727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/10/24(日) 11:23:33.99 ID:kqitHUZS
香西豊前入道宗玄はこの竹山の原に一宇の禅林を建て、常世山宗玄寺と号す。いま
寺跡に小庵がある。またこの東南の原に三位義興(大内義興)の像を造立して一宇
を立て“大内堂”という。また“大内寺”と号す。退転して今はない。
鎮守荒神の小祠があり、この辺を大内堂と地名に称す。大内寺本尊の観音は、今は
西光寺の内仏にあるという。この大内堂の東隣は作山城跡である。
――『香西記』
讃州の諸将は細川政元卒去の後、大内義興に服従して国を守り、地を保ち数年を越
した。特に将軍家より安富山城守、香西豊前守(元定)は海上の警衛を奉り、廻船
の非常を制した。故に上京せずして、兵衆の煩労もなかった。
かつまた、能島兵部大夫に属して大内家の朝鮮の役(>>719)に加わったので、財は
足り民は豊かで、兵力は有り余った。
これは義興の芳恩であるとして、香西氏の産神藤尾八幡宮の向かいの山に堂を立て、
義興の霊像を安置してこれを祭った。これを“大内堂”という。
世は変わり行くとも、その林木と名だけは今も存在する。
――『南海通記』
香西豊前入道宗玄はこの竹山の原に一宇の禅林を建て、常世山宗玄寺と号す。いま
寺跡に小庵がある。またこの東南の原に三位義興(大内義興)の像を造立して一宇
を立て“大内堂”という。また“大内寺”と号す。退転して今はない。
鎮守荒神の小祠があり、この辺を大内堂と地名に称す。大内寺本尊の観音は、今は
西光寺の内仏にあるという。この大内堂の東隣は作山城跡である。
――『香西記』
讃州の諸将は細川政元卒去の後、大内義興に服従して国を守り、地を保ち数年を越
した。特に将軍家より安富山城守、香西豊前守(元定)は海上の警衛を奉り、廻船
の非常を制した。故に上京せずして、兵衆の煩労もなかった。
かつまた、能島兵部大夫に属して大内家の朝鮮の役(>>719)に加わったので、財は
足り民は豊かで、兵力は有り余った。
これは義興の芳恩であるとして、香西氏の産神藤尾八幡宮の向かいの山に堂を立て、
義興の霊像を安置してこれを祭った。これを“大内堂”という。
世は変わり行くとも、その林木と名だけは今も存在する。
――『南海通記』
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