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少弐氏内紛と龍造寺氏

2020年01月20日 18:27

550 名前:1/2[sage] 投稿日:2020/01/20(月) 16:37:59.97 ID:cD4CUJU9
天文五年、九月八日、少弐資元は四十八歳にて多久城にて卒去した(実際には九月四日に、大内義隆の命による
陶興房の攻撃で資元は自害したとされる。)

少弐氏は日を追って衰え、大内は年月を得るごとに繁盛し、この時、西国平均の功莫大であるとして、
大内義隆を大宰大弐に叙任された。さらにこの年、天子御即位の料を調進したため二品に叙し、兵部卿を兼ねて
中国九州の諸将に冠として、その威万人の上に覆った。世の転変は今に始まったことではないが、眼前に
起こったのである。

勢福寺城にあった少弐冬尚は。父・資元の卒去を聞いて悲泣啼哭して前後を忘れるほどであった。
旧交の諸侍は憐れみを成し、或いは茶の会、酒宴をして冬尚を慰めた。
このような時に、江上尚種が盃をひかえてこのように申した

「おおよそ、人にとって世の栄枯は天の命ずる所であるから嘆くべきに非ずと言いますが、つらつらと
古昔を思うに、右大将家(源頼朝)の御時、御先祖資頼公を大宰少弐に補任されて下向あってより以来、
九州二島はその威に伏してきました。その間大内氏は、わずかに周防国に安堵し、異国の勘合船を
司るばかりであったのに、将軍家に対して聊か忠が有った故に、過分の俸禄を受け、あまつさえ今や
九州二島を横領せんとしています。
御当家の弓矢末に成り、大内のために脅かされること、返す返すも無念であります。ただどうにかして、
少弐家再興の謀がないものだろうか。」

これを聞いて、少弐冬尚を蓮池城に保護した小田覚派入道(資光)は申した
「それは誰も同じ心である。そして今大内家のことを聞けば、武備は廃れはて蹴鞠和歌のみを持て囃し、
栄耀満ちて欠けることを知らずという。時既に到れり、早速に軍を起こし旧好の武士を駆り集め、
冬尚公を大将として、先ず太宰府の代官・杉豊後守隆連を攻め落とし、すかさず中国に渡り少弐家の安否を
天道にかけて試すべし!」

そう申すとその場の面々は主の忠義を感じ、一同に「然るべし!」と申した。

しかしこの中にあった剛忠公(龍造寺家兼)は、席で姿勢を整え、言葉を和かにして言った
「この事、皆々が思っている所存であり、武家の本懐であるのだから、誰が進もうとしないだろうか。
然れども、退いて愚案を廻らしてみたのだが、大内家が和歌風流を好み風俗末になっていると雖も、いま
公方の御覚え朝廷の御恩厚く、九国を管領し中国を治めて、龍の水を得たごとくである。
陶、杉、相良等の老臣相並んで非を諌めるに身を庇わず、軍に望んで命を惜しむこと無し。
義隆は毎事を彼らに任せているため、国は治まり民は安らかである。これは我等にとって、天の時が
至っていないという事では無いだろうか。

密かに兵を集めて進もうとすれば、筑前の数城には敵が有り、退いて険阻に支えようとしても東肥前には
さほどの要害が無い。これは我等にとって地の利が全く無いことを示している。

今は大内の威風強く、三前二島(筑前、豊前、肥前、壱岐、対馬)のような代々相伝の国人さえ皆、
少弐家を捨てて大内に属している。況や他国では問題にも成らない。人の和が無いのである。
ただ時を待って命を全うし、徳を施し人を懐せれば、人みな往時を思い、招かなくても集まり、
何時であっても時が至ったと見れば速やかに恨みを報いる事に何の仔細があるだろうか。」

そのように、理を先とし義を旨として申されると、人皆尤もと同意した。
しかしその中で小田覚派入道は少弐冬尚を傍らに招き
「剛忠公は大内に内通したと覚え候。あはれ諸将の心を伺わずに、即座にその理を、あらかじめ
申しておくべき物を!」と言い捨てて帰った。少弐冬尚もこれに同意し剛忠公を憎んだためであろうか、
天道に背き家は断絶した。老公(剛忠)の忠心は違っていなかったのだ。後に龍造寺の家は起こり、
武名天下に響いた。

551 名前:2/2[sage] 投稿日:2020/01/20(月) 16:38:18.91 ID:cD4CUJU9
こうして少弐冬尚の疑念は溶けず、小田覚派入道と密談した。覚派入道は了承し、て、天文六年四月、
八百余騎を従えて水ヶ江に向かった。剛忠公はこれを聞くと「我全く冬尚に別心無し。これ天魔波旬が
覚派入道の心に入れ替わったのだ。」と、自ら逞兵を引きすぐり水ヶ江の東、木原村に出向し、天地を
動かして戦った。小田方の小田新九郎政光が横槍を入れて、水ヶ江の龍造寺勢が敗北しようとしたが、
剛忠公は諸卒を進め鬨を挙げて砕き難きを破る所に、龍造寺豊前守胤栄、和泉守家門、および鍋島平右衛門尉
清久、同駿河守清房が遅れ馳せに来て悉く突き返し、駆け立ち攻めたため、小田方は散々に打ち負け、
悪しくなって引き退いた所を、龍造寺方は蓮池の城下まで押し詰め首数十を討ち取って静かに陣を返した。
少弐冬尚は両家に扱いを入れ、互いに和平となった。

(中略)

天文十年、龍造寺剛忠公の水ヶ江の御館の門の前に、編笠を深くかぶった美美しい男が一人、何処からともなく
来て佇んでいた。館より士が出て「誰か」と問うと、「我は少弐冬尚と申す者である。剛忠翁に一言云いたい
仔細有って、ただ一人来た。」と宣われた。

剛忠公は急ぎ御出になり、奥へ請じて「現なき御有様かな、何のために御渡されたのでしょうか。」と
尋ねると、冬尚は涙を流し
「我、今大内に家を削られ家業断絶せんとしている事、天運とは云いながら遺恨更に止みがたい。
今国中を見るに、御辺は末頼もしい人であれば、少弐家再興の事、偏に御辺を頼みたいのだ。
もし承引無ければ命を白刃に縮めて恨を黄泉に報じよう。」と申された。
剛忠公も数代の旧恩であればどうして拒否を申されるだろうか、その上御有様を見て老涙さらに留まること無く、
「ご安心思われ候へ、それがし微力の限り粉骨を尽くします。」と申し、人を数多付けて冬尚公を城原城へと
送り、御次男家門を以て後見とし、江上尚種、馬場頼周と共に少弐を補佐した。

(肥陽軍記)

天文六年の少弐家の内紛とその顛末。ちなみにこの小田資光、あの常陸小田氏の支族ですね。



552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/20(月) 18:43:40.88 ID:OUJ9NcWW
鍋島直茂が一旦養子入りした千葉とか、あの辺は元寇時?に下向した坂東武者の子孫が多いよね

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/20(月) 18:43:40.88 ID:OUJ9NcWW
鍋島直茂が一旦養子入りした千葉とか、あの辺は元寇時?に下向した坂東武者の子孫が多いよね

553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/20(月) 21:12:49.07 ID:RWxrI8n9
>>549
熊さんなの竜造寺じゃなくてむしろ鍋島直茂のおじいちゃんだったのか
肥前の熊って異名となんか関わりあるのかなー
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東の小田氏も相当弱いが

2010年02月07日 00:06

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 10:12:37 ID:dPvcSpTD
東の小田氏も相当弱いが西の少弐氏もいい勝負だと思う。弱さが。



305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 10:46:11 ID:+FX4dSAG
少弐も弱さとしぶとさは相当なものだが
小田氏と違って当主がしょっちゅう戦死するからなぁ

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 11:08:14 ID:Imz094Dq
少弐に仕えてた肥前小田って常陸小田の傍流なんだよね

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 11:23:14 ID:dPvcSpTD
初代  武藤資頼
二代  少弐資能 (戦死)
三代  少弐経資
四代  少弐盛経
五代  少弐貞経 (戦死)
六代  少弐頼尚 (菊池に敗北、勢力減衰)
七代  少弐直資 (戦死)
八代  少弐冬資 (今川貞世に消される)
九代  少弐頼澄 (敗戦→亡命→死亡)
十代  少弐貞頼 (英主。勢力復活)
十一代 少弐満貞 (戦死)
十二代 少弐資嗣 (戦死)
十三代 少弐嘉頼 (戦死)
十四代 少弐教頼 (戦死)
十五代 少弐政資 (敗戦→自害)
十六代 少弐高経 (政資から家督を継いだ3日後に戦死)
十七代 少弐資元 (自害)
十八代 少弐冬尚 (龍造寺一族抹殺で熊を目覚めさせる。最期は自害。)

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 11:25:26 ID:yPgz3mr9
>>307
すごい一族だな・・・
そんなに当主が戦死してるのに、よく滅びずに何百年も続いたね

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 12:35:41 ID:O8MFrwZa
当主の戦死は多いが精子も多かったという事か

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 13:07:40 ID:ABQ9+zGw
今川も結構、当主や跡取りが戦死や夭折と思っていたけどこれには勝てない。

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 13:11:22 ID:MSxPQd3w
菊池も悲惨

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 13:11:56 ID:ZW1WUNOW
>>307
補足すると、少弐景資も兄経資との家督争いに敗れて討たれてる