天庵様がNHKデビュー!

2014年12月28日 17:02

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 22:07:23.92 ID:JvE4goeo
天庵様が明日の番組でNHKデビュー

先人たちの底力 知恵泉 年末SP「負けたのによく生き残った!戦国武将特集」
http://www4.nhk.or.jp/chieizu/x/2014-12-27/31/03287/
http://www.nhk.or.jp/pr-image/39bb6d9ed2ef8d7e9c6eb8bf865b31c4_s.jpg
39bb6d9ed2ef8d7e9c6eb8bf865b31c4_s[1]

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/26(金) 23:09:38.37 ID:CZFs0xMt
>>439
宗茂が取り上げられるのか・・・直近の大河でもはぶられてたっけなぁ・・・

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/27(土) 02:26:09.29 ID:j/LdjyBr
この3人は誰でしか?

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/27(土) 05:12:28.69 ID:cOWLXt/n
チート設定、ファンタジスタ、猫の人

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/27(土) 09:49:00.53 ID:D3wq38Xv
天庵様の画像ググってみたら萌え画像しか出てこねえよ!




31日の午前7時から再放送があるようです。解説で黒田基樹先生も出られ、非常に良い番組でしたので、
良かったら見てみてください!

http://www4.nhk.or.jp/chieizu/2/
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天庵様が天羽鉄斎の諫言を聞かなかった話の詳しい内容

2013年09月17日 20:44

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 05:40:12.00 ID:pwMBEeys
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3198.html
これの、天庵様が天羽鉄斎の諫言を聞かなかった話の詳しい内容

常州の小田天庵親子(氏治、守治)は、先年居城小田城を太田三楽斎に乗っ取られた後、
家臣・赤松疑渕斎(則実)の守っていた手子丸に移り、何とか小田城を取り返そうと策をめぐらしたが、
兵数に劣りなかなか思いを果たせないまま、虚しく時を過ごしていた。

そうであったが小田家には、四天王と呼ばれた土浦の菅谷左衛門大夫、海老ヶ島の平塚石見守、
木田余の赤松疑渕斎、藤沢の飯塚美濃守を始めとして、他にも天羽源鉄斎江戸山城守、大藤小太郎、
尾上、只越、月岡といった、世に知られた勇将、知将が有り、かつては周囲を囲む反北条派の
佐竹義重、多賀谷、真壁、梶原なども、これを攻め落とすことができなかったのである。

ところがこの年、小田家の知将と名高い天羽源鉄斎が明日をも知れぬ様態となり、天庵親子が駆けつけた。
天羽源鉄斎は老衰していても頭ははっきりとしており、天庵親子に寝たまま手を合わせて
見舞いの礼を述べ、そして苦しい息の下から氏治に言った

「我が小田家は、多年多賀谷、佐竹と矛を交え争い、片時として安堵の思いをしたことはありませんでした。
それは全て、こちらが小国であり、相手が大国であったためです。
ただ策を以って、これまで支えてまいりました。

御屋形様、私が死んでも策は同じです。決して城を出て、平地で戦ってはなりません。
必ず、城にこもって闘いぬくのです。籠っている内に、後詰めとして土浦、藤沢、海老ヶ島などの諸城より
援軍が来て、これを追い払うことが出来るのです。」

氏治はこれに
「よくわかっておる。源鉄斎老人の采配の通り、これからもその戦術を以って望むつもりだ。」

「およそ険に寄りて守れば、一人で20人の敵を防ぐことが出来ます。一人が一人と戦っては、
佐竹の多勢にどうして抵抗することが出来るでしょうか?
返す返すも、敵の誘いに乗って野戦をなさってはなりません。どんな事があっても、籠城して防戦一途の
戦いこそが御寛容ですぞ!」

天羽源鉄斎は繰り返しそう言って死んだ。
源鉄斎は誠に軍配知略の老武者で、小田家にとっては高き山、深き海とも頼む支えであり、それが朝の露と
消えた今、小田家中では誰一人として肩を落とさぬ者はいなかった。

ところが、この源鉄斎の死は瞬く間に近隣に聞こえ、中でも佐竹義重は「時ぞ来たれり」と、源鉄斎の
死の直後、9月下旬には早速三千余騎にて手子丸へと押し向かった・
小田氏治はこれを聞くや、なんと、直ちに兵を出して途中で迎え撃とうと人数を集めたのである。
重臣の江戸山城守は直ちにこれを諌めた。しかし氏治は怒り

「何故止めるのか?佐竹の手の内はかねて知るところだ。恐るるに足らず!」
「しかし敵は多勢、味方は無勢です。それを要害もない平地で迎え撃つのは、源鉄斎殿が遺言したように
危険です。」

「お前もまた源鉄斎か!その言葉、耳にたこができるほど聞いた。
源鉄斎が死んだ後だからこそあえて出て戦うのだ!
籠城をしていては負けることはなくても、いつまでも勝つことは出来ない!
まして、小田城を奪った太田三楽斎の一族も、佐竹軍の中にあるときく。今こそ運を天に任せて一戦せん!」

「しかし、みすみす敗れる戦いを」

「弓馬の家に生まれたものが何をいう!?負けるも勝も時の運である。敗れてもそれは恥辱ではない!
不満ならお前一人籠って城を守れ。私は城を出て敵を迎え撃つ!」

そう言って氏治は一千騎で城を出て、手子丸山を後ろに三ツ州浜形の紋所の旗印を立て、堅陣を敷いて待ち構えた。
(関八州古戦録)

結果↓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3828.html





331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 08:09:34.98 ID:qzNqXkT7
すごいなもうほとんど落語だなw

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 09:05:20.85 ID:CVlsAicP
天庵様は勝ち負けなんて既存の価値観には囚われていないのだろうw

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 10:27:01.67 ID:Ms3Rn8aK
だから智将の遺言無視は死亡フラグだとあれほど…

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 10:33:36.39 ID:Hju/o4aU
残機数=菅谷さんの残息子数

この分だけ天庵さんはコンティニュー可能です

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 16:40:15.75 ID:UV3pihuF
天庵様の馬耳東風スキルは上限値です
これ以上は上げられません

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 17:23:36.36 ID:ZsSfSWx2
私が出陣したと聞けば城を出てまいりましょう

とか三楽に見透かされてる可能性すらあるからなぁ・・・

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 19:23:58.87 ID:rvEnV6IU
別の織田さんが寡兵で大勝したウワサを聞いていたのだろう

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 19:26:55.98 ID:lvu9nkbE
ゆるふわおつむの愛され系大名 小田天庵

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 22:23:06.22 ID:sIuN1FPa
天庵様には台風一過なみの清々しさがあるな

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/17(火) 22:34:09.07 ID:Ml3ywiVR
後始末する人間の身にもなってみろ的な意味でだな

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/18(水) 01:05:57.59 ID:zmdLB0WI
人が死んでんねんで!

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/18(水) 17:30:50.19 ID:ncvSfgl5
死んだ者たちの想いを背負い次こそは勝てるはずとの力強いコメント頂きましたー

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/18(水) 18:05:57.33 ID:HaeJ4URT
もうやめて!
菅谷さんの息子の残りは0よ!

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/18(水) 18:16:33.22 ID:khhtk1VM
従兄弟とか居るだろ、大丈夫、大丈夫

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/18(水) 19:25:37.66 ID:Ot7COYJP
安心、納得の天庵様クオリティ


雑談・天庵様で大河作ったら

2013年02月16日 19:50

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 14:48:57.59 ID:u5vvY0yg
天庵様で大河作ったら問題無さそうだな

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 15:04:48.23 ID:HLCuktbM
あの軍神に挑み、民に愛され、不屈の心を持つ男…
話題性やメッセージ性もバッチリだな!!

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 16:23:24.38 ID:h+9LZ1Yt
>>574
天庵様の場合、最終回はどーしたら良いんだ

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/15(金) 16:58:50.06 ID:pO46lMSw
頭に浮かんだのが漫画版のデビルマンの最後
理由がまったくわからんけどwwww

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 02:06:01.29 ID:PcH8+oDT
>>577
あの奥州藤原氏を興から亡まで大河で描けるんだから弱小天庵様の些細な興亡程度なら余裕だろう

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 07:14:56.81 ID:xxfBOTXE
奥州藤原氏はドラマチックに滅んだけど、天庵様は・・・

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 08:27:41.85 ID:/YV5FSHG
つか、藤原三代で半年じゃねえか。
その理論だと天庵様の大河は2ヶ月で終わる。

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 10:49:03.17 ID:p0S3xEwM
織田かと思ったら小田だったで苦情殺到だろ

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 11:39:39.38 ID:/O+SNlF+
タイトルはこれでお願いします

「家康が最も恐れた男 小田氏治

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 14:10:29.97 ID:obKfq3In
天庵様にもその称号かよwwww

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 14:20:36.26 ID:xxfBOTXE
そういや家康って関東諸大名と通交があるけど、天庵様とはあったのだろうか?

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 14:21:19.66 ID:eRPrsEYq
>>584
「家康が最も(警戒した豊臣秀吉と戦った北条氏政と敵対していた佐竹義宣が少し)恐れた男 小田氏治

こうか!

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 14:52:32.12 ID:Ziy3iXx3
天庵さまの娘が結城秀康の側室だっけ?

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 15:00:29.95 ID:Hoeyod+u
YES
でも家康との直接的なつながりってないような気がする

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 15:18:06.55 ID:XezMpZLU
たしか息子の守治一家も妹の縁で秀康の家臣になってるよね

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/16(土) 15:52:46.21 ID:xxfBOTXE
いっそ大河は菅谷一族にしたらどうだろう。ハッピーエンドだし

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 11:36:57.35 ID:1JiT4w5T
福井藩史事典っての借りてきたんだが、家臣の一覧(幕末頃?)に小田家が見当たらんなぁ。
水戸(江戸)と山川は高家として扱われてるのに。

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 11:56:43.38 ID:m172MTMb
>>613
断絶したとかでなければ、越前松平家が分裂してるから
福井藩じゃなくて、別の藩なんじゃないかな。

結城の紋を継いだ、前橋松平家あたりはありそうだけど。

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 11:58:08.46 ID:ED2zy0Da
何らかの理由で苗字が変わってる可能性もあるなあ。

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 12:00:20.43 ID:m172MTMb
そういや八田氏に戻したのも居たっけか

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/17(日) 12:10:37.90 ID:1JiT4w5T
うん八田は100石でいるな。
しかし水戸の米百俵とか山川の二十人扶持とかどんだけ落ちぶれてるんだか。


太刀影光れば氏治の首は前に落ちた

2013年01月03日 19:54

4 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 13:49:56.89 ID:wIuyxsJR
天正中の初め、小田家は土浦城を佐竹勢に囲まれたうえに、一騎当千と
頼んだ海上武経と行方幸菊丸の討死によって城中の空気は失望一色となった。
そこに佐竹軍が鉄砲を激しく撃ち掛けてきた。

その頃、常陸両国にはいまだ鉄砲がなかったのだが、佐竹はこれを求めて
絶え間なく撃ち掛けてきたので城中の者たちは肝を潰し「これは一体
どうしたことだ。人間の行為とは思えない」と恐れをなした。

既に大手の軍は破れたと知った小田氏治は守治、菅谷、由良、丘見らに
向かって「氏治の運命ここまでなり。自害する。防矢を射させよ」と命じた。
諸臣は「心得候」と涙ながらに敵陣へと馳せ向かっていった。

氏治は広縁に曲録を置かせてその上に座り、法華経六巻、寿量品を心静かに
唱えた。そして結跏趺坐し、近習の櫻井豊之助に目配せすると櫻井は後ろに
廻り、太刀影光れば氏治の首は前に落ちた。豊之助もまた刀を取り直し腹を
一文字に掻き切った。

野中瀬入道鈍斎は氏治自害と聞いて攻め口より来たり、その有様を見て
「それがしは君と同年にして幼少竹馬の昔より付き添い奉った。死ぬ時は共に
と申し上げましたのに先立ちなさるとは、恨みに思いますぞ」と泣きながら
法華経をしばらく唱えて、自身も腹を切って殉死した。

誠に日本は義国なりと白居易が誉めたのもその通りだと思い当たるばかりである。

――『小田天庵記』

小田天庵記では自害したことになっている氏治公であった。
一応「越前で死んだって説もあるよ」と紹介されてはいる。







5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 13:52:43.03 ID:LBHjonDx
一瞬ポカーンとなった
不死鳥だから、死んでも灰から蘇ることくらいあるよね

6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 13:55:28.46 ID:XLLsn5J4
そこで自害した事にしておけばそれ以降の黒星も無かったことに・・・ならない気がする

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 14:15:51.82 ID:/5wrQpZm
氏治殿がまた死んでおられるぞー!

8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 14:20:23.68 ID:HQEuFh0X
天庵様は大陸に渡って…渡って…


帰って来たんだよ!

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 16:32:28.49 ID:T3iNMd/x
さすが天庵さまだ、首を斬られてもなんともないぜ。

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 18:47:16.28 ID:yPRMNO+J
青森あたりに何故か天庵様の墓があるに違いない

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 19:12:05.85 ID:nynan+pS
ここで死んだことにしといたほうが軍記的にかっこいいからね、仕方ないね

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 19:18:35.89 ID:rZWVXNrF
天庵1「わしが死んでもいずれ第2、第3のわしが現れるだろう」
天庵2「わしが死んでも代わりはいるもの」
天庵3「多分、わしは3人目だと思うから」

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 19:37:42.51 ID:HQEuFh0X
天庵様、またエゲレス商人からその様な怪しげな石の仮面などお買い求めになられて…お戯れが過ぎまするぞ

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 20:04:32.89 ID:XLLsn5J4
守治「どんなありえない負け方をしても元気に帰ってきていた父上が・・・」
菅谷「思い返せば何故ここまで生き延びれたのか不思議だったが・・・」
野中「死んでしまわれるなんて信じられませぬ・・・」
櫻井「小田城を取り返すぞという殿の声がまだ聞こえて来そうで・・・」
天庵「そうだよ小田城まだ取り返してないじゃん!ごめん今の自害なし!」
一同「ギャー!」

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 20:06:57.91 ID:wIZdr5L4
氏治「オール・フィクション!」

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 21:30:22.66 ID:zP9mTyd7
天庵様なら切腹しても生きてるかもしれないなw

17 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/01/03(木) 22:51:33.33 ID:pGc6Ni5S
氏治「俺は不可能を可能にする男だ」

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 22:53:58.41 ID:Cz5MolTa
日根野さんの記録を超えるのか
[ 続きを読む ]

ネタ・「小田は勝つ」

2012年09月08日 20:31

407 名前:「小田は勝つ」作詞作曲TEN歌AN[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 14:49:43.28 ID:hvtbgZHu
心配ないからね 配下の想いが主君にとどく明日はきっとあるどんなに困難でくじけそうでも信じることをけしてやめないで
carry恩carryout討ち負け討ち取られ戦する切なさに少し疲れてもおー もう一度夢見よう
愛される喜びを知っているのなら
夜空に落城を見つけるたびに願いを託し儂は生きてきた
どんなに困難でくじけそうでも信じることさ必ず最後に小田は勝つ




小田天庵は不死身なり

2011年10月27日 22:03

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 19:35:53.22 ID:AZtUluXL
小田天庵は不死身なり

【佐竹・小田】常陸下野の戦国大名【宇都宮・小山】スレにあったものを一部編集
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156093325/

「常陸小田氏の盛衰」
・弘治二年(1556)三月 結城氏に海老島の戦で敗れ、小田城落城、氏治土浦に落ちる
・同年 八月 氏治小田城奪還

・永禄七年(1564)一月 上杉、佐竹らに山王堂の戦で敗れ、小田城落城、氏治藤沢・土浦に落ちる
・同年 八月 氏治小田城を奪還
・同年 十一月 佐竹勢に攻められ、小田城落城、氏治土浦へ
・永禄八年(1565)十二月 氏治小田城奪還

・永禄九年(1566)二月 上杉、佐竹勢の攻められ、結城と交渉の上、小田城「開城」
・同年? 時期不明ながら、氏治小田城を奪還

・永禄十二年(1569)十一月、太田三楽、梶原、真壁らに手這山合戦で敗れ、小田城落城、氏治土浦、藤沢に
(こののち小田氏の主力は、土浦、藤沢両城に移る)
・元亀二年(1571)末 氏治小田城を奪還
・元亀三年(1572)末 太田三楽により、小田城最後の落城
(こののち、藤沢城→土浦城→手子生城と順に落されていき、滅亡)





271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 19:43:41.65 ID:AZtUluXL
勇気と交渉の上、小田城「開城」
勇気→結城でorz

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 19:51:46.08 ID:AZtUluXL
小田城より先に土浦が落とされてたら
天庵様どうしてたんだろう?

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 19:57:02.65 ID:pLMLjsD3
>>271
退くのもまた勇気、みたいな意味かなと普通に読んでたw

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 20:34:58.66 ID:aYYvmuZ5
>>272
「殿様ごど餓いさしちゃなんねど!」な領民が面倒見るから平気

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/26(水) 21:45:57.31 ID:lwcGuOFM
天庵様、二十年近く取ったり取られたりしてたんだな
負けても負けても取り返す、小田の(リカバリー)力は天下一イイイイイ!

土浦落城

2011年07月12日 23:20

983 名前:1/2[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 20:12:27.13 ID:QvufKzfG
天正2年(1574)1月、小田氏治らが籠る土浦城に、車丹波守忠次、梶原景国、北條治高ら佐竹勢にとる攻撃が始まる。
土浦城南ノ手を任されていた江戸崎監物の寝返りにより多くの兵が逃亡、さらに有力武将である海上主馬五郎武経が
討ち死にするなど、小田方は一気に劣勢となる。

2月27日、西ノ木戸を守る菅谷正光は、氏治の嫡男・彦太郎守治、そして沼尻又五郎とともにわずか200騎ほどで
佐竹勢1500の中に斬り込み大いに打ち崩したが、佐竹はこの頃まだ常総には広まっていなかった鉄砲で攻撃、
雨の降るように撃ち出し、小田軍の端武者の中には「これは人間のなす事では無い!天魔の仕業だ!」と驚き
逃げ落ちるものも多くあった。

帰城した菅谷正光、小田守治、沼尻又五郎は氏治の御前に出、こう申し上げた。

「今や味方の兵は多くが討ち死にし、あるいは負傷しました。もはやこの城を保つことは、大変困難です。
これは氏治様の運の尽きというものなのでしょう。その御名を辱めぬ為にも、ここで御自害あるべきです。」

と、ここに現れたのが、同じく敵を追い払い帰城した野中瀬鈍斉沼尻播摩守である。
野中瀬は怒鳴る

「これは口惜しき次第である!小田殿がこんな所で、闇々と自害していいはずがない!
幸いにも私は氏治様と同年であり、佐竹勢に顔を知られていません。
ここは私が殿に入れ替わって自害し、敵を欺きましょう!」

沼尻播摩守はこれを聞いて感じ入り

「よくぞ申した野中瀬殿!それがしは御嫡男守治と名乗り討ち死にしましょう!さあ、殿と守治様は
早々にお逃げください!良将たる者は千騎が一騎となっても生き延びて、会稽の恥を雪ぐのを本意とするものです。
私には息子の又五郎がありますので、心やすく御先途を見届けることが出来ます!」

と、早くも守治の具足を脱がせようとし、また野中瀬も装束を氏治のものと取り替えようとした。
しかし小田親子は二人とも涙を流し

「お前たちの死なせてまで、自分の命が助かったところでどうするというのか!お前たちと死を共にする!」

そう言って承知しようとしない。これに野中瀬、沼尻は大いに腹を立て

「さても言い甲斐のない事でしょうか!我ら両人の忠死を意味のないことにする事こそ、恨みに思います!
我々の願いが叶わないのなら、我ら二人はここで刺し違えて死にましょう!
それを犬死とお考えに成るのなら、ここはどうか、聞き分けてください。
伝え聞くところによれば平知宗は対馬に落ちて平家の残党狩りの難を避け、源義経は奥州衣川の館において
自害したと見せかけ、蝦夷に退いたそうです。古今の名将にも例のあることで、決して恥ではありません!」

984 名前:2/2[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 20:12:51.28 ID:QvufKzfG
この説得に、氏治親子ももはや詮方なく、、彼ら両人の方策に任せた。
ところが今度は、沼尻播摩守の嫡男、又五郎がこう抗議した

「私には父上の最期を見捨てることなど出来ません!共に討ち死にいたします!」

沼尻播摩守は目を怒らせて叱りつける

「ああ、お前は日本一の不覚者だ!死ぬのも忠なら脱出するのも忠義だ!
私が死ぬのはな、お前が世間に通用する男に成長したと見込んだためだ。
後の守りも安心出来る故に、ここで討ち死にし敵を欺くことが出来るのだ。
もし私の言葉に背くのなら、お前は永遠に勘当する!」

又五郎は地に伏せ、むせび泣きながら父に詫び、氏治親子を守りと共に城を落ちることを約束した。

枯れ草を集め城に火をかける。
そして氏治、守治はそれぞれに分かれて城より落ちる。
沼尻播摩守はそれを助けるため自分を守治と名乗り、菅谷左ヱ門尉正光らと共に城より討って出る。
野中瀬鈍斉は櫓より大音声で

「ここにあるは清和天皇十二代六条判官為義が三男新宮十郎蔵人行家の子息八田武者所右衛門尉朝家には
八十五代小田讃岐守氏治入道天庵である!
武運尽きて今自害いたす!人手に掛かり犬死して、後世人の嘲りを受けてはならない!
我が首をとって高名をいたせ!」

と火に包まれた城内で十文字に腹を斬って果てた。沼尻播摩守もまた、散々に暴れまわり佐竹勢の多くを倒し、
やがて猛火の中に入り自害した。
佐竹陣に切り込んだ菅谷左ヱ門尉正光、由良信濃守成繁、岡見中務少輔宗治、沼尻又五郎家忠、片岡、中野、中村、小野、小造、星宮、
雨宮、天野、吉原、木村、石堂等の十六騎は、その生死すら知れず、という。

首実検の際、双方共に姿年齢が近しく、また首も焼けていたため、佐竹はこれを氏治親子の首と信じた。
これにより氏治親子は無事、片岡治部左ヱ門の中館城に落ち行きた。

土浦落城についての逸話である。




985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 20:20:05.98 ID:vG2Q8YKd
由良成繁……?

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 20:22:44.69 ID:NgizOAj5
>>983
>良将たる者は千騎が一騎となっても生き延びて、会稽の恥を雪ぐのを本意とするものです。

天庵様はまさに良将中の良将

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 20:56:08.04 ID:aJ0i/sNY
早く逃げてくれよw

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 21:32:39.40 ID:g3vN+9b/
由良成繁のお化けでも出たのか?

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 21:46:14.75 ID:80pQY3oH
同姓同名だよきっと

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/12(火) 23:59:39.04 ID:RBSalYw0
>>983-984
これだけ地の利、人の和があって
天の時もそんなにないわけじゃないのに
負けを重ねた天庵様の才能が怖い

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/13(水) 00:21:33.67 ID:wQxFR99D
菅谷正光「気付いたら城に残る方になってた件」

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/13(水) 02:23:12.49 ID:LrlZpw0b
天庵様はもう天命としか

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/13(水) 02:28:49.77 ID:UmlrcuFz
ここで俺も死ぬ!と言えるのが天庵様のいいところ

996 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/13(水) 09:05:15.87 ID:YQAP3Kcg
この種の名分論を振り回して説得する逸話は思い切り漢学の影響だな。

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/13(水) 12:30:17.68 ID:E5dMtRSY
三河武士の場合、言い争いで脱出できなそうだな

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/13(水) 13:30:00.86 ID:0UsNduM9
まぁ、三河武士の場合、いざとなったら、まどろっこしい説得なんかせずに強引に殿サンのケツを蹴り上げて逃がすだろうから、少なくとも大将は生き残るよね。
あとは誰が代わりに死ぬかだけどw

999 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/13(水) 13:37:30.06 ID:euMxNlHc
天庵様は家臣にも民にも慕われる名君なのに軍略を誰かに任せる分別があればなあ
なんで戦場ではひたすら匹夫の勇なんだ

信田喜八のたたり

2011年06月16日 00:06

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 18:15:20.74 ID:LL4RQ3MR
永禄7年(1564)の小田占領後、城将となったのは佐竹義斯であった。
小田の領民が小田の殿様を信奉していたことは佐竹でもよく知られていたらしい。
小田のことを知るある者が「一年以内に取り返されないよう注意することだ」と言うので
義斯は「首を鴉につつき砕かれることはあっても城は取り返されない」と答えた。

しかし翌年、義斯は城を奪われてしまった。これを見た人は
「小田の鴉はなんと大きいのだ。人をつつき出してしまうとは」と笑った。

この時、城を急襲して取り戻したのが小田の家臣である信太氏であった。
彼は佐竹に降伏してからは無二の忠臣をよそおい、反撃の機会をうかがっていたのだ。
しかし、これは極秘のうちに行われたらしく、彼の妻子ですら知らぬことであった。

息子の喜八などはまさか父の謀叛などと思いもよらず、義斯のもとに駆けつけたために
捕らえられてしまった。そして義斯は虫の居所が悪かったのか喜八を虐殺したのである。

こうした経緯もあって喜八は怨霊となり「城を守ろうと駆けつけたのになぶり殺しにされた」
と佐竹北家にたたりをなした。また、その母もたたりをなしたのだという。




674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 20:28:30.65 ID:lTHquxx4
小田民は洒落がわかるなw

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 22:13:54.74 ID:M+Y8Y9Vp
喜八が悪いわけじゃないがそりゃ殺されても仕方がないような

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/15(水) 22:59:04.63 ID:/YBYFMLQ
>>675
謀略の一貫と疑われても仕方ない一方で
親兄弟で奉公先が違うというのも珍しい話でも無いしなあ。

「てんあんさま」と「てんなんさん」

2011年05月15日 00:04

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/14(土) 12:52:04.41 ID:Xw8aoi88
どっちに書き込んでいいかわからなかったんでコチラに。

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5179.html
の企画展に行ってきました
ロビーに天庵さんの肖像画のパズルが置いてあったので、完成させて受付に持って行ったら
肖像画のポストカードをもらったのですが、その時に学芸員さんと話をしたところ
土浦では小田氏治さんは「てんなんさん」と呼ばれているらしいのです
(自分が「てんあんさま」と言ったら学芸員さんに「てんなんさん」なんですよー、と言われた)

ちょっと新事実かなーと思ったのでカキコさせていただきました



631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 08:59:40.89 ID:kSgp9Mlq
>>627
て・・・てんねんさん?

632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 10:11:12.41 ID:mI4URhjt
うーむ、オレの中ではすっかり小田天然さんになってしまった

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 14:30:47.97 ID:wLQO66vA
天難さん……。

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 14:53:48.81 ID:vAGggpRG
てんにゃんにゃん

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 17:56:35.26 ID:O6fD5bGZ
難点さん。。。

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 17:58:17.46 ID:lFMq/7WQ
誰一人ポジティブな方向に改変しないあたりさすが天庵様といったところか

638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 20:46:39.91 ID:N6eM/+nA
>>636
天楠さん、つまり大楠公を上回る英雄のことであるよ…

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 21:21:27.11 ID:m7f+I3eh
あぁん?小田城ひとつ守り切れいのに籠城のプロ以上の器だって?

640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 21:34:31.55 ID:hn1psn31
人望とか

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 21:34:52.81 ID:I8bHC0Ro
命を守るのはプロ

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 21:36:25.12 ID:t9HNTIkM
七生報国と言って自殺した人はプロじゃないって?


643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/15(日) 23:20:19.45 ID:8y13wA7k
そんなにおだてんなんよう

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 00:08:45.16 ID:CES5O28m
山田くん、座布団持っていって!

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 20:11:37.66 ID:+kbhffK8
鹿「我に天難辛苦を与えたまえ」

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 20:15:56.58 ID:tK+5Qme5
いや、あんた含めて尼子十勇士じたいダジャレばっかしだし
(山中鹿之助、秋宅庵之助、横道兵庫之助、寺元生死之助、皐月早苗之助、
早川鮎之助、大谷古猪之助、高橋渡之助、藪中茨之助、荒波碇之助
尤道理助、植田稲葉助、川岸柳之介、井筒女之介、阿波鳴戸之介、破骨障子之介)

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/16(月) 20:21:03.75 ID:+kbhffK8
>秋宅庵之助
>横道兵庫之助
>尤道理助
このへん、何となく笑いどころが分からぬ……。

『田土部合戦~小田さんの勝ち戦~』

2011年05月10日 00:00

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:55:07.07 ID:FR4+IJt/
はじめまして。ここのスレのアイドル小田さんの本をみつけたので、その中からまだ未出であろう逸話を
紹介させていただきます。
出典は小丸俊雄『小田氏十五代―豪族四百年の興亡―(上)(下)』(1979,ふるさと文庫)ですが、
今回の逸話について本の中でも一次資料が記されていない上に、逸話の内容が内容なので恐らく
信憑性は薄いと思われます。
まあ、民間の伝説の一つだと思って、かるーい気持ちで読んで下さい。
それでは本編をどうぞ。タイトルは『田土部合戦~小田さんの勝ち戦~』。

天正元年四月十一日。手這坂でボコボコにされ、砦台でもボコボコにされ、藤沢の城に落ちのびていた小田氏治
それを今度こそ攻め滅ぼさんと、梶原美濃守景国、北条出雲守治高、真壁入道道夢といった
いつもの対小田メンバーがおよそ一千騎を従え藤沢へと出発しました。
これに対し小田勢は菅谷、由良、行方刑部少輔などが一千騎を率いて迎え撃つ構えを見せました。
もちろん、この存亡を賭けた戦に、当主の小田氏治さんも自ら兵を率いて出陣します。

梶原勢と小田勢は田土部川で遭遇。川を挟んで対峙することになりました。しかし、総大将は我らが小田さんです。
「対峙などしていられない、すぐに出撃だ!」
敵の目の前で渡河を始めました。現在の茨城県に田土部川という川は無いので、後世に残らないぐらい
小さな川だったのかもしれませんが、それでも渡河は渡河です。梶原勢もチャンスとばかりに矢を射かけます。
しかし、あろうことか小田勢は対岸へ辿り着き梶原勢へ突入。鬼神の如き強さで敵を押しまくり、
北条出雲守治高の息子、犬五郎を討ち取り梶原勢を小田城まで押し返すという大勝利を収めました。
(続く)

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:59:39.63 ID:FR4+IJt/
これでめでたしめでたし、と終わらないのが小田氏クオリティ。
この敗戦において、梶原勢の石島駿河という人がただ一騎になって撤退していました。それを小田勢の
伊渡賀正兵衛の子、伊渡賀甚助と、大塚道雲の子、大塚虎之助の二人が見つけます。
「いくぞ、虎之助! マグネットパワー・プラス!」
「任せろ甚助! マグネットパワー・マイナス!」
「「クロスボンバー!」」
甚助と虎之助は石島駿河を挟み撃ちにして槍で突きました。ところが運が良かったのか、穂先は
草摺の合わせ目に当たり、石島駿河はほとんど無傷でそのまま逃げていきました。

さてその後、手柄を逃した甚助と虎之助は呑気なもので、自陣でこのことを色んな人に話していました。
「いやぁ、鍋の中の鳥を打ちもらしちゃったよ」
「ほんとほんと。運が悪かったぜ」
これを聞いたのが彼らの親です。自分の子供が手柄を立てられず、中途半端に傷を負わせて敵を逃がしたのが
恥ずかしかったのでしょうか。すぐに手紙を書くと使いを出して石島駿河に送りました。
届いた手紙には次のようなことが書かれていたといいます。
「今回はウチのバカ息子たちの若気の至りであなたを討ちもらしてしまいました。お怪我は大丈夫ですか?」
(原文:こなたの倅共、若気故に貴殿を討ちもらし候。手疵は如何に候や)

これを読んだ石島駿河も、律義に手紙を返しました。
「わざわざお手紙ありがとうございます。お宅の息子さんたちがへっぴり腰だったおかげで助かりました。
まあ、大した怪我ではありません。次の戦場で機会があったら、また槍を合わせましょう」
(原文:御使かたじけなし。御子息たち腰がぬけ、この石島駿河助かり候。手疵なるほど軽く候。お気遣いあるまじく候。
重ねて一戦の節、返礼申さん)

息子の尻拭いを親がするのと、勝ち戦でもどこか抜けてる小田勢のしまりの悪い話。




106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 01:06:05.01 ID:KESICShn
小田勢て、ガチ殴りあいになると強いよね。
大将の戦略戦術があれだから局地戦で挽回するしかなかったのか。

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 01:16:38.63 ID:4DirppR1
関東の中小の領主さまのところは、なんだかんだいっても
小競り合いには強いと思う。那須さんのところとか

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 01:40:03.60 ID:USX/iMwo
確かに那須は追い込まれてからが強いよねw

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 01:55:26.78 ID:1m0vamNm
那須が意味不明なのは家中不一致の極みなのに合戦になると団結するとこ
義重からしたらなんで調略できないのかわからんかったろうな

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 12:26:57.00 ID:nINtvDaI
家中の連中も嫌いだけど
他家の連中はもっと嫌いとかなのかね

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 13:53:29.77 ID:veRne1dA
>家中不一致なのに合戦になると団結するとこ

初期の徳川(松平)でも同じことやってるので、
1国以下の大名系は大体そう。

112 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 19:00:46.64 ID:XB4kshqF
那須は守ると強いが頭数が慢性的に不足してるので城攻めは割と失敗する

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/09(月) 21:35:29.50 ID:QF8TEyaG
内輪で仲良く(?)ケンカしてるのに邪魔すんなって感じなのかなw


169 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/14(土) 17:16:49.94 ID:LJ4sQyC0
>>100

>出典は小丸俊雄『小田氏十五代―豪族四百年の興亡―(上)(下)』(1979,ふるさと文庫)ですが、
今回の逸話について本の中でも一次資料が記されていない上に、逸話の内容が内容なので恐らく
信憑性は薄いと思われます。


出典は『東国戦記実録』とか『小田天庵記』あたりだね。これらの軍記だと小田氏治
腹を十文字にかっさばいて潔く自害するし、『東国戦記実録』では片野三楽・梶原美濃守親子が


「太田重郎弓押取、暫ク覗ヒテ兵ト射ル。其矢誤タス梶原美濃守ガ首筋ヲ射切タリ。
三楽ハ古沢弾正ニ討レケレバ、残ル者ドモ地ニ臥テ降参セリ」


って感じで佐竹や多賀谷に攻められて殺されたりするから史実の勉強に最適だと思うよ。

天庵さまの企画展が開かれるそうです

2011年03月01日 00:00

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/28(月) 19:10:36.50 ID:1mfU5+a3
ここの住人なら興味があるのでは、と思ってw

天庵さまの企画展が開かれるそうです
土浦市立博物館第32回特別展
「戦国武将小田氏と法雲寺」2011年3月19日~5月8日
ttp://www.city.tsuchiura.lg.jp/cms/data/doc/1297304491_doc_44.pdf
↑のPDFと博物館のHPには詳細がなかったけど、手元のチラシを見る限り
猫と一緒の肖像画や法雲寺の寺宝が公開される模様
小田氏関係の記念講演会や史跡見学会もやるらしい





17 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/02/28(月) 22:59:42.32 ID:R0EC0wD9
土浦かww
テラ小田氏のお膝元ww
関係ないが、北条は勿論、佐竹もそうだが関東の連中って
結構領主に馴染んでるんだな。
まあ佐竹小田あたりは代々の名族だし、北条は善政敷いてるしな。
家康乙・・かな。




土浦市立博物館HP
http://www.city.tsuchiura.lg.jp/section.php?code=43
興味のある方、お近くの方は参加されてみてはいかがでしょうか?

天庵様・軍神様に振り回される人々

2010年11月17日 00:00

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/16(火) 00:50:16 ID:TRCFI7RL

常陸国に勢力を伸ばす小田天庵氏治。
そのあまりの強大さに悩まされた周辺諸豪は、佐竹・結城・宇都宮を中心に同盟を
組んで小田家に対抗する。
しかし、それでもどうにか五分に持ち込めた程度。小田天庵の勢いを押し返すまで
には至らなかった。

困り果てた反小田連合は、ちょうどその時上州に来ていた上杉輝虎に着目する。
「お前達も俺の幕下に入れ」
そういう通告が来ていたのに対し、
「小田天庵を締めてくれたら、喜んで馳せ参じますよ」
と返答したのだ。

その返事を聞いた輝虎、
「ん、わかった。じゃあ早速行くわ」
と、越後から率いてきた八千の兵のみを連れて、進軍を開始。
真壁道夢が送った使者が復命した時には、既に下野国氏家原にまで輝虎の先鋒が到
着していたと言うから、恐るべきフットワークである。

この進軍速度に天庵は仰天。しかし、天庵以上に仰天したのが連合軍の諸氏である。
「俺等、全然準備出来てないよっ!?」
「天庵相手に八千の越後勢だけで戦うのか!?」


まぁ、戦自体は、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4003.html
こんな感じでいつもの天庵クオリティなので、安心して見ていられる。

ついでに言うと、命からがら逃げ出した負け戦のくせに、天庵様ってば逃走途中で
「馬が疲れてて可哀想……」
と言って川辺で馬を休ませ、たらふく水を飲ませたりしている。
当然発見されて弓矢鉄砲を雨霰と撃ち込まれて九死に一生を得る訳だが。


この「山王堂合戦」の結果に驚愕したのは小田家だけではない。反小田連合の諸勢
力もである。
上杉軍のスピードに付いて行けなかったのもあるが、自分達が力を合わせても勝て
なかった相手に独力で挑む、と聞いて少々の反発もあった。
「お手並み拝見」
とばかりに高見の見物をしていたのだ。

予想外の結果に慌てて兵を出し、小田城を取り巻く。
大敗に合わせて連合軍+軍神に囲まれた小田城。
天庵は信太鴨之助の進言に従って、藤沢城へと退却。天庵の身代わりとして鴨之助
が切腹、小田城は陥落した。

が、勿論輝虎が上州に帰った翌日、天庵はあっさりと小田城に復帰。
結局連合軍は、鴨之助が城主を務めていた坂戸城を、城主不在となった隙に宇都宮
勢が乗っ取っただけの結果に終わった。


スカッと大敗した割には被害が少なかった小田軍。(いや、人的被害は多大だろう
が)「軍神鳴動して坂戸一城」と言った所か。

『常陽四戦記』から、軍神様・天庵様というマイペースな連中に振り回される周辺
諸勢力のお話。
……冒頭の一節への突っ込み、お待ちしております。だってそう書いてあるんだも
ん。仕方ねぇじゃんwww




633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/16(火) 23:41:43 ID:DvvhC7eM
>>628
小田さんちはいろんな軍着物的逸話があって面白い
実は本当は名将だったのかもしれないし

636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/17(水) 05:14:15 ID:VzGxn/FS
リカバリーできる程度にいくらでも負け続けることができる能力というと天才のように思えるふしぎ

モンスター・小田守治と海上武経、そして江戸崎監物

2010年11月11日 00:00

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 22:39:59 ID:rxepfjbR

常陸国小田城が佐竹氏配下の太田三楽斎真壁道夢等に攻撃された時の事。
小田方では佐竹軍接近の方を聞いて、手這坂の辺りまで迎撃に出る。

その小田軍の陣中では、小田氏治の嫡男・守治が海上武経と笑いながら会話してい
た。
「小田家の中で、オレとお前の勇名は群を抜いてる。今回の戦で、どっちが上か決
着を付けようじゃねぇか!」
「おお、良いですな!若君が相手と言えどこの武経、決して手は抜きませぬぞ!」

元々血気盛んな海上武経、この提案を喜び、周囲一尺二~三寸ほどもある樫の木を
手に取り、三間ほどの長さに捻じり切って、それを振り回しながら陣を出て行った。
(「折る」じゃなくて「捻じり切る」って……)

守治も負けてはいない。五尺三寸の大太刀を振りかざし、まっしぐらに敵陣に突入
するという有様。

片や樫の棒、片や大太刀を振り回しながら、縦横無尽に戦場を駆け回るモンスター
二人に対し、
「まともに相手にすんな。遠巻きにして討ち取れ」
佐竹軍は飽くまで冷静だった。

「ちょっ……大将が何深入りしてんの!?」
遠巻きに包囲される二人を見て、菅谷範政は慌てて全軍に攻撃命令を下す。
作戦などそこにはなく、予備戦力など置いておくゆとりもなし。
全軍入り乱れての乱戦となってしまう。
……ただ一人を除いて。

「あれ……? オレ、今、ノーマークじゃね?」
ただ一人、攻撃に加わっていなかった小田家臣、江戸崎監物
こっそりと自らの手勢を動かし、『敵』の背後に出る。
そして……

江戸崎監物、只今より佐竹殿にお味方いたす!」

敵味方入り乱れる乱戦の中、小田軍には新たな敵に対応するだけの余裕はなかった。
辛うじて守治、武経の二人を救出すると、小田城を捨て、土浦城に退却せざるを得
なかった。


何で関東の軍記物には、一家に一人~二人モンスターがいるのかな?w
しかもそのモンスターが戦場でまったくの役立たずと化している辺り、小田さんち
はぶれないなぁ。
あぁ、そーいや多賀谷さんちのモンスターも役立たずだったね。(>>479) ……常陸
ってばそーゆー国柄なの?(^^;
ちなみに今回の文献は『菅谷伝記』です。




528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/10(水) 11:59:28 ID:ygJ99Rkc
>>521
       .|:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;i;:;:;:;:;:;:;:;:;:|
       .|;:;:_:;:_:;:_:;:_;:;氏治:;:_:;:_:;:_:;:_:;l_:;:_:;:_:;:_;:|
       .|___________|___.|
        iイ彡 _=三三三f    _     _ヽ
        !イ 彡彡´_ -_=={    三シ   ヾ三ヽ.     
       fイ 彡彡ィ 彡イ/    ィ_‐- 、   ̄ ̄ ヽ        ま
       f彡イ彡彡ィ/     f  ._ ̄ヾユ  fヱ‐ォ丶      .る
       f/ミヽ======<|でiンヽ lr=〈ィでiン!フ    い  で
       イイレ、´彡f        ヽ 二 _rソ/  !弋_ { .リ.   .な  成
       fノ /) 彡!               .ィ,' :  !.  ..l      .い   長
       トヾ__ら 'イf     u      i ,、 ,..、ヽ . !     :   し
       |l|ヽ ー  '/             _ _  イ../      .:   て
       r!lト、{'ー‐    ヽ        ,ィチ‐-‐ヽ i/       :
      / \ゞ    ヽ   ヽ         .ゝ、二フヽノ/
      ./    \    \   ヽ      ー一 //
   /〈     \                 ノ
-‐ ´ ヽ ヽ       \\     \        人

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/10(水) 12:30:11 ID:qKsJyFcM
>>528
あんたが言うな

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/10(水) 12:33:10 ID:w48y/bLd
父親譲りの無鉄砲な坊ちゃん

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/10(水) 12:49:53 ID:hJSjrxVJ
夏目某「父親譲りの無鉄砲で、人殺しちゃいました」
権現様「吉信の息子なら許す」

『多賀谷七代記』より、多賀谷重経の豊田攻めと豊田治親

2010年11月10日 00:01

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 01:19:45 ID:rxepfjbR

え~昨日に続いて『多賀谷七代記』から。

常陸国、小田家の配下に豊田治親という豪族がいた。
豊田家は小田領の侵食を企てる多賀谷家と領地を接しており、常に多賀谷との紛争
を抱えているという状態であった。

天正五年、多賀谷重経は一息に豊田領を飲み込むべく、一千の軍勢を従えて進軍を
始める。
重経は一門の多賀谷氏経が率いる三百の兵に先鋒を申し付け、豊田城に向かわせた。

この先鋒の中に、僧形の男が二人いた。
彼等は赤塚浄阿彌の息子、虎蔵&熊蔵と言う兄弟であり、周囲の人々は二人合わせ
て「商買金坊」(意味は不明)という異名で呼んでいた。

二人とも多賀谷家随一の力持ちとして名を馳せ、長さ八尺、周囲一尺という鉄の棒
を軽々と振り回していた。
重経は彼等を護衛として重用し、兄弟も戦の時には主君の側を離れず、鉄壁のボデ
ィーガードとして活躍していた。
この二人が唯一主君の側を離れる時が、攻城戦の時。敵の城門を打ち破るのに、彼
等の鉄棒が非常に役立ったからである。

この豊田攻めの際、多賀谷勢は持盾や竹束の用意もなく攻め寄せた、と言う話が残
っている。また、虎蔵&熊蔵兄弟が普段通りに重経の護衛ではなく、先鋒部隊に混
ざっていたという事も、あるいは「豊田勢は打って出ては来ない」「城に籠もって
小田の援軍を待つに違いない」という侮りが多賀谷側に存在していた証拠かも知れ
ない。


しかし、先鋒部隊が蛇沼という沼の畔に差し掛かった時、突然足元の地面が崩れる!

何が起こったのか判らず動揺が走る中、豊田の伏兵が矢を射かけ、豊田治親の弟、
将親が率いる三百が一気に斬り込んできた。

豊田勢では、あらかじめ多賀谷重経の侵攻に備えて沼の畔に巨大な落とし穴を作っ
て待ち構えていたのである。

地面に立って敵と対峙したなら、決して引けを取らない自信がある虎蔵&熊蔵も、
勇み立って先頭を進んでいた為、見事に落とし穴にはまってしまった。
多賀谷の誇る力自慢は、二人揃って何も出来ぬまま、弓矢にて射殺されたのである。

先鋒の将、多賀谷氏経は命からがら逃げ帰ったが、この結果に重経は激怒。
今度は自ら蛇沼まで兵を進め、豊田治親&将親兄弟と雌雄を決さんとしたのだが、
小田の援軍として菅谷左衛門、行方刑部らが豊田勢に加わった為、何も得る物なく
引き上げざるを得なかった。


多賀谷さん、余程この時の事が腹に据えかねたのか、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4246.html#view_comment
という事になります。
こちらの逸話だと豊田治親と戦ったのが多賀谷重経の父・政経だったり、治親の弟
の名前が違っていたりと、結構な差がありますが、今回私が参考にした『多賀谷七
代記』についてはググッても何も詳細が判らない。なので信憑性等も不明です。
……まぁ、話半分以下と考えた方が無難か?(^^;

あ、ちなみに上記まとめの逸話で稲見(七代記では飯見)を寝返らせた白井全洞で
すが、「あれは自分の領地を広げたくて勝手にやった事。多賀谷の命令ではないし、
忠義でもない」と言って、恩賞は一切出なかったそうです。




483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 09:50:05 ID:jR1Woegq
>>479
栗林義長でお馴染みの『東国戦記実録』の上巻に虎三と熊三の金棒兄弟は出てきます。

「多賀谷修理太夫岡田郡へ発向の事」
・三人張に十三束を番ひ引放つ矢虎三が鎧の胸板に当ると雖も流石の強弓の矢先なれとも刎返り立ささりける。
(坂野)監物が矢熊三が鎧の胸板に当れとも是も同く刎返れは口惜く思て同矢筈を二の矢射たりけれとも立ささりけり。
兄弟大に怒て例の金棒を打振り飛かかる。両人は叶はしと逃けるを遁さじと追かけたり


ごらんのように矢はほとんど効かず、射た側が追いかけられる始末w

そんな彼らも「能登守謀て金棒兄弟を殺す事 附 下妻猿島和睦の事」において
空堀に飛び込んだところを釣塀を落として蓋をし、さらに松明を投げ込むという罠にはまり焼死です。
落とし穴という点では同じですね。

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 10:06:25 ID:y7kThAtc
>鎧の胸板に当ると雖も流石の強弓の矢先なれとも刎返り立ささりける

一体どんな鎧着てるんだよw

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 10:13:43 ID:jR1Woegq
・其重さ十五六貫に余る鉄の棒を軽々と打振て多勢の中へ飛び入り人馬の嫌ひなく振り廻る
此兄弟に出合ふ者こそ不運なれ。生て帰る者更になし。忽ち百騎ばかり打ち殺す。誠に金棒兄弟とて
当国に名を得たるこそ理なり。皆々打散て寄合ふ人もなし。


こういう人たちですから。人というか、きっと火だけに弱いモンスターか何かだったんじゃないですかね?

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 10:19:11 ID:oD4BJozu
今なら帰依して寺社仏閣を叩き壊すだけでモンスター対策の聖水と白木の杭をお安くお分けシマス

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 10:25:02 ID:3A4cXBQK
神父「お友達に暴力を振るってはいけません
暴力を振るってもいいのは、異教徒と悪魔どもだけですよ」

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 10:30:38 ID:y7kThAtc
>>485
60キロの鉄棒を振り回し、一瞬で百騎を殴り殺すってw
関羽や張飛以上だよ、それwww

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 10:34:12 ID:PgcJLuI6
>>486-487
大友宗麟様がアップを始めたようです

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 12:27:04 ID:D2sBgw7p
国崩しだ!国崩し持ってこい!

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 13:27:30 ID:mmaNyIkL
鬼島津は聖水と白木の杭じゃあ倒せなかったんだな

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 13:34:19 ID:6q0MjXPB
丸に十字を見た聖水が、相手を十字軍と勘違いしたんだ。きっと

『多賀谷七代記』より、菅谷さん

2010年11月09日 00:01

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 00:19:55 ID:FY0qh4Ex

常陸国を巡って、佐竹と小田で覇権争いをしていた頃の事。
佐竹義宣は小田氏治の息の根を止める為に、小田家の家臣に調略の手を伸ばし、
内応の約束を得る。

彼は祖父の代に氏治の祖父に取り立てられ、今や近隣に知らぬ者のない、小田家の
重臣として名を馳せていた。
彼の名を菅谷左衛門尉と言う。

佐竹家に通じた菅谷は、土浦城主・信太氏に謀反の気配があると小田氏治に讒言。
それを信じた氏治の許可を得て、信太氏(名前は書いてません。範宗か?)を宴会
に呼び出して暗殺。土浦城を自分が乗っ取ってしまう。

その後も着々と小田家の切り崩しを進める菅谷は、「佐竹の攻撃が激しいから」と
言って氏治の身柄を自分の土浦城に引き取り、片野三楽斎(太田三楽斎)&梶原政
景を初め、真壁や北条と言った小田家臣を氏治から遠ざけた。
これにより、小田家の主だった家臣はすべて氏治から離れ、佐竹家に従うようにな
ってしまったのである。

「頃合は良し」
小田家中の詳細な報告を菅谷から受け取った佐竹義宣は、氏治が籠もる土浦城に二
千の兵を率いて押し寄せる。
重臣達は去り、唯一残った菅谷左衛門尉も敵に内通している。これでは氏治に勝ち
目はない。
一揉みに押し潰され、小田家は滅亡してしまった。

小田家滅亡の後、菅谷は佐竹義宣に仕え、以前と変わらず土浦城を領していた。
しかし、菅谷の智謀と、主家を裏切った性根を警戒した義宣は、菅谷に加増を与え
ず、やがて菅谷は佐竹から徳川へと寝返る事になる。


『多賀谷七代記』より菅谷正光となっていますが、菅えもんこと菅谷政貞さんの事
だと思われ。

どうしてこうなった!?


『七代記』の小田家関連の記載には、「『天庵記』の記述と違う」「『小田記』に
はこう書いてある」という注釈がやたら大量についてます。
挙句の果てに「この本は多賀谷氏について書いた本。小田氏の事は『小田記』を読
めばいいじゃない!」と逆ギレ気味の注釈。

じゃぁ初めから小田の事は書くなや!

記述の内容よりも、注釈に突っ込みたくなったのは初めてだよ……www





458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 00:37:03 ID:xrZf+405
小田に限らず、関東の軍記物って
なぜか戦国時代の話なのに佐竹義宣が活躍してる話が多いよね。
最初に書いた人が義重と間違えて、それを孫引きして軍記書いてるからそうなったんだろうけど。

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 00:41:45 ID:x5zuj3/G
>>457
>常陸国を巡って、佐竹と小田で覇権争いをしていた頃の事。


ダウト!!!

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 00:48:51 ID:HTQlx/sJ
関東の軍記物は後世の人間が
自分の家の寝返り戦略を正当化するのに必死だからな

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 07:22:17 ID:oB4MJDt2
軍記物の性だろ >正当化に必死

関東の場合は子引用孫引用を経てどんどん形を変えまくってるのがものすごく顕著だけどな。

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 12:20:10 ID:ibln7Uv4
軍記モノで小田にかかわりがあるといったら関東の孔明と言われた栗原義長か
いったいこの時代に何人のいま孔明がいたんだろうな

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 13:59:33 ID:310y7ftS
何人居ようが本物はただ一人
一度立てば軍神をも蹴散らす臥竜とはこの小田氏治のことである

と東関東の方より投書がありました

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 14:38:51 ID:Qup+r9qV
たしかに居城の小田城付近の水辺で臥していたかもしれませんね

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 15:10:38 ID:04fiwgG4
伏せっぱなしや

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 15:20:17 ID:ctJ8EKtu
三楽斎「なんか伏せて寝てる奴が居たので鎖で縛っときました^^」

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 15:24:25 ID:dc9qC969
悪久「足の腱を切っておくと、良きしんがりになり申す」

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 17:54:28 ID:kXij/fd1
天庵様の人気に嫉妬

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 20:19:49 ID:P9pZT7Sq
>>463
>この小田氏治のことである
匿名を装っているのに堂々と名乗りを上げてしまうとはさすが氏治様w

471 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 21:33:13 ID:qXNq1CEf
>>458
真壁久幹の手柄もほとんど氏幹に持っていかれてるというね。
鬼真壁自体久幹だとか。

『小田軍師行方刑部』

2010年10月25日 00:00

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 08:42:09 ID:N03Z6p9z
『小田軍師行方刑部』
小田家臣・行方刑部少輔貞久は小田家の軍師であった。
彼は若くして才を持ち、小田軍が敗戦する度に氏治へ策を与えるなどして、
決定的な大敗になる事を防いでいた。
その為、氏治は彼に絶大な信頼を置いていた。
1573年、小田城最後の落城後、氏治は土浦城にて篭城していた。
その篭城で敵を待ち構える最中、行方刑部は急病を患って急死してしまった。享年29才。
この死に氏治はひどく悲しみ、城内の士気も下がった。
人々は、もし彼がもっと生きていてくれたなら、再び小田城は奪還できたろうし、
小田家が潰えることもなかったろうと囁き合った。


以上。補足等はまとめへ。




19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 12:47:42 ID:eW9Tw/hr
>小田軍が敗戦する度に氏治へ策を与えるなどして、決定的な大敗になる事を防いでいた。

敗北は防げないのねw

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 12:49:55 ID:3N1hDFcs
だって小田さんだし。

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 12:57:40 ID:K3F7JhGF
>>19
敗戦後に策を授けるわけだからな。
戦前は献策しても聞き入れてもらえないんだろう

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 15:07:54 ID:G2w6TS6x
なめがた? なめかた?
難読だよね行方氏

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 15:25:04 ID:l82GwbYr
小田軍師行方不明、かと思った

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 18:54:24 ID:qUk25e55
>>18
三楽斎「計画通り!」(キラリーン!
と言ってそうな気がする

『小田城の真の防御力』

2010年10月23日 00:00

942 名前:長永[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 13:29:23 ID:GFwi4i0V
さて、先の投下で、なんで氏治様方が小田城に固執したのか、謎が解けたかと思います。
(といっても、やっぱり氏治様自身は『自宅だから』という理由の可能性は濃厚ですが)

次は、小田城の謎についての解明です。
初めに注意ですが、以下の投下については、T氏から聞き出した複数の内容を繋げていて、
かつ、長永&友人が想像した部分が混じっています。
T氏はここの内容については一気に語って下さらず、こちらが『もしかしてこういう事ですか?』
といった事についても、否定はしないが、正しいとも言わずにはぐらかされてた感があります。
(※そもそも、T氏的に小田家を潰した氏治様についてはそう好きでないとの事でしたので)
その辺りは注意して読んで下さい。あと…また長文。相変わらず短くする能力は皆無。


『小田城の真の防御力』

逸話では武将の策略も見えるが、はっきり言ってとにかく脆い小田城。
しかし、いくら脆いはいえ、敵の入った小田城を、あの弱すぎる小田軍が何度となく奪還出来たのはなぜか?
ヘタするとあの軍神様・上杉軍からも奪還しているという。城の防御以前の兵の強さの差を前に、
どうして奪還できたのか?

実は『小田城落城』後、占領軍には思わぬトラップが待ち受けていたのだ。
今まで散々挙げられている小田城の落城は、あくまでも『小田城のみの落城』である。
これに自分らも占領軍も騙されていたフシがある。
以前、小田城の城郭図をスレかまとめサイトで出したことがあったが、小田城自体は方形館に毛が生えた程度。
大して防御力は見込めないもので、後の資正殿の魔改造によって大城郭になった。というはずだったが…。

まず、宝篋山の手前にある前山。ここは後に太田・梶原親子による小田城魔改造により、総構えが作られ、
前山城なる出城が築かれた…という説が通っているが、総構えはともかく、前山城はもっと古い時代から
存在していた。
次に、宝篋山の麓で小田休憩所の裏。大きな堀跡があり、これも総構えとされているが、地元ではこれを
『御隠居堀』と云われ、小田家の隠居者が住む曲輪があったとされている。前山城の付属扱いか?
そして、宝篋山の山頂。宝篋印塔やアンテナの立つ辺り一帯には、南北朝時代といった古い時代に築かれた
山城、宝篋山城または宝峰城がある。ここは削平され、後の時代に追加されたと見られる大堀切などがある。

これらの城は、戦国期まで維持されていたか、放置されていたのを必要性から再び使われる様になった。
規模もそこそこで、特に宝峰城にはまとまった軍勢の収容が可能で、山中まで考えれば限りが無い。
…とはいえ、これらは古い城がベースの為そこまで技巧的では無く、防御面はやはり不安。
ところが、占領軍側にはここを攻められない理由があった。

943 名前:長永[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 13:32:17 ID:GFwi4i0V
続き。

先の投下でお分かりの方もいるとは思うが、その理由が極楽寺の大寺院群の存在である。
当時の大きな寺は扱いが厄介で、大名だろうと容易に手を出せなかった。
表向き(占領軍側)には中立を装った上で、ここは聖域だ云々言って侵入を一切許さずにいる。
が、先の投下の通り、小田家とはもう何百年という仲である。
大友好でがっちり繋がっており、有事の出入りは勿論、普段から上の城を維持する為の出入りも普通に
フリーだったはずである。

この為、小田家はここに小田城奪還軍を容易に収集出来て、敵の動向を見下ろせる位置、しかも敵から近いのに
向こうからのみ攻めてこれないという最高条件の場所に陣取れた。
そもそも、ヘタすると小田の兵は小田城が落城した時点で、ここへ逃げ込むことが既に決められていた可能性さえある。
小田城までの距離は、前山城からなら走れば10分掛からず、宝篋山山頂からでも下りなら
1時間掛からない感じだったろう。

そんな面倒なものが至近距離にあっては占領軍はたまったものではない。
それに、これでは小田を占領出来たと言えず、民が新領主と認めないのも無理は無い。
小田城を落としたら落としたで、非常に面倒くさいことになった。
最初に小田城を落とした結城は統治を諦めてすぐに引き上げ、佐竹等は対策を考えてる内に奇襲なりを受けてしまう。

これが、氏治様が何度も小田城を奪還出来た理由である。
そして最後の落城の際、佐竹側はいい加減この無限ループを断ち切る為、寺院群の排除に踏み切ったということ。


…ということですが、
実のところ、この構想自体はあまり珍しくも、当時画期的だったりした訳ではなかったりします。
自分と同じ戦国マニア兼城郭マニアの方は分かると思いますが、要はもっと古い発想である、
『館と詰めの城』そのまんまです。
これにたまたま寺院群という要素が付いただけなのです。

だから、普段居住や政務を行う小田城はあくまで館、戦などの緊急時に篭城する様な詰めの城が
前山城や宝峰城となるのでしょう。
…ただ、やっぱり氏治様には小田城が大事だったので、小田城がきっかり落城してからの移動になったのでしょうし、
氏治様自身は土浦城へ逃げており、詰めの城側に行くのは家臣の武将や足軽レベルの雑兵になるかと思います。



965 名前:長永[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 23:08:46 ID:GFwi4i0V
…忘れてました。先に言っていた昔の小田城と寺院群のイメージ図は既にうpしておいてあります。

ttp://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/165479
ttp://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/165480
ttp://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/165501
ついでにこれも↓。現在地というのが小田休憩所の場所(こちらの図は1600年代)
ttp://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/165503

見ての通り、小田城は見事に海に面しています。
戦国期も面するほどかは不明ながら近かった様で、
『お城が落城した時、小田のお殿様は舟で土浦まで逃げ延びたそうな』
といった子供に聞かせる昔話チックな話があるそうです。

あと極楽寺、すごく…大きいです…。
最初見た時「これは城じゃないのか?」とか思いました。
ところが、T氏曰くこの図には描かれてない寺がいくつかある上、
そもそも『180以上の堂塔』という数字は、平成18年頃に資料作成した時点の話で、
今現在も順調に発見されて数を伸ばしているらしい。
あと、発掘範囲は小田側の麓のみで、山の反対側などは手が回っていないのが現状らしいです。





『三村山清冷院極楽寺炎上の話』

2010年10月21日 00:00

866 名前:長永[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 06:15:14 ID:12cbe6vc
>856に関連する逸話。


『三村山清冷院極楽寺炎上の話』
■まず、小田の農家の家に代々伝わっていた写本の写しより。

元亀三年十二月、かくて木枯らしの吹き荒ぶ大晦日
車丹波の配下、溝口内記と瓜連の館主坂口出羽守は、五百余の手兵を以って
一百余頭の牛角に、油布を付けた松明(たいまつ)を結びつけ、火をつけて山上から
追い落とした
牛火の群れは三村山清冷院極楽寺目指して馳せ下り、火は忽ち寺院の建物に燃え移り、
尼僧々兵達多く焼死し、荘厳を極めた堂塔伽藍はことごとく烏有に帰した。
院主も火中に死した。

■内容は大体上と同じだが、違う家に残る話でやや詳しい方、
元日の未明、小田城には千田刑部、車丹波守,佐竹弾正らの一隊入城し、
千田刑部は、大島で味方の江戸山城守と合戦中である。車丹波の一隊三千騎は宝鏡山鬼ヶ峰
を通り、車丹波の一部将、瓜連の館主坂口出羽守は牛の角に火油の棒を縛り、裏手口の
山頂から牛を追い落として清冷院極楽寺を焼き討ちしたので、院主は火中で死んだ


これらの伝承や、三村山や清冷院という名称には多少謎などがあるようだが、以降の話に
あまり関わってくる訳でもないので、>858さんの意見を聞き端折りますよ。
気になる人は現地でご調査下さい。


…てなことで、『逸話』らしい話はこれで終了です。
あとは、逸話というか謎解き。
現地調査や、小田研究を元にしての、知られざる小田家に迫るとかの感じでしょうか。
氏治様や小田城の謎が解けるはず。




867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 06:17:32 ID:QNENPx5+
氏治さまは堀越公方の孫だものな
プライドやこだわりは人よりも強そうだよね

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 15:10:32 ID:3ap6Aa5E
>>866
春秋戦国の田単、倶利伽羅峠の木曽義仲、以外にも「火牛の計」の話があったんだ

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 16:34:06 ID:MQxHISEF
>>880
淡河定範「私の作戦はその斜め上を行くがな」

883 名前:長永[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 18:59:16 ID:12cbe6vc

>880
T氏を含め研究家は皆、『火牛攻め』というのがいかにも伝説くさいと思うところらしい。
しかし、民間の文書とはいえ、二箇所から出ていることを考えると、兵火による寺院消滅の可能性は
十分あると言って良いだろうとのこと。
ただ、歴史研究家は、この民間伝承以外で「寺院が佐竹氏によって滅ぼされたという文書的な証拠は無い」とし、
更に『三村山清冷院』という名称も資料を集めても出てこないことから、全てあくまで『伝承』止まりのものと扱っているという。
物的証拠としては、初めてこの寺院跡を調査した、江戸後期の学者・長島尉信が発掘で見つけた古瓦の文字を調べ、
『一、曰三村山、一、曰、清冷院、一、曰、楽寺』
(※ひとつ、いわくで始まる。極の字は欠けているものと彼は記している)
と記されているものを発見しているが、現物が今に伝わらず、証拠と認められていない。

とのことです。

『こだわる理由~小田の可能性~』

2010年10月21日 00:00

869 名前:長永[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 09:58:42 ID:12cbe6vc
『こだわる理由~小田の可能性~』
氏治様が小田城にこだわっていたのはご存知の通り。
しかし、佐竹等もこの地にこだわっていた。だから何度も争奪戦が繰り広げられたのだ。
統治も面倒ならいっそ放っておけば良かったものを。
氏治様がこだわるのは『先祖代々の土地ゆえに』でも通るが、他の方々は一体どんな理由からだったのか?

その理由は、実のところ当時の小田領のスペックは異常で、『常陸の中心』,
『小田を征する者が常陸を征する』という考えが、恐らく存在したからだという。

…現在の小田を見ると、『これで中心とか?地元贔屓バロスw』と思ってしまいそうだが、
戦国期よりもっと以前の資料から以下の事が分かっているという。

今でこそ淡水である霞ヶ浦だが、ほんの昔までは海水の入る海であり、『香取の海』と呼ばれていたという。
しかも、霞ヶ浦は太古の広さから少しずつ規模が縮小されて今の姿となっており、1300年頃
は小田城のすぐ横まで水が来ていた。

その霞ヶ浦の『海辺』へ、小田氏四代時知と極楽寺の忍性が協力し、何十という箇所に港を作った。
この港には、鎌倉をはじめ全国から船の往来があり、この地に居ながら全国の特産物等が手に入ったという。
これに加え、忍性の手引きにより奈良から農業,水利,鋳物,石工,大工といった様々な技術者
がこの地に移住し、その当時最先端の技術が小田領の産業を発展させた。
それらは居城の小田城を中心としており、当然利益・産物が集中した。
小田城下には、港と先の産業からなる商業地、小田家臣団の屋敷などの建物が建ち並び、
かなりの規模の城下町を形成していたという。

その上に、更に立地的な利が加わる。
小田の地は、海があり,山があり,平野がある。
米が採れるのは勿論,米が不作だろうと、海の幸,山の幸,港に来る船からの特産品と
いうように、いくらでも代わりがあって物が豊かであった。
海は内湾形状の為、外海よりも荒れる事が少なく舟を出せる日は外海より多い。また当時『鰐魚』、
つまりサメが捕れたという資料があり、塩分濃度も十分だった。
筑波山を挟んで北は雪が降ると根雪になるが、南の小田側は晴れれば溶けてしまい、冬が厳しくなかった。

これらのことから、小田へ行くことを『小田へ上る』と云われたという。
…とのことで、小田の地のスペックが高かったから、周辺勢力も小田城を重要視したということ。
また、氏治様があれだけへ負け続けても滅亡しなかったのは、こうした経済基盤があったことも理由の一つだろう。



871 名前:長永[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 10:41:03 ID:12cbe6vc
…これは>869のことの与太話です。

先のスペックを持ったという割に、以降の佐竹は大して旧小田領に入れ込んだ様子が無いように見える。
と思いきや、茨城内、特に佐竹家の研究家内で話されているこんな論があるという。

『関ヶ原後、もしも秋田に転封される事が無ければ、佐竹の居城を小田に移す計画があったのではないか?』
というものだ。

小田城を得た佐竹は、梶原政景や佐竹一族の小場義成などを城主に据えており、佐竹の本拠になどしていないが、
これは先の寺社の件や、領民の事でごたついた状況を収拾させる為で、基盤を作らせる目的で置いたのだという。
関ヶ原前の不穏な状況で、無闇に居城を移す訳に行かず、結局転封で水泡に帰してしまった。
この転封がチェックメイトとなり、旧小田領は以前の繁栄を取り戻すことは二度となかった、という次第。

T氏からは『論』としか聞いていないので、裏付ける資料とかは不明。




872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 10:41:43 ID:43KRfXwM
>>869
なるほど、小田の人々にとってみれば佐竹とかに支配されると小田の富を佐竹の本拠など他地域に
奪っていくだけで地元には還元されないだろう、との読みもあって氏治様贔屓だったのかも、とも思えますね。

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 15:07:56 ID:WpVQgK5w
>>869
北畠親房も船で小田城に行ったのかも

883 名前:長永[sage] 投稿日:2010/10/20(水) 18:59:16 ID:12cbe6vc
>879
そうらしいです。T氏との話で出たと思います。
昼間の間は浅瀬の岩場か、海草が生えるような所で顔だけ出して夜を待ち、夜間のみ舟を漕ぐ
…というのを繰り返して小田城に辿りついたとか。
後で、昔の小田城のイメージ図(小田休憩所にあったもの)をうpするので、
小田城と海が隣接していたというのを見てみて下さい。

『小田の色を無くせ!』

2010年10月20日 00:00

856 名前:長永[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 18:59:31 ID:zXTYNNnz

見事なまでに戦に負け続けた氏治様だが、
氏治様ウィ-ク火付け投下の、『「天才的な戦下手」小田氏治http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3174.html
(※これは自分の投下した逸話ではございません)
などから、実に領民達から慕われていて、なかなか滅亡しなかったというのは既に周知のはず。
T氏は、上の『新しい領主に年貢を納めるのを拒否し、氏治の元にだけ年貢を納め続けた』という話は
ご存知でなかったが、確かに小田の領民はとにかく佐竹らには懐かなかったらしいと、
これに関連する逸話を教えてくれた。

小田城のすぐ近くには、有名な筑波山があるが、その隣、もっと小田城近くに宝篋山(ほうきょうざん)
という山がある。
この山には、鎌倉時代の名僧・忍性に関係深い極楽寺を中心に、寺社が全山&麓に建っており、
大小180を超すという堂塔が建ち並んでいたという。

それほどの寺社群が今はほぼ全て消滅し、遺構だけが無数に残っている。
しかし、その消滅時期は公式見解上では不明とされており、戦国期か?江戸期だろうか?という状態である。
その寺社群消滅に関する、こんな逸話がある。


『小田の色を無くせ!』
それは幾度目の合戦の時のことだったのか…。
恐らくは、氏治が最後に小田城を追われた合戦の後。
勝利した佐竹軍将兵へ、佐竹当主より命令が下った。

『この地より小田の色を無くせ!』

…それはかなり徹底的なものだった。

『宝篋山より寺院・神社は総退去!全て破壊し、小田の家紋を一つも残すな!!!』

これに従わない寺社は佐竹軍により容赦なく焼き討ちされ、
退去に従った者達も、別に佐竹家が移築支援する訳でなく放り出され土浦周辺に逃げ延びた。
(土浦に逃げた氏治を追ったのか…?この時逃げたという寺社が、土浦周辺に新たに居を構え、
今も残っているという)
人を追い払った後、建物は壊され、小田の家紋の入っていれば墓や石塔などの石造りの物まで全て破壊された。
これにより、300年以上の歴史を持つ宝篋山・極楽寺寺社群は消滅してしまった。


…とのこと。
今更言うまでもないが。この時代にそんな大規模な宗教施設破壊をすれば、かえって一揆などの大反発を起こされても
文句を言えない所業である。信長や宗麟のそれの様に
佐竹義宣による宝篋山・極楽寺寺社群焼き討ち事件』
とでも周囲に悪評が上りかねない。
…結果的に、これによる一揆などは無かったようだが、例えそういったリスクを負ってでもやらないといけない程、
小田統治には難渋していた、ということを示しているのだろう。

ちなみに、この宝篋山と寺院・神社群にはまだ重要な事が隠されており、関連する逸話がもう一つある。
取りあえずそれは、また後程投下したいと思います。




857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 20:51:52 ID:0ZhJFIrI
ヒャッハー、小田は消毒だー(AAry

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 21:56:35 ID:Y3sMvntd
>>856
坊主が領主に義理立てするのって珍しいと思う。
それほど小田さんは領民に対して居心地のいい国づくりをしてたのかな?
どんな統治をしてたんだかすごい気になるな。

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 22:03:27 ID:LxveChbw
親父の遺産だよ

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 22:47:04 ID:Y3sMvntd
ちょっと小田さんのまとめ読んできた。
統治に関しては完璧な勘違いでした。

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 23:40:30 ID:uNWMaIa6
小田を降伏させて小田領を統治させれば良かったんじゃなイカ

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/19(火) 23:50:03 ID:bE8SuOQz
当然それくらいのことやってるけど
小田さんすぐ寝返っちゃうから結局追い回すしかなかった。