30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 17:57:09 ID:8gDX3tE+
かつて横手を領した小野寺義道は、関ヶ原の戦い後に石州津和野へ流された。
恩人・坂崎直盛の供養が有名だが、その後も彼は生き続けている。
彼はたびたび、佐竹氏に仕官した旧臣に書状を送り、羽後の近況を尋ねていた。
そのうちの一通、1645年の書状はこんな内容だった。
「この短冊を、形見として送る。
自慢するようだが、私の書いた短冊はあちこちから所望されるのだ。嘘ではない。
頼まれれば否とも言えないので、流人である恥も構わず書き与えている。
出雲や長門、安芸などからも地紙を届けてくるから、もう百枚は書いただろう。
これは余人には言わないでくれ。
六郷のやつは運がいいな(羽後から常陸へ移封されたが、後に国内に戻れた)。
由利衆の面々はどうしているか、まるで知らないから、詳しく教えてほしい。
私に仕えていた者などは、大抵死んでしまっただろうな。
誰が生きているのか、詳しいことを聞きたい」
この書状の日付から10日余後、
恐らくは最期まで故郷を思いながら、義道は80歳で死去した。
31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 18:07:26 ID:l9LCPUt+
>>30
小田氏治「他人事とは思えない」
32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 19:10:37 ID:izVB9wIP
返事は読めなんだか・・・
かつて横手を領した小野寺義道は、関ヶ原の戦い後に石州津和野へ流された。
恩人・坂崎直盛の供養が有名だが、その後も彼は生き続けている。
彼はたびたび、佐竹氏に仕官した旧臣に書状を送り、羽後の近況を尋ねていた。
そのうちの一通、1645年の書状はこんな内容だった。
「この短冊を、形見として送る。
自慢するようだが、私の書いた短冊はあちこちから所望されるのだ。嘘ではない。
頼まれれば否とも言えないので、流人である恥も構わず書き与えている。
出雲や長門、安芸などからも地紙を届けてくるから、もう百枚は書いただろう。
これは余人には言わないでくれ。
六郷のやつは運がいいな(羽後から常陸へ移封されたが、後に国内に戻れた)。
由利衆の面々はどうしているか、まるで知らないから、詳しく教えてほしい。
私に仕えていた者などは、大抵死んでしまっただろうな。
誰が生きているのか、詳しいことを聞きたい」
この書状の日付から10日余後、
恐らくは最期まで故郷を思いながら、義道は80歳で死去した。
31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 18:07:26 ID:l9LCPUt+
>>30
小田氏治「他人事とは思えない」
32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 19:10:37 ID:izVB9wIP
返事は読めなんだか・・・
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