599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/02(火) 23:35:55 ID:95bzSe79
久留米藩でそういう名目で鉄砲を借り出した百姓が一揆起こしたことあったな
迎え撃とうにも武器はあちらの手にあるという…
藩主有馬家は藩祖豊氏が渡瀬繁詮の家老から独立して、関ヶ原で石高倍、大阪の陣でさらに倍、国持大名になったうえに、
(特になんかしたのこの人…?)
一揆の時の当主は別にお咎めなし、宮家から嫁をもらって算学の研究していたという幸運な藩
600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/02(火) 23:43:41 ID:Ij9s5Iz1
有馬といえば、天下一の名物茶器「九十九茄子」
(松永久秀が織田信長に献上し、代わりに将軍殺し不問と大和一国を与えられた)
を秀吉から拝領したほどの人物だから。
601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 01:16:43 ID:IPmOHaaq
>>599
子孫が「何したのか分からないのにいつの間にか国持大名になってた」って書いたくらいだからなw
ちなみにその子孫というのが有馬頼寧(有馬記念で有名、たぶん有馬家では一番の有名人だと思われ)
602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 03:24:07 ID:DUx93pIE
九州の有馬ってーとキリシタン大名の有馬晴信が有名だけど、全く別系統の人?
603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 04:18:56 ID:xinkw1s9
>>602
別系統。九州じゃなくて元々播磨の赤松氏の庶流の有馬氏。
赤松有馬氏、もしくは摂津有馬氏と言う。
有馬豊氏のラッキー人生
・赤松氏の庶流の有馬氏の、そのまた次男として生まれる。実家にいても目が出ないので
義兄にあたる渡瀬繁詮に家老として仕える。
・そのうち小牧長久手で秀吉軍に参加していた兄忠頼が討死、嫡男扱いに。
・そうこうしている内に豊臣秀次の附家老をしていた主君渡瀬繁詮が秀次事件で連座して切腹。
家老の豊氏が親族であると言うことで、渡瀬家の家臣団と領地を引き継ぐことになる。
遠江国横須賀3万石ゲット
・関ヶ原で他の東海道諸侯と一緒に当然のように家康に味方。戦後この功で
丹波福知山6万石に加増
・さらに父親が死んでその遺領摂津三田2万石もゲット。計8万石になる。
・そんなこんなで駿府城や江戸城の普請に精を出していると大坂の陣が起こる。
当然幕府方で参戦し功を立て、戦後筑後久留米で、一気に2.5倍増の21万石をゲット。
久留米藩成立。
特に目立った功は無いが、手堅く有能な人だったらしい。ついでに、地味に利休七哲の一人だったりもする。
604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 04:40:17 ID:DUx93pIE
すげぇw
普通に手堅くしてるだけ、ってのがよかったんだろうかw
605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 04:53:52 ID:+2N1+24n
どっかの小田さんに爪の垢煎じて飲ませてあげたいw
606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 05:07:53 ID:zWsJBzFD
真の風雲児は織田ではなく小田
607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 07:04:51 ID:MVQ55LHF
九州の有馬と同姓でややこしいから
有馬温泉さん言っとけばいいな
有馬温泉の地名から有馬なんだろうし
608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 07:10:59 ID:c1+EX63e
決してそんなことは有馬温泉
609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 07:49:10 ID:4r4WfOyO
なんとまあ、一豊以上のラッキーマンがいたとは
610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 09:43:44 ID:Z7fHFOr9
でもこの時代に普通に手堅くってけっこう難しいと思うんだ。
勝ち馬だと踏んだやつが一瞬にして転げ落ちることもザラだし。
有馬豊氏の場合、
不相応な欲を持たずに流れに身を任せてたら、
気づいたらこうなってたって感じがする。
逸話的に平凡という意味で、
豊氏にこそ小田さんの爪の垢煎じて飲んでいただきたいw
621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 14:48:56 ID:xJql0QJ+
有馬氏は何もしなくて生き残ったのじゃなくて
庶流とはいえ名門赤松氏の一族で、細川の血をひいたりして親戚に有力者が多く
結果、結構太いパイプと情報網を持ち、そのため時流に敏感で
かつほぼ正確に勝つ側を読み切るだけの材料があり
何よりも則頼や豊氏にトラブルがあっても生き残るだけの才覚と
警戒されないだけの無害さをもってたんだろう
622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 14:52:27 ID:ZgwC4EBP
>>621
同じ赤松氏なのに則英と政広は・・・
623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 14:54:09 ID:xMP8EPeN
名門でござるとふんぞり返ってる場合と
ささ、我が領内の温泉に招待いたしますぞ!ではそりゃな
624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 14:57:00 ID:QWsUoZEI
>>622
斎村政広は藤原惺窩が最も評価していたほどだから
赤松家は教養が非常に高いんじゃないかな。
家格は文句なしだし。
625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 14:59:53 ID:xJql0QJ+
>>622
亀井に殺された言っても過言では無いとされる斎村政広
面白いのは亀井氏は後に有馬氏から養子が来るんだよね
なんつうか、同じ赤松系でもいろんな運命があるよね
626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 16:44:33 ID:5/vigasW
俺の勝手な想像だが、
秀吉が頻繁に有馬温泉へ湯治に行く。
そのお世話のご褒美に九十九茄子拝領。
関ヶ原合戦の戦勝祝いに九十九茄子を豊臣秀頼へ献上。
ご褒美に領土大幅増。
大坂の陣で豊臣領内の北摂地域で反豊臣工作を行い
ご褒美に領土倍増。
627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 17:26:53 ID:joefM0Zn
そうなると、なんという一房で二度美味しい茄子なんだ……(茶器だが)
628 名前:大和の名無しさん[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 17:51:02 ID:HQasj/EW
ワシにちょっと寄越せ
何、すぐ返す
629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 18:16:28 ID:wQIS7BJn
小田さんなら、どこでもツッコミ入れられるのに
>>603のどこにもボケがなく、ノリツッコミする余地も有馬せん><
630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 18:46:25 ID:5fDmskRz
こやつを拷問に掛けよ
631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 19:52:30 ID:MVQ55LHF
有馬の手前の宝塚から箕面にかけて秀吉の資金源の北摂鉱山地帯だったんだよな
そういう重要な場所の近くを所領にしてたから大事にされたのかも
それ故に酷い目に遭った人の方が多そうだけど
632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 20:10:01 ID:5/vigasW
恩賞=鉱山という単純な見かたもあるが、当時の人間の感覚だと
数万石から数十万石の価値があると見なされた鉱山や都市、茶器などの
褒美も加味しなければならないな。
大坂夏の陣で東軍の戦果一万二千のうち六千個(内一個は真田幸村)を獲得した
越前藩の恩賞が「初花肩衝茶入」一個だけだったという事実もある。
634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 20:20:40 ID:MVQ55LHF
ちなみに北摂鉱山には秀吉の埋蔵金伝説がある
猪名川町や川西市の山奥には現在でも狸掘りの間歩がぼこぼこ口を開けてるし
埋もれて現代人は鉱石マニアでも存在を把握してない穴も多いと思われる
誰か糸井重里に掘らせろ
635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 20:50:44 ID:xJql0QJ+
斎村政広が処分された理由として、銀山が近かったから
難癖付ける良い機会だった、つうのも有るらしいな
636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/03(水) 22:03:18 ID:kIP8Uv/0
しかし一豊は一世一代の芝居で2倍、
有馬は乗っかっただけで同じぐらいだからな
大坂の陣でも敵地は豊臣領しかないんだから、外様でこんな加増ってラッキーだよな