堀越御所の事

2016年07月12日 08:52

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/12(火) 00:21:40.85 ID:b0mUZDs6
堀越御所の事

伊豆国下田から北に二里半ほど隔てたところに、堀の内村がある。
そこが堀越御所の旧跡である。
御所跡は田畠になり、堀の内村のかたわらに法本寺(報本寺)という寺があって、
堀越の御所で追福供養を今も毎年日時をきめて執行しているという。
法会を怠ると疾病などが流行すると、土俗の者は言い習わしているとか。

この堀越公方と申すのは足利将軍の氏族政知が堀越の初代で、
その子義通が将軍を相続したともいう。(義澄か?)
その子の茶々丸が、北条早雲に追われて堀の内村の紅花畠の内に隠れていた時に、
北条の追手に紅の中から鶏が飛び出すのを見られたことから、
紅花畠を疑われ、
ついには茶々丸は見つけ出されて害された。
このことから、今はこの村で鶏は飼わず、紅花は作らないそうだ。

ただし茶々丸は政知の子とも義通の子ともいわれる。
茶々丸は代々幼名で名乗っている。もしかしたら次男だったのだろうか。
『中古治乱記』という書には、茶々丸は北条勢に追われて、山のふもとの寺で自害したという。
(耳袋)




839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/12(火) 07:33:32.07 ID:Poe8qw0x
あの時代に伊豆で紅花か

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/12(火) 07:37:04.44 ID:Poe8qw0x
と思ったら対岸の千葉では平安の頃から栽培していたのか
てっきりもっと北の植物かというイメージがあった

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家康は御座から立ち上がり

2013年05月24日 19:53

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/24(金) 00:12:19.07 ID:Ggzcewb1
慶長二十年閏六月、喜連川頼氏は上京して徳川家康に拝謁した。

頼氏が退出しようとする時、家康は御座から立ち上がり、頼氏は御送礼を受けた。
これは頼氏が室町将軍家の支族で鎌倉幕府の末裔なので、その筋目を重んじての事だった。

徳川秀忠の時代より後は御送礼の儀は停められたという。

――『徳川実紀(駿府政事録)』




337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/24(金) 00:14:23.48 ID:BhoaUw4r
>>336
鎌倉府じゃないかな

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/24(金) 00:28:13.66 ID:OzcH20ZZ
男系では小弓御所の末裔だし価値なし

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/24(金) 00:34:14.85 ID:Bw6khoQu
一万石に満たないのに大名扱いだから
江戸時代通して価値あると見られてたんでは

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/24(金) 01:00:28.64 ID:N9Zz2Cb5
足利将軍家最近親たる平島公方家の冷遇されっぷりを見ると
反徳川勢力の旗印として担ぐには不足だが利用価値はある血筋の微妙さが喜連川厚遇の理由かと

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/24(金) 10:33:59.95 ID:9VBw2bEs
確かに平島家なんか厚遇したら「わしが征夷大将軍だ!」なんて
うっとうしい事を言い出しそうだな。

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/24(金) 11:21:34.86 ID:+qovmhjL
>>341
それは冷遇しても言い出す可能性あるから名門の扱いは難しい。
そういう戦略や秩序維持の目的だけではなく、
名門への遠慮や敬意って部分もあるとは思うけど

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/24(金) 13:34:50.65 ID:azAGZ2bs
蹴鞠の人はもはやそういうことはないけどこう頻繁に遊びに来られると別の意味でうっとうしい

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/24(金) 13:45:50.32 ID:Ju0ZH8Vp
うっとうしがられるほど遊びに行ってないと危険視されるかもと思って…たわけないか

足利義明は大笑いして一蹴した

2013年01月16日 20:07

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/15(火) 23:58:57.27 ID:0huMzW0b
第一次国府台合戦の折、北条勢は河を渡河して松戸へ向かおうとしていた。
小弓勢先陣は物見の兵を本陣に参らせて、

「敵が河を越え始めました。その勢は雲霞の如く二、三万騎はいると思われます。
小勢で大勢を討つことは難しいでしょう。急ぎ本陣を動かして河中で勝負を決するか、
味方を引かせて敵の先陣が半ばを越える時に急いで河へ押し込めば必ず御味方の
勝利となるでしょう」と具申した。

この策に諸軍はそれがよいと賛成したのだが、足利義明は大笑いして一蹴した。

「一足でも引けば虎も鼠になり一足でも進めば鼠も虎になるのが合戦の例である。
引くような真似をすれば、それは敵に利を与える端緒となる。

また、勝ち負けは数が多いか少ないかではない、兵の剛勇と臆病によるのだ。
氏綱の武勇など我が片手にも及びもしないものを、何程のことがあろうか!

河を渡らせて敵を近くまで引き寄せ、我が手にかけて氏綱を討ち取った上で
東国を安々と治めてくれよう。年月の本望ここにあり! 氏綱を逃がしはせぬ!」

そのように言って義明は扇を打ち振った。
(諸軍の?)運も尽きて驚きあきれることは、たとえようもなかった。

――『異本小田原記』




174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/16(水) 01:31:45.21 ID:8Cq6zkPG
鼠が虎って、早雲の両上杉倒す夢みたいだ
で、北条に殺されると

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/16(水) 01:54:46.62 ID:mUK2EPMb
小弓公方様はそれまで腕力と気合でどうにかなる程度の弱小雑魚
しか相手して来なかったんだろうなあ・・・

身の程知らずにも通りすがりのケンシロウに挑むモヒカンを連想した

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/16(水) 02:04:04.46 ID:mUK2EPMb
ところで、小弓御所家ここで親父と兄貴が揃って討ち死にした後
どうやって50年以上後の小田原征伐まで存続したんだろ?

秀吉が古河公方家に姫様との結婚を強要する程度の存在感をちゃっかり残した上でさ
堀越公方なんて跡形も無く消えちゃったじゃん?

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/16(水) 02:24:55.58 ID:YKcYCbdl
堀越公方は本家に復帰しただろう。

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/16(水) 10:00:00.31 ID:8325FJE1
>172
前秦の苻堅そのままw

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/16(水) 10:31:47.84 ID:p3T6jrcE
>>176
なんだかんだで里見の支援を受けてたはず

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/16(水) 20:55:18.03 ID:bRHHCH/T
>>181
里見さん小田原討伐の段になっても小弓公方を擁立
しようとしてるからなあ。

小弓御所の滅亡

2012年10月13日 20:03

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 09:47:53.06 ID:4/txyCnV
関東の公方・足利一族の知名度のなさに涙流した俺が外堀埋めに来たよ

国府台と足利義明
(前略)
天文八年下総の古河にあって古河公方といわれた左馬頭足利高基は、
北条氏綱の娘を子の晴氏に娶わせた縁で、氏綱は高基を援けたのである。

高基の弟右兵衛督義明は兄と仲が悪く、下総の小弓にいたので小弓御所といった。
足利義明は勇猛の将である。自ら関東八州を征服して、覇府を鎌倉に開こうする大野心があった。
そこで同年八月古河に晴氏を攻めた。晴氏驚いて急使を以って小田原の北条氏綱に援けを頼んだ。
氏綱は義明の勢力が強いのは自分にも不利益であると考え、晴氏を援けることにした。
この情勢を伝え聞いた義明は、北条軍を途中でむかえて撃つ作戦計画を立て、
弟基頼、里見義尭と共に房総二国の兵七千を率いて国府台に至り、
江戸川を前にひかえて陣を張った。

天文八年十月四日北条氏綱は子の氏康と共に小田原を出発し、二万余人の兵を率いて江戸城に入った。
群議の結果進撃と決し、諸隊は忍んで金町に進み、江戸川の堤の下に隠れて、夜の明けるのを待った。
七日の朝北条軍は川を渡って松戸の岸に上がり、勢い猛に攻めかかる。
義明の弟基頼は第一陣将として勇戦して倒れたので、小弓勢の一陣先ず敗れ、小田原勢は士気大いに振う。
義明は見方の敗走に憤激し、ただ一騎敵中に突入し、縦横に斬りまくる。
その大長刀にふれて斬らるるもの数知れず、その勢いに敵はどっと崩れ走る。
義明は丘上に立って味方が来るのを待ったが、小弓勢はこの時総崩れとなったから、義明を援けに馳せ集まる兵士はなかった。

北条軍の横井新助は剛弓の勇士、義明の丘上に立つを見て、馬から下り立ち、密かに近づき、矢頃を計って三人張りの弓に十三束の矢をつがえ
『これは三浦の守護代横井新助と申すもの、一矢受けたまえ。』
大音に呼ばわりつつ、きりきりと引きしぼってひょうと放つ。矢は義明の胸にぐさと射貫けば、流石の勇将もどっと地に落ち、太刀を杖につきつつ息絶えた。
『横井新助敵の大将を射とめたぞ。』
と呼ばわれば、北条軍はどっと鯨波をつくって勇み立った。義明の旗下の勇士はこの時馳せつけて、新助に斬ってかかる。
この隙に松田彌二郎は素早く義明の首を取った。
乱軍の中を斬り抜けた佐々木四郎等は小弓に馳せ戻って義明の一子頼純を連れて安房に落ち、小弓御所はここに滅びたのである。

『日本英雄史蹟 : 歴史地理. 関東地方及中部地方巻』より

内容自体は悪い話なのだが、原典元の趣旨が”歴史と地理は切り離すことの出来ない因縁で成り立っているよ!
引きこもって研究ばかりしてないで、治乱盛衰や文化興廃の跡をその目で見て肌で感じるために旅しようぜ!(要約)”
本書に掲載されているのが明治天皇を皮切りに、乃木大将・徳川家康・伊能忠敬・大石良雄・新田義興等、
有名人が名を連ねる中で紹介されていて、今の知名度の低さからとても考えられないと俺的にイイ話だったから





906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 10:34:32.92 ID:1CHK3a6O
小弓公方と真里谷武田の関係とか、堀越公方の登場とか
本当関東の状況はカオスで楽しいんだけどいまいち認知度がなぁ

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 11:09:55.83 ID:L7i5fm+Z
村雨の人で有名じゃないかw

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 11:16:04.54 ID:WF2ixMjG
天庵さまは堀越公方政知の孫やあ!

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 11:35:05.88 ID:4/txyCnV
>>906
おお、やっと話の分かる人がいてなんか嬉しい
後北条氏が興隆する陰に古河公方の没落があるからね
当方後北条氏好きだが、関東史を全体的に掘り下げた一般書籍が出回って欲しいと思うよ


>>907
ゲームでネタにされているだけで、古河公方のこと知らなかったら意味ないじゃんw

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 11:41:43.10 ID:WF2ixMjG
北条の後押しを受けて家督簒奪した里見義堯が、武田に同調して小弓に与するんだよなあ

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 11:51:49.34 ID:pMAA7Nd0
>>909
12月に発売予定のこれがドンピシャだと思われる

東国を知れば日本史が変わる! 動乱の東国史シリーズ、好評刊行中

⑥古河公方と伊勢宗瑞
則竹雄一著 〈12月発売予定〉978-4-642-06445-3
http://www.yoshikawa-k.co.jp/news/n4643.html

こっちはこの間出たばかりで、なかなか面白かった

東国の戦国争乱と織豊権力 7
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b103247.html

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 12:09:15.09 ID:+bBk8dQC
やはり陸戦型モンスターには飛び道具が有効なのか

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 13:44:01.89 ID:uHwI5Nqd
小弓公方は臼井なら分かるんだがなあ

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 18:20:24.08 ID:L7i5fm+Z
>912、眉間に当てても兜によっちゃはじくからちゃんとハチの巣にしとかないと。畳で畳みかけるとか

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 18:22:21.23 ID:o0IUkIam
これは戦ではない。狩りだ!といって落とし穴掘ればok

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/13(土) 21:02:35.55 ID:rdF+Mj92
>>915
双璧はちょっと黙ってて!

残された妻・嶋子は秀吉のもとに差し出され・・・

2010年05月06日 00:00

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 12:06:54 ID:lT0bMlyM
以下蛇足

>>553-554の際、大関高増の外孫の倉ヶ崎城主・塩谷惟久も参陣せず、秀吉の怒りを買った。
これに対し惟久は、居城と妻を置いていずこかへ逃げ出し、残された妻・嶋子は秀吉のもとに差し出され・・・喰われた。
気丈にも嶋子は、秀吉の枕元で切々とお家再興を訴え続けた。



・・・実家の再興を。

実は嶋子は小弓公方・足利義明の孫であり、その弟は食うや食わずの生活を送っていたのだ。秀吉は嶋子の願いを容れ、
古河公方の血を引く足利氏姫を嶋子の弟・国朝と結婚させ、惟久が逃亡して空いたその旧領・喜連川郷を与えた。
こうして一ノ谷の戦い・屋島合戦にも名を連ねる名門・塩谷氏は滅び、鎌倉公方家が再興された。


『 日本一小さな大大名 』 喜連川藩が、これである。




557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 12:14:23 ID:0Oun9P+g
>>556
実に心温まる話だなw

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 13:39:18 ID:l69SEt3P
>>556
股かn…あ、いや、胸が熱くなるな

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 15:04:12 ID:IHGN8mgp
今もって栃木県民にはアンチ徳川、秀吉好きの人が多いが
喜連川公方の再興もその理由のひとつとなっているようだ。