九戸城落城

2015年09月02日 08:56

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/02(水) 00:01:40.69 ID:JNt17zIE
九戸政実の乱で九戸城を攻めていた諸将は、城が備え固く落ち難いことに加え、
疾病が流行して大いに苦しんだ。

そのような中、九戸の苦戦を聞いた奥州仕置の総大将である豊臣秀次の軍勢が進み三迫に陣し、
徳川家康も岩出山に陣したことが京都の豊臣秀吉に聞こえ、背後にいる伊達政宗を警戒した。

蒲生氏郷たち九戸攻めの軍は、城を攻めても抜くこと能わず、諸軍の兵糧も乏しくなり、
浅野長政の陣に集まって軍議した。ここで、井伊直政が発言した

「賊兵は嶮に寄り良く戦っており、未だ力攻めすべき時ではありません。
しかし賊は勇気はありますが智略を持っていません。謀を以ってこれを誘い、彼らの生命を保証すれば、
きっと従うでしょう。」

諸将は賛同し、書状を作り九戸城傍の長興寺の僧に持たせ、城に入り九戸政実を説かせた。
政実はこれに従おうと思い、籠城衆の多くも賛同した。畑尾山重勝は反対し死諫したが
政実は従わず、15日、久慈直春ら数人とともに浅野長政の陣に赴き降伏した。
長政はたちまち政実らを捕縛した。

九戸の重臣である七戸家国櫛引清長らは欺かれたことを知ると、政実らを奪還しようとしたが
及ばず、次に蒲生氏郷を討とうとその陣に突撃した。氏郷の将である長谷川、福原、寺西、前野、
明石といった者達がこれを遮り戦死した。

櫛引清長は蒲生軍によって銃撃され負傷し、七戸家国と共に退き、九戸城に入って自刃した。
七戸家国は搦手より出て甲冑を脱ぎ、南部信直の陣営に向かって叫んだ

九戸政実は西軍(豊臣軍)によって欺かれ遂に虜とされた!私は今まさに死のうとしている。
すなわちこの城は落ちる。
乞う!君兵を早く進めてこれを取れ!他をして先んぜられるべからず!」

そう言い終わると城に戻って、残っていた者たちを説得し搦手より逃がし、自身は城に残って
自刃して果てた。

こうして、南部信直は最初に九戸城に入り城兵を鎮撫した。

(九戸戦史)


九戸戦史より、九戸城落城の模様である。



248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/02(水) 03:30:02.35 ID:LQ+hPAWo
浅野じゃないのか

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城主九戸の奥方も逃げ出そうとしたが

2012年12月17日 19:51

795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 19:44:34.29 ID:/EVut8fi
1591年に起きた九戸政実の乱は九戸側の敗北に終わった。
蒲生氏郷の軍によって九戸城が包囲され、いよいよ落城となると、城内は逃げまどう人々で
大混乱におちいった。
城主九戸の奥方も急いで逃げ出そうとしたが、履物が見当たらない。とにかく城主の妻であるから
裸足で歩くことには慣れていなかった。そこで、そばをうろついている者を捕えて履物を奪った。




796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/16(日) 20:46:33.26 ID:1lv3g2gu
>奪った。

え?

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/17(月) 00:14:37.93 ID:mTxjSZHZ
>>795  男物だったりしてw

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/17(月) 00:15:38.50 ID:nlXYvHQN
続くのかと思ったらこれでおしまい?

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/17(月) 01:38:16.58 ID:WviuVYra
>>798

>>795の九戸城の話は戦国の合戦事典の本で紹介されていたものだが、その続きは
書かれていなかった。他の史料の天正南部軍記によれば九戸政実の妻は息子の亀千代とともに
城の外へ出たが、蒲生勢に捕えられて母子ともども斬首されてしまったらしい。

九戸政実の乱、処分の顛末

2012年10月30日 19:58

88 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 07:58:19.47 ID:Rgn5Goix
天正19年(1591)、豊臣秀吉の奥州仕置への大きな反発の一つとして勃発した九戸政実の乱。
要害である九戸城に籠る政実に、浅野長政、蒲生氏郷などを中心とする6万の豊臣軍はこれを攻めあぐね、
戦線は膠着した。
そこで南部信直の献策により、浅野長政は九戸氏の菩提寺である鳳朝山長興寺の薩天和尚を使者として
九戸城に送り、書状を以って九戸政実にこの様に申し入れた

『九戸がこのように籠城し、諸人をあい煩わせているのは意味のない行為です。何故なら、天下を敵に受けて
どれだけ防ぎ続けたとしても、どうして本望を達せられるでしょうか。終には城を攻め落とされて、皆々殺戮され、
一門郎党までも滅亡するでしょう。

ただし九戸は元来天下に対して逆意を持っているわけではありません。であれば速やかに降参し、前非を改め、
京に上がって右の趣を弁明すれば、秀吉公もきっとお赦しになるでしょう。その上私を始めとする諸大名があなたを
弁護するので、死罪、流刑ということには決してなりません。

よしなき謀反人となって一門が滅亡するよりも、戦をやめ降人となってどうか城より出てください。
しかし、もしこれに同心無いのであれば、致し方なく攻め果たすでしょう。』

これに九戸政実は動揺した
「その通り、私は元来天下に対して逆心があるわけではない。弾正殿(長政)さえ納得しているのなら、降伏したものを
死罪や流罪にまですることはないだろう。
それに、私自身の身の上はどうなっても構わない。だが心に懸かるのは11歳になるわが子亀千代のことである。
あの子が生き延び、どこの野の末、山の奥であっても健やかに生活していけるのなら、私はこの首を斬られても
少しも厭わない。」

これに対し政実の舎弟・彦九郎実親は
「殿の仰ることは尤もだと思います。ですが上方の習いとして、弓矢で以って敵を討つ事はせず、ただ謀略ばかりによって
骨折りすること無く人を倒すといいます。去年北条殿も、そのように謀られたために、小田原の城は落ちてしまったのです。
その上、仮に弾正殿が赦したとしても、私達が直接反旗を翻した南部信直が私達を許すでしょうか!?
侍というものは、死すべき場所で死なねば必ず後悔するものです。

今、この城を枕に潔く討ち死にすれば、名は後代に残り滅亡したあとも人々はその薫香を感じてくれるでしょう。
殿はこれをどうお考えか!?」

そう、はばからず発言し、これに九戸家中は、さもありなんと押し黙った。
しかし使者の薩天和尚はこれに

「彦九郎様の仰ることも一理あります。しかし弾正殿ほどの侍が、出家であるこの私に対し偽るとは思えません。
それに降参すれば命を助けると仰った以上、南部信直も自我を押し通して殺害するようなことはしないでしょう。
とにかく天下を敵に請けて、万が一にも遁れられません。一人の覚悟のためだけに万人を殺すというのは、仏神の
咎も深いものです。一旦敵に下り、身命を全うし子孫の後の繁栄を図るのは、これもまた孝行の道ではないでしょうか。
どうか恨みの心を止めて、これをお請けなさるべきです。」

この言葉に九戸政実は遂に、降伏を決めた。


当然、長政の嘘である


九戸城の本丸は蒲生氏郷が接収し、籠城衆はみな二の丸、三の丸に移された。九戸政実は重臣たちとともに
九戸城を出て浅野長政の陣に出頭した。
ところがここで彼らは「降人の作法である」と武器を剥ぎ取られ、囚人のように一ヶ所に監禁された。

「騙された!」

もう遅かった。

89 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 08:00:23.27 ID:Rgn5Goix
蒲生氏郷は「九戸の者で城から落ちようとするものがあれば、すべて殺せ!」と命じた。
政実の舎弟・彦九郎実親は降人に出ず、一人であってもこの城を守って自害しようと思い定めていたが、
浅野長政から様々に『命においては問題ありません。どうか下城してください』としきりに勧められたため、
疑いつつも本丸を降りて二の丸に至ったところで、蒲生氏郷の軍勢が本丸より銃撃し、撃ち殺された。
そして殺戮が始まる。

哀れを極めたのは九戸政実の北の方と子息・亀千代である。
城内に敵が乱入したため途方に暮れ、北の方は亀千代の手を取り落人に紛れ城の外に出た所を、蒲生軍に捕らえられた。
そして氏郷の陣に引き連れられると、氏郷は外池甚五左衛門に命じた。
「首を刎ねよ」

母子を後方の森に引き出し、甚五左衛門が太刀を取り後に回ると、北の方は

「少し待ってください。心静かに最期の十念をしてそれから討たれたいのです。」

そう言うと泣きながら亀千代の側まで近づき

「どうか、未練に見えないようにしなさい。西に向かって手を合わせ、南無阿弥陀仏と唱えていれば、必ず浄土に
迎え取られますよ。」と教えると、亀千代はおとなしく合掌し、念仏を唱えながら言った。
「早く討たれよ」

そう言われて外池甚五左衛門は彼の後ろに回ったが、誠に容顔美麗な子供が、細い手をあわせて畏まって居るのを見ると
さすがに哀れだと感じ、暫く討つことが出来なかった。
この姿を見た者達、涙を流さぬものはいなかったという。

北の方は言った
「私から斬られるのが順というものでしょう。ですが、幼い者が母を討たれるのを見れば、きっと驚いてしまうでしょう。
先ず、その子を早く斬ってください。」

この言葉に外池は太刀を振るうと、亀千代の頸は前に落ちた。それを見た北の方は守り刀を取り出し自害した。
外池は母子2つの首を取って氏郷のお目に懸け、氏郷から弔うようにと、菩提寺である長光寺に送られた。

九戸城の二の丸に押し込められた九戸一族郎党は、四方より火をかけられ、猛火の中逃げでてくる者達は
弓・鉄砲・槍・長刀にて討ち取られ、刃を恐れ逃げる者達は、焔に巻かれ焼け死んだ。
老若男女の泣き叫ぶ声は天に響き、目も当てられぬ有様であった。
数代にわたって繁栄した九戸も、忽ちに一時の灰塵となって失せたのである。
(天正南部軍記)

九戸政実の乱、処分の顛末である。




90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 10:09:18.07 ID:11RoK+SS
九戸政実の乱と肥後国人一揆については、ちょっと悪い話どころじゃないよな。

91 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/30(火) 10:31:23.51 ID:WmDBGrPA
時勢を読めなかったってことなんだろうなー

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 10:42:16.15 ID:UPwYGmX+
名門でも無い雑魚大名は皆殺しがデフォだな
秋月が赦されたのが例外中の例外
楢柴パワーのおかげ

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 11:22:11.60 ID:kiwqNgSz
秋月は平家方に味方して大宰府現地長官の地位を追われた人の末裔

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 13:54:35.38 ID:1CCIsB62
ああ、すごく悪い話だな

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/30(火) 13:58:45.76 ID:rA8w7bE1
汚いなさすが南部きたない

実録「九戸城の落城」(祐清私記より)

2009年12月28日 01:16

383 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/27(日) 06:08:04 ID:SmoZxO9k
>>382
その悲惨な例

実録「九戸城の落城」(祐清私記より)

九月四日に戦が終わった。城方の降参が決まり明日にも開城である。
篭城する兵、譜代の郎党達は一様に落胆の色を隠せない。
もはやこれまでと人質の父母妻子を見捨てる者もいれば、一方で人質を勝手に連れ出し
落ち延びる者もいる。
宵の月が山の陰に隠れた夜半、彼らは闇夜に紛れて我も我もと抜け道より落ち延びる。
城内での彼らの持場は旗と幕だけを残すのみである。
降参の前に逃げ出した者は、落城の報を聞き事の推移を見極めようと近場に潜伏している。
落人は、ある者は松前、津軽、秋田に。また、ある者自領に引きこもる。それぞれ
思い思いの地に落ち延びる有様である。
足が弱いからと年老いた親、幼い子供を縁故の町人、百姓に預ける者もいれば、
一蓮托生という者もいる。
(続く)

384 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/27(日) 06:12:32 ID:SmoZxO9k
(続き)
本道は監視の目があるので、落ちるには脇道を行かなければならない。
木々を掻分け、道無き谷をよじ登れば、旅慣れぬ老若男女の足の裏は石や枝で傷付き、
足跡は血で真っ赤に染まる。
痛い痛いともう歩くことができずに木陰に伏せ転び、目に涙を浮かべながらそのまま
寒風の中一夜を過ごす。
食料の持ち合わせもなく、歩くこともできず、人知れず山奥で飢え死にする者もいれば、
妻子を殺し自害する者もいる。
食料を得ようと村へ降りて殺される者もいれば、逆に運良く落ち延びることができて
他国で慣れない仕事をしながら生きる者もいる。
いずれの落人も九戸が繁栄していた頃には、肘を張り、肩をいからし、美しく着飾っていた人々である。
九戸という大木が一本倒れて、彼らのような小木千本が残った。小木の末路とはなんと悲惨なことか。

ちなみに落ち延びずに城に残った人達は城ごと焼かれた。




385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 08:23:45 ID:J7SGr3iU
降れば助命するって、浅野の空約束でしょ?

なんか、浅野のってあんまりいいイメージないんだよなあ

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 17:16:29 ID:BzWH+HOH
>>383
リアルだなあ
名のある武将のもとには無数の人生があるんだよな

九戸政実家臣は畠山重勝の娘、於感の悲劇

2009年10月08日 00:23

於感   
146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/07(水) 00:40:30 ID:qYUJNSNP
九戸政実の家臣の畠山重勝は九戸政実の乱において主君に殉じ死亡した
しかし、妻と娘は従者と共に脱出を果たした
娘の名は‘於感’、当時19歳であったという

脱出を果たした於感達は流れ流れて盛岡に居た
従者の三平と身分違いながら結ばれ、既に子をなしていた
しかし、彼女に悲劇が襲いかかる
夫、三平が事故により両足の自由を失ってしまったのである
家族を養う為に於感は労働者の炊き出しの手伝いを始めた
いうなれば下女である
しかしながら元々武家の娘である、立ち振る舞いは自然と目立っていた
当時於感は28歳であったとされている
その労働者達の責任者に高瀬軍太なる男が居た
軍太は於感を見初め、権力を傘にかなり強引な手段で密通を求めた
そして押し負ける形で於感は軍太に条件を出したのである
「夫を殺してくれたならあなたに嫁ぎましょう」、と
軍太は三平が出掛ける事を突き止め銃を持って待ち構えた
深く着物をかぶって馬にまたがる人影を三平と確信し狙撃、見事に三平をしとめた
…はずだった
しかし、軍太が三平と思った人影は於感であった
既に事切れた於感を前にして軍太は全てを理解した
於感は不義を働く様な女ではなかったのだ
そして…

軍太は逃げなかった
彼は三平に自らの横恋慕を告白し自らの罪を認めた、生殺与奪を委ねたのである
三平は怒りに震えたが命は取らなかった
そして軍太は出家し浄覚と名乗り大泉寺に入った
於感の霊を弔い、その三平達遺族の為に尽くした

数年後、浄覚の枕元に於感が立っていた
浄覚の罪を許し自らは成仏する、と
その証に彼女の墓を叩けばキンキンと鳴るであろうと

現在、盛岡市大泉寺に小石で叩くとキンキンと金属音がする不思議な古い墓がある
そう、於感の墓である


既出ならごめん






九戸政実、四十五カ条の馬術の秘伝・いい話

2009年02月20日 00:12

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 10:17:17 ID:6kWu1LyD
糠部の似鳥というところに相模北条家の浪人で越後という男が住んでいた。
「前世の供養がつたなく、こんな凡人に生まれてしまった。何とか先祖の名を
興したい。桂泉観世音は立って願えばいる間に願いがかない、座って願えば立
つ間に願いがかなうらしい。この観音に祈ってみよう」と、天台寺に毎晩かよ
い、三十三の観音経を読み、三年間勤行に勤めた。

すると、ある夜観音が現れた。「一心に我を頼んだ信心を愛で、これを授けよう」。
観音は一つの手綱を越後に与え、四十五カ条の馬術の秘伝を授けた。たちまち越後
は奥州一の馬の名手となった。その話を聞いた九戸政実は、越後に熱心に申し入れ
て奥義の伝授を受け、自身も天下に聞こえた馬術の名人となった。

後年、豊臣軍六万が二戸城を包囲した。北の塀のきわには、見事な馬に金の飾りをつ
けた政実が立ち、豊臣軍を見下ろした。その威容に包囲軍はたじろいだ。すると、彼
は建物の屋根を乗りまわし、今度は東へ向かう。周囲を威圧すると、さらに馬を飛ば
して南、西へと向かう。寄せ手の兵たちには政実が馬とともに空を飛んでいるように
しか見えなかった。まるで、飛龍が天を行くようだった。見た者も話を聞いた者も
「これは人間業ではない」とおそれおののいた。





36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 11:16:12 ID:/AryFGP+
>>34
馬術ってレベルじゃないな

37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 11:16:52 ID:CKiNnwIv
屋根の上のトノ

41 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 13:22:47 ID:5KbSQ475
>>37
とーのとーのとの南部の子 三戸宗家に楯突いた