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このような御吟味に遭い、面目無き仕合に候

2022年06月23日 18:40

堀直寄   
524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/23(木) 15:10:43.30 ID:HyJAyFnJ
上條又八は織田常真公(信雄)の譜代の士であったが、大坂の陣で大阪城に籠城して高名をなした。
後に浪人して、森右近太夫(忠政)に仕えた。その後、浅野但馬守(長晟)の家来となり、
朋輩の和田庄兵衛という者と喧嘩して、双方暇を出されたが、江戸西福寺において千部の
法華経転読の砌、和田を討って其の身も手を負い、曽我丹後守宅に引き籠もった。

時に堀丹後守直寄は西福寺の近所であったので、人を以て和田の死骸を見させた所、彼は
鎖帷子を着けていた。また誰言うともなく、上條は素肌(防具を着ていない状態)であったと言われていたのを
丹後守聞いて、又八の元へ浪人を遣わしてこのように伝えた

「首尾よく本望を遂げられ、珍重に存ずる。承れば其方の敵・庄兵衛が鎖帷子を着していたと伝え聞くが、
其方は素肌であったという。彼を弱敵と思い鎖を着なかったというのはその意を得ない。
どうして大事の討ち物ををするのに、素肌であったのか。武士が軍陣において鎧を着るのと同じである。
御心底を聞き届けたい。」

又八はかの浪人に向かって

「丹州公の御目通りにも罷り出でていない所に、御懇ろの御意、過分に存じ奉ります。
着込みを着さなかった事を御吟味されましたが、あれはたまたま行き当たっての事なのです。
さりながら私も和田庄兵衛のように鎖を着て路中を踏み仰ていれば、いかばかり見事であったでしょうか。
素肌にて渡り合い、着込みをしている敵を思うままに討ち果たし存命仕り、このような御吟味に遭い、
面目無き仕合に候。」
と返答したという。

新東鑑

なんというかちょっと面倒くさい話だな



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その胆力を惜しんだという

2021年12月12日 16:33

堀直寄   
233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/12(日) 14:17:03.91 ID:IsRXlB3n
越後村上の城主である堀丹後守直寄は、堀監物直政の二男で、幼名を三十郎と言った。彼は豊臣秀吉公の
児小姓であり、後に丹後守と改めた。
直寄は自身の九万石の領地の内、一万石の禄を与えて能勢右近を招いたほどの人材好きであった。

彼の家中に梅田佐五右衛門という武士が有り、大坂の陣でも武功があり、それ以前からも名のある者であった。
彼は勇荘大力であり、口径が三、四寸ばかり(10~12センチほど)の大丈夫筒(大筒)を持ち上げるほどであった。

ある時、丹後守が制札を出した。これに『小唄・尺八・男色等禁制』とあったのだが、佐五右衛門は
この部分に墨を引いて塗りつぶした。丹後守はこの行為に激怒し、二名の討ち手を遣わして彼を殺させた。
佐五右衛門が城の端に何気なく立っている所に、一人が近寄って短刀で刺した。佐五右衛門は騒がず
この者を捕って引き寄せたが、その時もう一人も彼を刺した。しかし佐五右衛門は両人を左右の脇に挟み、
二十間あまり(約36メートル)の縁を走り出たが、その間に再び突かれて殺された。

彼のこの死に様を聞いた丹後守は、その胆力を惜しんだという。

志士清談

自分で殺させておいて惜しむというのも何というか。



234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/12(日) 15:10:40.45 ID:6rYzIKm+
やっちゃいけない事する以上仕留めないといけないけど、それはそれとしてこんだけの豪の者を仕留めるのは惜しいってのは矛盾しないと思う

235 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/12/12(日) 15:23:50.95 ID:UcxeYvzn
太田道灌を殺った扇谷定正にはこんな気分はあったろうか…。

きっと敗軍して逃げて来たのだろう!

2021年05月17日 16:11

堀秀政   
728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/05/17(月) 12:50:05.19 ID:r5e3KAQv
(小牧・長久手の戦い、白山林の戦いの時)

武蔵守様(森長可)が岩崎の城を御攻めの時は秀次公(豊臣秀次)は総軍の
後ろにおられた故、白山林と申す所で弁当を使い、諸勢たむろ仕るところへ
榊原式部大輔殿(康政)の人数が猪の越海道へ押し来たり、これを見付けて
そのまま見崩れ仕った。

その節、秀次公先手の士大将・田中久兵衛(吉政)と申す者は、堀久太郎殿
(秀政)の陣へ乗り来たり、敵が出たと注進した。

すると久太郎殿が申されたのは「其の方は一手の組頭、人数をかけ引きする
役人だ。敵が出たと注進に来る人にあらず。きっと敗軍して逃げて来たのだ
ろう!」と大いに叱られ、そのまま人数を引き返し、備を立て置かれた。

――『忠勝公御武功其外聞書



名人左衛門督

2021年01月25日 17:10

堀秀政   
868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/25(月) 12:45:04.84 ID:Q9O+iPhz
越後の堀左衛門督(秀政)の家中の諸士へのあてがい、百姓町人以下への作法等が悪しきとして、
何者かが越後の城下の町の辻に大札を立て、そこには『堀左衛門殿悪敷仕置の条々』として、
二十二、三ヵ条が書きつけられていた。

堀家の目付、出頭人などが談合し、これを左衛門殿に見せ参らせ
「かかるいたづら者をば、きっと御穿鑿あって、懲らしめのためにも法度を行われるべきです。」
と申し上げた。

左衛門殿はこの札をつくづくと読むと、ふと立ち上がって袴を着け、手水を使い、うがいをして
かの札を三度頂くと言われた

「一体どこに、これ程の諫言を私に言ってくれる者がいるだろうか。これは偏に、天が与えさせ
給わったものであろう。この札は、我が家の宝である。」

そうして札を結構なる袋に入れ箱に納め、その後、諸奉行・代官等を集め、それぞれに善悪を糺し、
家中の作法、知行割、扶持方の渡し様、町人百姓に至るまで、憐憫を加え、仕置尽く宜しく改められた。

それ以降、世の人々はこぞって彼を、名人左衛門督と云った。

備前老人物語



869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/25(月) 17:19:42.84 ID:Kw6qKn9S
Q太郎は何をやっても名人と頭に付けられるのか

秀吉が落首事件で同じことをやってたら人気が上がったのかな

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/25(月) 18:01:21.17 ID:8fTafSj5
政治批判だけならともかく
秀頼が秀吉の子を怪しむ落書だったら
こんな対応が取れるわけが

又者で名高き者は

2019年04月10日 17:14

堀直政   
787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/10(水) 16:32:06.01 ID:I0Ur+nqS
太閤の時代に又者(陪臣)で名高き者は、刑部卿・堀監物(直政。原注:左衛門臣)・松井佐渡(康之。
原注:肥後守の臣)。

――『老人雑話』

天下三陪臣で名が挙がっているのは堀直政のみ。



791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/11(木) 21:43:59.20 ID:nRArb4yf
>>787
この場合の刑部卿は誰なのかな

小田原陣の堀秀政

2019年02月19日 17:56

堀秀政   
683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/19(火) 17:40:12.65 ID:GBZYAmhh
小田原の役が始まろうという時、堀左衛門督秀政は、先ず人を遣わして、伊豆、相模、駿河、遠江において
牛数十頭を購入しておいた。

秀吉の軍がやがて箱根の険路にかかる時、秀政は先に買い置いていた牛にて兵粮を運んだ。
他の部隊は兵粮の輸送に甚だ迷惑している中、秀政一人、予想して備えていた故にこれに困難は無かった。

またある夜、風雨甚だしく、天地非常に暗かった。この時秀政は
「今夜必ず盗人が入るであろう。我が士卒の馬、鞍、兵粮などが盗人に取られるくらいなら、盗難の
用心への怠りを伺って、我自らそれを取る!」
堀家の士卒はこの言葉を聞いて、みな眠らずに用心をした。そして秀政はその夜、三度陣中を巡邏した。

翌朝、他の陣は多くが盗みに入られたが、秀政の陣では盗難の被害はなかった。

(武将感状記)

なるほどこういうふうだから名人久太郎って呼ばれたのか。



684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/19(火) 22:43:26.63 ID:Xx273AJd
そんな具合に気を使い過ぎたから早死にしたんじゃなかろうか

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/02/20(水) 17:57:32.19 ID:m1WwVxKS
ただの食当たりだろ

堀と堀尾は難なく山を

2018年09月17日 18:00

堀秀政   
292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/17(月) 17:48:45.23 ID:HRhvRU/p
(山崎の戦いの時)

寄手の勢は羽柴筑前守秀吉が以前からこの周辺の地理をよく知っており、天王山を敵に取らせては
味方の大事と推し量った。そこで堀久太郎(秀政)と堀尾茂助(義晴)を呼び、

「汝は早く天王山を取り敷きて敵を山上にたむろさせてはならぬ!」

と命じた。ここは山崎宝積寺の旧跡、堀尾は元来気早の勇士であり弓・鉄砲の兵2百人を先に立て、
えいえい声を出して進んだ。堀久太郎も続いて人数を押し登らせんとす。

光秀がかねて命じていた松田太郎左衛門(政近)は山上にたむろしており、堀尾の人数を上げまい
と指揮してこれを防ぐ。堀尾は弓・鉄砲の者を先に立て「やれ上がれ上がれ! 上がると勝つぞ!」

と言いながら登る。山の土はぼろぼろとして登り悪し。松田は山上より「やれ防げ防げ! 上げると
負けぞ!」と精を入れて命じ防ぐ。一方、堀久太郎は道を変えて横合いから押し登った。

松田の勢も激しく防いだものの、羽柴方は義に勇む人数が前後より激しく攻めたて、松田も鉄砲に
撃たれて散々に追い崩され、堀と堀尾は難なく山を取り敷いた。

――『改正三河後風土記(柏崎物語・続武家閑談)』


先は我なり

2017年11月19日 18:06

堀秀政   
440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 05:18:03.85 ID:rObbxWS5
天正15年、豊臣秀吉による九州征伐の時、堀秀政も秀吉に従って九州へと赴いた。
この時、陣中において秀政近習の山下甚五郎という者が気が狂れ、後ろより秀政を斬りつけた。

秀政の後を歩んでいた家老の堀監物は、これを見て即座に山下を斬った。
秀政も後ろを振り返り、拝み切りに斬った。
秀政と監物の刀は、同時に山下を打った。

山下が絶命したのを確認すると、「先は我なり。」秀政はそう、監物へ言ったという。

(士談)

関連
名人久太郎に油断は無いのだ・いい話



441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 10:05:04.53 ID:x64q5xMC
だいぶ前にあったね
向こうは出典なしで近習の名前が微妙に違うけど

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 11:33:08.26 ID:yZctRNIy
痴情のもつれか

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 12:27:20.59 ID:nMzdiPUl
なんか都合の悪いことでもあったんじゃないの>気が狂れ
徳川信康もそんなこと言われてたし

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/19(日) 13:56:08.91 ID:FUlARS4v
非がなく殺しちゃったら気狂いにするしかないよね

七郎兵衛の策略

2017年08月03日 18:22

堀秀政   
118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/03(木) 05:14:39.58 ID:UnR9P03U
賤ヶ岳の戦いの折、堀秀政の陣へは、佐久間玄蕃(盛政)の進出した中しきり方面、並びに賤ヶ岳方面より、
しきりに加勢助力の求めがあった。このため、秀政はすぐに兵を出そうとしたが、これを
堀七郎兵衛(利宗、あるいは道利)と云う者が抑えて申し上げた

「勝家の柳ヶ瀬の陣から玄蕃の陣に向けて、使いが切々と往来しているのを確認しました。これは、
玄蕃の行った中入から、早く引き取れと伝えているのだと考えます。
もし玄蕃が中入を引き取るとすれば、もと来た道を帰らず、中しきりを突き抜けて帰陣しようとするでしょう。
然らば我等はこれと一戦しなければならない場にあります。
また玄蕃が引き取らないのなら、勝家が必ず、本軍を中しきりに押し寄せて合戦を始めるでしょう。

この2つ以外の方針はありえません。ですのでここで我が兵を分散すること無く、その節を待たれるべきです。」

「しかし玄蕃が引かず、勝家も出てこなければどうするのか」

「その時は勝家の運がここに尽きた、という事です。」

そう言ったが、はたしてその通りとなった。

この堀七郎兵衛は、かつて明智光秀との山崎合戦の際、堀尾吉晴の軍が天王山に駆け上がり、秀政の軍も
その後に続こうとしたのを止め

「山上の味方は崩れるでしょう。然らば彼に続いては供崩れとなります。別の場所より登るべきです。」

秀政はこれを聞き入れ別の場所から登ったが、はたして先手の堀尾の軍は敗れた。しかし別場所より
上がってきた堀軍が横槍を入れる形となり、大利を得た。これも七郎兵衛の策略であった。

(士談)


名人久太郎

2017年01月17日 17:48

堀秀政   
516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/16(月) 20:12:38.37 ID:7k/eFLeL
堀久太郎秀政、後に左衛門督という。武士から下僕に至るまでこれを扱うとき、下の者達に
情を尽くすことを第一に心がけていたため、配下に彼を恨むものは居なかった。

ある時、奉行の従者と、荷物持ちの者達が言い争っているのを聞いた。荷物持ちの者達が
このような荷は重すぎて持てないと抗議をしていたのだ。
秀政はその荷物を自分で持ち上げると、そのままあたりを往来してきた。そして
「私はあの荷物持ちの者達より力がある。なのに一里ばかりこれを背負って疲れ果てた。
彼らがこれを持つこと出来ないというのは当然である。」
そう結論した。

またある時の合戦の折、秀政自らの武者押しに旗指が遅れた事を周りは咎めたが、秀政は自らこの旗を負って
馬を駆けてみた。
「これは武者押しの時の私の乗馬が、肝が強い物だったために旗指が遅れたのであろう。」
そう考え、肝の弱い馬に乗ったところ、以後旗指が遅れることはなくなった。

彼は世に名人久太郎と呼ばれるが、このように配下の者達を使うに心を用いた故に、そう人は言ったのである。
小田原陣中に卒した。享年三十八であったとか。

(芳譚)



堀秀政は牛数十頭を買っておいた

2016年07月17日 17:31

堀秀政   
934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/17(日) 04:46:08.88 ID:E2S4ZJJR
相模の小田原の役の際、堀左衛門督秀政は、まず人を遣わして伊豆・相模・駿河・
遠江で、牛数十頭を買っておいた。

豊臣秀吉が箱根の険路に差し掛かった時、秀政は牛を使って兵糧を運んだ。他の
軍はこれに戸惑ったのだが、秀政1人はあらかじめ備えていたので憂いはなかった。

ある夜、風雨は甚だしく、天地は暗かった。秀政は曰く、「今夜は必ず盗人が現れる
だろう。我が士卒の馬鞍や兵糧などを盗人に取られるくらいなら、その怠りを窺って
私自らが取るとしよう」と、言った。

士卒はこの言葉を聞き、寝る者はいなかった。秀政はその夜、3度陣中を見回った。
他の陣は多くが盗みにあったのだが、秀政の陣は盗人が入ることはできなかった。

――『武将感状記』



935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/17(日) 08:09:22.63 ID:nRkj98x7
風魔の仕業

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/17(日) 10:55:06.08 ID:7EQPQjUy
Q太郎は小田原で若くして死んでるけど、風魔の暗殺って線も無きにしもあらず

前代未聞の所業なり!

2015年07月17日 12:05

堀直寄   
408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/16(木) 20:28:50.29 ID:TdQT5SGj
文禄の頃、伏見が栄えていた時分、豊臣秀吉の近習である早川源蔵というのは、早川主馬(長政)の息子で
勤仕していた。

ある日この源蔵が常番にて伏見城に出仕しているその留守に、彼の屋敷に武士が一人駆け込んできて
「何卒かくまってくだされ!」
と頼み込んだ。屋敷の者達、主人の留守ではあったが、武家屋敷を見込んで駆け込んだ者を
追い出すべきではないので、まず匿うと、この者は小出大和守の家来で、後から同家の者達
2,300人が、弓鉄砲を取り揃えて追ってきて、早川の屋敷を取り巻いた。

この屋敷は奥行き13間ばかりある、細長い屋敷で、留守居の者達14,5人はなんとか内を防いでいたが、
追手は大勢のため町並の表門がとうとう打ち破られそうに成った。内からは破られてはならぬと
双方打ち合いとなった。

この時、この屋敷の近所に堀丹後守直寄という人があった。これは堀久太郎家老の同名監物の子であり、
去る天正18年、小田原の陣の後に、丹後守が未だ若年であるのを、秀吉の眼力にて、兄弟3人の中から
この丹後を選び側にて召し使っていたのである。

そしてこの日の騒動、堀丹後にとって屋敷の近所のことであり、そのうえ早川源蔵は、同僚21人の中でも
常に心安い関係だったので、見捨てることは出来ぬと追取刀にて鑓を取って駆け行った。その時、
家来もたまたま居合わせなかったので、ただ一人が弓を持って従った。

堀が源蔵宅の裏の小門より入って13間の細小路を槍一本弓一張にて、主従二人が駆け出てみると、
もはや表門は打ち破られ、追手たち2,3百人がどっと入ってきた。
堀主従は表門と屋敷の間の4間ばかりの所で、これに出合い頭に対峙したのである。

「不慮なる所に入り込んでしまった。討ち死にするにはどういう時節だろうか」

そう思いながらも是非無く名乗った

「私は堀丹波守である!弓取りは我が家来なり。この家主は御城の御番にて留守である!
諸士の家に押し込み、そのうえ亭主の留守をかかる狼藉に及ぶこと前代未聞の所業なり!」

こう大音に叫ぶと「弓を引いたまま射つな!」と下知し、鑓を5つ6つ振り回すと地を叩いて
押しかかってきた。この時の様子は夢幻のように見えたという。

ここで、追手の中に年寄の者2名ほどいたのだが、この言葉を聞いて尤もだと思ったのか、
もしくは堀丹後の必死の有り様に恐れたのか、左右の者達を制して門外に引き退いた。
そこを堀が走りより門を閉め貫抜の木を挿して一息ついた所に、堀丹後の父監物を始め、
寺尾筑後、稲葉兵庫、山岡石見、早多帯刀、富田左近といった人々が追々に駆けつけてきて、
双方の間に入り、この衆の扱いによって漸く無事と成った。

この日の騒動は堀丹後守一人の働きによって、早川源蔵、父主馬をはじめ、一類に至るまで
外聞を失わなかったと、諸人賛美したとのことである。

(明良洪範)



447 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/07/26(日) 04:04:07.27 ID:b54Whb5k
>>408
早川源蔵・・・早川九右衛門、のち細川氏家臣
早川主馬・・・早川長政
堀丹後・・・堀直寄。直政次男。
父監物・・・奥田直政
寺尾筑後・・・?
稲葉兵庫・・・稲葉重通
山岡石見・・・?
早多帯刀・・・?
富田左近・・・富田一白

わからない人がいっぱいいる。

堀丹後守は今後

2013年09月19日 19:52

堀直寄   
150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/19(木) 18:45:35.59 ID:uXBRmXpQ
大坂夏の陣五月六日の合戦で、堀丹後守直寄は粉骨を尽くし、大和口において
横槍を入れて大いに戦功をあげた。

同七日には水野日向守勝成と共に先駆けし、余すところなく相働いたので、
徳川家康は大いに感心し、

「藤堂和泉守と井伊掃部頭は天下の先手なり。堀丹後守は今後、横槍の備をすべし」
と、命じたのだという。

――『新東鑑』




151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/19(木) 21:24:31.63 ID:21IkK7OE
時は流れて鳥羽伏見の戦いで彦根藩と津藩は薩長方に

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/19(木) 22:18:43.01 ID:aT20A93i
彦根藩に関しては
直弼横死後の処遇とか一橋派と政敵関係にあったこととか考えると
割と当然な流れという気も

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/20(金) 01:43:53.91 ID:aXfFsYKg
津藩も勅使きてからの流れだしなぁ
東照宮への攻撃命令は拒否したりと筋はそれなりに通してるわけだし

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/20(金) 10:31:33.60 ID:xtcm4lv7
天下の先手なんだから時代の趨勢に従って先手を務めました、でおk

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/20(金) 18:23:52.63 ID:Yx7K9cVm
御三家筆頭の尾張が裏切るんだから何でもありだ

堀直寄殿は人を遣う事が巧みで

2013年05月17日 19:51

堀直寄   
308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/17(金) 18:20:42.76 ID:rAUJwgWy
堀直寄殿は人を遣う事が巧みで、人を取り立て慈しむことは世に超えていた。
このために好士が多く、この人に奉公した侍は諸大名が好んだので、大半は立身した。

ある老人が昔直寄に奉公していたので、さる者がその仕方を質問した。老人によれば、

「特別に人の遣い方が変わっていた覚えはない。ただし、直寄は万事につけて従者に
言い勝つことをよしとせず、下の言うことを立てる事をもっぱら好まれていた。
これが世上の人と違うところでありましょうか」とのことであった。

そのような心得なので、従う者も智を増して励んだというのは、もっともである。
主人が強いて位を増し恐れさせる時に、下々がどうして奉公を励むことだろうか。

――『責而者草』





309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/17(金) 20:57:21.33 ID:Dj61ghSa
なんだか面倒くさい家臣を量産しそうでもあるが、そうはならなかったところが天下の名家老たる所以か

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/17(金) 20:59:28.32 ID:Dj61ghSa
いかん直寄は名家老の直政の息子の方か・・・

松明と堀直寄と水野勝成

2013年05月03日 19:50

堀直寄   
504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 12:59:12.21 ID:clAJYcFx
堀直寄は大坂夏の陣にて、水野勝成に大和口先陣の大将を命じられた。
直寄は松倉重政とともに大和口に向かった。

五月五日の夜更け、勝成は「敵が寄せて来るらしく、松明がたくさん見える。
警戒を怠らないように」と諸将に伝えた。

直寄はこれを聞いて「日向守は物馴れしていると聞いたが、功者とも思えないな。
寄せて来る敵がどうして松明を照らすだろうか。敵にあらず」と言った。

そこへ勝成が使いを遣して「松明がすべて消えた。敵ではない」と告げてきた。
これを聞いて直寄は「いいや、敵だ。何事もないので火を照らしていたが、
功者がいて消させたのだろう」と言ったが、確かに後藤又兵衛がいたという。

――『責而者草』




505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 14:24:10.84 ID:G7qRRhOZ
戦のお約束を知らない将は敵でも味方でも恐そうだな

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 14:32:08.22 ID:EhqI/3Wk
結局どっちなんだ

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 16:01:55.88 ID:OvJz/j0O
勝成は、たくさんの松明が消えたことをどう思ったんだろう

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 16:39:16.62 ID:gebgZCnY
省エネとか

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 17:00:12.19 ID:9qUZIJ0D
「堀直政の息子ってもこんなもんかーいw越後の田舎の戦は出来ても天下の戦はダメだなw」
とやろうとしたとか
まあ流石に無いな

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 17:18:38.39 ID:AlDhoViu
いい話なのか悪い話なのか、微妙に分からんw
まあ、さすが直寄!そこにしびれる!あこがれるゥ!なんだろうけど

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 18:04:24.42 ID:e5gA7wHn
話と全く関係ないけど日向守なんだね
謀反人の官位とか普通の人なら避けそうなのに

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 18:14:41.16 ID:fR/sZd5t
普通の人じゃないし。

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/03(金) 18:16:09.94 ID:bzRKkpzn
むしろ光秀の官位とわかって、あえて日向守を望んだのが勝成だからなあ。

長久手合戦・堀秀政への批評

2011年11月25日 22:00

堀秀政   
160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 15:10:41.76 ID:fG26fPDD
天正12年(1584)小牧長久手、三河中入りを目指した羽柴秀次軍を徳川家康が破った長久手の戦い。
この時の堀秀政の働きに関する批評を見てみよう。

『堀久太郎(秀政)は三河衆の先手に打ち勝ち、そのまま討ち進むべき所を、その場を他の味方の部隊に任せ
自分たちは引き下がった。

もし、先手に勝利した勢いのまま、後続の徳川軍の旗本勢と一戦していれば、たとえ先の交戦で
疲弊した軍勢であるため、そこで自分たちの部隊は敗北したとしても、池田勝入、森長可の部隊は
無傷の新手として残っていたので、形勢としても最終的に秀吉軍が勝利する形に持っていけたはずである。

そうであるのに向かってくる敵を他の味方に譲って戦わずに引き下がったのだ。
これは自分の最初の勝利を無にする行為であった。

つまり堀秀政には、秀吉公への誠の忠誠心がなかったということであろうか、
それとも戦に不案内で、あの場に留まる戦術上の利点が解らなかったのだろうか?
(秀吉公へ誠の忠無御座候か、又不案内にて其利を不存候か)
(長久手合戦覚書)

名人堀秀政に対する、珍しく批判的な批評である。




161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:09:45.38 ID:IfoxjoTk
疲れた兵で戦えってのも無茶な気が

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:18:02.10 ID:6NgHtMm6
勝入さんも鬼武蔵も死んだのは本人たちの責任であって
別にQ太郎さんのせいではないのでは…と思ったけど違うのか

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:24:50.60 ID:jySik5yO
それぞれ勝手に戦ってる感じで全体としてのまとまりがないよね

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 16:26:07.68 ID:EW/YV1tC
まあ小牧長久手の時点では、
秀吉とゆかいな仲間たちって感じだからね

明確な上下関係も絶対的な優越性もまだない

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:12:14.91 ID:9Trhl71K
譜代の臣やよほど取り入りたい事情があれば別だが、この時点の関係でそんな捨石みたいな
真似する奴いたらその方がびっくりだわな。

ていうか、そもそもそんな本気で「決戦」までするつもりが秀吉にあったのか(or可能だったのか)?
家康のプライド潰さない程度にほど良く勝って和睦して政権に取り込むっていうのであれば
久太郎は過不足のないまさに名人級の進退を見せたともいえる。

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:27:45.48 ID:hUDrpAZQ
いくら名人でも秀吉の心底をそこまで見抜いた上の撤退とは思えん
仮に秀吉の形勢が悪くなって場合に備えて家康にも目を残しておきたかったとかじゃないのか?

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:46:55.06 ID:jySik5yO
総大将の秀次さんがまっさきに逃げてるから組織的に戦えないのはしょうがないけど
けど、取り残された池田森の両隊がなんか気の毒

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 18:56:57.49 ID:/O5RDxdR
そもそも隠密行動の別働隊なのに、敵の主力に遭遇して
戦えとか無茶言うな

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:03:34.02 ID:Hn0shKtX
>>168
最近の研究だと、秀吉の小牧長久手の中入り部隊は隠密でも何でもなく、むしろ家康に脅威を与えるため
大いに宣伝していたらしいぞ。

170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:18:34.60 ID:1gtF8JjC
>>169
鬼武蔵が例によって放火しまくってたらしいしなw

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:20:16.71 ID:6NgHtMm6
鬼武蔵の行動で、事態が良くなったことってあったっけ…

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:26:49.31 ID:lSiYGdbZ
>>170
しかも白昼堂々とねw

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/25(金) 19:44:53.54 ID:T8U9BEr7
>>171
高遠城とか、美濃帰還のときとかあるじゃないか!あるじゃないか!多分!
[ 続きを読む ]

堀秀政、出奔した弟の多賀秀種に

2011年02月11日 00:01

堀秀政   
671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 11:53:44 ID:dQRhk+ML
堀秀政が北庄城を修築した時のことである。

秀政がその弟の多賀秀種の措置宜しきを得ぬとしてこれを詰責した。
これを口惜しきと考えた秀種は翌朝致仕して北庄を去ってしまった。。

秀政は弟の致仕を聞くと途中不便なこともあるだろうと餞に黄金十枚を送り、人をやって届けさせた。
その後秀政は黄金を包んでいた紙を一枚一枚のして箱に納めながらこう言った。
「およそ財というものは用いるべき時は黄金十枚でも惜しむべきでない。
 無用の時はこの紙十枚といえども無駄にしてはならない。私を鄙吝と思うな。」




672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 12:14:52 ID:OUukF1Mc
Q太郎は若死にし過ぎ
せめて関が原くらいまで生きてれば


673 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/10(木) 12:15:59 ID:ShdENNEz
さすが名人Q太郎

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 12:17:54 ID:rp56qvlX
家康「その通り!」
爆弾正「その通り!」
岡左内「その通り!」

又左「その通り!」

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 13:47:55 ID:U6fv33hH
>>674
又左は別だw

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/10(木) 14:02:26 ID:W3BhpBnV
>>674
>>677
殿!我が城が攻められています!援軍を!!

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/11(金) 13:13:19 ID:NABWCRk9
>>678
待ってろよ!今そっちに銭を投げたからな!

堀直政の心構え

2010年12月25日 00:02

堀直政   
951 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/12/24(金) 00:15:04 ID:Luv9nhQo
豊臣秀吉の時代のことか。

ある日の日暮れの頃、越後春日山30万石の領主堀秀治が、伏見の屋敷にて客を送り出すため、
家臣などを引き連れ門の外まで出た。
家老の堀監物直政は、一団の中で秀治から最も離れた位置にいたという。

と、秀治が外に出た瞬間、彼に恨みを持つ者であろうか、外に隠れていた者が突如、
秀治に駆け寄り斬りつけた。
秀治もとっさに刀を抜いて応戦しようとした。その時である

一番遠くにいたはずの堀直政が、気がつけば最初に秀治の元に駆け寄り
この狼藉者を一刀のもとに斬り倒した。
秀治の左右の者たちは、倒された狼藉者に止めを刺すのがやっとであった。

後日、秀治の近習の者たちは直政に面会を求め、このように聞いた

「あの時は日暮れで視界も悪くなっていた上、さらには突然の出来事でもありました。
そのようであったため我々も心ならずも秀治様のお側に行くのが遅れたのですが、
我々より遥か隔たった場所にいた直政様が一番に狼藉者を斬り捨てました。
どうしてそのようなことができたのか、我々にはさっぱりわからないのです。」

これに直政
「いやいや、お主達の武辺が私に劣るわけではない。ただ私は、かねてから一つの心構えを
決めていたのだ。お主達はその心構えを知らなかった。ゆえに私に先を越されたのだよ。
調度よい機会だ、今後もそなたたちは殿のお供を勤められるわけであるし、今後の心得にも
成ることだろうから、今までこれを人に話したことはなかったが、ここでお主達に
伝授いたそう。

総じて殿の御前に伺候し、御後に供奉する時は、仮初にもよそを見ること無く、
最初から最後まで殿から目を離さない。これが最も重要なことだ。
そうしていれば殿の動静において、たとえ針ほどの細かな異変でも気が付かないということはない。

そういう心構えを持っていれば、先日のような不慮の事があっても自分が考えるよりも早く
体が動くものなのさ。

お主達は今私の言ったこと、どうか忘れないようにしてくれ。」

堀直政の、主君を守る心構えについてのお話。




952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 10:05:08 ID:5/m2kIJt
周囲を警戒するんじゃなくて、主君に意識を集中しておく事でとっさの対応ができるようにしておくのか
なんという逆転の発想

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 10:20:56 ID:q77dxGsP
宇喜多弟「兄上……じゃなくて主君に意識を集中しておかないととっさの対応ができません。鎖帷子を着ておくとモアベター」

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 10:32:50 ID:XhJg9qTJ
>>953
「伯父上!鎖帷子を着ていたら泳げません!」

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 10:33:55 ID:dcGceEBv
>>953
あなたのDQNな息子の方にも集中してあげて下さい。

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:21:39 ID:An9Cz/Ar
>>954
八郎殿、伯叔の区別くらいつけなはれ。そんなんだから旧臣が離れんだよ。

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:30:20 ID:XhJg9qTJ
>>956
すまんすまん、伯叔どっちが年上かつい失念していた

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:51:45 ID:eEN0YUxV
ちょっと勉強になったw

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 16:22:43 ID:JWamZpie
>>952
しかしこれは近接戦闘に特化した備えで
弓とか鉄砲を持ち出されたらどうしようも無いような・・・

堀秀政と湯漬けと小倉主膳

2010年01月07日 00:04

堀秀政   
758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 18:59:27 ID:Oe5gUBV5
堀秀政の家臣に、小倉主膳と言う者がいた。

秀政が居城にあったある時、次の間にいる者達の名を呼ばせた。
ところが小倉はその時次の間から少しばかり他所に出ていたので、この呼び上げから
外れてしまった。

秀政、「次の間にいる者たちに湯漬けを振る舞え」と命じ、膳を用意させたのだが、
その場には当然のように、名を呼び上げられなかった小倉も出てきて膳の前に座った。
秀政は驚いた。「なんでお前いるの!?」秀政、この事に妙に不愉快になった。

やがて給仕係がそれぞれの膳に、湯漬けを配膳して回るのだが、これが小倉の前に来たとき
秀政は給仕の者に向かい「たわけ者には食わせるな!」と言いつけた

そこで給仕の者、配膳を止め立ち上がろうとした。が、その瞬間小倉はその者の
手を抑えつけると

「そのままま湯漬けを置いていくのだ!置かぬというのならそなたと刺し違える!
だいたいあのような、武士に恥をかせるような仰せに唯々諾々と従うのは、
武士の道ではないだろう?」

と、引き止めた。

秀政はこれを見て、「あいついい根性してるな」と却って感心し、その後小倉に加増をした
とのことである。


正直いい話なのかなあ?とも思うが、まあいい話として伝えられているのでこっちにw




759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 19:09:34 ID:OdORZ3B/
いい悪い以前に、現代人からするとわけわからんw

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 19:35:46 ID:Oe5gUBV5
>>759
正直書いた自分も、現代語に訳しながら良くわからなかった。
非常に苦労したw

まあ基本的には、呼ばれもしないのに出てきた小倉に秀政がむかついた、ってだけの話で、
それに小倉が「殿の命令でも、人々の面前で武士に恥を懸かせるような事は
良くないから聞かなくていいよ」、って秀政の前で言い放ったのがいい話、だとは思うのだがw

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 19:38:27 ID:a1cbga9K
食い意地張ってるようにしか見えんw

762 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/06(水) 19:58:00 ID:2xtqCF3f
>>760
最近の中間管理職は人前で
叱責するのが普通だから
サラリーマンには違和感ありまくりだろ。

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 20:24:34 ID:CbqeHQK9
そりゃ人前で叱責しないと何もしてない無能にしか見えんもんな、今は

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 21:05:44 ID:P9XYlbql
秀政も何かちっちゃいなw

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 22:10:47 ID:I1dSw7ia
>>760
理不尽な叱責には上司といえども喧嘩するくらいの気概があれば、
パワハラや職場イジメやすぐ仕事止めてしまう若い奴らも少なくなるというところで、
逆に現代人が学べるところもあると思った。
仕事しないで怒られて逆ギレとかでは駄目だけど

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 22:25:41 ID:OdORZ3B/
>>765
当時の武士は基本的に「自分の土地」を持っていました。
だから、何があっても究極的には生活に困ることは無いんで、主君に大きくでられた。

江戸時代や現代会社員の、サラリーを完全に抑えられている状況と一緒にするのはNG

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 22:36:04 ID:I1dSw7ia
>>766
確かにそうだね。
まぁ、でも現代でも組合員になるとか、頭の良い奴は抵抗の手段を時代に合わせて考え出すわけで。
行き過ぎると権利だけ要求するタカリ屋になるんだけれど。
当時をそのままではなく温故知新として参考にするという観点のレスと思ってもらえれば

768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/06(水) 23:24:29 ID:jcsXx5Hu
その辺、頭いい上司はパワハラとか退職勧奨ののやり方も考えるべなw

堀直寄と蝶を追いかけた小姓

2009年09月24日 00:09

堀直寄   
704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/23(水) 12:19:39 ID:dBR9xyWK
後に堀氏村上藩10万石を興す、越後堀家家老堀直政の三男堀直寄。
この直寄の小姓に何某と言う者がいた。この小姓、かねてより元服を望んでいたのだが、
直寄は

「まだ幼い」

と、それを許さず、彼は仕方なく小姓を続けていた。

さてある時のこと、この小姓、終日の勤番を勤めていたが、それに飽き、番所を出て
書院のほうへ行ってみた。
すると、書院の障子に蝶が止まっているのを見つけ、それを捕まえようとしたが、蝶が飛んで
逃げたので、ついつい、それを追いかけた。

なるほど、子供である。

ところが蝶を追い掛け回していたこの小姓、上の座敷のところで、何と主君、堀直寄に
ばったりと出くわした。

これに、我に返った小姓は赤面し、慌てて直寄の前を退いたが、心中
「勤番の役儀を解かれるのはもちろん、あんな子供のような真似をしたのだから、
処罰されても仕方が無い」と、思いつめていた。

そんな所に小姓頭から、「直寄様から、参るようにとの事だ」と、早速の召し出しを受け、
覚悟を決めて御前へと向かった。

まかり出た小姓に、直寄は叱責をはじめた

「お前より齢若い者すら、法令を守って番所を去るようなことは無いのに、その法度を
破っただけではなく、障子にいた蝶を追いかけそれを捕らえようとするなどと、児戯を行うとは
これは沙汰の限りである!これは罪を与えるべきであろう!」

小姓、やはりそうかと身を堅くする。

「…が、

お前が蝶を捕ろうとした時、小声で何度も、このように言っていたな、
『丹後守(直寄)家中ほどの者が、お前を逃してすむべきか』と。

戯言というものも、普段の考えが現れる物だという。
わが家中を頼もしいものだと思い、武勇を励む心が無くては、このような戯言は
出てこないものだ。これは賞賛すべきことであろう。

よってその褒美として、お前がかねてから望んでいたよう元服させ、少知であるが、
二百石を与える。」

罰せられるとばかり考えていた小姓は、あまりに意外なことに、目に感涙を浮かべて、
御前を退いた。
これを聞いた直寄家中の者達もまた、直寄の、家臣へのやさしさと家中の武勇を思う心を知り、
深く感激した、とのことである。


そんな、堀直寄のちょっといい話。





705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/23(水) 12:44:10 ID:hAwZJZFK
蝶を追いかけてただけで二百石とは羨ましい
十万石の家中で二百石と言ったら結構なもんですよ

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/23(水) 12:58:34 ID:yheDTVVP
元服させて責任感を持たせたほうが伸びる子、と見たのかもな
今の成人年齢引き下げ論のような

707 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/23(水) 13:22:55 ID:HbqaBFBE
堀直寄は渦中にはやさしかったかもしれんが、実兄と主君には厳しかったよなw
穏便に解決する様子を見せもせず、大御所に讒訴して改易に持ち込んだw

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/23(水) 18:00:29 ID:1q4BA16g
家康から100万石もらう予定だから、200石なんてたいしたことない。