その盛志を遂げずして

2013年06月18日 19:55

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 17:43:56.70 ID:vKATk0sd
ある日、藤原惺窩は奮発して大明国に入りたいと欲し、直ちに筑陽に至ると、
果てしなき大海原へとのりだした。

ところが風濤に逢って鬼海の島(鬼界島)に漂着し、その盛志を遂げずして
帰ることになった。

――『先哲像伝』




523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 17:48:44.05 ID:TML1DMIc
惺窩が本懐を遂げられなかったからいい話なのか?w

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 17:51:47.01 ID:LImlMQ8w
現実見たらパリ症候群で狂い死にしたかもしれない

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 21:56:48.69 ID:aINWrm7x
その頃の明はもう完全に末期状態だから
惺窩は現実を見ずに済んで逆に良かった
おかげで一生夢見てられる

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 22:24:10.32 ID:HYqiGM4t
ほろ苦い話だな

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 11:52:19.66 ID:mY5ZAC7h
鬼界島って奄美の島か。まあ、島に漂着出来て良かったよな

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 14:58:34.09 ID:0XQHLgsE
遣唐使だったら沈んでたわ

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 16:32:13.75 ID:2uJWdv6r
鑑真さん乗ってたんじゃね?

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 18:03:48.28 ID:8H5gQgKK
桃太郎が

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/19(水) 00:32:55.16 ID:oeL6e3Se
>>526
屋久島の手前にある「薩摩硫黄島」かも。
(火山活動のため海が黄色に染まっているので黄海が島(鬼海が島)となったとか。
ちなみに、この島を含む巨大カルデラが「鬼界カルデラ」といい、
考古学でおなじみのアカホヤの産地だったりする。)

鬼界が島といえば、平家物語の「卒塔婆流し」「足摺」の舞台。
そして、平康頼の「薩摩潟おきの小島に我ありと親にはつげよ八重の潮風」(千載集)の歌。

冷泉為純の子である藤原惺窩は、この島で
「薩摩潟八重の潮風つげやらんあはれ憂き身は親だにもなし」と詠んでいる。

父も兄も別所長治に討たれてるもんなあ。

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/19(水) 01:58:13.79 ID:O4ZcSBED
惺窩先生も良いキャラしてんだよなぁ
アレはアレで大好きだ

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藤原惺窩はかつて太閤秀吉を評し

2013年05月27日 19:51

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/27(月) 18:12:42.43 ID:2O1GjFJN
藤原惺窩はかつて太閤秀吉を評して「秀吉は大胆な人ではあるが、大心とは言えない。
朝鮮より明に攻め入ろうとするのは誠に大胆ではあるが、秀信を信長の跡目と仰せられず、
自立して日本を掌握されたのは大心にあらず」と言った。

後にこの事を四辻亞相公理に語った人がいた。亞相は「吾もその論をもっともだと思う。
大仏建立は彼の猿心の離れぬなり」と言ったという。

――『先哲像伝』





そんな人がこのように言ったから

2013年04月23日 19:53

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/22(月) 23:54:29.03 ID:q6xkh75J
相国寺普光院の宣長老は大徳寺の僧・董甫の弟にして藤原惺窩の伯父である。
当時、五岳第一の学者であった。

宣はかつて「舜首座(惺窩)に逢っては物が言えぬ」と言った。
そのまま、やりこめられてしまうからである。

当時の人に宣は勝れた人として知られていた。そんな人がこのように言ったから、
惺窩が傑出した人ということが初めて知られたのである。

――『老人雑話』




96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 01:47:02.03 ID:1wp3YhB6
儒者は正義を前面に出してくるから口喧嘩ははげしく強い。
それが政治において実現されるのかは別だがw

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/23(火) 01:54:36.50 ID:hcxVDQ0g
腐れ儒者を信長公とかDQN眼と戦わせてみたい

惺窩の至る時は

2013年03月14日 19:53

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 18:41:43.68 ID:wBgjFXlb
藤原惺窩は肥前名護屋におもむいた。この時に当たり、豊臣秀吉は朝鮮征伐のために
多くの諸侯を率いて名護屋にのぞみ、惺窩は徳川家康と初めてまみえた。

また、惺窩は小早川秀秋にまみえた。秀秋は横柄な性格であったが、惺窩の至る時は
すぐに粛然として容貌を改め、その性行もまた改まる所が多かったという。

――『先哲叢談』




716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:01:51.29 ID:JHc3bnDF
姜ハン「小早川秀秋は軽薄で感情の起伏が激しく
彼の兄たちち及ばない、て藤原惺窩が言ってた」

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:05:00.73 ID:M0Dg1XFw
儒者ってなんか胡散臭いんだよな

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:30:26.02 ID:kTs3CAEF
儒者と武将では、評価されるポイントが違うしなー

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:30:39.61 ID:j2KEsLF6
>>717
惺窩「明と朝鮮が結んで日本を征服してください」
姜沆「ごめん無理」

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 19:31:29.07 ID:x3T/dn3S
やめてやってくれ!金吾のHPはもう0よ!

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 21:29:57.00 ID:diDDQ7Wi
藤原惺窩には腐れ儒者という呼び名がしっくりくるね。
口先だけで何を成したというわけでもないくせに・・・

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 23:47:17.32 ID:P10mqItv
儒学者が何かを成すって難しくない?
坊主みたいに、どこかの大名の軍師になったり自らが大名になったりすれば別だけど

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/13(水) 23:56:42.87 ID:EwcsPmRH
>>722
日本史全体で見ても新井白石くらいか

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 00:01:10.23 ID:3A123S6K
惺窩はフロイスの儒家バージョンだと思ってる

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 03:17:21.89 ID:j+l7ulXc
事を成す儒者と言えば、陽明学徒がいるかな。
ちなみに林羅山はご存知の通り陽明学は排除したけど、
藤原惺窩は陽明学評価してたんだよね。
そういえば日本陽明学の祖、中江藤樹はこのスレの時代範囲だな。
まだ逸話出てないみたいだが

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 06:38:16.33 ID:6XoWWJOb
口だけの腐れ儒者と違って知行合一の陽明学者

大塩平八郎こそ真の儒者

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 15:37:31.90 ID:6qoRUYQw
幕末は陽明学派が何気に多いからね

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/14(木) 16:24:38.24 ID:j+l7ulXc
陽明学は儒学の旗を立ててはいるけど本質は禅だから、
もともと武士の道に近いんだよな
心即理というテーゼ自体が即心是仏、煩悩即菩提みたいで仏教ぽい

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/15(金) 05:07:27.63 ID:2FTK6JYx
でも姜沆の記録を読む限り、惺窩は秀秋と付き合いがあったっぽいんだよね
「家康が秀吉の後を継いで朝鮮に出兵するらしいという噂があってさぁ…」
みたいな話を惺窩にしたって書いてあるし



道春は非道の者だ

2013年01月26日 20:02

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 23:57:48.96 ID:Y9nw/FoC
藤原惺窩林道春が図書編を求め得たと聞いて、数通の書を送って
借りたいと伝えた。だが、道春は「手に入らなかったので」と、
最後まで貸さなかった。そのため、惺窩は、

「道春は非道の者だ。

図書編を手に入れたことは明白なのに、偽って無いと言うのは非道だ。
あるけども貸さないと言うむごさよりも、遥かに劣っている」

と、人に語ったのだとか。

――『老人雑話』




295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 09:04:42.24 ID:wEgG3y83
貴重なモノなら他人に貸すの嫌がる人もいるんじゃないか

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 09:15:00.67 ID:QDP4NrwQ
欲しい物が手に入らなかったからファビョって相手のネガキャン始める

藤原惺窩ってどうも好きになれないなぁ

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 17:27:09.75 ID:JQFp8nqq
惺窩さんって、
高尚な思想やら学んでるんだろうけど自分の行動は子供と変わらないんだよね・・・

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 18:57:24.87 ID:W4G5L8Lw
>>296
この人の小早川秀秋評もこの類だったりするのかも

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 19:11:29.47 ID:H3lkLhi5
>296
このスレ向きの人物じゃないけど、松平不昧も若い貧乏藩主の頃は「今の茶の湯は古道具商か」って批難してたけど、
藩の財政立て直しに成功してからは「名物は財産価値あるから」って結局高価な名品を集めだしたっていう

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/26(土) 20:14:46.08 ID:nBFo//FR
藤原惺窩て儒学スキーが昂じて抑留から解放されて帰国する姜沆に
「明・朝鮮連合軍で日本占領しちゃって下さいよ」とか言っちゃうとか、
学はあるけどどこか足りてない人なんだと思う

藤原惺窩は何故かうなじのところだけ

2011年04月22日 00:00

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 00:46:15.80 ID:J4vpITsk
妙寿院(藤原惺窩)は法体姿で、頭は勿論丸めていたのだが、何故かうなじのところだけ
毛を残していた。
非常におかしな事だが、その理由を何故だか誰も惺窩に聞かなかったらしい。
なんとなくわかる気もする。

で、どうにも気になった旗本の城和泉守昌茂が、ついに意を決して惺窩に聞いた。
流石武田勝頼の侍大将まで務めた男である。

「…うなじの毛のこと、ですか」

惺窩は城の問に応えた

「頭には頭巾、体には衣服がありますが、うなじには何もありません。

冬になればここばかり、冷える。
夏も風に当たれば、冷える。

だからこのようにしているのです。」


この惺窩の答に城は思った。『じゃあうなじまで深く包む服を着ればいいじゃないか』と。
でも思っただけで言わなかった、らしい。

ヘンテコなこともあるものである。
(武功雑記)

藤原惺窩は現代にもいそうな変人インテリだなw




811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 10:15:00.57 ID:wCWkkm1y
藤原惺窩って 窩 の字からつい眼窩という言葉が連想されて
両目にぽかっと穴の空いているされこうべみたいな顔を想像しちゃうからちょっと怖い

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 12:40:28.12 ID:f/DWBLPJ
藤原眼科

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 12:51:40.10 ID:ZOwdarQl
眼球が無くうなじにだけ毛が生えそろってる唐服唐冠の男…
中々強烈なキャラクターデザインかな

814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 19:20:42.18 ID:uwucfkhK
うーん、実にクトゥルフテイスト…

815 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/21(木) 19:22:54.34 ID:k8VwMj0+
ああ窩に!窩に!

藤原惺窩、大坂の陣の大野治長評

2011年04月11日 00:00

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 10:02:51.43 ID:dl7dbx7K
大坂の陣が終わって間もなくのある時、戸田左門(一西(かずあき))と松平越中守定綱が
明寿院(藤原惺窩)と座談し、この大坂の陣のことなどを物語った。

二人の話を聞いた藤原惺窩

「大野修理治長にせめて石川五右衛門ほどの器量があれば、もう少し功も立てられたでしょうに。
それに冬の陣では大阪城から遠所を焼討ぜず、夏の陣で堺、奈良を焼討したのは、戦略として
前後が入れ違っています。」

と感想を述べたという。
(武功雑記)




577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 15:25:51.38 ID:tLkCR/1M
後半はともかく前半の比較対象はなぜ石川五右衛門なんだろう。
盗賊としては大勢力を率いていた人だが。

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 18:09:34.84 ID:rn9Zj9Q1
大野には盗賊の頭ほどの器量も無かったってディスってるんだよ

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 18:25:21.26 ID:aX2N2eIv
青果さんは口が悪すぎるうえに明人に日本は征服してくれ、なんて頼む売国奴だから好かん

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 18:35:55.09 ID:tLkCR/1M
>>579
それは朝鮮人の姜に言ったこと。>日本は
「今の日本は酷い状況」といったあと「それを正す為に来たと言って朝鮮や明が攻めて来れば白河の関まで行ける。
もし日本のように殺戮を行えば対馬も取れない」と言っているので
売国云々ではなく秀吉批判の言葉と見るべきだろう。

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 19:27:27.50 ID:oVkqdWPw
>>580
惺窩センセイは実家の再興を秀吉にスルーされて以来、アンチ豊臣なんだよね。
秀次の学問好きに対しても「学問が汚れる」とかヒデーこと言ってるし。

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 20:38:43.97 ID:mqFPgh0J
>>582
でも石田さん家の正澄くんとは仲良いよね

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 20:41:32.35 ID:aATYM/kH
>>582
儒者はそんなもん。

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 21:03:21.36 ID:yvHvm2FL
儒学なんてクソの役にも立たないのに藤原惺窩とかいつも偉そうだよな
武将とか小バカにしてるし

そういえば信長公は地球儀を献上されたとき、地球が丸い事を説明
されて即座に理解したのに対し、儒者の林羅山は地球は平たいと主張
して絶対に譲らなかった

儒学は先例やしきたりにこだわってばかりで、新しい発想や合理的に物事を考えるという事しないからやればやるほどバカになるのにw

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 21:17:22.02 ID:bmSwCh0j
林羅山は「右僕射」の意味を曲解したり、
『豊臣秀吉譜』で劉備が諸葛亮に自分の死後を託した話を、
まんま秀吉と家康にそれに丸パクリしたりと曲学阿世の典型的存在
時の政権と癒着しすぎたばかりに道春点の発明や
吾妻鑑の研究といった学問的業績が霞むほどの汚名を残したね

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 21:19:57.90 ID:dl7dbx7K
>>586
> そういえば信長公は地球儀を献上されたとき、地球が丸い事を説明
> されて即座に理解したのに対し、

それは作り話の中のこと。
つーか儒教よく知らないだろ君w、儒者ってめちゃめちゃ頭いいぞ。
あの人達の書いた本を、同時代の儒者以外の著作と比較しながら少しでいいから読んでみろ。

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 21:33:55.51 ID:gPc/grd5
今更、死んだ学問なんて誰も読みたくない

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 21:38:53.35 ID:aX2N2eIv
儒学はいまだに中国で盛んじゃね?孔子はいまだに神同然だし

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/10(日) 21:45:32.32 ID:dl7dbx7K
儒教は死んだどころか東アジアや東南アジアで未だ強固に生きているし、
この中国の台頭で世界思想として大復活する可能性すらあるぞw

つーか戦国時代に興味が有るのなら、儒教勉強しないとあの時代は全然理解出来ないんだが。
戦国時代の日本の思想の基本は、儒教ベースの「天道思想」だ。

藤原惺窩と直江兼続の対面内容

2010年02月07日 00:09

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 00:24:27 ID:NoMs5Lwj
ここで既出ではありますが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1100.html
対談の内容が出ていたり、兼続に対する感想がちょっと違ったりしているので投下してみる。



直江兼続はしばしば学者の藤原惺窩との対面を望んだが、惺窩はそれをまるで受け付けなかった。
業を煮やしたのか、兼続はついに京の惺窩の屋敷へと直接に訪ねてきた。
ところがその時はたまたま惺窩が外出しており、この時も兼続の望みはかなわなかった。

惺窩が帰ってきてその事を聞くと、
「私は何度望まれても彼に合おうとしなかった。そして今日は、彼が訪ねてきたのに会うことが無かった。
おそらくこれは、居留守を使ったと思われているだろう。
そう恨みに思われては、後で何をされるかわかったものではない。」

と、すぐに兼続の屋敷へと向かった。
ところがその日兼続は既に、帰国のため出立していた。惺窩はあわててその跡を追い、
大津でようやく追いついた。

ここで二人は初めて対談をする。まず兼続は言った

「久しく廃れた家を急に取り立てるべき時に、臣下としての心構えはどうあるべきだろうか?」

これに惺窩は、「事の急なるは却って破るるの基なり」という事を詳しく語ったと言う。

後で惺窩は

「兼続と言う人は主君に、家を滅ぼしかねないような事を起こさしめる人である。」

そう評したそうだ、




302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 01:02:59 ID:UX16o80A
>久しく廃れた家を急に取り立てるべき時

この認識持ってる時点で既に家を滅ぼしかねないようなことしそうな人、だよな、実際

徳川家康、藤原惺窩に叱られる・悪い話

2009年02月14日 00:15

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 08:35:26 ID:D+QtZAOB
>>781からの惺窩の話を見て思い出した話。 
藤原惺窩は徳川家お召し抱えの儒学者林羅山の師。
彼は中世の大歌人藤原定家の十二代目の子孫として、毅然たる生き方を持っていた。
慶長元年(1598)宗に渡って勉強しようとしたところ、船が難破し鹿児島の南方鬼界ヶ島に漂着。
そこで一年を過ごすというとんだハプニングも経験した。

林羅山はある日この師を家康に紹介した。
家康は学問が苦手だが、召し抱えの学者がその師を紹介して講義を聞けと勧められれば、仕方がない。
「面倒だなあ」と思いながらも講義を受けることにした。
その気持ちが服装に表れたのだろう。
家康は講義を受ける際、茶筌髷(ちゃせんまげ)という内輪でリラックスするときのだらしないヘアスタイルだった。
それを見た惺窩教授「天子の国を修め身を修める法則を講義しようとするのにその態度はなにごとかっ!!」と一喝。
これには家康もびっくり。すぐさま威儀を正した服装に着替え改めて聞きなおした。
家康のちょっと行儀の悪い話。




901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 09:02:00 ID:xOmlGBEU
>>900
叱られる家康かわいいなw



902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 09:29:19 ID:HksLdLsQ
>>900
惺窩といえば看羊録の姜の弟子だけど、看羊録って
「伊達政宗なる者がいる。代々、陸奥一州に拠り、富貴さは倭国を傾けるほどである。
秀吉が信長に代わるに及び、政宗は、戦いに敗れ、服従を請うた。政宗の凶悍さは、
諸倭に比べて最も甚だしく、自分の兄や子まで殺したほどである。」
とか
「筑前中納言金吾なる者がいる。秀吉の本妻の甥で、輝元の女婿である。だいたい
その性格が軽薄で、感情の起伏が激しく、その兄たちに及ばぬこと甚だ遠い。」
とか
「家康・輝元・景勝・政宗・義光・義弘等々」の世襲の領地では、「家来もみな代々の
家臣で、主将が戦いに敗れて自決すれば、その部下もみな進んで自決する。」
とか、秀吉のような成り上がり者の領地では、たとえ領土が広く、主君が勇敢でも、
「主将が戦いに敗れて自決すれば、その家来は、あるいは散り散りになり、あるいは降伏する」
とか、かなり冷静に人物や時代を分析しているんだよねい。



903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 10:10:03 ID:l9lXgBOx
政宗は確かに結果的に父と弟(何故兄と子と逆に記録されたのかのう?)
を自らの手で死なせてしまったのだけど、それを儒教概念で正面から
批評されるのはキツイのう。

輝宗が死んた直後の政宗ってさ、怒りと動揺の末に家中の畠山報復の
機運に飲まれて二本松城を寒空の中で力攻めした結果、佐竹と南奥諸侯の
大連合を招いてしまうといった感じで、DQNというよりありがちな空回りして
迷走する若輩当主だもの。
それを乗り切った結果、大きく飛躍したわけだけど政宗にとっても父の死
自体は流石に辛い思い出だよね。不孝者と批評されても本人はその通りだね、
としか言わないだろうし。

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 12:15:30 ID:xOmlGBEU
>>903
>政宗にとっても父の死自体は流石に辛い思い出だよね。

果たして本人は辛いと思っていたかどうか・・・

917 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/13(金) 15:40:02 ID:jkQpTaU+
>>900
相手が秀吉だったら冠をひっぺがえされ、なかにゆばりをいれられるw

藤原惺窩、直江兼続に対面する・悪い話

2009年01月28日 00:18

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/27(火) 11:38:08 ID:VpWuq9FI
大河の主人公・直江山城守の話

直江兼続が藤原惺窩から、小早川隆景、上杉謙信、赤松広通などとともに
「武人ながら、文章もたしなむことのできる人」と評価されているのは
わりと知られているが、惺窩の兼続評は結構辛辣。
兼続、小早川隆景が藤原惺窩のもとを訪れたが、そのとき彼は不在だった。
そこで両者は引き上げるのだが、しばらくして惺窩が帰宅してそれを知った。
すると、惺窩は国元へ帰る途中の兼続をおいかけ、対面した。

のちに「どうして小早川ではなく、直江の方へ行ったのですか?」と聞かれ
惺窩こたえて曰く。
「たしかに兼続という男は器量は大きく、一世の俊英だろう。しかし、
彼は奸雄であり、もし彼が後に大をなしたら、会わなかったことを怒り
私を忌避し、害そうとするかもしれない。それを案じたので直江と
会ったのだ。小早川隆景は一世の君子なので心配はあるまいが」


なんというか、藤原惺窩の行動もいかにも儒学者らしいのだけど、
兼続のエピソードって、「できるやつだけど、性格に難あり」な
感じの逸話が多いような。



関連
藤原惺窩と直江兼続の対面内容
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3611.html

家康、藤原惺窩に注意される・悪い話

2009年01月04日 00:02

891 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/03(土) 11:21:13 ID:LdJJ7leq
家康、注意される

慶長4年家康は、学者藤原惺窩の講義を聴く為彼を京の伏見屋敷へ招いた。そこである事を注意される。
家康「センセーお願いシマース」
惺窩「…」
家康「センセー、どうしたんデスカ」
惺窩「貴様、今どういう格好をしてる分かってるのか」
家康「へ?」
惺窩「貴様学問をなめとんのか、身がきっちとしてねーやつに賢者の道を教えても意味ねーんだよ、分かったか」
家康「ス、スイマセ-ン、((((;゚Д゚ ))))」
藤原惺窩は明の官服みたいなのと唐冠という堅い格好に対し家康はものすごーく楽チンな格好をしてた。
惺窩にしてみればだらしない格好と思っただろう。
そして怒鳴られた家康は着替えて講義を受けたとさ。



892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 11:35:35 ID:9W+yStH0
ファッションの講義かよ

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 11:41:45 ID:GNqkJYIz
講義を聴く覚悟が無いって話だろ
ただ講義を聴いていても身にならん
覚悟が服装に表れてるって話

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 12:04:48 ID:uDzw+lCg
その手の話、劉邦以来腐るほどある気が…
最早、テンプレ

895 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/03(土) 12:11:33 ID:LdJJ7leq
藤原惺窩は儒学者で林羅山の師匠デス

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 12:59:17 ID:jB5xJTyh
明と朝鮮に日本を占領して欲しいと言うほどの明スキー>惺窩

904 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/03(土) 17:41:27 ID:zeeJ0qbl
>>891
>>894
腐れはげ鼠だったら冠をひっぺはがしてそんなかにゆばりを…

それ以前に藤原惺窩だったら、腐れはげの前に出てこんかw

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/03(土) 17:59:33 ID:mMBECw/Q
>>904
あれ?俺いつの間に書き込んだんだ?