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太田道灌、居城の怪異に

2012年08月28日 20:51

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 17:36:51.53 ID:nmVw6k3Q

ある時、太田道灌の居城に一夜にして笠ほどのキノコが生えた。
人々が「物怪だ!」と驚いてこれを道灌に告げたところ、

道灌は「決して物怪ではない。湿気の深い所には大きなキノコが
生えるものだ。逆さまに生えたとしたら不思議なことだがな」と言って

動じなかった。その後、十日ばかり過ぎて、今度は同様のキノコが
逆さに生えた。人々が驚いて道灌に告げると、

道灌は「最初に生えた時は逆さなら不思議だったのだが、
今度は智恵をつけて逆さに生えたか。これは笑えるな」と言った。

すると今度は火炉の鉄輪が踊り歩き始めた。道灌はこれを見ても
「人間は足二本でさえ自由に歩けるのだから、三つ足で歩けたって
珍しくもない。

そのようなことは全て狐狸の仕業だ。狐狸めは人間にたぶらかされて
戸惑っているようだな」と冷笑するだけで自若としていた。

その後は何の怪異も起こらなくなった。

――『名将言行録』

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1185.html
↑の別バージョンか?





202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 21:20:25.39 ID:CxSchxLm
俺のところに美女が大金を持参して嫁入りに来れば不思議なことだが

203 名前:こうか[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 21:23:56.15 ID:CxSchxLm
秀吉「わしのところに大勢の美女が嫁入りに来れば不思議なことだが」

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 21:52:28.56 ID:jjWVqCyv
子孫がリアル化け物だから物の怪ぐらいじゃ驚かないわな

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 22:34:28.10 ID:qrwWJkEU
要求をエスカレートさせて、
どこまでやってくれるか試せば面白かったのに。

川越城水源の事

2011年05月24日 01:11

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 18:29:48.80 ID:QLWEygVY
太田道真・資長(道灌)の父子が川越城を築城するときの事
城の堀へ張る水をどこから引いてこようかと毎日踏査していたのだが、これという水源は見つからず困っていた。

ある朝、道灌が何げなく初雁の杉のあたりを通ると井水に足を浸して洗っている一人の老人に出会った。
見ればそこにはこんこんと湧き出る泉が・・・

これに道灌は大いに喜び、これはまさしく日ごろ信仰している天神の御加護であったかと改めて感謝したのだった。
しばらくしてその老人の所に向かい、この地に城を築く決意を告げ、水源となっている場所を尋ねた。
すると老人は快く承諾し、さっそく道灌を水源へ案内してくれた。
行く行く着いていくとそこは満々と水を湛えた底知れぬ深さの水源地が現れた。

道灌は手を打って喜び、老人の好意に対して心からお礼の言葉を述べ再会を約束して別れたのであった。
こうして謀らずも問題を解決できた道灌はこの地に難攻不落の川越城を完成させたのである。

さて、かの老人とは再会の折もなく時が過ぎ去っていった。
だが、かつて井水で足を洗っていたときの姿が気品にあふれていたので、
あれぞ紛れもない三芳野天神の化身であると納得したのであった。
以来この井水を天神御洗(てんじんみたらし)の井水と名づけて大事にし、神慮に応えたと言う。
そして道灌はますます敬神の念を深くし、有名な川越城内で連歌の会を催して千句を天神に奉詠したのであった。

なお、この水源地は川越城内清水御門のあたりとも、または八幡曲輪とも三芳野天神社付近とも言い伝えられている。




世禰(よね)姫

2011年02月06日 00:00

世禰姫   
592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 14:20:00 ID:aXJbtTz/
太田道真・道灌親子は、扇谷上杉氏から河越城の築城を命じられた。建設地は北に赤間川、南に遊女川が流れ、
加えて七ツ釜と呼ばれる底なしの湧き水が7箇所も湧いているドロ沼地帯だった。ぬかるんで土が盛れず、
道真は困った。

そんなある晩、道真の夢枕に龍神が現れた。

「道真、明朝一番に会った者を人身御供として差し出せ。そうすれば神の力で城はすぐに完成するだろう…」
「マジで!?わかりました!」

毎朝一番に自分に会いにくる愛犬を少し可哀想に思いつつ、龍神と約束をした。


翌朝。

「犬ジャネ━━━(゚д゚;)━━━!!」

愛娘の世禰(よね)姫が来た。

「夢に龍神様が現れてry…私が生贄になります!」

道真と同じ夢を見たというのだ。
しかし、可愛い娘にはそんな事させられない。龍神を怒らせてしまってもだ。

「ゆ、夢なんか気にしなくていいって!生贄とかなにそれこわい」

思いとどまらせようと道真は必死に説得するが、世禰の決意は固かった。世禰は館を抜け出し、城の完成を祈りつつ
七ツ釜に身を投じた。
まもなくして、城は完成したという。


あるとき、河越城が攻められた。
堀のあたりに敵兵がやってくると、どこからともなく霧が発生し、それは集まって雲になった。
風も吹いて辺り一面真っ暗になり、ついには洪水も発生した。敵はすっかり混乱し、退散したという。
これらの現象、太田道灌が城の堀に棲む主に起こさせたらしい。
河越城の危機を救った堀の主の名は「ヤナ」。


よねが(人として、怪物ヤナとして?)太田親子の危機を救ったいい話。




593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 14:30:38 ID:DUf7I7Ag
旧約聖書にも似たような話が(士師記11章より)

エフタは主に誓いを立てて言った。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、
わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を
主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします。」
こうしてエフタは進んで行き、アンモン人と戦った。主は彼らをエフタの手にお渡しになった。

エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。
彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。
彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った。「ああ、わたしの娘よ。お前がわたしを打ちのめし、
お前がわたしを苦しめる者になるとは。わたしは主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない。」
彼女は言った。「父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりに
してください。主はあなたに、あなたの敵アンモン人に対して復讐させてくださったのですから。」

二か月が過ぎ、彼女が父のもとに帰って来ると、エフタは立てた誓いどおりに娘をささげた。

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 14:37:04 ID:URXl6evD
>>593
しかし誰を想定してこんな願いを口にしたのかね?嫁?使用人?

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 14:47:31 ID:DUf7I7Ag
>>594
自分の知り合いのフロイスよりずっとましな宣教師は
「エフタはおそらく使用人を念頭に神に誓ったのでしょう。
同胞の命を軽んじた彼に対し神は罰を与えたのです。
アブラハムがイサクを神に捧げようとしたときの故事からもわかるように、
神は人身御供など求めてなかった、ただ彼が悔い改めることを望んでいた
しかし彼はおろかにも娘を捧げてしまった」
と旧約の神を新約っぽく解釈してた。
戦国時代の宣教師もこの人身御供をつかれたら痛かっただろう

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 15:53:12 ID:mSJNP5TH
やはり野見宿禰は立派な人だな

とっさの歌詠みシリーズ。太田道灌編

2010年10月14日 00:00

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 18:23:48 ID:02fx74We
とっさの歌詠みシリーズ。太田道灌

太田道灌が初めて関東より上京した時の話だそうだ。
扇谷上杉家家宰として、さらに軍略家として既に高名であった道灌は
高位の人々の集まりに招かれた。そこで道灌が歌道をたしなむことが話題に出、
是非一首詠んで欲しい、という話になった。

これに道灌
「私は関東の田舎に住むものでして、なかなか京洛の堂上の方々にお目にかけるような歌など
あるはずもありませんが、ひとつ笑って聞いてください。これは田舎で詠んだ歌ですが」

と、こんな歌を詠んだ
『武蔵野の折るべい草は多けれど、露すぼこくて折られないもさ』

これにその場の人々は皆、どっと笑った。

この歌、現代人には少し説明がいるだろう。「折るべい」「すぼこくて」「もさ」
これは関東方言をあらわしたものである。
現代風に訳せば
「武蔵野には露が落ちて折られるべき草はいっぱい有るけんど、露が落ちてもすばしっこく
消えるんで折られやしないだんべ」

とでもなるのであろうか。

とにかくいかにも田舎風の滑稽な歌に皆が大笑いしている中、

「もう一首、こんな歌も詠みました」

と、道灌、次の歌を披露した。

『露おかぬ かたもありけり夕立の 空よりひろき武蔵野の原』
(天を覆った夕立が過ぎてなお、雨に濡れていない場所もある。なんと空より広い
武蔵野の平原ではないだろうか)

一転、この歌にその場の人々、大いに感心したとのことである。





656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 19:21:45 ID:yAj0d7Zr
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3677.html
この話思い出したよ。

今でも上京した地方出身者はなまりを馬鹿にされないように気を使うけど
なまりをギャグにしちゃうのが一番いいのかもねw

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 19:36:22 ID:2GReGcx4
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-181.html
田舎者呼ばわりされるのがいやで引きこもりになった某南部さんもいるしな。

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 00:34:51 ID:qpGVOixJ
訛りが通じないから黙るのが東北人
訛りが通じないから実力で示すのが北陸人
訛りが通じなくても気にせず、それが通常だと笑うのが関東人
訛りが通じない者同士で差別化して喜ぶのが東海人
訛りが通じていないから暗殺するのが中国人
訛りが通じないのに気付いていないのが四国人
訛りが通じていないから南蛮人と親しくなるのが九州人
訛りが通じなくて喜ぶのが薩摩人

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 00:37:05 ID:My/PyKDt
>>663
 江戸時代では薩摩人は訛がが通じないと通報、または殺害だったがはず

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:11:08 ID:jcwc3uoJ
鳥居彦右衛門は島津義弘のなまりが理解できなくていくさになった、なんて話もあるね

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:15:48 ID:wbNC/ue3
もし鳥居元忠が赤備えだったら
島津義弘「赤い鳥居に弓を引いたら、お稲荷様から天罰が下る。わしは引くぞ!」
とでもなったのだろうか

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:29:18 ID:zTvBA4Vb
>>663
大戦中暗号が解読されていることに気付いた日本軍が薩摩弁の訛りが酷い奴に伝令させたって話は有名だなw
>>666
それならそれで劇団島津だしもっと上手いことやってくれそうな気がするがw
そういや鎌倉・室町の方でなんで狐が島津の守り神になったかって逸話が投稿されてたな

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:38:56 ID:wbNC/ue3
>>667
鎌倉・室町スレで島津稲荷ネタが出たから便乗した
そういや赤備えの方も、井伊の赤鬼(初代)は結果的に島津の鉄砲に斃れ、
井伊の赤鬼(幕末)は薩摩藩浪士に首を切られ、因縁があるのか無いのか

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:43:46 ID:VNWaa3Bu
だって井伊家の一番の仮想的は島津家でしょ?

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 07:14:19 ID:fAC7J8ij
>>660
仲悪いなら、有力な他家を乗っ取るための養子に出すことは無いだろうしな

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 08:53:47 ID:ODsOxZhO
訛りが云々のやつで、関西(近畿)はないのか?
>訛りが通じなくても気にせず、それが通常だと笑うのが関東人
これが関西人っぽいな~と思ったんだが~

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 09:08:01 ID:8DCLgm3W
戦国時代、日本の中心は近畿ですから。近畿以外の方言が訛りです

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 09:30:31 ID:ODsOxZhO
そういうことなのか~
なるほど~

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 15:12:29 ID:BZm9fy/X
>>663
うちの爺さん新潟出身なのにほとんど訛りが無かったから
兵学校入学の時、教官に「新潟県出身です」って言っても信じてもらえなかったそうなw

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 16:48:48 ID:VNWaa3Bu
今でも新潟の人って、むしろ関東の人より標準語に近いよね

手引き

2010年09月03日 00:00

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/02(木) 18:47:15 ID:HVm8t3IJ
手引き

手這坂の戦い・鳥出台の戦いに敗れて小田城を失った小田氏治は、元亀元年(1569年)
に再度小田城の奪還に向け動き出した。
小田家家臣・菅谷政貞は小田城内にいる旧臣に充てて
「旧主・氏治様に対して志あるものは味方を誘って城内から手引きせよ。」と調略を仕
掛けた。
そして、城内の小田旧臣と呼応して小田城に一気に夜襲をかけて悲願の本拠地回復を果
たした。

時は流れて元亀三年(1572年)の暮のこと。
小田城内はテンプレ通りゆるゆるの状態で、城内では連歌会が連日催されていた。
その情報をキャッチした佐竹客将の太田資正は、
「小田城内には当家に内応するものがおります。彼らの手引きの手筈が整っております
から攻撃の許可を下さい。」と進言し、大晦日に小田城に兵を向けた。

ところが、いざ小田城に到着してみると佐竹軍を手引きする者などいないことが発覚した。
「資正殿。我が方に手引きする者なぞいないではありませんか。話がちがう!」
詰問する佐竹家臣に対して、資正は涼しい顔でこう答えた。
「ははは。『佐竹方を手引きする者がいる』という情報はそれがしのでっちあげですから、
手引きする者などいないにきまってますよ。その情報は小田城攻撃の許可をもらうための
ガセ情報です。
しかし、小田城内が連歌に呆けて、士気がゆるゆるなのはホントですからさっさと小田城を
落としましょう。」

太田資正はそう言うと、正月の夜明けとともに小田城を強襲しやすやすと小田城を奪い返し
たという。




836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/02(木) 19:06:43 ID:tq98CggG
天庵様がいつもどおり過ぎて笑うしか無い。

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/02(木) 19:09:46 ID:OKrriwjO
舐められすぎワロタw

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/02(木) 23:11:18 ID:XSFbCDTu
>>835
いい話か?いい話なのかー!?

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/02(木) 23:16:02 ID:Mu5QAeGa
大事な事なので2回言ってみますたw

にゃんこさん、太田道灌を導く

2010年02月26日 00:08

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 13:26:44 ID:inEfsfs/
関東では超メジャー武将の太田道灌。
多数残る逸話からは才能をひけらかし、しかも結果を残してしまう有言実行のヤな奴という印象ですが……


ある時、道灌の娘が疱瘡の病にかかった。
「ね、ねぇ、大丈夫? 苦しくない? パパに何か出来る事ない?」
可愛い娘の為に、わざわざ京都から疱瘡に霊験があるという一口稲荷を勧請して江戸城内に祭った。
現在の太田姫稲荷神社である。


ある時、道灌の妻が男の子を産んだ。
「よぉし! パパ、息子の為に頑張っちゃうぞっ!」
可愛い息子の武運長久を願って八幡神社を建てた。
現在の誕生八幡神社である。


ある時、江古田原で豊島泰経と戦をした。
散々に追い散らされ、道灌は自軍とはぐれて一人、道に迷ってしまった。
と、目を巡らせたその先に……
「にゃ~ん」
「ねこ~~(はぁと)」
もう回りは見えていない。既にココが戦場であるコトすら忘れてしまったようだ。
「ねこさん~~もふもふさせて~~」
猫の方は鎧武者に抱っこなんかされたくない。当然逃げる。目をハートにして追う道灌。
猫が飼われていた寺に逃げ込んだ時、ようやく道灌はココがどこだか気がついた。
自分の位置さえ判れば軍勢と合流するのも簡単だった。
「殿! ご無事でしたかっ」
「う、うむ。そこの寺の猫が道に迷った私を皆の元まで導いてくれたのじゃ。これは仏の導きに間違いない。
この戦、勝ったぞ!(もふもふしたかったのに……)」
「おぉ~~~!!」
士気の上がった太田軍は見事逆転勝利を収め、豊島氏を滅ぼした後、その寺に地蔵堂を寄進した。
現在の自性院の猫地蔵である。


敵にも上司にも厳しかったが、子供と動物には弱かった太田道灌である。





187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 15:41:41 ID:VOkMJT4d
ちょwww
我が子の幸福を願って神社建てまくるのはともかく
仮にも戦場でしかも敗走中なのに
もふもふを追いかけるなんて何と暢気なwww
だが、気持ちはわかる!

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 17:01:26 ID:u+QR3Z/P
竹を求める数寄者が居るのだから猫を求める好き者が居ても見事だと感心はするが少しもおかしくない。

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 17:29:01 ID:cES4Pvgc
戦場で竹を求めるのも猫を求めるのもどっちもおかしいとは思うが、だがそれがいい。

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 17:32:06 ID:rV8PAXOF
敵から逃げる中で、猫と追っかけっこをする人間がいてもいい。自由とはそういう事だ。

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 22:08:02 ID:3+qGwjnD
>>191
ロジャー乙

難波田憲重、山中主膳の歌に

2009年12月23日 00:09

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 05:40:55 ID:frDtGcBL
天文六年(1537)四月、扇谷上杉家は父朝興の死去により、扇谷上杉朝定が僅か12歳で後を継いだ。
これを好機と見た北条氏綱は七月、扇谷家の拠点河越を攻略。朝定は河越城を放棄し、
家臣難波多弾正の守る武州松山城へと逃げた。これを追う氏綱の軍勢、難波多勢の籠る松山城に
押し寄せた。

これに難波多弾正はしぶとく戦い、北条勢を撤退させる事に成功するのだが、
この時北条方の侍、山中主膳と言う者が難波多に攻めかかった。

難波多は山中を軽くあしらうと、早々に城に引き上げようとした。山中、これを追いかけ
後ろから

「あしからじ よかれとてこそ戦はめ など難波多のくづれ行くらん」

と詠んだ。『みっともないぞ!勝算があると思って戦を始めたのだろう?どうして難波多殿は
逃げ崩れていくのか?』と言った意味である。まあ勝負をしてくれない難波多を煽ったわけですね。
難波多弾正これを聞いて

「君を置て あだし心も我もたば 末の松山波もこえなむ」

という古今和歌中の古歌を詠んだ。この歌、本来の意味は
『あなたを差し置いて、私が他の人を思う心を持ったなら、あり得ないことですが、末の松山を
波が越えてしまうでしょう』という恋の歌である。
これを転じて

『主君朝興を放って置いて、あなたと勝負するような心を私が持てば、松山城は
北条の軍勢の波に飲み込まれてしまうでしょう』

と言う意味で詠ったのだ。

当時の人々、この難波多弾正の雅な受け答えを大いに賞賛した、とのことである。





416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 06:21:26 ID:NhXhOxLP
難破田さん、井戸に沈んじゃうんだよなあ

犬猿だった義晴との同盟を斡旋したり扇谷家にとっては欠かせない人だったよね

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 06:44:41 ID:WLd1maVC
北条って提灯の人とか逸話いっぱいあるけど
一般の知名度低いのが悲しい

418 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/22(火) 09:51:20 ID:CFlAs2t3
天下統一を進める秀吉に対して、北条家が氏政の弟、氏規を送って、彼が帰国して言うには、上方は屋根が板、
北条家の家は萱ぶきであり、経済力が全然違って歯が立たない相手だと言った話があったような。

さすがに名外交官だけあって、観察力には優れているね。


>>417知名度については、戦国時代を扱った某ゲームで能力値が高い人物が少ないからかも。
やはり能力値が高いほうがユーザーは関心を持ちそう。
北条兄弟ももう少し評価されていれば、知名度は上がったかもしれないのに。

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 12:22:13 ID:1Bl4bUcp
>>418
いや単純に、滅びてしまった家だから知名度が無いんだろう
源平や足利や豊臣も滅んだけど、あっちは天下を取ってたし、北条は地方だけだしね
その後に、家康という大物が関東入りして自分色に塗り替えてしまったのが大きい

>戦国時代を扱った某ゲームで能力値が高い人物が少ないからかも。
あのゲームにそれほどの影響力はないでしょw
前田利益が「花の慶次」でメジャーになったことから分かるように、
人気作家に漫画化してもらえば知名度はグンと上がる

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太田道灌、怠ける者に

2009年12月15日 00:11

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/13(日) 23:06:06 ID:jmjGzSIi
太田道灌は自分の部下を厳しく訓練した。しかしその辛さゆえに怠ける者もいて、
そういう者は罰金を払わされた。

怠け者「どうもすいませんでした。罰金払うんで許してください」
道灌「おう、これからは気をつけな。よし、お前らこの金で飲みにでもいけ」
部下「ヤッタ━━(゚∀゚)━━━!!!!」

道灌は罰金をこのように部下たちに渡した。当の怠け者は同僚たちから仲間はずれ
にされて、罰金を払うのがばかばかしくなった。そういう経験をすると、怠け者は心を
入れ替えて怠けなくなったという。それこそが道灌の狙いであった。




121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:37:20 ID:MfEF4O0O
>>103
あの時代に飲み屋なんて存在したの?

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:53:14 ID:AFfL1kVq
えっ

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:55:09 ID:2BcS9+mW
>>121
陣中へ酒を売りにくる人がいた。
冬の陣屏風にも描かれているよ

三楽さんの言い訳(佐竹側の記録)

2009年12月10日 00:11

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 14:38:17 ID:6dNSJ+LJ
では三楽さんの言い訳(佐竹側の記録)を

永禄10年(1567)、小田家の勢力が苦々しい佐竹義重は、家老の車丹波に小田家の
調略を命じた。しかし、車は予想を超える事態に遭遇する。

岩槻を追われた太田三楽は、小田氏治の配下にあった。一宿一飯の恩を返すため
三楽はたびたび氏治のもとに伺候し、打倒佐竹の兵法軍略を説いた。
氏治の前に侍る若侍たちは、関東有数の将の策を震えながら拝聴した。

その日も三楽は、氏治に懇々と策を語った。「…と言う訳で、常陸全土を抑える
事も出来ます。」
ついに若侍たちは、我慢出来ずに吹き出した。
「い、いやぁ片腹痛きぞ、三楽斎どの!それほどに縦横無尽の策をお持ちなら、
なぜ貴殿は北条に敗れ、こんな所に居るのかな?大言壮語も大概にされよ!」

激怒したのは三楽よりも息子の梶原景国である。彼は父を説得して小田家離反を
決め、のちに舅となる真壁道無に渡りをつけた。道無はさらにこれを車丹波に
相談し、労せずして内応者を得た車は永禄12年(以下>>888)

首謀者たる梶原はのちに美濃守政景と名乗り、馬場美濃・須田美濃と並んで
三美濃と呼ばれる武将になったという二重三重に口は災いの元な話。

小田家の侍に三楽を笑う資格があったかどうか、このスレの皆さんは
良くご存知だと思うので、俺はとやかく言わない。




897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 15:00:14 ID:Cyk/vpJ/
将校級だけそろってても上と下が馬鹿じゃ駄目だな、やっぱ

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 15:26:01 ID:v6+LaWvU
讒言は信じる癖に...

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 17:31:51 ID:FlZBU2yY
戦下手の袁紹って感じだなw

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 17:58:42 ID:q35lZYQ9
小田衆の弁護をすれば、
論だけ立派でも実績を見せない奴はホラ吹きと思われてもしょうが無い。
何時でもいるからね、弁だけで行動が伴わない奴。

まあ、弁だけじゃないってのは身を持って知ることになるんだがなw

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 18:04:27 ID:jTkfly+u
>>899
袁紹からカリスマ性以外全部差っ引いたら小田氏治だな

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 18:13:44 ID:dD2dqLNW
つか三楽斎を敗残の武将と侮ってる時点でもう駄目なんだと思うけどな。
関東の戦の動向きっちり調べて情報伝わってれば北条に敗れたからって
馬鹿に出来るもんじゃないのはすぐ分かる。

ま、福島家の家臣たちを馬鹿にした若衆と同じ類の話なんだが
主が叱ってくれなかった代わりに自分らの城が落とされたわけだなw



903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 18:16:59 ID:2WZ6N2fJ
>>901
何を言うか!袁紹殿より決断力はありますぞ!ただ、ちょっとばかし判断力が(ry


実は官渡でも判断ミス一度も無いんだよな。

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 18:49:57 ID:tsk97om3
>>903
スレチだが、烏巣救援で二兎を追ったのは痛恨のミスだと思う
それ以外には特にミスは無いというのには賛同

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 19:19:26 ID:FpcH8I25
しかし、梶原美濃はなかなかのくせものだな
一時は独断で北条についたりしてるし
旧領復帰への執念ゆえか



関連
小田氏治公、小田城を取られた顛末
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3299.html

誕生、片野の三楽斎

2009年11月21日 00:16

378 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/20(金) 12:49:34 ID:NACAS0Ot
まだ氏治様の流れがギリギリ終わっていない様で安心。まだまだ行けるw
太田資正様好きとしては、便乗してこれを書かねばw

『誕生、片野の三楽斎』

太田資正という人を説明する時、大体の場合は岩槻から追放されて終了か、
追放後に佐竹家臣入りして~完~となってたり、あまり触れられていない部分がある。
そこの部分のお話。


北条を相手に、武蔵岩槻を居城とした支城と三楽犬
(まとめサイトの『太田資正の戦国トップブリーダー・いい話」を参照 )
により粘っていた太田資正だが、自分の子・氏資により居城を奪われ、各地を
放浪していた。

家臣だった小宮山弾正のいる戸塚城に寄ったかと思えば、
成田氏や上杉謙信の元へ行ったりと各地を放浪して、
1566年ごろ仕えるに至った家は、何と常陸の小田家であった。

氏治「これはこれは、武蔵国から遥々よう参られた」
資正「実は某、息子に居城を奪われまして、嫡子政景と共に放浪の日々を
   送っておりました。どうか岩槻奪還の悲願を達成するまでの間、
   我らを氏治殿の家臣へお加え願えませぬでしょうか」
氏治「あい分かった。資正殿の武勇はかねがね耳に入っておるゆえ願っても無いこと。
   資正殿には片野城、嫡子の政景殿にも柿岡城を与えるゆえ、
   それぞれ守って頂きたい」
氏治(キタコレw今は猫のも借りたいとこだし、前線に入ってもらっちゃおう)
資正(ニヤリ)

とかの会話があったかは不明だが、ここで資正は嫡子政景と共に、小田の配下となる。
この時の知行の数値は怪しく、一千貫と書いたものや、一万八干石書かれるものも
ある様で。
しかしどちらにせよ、氏治はこの時、せいぜい一武将が仕官するかのレベルにしか
考えていなかったのだろう。
だが、この太田資正。彼はこの後の常陸国に大きく影響を与えていくことになる。

……しばらく経って。
資正「どうか我等を、義重殿の配下へお加え下さい。手土産として、仇敵の小田氏治
   より片野城・柿岡城を手土産として切取って参りました」
菅えもん「太田親子が、城ごと佐竹家へ寝返りました」
氏治「どういうことなの……」

資正と政景は、なんと氏治の敵である佐竹義重へと即刻寝返ったのだ。城ごと。
片野も柿岡も、佐竹方への前線にある大事な城。
資正の登場により、常陸のミリタリーバランスは大きく崩れた。

379 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/20(金) 12:50:33 ID:NACAS0Ot
寝返られた氏治は当然怒り、資正・政景を攻めるが、資正は岩槻城時代にて、
散々あの北条とやりあっていたせいか、小田軍三千騎vs太田軍千以下という戦いでも、
苦戦することはあれども最終的に勝利するなど、少なくとも片野・柿岡の両城を、
一度たりとも落城させることはなかった。

小田城にも資正の手が加えられる。
戦国期に入っても、単郭に堀があったかどうかの、城と言うより中世武士の館状態
だった小田城。奪っても氏治の謎のカリスマで取り戻されるの繰り返しだったが、

資正「じゃあ、奪い返せない様に改造しよう」

と、奪ってから政景と共に大改修していく様になる。
その結果の小田城↓
ttp://otakesumiyo.hp.infoseek.co.jp/odatk.htm
(氏治らも、ちょっとくらいは強化していったろうけど)
すぐ横の前山や、筑波山にまで関係する城跡があるとか(城域繋がってた?)。
これにより、後年になるにつれ、段々と昔の様には取り返せなくなってくる。

そして、資正の寝返り以降、氏治と戦う面子にも変化が出る。
太田資正,梶原政景,真壁氏幹
大方、この3人が佐竹方として毎回立ちはだかる様になる。
……というか、氏治の矛先が、寝返った資正らに向かってるだけとも言える。
もともと戦に勝てないのは先の通りだが、1574年には土浦城までも落とされて、
氏治は一時常陸から追い出される。
ころころ落ちる小田城と違って、土浦城が落ちたことは無かった。
もはやそれほどまでに、軍事力に差が出てしまっていたのだ。

が、氏治にとっての最期のチャンスが訪れる。DQN政宗公の登場である。
勢いに乗る伊達に、佐竹は全力で当たらねばならず、
反対側に位置する、南の氏治に構ってる余裕がなくなったのだ。
今なら手薄。しかも伊達と挟撃が出来る!ということで、兵を起こしたのだが……。

???「待てゐ!」
小田城にて立ちはだかるのは、資正(もうすぐ寿命)ら、太田&梶原軍団だった。
小田城に篭城する政景、そこへ後詰する資正、その間に挟まれる氏治という
見事な後詰の図にて、小田城はついに落城しなかった。

そして氏治は秀吉により改易。
資正自身も、小田原征伐終了後しばらくして死去。


よく書かれる太田資正の列伝だと、北条と戦っているところが強調されがちで、
後年ずっと氏治キラーだったことはあんまり書かれないので、知らなかった人も
多いかと。以上です。




381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 12:56:45 ID:gGwzkcnU
>>378-379
猫の手は借りても犬の手は借りるなという教訓ですね

382 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/20(金) 13:11:38 ID:HMX+2DTa
たいへんよ!武田北条連合軍の攻撃で松山城が降伏しちゃったみたいで、
後詰めにきた謙信ちゃんがキレたみたい…三楽ちゃんが殺されそうだわ

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 13:45:57 ID:yIGUwd5b
常陸小田氏と言われてパッと思いつくのは小田氏治と
後は流れ着いた北畠親房だなぁ

龍造寺に攻められた肥前小田氏って常陸のと関係あったっけ?

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 13:52:01 ID:1l2mm3HS
>>383
一応常陸小田氏から分かれた家>肥前小田氏
11代当主の小田持家の弟、直家の流れ。

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 14:01:30 ID:/Dz+FLyU
>龍造寺に攻められた肥前小田氏

もうちょっと他の紹介の仕方あるだろw

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 14:07:45 ID:1l2mm3HS
肥前小田氏も、少弐氏が滅んだ後は大友と龍造寺の間をあっちに付いたりこっちに付いたりした挙句、
龍造寺隆信に、いかにも隆信らしいやり方で滅ぼされてるな。

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 14:25:13 ID:B85SO6OL
城ごと寝返り…
なんと太田さんの悪い話だったか。

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 14:27:14 ID:8SzD3RGW
いくら戦国時代だからってこれはひどい

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 14:35:07 ID:Cos3ydHm
信秀「信頼を裏切って城を取るとか、人間として最低だな」

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 14:40:47 ID:gtSsrHk+
しかし見てて思うんだが城は奪われても
よくぞ謀殺されたり暗殺されたり下克上されたりしなかったよなw
するほどのものではないと思われていたのかもしれないが
隣の国に直家さんや晴信さんやまー君やそのおじさんがいたら
氏治さん安らかに死ねなかったんじゃないかと思う……

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 14:45:33 ID:UFgkSI3/
軒を貸したら母屋を獲られたでござる・・・ 
母屋を獲り返そうとしたらセコムされてたでござる・・・・



392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 14:55:34 ID:ZsZsPLNJ
小田氏治「ワシの城返して!返して!!」
篭城中の太田息子「セコム呼びますね^^」
セコム監視センターの太田父「天庵さん困るんですよね、もうあなたのものじゃないんですから。
早々にご退去願いましょうか」

393 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/20(金) 15:17:37 ID:NACAS0Ot
>391
資正「氏治さん、セコムしてますかwセコムしてなかったんですかwww」

氏治様は本当に家臣に恵まれたってことでしょうね。
なんでも、家臣の菅谷一族は、霞ヶ浦周辺の水運利権を支配してた様で、
結構その財力も、小田の『土浦城から反撃』に相当役立っていたの
ではないかと。
当時は霞ヶ浦及び周囲の川が、今と比べられないほど広かったらしく、
土浦城は地形的にも攻め難い。

普通に土浦が居城で良いような。

あと、資正様が実際どう考えてこの行動をしたのかは不明。
仕えてみて、この当主じゃ岩槻奪還は不可能と思ったのか、
書いたように、『最初から』何かしら手土産を得るつもりで仕えたのか。
はたまた全く別で、小田に仕官せず、既に佐竹が落としていた城を、
佐竹に仕官してきた2人に与えたのが脚色されたとか、色々な説がある様子。


ともかく、一つ言えるのは、

小田城奪還に固執する小田氏治と、
岩槻城奪還に固執する太田資正とが戦った。

妙な運命を感じるのは絶対気のせいじゃないwww

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 16:26:17 ID:gGwzkcnU
三楽斎には同情していたんだが、
もう同情できない!w

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 16:31:33 ID:gU2QPOpO
英雄だな、、、、ある意味。

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 17:11:04 ID:yR/vczHT
>>379の小田城見ると、三楽さんも物凄い気合い入れて縄張りしたもんだよな。
氏治さんもさぞかし驚いたことだろう。

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 17:17:10 ID:B3QAcWyn
>>396
コードギアスの紅蓮聖天八極式を見た時のラクシャータみたいな感じかな?

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 17:44:50 ID:av5rx39c
>>393
土浦城が毎度毎度小田城奪還の拠点になってるあたり、
城としては充分だろうから、
小田城見限ってそっちを本拠にしたほうが理にかなってるな。

もっとも小田城をあっさり捨ててたら、
氏治が今ここまで注目されることは絶対になかっただろうがw

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 18:06:36 ID:eH3qRvds
プチ小田氏治ブームだw
上のリンク先の小田城の写真や図面を見た限り
とても戦略的に価値があると思えないな。
まるで住居のよう。俺んち返せよ!って感じだったのかなw

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 18:16:34 ID:TO97nCxg
やはり名字の地だからからかねぇ

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 18:24:29 ID:1l2mm3HS
>>400
後、地元の領民の小田氏への支持が強かったらしい。
攻め取られても相手に年貢提出を拒否したり。
家臣だけじゃなく領民からも、不思議なくらい慕われていたようだ。>氏治

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 19:05:39 ID:M9e38msO
>399
小田城が筑波山塊の南端の麓で、土浦城が霞ヶ浦の岸にあるから、
この2点間を制圧されると、南北交通は完全に遮断されるし、
東西の交通だって20km以上北の現在のJR水戸線が通っているあたりまで
回り道しないといけなくなる。

佐竹氏が下野、下総の反北条勢力と協力しようとするなら、
小田城の戦略的な価値は非常に大きいといえる。

403 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/20(金) 19:41:46 ID:NACAS0Ot
>>402
その両城の中間に、地味に藤沢城もあったりする。

どうも小田庶流・家臣の守る城郭がそれなりの数は各地あったみたい。
海老ヶ島城もそうだけど、木田余城とかはそれなりの城郭だったみたい
……と、フォローしようと思ったけどダメだwww

なぜなら、調べたらば名が挙がってる城以外は、大体が城っていうか、
小田城初期と変わらないっぽい、館をちょいと強化した程度ってことが
分かったから。頼みますよ氏治様www

とすると、片野・柿岡城は小田の『主だった城』に数えるような城
だったんだろう。
……しっかし、地図見てると、片野・柿岡って相当面倒な部分
取られたんやなあと思うぜよ。

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 19:42:28 ID:x5IUdn2I
土浦から、古河や結城に直通する場所だな、小田城
関東諸侯にとって、争奪の地になるだけの価値はあったろう

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 19:46:37 ID:WqANowmX
名字が小田の俺としては感涙せざるを得ない流れ

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 20:01:04 ID:hp9iF3FP
>>397
その例え分かる人にしか分からんだろw俺はなるほどって思ったけど

てか、太田家は築城や縄張りに精通してたのかな
祖父の道灌も江戸城で有名だし
丹羽さん家なんかも親子で築城してるから家ごとに技術を受け継いでるのか

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/20(金) 20:44:44 ID:iY21lQaa
城をわざと浪人に取らせる→鍛えたい武将で攻めて勲功upっていうのを思い出した。

太田道灌、小机城の包囲にて

2009年09月21日 00:41

641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/20(日) 18:49:09 ID:qAAc0AnZ
文明10年(1478年)4月、太田道灌は武蔵国の小机城(神奈川県横浜市)を包囲した。
小机城は堅城として知られており、兵の中には不安を覚える者もいた。
これに対して道灌は、

「小机は先ず手習いのはじめにて、いろはにほへとちりぢりになる」

という戯れ歌を作って兵たちに歌わせた。
士気を鼓舞された兵たちは数十日の包囲の後、これを攻め落とした。

「太田家記」より。




642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/20(日) 18:53:35 ID:YAGREETr
>>641
道灌の逸話はどれもこれも、嫌味なまでに学識や才覚をひけらかしている感じなのが面白い。
そりゃあ主君からも嫌われるよ、と思うw

643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/20(日) 18:53:45 ID:8Ipt9JHP
小机城って夜に行くと室町~戦国時代の人間とおぼしき幽霊が出る心霊スポットらしい

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/20(日) 21:12:12 ID:X2vlmm8N
なんで歌を歌うと士気が上がるのか

645 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/20(日) 21:24:23 ID:AiBXE3/y
①歌に集中することで雑念が取り払われる
②皆で歌う事で連帯する
③声を出す事で生理的に云々

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/20(日) 21:31:56 ID:u8hjKRpB
>>645
(4)合体したり必殺技が出せる

647 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/20(日) 21:50:31 ID:+bFPSVma
小机城心霊スポット化で思い出したが夏場江頭が八王子城跡に行った際写真にオーブが写ってたんだよな
その後に行ったホ○サウナの方が怖かったらしいが

チラ裏失礼

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/20(日) 22:47:41 ID:xAt+xSOE
397 おさかなくわえた名無しさん 2008/12/28(日) 16:30:12 ID:iaslKt/j
武者鎧が好きで金貯めて買った。付属品含めて20万也
んで届いた日の夜にすぐ装備。カッコヨスw
装着具合を確かめるために散歩してたら悪ガキ連中がタムロしてるのに出くわした。
周りは元は城の鬱蒼とした森で外灯の下にぽつんと鎧武者一人。
悪ガキ連中ダッシュダッシュ猛ダッシュwww一人など腰砕けて匍匐前進w
雰囲気を出しつつゆっくりと腰砕けに近付くと小便漏らして気絶したw
その後、あの森には落ち武者が出ると噂になったのは言うまでもない
今は反省してる


太田道灌、夢見ヶ崎の由来

2009年07月19日 00:20

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 03:43:16 ID:PtjtOQSU
夢見ヶ崎の由来


夢見ヶ崎という地名の由来にはこんな伝承がある。
多摩川・鶴見川に挟まれ、かつ、鎌倉街道が近くにあり、築城に適した場所であった。
だが太田道灌がこの地に宿営した時「一羽の白い鷲が私の兜を掴んで
南西の地へ持っていってしまった」という夢を見た。
そして築城は断念、兜は南西の地に埋めたという。


ちなみ築城場所は、夢見ヶ崎動物公園の東端である。
猫といい、猿といい、動物絡みの逸話に事をかかさない道灌であった。




556 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/18(土) 03:56:54 ID:zGjCvrl0
>>554
盆踊りの唄になっているやつか 夢見ヶ崎音頭
現状も日吉の丘陵から独立した丘だから
物見にとか連絡用の拠点くらいあったんじゃね?

でも地元じゃ夢見ヶ崎は一般的じゃなくて加瀬山だ

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 06:15:14 ID:hNt/C3uu
>554
千代田の時は舟に魚が飛び込んできたんだっけか

558 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/18(土) 09:17:49 ID:iIsbKQxA
道灌さんは戦国のムツゴロウだな

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 10:23:21 ID:Rw284zyj
>>554のあとに>>557がおきて江戸築城となったらしい

561 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/18(土) 11:41:30 ID:PtjtOQSU
>>558
IDOLM@STERならぬアニマルマスターなんですね


564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 13:38:30 ID:18HQGyJN
>>558
>道灌さんは戦国のムツゴロウだな

そのくせ猿は虐待してるよな

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 13:47:03 ID:+5yJFJIb
エピソードも多くて名将とうたわれて知名度もある割に存在感の薄い道灌は俺の中で謎の人

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 14:03:14 ID:PtjtOQSU
>>564

>そのくせ猿は虐待してるよな

それベッキーじゃね?

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 14:25:11 ID:18HQGyJN
大友宗麟の大猿と立花道雪・いい話
これはベッキーが宗麟を諌めて猿をたたき殺す話で


謙信と大猿・いい話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%B8%AC%BF%AE%A4%C8%C2%E7%B1%EE%A1%A6%A4%A4%A4%A4%CF%C3
こっちが将軍の凶暴な猿を事前にしばいといて
いざ将軍がけしかけようとしたら猿がビビる話

これを秀吉の猿を政宗が事前にryというパターンもある
おそらくネタ元は足利義政の猿と道灌


太田道灌と猫の「玉ちゃん」

2009年07月17日 00:19

488 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/16(木) 15:52:39 ID:rC2bu+yi
太田道灌と猫


ある時道灌は戦に敗れた。
道を誤れば命を失う危険な時だった
そんな時、道灌の前に一匹の猫があらわれる。
猫は逃げ道の案内をし、道灌は無事江戸城まで逃げ切った。
その後道灌は猫を拾い、江戸城にて大変可愛がりその猫が亡くなった後拾った場所へ埋葬をし、
猫地蔵すなわち自性院をその猫のために作ったという。


自性院の伝承であるがその猫の名を「玉ちゃん」といわれている。





489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 15:57:02 ID:oPA+IwF9
俺の猫好き有名人リストに追加だ

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 16:04:02 ID:7lXbD3tL
動物好きは血か

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 16:25:27 ID:FHwXVtck
道灌「断然猫!猫かわいいよ猫。犬とかクセェんだよ!」
三楽斎「凛々しくて賢い犬に決まってんだろ!ちっとも懐かねぇ恩知らずなんざいらん!」

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 23:29:08 ID:tx6VVrf7
>>488
三斎「その猫の名は最高だな」

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 23:38:11 ID:BMTZY4ax
道灌を切り殺しかねない名前だよ

513 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/07/16(木) 23:44:16 ID:DU+zqu8e
>>512
石田三成「まったくだ。」


太田道灌と熱川温泉

2009年07月17日 00:18

492 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/16(木) 16:48:35 ID:rC2bu+yi
もう一つ太田道灌の動物に関わる話を


伊豆熱川の熱川温泉は室町時代まで「濁り川」と呼ばれ、人々に嫌われていた。
ある日巻狩りをしていた道灌は動物達が「濁り川」で傷を癒している所を見つけた。
道灌は動物達といっしょに「濁り川」に入った。
これが熱川温泉の始まりである。
伝説には道灌はここで江戸城の岩を切り出したという。




501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 18:26:27 ID:FHwXVtck
>>492
あれか?道灌は仙人かなんかか?

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 16:48:56 ID:v6KWETGI
康資「棒だよ棒!犬猫とか振り回しても刀槍に対抗できねぇだろJK!ヒャッハー」

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 20:31:14 ID:MZyQOcK1
>>492
動物といっしょに露天風呂は温泉好きの夢だよ。いいな。
毛だらけになりそうだけど。


弘治2年(1556)、上州沼田庄にて

2009年07月11日 00:05

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/10(金) 15:07:03 ID:sZ8Ai2L1
龍 vs ヒャッハー

弘治2年(1556)、長尾景虎は上杉憲政の要請を受けて関東に攻め入り、上州沼田庄で
北条軍と対峙した。
10月3日から合戦が始まったが、両軍が対峙したのは兵の展開しにくい山沿いであり、
矢戦や小競り合いが続き、なかなか総力戦には至らなかった。

ある日、北条軍の若武者50騎ばかりと、越後勢の30騎ほどが、峠で遭遇した。
数に勝る北条軍が矢を浴びせかけたところ、越後勢は退いたが、ただ一騎猛然と北条軍に
反撃して来る者がいた。
越後の武者は、巧みな馬術で山道を平地のごとく駆け抜け近づいて来たが、馬を射られ
徒歩になった。しかし、それでもあきらめず前進して来る。

そこへ、この頃は北条に仕えていた太田源六康資が、「今日の手柄ぞ!」と切りかかった。
しばらく切り結んだ末、業を煮やしたか荒武者二人は場所柄もわきまえず、四つに組んで
格闘を始めた。
案の定、峠道から足を踏み外し、一緒になって真っ逆さまに落ちた。
両軍の武者が驚いたのも束の間、三間(約5.5m)ほど下に落ちていったん止まり、
下を上をと組み合っているうちに、今度こそ谷底に落ちていった。

北条軍が捜索したところ、康資は枯れ木に引っ掛かっており、なんとか命を拾っていた。
越後武者の生死は、分からなかった。


10月13日になって「景虎がにわかに発病した」と言って越後勢が急に引き上げたので、
北条軍も小田原に戻った。(小田原北条記より)

弘治2年と言えば、景虎さんの出家騒動があった年なので戦どころじゃなく
逸話に過ぎないとは思いますが・・・




243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/10(金) 17:20:36 ID:I1kIlDpw
いや普通に病気で帰ったんだろ?



外傷性の


太田道灌、簑を借りようとして

2009年07月02日 00:06

839 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/07/01(水) 01:47:01 ID:IFpwG1xF
太田道灌、簑を借りようとして。

梅雨に入り雨が多くなりましたが、傘がないと辛いねぇ。
ということで、太田道灌のお話。

太田道灌はあるとき埼玉県は越生というところを通っていた。
ところがここで、にわか雨となったが、こう言うときに限って簑を持っていなかった。
そこで、近くの民家に立ち寄って簑を借りようとした。

道灌「ワシは太田道灌という者じゃ、すまぬが雨が降ってきたので簑を借りたい。」
民家の娘「・・・・・・・」

娘つ山吹の花

道灌「・・・・いや、花じゃなくて簑を貸してくれぬか?」
娘「・・・・・」(まだ花を差し出す。)

道灌「・・・・・・・・Can You Understand My Japanese?」
娘「・・・・・・」(まだ花を差し出す。)

道灌「わしは、花などいらん!」

こうして、怒って出ていった道灌であったが、夜になり、この事を家臣に話した。
道灌「まったく持って無礼な話だ。簑が欲しいと言うに山吹の花しか出しはしない。」
家臣「あの~。殿。歌道は習いましたよね。」
道灌「お前こそ何言っている。わしはこれでも建長寺と足利学校を最優秀の成績で卒業しているんだぞ!」

家臣「殿。後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに
  
  【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】
 
   という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのでは
   ないでしょうか。というより、この歌知らなかったんですか?」
道灌「知らなかった・・・・orz」

こうして、思いっきり赤っ恥をかいてしまった太田道灌。
これ以降は歌道をみっちりと学んだとか。




840 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/01(水) 03:11:18 ID:JB9W750W
>>839
これが尾張から来た鬼武蔵ならばっさりやって"身の終わり"だったなw

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 07:58:50 ID:WXpmRQOM
とっさにそういう機転が利いた事をするってことは、その娘ってそれなりの教育を受けていたって事だよな

いくらなんでもその程度の教養が当たり前だったという事はないよな

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 09:43:50 ID:5HO7mOeP
回りくどくて相手を試すような断り方をするあたり、この娘は京の出身だな

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 11:27:07 ID:76VslmR9
もし実際にこういう事があったのだとしたら、

娘(ちょっと育ちのいいところを見せれば囲われて生活ウマーじゃね?)「・・・」
道灌「あんた何やってんの?」
娘「( Д )」

という内実でもないと納得できんなw

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 12:27:33 ID:iZXSrA9a
関東は人外のものがウロチョロしてるからなぁ。
鬼武蔵といえどどうなることか。

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 20:57:46 ID:1YntybIO
万葉集とかを読んでると、歌は現代よりもずっと民衆にとって親しいものだと思うけどね。
労働歌とか、お祭りの時の歌とか。


大田道灌と父・いい話?

2009年05月14日 00:02

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/13(水) 14:52:13 ID:QVnACket
>>395
道灌の振る舞いを驕慢と感じた父、道真が曰く、
「そなたは素直でない。屏風みたいに真っ直ぐな性格になれ」
これに道灌答えて曰く、
「お言葉を返すようですが、屏風はまっすぐだと倒れます。曲がってないとまともに立ちません。」

道真が重ねて曰く、
「そなたは本当に傲慢だな。古来、『驕れる者は久しからず』っていうではないか。料簡を改めよ。」
さらに道灌答えて曰く、
「お言葉を返すようですが、『驕らざる者もまた久しからず』です。」

言わば戦国時代の「ああ言えば上祐」だったわけで。
そのうち、面白くなかった主君の扇谷上杉定正が扇谷上杉の弱体化を狙った
山内上杉側のデマに乗せられて上意討ちされちゃうわけです
が、この時も「当方滅亡!」とか言い出しちゃう自意識過剰っぷり。
これで扇谷上杉が滅亡せずに繁栄しちゃってたらただの恥ずかしい子で
終わっちゃうわけですが、本当に滅びちゃうから道灌はスゴいって話に
なるわけだ。しかも扇谷最後の殿様は負けて逃げる最中に古井戸にころげ落ちて
死んじゃったりする。




575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/13(水) 15:22:04 ID:77oUqDtr
>>574
道灌は下克上する可能性が濃厚だったとも言われてるんだっけか

それにしても古井戸にって難波田憲重のことじゃない?

難波田憲重の討ち死に・悪い話

2009年02月16日 05:49

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/15(日) 11:35:50 ID:ibhPEGG/
いい話(松山城風流歌合戦)の難波田憲重のかわいそうな話

天文14年、上杉朝定は北条綱成の守る河越城を8万とも言われる大軍で包囲するが、翌年4月の
北条氏康の奇襲戦で敗北。扇谷上杉朝定は討ち死にし扇谷上杉氏は滅亡した。

朝定の重臣の難波田憲重も奮戦するが、誤って古井戸に転落し凄惨な討ち死にを遂げたという。




山中主膳と難波田憲重の和歌問答・いい話

2009年02月14日 00:18

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 19:40:10 ID:NDrS3Odq
既出?有名な逸話ですが便乗


松山城風流歌合戦

天文6年、上杉朝定が家督を継ぐと、北条氏綱は河越城へ向け進軍を開始した。
上杉勢は総崩れとなり、7月15日には河越城が陥落したため松山城へ敗走した。
松山城の難波田憲重は朝定を迎え入れ、7月20日に北条勢と戦闘となったが難波田勢
の活躍で辛くも撃退した。

このとき、追撃する北条方の山中主膳が、敗走する憲重に和歌問答を仕掛けた。

「あしからじ よかれとこそ たゝかはめ など難波田の くずれ行らん」
(主君のために良かれと思い闘ったのではないか、なぜそれなのに難波田憲重ほどの名のある者
が逃げるのか)と詠むと

憲重は馬を止めて踵を返し、

「君をゝきて あだし心を 我もたば すえの松山 波もこえなん」
(幼い主君を置いて自分が討死にせば、しまいには松山は荒波の中に呑まれてしまうであろう。
そういう訳にはいかないのだよ)と歌を返したという。




729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/13(金) 21:06:50 ID:jAJk6Tr1

>>726みたいに綺麗にまとまるなんて実際は少なかったろうな
口合戦の延長だったんだろうから

太田資正「喉輪を外せ」・悪い話

2009年02月07日 00:02

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 18:59:54 ID:4+HYzei4

ということで、太田資正(の敵にとって間が)悪い話


喉輪を外せ

太田資正は国府台の合戦で北条氏に苦戦し、自らも数か所の手傷を負った。
運のないことにそんな手負いの資正に北条家の侍が組みついて、資正はマウントポジションを取られた。さらに運の悪いことに資正の郎党もそばにおらず、助太刀も期待できない。
資正絶対絶命のピンチである。

敵の侍は脇差を抜いて資正の喉首に刃を押しあてた。ところが、資正が喉輪(首・胸元を防御する武具)を装着していることに気付かないのか、なかなか刃が通らない。

資正は郎党が駆け付けるまで時間を稼ごうとこう言った。
「貴殿に言い残したいことがある。それではワシの首は取れないぞ。まず、喉輪を外してそのあとに首を切るべきでござろう。」
「資正殿、ご忠告かたじけない。今から喉輪を外すゆえしばし待たれよ。」と敵はもどかしい手つきで資正の喉輪を外し始めた。

そうこうする内に主人のピンチを救わんと資正の郎党が駆けつけ、敵は郎党にあっさりと首を取られたという。
(続武者物語)




585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 19:28:39 ID:/7yysFKG
こんな極限状態なのに互いに礼節を忘れないってのはやはりすごいなw

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 19:37:45 ID:hscWy0OR
>>584
無防備である脇の下から心臓を突き刺すのは当時はタブーだったのかな?

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 19:38:32 ID:wv51c67d
先にトドメを刺さないあたりはむしろいい話

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 19:40:12 ID:jlqoFdJ1
>>586
その方法に気づかせないために、わざわざ「喉輪をはずせ」と言ったんじゃないの?

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 19:45:54 ID:XVBZnsHQ
さっくり止め刺させないために時間掛かる方法をわざと教えた、と。
沈着冷静だな

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/06(金) 23:48:08 ID:/HKT1Ag8
>>586
当世具足だと脇の下には万智羅という鎖帷子のベストや、
脇引という鉄の小札を綴ったパッドを付けてるよ

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/07(土) 00:15:34 ID:r4421eHK
>>599
マ、マンチラ?

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/07(土) 03:02:24 ID:0BKMuQu1
>>600
畠山さん成仏して下さい。

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/07(土) 13:06:27 ID:6DEkfM/x
>>584
資正と康資の逸話は、奇しくも里見方として国府台合戦に参加したときのものだね。
同じ戦場にいたとは思えない落差だな。
資正の能力は秀吉をして「おれですら天下を取れたのに、資正ほどの人物が一国すら取れない
のは本当に不思議だ。」と言わしめた人物。よっぽど地の利を得なかったのかな。
この人の晩年は悲壮感すらあるね。
ちなみに、2人は晩年にタッグを組んでいるが、オードリーみたいな芸風だったのだろうか?