれほど恐れていたとは到底考えられない。
より一般的には、家康対策のため、と言うんじゃない?

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 18:22:49 ID:AFfxrAZw
だよな、氏郷に会津の大封を与えたのは家康を牽制するためだし、
もし関東に乱があれば家康vs氏郷の構図を目論んでいたはず

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 18:25:57 ID:m2/joRBf
>>208-209
まぁそれも解釈のひとつにすぎない訳だけどね

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 18:38:46 ID:AFfxrAZw
うまいっ

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/31(日) 19:39:02 ID:QAH3zpZI
徳川対策のわりには石高に差があるし
距離も微妙に離れてるから
やっぱ伊達への牽制とは思うけど

解釈のひとつになるんだよな

214 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/31(日) 20:17:07 ID:7YTLdmj6
>>201
今度は出家か
懐中に短刀を忍ばせたり、甲冑の装備が必要だったりと太閤に呼ばれるのも大変だな
まあ、千代は最悪、鉄扇を持った実父のスタンドを出現させれば問題ないけどね