968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/09(金) 12:42:16 ID:Z68yCiyN
>>964に便乗して、真田幸隆と長野業正のお話、「その後」
永禄四年(1561)、名将、長野業正も七十一歳。
老齢からの体の衰えは隠しようもなく、体調を崩し、人に会うことも少なくなり、屋敷に籠もりがちの
日々を送るようになっていた。
そんなある日、業正が家人に突然このようなことを言い出した。
「そろそろ客があるだろうから、迎える用意をしておくように。」
不思議に思いながらもその準備をしていると、程なく、その頃、羽尾に引退した真田幸隆が
旧恩のお礼の言上にと、業正の元を訪れた。
真田幸隆殿がいらっしゃいました。そう聞くと業正は「そうだろうと思っていた」と、手を打って喜んだ。
そして幸隆と二人で語り合った。
「幸隆殿、貴公が箕輪にいた頃、誰もその言を用いることがなく、ついに武田家の謀臣となり、
信濃もとうとう切り取られてしまった。この上野も、いずれそうなるであろう。
私ももう、七十を過ぎた。同じ切り取られるなら、どこの誰とも知れぬものより、気心のわかる
貴公に渡すことが、憂いの中の喜びというものだ…。
さて幸隆殿、ここに吾妻郡に続いた地に、利根郡という地がある。
私の養女の夫で、沼田上野介景康という者がここを治めておる。色に溺れるような、
思慮のない男ではないのだが、最近、金子美濃守の姪とかいう、素性の知れぬ女に産ませた子を
平八郎景義と名乗らせ寵愛し、嫡子景久をないがしろにし、廃嫡せんとする気配が見受けられる。
これでは沼田の家も、長くあるまいよ。
私が盗ってやろうと思っていたのだが…、もう、寿命も尽きるようだ。
かと言って、わが子の力ではまだまだ及ばぬ。
よってこの沼田、貴公に進上しよう。ははは、まあ疑いなさらぬことだ。」
幸隆は形を正して座を降り、業正に深々と頭を下げた。
「拙者、これより沼田において方便を駆使し、必ず奪い取って見せましょう。」
そう言って、箕輪を後にした。
後、この沼田は幸隆の子、昌幸が攻略するのだが、これは業正の教えに従った幸隆が、
十分に布石を打っていたからこそ出来たのだ、ということである。
969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/09(金) 12:50:47 ID:qo+xZuC2
>>968
沼田万鬼斎の話か。なんか沼田側視点で小説になっていたのを読んだっけな。
昌幸が大北条、そして徳川と敵対しても沼田領にこだわったのは、
そういう父祖以来の縁で治めた地だったから、かもね。
995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/09(金) 23:37:52 ID:f8WuQhos
息子の業盛はかわいそうだ、遺言に
「降伏するな、闘って死ね」
って書かれてたそうな
これを守った業盛も偉いよ
996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/09(金) 23:43:25 ID:r0gU3SXu
>>995
>>968が本当だとすると何がしたかったのかよくわからなくなる。
息子の花道でも用意したつもりなのか・・・
997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/09(金) 23:47:31 ID:Z68yCiyN
>>996
「他の地を攻め取るにはまだ器量が足りない。
だが父祖の地は守りぬけ」
ってことじゃないかね?
998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/09(金) 23:51:04 ID:f8WuQhos
一回は遺言通り撃退できてるんだけど、
その後に2万ほどの大軍に攻められてる
こんな大軍追い返すには才能だけじゃなく
経験も必要だったんじゃないかな…
19歳で死んだのが惜しいよ