加藤嘉明、仲間の悪口を言った者達に

2014年12月06日 18:54

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/05(金) 23:02:40.57 ID:8QLg9v3E
ある風の強い寒い夜のことである。

加藤嘉明は江戸桜田の藩邸内を見回っていた。
すると一室で若侍が二三人集まって仲間の悪口を言っている。

嘉明は知らぬ振りをして部屋に入り、前日獲った鴨を渡してこう言った。

「お前たちは災害の警備をしているな。慰労としてこの鴨をやろう。
これを肴に酒でも飲め。ただし朋輩を謗ってはならぬぞ。」

一同は恐れ入って言葉もなかったという。



313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/06(土) 03:49:29.81 ID:W0G6YswX
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盥(たらい)に乗ってでも

2014年11月20日 17:51

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 09:08:37.14 ID:l80z4riQ
太閤は、高麗(朝鮮)の者どもが船を出して日本船の邪魔をしているというので、九鬼大隅守、藤堂佐渡守、加藤左馬之助(嘉明)、脇坂中務、
久留島(来島)らに退治を命じた。
そこで佐渡守の屋敷へ皆が集って協議していると、左馬之助がやってきて「なんで知らせてくれなかったんだよ!」と言った。
皆は「ここは安宅(大型船)を持ってるやつだけで協議してんだよ。お前は安宅を持ってないんだから教えなかったのは当然だろ。」と口々に言ったので
左馬之助は腹を立て、「安宅なんてなくても皆の集まりには盥(たらい)に乗ってでも参上する!」と言って帰って行った。

『弾塚助之進征韓紀聞』
引用元は参謀本部編「日本戦史 朝鮮の役」




843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 10:05:03.82 ID:bUh9RFbh
涙の捨てせりふ(´;ω;`)

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 10:07:24.44 ID:7AfqQ5uK
ジミだ。タライっていうのがさらにジミ度アップ。

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 10:33:40.62 ID:fPrFgDdN
地味どころかシジミですな

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 10:42:02.61 ID:V1V66d1R
蜆は栄養価が高いんだぞ!

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 11:30:42.57 ID:w54PN1cb
ジミーの意志は彦左が引き継いだ

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 12:29:05.45 ID:4HaHXYef
やべ、ニコニコにある大公開時代のサントラ動画思い出した
あれにちょうど海に乗り出すたらいがあったわw

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 22:37:07.07 ID:Y5ydmYUj
協議の場へ盥に乗って現れるのかと思った

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/20(木) 00:43:02.71 ID:nN8A1gZk
八丈島より泳いで参った!

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/21(金) 13:50:31.42 ID:WiXHrUYD
>>842
ちなみに「日本戦史」でその逸話には「加藤嘉明の気概」ってタイトルがつけられてるから
つまり、やる気を見せた、いい話という扱いなのだ

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/21(金) 23:17:54.78 ID:jRwsxZfR
タライで出陣とかよっぽどの気概が無いと出来ないしな

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/21(金) 23:40:42.82 ID:JvCl2kZo
別にキチガイにだって出来るだろ

加藤嘉明と焼けた火箸

2014年10月22日 18:54

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/21(火) 20:06:57.02 ID:PqAwp755
加藤嘉明の近習たちがある時、焼火の間にて爐に炭火を起こしていた。
この時、近習の者達は寄り合って、火箸を焼き、これを灰に立ておいて人に取らせようとした。
知らずに火箸を使おうとして手にとって熱さに驚かせる、というイタズラである。

ところが、ここにやって来たのは主君である嘉明であった。
嘉明が火箸を取ると、手から煙が立った。
しかし一向平気な様子で、灰に一文字を書きそのまま差し込み、他の者達と物語などしたが、
手の痛む様子は全く見えなかった。

近習の者達は、もとより主君を驚かせようと思ってやったイタズラではなかったので、各々心中
大いに恐れていたが、翌日嘉明は医者から薬を取り寄せ、程なく完治し、その後何の沙汰もなかった。

(明良洪範)

加藤嘉明、イタズラを気にせず、というお話



91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/21(火) 20:35:46.45 ID:YMTtV9cN
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-28.html
前に見たことあると思ったら6年前に一応出てたのか
出典はないけど

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/21(火) 23:11:50.82 ID:tFKhZDfj
>>90
島津義弘版を読んだような

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/21(火) 23:42:45.68 ID:dTZPRtFD
地味加藤の痛覚おかしいだけだろw

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/22(水) 11:27:02.10 ID:5wAGXIVZ
作左や宗茂みたいに痛くても平気な顔してないと武将じゃないから

嘉明はそう言ったきり

2014年02月27日 19:09

474 名前:1/3[sage] 投稿日:2014/02/27(木) 12:02:38.03 ID:F91xE93Q
池田光政の家老、池田伊賀守長明は加藤嘉明の外孫でもあり、父が早逝した長明は、一時期嘉明に
養われたこともあって、裸一貫から大大名にまでのし上がった祖父を大いに尊敬していた。

ある時、長明は嘉明にその武功を尋ねたが、嘉明の答えは「そんな昔のことは忘れたわい。」
と、そっけないものだった。

「ですが、おじい様は唐の島(巨済島)の海戦等で大手柄を立てた、と聞き及びますが……」

「十五~六歳の小姓が敵船に乗り移ろうとして、矢に当たり海に落ちて死んだ。かわいそうな事をした。」
嘉明はそう言ったきり、口を閉ざしてしまった。

475 名前:2/3[sage] 投稿日:2014/02/27(木) 12:04:50.57 ID:F91xE93Q
慶長2年(1597)7月、日本軍は巨済島沖で朝鮮軍船団数百艘と対峙した。諸将は対策を話し合ったが、
加藤嘉明は「目に余るような大敵相手に、小勢で当たるのは如何なものか。」と主張した。

ところが肝心の嘉明隊から、敵船団に向かって行く船が現れた。

「あーこれはいかん。わが命に背くあの者共を止めてこい。」
嘉明の命により次々と船が漕ぎ出されたが、いっこうに先の抜け駆けした船に追いつかず、ついには
敵船団に迫ってしまった。

「うーむ。これは、わしが行って止めねば収まるまい。」そう嘉明が言い放つや否や、嘉明隊の全船が
動き出した。要するに、最初の嘉明発言からして仕組まれた、抜け駆けのための策である。

476 名前:3/3[sage] 投稿日:2014/02/27(木) 12:07:05.87 ID:F91xE93Q
河合庄大夫・庄次郎親子ら五人を連れた嘉明一行の船は、敵船団の中を進んでいった。
「殿、船はどちらに着けましょう?」「中央の大船に着けよ。」

船団の真ん中の大きな船に乗り移った嘉明一行を、敵は船内で剣を抜き、鏃を揃えて待ち構えていたが、
一行は恐れず敵中に飛び込んで斬りまくり、この船を乗っ取ることに成功した。
嘉明が船内から甲板に出ると、味方諸将の船団を追いついており、すでに火のついた敵船もあった。

嘉明一行は次の獲物を物色し、十六歳の河合庄次郎が真っ先に別の船へ飛び移った、その瞬間。
狙い撃ちされた庄次郎は海に落ち、そのまま浮かんで来なかった。(常山紀談より)


この武功等により十万石に加増され、大大名への足がかりをつかんだ嘉明だが、
己の無謀な策により海の藻屑と消えた若者たちがいたことを、生涯忘れていなかった。





君に歯をあげよう

2014年02月14日 18:22

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/13(木) 23:44:51.91 ID:PTUORU8V
君に歯をあげよう


慶長元年冬。豊臣秀吉の奥歯が、抜けた
すでに60をこえた老人であるから無理もないことだった

彼はそれを拾い上げて、しばし眺めると

「これを、左馬介(加藤嘉明)に預けておこう」

そう言い出した

『一歯一本、其方ヘ預ケ置候也  慶長元年 極月   秀吉
                            加藤左馬介とのへ』


そんな手紙と共に、豪華なケースに入れられた歯が京都・豊国神社の宝物殿にありましたとさ
秀吉は嘉明のことを結構気にかけていたのかもしれないと感じたわ




354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/13(木) 23:53:05.86 ID:CUk0U8Ep
こんなもんいらねーよ糞ジジイwww

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/14(金) 00:02:47.44 ID:mhY8AtC7
呪術に使われるもんですのでね

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/14(金) 01:37:30.09 ID:AcbzGhjf
秀吉「あいつどんな顔するんだろW」

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/14(金) 07:54:24.52 ID:+JHJY72M
現代でも誰某の使ったなんちゃらがオークションでかなりの値がついたりするからなあ
矢沢永吉の奥歯だって価値が出るやもしれん

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/14(金) 08:01:12.67 ID://AIZCJn
>>353
…いい話なのか…

いい話…
いいはなし…
いい歯なし…

(゜m゜;)!

良い歯無しなのかっ!!

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/15(土) 09:23:53.03 ID:SXBHeHVN
>>353
ありがたやありがたやw 嘉明さんは真面目そうで好きな武将だからえがった

しかしながら、嫡子の明成がいる。

2013年10月04日 19:43

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/04(金) 17:51:34.82 ID:fpB3YH0E
寛永四年三月十四日、加藤嘉明は新恩二十万石を賜り、松山から会津への移封を命じられた。

この時、嘉明は「かたじけなき恩命を拝受いたしましたが、会津は枢要の地でございます。
しかしながら、今となっては家臣の武事に馴れた者もすでに亡くなってしまいました。

この地を守る役目におこたえすることができません。できることなら、松山にいたく存じます」
と、これを辞退した。これに対して(将軍の?)「しかしながら、嫡子の明成がいる。

彼がどうしてお前に劣るだろうか。無理に辞してはならない」との仰せがあったので、
嘉明はふたたび断るまでもなかった。そして会津に移り、四十万石を領して若松城に住んだ。

――『寛政重修諸家譜』





432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/05(土) 01:08:04.45 ID:63EPQkxw
嫡子がアレだから、どっちにしろ駄目だったような

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/05(土) 17:14:24.46 ID:mWYlaOPV
会津って行く大名ロクな目にあってないように思えるのは気のせい?

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/05(土) 18:26:23.26 ID:4BQaJR0y
要地だからな。
代替わりとかで任せられないと判断されたら速攻で減封移封

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/05(土) 18:27:24.42 ID:TpseN78i
譜代の鳥居ですら速攻改易だもんなあ

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/05(土) 19:40:25.20 ID:lr38n4dg
>>423
生死の淵をさまよっていたとか関ヶ原本戦時とかでも本調子じゃなかったろうに
あの激しい追撃とかやっちゃうのか

樫井合戦の時

2013年09月27日 19:50

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/27(金) 17:44:47.28 ID:yDHM3m1S
樫井合戦の時、先鋒塙団右衛門直之、淡輪六郎兵衛重政、岡部大学則綱以下は三千程の勢を
引き連れ、安松を目指してやって来た。ところで、岡部は去る冬に直之が蜂須賀陣へ夜討ちした時、口論して
共に出なかった事に腹を立てていた。

「今日は団右衛門に先陣を越させまい」と、岡部はなにくわぬ体で先へ乗り出した。これに直之が声をかけて、
「約束の通り胴勢を揃えて攻め寄せようぞ」と言った。岡部は振り返ったけれども、うんともすんとも答えずに
進んでいった。

直之は激怒して「侍の義理を違えて先を駆けるなら今日は必ず討死しろ!さもなくば男は立たないぞ!」
と言って、同じく駆け出した。重政も「某は泉州路の案内をお受けしているというのに、後に残ることはできない」
と、同じく乗り出し、彼らは思い思いに馳せて行った。

(この後、浅野勢と戦って直之と重政は討死)

ある本によると、この合戦が終わった後、米田監物、御宿越前守、上条又八らは安松にて岡部に向かい、
「団右衛門を捨て殺しにするようでは、男は立たんぞ」と悪口したところ、岡部は返答も無かった。

このため、彼らは大野主馬介治房に「臆病者を組に置かれることは無用です」と言った。これに治房が、
「もっともな事ではあるが、今に至って物頭を追放するというのはどうしてだ。御利運の上で」と言ったので、
皆々治房とは不和になったという。

ある本によると、岡部大学は塙団右衛門とは古い傍輩で、加藤嘉明の甥川村権七の母方の叔父だった。
大坂陣の時に城を出て剃髪し『愧世庵』と称した。当時の人が大坂陣の事を尋ねれば「某は隠れもなき者であるが、
男のならぬ首尾のためにこのような身となった。よって合戦のなりゆきは一切知らない」と答えたのだという。

――『新東鑑』





幕府は嘉明の術中に

2013年09月20日 20:00

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/20(金) 18:15:26.20 ID:GXlqmBUh
加藤嘉明は二十万石の大名となり、正木は狭くゆとりがないと共に要害として
好ましくないので、勝山に築城しようとした。そこで幕府の許可を得ようとした際、

方略上の候補地を第一に御幸寺山、第二に天山(一説星の岡山)、第三を勝山として
申請したところ、幕府は勝山を指定して嘉明の術中に陥ったという。

――『加藤嘉明公(這は後人の付会説ならん)』





「六十にあまりしまでのねんさいを」

2013年08月16日 19:53

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/16(金) 16:36:44.62 ID:y/DTOoie
加藤嘉明は府中屋念斎夫妻と仲が良かった。念斎は財産家でいわゆる御用商人である。

念斎は嘉明の頼みに応じて、松山市街創設の際に町家の地割を行い、その経営に尽力した。
また、独力で濠を堀り、これを念斎堀と称した。

この念斎はそそっかしい性質で失言することが多かった。妻はこれをとても憂慮して、
嘉明に夫の性質を正してほしいと求めた。

これに嘉明は「不覚は大事というわけではないから、それほど気にとめなくともよい。
一日に三回までの失言は許しなさい。それ以上の時は注意しなさい」と答書してその末に歌を附した。

「六十にあまりしまでのねんさいを、いまさらしめすつまのやさしさ」

――『加藤嘉明公(伝説、仲田文書)』





914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/16(金) 18:27:55.05 ID:hP62bGop
>>913
加藤さんにも、こういう歌をよむような洒落っ気があったんだなぁ

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/16(金) 18:37:11.06 ID:yNmQ+qR7
三才「3回でアウトな」

加藤左馬助嘉明は武辺の吟味残る所のない人である

2013年07月24日 19:51

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 20:12:06.54 ID:BTaLqH8H
左馬助嘉明は武辺の吟味残る所のない人である。

家中の士が具足甲冑頬当をすれば戦場で見ても誰だか判らなくなる
だろうと、家中の士の具足冑前立までそっくり違わぬように極彩色で
描かせて、その者の姓名を記した。

会津城広間の番所から書院に至るまで屏風を何双も立て置き、諸士
が互いにこれを見知るようにされた。

もし誰かが具足を威しなおす等、品の変わる事があれば役人までこれ
を届けさせ、絵師がかの士の許へと行って、とくと見届けさせてから
前々の絵を書き改めさせて張り直した。

六尺の六枚屏風に六人づつ描かれていたが、大大名であったので
全ては描き尽くせず、侍大将・組頭・物頭・物奉行・小荷駄奉行・目付・
横目・あかし・使番等が出されていた。

馬廻の士は一手一手の旗指物、相印で区別が付いた。

その頃、諸家においてはこれを取沙汰して、もっともよい格式である
と評判であった。

(当代奇覧)




757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/23(火) 20:39:07.47 ID:pLWRatP9
この屏風が残っていればものすごい史料的価値があっただろうに

加藤嘉明、時に十三歳

2013年07月15日 19:52

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/15(月) 18:51:44.42 ID:wcFOw4zh
天正三年より、加藤嘉明は近江長浜の羽柴秀吉に仕えた。
秀吉は嘉明を養子の秀勝に近侍させた。時に十三歳。

天正四年、秀吉が播磨を征伐するや、嘉明は主の秀勝に暇を告げずに
おもむいて軍に従った。夫人(政所)は怒って秀吉に、

「孫六は無頼な者です。早くお帰しになってください」と書を送ったが、
秀吉はその盛んで勇ましい志に感心して嘉明を軍中に留めた。

――『加藤嘉明公(家譜)』





東軍諸将の作戦は様々だった

2013年06月20日 19:54

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/20(木) 00:15:29.06 ID:aB7oSDM+
岐阜城の戦いでは東軍諸将の作戦は様々だった。

「根小屋を焼き軍を徐々に引くべきだ」

井伊兵部殿がそう言うと対して加藤左馬頭が申し出た。

「根小屋を焼こうとすれば敵方はそうはさせぬと出てくる筈だ。
この機会にこそ討ち取るべきである」

根小屋を焼いたら左馬頭の謀の如くして勝利を得た。
それ故に左馬頭殿は自画自賛の心を持って
それにつけ兵部殿はどんな謀で根小屋を焼こうとしたのやらという態度をしたようなしないような…。
これを兵部殿は奇怪なことだと思った。

その後、兵部殿は手に怪我を負った時、左馬頭殿よりの見舞いの使者が遣わされた。

「何故に御手にお怪我を負われたのですか?」

「はあぁ?何故に怪我をしたのかだと?
敵の近くに寄ったからに決まっておろう」

というやり取りがあった。

(武功雑記)




900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/20(木) 00:48:43.70 ID:aB7oSDM+
岐阜城の戦いでの作戦についてはジミーのWikipediaにある『明良洪範』の記述と違いますね
直政が「一気に総攻めにして抜くべき」と言い
対してジミーは「一気に抜くことは不可能だ」と慎重になっていて
結局ジミーも「敵は守りが十分じゃないから一気に倒す事が出来る」と
なんだ結果としては最初に直政の言った作戦通りじゃね、という事になってます

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/20(木) 12:17:21.44 ID:XsocPi2K
なんか地味加藤さんがアホに見えたぞ

そこにたまたま目覚めた嘉明が

2013年06月15日 19:55

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 13:45:24.80 ID:geI8ZKOL
加藤嘉明が若松へ移った翌年、盆の夜に守岡主馬の別邸で踏歌があった。

嘉明が眠りに就いた後、侍臣は密かに出て行ってこれを見たので、
ただ一人の老人が次室に残るのみとなった。

そこにたまたま目覚めた嘉明が「侍臣らはいずこにおる」と問うたので、
老人は事実を答えた。

これを知ると嘉明は老人に「お前も見に行け」と言った。

――『加藤嘉明公(細野写本)』




499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 18:27:10.31 ID:4n+cmVjc
さすが常識加藤

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 19:13:56.55 ID:7YNrIGDv
優しいなぁ

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 19:23:30.66 ID:p1LPZbCT
役目を放棄するとは何事か!で行った連中全員切腹でもおかしくないのにな
秀忠さんとかそれくらいしかねんぞ

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 19:27:08.40 ID:dvguJODF
>>501
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1274087812/424

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 19:48:52.94 ID:qbbrMiMl
こんなに優しい殿は家臣に舐められるだろ。
勝手に退出した奴は斬首で、注意しなかった
老人は切腹あたりが妥当。

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 20:02:48.19 ID:qSiYlSlG
「夜勤は眠いし~暇だし~」

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 20:15:08.71 ID:Biuot+vQ
蜂須賀家政もその手の優しい逸話があるな

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 20:27:04.76 ID:VI93AqAZ
>>503
加藤嘉明は戦場での猛将っぷりみせつけてるし天下人が移り変わる中で藩存続させた姿を
家臣は間近で見ているわけだからそんな心配は無いだろ
まあ息子はなにかと父と比べられて舐められやすくはなっただろうが

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 20:30:02.80 ID:GVF5T2t5
加藤は家臣には基本的に優しいけど、自分の言う事きかない人には優しくは無いという線引きしてたんじゃない?

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 21:16:55.04 ID:v0gfl6Zx
優しくすれば舐めてかかる人間もいれば、
抑えつけると反発する人間もいるからなあ
正解はないでしょ

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 11:08:40.41 ID:UVJmsyTD
まーくんだったら「俺も行くぜ。んでつまらなかったら首落としたやるぜ!」くらい言いかねない

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 14:40:29.74 ID:lspbdD/+
なぜ俺を誘わない、で処罰

加藤嘉明、秀吉に仕える

2013年06月08日 19:57

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/07(金) 18:58:12.56 ID:Rg3gkucJ
加藤嘉明は永禄六年正月朔日、賀気村に生まれ、幼名を孫六と称す。
父教明の落魄して美濃にあるや、嘉明もまた従って美濃に来たり、好んで馬を養い、
すこぶる馬術に長じた。

ある日、嘉明が馬を引いて近江長浜に至り、城主加藤景泰に謁して馬を売ろうとした時、
城中に荒馬がいて将士にはこれをうまく操れる者がいなかった。

景泰が命じてこれに試乗させたところ嘉明はすぐに承知し、乗鞍一鞭馳騁思い通りに
ならない事はなかった。

景泰は大いに感歎し、翌日嘉明を引き連れて秀吉に謁見しこの事を語ると、
秀吉は珍しく思って命じて嘉明を景泰の子とし、姓を加藤、名を左馬之助嘉明と改めさせて
家臣に加えた。

――『鹿深遺芳録』

もともと岸氏を称していたのが、三河を逃れて仮に賀気氏を称し、
嘉明が養子になって加藤姓になったということらしい。




422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/07(金) 19:02:03.80 ID:0j7xiByN
空気加藤「父上が余計なことをしなければわたしが地味加藤だったのに」

幼年にして既にこの注意

2013年06月03日 19:51

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/02(日) 23:49:28.53 ID:8NTJDnCZ
時に天正二年、加藤嘉明は十二歳であった。同三年五月、秀吉が播州三木城を攻める時に当たり、
大雨がしきりに降ったので秀吉の戦袍が濡れてしまった。

日暮に本営へと帰った秀吉が戦袍を脱ぐと、嘉明は火を焚いてこれを乾かした。
これについて秀吉が「小坊は何をしておる」と問うと、嘉明は「君公が明日出軍される時に
用を為せるようにしようと思いました」と答えた。

秀吉は賛美して「幼年にして既にこの注意とは、後日には名将となることであろう」と言った。

――『鹿深遺芳録』




388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/03(月) 10:29:28.61 ID:PbcC++lL
ギギギ我が見せ場を取るとは…

かくて三成は嘉明に隔意を持つようになったのであった

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/03(月) 11:18:08.29 ID:qPcKQ5mh
>388、それじゃ悪い話じゃないかw

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/03(月) 20:25:37.43 ID:aNfUFRr4
数え十二ということは小学5年くらいかな
平和な時代の小姓なら幼くても務まるんだろうけど戦乱の頃だとたいへんだよなあ

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/03(月) 20:49:03.24 ID:8mohmn0C
戦国期の早熟っぷりは宣教師のお墨付きだからな
曰く「うちらで十歳って洟垂れ小僧だけど、こいつらの十歳は使者とか普通にこなせててすげぇな」

加藤明成は独り廻章に

2013年05月28日 19:41

725 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/28(火) 17:57:09.54 ID:IeDKOz3w
一説に、徳川二代将軍は諸侯に野心があるか否かを試そうと、密かに土井利勝に命じて
偽りの謀叛を計らせ、織田豊臣に縁故ある七大諸侯に廻章を出して同意を求めた。

侯伯らは直ちに利勝の逆意を密告するか、または書を見ずに返したのであるが、
加藤明成は独り廻章に点を掛けた。

これまた嫌疑を招いた一事であり、領土返還の事はあるいはこれにより起こったという。
記して参考とする。

――『鹿深遺芳録』





加藤嘉明の仁徳雅量

2013年05月09日 19:51

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/08(水) 20:54:39.02 ID:GQFIaNJS
加藤嘉明の重臣である藪与左衛門は故あって閉門に処された。
嘉明は密かに侍臣を遣わしてその状況を見てこさせた。

帰ってきた侍臣は大体の状況を述べた。
次に、来会していた人名を告げようとすると、嘉明はこれを制して曰く、

「その氏名を聞く必要はない。友人に善き者は、主人にもまた忠なる者だ」と言った。

来会した人々はこれを伝え聞いて嘉明の仁徳雅量に感動し、
それ以来、大いに謹慎して、かつ忠勤を尽くしたということである。

――『加藤嘉明公(細野氏、写本)』





それでも嘉明は平然として

2013年05月08日 19:50

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/07(火) 21:43:45.62 ID:ZTsDJyXS
ある年に加藤嘉明は秀吉に従って山路を通過した。時に凍りつくような寒さは堪え難くなり、
秀吉は嘉明に命じて酒を調達させた。嘉明は馬槽(馬の飼料を入れる容器)を携えて民家に入り、
濁酒を持って帰って来た。

秀吉は喜んで酒を少量飲むと、その余りを付き従う将士に与えて、
「汝等も少しばかり平等にこの酒を飲め。そのうえで残った酒があれば、私がまた飲むからな」
と、言った。ところが、嘉明は馬杓を使ってこれを飲み尽くしてしまった。

秀吉はたいへん腹を立てた。それでも嘉明は平然として、まるで何も知らない人のようだった。

――『加藤嘉明公(細野写本)』




570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/07(火) 21:48:59.34 ID:Iq5cwOLw
嘉明は他の人にも飲ませてあげたのか、それとも一人で大部分をのんじゃったのか

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/07(火) 22:17:58.07 ID:13YmHMsD
知らぬ顔してるってオチだから一人で全部飲んだんだろうw
まさに主の心、嘉明知らずと言ったところだなw

573 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/05/08(水) 10:00:39.99 ID:ozFXPsMk
ラスボス後期なら問答無用でぶち殺されそうだな…

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/08(水) 17:21:16.57 ID:cKpveGiZ
>>569
なんのオチもない話w 

加藤嘉明は家臣に酒を与える時に

2013年05月07日 19:52

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/06(月) 23:52:31.27 ID:XfzQvwLM
加藤嘉明は家臣に酒を与える時に、大小二つの盃を使った。
家臣に大杯の時には少量の酒を受け、小杯の時には満杯の酒を受ける者がいた。

嘉明はこれを見て「汝等は酒の受け方を誤解している。

大盃は一時にたくさん飲むためのものだから、十分に受けるものであり、
小盃は何度も少量を飲むためのものだから、軽く受けるものだ」と言った。

――『加藤嘉明公(細野氏、写本)』




209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/07(火) 10:25:10.37 ID:UThT27B9
余談だけど加藤嘉明って小男だったのかな?
松山城行ったら鎧があったけど、隣の松平定勝のやつより一回り小さかった

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/07(火) 14:10:22.76 ID:pCP2coqL
嘉明は猛将と言われているのに後世に残る逸話が細かく手堅いネタばかりで結構好き

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/07(火) 18:37:55.09 ID:XmOH3kGB
そこがジミー扱いされる由縁かと

団右衛門が化粧料

2012年12月03日 20:07

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/03(月) 18:02:06.58 ID:tVKt69Nz
お万の方は紀州頼宣と水戸頼房の生母である。
駿河にて塙団右衛門は名高き大剛士と聞いたお万は、

「お子たちに太刀を参らすのは当たり前のことです。
大将の宝とはまさに士であって、それ以上の物はありません」

と、鏡台金として毎年賜る五百両のうち二百両を団右衛門が
流落していた時に与えていた。

「有事の時には剛の者を一人でも愛しき子に参らせたい」
と言っていたのだとか。

大槻磐渓曰く
「化粧に務めてその美を飾るのは婦人の常態である。
その化粧料を捨てて国家のために猛士を養うなど思いもよらぬことだ。
ああ、この母にしてこの子あり。南龍公が勇武絶倫であることは
怪しむに足りないことである」

――『近古史談(常山紀談)』

でも結局団右衛門は…。




619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/03(月) 19:06:57.08 ID:iMgPW1C6
この化粧料で買った木札に名前を書いてばら撒いたわけか

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/03(月) 21:10:34.29 ID:3KzWe+JK
塙団右衛門は欲のない人だったのかな?
そういう伝手があれば大坂の陣でちょっと活躍すれば取り立ててもらえたのに

621 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/04(火) 00:07:45.67 ID:P2+cHhb7
>>620
名誉欲だけが人一倍あったんじゃね?
大阪方で暴れまくって死んだおかげで名前が400年後まで残って大正解だな。