FC2ブログ

末の松山波もこさなん

2017年12月24日 18:14

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 17:33:05.05 ID:c//5mowE
扇谷上杉氏の家臣である難波田弾正(憲重)は、武州松山に居城していたが、天文6年7月、
扇谷上杉朝定が北条氏綱によって川越城を攻め落とされると、この松山城に入った。
難波田は熱心にこれを補佐した。

7月20日、北条氏綱は松山に押し寄せ強力にこれを攻めたが、難波田は固く守り落城を防いだため、
氏綱は近隣を放火して兵を小田原へ入れた。
この戦いの時、北条家の家臣、山中主膳という者、難波田と戦ったが、難波田は軽くあしらうと
早々に引いた。山中はこれを追いかけつつ歌を叫んだ

「あしからじ よかれとてこそ戦わめ など難波田のくずれ行くらん」

難波田はこれを聞くと、古歌を以って返した

「君を置て あだし心を我もたば 末の松山波もこさなん」
(古今集。百人一首「契りきなかたみに袖をしぼりつゝ末の松山浪こさじとは」の元歌とされる)

(士談)



535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/25(月) 07:42:06.28 ID:Tmn6MQLZ
松山城歌合戦については、難波田城資料館が以下のように紹介している
http://www.city.fujimi.saitama.jp/30shisetsu/11nanbadajyo/TV-TOKYO20111231.html
http://www.city.fujimi.saitama.jp/30shisetsu/11nanbadajyo/files/nanbatajo-dayori49.pdf の3ページ目
末の松山
スポンサーサイト

あまりに五郎はたしなまず

2017年11月11日 11:40

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/11/11(土) 09:38:31.22 ID:n5TRw1sH
扇谷上杉定正は、養子で後継者とした朝良が食分を忘れて武士の業を勤めぬことに、曽我豊後守の許へ
戒めの書を記し送った。その内容に曰く、

『年来これについて言っては来たが、あまりに五郎(朝良)はたしなまず、一つのことすら、
この定正が納得するものは無かった。

去年の正月以来、朝良の随従の者たちに申し付け、彼の朝夕の雑談の内容を知らせるよう命じた所、
4,5人が密かに注進してきたが、何れも同じ内容であった。

朝良の所へ山口、小宮、仙波、古尾谷といった面々が参った時、朝良が彼らに尋ねるのは
ウグイスの事、武蔵野にての鳥追、狩りの雑談、武州六社(武蔵国一宮から六宮までの六社の神社)の
物語、深谷の馬場の早馬の事、酒宴数盃の物語であり、また或いは、京の方からきた牢人の面々が
出頭した時、彼らに尋ねるのは招月の歌、手跡の物語、心敬・宗祇の連歌、洛中貴賎、清水男山の眺望、
諸五山の様子、観世今春の能仕舞の雑談、といった内容だったそうだ。

これを知って私が悲しみのあまり涙を流したのは言うまでもない。この愚老が明日にも討ち死にすれば、
当方屋形の者共は皆、命を失うか生き残っても乞食に身を落とすであろう。』

そのように書いたのだという。

(士談)



熱川温泉は猿が温泉に入っているのを

2017年02月27日 18:28

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/26(日) 23:35:57.60 ID:lnr7vVWg
道灌公と猿
http://i.imgur.com/h8LjG3u.jpg
h8LjG3u.jpg

折檻された例のイタズラ猿かと思ったら、
熱川温泉は猿が温泉に入っているのを道灌公が見つけて開湯されたとの事。



682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/27(月) 09:57:29.60 ID:3PJYeBvg
信長と若き日のラスボスでも通用しそうだな


.....なわけない

江戸御城は、道灌のみに非ず。高虎縄張の事併道灌風流、桜楓の事

2016年12月09日 09:19

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/08(木) 22:25:27.26 ID:J91C5wri
江戸御城は、道灌のみに非ず。高虎縄張の事併道灌風流、桜楓の事

 ある人が語るには、
江戸の御城は、初めは太田道灌が興したというので今は何事も道灌に帰しているようだが、
道灌が築いたのは今の西の丸で、御本丸は藤堂高虎と諮られて御新築されたという。
よって『駿府政事録』には、"新城"とあるのだそうだ。

 また道灌も流石は風流人であって、
今の桜田という辺りには多く桜を、今の紅葉山という地には楓樹を植えて、
春秋の詠を専らとしていたという。
今増上寺の門前に流れている小川を桜川と呼ぶのも、その源泉は桜田から出ているので、
その年からこう言っているのだという。

 この事を林老(述斎)が聞くと
「桜楓のことは同意しない。桜田はもとから村の名で桜を植えたからではない。
御城外の桜田から今の桜田町まで行程はかなりある。
その年にどうして一年間で花木を植えることができようか。
また紅葉山は駿府に有った名を移されたものである。」
と話された。

(甲子夜話続編)

松浦静山の頃には、かなりの誤伝が広まっているのだと思われます



398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/09(金) 22:52:45.81 ID:8ZfVzv1H
>>392
昔から道灌すげーと思われていたんだな

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/10(土) 00:02:16.10 ID:mqM9v91Y
道灌「この城どうかんならねえか?」
家康「家、やすいなら買おう」
と庶民には思われてた説

401 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/12/10(土) 00:18:49.26 ID:6eJna+f9
>>400
        シャカ
      [二] シャカ
  ロ=== (´・ω・)
  (::) ( >on o θ
日[二二] と_){三}


        ス...
      [二]
  ロ=== (´・ω・)(
  (::) ( >oy>o )
日[二二] と_)_){三}

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/10(土) 10:55:42.83 ID:BHAJeKED
世紀末荒野だった戦国の関東平野で
歌詠みまくって風流も競い合ってたってのがまた不思議

406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/10(土) 19:47:48.65 ID:J3N68zoo
北条家も風流なイメージ持ってる

道灌さんは以降和歌をガッツリ勉強して

2015年07月20日 13:25

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/19(日) 21:09:32.42 ID:YllLvnMf
(前略)
上杉宣政が下総に出兵した時、山と海が接した場所を通る必要があったが
宣政は山上から弩を射かけられないだろうか、また満潮であったらどうしようと
大変不安がっていた。
その為夜半であったけれども太田持資は「では私が確認してきましょう」と
海の状態を確認しに行った。
そうして暫くして戻って来た彼は「今は干潮です。」と報告した。
何故それが分かったのかと宣政が問うと、持資は
「『遠くなり近くなる身の浜千鳥鳴く音に潮のみちひをぞしる』という歌が有るでしょう。
千鳥は潮が引くと広がった干潟に沿って移動して遠くに行く習性があり、その鳴き声は遠くに聞こえるようになります。それで今は干潮だと判断したのです。」
と答えた。

またある戦において退却中、夜間で視界が悪い中で利根川を渡る必要が生じた。
この時も持資は
「『そこひなき淵やはさわぐ山川の浅き瀬にこそあだ波はたて』という歌が有るだろう、
その通り水音の騒がしい位置が浅瀬であるから、そういう場所を選んで渡れ。」
と部下達に指示し、無事利根川を渡り退却する事ができた。
(常山紀談)

前略部分は例の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ哀しき」の故事
道灌さんは以降和歌をガッツリ勉強して役立ててました、という後日談。
彼の主君が上杉「宣政」なのは原文ママ。





太田資長が松山城を築いた時の話

2015年06月23日 17:39

222 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/06/23(火) 06:05:52.95 ID:B5AQbp3J
太田資長が松山城を築いた時の話、
資長「この城に何か欠点があって文句がつける者があれば、重賞を与えて感謝する!」
という一書を東門にかけた。

すると一人の旅人が城の周りに植えてある松を見て
旅人「松は終始風を含み、松籟といって颯々たる響きがあるから忍び込むには便利だ、
城の周りに松を植えるべきではない」と言って去って行った。

資長はこれを聞きとても驚きこの旅人の行方を追わせたがついに見つかることは無かった
世にその旅人は神人だと言い伝えられている。

「名将言行録」謎の旅人に新築の城の欠点を見抜かれる話




223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 07:16:02.75 ID:9vUPh6Xn
呂不韋と呂氏春秋の話に似てるな
あっちは城じゃなくて百科事典だが

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 07:48:54.23 ID:5rId61GS
松の代わりに何を植えたのだろう
とすると松山じゃなくなるよな

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 08:46:58.98 ID:JgRv8cn3
城の周りなら松か竹を植えるのが多いんじゃない

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 08:54:02.01 ID:FRsbJcyr
城は敵が隠れないよう見晴らしを良くしないといけないから、みんな切っちゃったんじゃないかね?

そういえば今の城跡の多くは桜が植えられてるけど、桜の根が伸びて石垣を崩し
全国で結構な問題になっているらしい。

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 09:33:54.51 ID:lwcX4nWk
>>226
実用ではなくイメージでやるからそうなるw

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 10:35:25.41 ID:LkICDGu3
実用なら梅かな

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 11:06:33.67 ID:Ip0Rxk1t
桜と城は合うからなあ。

230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 11:50:16.14 ID:eztrH43z
成富茂安がこのスレを発見しました

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/23(火) 12:29:21.48 ID:MT8d1vxG
>>228
如水さんこんなとこで何してますのん

太田道灌と猿

2015年06月22日 18:10

215 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/06/22(月) 15:31:04.52 ID:MTMHuJgH
先ほど悪い話スレに場違いな逸話を投稿してしまったのでお詫びに有名だけどまとめに無かった話を一つ

太田資長(道灌)が京に上がった時、将軍の義政が饗応するといった。
資長は、義政が一匹の猿を飼っていて、その猿は見知らぬ人と言うと、
必ず引っ掻いて傷をつけていると伝え聞いていたので、猿師に銭を与えその猿を借りた。

そして旅宿の庭にその猿をつなぎ出仕の装束で側を通るとその猿は飛びかかってくる
資長は思いっきり鞭でその猿を打ち伏せると猿は首を垂れて怖れ入ってしまった
資長は猿師に厚く感謝をして猿を返した。

そして饗応の日がきた、義政は例のごとく猿を通路につないでおき、資長の様子を見ようと待ち受けていたが、
その猿は資長を見るや否や地にひれ伏してしまった

資長は悠然と衣紋をひき繕い、素知らぬ態で通り過ぎたので、
義政は「尋常な人ではない」と言って大いに驚き入ったという事だ。

「名将言行録」の太田道灌が凶暴な猿を調教した良い(?)話、
政宗にも似たような逸話があったような気が、、、



217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 21:48:39.97 ID:XdcpUGeK
>>215
立花道雪にシバかれた大友宗麟の猿といい、
この時代の猿はよく殴られるなw

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 21:50:31.93 ID:IpAvlnDm
サルのペット化はステータスなのかそれとも何かの暗喩なのか

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 22:23:24.45 ID:bXJSOZYX
猿は魔除けで飼うとかじゃなかったっけ?

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 22:31:19.32 ID:+Le+v5ss
子孫繁栄みたいな意味もあったような気がする

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/22(月) 22:53:39.45 ID:J0EE1+V0
馬の守り神としてよく厩で飼ってたから
江戸時代以前の武士には馴染み深いペットだったんだろう

ただこの理屈を

2014年12月11日 18:36

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/11(木) 02:13:40.44 ID:oE57dufK
(両上杉が関東諸)国をよく治めていたところに、大事を引き起こす事が一つ起こった。詳細は次のようである。
扇谷(=上杉定正)に中次彦四郎・曽我伝吉という二人の殿方がいた。この二人は仲が良く、互いに相談し、分別もあるので、良く奉公し扇谷殿の心をとらえていた。
後に扇谷へ諫言できるほどまでになったが、彼等は家運を傾ける類の諫臣であった。
二人が言うことは続けて上手くいくので、定正は二人に官位を与え中次主馬助・曽我右衛門佐とし、すっかり扇谷殿は曽我・中次の言いなりとなってしまった。
ある時、二人は談合して、それぞれの所領を沢山取ろうと思い、扇谷殿へ

「財政の収入がなく、物事が不便であるのに、家老衆が江戸・河越の国中に徘徊して遊んでおります。
将来は彼らの子供が扇谷家の子孫に敵対し、ご子孫は今の公方のようになってしまうだろう。
そして家老衆は今の両上杉殿のようになることは少しも違わないだろう。ご分別を。」

と申し上げると、扇谷殿は武州江戸の太田道灌を召し寄せて殺しなさった。
これを聞いて残る上田・見田・荻谷を始めとした道灌の一族、城主共は言うに及ばず、少しでも所領をもつものは、おおかた身構えて、それぞれの屋敷に引き籠もった。
その年のうちに、この事で山内殿と扇谷殿の間に所領争いが起こり、羽入の峰・岩戸の峰・ふく田の郷・奈良梨などと申すところで大きな合戦あった。
味方も敵も見分けがつかず、日頃心懸けをしていない奉公人共は働く術を知らず、行ったり来たりとうろつき回る。
小旗を捨て、或いは槍を切り折り杖として逃げる者は後ろを見ず、
主を捨てて、自分の在所へ逃げてしまうものが扇谷にも、山内にも一合戦に二人三人と出る。
勿論関東・奥州北国にも、たびたび手柄を立てる大剛の者があまたいたが。家運が傾いた徴候だろうか、若武者にも負けてしまう。
しかも十人の中に八人九人は心懸けの無い弱者共に掻き回されて、長年合戦に慣れている者も、自分の身を守るだけで何の手柄にも立てられない。
これらは味方の中の裏切りによるものである。この時節に伊豆の早雲が出てきて、小田原を乗っ取ったのである。明応四年乙卯のことであったと聞いている。
前代のことである。しかも他国の事、人からの雑談によるものを書き記したので、相違なことは多いのは確かだろうが、ただこの理屈を勝頼公の代の参考にしてほしい。
(甲陽軍鑑)




太田三楽斎、今や首を掻かれようとしたが

2013年09月21日 19:52

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/21(土) 05:45:08.99 ID:pBifOIl7
永禄7年(1564)第二次国府台合戦でのこと

太田資正入道三楽斎も、北条氏康の軍勢と戦い奮戦し、二ヶ所の手傷を被りながらも踏みとどまり、
北条方で勇士として有名な清水太郎左衛門の嫡子である又太郎と組み合い、競り合っている内に、
父に劣らぬ大力の又太郎に組み伏せられた。

手負いの身でもありついに力尽き、今や首を掻かれようとしたが、ふと、又太郎の力が緩んだ時、
三楽斎は目を見開き声を荒らげた

「何をうろたえる!我が首には喉輪が嵌っている、早く外してこの首を掻け!」

これに又太郎は、立派な態度だと感心し、気を取り直して言われたとおりに喉の金輪を外している所に、
三楽斎の近習である舎人孫四郎、野本与次郎たちが駆けつけ、又四郎を引き倒し、三楽斎に、逆にその首を取らせると、
そのまま逃げ去った。
(関八州古戦録)




353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/21(土) 11:03:18.05 ID:y4mF5ILd
負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと信じ抜くこと

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/21(土) 11:22:23.25 ID:0jYeIXiy
>>353
天庵「ですよねー、何回かチャレンジしたら野戦で勝てると俺は信じてる!」

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/21(土) 11:49:33.47 ID:YwAXm8oJ
>>352
なんともコメントに困る逸話だなw
三楽斎はこれ分かってて言ったのだろうか?

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/21(土) 12:24:55.57 ID:d3MufPM6
>>352
殺してから首を取り外すわけじゃないんだな

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/21(土) 12:29:50.68 ID:udAXqqDk
太田「……計算通り!!」
近習「(´-`)…………」

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/21(土) 12:38:54.22 ID:cuNV9HT7
大声の叱咤で立派な態度と思わせつつ仲間を呼ぶ、という高等テク

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/21(土) 15:56:23.25 ID:ChSpHib2
要約すると
三楽斎「タスケテー」  って事だよねw

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/21(土) 17:59:19.14 ID:URCEdLHY
2コンのマイクに向かって言ったんですね

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/21(土) 18:03:18.24 ID:0jYeIXiy
それはフェニックス天庵きてまうで

362 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/21(土) 19:47:18.19 ID:mmlohXqo
なんというか、源平合戦のノリだな
そのまま逃げ去った の部分が妙に気になるが

363 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/21(土) 23:51:29.45 ID:wElm0qam
>>352
喉輪を外せとアドバイスされ、ちんたら外してるうちに逆に討ち取られるという
どちらかというと、又四郎があほぅな気がする

364 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/22(日) 00:19:09.54 ID:veH309aX
親父に倣って首をねじ切ればよかったのに

上杉朝興の遺言

2013年01月18日 20:04

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/18(金) 18:09:52.04 ID:yadoiax/
武州の国司、扇谷家の上杉朝興は度々の合戦には負け、江戸城も落とされて
おもしろくなかったが力は及ばず、何とかして北条氏綱を亡ぼしたいものだと、
骨髄に徹して思い暮らしていた。

しかし、重病に侵された朝興は瀕死の状態になってしまう。
朝興は子息朝定、三田・萩谷以下の老臣を呼び出して遺言を残した。

「わしの命は尽きようとしている。汝等はしかと遺言を聞いて背いてはならない。
わしは氏綱と合戦すること十四度に及ぶが、一度も勝つことはできなかった。

この事が未来永劫の恥辱に思うのだ。この恥辱は妄執ともなるであろう。
よいか、わしが死んだら仏事作善よりもまずは氏綱を退治して国家を平定せよ!」

天文六年四月下旬、朝興は朝の露と消えた。上杉朝定は十三歳で家督を継ぎ、
父の遺言に従って仏事作善をかえりみずに、まず武州深大寺の古要害を取り立てて
城とし、氏綱を退治せんと支度を始めた。

しかし、この動きを知った氏綱が出兵したために河越城の戦いが勃発し、
朝定は敗北して松山城へ走った。

――『異本小田原記』




三楽は智がありながら

2012年09月08日 20:32

383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 19:41:05.39 ID:jBL3aG4B

小田原征伐の時のこと。松田憲秀の手を見た太田資正
「裏切る腹積りだ」と言った。この時、確かに憲秀は内通して
いたが、資正はその事実を知らなかった。

豊臣秀吉は何故資正に内通が分かったのか奇妙に思い「何をもって
そのように見たのだ」と尋ねた。

「憲秀の勇謀は人の恐れる所ですが、今日は軍備を正さず、諸卒を
戒めず、役所も巡りませんでした。もとより彼は臆するような者では
ありませんから、これは心を味方に通じた故にございます」

資正の答えを聞いて秀吉は大いに感嘆し徳川家康に向かい
「今ここに二つの不思議がある。何だか分かるか」と問いかけた。

「ひとつは三楽でありましょう。もうひとつは分かりかねます」

との家康の答えに秀吉は「わしは匹夫より起こって天下の主となった。
だが、三楽は智がありながら一国をも持つことはできなかった。

これぞ二つの不思議であろう」と言った。

また別の逸話では、秀吉は資正を召して曰く「その方は智仁勇を
兼ねた良将でありながら小身であるな。わしはひとつの徳もないが、
天下を取ることはもっとも得意とするところだ」ともいう。

――『名将言行録』




384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 21:16:38.44 ID:66FBQWN/
もう一つの不思議
カリスマブリーダーとしての名声が無い

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/07(金) 23:30:18.49 ID:gMAi9LmC
ここらのカリスマといえば天庵様の方が大きかったからね

太田道灌、居城の怪異に

2012年08月28日 20:51

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 17:36:51.53 ID:nmVw6k3Q

ある時、太田道灌の居城に一夜にして笠ほどのキノコが生えた。
人々が「物怪だ!」と驚いてこれを道灌に告げたところ、

道灌は「決して物怪ではない。湿気の深い所には大きなキノコが
生えるものだ。逆さまに生えたとしたら不思議なことだがな」と言って

動じなかった。その後、十日ばかり過ぎて、今度は同様のキノコが
逆さに生えた。人々が驚いて道灌に告げると、

道灌は「最初に生えた時は逆さなら不思議だったのだが、
今度は智恵をつけて逆さに生えたか。これは笑えるな」と言った。

すると今度は火炉の鉄輪が踊り歩き始めた。道灌はこれを見ても
「人間は足二本でさえ自由に歩けるのだから、三つ足で歩けたって
珍しくもない。

そのようなことは全て狐狸の仕業だ。狐狸めは人間にたぶらかされて
戸惑っているようだな」と冷笑するだけで自若としていた。

その後は何の怪異も起こらなくなった。

――『名将言行録』

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1185.html
↑の別バージョンか?





202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 21:20:25.39 ID:CxSchxLm
俺のところに美女が大金を持参して嫁入りに来れば不思議なことだが

203 名前:こうか[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 21:23:56.15 ID:CxSchxLm
秀吉「わしのところに大勢の美女が嫁入りに来れば不思議なことだが」

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 21:52:28.56 ID:jjWVqCyv
子孫がリアル化け物だから物の怪ぐらいじゃ驚かないわな

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 22:34:28.10 ID:qrwWJkEU
要求をエスカレートさせて、
どこまでやってくれるか試せば面白かったのに。

川越城水源の事

2011年05月24日 01:11

761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 18:29:48.80 ID:QLWEygVY
太田道真・資長(道灌)の父子が川越城を築城するときの事
城の堀へ張る水をどこから引いてこようかと毎日踏査していたのだが、これという水源は見つからず困っていた。

ある朝、道灌が何げなく初雁の杉のあたりを通ると井水に足を浸して洗っている一人の老人に出会った。
見ればそこにはこんこんと湧き出る泉が・・・

これに道灌は大いに喜び、これはまさしく日ごろ信仰している天神の御加護であったかと改めて感謝したのだった。
しばらくしてその老人の所に向かい、この地に城を築く決意を告げ、水源となっている場所を尋ねた。
すると老人は快く承諾し、さっそく道灌を水源へ案内してくれた。
行く行く着いていくとそこは満々と水を湛えた底知れぬ深さの水源地が現れた。

道灌は手を打って喜び、老人の好意に対して心からお礼の言葉を述べ再会を約束して別れたのであった。
こうして謀らずも問題を解決できた道灌はこの地に難攻不落の川越城を完成させたのである。

さて、かの老人とは再会の折もなく時が過ぎ去っていった。
だが、かつて井水で足を洗っていたときの姿が気品にあふれていたので、
あれぞ紛れもない三芳野天神の化身であると納得したのであった。
以来この井水を天神御洗(てんじんみたらし)の井水と名づけて大事にし、神慮に応えたと言う。
そして道灌はますます敬神の念を深くし、有名な川越城内で連歌の会を催して千句を天神に奉詠したのであった。

なお、この水源地は川越城内清水御門のあたりとも、または八幡曲輪とも三芳野天神社付近とも言い伝えられている。




世禰(よね)姫

2011年02月06日 00:00

世禰姫   
592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 14:20:00 ID:aXJbtTz/
太田道真・道灌親子は、扇谷上杉氏から河越城の築城を命じられた。建設地は北に赤間川、南に遊女川が流れ、
加えて七ツ釜と呼ばれる底なしの湧き水が7箇所も湧いているドロ沼地帯だった。ぬかるんで土が盛れず、
道真は困った。

そんなある晩、道真の夢枕に龍神が現れた。

「道真、明朝一番に会った者を人身御供として差し出せ。そうすれば神の力で城はすぐに完成するだろう…」
「マジで!?わかりました!」

毎朝一番に自分に会いにくる愛犬を少し可哀想に思いつつ、龍神と約束をした。


翌朝。

「犬ジャネ━━━(゚д゚;)━━━!!」

愛娘の世禰(よね)姫が来た。

「夢に龍神様が現れてry…私が生贄になります!」

道真と同じ夢を見たというのだ。
しかし、可愛い娘にはそんな事させられない。龍神を怒らせてしまってもだ。

「ゆ、夢なんか気にしなくていいって!生贄とかなにそれこわい」

思いとどまらせようと道真は必死に説得するが、世禰の決意は固かった。世禰は館を抜け出し、城の完成を祈りつつ
七ツ釜に身を投じた。
まもなくして、城は完成したという。


あるとき、河越城が攻められた。
堀のあたりに敵兵がやってくると、どこからともなく霧が発生し、それは集まって雲になった。
風も吹いて辺り一面真っ暗になり、ついには洪水も発生した。敵はすっかり混乱し、退散したという。
これらの現象、太田道灌が城の堀に棲む主に起こさせたらしい。
河越城の危機を救った堀の主の名は「ヤナ」。


よねが(人として、怪物ヤナとして?)太田親子の危機を救ったいい話。




593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 14:30:38 ID:DUf7I7Ag
旧約聖書にも似たような話が(士師記11章より)

エフタは主に誓いを立てて言った。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、
わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を
主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします。」
こうしてエフタは進んで行き、アンモン人と戦った。主は彼らをエフタの手にお渡しになった。

エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。
彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった。
彼はその娘を見ると、衣を引き裂いて言った。「ああ、わたしの娘よ。お前がわたしを打ちのめし、
お前がわたしを苦しめる者になるとは。わたしは主の御前で口を開いてしまった。取り返しがつかない。」
彼女は言った。「父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりに
してください。主はあなたに、あなたの敵アンモン人に対して復讐させてくださったのですから。」

二か月が過ぎ、彼女が父のもとに帰って来ると、エフタは立てた誓いどおりに娘をささげた。

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 14:37:04 ID:URXl6evD
>>593
しかし誰を想定してこんな願いを口にしたのかね?嫁?使用人?

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 14:47:31 ID:DUf7I7Ag
>>594
自分の知り合いのフロイスよりずっとましな宣教師は
「エフタはおそらく使用人を念頭に神に誓ったのでしょう。
同胞の命を軽んじた彼に対し神は罰を与えたのです。
アブラハムがイサクを神に捧げようとしたときの故事からもわかるように、
神は人身御供など求めてなかった、ただ彼が悔い改めることを望んでいた
しかし彼はおろかにも娘を捧げてしまった」
と旧約の神を新約っぽく解釈してた。
戦国時代の宣教師もこの人身御供をつかれたら痛かっただろう

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/05(土) 15:53:12 ID:mSJNP5TH
やはり野見宿禰は立派な人だな

とっさの歌詠みシリーズ。太田道灌編

2010年10月14日 00:00

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 18:23:48 ID:02fx74We
とっさの歌詠みシリーズ。太田道灌

太田道灌が初めて関東より上京した時の話だそうだ。
扇谷上杉家家宰として、さらに軍略家として既に高名であった道灌は
高位の人々の集まりに招かれた。そこで道灌が歌道をたしなむことが話題に出、
是非一首詠んで欲しい、という話になった。

これに道灌
「私は関東の田舎に住むものでして、なかなか京洛の堂上の方々にお目にかけるような歌など
あるはずもありませんが、ひとつ笑って聞いてください。これは田舎で詠んだ歌ですが」

と、こんな歌を詠んだ
『武蔵野の折るべい草は多けれど、露すぼこくて折られないもさ』

これにその場の人々は皆、どっと笑った。

この歌、現代人には少し説明がいるだろう。「折るべい」「すぼこくて」「もさ」
これは関東方言をあらわしたものである。
現代風に訳せば
「武蔵野には露が落ちて折られるべき草はいっぱい有るけんど、露が落ちてもすばしっこく
消えるんで折られやしないだんべ」

とでもなるのであろうか。

とにかくいかにも田舎風の滑稽な歌に皆が大笑いしている中、

「もう一首、こんな歌も詠みました」

と、道灌、次の歌を披露した。

『露おかぬ かたもありけり夕立の 空よりひろき武蔵野の原』
(天を覆った夕立が過ぎてなお、雨に濡れていない場所もある。なんと空より広い
武蔵野の平原ではないだろうか)

一転、この歌にその場の人々、大いに感心したとのことである。





656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 19:21:45 ID:yAj0d7Zr
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3677.html
この話思い出したよ。

今でも上京した地方出身者はなまりを馬鹿にされないように気を使うけど
なまりをギャグにしちゃうのが一番いいのかもねw

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 19:36:22 ID:2GReGcx4
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-181.html
田舎者呼ばわりされるのがいやで引きこもりになった某南部さんもいるしな。

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 00:34:51 ID:qpGVOixJ
訛りが通じないから黙るのが東北人
訛りが通じないから実力で示すのが北陸人
訛りが通じなくても気にせず、それが通常だと笑うのが関東人
訛りが通じない者同士で差別化して喜ぶのが東海人
訛りが通じていないから暗殺するのが中国人
訛りが通じないのに気付いていないのが四国人
訛りが通じていないから南蛮人と親しくなるのが九州人
訛りが通じなくて喜ぶのが薩摩人

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 00:37:05 ID:My/PyKDt
>>663
 江戸時代では薩摩人は訛がが通じないと通報、または殺害だったがはず

665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:11:08 ID:jcwc3uoJ
鳥居彦右衛門は島津義弘のなまりが理解できなくていくさになった、なんて話もあるね

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:15:48 ID:wbNC/ue3
もし鳥居元忠が赤備えだったら
島津義弘「赤い鳥居に弓を引いたら、お稲荷様から天罰が下る。わしは引くぞ!」
とでもなったのだろうか

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:29:18 ID:zTvBA4Vb
>>663
大戦中暗号が解読されていることに気付いた日本軍が薩摩弁の訛りが酷い奴に伝令させたって話は有名だなw
>>666
それならそれで劇団島津だしもっと上手いことやってくれそうな気がするがw
そういや鎌倉・室町の方でなんで狐が島津の守り神になったかって逸話が投稿されてたな

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:38:56 ID:wbNC/ue3
>>667
鎌倉・室町スレで島津稲荷ネタが出たから便乗した
そういや赤備えの方も、井伊の赤鬼(初代)は結果的に島津の鉄砲に斃れ、
井伊の赤鬼(幕末)は薩摩藩浪士に首を切られ、因縁があるのか無いのか

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 01:43:46 ID:VNWaa3Bu
だって井伊家の一番の仮想的は島津家でしょ?

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 07:14:19 ID:fAC7J8ij
>>660
仲悪いなら、有力な他家を乗っ取るための養子に出すことは無いだろうしな

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 08:53:47 ID:ODsOxZhO
訛りが云々のやつで、関西(近畿)はないのか?
>訛りが通じなくても気にせず、それが通常だと笑うのが関東人
これが関西人っぽいな~と思ったんだが~

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 09:08:01 ID:8DCLgm3W
戦国時代、日本の中心は近畿ですから。近畿以外の方言が訛りです

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 09:30:31 ID:ODsOxZhO
そういうことなのか~
なるほど~

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 15:12:29 ID:BZm9fy/X
>>663
うちの爺さん新潟出身なのにほとんど訛りが無かったから
兵学校入学の時、教官に「新潟県出身です」って言っても信じてもらえなかったそうなw

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 16:48:48 ID:VNWaa3Bu
今でも新潟の人って、むしろ関東の人より標準語に近いよね

手引き

2010年09月03日 00:00

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/02(木) 18:47:15 ID:HVm8t3IJ
手引き

手這坂の戦い・鳥出台の戦いに敗れて小田城を失った小田氏治は、元亀元年(1569年)
に再度小田城の奪還に向け動き出した。
小田家家臣・菅谷政貞は小田城内にいる旧臣に充てて
「旧主・氏治様に対して志あるものは味方を誘って城内から手引きせよ。」と調略を仕
掛けた。
そして、城内の小田旧臣と呼応して小田城に一気に夜襲をかけて悲願の本拠地回復を果
たした。

時は流れて元亀三年(1572年)の暮のこと。
小田城内はテンプレ通りゆるゆるの状態で、城内では連歌会が連日催されていた。
その情報をキャッチした佐竹客将の太田資正は、
「小田城内には当家に内応するものがおります。彼らの手引きの手筈が整っております
から攻撃の許可を下さい。」と進言し、大晦日に小田城に兵を向けた。

ところが、いざ小田城に到着してみると佐竹軍を手引きする者などいないことが発覚した。
「資正殿。我が方に手引きする者なぞいないではありませんか。話がちがう!」
詰問する佐竹家臣に対して、資正は涼しい顔でこう答えた。
「ははは。『佐竹方を手引きする者がいる』という情報はそれがしのでっちあげですから、
手引きする者などいないにきまってますよ。その情報は小田城攻撃の許可をもらうための
ガセ情報です。
しかし、小田城内が連歌に呆けて、士気がゆるゆるなのはホントですからさっさと小田城を
落としましょう。」

太田資正はそう言うと、正月の夜明けとともに小田城を強襲しやすやすと小田城を奪い返し
たという。




836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/02(木) 19:06:43 ID:tq98CggG
天庵様がいつもどおり過ぎて笑うしか無い。

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/02(木) 19:09:46 ID:OKrriwjO
舐められすぎワロタw

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/02(木) 23:11:18 ID:XSFbCDTu
>>835
いい話か?いい話なのかー!?

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/02(木) 23:16:02 ID:Mu5QAeGa
大事な事なので2回言ってみますたw

にゃんこさん、太田道灌を導く

2010年02月26日 00:08

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 13:26:44 ID:inEfsfs/
関東では超メジャー武将の太田道灌。
多数残る逸話からは才能をひけらかし、しかも結果を残してしまう有言実行のヤな奴という印象ですが……


ある時、道灌の娘が疱瘡の病にかかった。
「ね、ねぇ、大丈夫? 苦しくない? パパに何か出来る事ない?」
可愛い娘の為に、わざわざ京都から疱瘡に霊験があるという一口稲荷を勧請して江戸城内に祭った。
現在の太田姫稲荷神社である。


ある時、道灌の妻が男の子を産んだ。
「よぉし! パパ、息子の為に頑張っちゃうぞっ!」
可愛い息子の武運長久を願って八幡神社を建てた。
現在の誕生八幡神社である。


ある時、江古田原で豊島泰経と戦をした。
散々に追い散らされ、道灌は自軍とはぐれて一人、道に迷ってしまった。
と、目を巡らせたその先に……
「にゃ~ん」
「ねこ~~(はぁと)」
もう回りは見えていない。既にココが戦場であるコトすら忘れてしまったようだ。
「ねこさん~~もふもふさせて~~」
猫の方は鎧武者に抱っこなんかされたくない。当然逃げる。目をハートにして追う道灌。
猫が飼われていた寺に逃げ込んだ時、ようやく道灌はココがどこだか気がついた。
自分の位置さえ判れば軍勢と合流するのも簡単だった。
「殿! ご無事でしたかっ」
「う、うむ。そこの寺の猫が道に迷った私を皆の元まで導いてくれたのじゃ。これは仏の導きに間違いない。
この戦、勝ったぞ!(もふもふしたかったのに……)」
「おぉ~~~!!」
士気の上がった太田軍は見事逆転勝利を収め、豊島氏を滅ぼした後、その寺に地蔵堂を寄進した。
現在の自性院の猫地蔵である。


敵にも上司にも厳しかったが、子供と動物には弱かった太田道灌である。





187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 15:41:41 ID:VOkMJT4d
ちょwww
我が子の幸福を願って神社建てまくるのはともかく
仮にも戦場でしかも敗走中なのに
もふもふを追いかけるなんて何と暢気なwww
だが、気持ちはわかる!

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 17:01:26 ID:u+QR3Z/P
竹を求める数寄者が居るのだから猫を求める好き者が居ても見事だと感心はするが少しもおかしくない。

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 17:29:01 ID:cES4Pvgc
戦場で竹を求めるのも猫を求めるのもどっちもおかしいとは思うが、だがそれがいい。

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 17:32:06 ID:rV8PAXOF
敵から逃げる中で、猫と追っかけっこをする人間がいてもいい。自由とはそういう事だ。

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 22:08:02 ID:3+qGwjnD
>>191
ロジャー乙

難波田憲重、山中主膳の歌に

2009年12月23日 00:09

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 05:40:55 ID:frDtGcBL
天文六年(1537)四月、扇谷上杉家は父朝興の死去により、扇谷上杉朝定が僅か12歳で後を継いだ。
これを好機と見た北条氏綱は七月、扇谷家の拠点河越を攻略。朝定は河越城を放棄し、
家臣難波多弾正の守る武州松山城へと逃げた。これを追う氏綱の軍勢、難波多勢の籠る松山城に
押し寄せた。

これに難波多弾正はしぶとく戦い、北条勢を撤退させる事に成功するのだが、
この時北条方の侍、山中主膳と言う者が難波多に攻めかかった。

難波多は山中を軽くあしらうと、早々に城に引き上げようとした。山中、これを追いかけ
後ろから

「あしからじ よかれとてこそ戦はめ など難波多のくづれ行くらん」

と詠んだ。『みっともないぞ!勝算があると思って戦を始めたのだろう?どうして難波多殿は
逃げ崩れていくのか?』と言った意味である。まあ勝負をしてくれない難波多を煽ったわけですね。
難波多弾正これを聞いて

「君を置て あだし心も我もたば 末の松山波もこえなむ」

という古今和歌中の古歌を詠んだ。この歌、本来の意味は
『あなたを差し置いて、私が他の人を思う心を持ったなら、あり得ないことですが、末の松山を
波が越えてしまうでしょう』という恋の歌である。
これを転じて

『主君朝興を放って置いて、あなたと勝負するような心を私が持てば、松山城は
北条の軍勢の波に飲み込まれてしまうでしょう』

と言う意味で詠ったのだ。

当時の人々、この難波多弾正の雅な受け答えを大いに賞賛した、とのことである。





416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 06:21:26 ID:NhXhOxLP
難破田さん、井戸に沈んじゃうんだよなあ

犬猿だった義晴との同盟を斡旋したり扇谷家にとっては欠かせない人だったよね

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 06:44:41 ID:WLd1maVC
北条って提灯の人とか逸話いっぱいあるけど
一般の知名度低いのが悲しい

418 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/22(火) 09:51:20 ID:CFlAs2t3
天下統一を進める秀吉に対して、北条家が氏政の弟、氏規を送って、彼が帰国して言うには、上方は屋根が板、
北条家の家は萱ぶきであり、経済力が全然違って歯が立たない相手だと言った話があったような。

さすがに名外交官だけあって、観察力には優れているね。


>>417知名度については、戦国時代を扱った某ゲームで能力値が高い人物が少ないからかも。
やはり能力値が高いほうがユーザーは関心を持ちそう。
北条兄弟ももう少し評価されていれば、知名度は上がったかもしれないのに。

420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/22(火) 12:22:13 ID:1Bl4bUcp
>>418
いや単純に、滅びてしまった家だから知名度が無いんだろう
源平や足利や豊臣も滅んだけど、あっちは天下を取ってたし、北条は地方だけだしね
その後に、家康という大物が関東入りして自分色に塗り替えてしまったのが大きい

>戦国時代を扱った某ゲームで能力値が高い人物が少ないからかも。
あのゲームにそれほどの影響力はないでしょw
前田利益が「花の慶次」でメジャーになったことから分かるように、
人気作家に漫画化してもらえば知名度はグンと上がる

[ 続きを読む ]

太田道灌、怠ける者に

2009年12月15日 00:11

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/13(日) 23:06:06 ID:jmjGzSIi
太田道灌は自分の部下を厳しく訓練した。しかしその辛さゆえに怠ける者もいて、
そういう者は罰金を払わされた。

怠け者「どうもすいませんでした。罰金払うんで許してください」
道灌「おう、これからは気をつけな。よし、お前らこの金で飲みにでもいけ」
部下「ヤッタ━━(゚∀゚)━━━!!!!」

道灌は罰金をこのように部下たちに渡した。当の怠け者は同僚たちから仲間はずれ
にされて、罰金を払うのがばかばかしくなった。そういう経験をすると、怠け者は心を
入れ替えて怠けなくなったという。それこそが道灌の狙いであった。




121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:37:20 ID:MfEF4O0O
>>103
あの時代に飲み屋なんて存在したの?

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:53:14 ID:AFfL1kVq
えっ

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 22:55:09 ID:2BcS9+mW
>>121
陣中へ酒を売りにくる人がいた。
冬の陣屏風にも描かれているよ

三楽さんの言い訳(佐竹側の記録)

2009年12月10日 00:11

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 14:38:17 ID:6dNSJ+LJ
では三楽さんの言い訳(佐竹側の記録)を

永禄10年(1567)、小田家の勢力が苦々しい佐竹義重は、家老の車丹波に小田家の
調略を命じた。しかし、車は予想を超える事態に遭遇する。

岩槻を追われた太田三楽は、小田氏治の配下にあった。一宿一飯の恩を返すため
三楽はたびたび氏治のもとに伺候し、打倒佐竹の兵法軍略を説いた。
氏治の前に侍る若侍たちは、関東有数の将の策を震えながら拝聴した。

その日も三楽は、氏治に懇々と策を語った。「…と言う訳で、常陸全土を抑える
事も出来ます。」
ついに若侍たちは、我慢出来ずに吹き出した。
「い、いやぁ片腹痛きぞ、三楽斎どの!それほどに縦横無尽の策をお持ちなら、
なぜ貴殿は北条に敗れ、こんな所に居るのかな?大言壮語も大概にされよ!」

激怒したのは三楽よりも息子の梶原景国である。彼は父を説得して小田家離反を
決め、のちに舅となる真壁道無に渡りをつけた。道無はさらにこれを車丹波に
相談し、労せずして内応者を得た車は永禄12年(以下>>888)

首謀者たる梶原はのちに美濃守政景と名乗り、馬場美濃・須田美濃と並んで
三美濃と呼ばれる武将になったという二重三重に口は災いの元な話。

小田家の侍に三楽を笑う資格があったかどうか、このスレの皆さんは
良くご存知だと思うので、俺はとやかく言わない。




897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 15:00:14 ID:Cyk/vpJ/
将校級だけそろってても上と下が馬鹿じゃ駄目だな、やっぱ

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 15:26:01 ID:v6+LaWvU
讒言は信じる癖に...

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 17:31:51 ID:FlZBU2yY
戦下手の袁紹って感じだなw

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 17:58:42 ID:q35lZYQ9
小田衆の弁護をすれば、
論だけ立派でも実績を見せない奴はホラ吹きと思われてもしょうが無い。
何時でもいるからね、弁だけで行動が伴わない奴。

まあ、弁だけじゃないってのは身を持って知ることになるんだがなw

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 18:04:27 ID:jTkfly+u
>>899
袁紹からカリスマ性以外全部差っ引いたら小田氏治だな

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 18:13:44 ID:dD2dqLNW
つか三楽斎を敗残の武将と侮ってる時点でもう駄目なんだと思うけどな。
関東の戦の動向きっちり調べて情報伝わってれば北条に敗れたからって
馬鹿に出来るもんじゃないのはすぐ分かる。

ま、福島家の家臣たちを馬鹿にした若衆と同じ類の話なんだが
主が叱ってくれなかった代わりに自分らの城が落とされたわけだなw



903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 18:16:59 ID:2WZ6N2fJ
>>901
何を言うか!袁紹殿より決断力はありますぞ!ただ、ちょっとばかし判断力が(ry


実は官渡でも判断ミス一度も無いんだよな。

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 18:49:57 ID:tsk97om3
>>903
スレチだが、烏巣救援で二兎を追ったのは痛恨のミスだと思う
それ以外には特にミスは無いというのには賛同

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/09(水) 19:19:26 ID:FpcH8I25
しかし、梶原美濃はなかなかのくせものだな
一時は独断で北条についたりしてるし
旧領復帰への執念ゆえか



関連
小田氏治公、小田城を取られた顛末
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3299.html