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「続武家閑談」より伊賀組訴状のこと

2023年02月06日 19:59

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/02/05(日) 21:49:48.55 ID:48hh7H58
「続武家閑談」より伊賀組訴状のこと

伊賀同心の働きは莫大である上に、天正十四年に真田を攻めた時には先手に加わり、千塚というところに陣を張った。
同十八年には小田原の陣にお供し、翌年の奥州の陣の時には高館表の衣川にまでお供した。
屋敷分として一人当たり永楽銭九貫文が知行として宛てられ、きっと吟味の上に取り立てて下さると言われていた。
名護屋の陣にもお供し、関ケ原のみぎりには大田原で城を守り、上杉景勝への備えをした。
「武徳安民記」に見えるようにのちには半蔵跡目石見守(服部正就)の組となった。
石見守は三千石を領し、松平隠岐守(久松松平初代の松平定勝)の婿となり威勢をほしいままとし、昔のことを気にかけず、一向に憐憫の情がなく、家僕同然に伊賀同心をこき使った。
同心どもは「たしかに伊賀の末裔の服部であるが、御家名の武辺場数をへて大身となられたのもわれらの働きがあったからなのに、下人被官のようにされるのは奇怪である」
と書状を石見守に差し出したが石見守はたいそう立腹し、同心どもを呼んで自分の屋敷の普請の手伝いをさせ、断れば扶持を没収した。
そのため二百人の者どもは妻子を片付け、奉行所に目安を差し出し、近くの寺に弓鉄砲を持って立てこもり「訴えをかなえねば討ち死にする」と抗議に及んだ。
このよしが上聞に及び「石見守不届きなり」ということで、石見守から同心が召しあげられた。
二百人の者どもはよろこび、四組に分けられ、大久保甚右衛門(大久保忠直)、服部仲(服部保正)、加藤勘右衛門(加藤正次)、久永源兵衛(久永重勝)に預けられた。
しかし石見守の願いにより二百人のうち十人を成敗することとなった。

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/02/05(日) 21:51:38.56 ID:48hh7H58
切腹しなかった者もあり、妻子を質にとられたため切腹した者もあり、十人中八人が死んで二人が逐電した。
石見守は人を回して逃げた二人を狙っていたが、あるとき自邸の門前を通ると聞いて馳せつけ斬ったところ、同心ではなく、伊奈備前守(伊奈忠次)の家来が使いにきたのであった。
しかたなく陳謝したが、そのころ江戸中に辻斬りがあり、公儀から黄金の懸賞金をかけて詮議の最中であったため、これまでの辻斬りも石見守のせいであろうということで改易された。
時に慶長十年極月二日であった。人々が石見守の不仁を憎んだことは言うまでもない。
戦国の頃は永楽何貫文として宛行されていたが、天正の末にようやく国がおさまり、石高制になった。
伊賀同心も九貫文の宛行で天正の末から元和元年まで三十二年の間、戦場での奉公をおこたらず努めた。
しかし公儀からは「いずれは取り立てる」と恩賞が延引するうちに権現様が薨去された。
そして奥方御奉公に召し使われ、禄の沙汰を取り次ぐものもいず、無念ながら少ない扶持で奴僕の列に入り、女中などの使われ者となってしまった。
こうして秀忠公の御時には武辺者の伊賀侍もみな死ぬか失せてしまったいう。



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二代目服部半蔵のニンともカンとも

2010年02月06日 00:19

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 01:12:32 ID:nLjHgKW6
「徳川殿は良い人持ちよ 服部半蔵は鬼半蔵 渡辺半蔵は槍半蔵 渥美源吾は首切り源吾」


この様に歌にも歌われた勇者、鬼半蔵こと服部半蔵正成の嫡男は、服部正就と言った。

さて、慶長元年に正成が没すとその跡を継いだ正就は、同時に”半蔵”も襲名、父が率いた
伊賀組同心の指揮権も受け継いだ。

ところがこの正就、本来指揮権だけしかもっていないはずの支配下の伊賀同心を、
あたかも家来であるかのように扱った。
例えば自らの屋敷を建てるときなど、配下の同心たちに普請の割り当てを行い
これに従わない場合は給米を減らすなどした。完全な公私混同である。

当然伊賀組同心は正就に強く反発。慶長十年十二月、四谷長善寺に同心二〇〇名が
武装した上立てこもり、正就の解任と、自分たちの与力への昇格を要求した。
この事件により、正就は伊賀組支配を解任された。

が、痛い目にあっても分からない人と言うのはいるもので、正就はこれを理不尽だとし、
幕府に対し、立てこもりの首謀者10名の死罪を要求した。逆恨みもいいところである。
この伊賀同心の首謀者10名の内2人は、見の危険を感じて逃亡した。

正就は自身で江戸市中を徘徊し逃亡した者の探索を行い、ついにその一人を発見、
斬り捨てた!

…はずだった。

ところが斬捨られた男をよく調べると、逃亡したものとは別人であることがわかった。
それどころか彼はなんと、関東代官頭、伊奈忠次の従者であったのだ。
徳川幕府の文官トップの従者を、事も有ろうに人違いで斬ってしまったのである。

これでは流石に「鬼半蔵の息子だから仕方がない」とはならない。
正就は改易され、追放処分を受けた。
彼は後に、名誉回復のため大阪の陣に参戦するが、そこで戦死したのだと言う。


「ニンともカンとも」な、鬼半蔵の息子のお話。




283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 04:57:49 ID:bFFonHI9
>>280
かなしいこと、鬼半蔵は、めんどくさい三河士道を倅に教え込めなかったんだろうか。

大久保長安を代表に「よく代官を殺す」家康も、
こんな人違いで関東代官頭の家人を斬ったらそら、怒りますわな。


285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 09:57:47 ID:f1VHLR/I
>>280
 ,.――――-、
 ヽ / ̄ ̄ ̄`ヽ、
  | |  (・)。(・)|  
  | |@_,.--、_,>  
  ヽヽ___ノ   
改易されたでござる の巻

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 16:17:02 ID:hxvyrPvY
>>283
家康そんなに殺してたか?


289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 17:57:10 ID:g8/z5CQB
>>286
茶阿局の話(横恋慕した代官が夫を殺すと、家康に訴えて代官は処罰。そのまま側室)とかあるし
結構、殺している

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 18:01:46 ID:nLjHgKW6
>>289
家康「(処罰したら)いかんのか?」

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 18:11:10 ID:YgmdNZ8n
秀吉「そらいかんだろう」

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 18:27:05 ID:S9QfgJYz
天下人ってなんなんだ?

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 18:55:03 ID:f1VHLR/I
故・川合伸旺さんが演じていたような悪代官なら成敗しても株は上がるんだが

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 19:00:20 ID:I54DvYEf
そういうのも使いこなすのが名人の道

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 19:20:51 ID:1EBS3mya
>>293
川合さんは悪家老のイメージ。
麿AAで姿だけ有名になっちゃった菅さんは悪若殿のイメージ。

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 19:28:39 ID:+8o16L0H
菅さんはもはや麻呂のイメージが拭いがたいw

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 19:55:51 ID:f1VHLR/I
菅貫太郎さんは悪役かとおもったら実は悪いふりをしていた正義の人っていう
どんでん返しが極たまにあるからなあ

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 21:45:39 ID:8wC+9nb9
そもそも大久保長安は病死