村上彦右衛門の忠告

2010年02月05日 00:22

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/04(木) 19:38:26 ID:5gmyPA0H
関ヶ原の時のこと。

豊臣家の船手組である村上彦右衛門、菅野右衛門は、大阪から九月十二日の晩に桑名浦に乗り付け、
十三日の早朝、西軍の面々と対面し、大阪の様子などを報告した。
この時村上は安国寺恵瓊に対し

「ここに来るまでにお味方の面々の、陣所の様子を見てまいりましたが、どこを見ても、
どうにもやる気が感じられません。」

と語った。これに安国寺は

「私もそのように感じている。だが事ここにいたっては仕方がない。
我々の方が大軍であるのだから(家康が赤坂に旗印を立てるのは翌十四日)、東軍一人に付き我ら
十人で当たるという心づもりで居る。これで4,5日も持ちこたえれば必ず我々の勝利になる。」

村上、これを聞いてさらに
「しかし今の状態だとお味方はどこも、バラバラに山の上に陣を置き、しかも山高く上がっているため、
お味方全体としての陣形が非常にまばらで薄くなっているように見えます。
あれでは戦のしようがありません。

逆に東軍はたしかに我らより少数なのでしょうが、全体として固まっているためその勢も厚く見えます。
その上一両日中にも、こちらに対して戦いを仕掛けんとする様子です。
どうか、御油断なさらないよう。」

そう忠告すると、再び大阪への帰路に着いた。
果たして九月十五日、西軍は敗北した。
村上彦右衛門がこの報を聞いたのは、伊勢の津においてであったと言う。




276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/04(木) 22:42:10 ID:7Hy5MCz/
この話はちょっと後付けくさいよね・・・

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/04(木) 23:11:19 ID:twXrNb0S
陣形だけ見れば西軍必勝といってもいい鶴翼の陣だからね

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/04(木) 23:21:54 ID:dPuqbEHc
相手を少数って言うほど兵力の差って無いでしょう
陣取りとしても、常道としては高地に陣取る方が圧倒的有利なわけで
後付け臭いけど、まぁ、ココは信憑性を論ずる場でもないし
と、自分の事は棚に上げてみようかなw

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/04(木) 23:33:53 ID:WrZB45Xg
>>278
水路を絶たれて負けたという例もあるからなんともいえんな

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