冥加無く生き残り

2017年09月29日 22:14

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/29(金) 08:24:08.37 ID:SOu1LN08
寛永島原一揆が落居の後、幕府評定所において、井伊直孝、保科肥後守、酒井讃岐守、堀田伊賀守、
松平信綱、並びに老中列座して、石谷貞清を召して、上意の旨を以って御詮議の事があった。
石谷貞清は討ち死にした最初の幕府上使・板倉重昌の副使だったのである。
やるべきではない合戦をして人を多く討たせたことは、板倉・石谷が焦って討って出た故である、との
詮議であった。

石谷は申し上げた
「聊かも焦って仕った事などありません。『松平伊豆守、戸田左門が後の仕置のため使わされる』との
御奉書到来の上は、なんとかして年内に埒を明けておくべきでしたが、その甲斐もなく、
ならば元旦に押し寄せ城を乗っ取り、『後の御仕置』が出来るようにしたい、との心得にて、元旦を
総攻めと決めたのです。
仮に『我々両人が仕る所悪しきにより、重ねて伊豆・左門を下す』という事であったなら、焦って
致すということも有ったかもしれません。

そういった事でありますが、内膳(板倉重昌)は冥加にかなって元旦に死を遂げ、御奉公の一通を立て、
この御詮議にも逢いませんでした。
私は冥加無く、只今まで生き残り、このような御詮議をも承ることになりました。」

この言葉にその座の何れも黙り込んだという。

(士談)

武士って厄介な連中だな



157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/29(金) 16:59:04.01 ID:lC8w7Akb
戦争が政治や外交の延長だってことを考えないとそう見えるかも
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願うところの幸いに候

2017年09月28日 19:04

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/28(木) 18:02:08.18 ID:hprxhZ3H
大阪夏の陣の折、青山伯耆守(忠俊)の備えは敵を真向に受け非常な激戦を繰り広げたが、
伯耆守は青山組の侍に向かって叫んだ

「願うところの幸いに候!何れも悪びれたりするな、誰も誰も、今日を討ち死にと思い定めよ!」

しかし、これを聞いた野一色頼母が言い返した

「これは仰せとも思えない!他は知らないが、私は江戸を出る時から既に討ち死にと思い定めて
いるのだから、今日を限りの討ち死になどと存ずるまでもない!」

この一言に人々は勇気を励まし

「そうだ!頼母の言うとおりだ!」

と一同して勇んだ。野一色はその日、討ち死にを遂げた。

(士談)



此の度の戦いにうたれし三河武者、末が末までも

2017年09月20日 18:56

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/18(月) 13:56:29.58 ID:OF8oWH05
幕末、坂下門外の変で老中の安藤信正が襲撃された際、
背中に刀傷を受け武士として恥ずかしい行為と罷免されたけど、

部下を身代わりにしたうえ、ウンコ漏らして逃走した権現様の前で
それ言えんのかと思う

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/18(月) 15:01:59.92 ID:ITKlOKd1
馬場美濃が「首が我々武田に向かっていた死体はすべてうつ伏せ
浜松に向かっていた死体はすべて仰向けでした」
と家康の家臣が家康を逃がすために懸命に戦ったことを
讃えた逸話が有名なのにそんなツッコミ入れても

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/18(月) 16:31:59.01 ID:2vMxxcGJ
そもそも脱糞は捏造だし

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/18(月) 17:16:14.53 ID:EHDp9M22
>>120
ただのマウンティングだから
気の弱そうな奴とか自分が気に食わない奴にしか言わない

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/18(月) 18:25:47.93 ID:+sb4bRcX
江戸末期と戦国時代じゃ価値観が違いすぎる

125 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/18(月) 18:41:21.22 ID:VB9ybVN6
背中の傷は恥って背後から襲われたらアウトじゃんww

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/18(月) 18:51:23.18 ID:ln2oHHsQ
>>125
そう
前後から挟み撃ちにされてるってことだから生き延びてるわけがない、てこと

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/18(月) 19:01:10.23 ID:jyl/7Fs3
理屈じゃないんだよなぁそういうのって

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/18(月) 19:42:32.81 ID:im4tbZsM
つうか、安藤の話は政敵を追い落とすためのこじつけだし。
安藤は不意打ちで怪我したけど、襲ってきた敵を殲滅して、怪我の痛みに耐えて公務を行った。
これで士道不覚悟とか、ありえないだろ。

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/18(月) 19:47:07.84 ID:j0qCClEO
戊辰の頃になるとそういう実戦とは無関係の机上の観念論は力を失ったけど、
それまでは妄想しまくった童貞のようにわけわからんこと言っていたからなぁ…

137 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/20(水) 01:03:22.99 ID:um2u10wi
>>121
の話がまとめサイト見たらまだ出てなかったようなので「徳川実紀」元亀三年の箇所より抜粋
(家康の伝記の多くに取り上げられてるから有名だけど)
十二月二十二日三方が原の戦い御味方利を失い、御家の軍勢名のある者どもあまた討たれぬ。
入道(信玄)勝ちにのり諸手をはげましておそい奉れば、夏目次郎左衛門吉信が討死するそのひまに
かろうじて浜松に帰りいらせたまう。
(夏目が永禄時代に一向宗門徒に与していたが救われたため)この日御恩に報いんとて○○(家康への欠字)
君敵中に引き返したまうを見て、手に持ちたる槍の柄をもて御馬の尻を叩き立て、御馬を浜松の方へおしむけ、
その身は敵中に向かい討ち死にせしとぞ。
その時敵ははや城近く押し寄せ立てれば早く門を閉めて防がんと上下ひしめきしに
○○君きこしめし必ず城門を閉めることあるべからず。後より追々帰る兵ども城に入るたよりを失うべし。
また敵大軍なりとも我籠もる所の城へおしいる事かなうべからずとて、門の内外に大篝火を設けしめ、
その後奥へわたらせたまい御湯漬けを三椀までめしあがられ、やがて御枕をめして御寝ありしが
御高鼾の声、殿外まで聞こえしとぞ。近く侍う男も女も感驚しぬ。
敵も城の体いぶかしくやおもいけん。猶予するところに鳥居、植村、天野、渡辺等の御家人突いていで追い払う。
その夜大久保七郎右衛門忠世等は間道より敵の陣所へしのびより穴山梅雪が陣に鉄砲撃ちかけしかば、
その手の人馬が機?に陥り踏み殺さるるものすくなからず。
入道(信玄)もこの体を見て大いに驚き、勝ちてもおそるるべきは浜松の敵なりと驚嘆せしとぞ。
また武田が家の侍大将馬場美濃守信房というもの入道に向かいて
「あわれ日の本に越後の上杉入道と○○徳川殿ほどの弓取りいまだ侍らじ。
此の度の戦いにうたれし三河武者、末が末までも戦わざるは一人もなかるべし。
その屍こなたにむかいたるはうつぶし、浜松の方にふしたるはのけざまなり。
一年駿河を襲いたまいし時、遠江の国をまったく○○徳川殿にまいらせ、御ちなみをむすばれて先手をたのみ
たまいなば、このごろは中国九国までも手に立つひとなく、やがて六十余州も大方事行きて候わんものを」
といいけるとぞ。勝戦してだにかくおもいし程なれば、入道つづきて城を囲まんとせざりしもことわりなるべし。


一番乗りは

2017年09月12日 12:06

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/12(火) 10:21:27.13 ID:JUYJ/n2X
島原の乱の終結後、幕府の下知により九州有馬で戦った諸大名をねぎらうようにと、将軍家光より
大田備中守が豊前小倉まで派遣された。
九州の大名小名が集まった中、備中守が演説した。ここで松平信綱が備中守に向かって申した

「今回、鍋島が軍法を破り、事粗忽が起こった。これについては既に備中守にも伝えてある。
江戸において、如何様にも上意にまかせ申すべきである。」

鍋島(勝茂)はこれを聞いて反論した
「私は全く軍法を破ってはいません。榊原殿が一番に城へ乗り入ったゆえに、彼を討たせては
如何かと存じて押し入ったのです。これは併せて御忠節とも存じます。」

信綱「然らば榊原方へそれを確認すべきだ。」

こうして鍋島方より榊原飛騨守(職直)へ問い合わせた所、この頃榊原は長崎に居たが、これに返答し
「それがしの倅、佐左衛門佐が一番乗りを致したため、倅を見殺しには出来ず、続いて乗り入りました。
倅は若輩なため、御軍法を背きました。全く鍋島の一番乗りではありません。」

そう答えたため、榊原が一番乗りであることが明確と成った。

これにより榊原職直は長崎奉行を解任され、閉門とされた。

(士談)



105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/12(火) 19:14:38.33 ID:mUmd8lxQ
おい、金の斧と銀の斧持って行け!

元日の朝に兎の御吸物を

2017年09月10日 17:13

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/10(日) 03:26:48.66 ID:R7oLFEbW
公方様(徳川将軍)が元日の朝に兎の御吸物を召し上がり申すのは、

家康公が御小身の御時に御艱難の折、林信濃守だろうか、その宅に
おいて御越年された御時分、

何も召し上がるべき物が無いとの由で兎の御吸物を召し上がられた。

これがすなわち御吉例になり申したとの由を、前述の同日(庚子正月
4日)に、仰せ遊ばされた。

――『松雲公御夜話』




217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/10(日) 20:30:53.36 ID:C/VcyUZR
これは家康のときからの行事になっていたのか
それとも神格化によって後代に行事となったのか

七夕・八朔に白帷子を着用するのは

2017年09月09日 10:15

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/09(土) 04:30:38.81 ID:FIiOK3Ag
七夕・八朔に白帷子を着用するのは、権現様(徳川家康)の御時分に、

騒がしい御時節につき、染め申す間もないため、白地のままで着用し、
いずれの者も罷り出た。

その儀が御吉例になり、今でも白帷子にするのだという。

これを岡田豊前殿か小堀仁右衛門殿に微妙院様(前田利常)が御話
遊ばされたのを御聞きになられたとの旨、

庚子1月4日に(松雲公・前田綱紀が)仰せ遊ばされた。

――『松雲公御夜話』


「三浦、三浦」

2017年09月08日 17:27

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/08(金) 04:47:19.83 ID:jOWlonZa
三浦八郎左衛門と申す者は今川義元の家人であったが、権現様(徳川家康
が御幼少の御時にとりわけて御目を掛けなされた御由緒があった故、

御尊骸が久能へ入りなされてより法体となり、名を“養雪”と改め久能へ参り、
毎日参詣致した。ある日、(東照大権現が)御内陣より、「三浦、三浦」と3度
御呼びになられた。

三浦は御拝殿の御椽から御本社の階まで参詣を致して、ただちに榊原内記
(照久)のもとへ参って暇乞い致して罷り帰り、翌日に相果てたとのことである。

――『東照宮御奇瑞記』



213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/08(金) 19:05:51.03 ID:KqDY/QkV
これ三浦さん呼ばれて逝ったのか

夏は終わったのに心霊話が続くとは

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/09/08(金) 20:20:17.37 ID:5ZLyvS8/
この時代だからだろうね、祟り話少な目になってんのは

東照宮御奇瑞記

2017年08月26日 13:21

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 04:29:53.80 ID:SRqGYAZ3
一、東照宮(徳川家康)薨御の前日、元和2年4月16日のこと。

榊原大内記(照久。久能山東照宮祭主)を御前へ召されて、御他界遊ばされた
ならば御遺骸を久能山へ葬り奉るようにと、御廟の地まで委細を仰せ付けられ、

「其の方は新肴初物などを常々献上しており、その志を深く思う。我の他界以後
もますます久能にあって、神主役を奉公仕るように。

東国の状況については、いずれも被官の大名であるから、逆心の者も生じまい。
しかし一方で、後々まで西国については心許なく思っている。

西国の乱逆が生じないよう守りをなすので、宝塔を西向きに建てて衆徒4人を
差し置き、知行は50名(石の誤り?)ずつ遣わして、神前の勤行を致すように」

との旨を、仰せ付けられた。

一、権現様(徳川家康)御在世中の御秘蔵の御馬は、御宮近くに御厩を建てて
そこに入れ置いた。その馬は数度そこを離れ出ても、直に御宝塔の方へと参り、

前足を折って嘆く様子に相見えたが御他界の御年の7月、また御厩を離れ出て
御宝塔の裏道の石垣際まで参り、前膝を曲げて死んだ。

一、島原一揆の元旦、御拝殿(久能山東照宮)に1桶ほどの量の血があった。

一、同じ朝に、御神前の御装いの御鏡(鏡餅)が1飾りなくなった。

一、同年、禰宜頭の高津権左衛門が番所で臥し申しておったところ、

夜半に(東照大権現が)御鎧を御着なされて、御馬にお乗りになられ、御瑞垣の
内をお廻りになられた。「油断して寝申しておる!」と、御叱り遊ばされ、

御馬の足音が聞こえた。その後に御宝塔の方で馬のいななきを聞いたとの由を
権左衛門は確かに申した。

一、この以前は禰宜の番所は御瑞垣の内にあった。番所にて当番の者が大声
で物語り仕ると御内陣より、「やかましい!」と御叱り遊ばれたと、その時の当番
の者たちが確かに申したとの由である。

――『東照宮御奇瑞記(久能山の社僧等がもてる書)』



174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 12:10:41.97 ID:B+cFrsO4
>>173
一、同年、馬の鞍に1握りほどの味噌があった。

茶がどうして人よりも

2017年08月22日 18:02

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 04:40:38.86 ID:lvwuulW2
宇治から幕府に茶を献上する時、その運搬途上は人々がこれを避けるのが
例であった。ある時に大久保忠教(彦左衛門)は、これの運搬中に出くわして
わざと避けなかった。

役人が忠教を叱ったところ、忠教は知らぬ振りをして「汝等は何する者ぞ?」
と問うので、役人は、「これはお上の茶である。よって道をあけねばならない」
と言った。

これに忠教は、「茶がどうして人より貴いものか。まして私は役人ではないか。
よって、汝等の方から私のために道をあけたほうがよい」と、答えた。

――『学生の漢文(近世叢語)』



158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 07:35:10.02 ID:+wZ6x60J
彦左…

160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 12:52:18.34 ID:q3gY/N3F
>>157
答えた後どうなったのかってのが知りたいw
普通このテの話って「流石は○○よ」とかそんな感じ

あなたも相手に塩を

2017年08月20日 12:01

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/20(日) 10:20:48.38 ID:1Gif5vGX
大阪の陣でのこと。堀尾山城守(忠晴)の寄口に、幕府使番渡辺図書助(宗綱・渡辺守綱次男)が訪れ
尋ねた

「この仕寄場より堀際まで如何程の距離があるか?将軍家よりお尋ねの時のため記しおきたい。」

しかし堀尾
「存じません。それを知りたければどうぞここから縄を打って測ってください。」

そこで渡辺は寄口より出て距離を測った。」

この話を横田尹松が聞いて、彼にこう言った
「失礼ながら御辺は今少し不巧者であるな。そういう時は、堀尾山城守も一緒に連れて出るものだ。
こちらに塩をつけるのなら、あなたも相手に塩を付けて良いのだ。」

(士談)



56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/20(日) 21:06:40.38 ID:EppBfuOJ
一休宗純「私が縄を打ちますから渡辺図書助(宗綱・渡辺守綱次男)様は綱を打って下さい」

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/20(日) 21:18:25.81 ID:yzDBFuw+
城の堀辺まで綱を渡す
渡辺守綱と堀尾山城
なにか狂歌ができそうな

彼は既に死人同然

2017年08月19日 21:02

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/19(土) 21:00:53.48 ID:vEh+t7Iu
大阪夏の陣の5月7日、大阪城より「秀頼生害の事、御免あるように」との使いに、大野修理(治長)が出て
本多上野介(正純)にこの旨を伝えていた時、田代大膳という者が側に居たが、彼は大野が地に座って
発言している時、後ろで刀のこじりを上げていた。

これに気がついていた正純は、後で田代に「なんと荒気な事を」と戒めたが、田代は

「彼(大野)は既に死人同然なのです。聊かも油断すべきではありません。」

と申したという。
彼は後に駿河大納言(徳川忠長)に仕えた人物であり、この事は、ある人が語ったものである。

(士談)


ともかくも仰せには

2017年08月11日 17:29

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/11(金) 08:04:22.14 ID:NJal55J9
大坂御陣の時分、石川主殿頭(忠総)は大久保相州(忠隣)の子なので
閉門でおられ、冬陣に御供することを佐渡殿(本多正信)に願われたが

叶わず、駿河にて上野介殿(本多正純)を頼られたがこれも叶わなかった
ので「この上は御成敗を仰せ付けられようとも、ままよ!」と、大坂へ上り、

隙あらばと心掛けなさった。さて、伯楽ヶ淵(博労淵)で本多雲州(忠朝)
討死の時、主殿頭は比類なき働きをなした。

されども御所様(徳川家康)は、(無断での従軍について?)ともかくも
仰せにはならなかったという。

――『武功雑記』


秀忠、江戸城内に孫の遊び部屋を作る

2017年08月04日 13:14

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/04(金) 11:17:39.14 ID:UKPuWRly
秀忠、江戸城内に孫の遊び部屋を作る


元和7(1621)年、越前藩主松平忠直は病を理由に江戸の参勤を止め
自身は北庄に帰り、代わりに嫡男で7才の仙千代(光長)を参勤させた。

忠直は秀忠の娘婿で、庶兄の結城秀康の嫡男でもあったが
家中の騒動や本人の不行跡などが重なり、元和9(1623)年には配流される。
秀忠はそのとき既に思うところがあったのか
十月に叔父の松平直政と共に登城してきた仙千代を、殿中で養育することにした。

公(光長)はいまだ中剃がなかったので、将軍(秀忠)が自分の手でこれを剃り
夫人(お江)が髪を結われ、その間土井大炊頭(利勝)が(光長を)抱えていたという。
また、仙千代の為に遊ノ間を造らせ、柱などは(光長が怪我をしないよう)
悉く天鵞絨(ビロード)で包んだ。
――『美作津山松平家譜』

孫が可愛い秀忠の話。



123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/04(金) 11:41:44.44 ID:JM7Qhewf
葵徳川だともし家光に嫡男が出来なかったら光長を家光の養子にと秀忠が考えてたという設定だったけど、この辺の話がネタ元なのかな

飛びあがり飛びあがりいたされ候

2017年08月04日 09:30

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/04(金) 04:47:25.63 ID:++S31VTs
大久保玄蕃頭(脚注:玄蕃頭忠成)は小田原陣の時に13歳。権現様(徳川家康
に直訴して小田原へ御供し、御馬の側にいた。玄蕃頭は大筒の鳴る音を聞いて、

驚いて頭を下へ下げられたため、権現様は御覧になられ「侍の子はその様には
せぬものよ」と仰せになった。そのため玄蕃頭は、

それからは鉄砲の鳴る中を通るたびごとに、飛び上がり飛び上がり致された。
(それより鉄炮のなり通る度ごとに。飛びあがり飛びあがりいたされ候。)

――『武功雑記』



120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/04(金) 06:35:41.31 ID:BUqreTBj
>>119
余計にびっくりしてるような

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/04(金) 09:05:23.56 ID:YjmFAJXA
>>120
うんw

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/05(土) 02:19:32.10 ID:ijKyoav/
>>119
鉄砲の音にビビって、恥じて切腹未遂したパターンがあったな
超絶有能だけど、息子の汁かけ飯にケチを付けたことになってる人
鉄砲伝来以前だから、何を見たのかは結構気になるが

○ 重箱獅子舞(三郷町野井)

2017年08月02日 19:09

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/02(水) 01:15:04.30 ID:qWCCf7Sp
○ 重箱獅子舞(三郷町野井)

口碑によれば徳川家康が武田氏と戦い、利なくして逃れて野井に来た時、

たまたま村民らは村社武並の祭典に集い、神前で酒を酌み、興に乗じて
重箱を戴き袱紗を被り舞っていた。

家康は、「ちょうど良い」とその群れに入り、ついに敵の危難から救われた。
家康は天下統一の後、この武並社の祭礼を重んじ、

“重箱獅子の舞”を奨励した。毎年の例祭には岩村藩主に使臣を遣させて
獅子舞を臨検させ、野井祭の名が高かったという。

今なお、重箱獅子の舞を伝えている。

――『恵那郡史』



117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/02(水) 01:17:29.09 ID:DdYy0X2r
なんでもかんでも三方ヶ原のせいにすればいいと思うなよw

乍去十五年おそく候

2017年07月28日 16:09

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/28(金) 03:42:04.31 ID:GkcDtqOG
大坂より御帰陣の時のこと、権現様(徳川家康)は、その日は三嶋に御一宿の
はずが、ただちに小田原へ御越しになられ、大久保五郎左衛門(康忠か)を

召し出されて今回の御軍功を御吹聴なされた。大久保は御答えして「殿はよき
御巡り合せでしたね。でも15年遅かったですね」と申し上げた。

(殿は能御仕合にて候。乍去十五年おそく候と申上候。)

権現様は御勝軍に御喜びのあまりに、「その方にも2万石を取らせようぞ!」と
仰せ遊ばされた。すると大久保は御答えして、「殿は唐までも欲しいのですね。
私は2万石でも嫌です、欲しくないです」と、達て辞退申し上げたという。

(大久保御請に。殿は唐迄もほしく候べし。私は弐万石もいやにて候とて。)

だが実は不足の心であったという。五郎右衛門は七郎右衛門の兄の子である。
また新八(康任か)の祖父である。

――『武功雑記』



21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/29(土) 03:35:02.37 ID:3N0XHs1a
>>19
権現様は後にこれを聞き、「不足なのはもちろん知っていた。だが大久保の者は面倒くさい故、
あえて取らせなかったのだ」と語った。

――『俺の想像』

人を見立てる時は

2017年07月27日 10:37

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/27(木) 00:26:25.47 ID:FnnnmptH
ある時、徳川家康公の上意にこのようなものがあった

「人を見立てる時、自分を基準にするべきではない。自分のかしましい心を曲尺と定めて
人を選ぶ時、自分より勝る人間を選んで薦めるだろうか?

また、その自分にまさる良き者は、自分に対して追従をすることはないだろう。
自分に付き従う輩にばかり、目をつけるのは不忠というものだ。」

(武野燭談.)


右馬允の意見

2017年07月26日 23:00

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/25(火) 23:39:11.79 ID:4l9ckoea
小田原征伐において山中城が陥落した時、こぼれ者共(牢人たちか)は多く松平周防守(康重)の手に
加わっており、彼らは頸百四、五十を得た。彼らはこれらの頸を道にかけて通ろうと思い、周防守はこれを
牧野右馬允(康成)に相談した。しかし牧野は

「はかばかしい頸を取ったわけでもない。雑人に頸をかけ置くなどというのは要らぬことだ。
結果的に見苦しくもなるだろう。ただ頸の数だけど書き付けて披露するのが良いだろう。」

周防守はこの意見に従った。

ところが、後で周防守の家来たちは
「右馬允にだしぬかれた!頸を一つづつ道にかけておけば、太閤秀吉が通った折、大いに御感にも
あっただろうし、諸軍勢の勇にもなっただろう。全く要らぬことを意見しおって!」
そう、牧野の意見を批判したという。

しかし牧野は彼らを偽ったわけではない。ただその時の状況の判断が薄かったので、
このような批判を受けたのであろう。

(士談)


歯を白く、髪も美しく

2017年07月07日 17:40

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/07(金) 17:09:42.14 ID:ssyeJvnd
神君(徳川家康)は、

「武道を嗜む士は、戦場へ赴くからには必ず死を遂げるという心掛けが
なければ叶わない。白歯の者は、歯が黄色にならないように心掛けて、
髪も香りを留めるのが良い」

と仰せられたということである。

上田主水入道宗古(宗箇)と申す武士は、

「討死の首になった時のことを心掛けるべきである。されば月代が後ろ
下がりでは首になった時に詫び言顔になって見苦しい。

それゆえ、後ろ高(後ろ上がり)に剃るのが良い。その前日には月代を
剃って首を綺麗に致す心掛けが第一である」

と申した。

――『明良洪範』



82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/07(金) 23:31:50.02 ID:ORWkGDa9
白歯のものってなんつうか初めて聞いたな

御留守に任じて

2017年07月02日 21:15

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/01(土) 22:30:01.06 ID:or08M729
大阪冬の陣勃発の時、黒田長政福島正則も大阪攻めの御供を望んだ。
その頃は未だ太閤秀吉取り立ての大名が多かったが、その中でもこの両名はとりわけ武功の勇将で
あったため、人々も様々に気遣いしていた。

そこで本多佐渡守(正信)が両将を茶の湯に事寄せ饗応し、談じた

「まことの事かどうか知りませんが、今度の大阪のことで、御供の望みがあると承りました。
これが本当であるとすれば、心得がたい事です。
何故なら、あなた方が秀吉卿莫大の恩顧・御取り立ての身であると言っても、当家において関ヶ原の時分、
まさしく御忠節を申し上げた故に、大国を下され、以降誠に二心無く御奉公の御志をなされていると
見ています。

さりながら、大阪の城には秀頼が立て籠もられております。先主秀吉の息男が在城しているのを、時に従う
習いであるからと寄せ手に加わり攻められても、人は良いようには思わないでしょう。
また、だからといって寄せ手に加わりながら成すこともなく居るのも後ろめたいではありませんか。

ここを以て察するに、今度の御供の願い、非常に愚案であると言えるでしょう。
しかし各々に、特別なご存分もあるのでしょうか?」

この言葉に両人屈服し
「さあれば、御辺を以って、御留守に任じて頂けるよう申し上げていただきたい」
そう申したという。

(士談)



924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/05(水) 06:40:34.79 ID:EcUAn0qX
「心得がたい」ってのはどう解釈すべきか

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/05(水) 07:12:03.53 ID:PA608L7X
心得が鯛

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/05(水) 07:43:58.18 ID:OVzA0S6z
納得しかねる、みたいな