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春の花に秋の紅葉を混ぜ合わせた様

2018年11月13日 21:16

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/13(火) 15:04:49.28 ID:L+t9VgNU
織田上総介信長はこの度足利義昭を守護して近江より切り上り、三好・松永などの逆徒を誅伐して足利家
再興の功を成就し、中国へ旗を立て将軍家を堅く抱えて四海を令すれば、斉の桓公や晋の文公のような

覇業も瞬息のうちに定まるであろうと喜び勇み、その旨早く近国へ触れ渡されると美濃・尾張・伊勢3国
は言うまでもなく近国の諸軍勢は我劣らじと、美濃岐阜城下へ馳せ集まる者は雲霞の如し。

信長は近江一円の地図をもって軍議を凝らして、永禄11年(1568)9月7日、5ヶ国の大軍を引き
連れて早く出陣すべしと、まずは義昭の旅館・立政寺に参上して細川藤孝をもって申し上げられ、

「5ヶ国の大軍は早くも参着しました。よって速やかに上洛を急ぐべきといえど、近江の佐々木六角承禎
父子は内々に三好・松永などの逆徒と志を通じ、伊勢国司・北畠の加勢を受けてこの度の主君御上洛の

御道を遮らんとすると聞きます。まず承禎父子を誅し、彼らの首を刎ねて軍神を祭り、その後に御迎えを
奉りましょう」と御伝えすると、義昭も対面されて世にも嬉し気に「当家再興の事をひとえに頼み参らす」
と礼を厚くへりくだって仰せになれば、信長も「畏まり候」と返答なさって退出された。

(中略)

都合4万余騎と聞こえる織田勢は先陣がすでに近江平尾辺りに至るも、後陣は未だ美濃垂井・赤坂辺りで
遮られるほどの数だった。信長は先祖・平相国清盛より相伝の蝶1羽を染め出した赤旗と、この度義昭

より賜った桐紋・二引両紋の旗、斯波武衛家より伝えられた瓜紋の旗、また織田殿の馬前には黄絹1幅に
永楽通宝の銭を墨で描いた1流の旗、また妙法蓮華経と題目を書いた馬印9本を立てて、この日は

平尾村に着陣された。8日には近江南宮山に滞留されて人馬の息を休めなさった。茫々たる平原に色々な
旌旗が翻っている有様は、春の花に秋の紅葉を混ぜ合わせた様に異ならず。

――『改正三河後風土記(永禄記・岐阜記)』



509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/13(火) 22:42:11.03 ID:E/F+EuE0
桓公に文公とはまるで漢書のような
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この王子、他の信長の子息達よりも、その父に似ている故

2018年11月09日 09:36

419 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/09(金) 00:02:05.85 ID:of0Wpt0o
この王子(織田信雄)をもしキリスト教に帰依することが出来れば、大いなる収穫を得ること疑いない。
彼は意思甚だ強く、他の信長の子息達よりも、その父に似ている故である。

彼は諸人に対して甚だ親切なのだが、もし命令に背くものが有れば直ぐにこれを罰する。故にその家臣の
行儀正しく丁寧なることは驚くほどである。

先ごろ、彼は兵士たちに与える物がなく、一方で、一人の殿が余るほどの収入を有するのを見て、彼はその殿から
六千俵を奪ってこれを兵士に与えた。

この事件の後、信長は信雄を招き、何故そんな事をしたのかと尋ねると、

「私は父上の子の中で最も貧しく、兵士たちに与える物を持っていません。そのためあの殿より、有り余るものを
少し取ったのです。」と答えた。

信長は彼を責め、「奪ったものを返すように。」と言ったが、信雄はそれを理解した様子を見せなかったので。
信長は怒って小さな枕を彼に投げつけ、その殿の財産に対する彼の侵害を責めたのだが、それ以上は何も
出来なかったため、この殿に対し
「この上は武力を以て奪うべし。」
と言い、実際に対陣させた。

この殿は1万人、又は一万五千の軍勢を集め、一方の信雄は七百人ばかりであった。しかし信雄は
「何人も動くべからず」と命じ、一人で馬を馳せてその殿の陣中に乗り込み、諸方に乗り廻して混乱させたが、
殿の陣中では、彼が信長の子であるため誰一人これに触ることも出来ず、殿は隠れ、これを聞いた信雄は
「これを捜すのは時間を損ずるに過ぎない」と、闘いを中止した。

(一五七八年一月十四日(天正五年十二月七日)附、都發、パードレ・ジヨアン・フランシスコ書翰)

正直ひでえ話だな。



420 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/09(金) 02:09:06.89 ID:4LmF8tH6
相手は四十万石くらいの人だったのかな

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/09(金) 07:39:04.23 ID:JEmsZ9R9
再評価せねばならぬ武勇伝だね

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/09(金) 09:28:31.32 ID:ow9Yza7j
三介殿のなさる事だからしょうがない

423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/09(金) 09:54:57.62 ID:tNMLWG7s
>>421
斜め上に

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/09(金) 18:43:03.92 ID:DZoKZpxX
>>419
何でそうなるんだ…としか思えない行動回路だ

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/09(金) 20:18:27.35 ID:Py2/VUOM
確かに事実とは思いがたい

428 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/09(金) 21:08:40.86 ID:xhuQeHXe
>>419
頭鳩山かな?

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/09(金) 22:13:01.97 ID:0+fdcXJE
本多正純「一人の殿とは一体誰のことなんです?」

430 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/10(土) 11:07:22.55 ID:DMxEB0Op
神君だろ

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/10(土) 16:39:27.63 ID:9TutT64G
>>429
それは正純じゃなくても気になる

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/10(土) 20:14:27.23 ID:Rb9DE5g9
収益のために頑張ったら主君のドラ息子に理不尽に収奪されるわ
気難しい主君がせっかく説教してくれたのに息子の物分りが悪いせいで
匙を投げられて合戦もどきまでさせられた挙句
アホでも主の息子だから手を挙げられないで居たら散々暴れられるとか
この殿にしてみれば降って湧いた災難すぎる…

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/13(火) 15:18:40.73 ID:2rFScKgH
>>419
もしこのドラ息子の話が本当ならそんな役回りは光秀か村重かな
1年後に村重は謀反を起こしているし

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/13(火) 17:16:11.36 ID:6IaFLY1o
本願寺に横流しする手筈だった兵糧を・・・
ぐぬぬ

三田村の後殿

2018年11月09日 09:34

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/09(金) 02:54:07.70 ID:y13JWHDr
(姉川の戦いの直前)

織田弾正忠信長は浅井父子が朝倉に一味して前約を変じたのを深く恨み憤り「ならばまず朝倉を捨て置いて浅井を
誅すべし!」と、その5月21日、毛利新助秀詮(良勝)を使者として、援兵を徳川家へ請われた。神君は少しも
御辞退なく御了承になられて早々に軍勢を催促なされたところ、まず3千余騎が援兵となったという。

(中略)

6月17日、信長は数万の大軍を引き連れて岐阜城を発向され、近江へと向かわれた。これより先に近江では浅井
父子がかねてよりこの事を心得て防戦の用意をし、南郡苅安・長比両城を構えて越前の勢を分けて籠め置き、

鎌刃城には堀次郎(秀村)と後見に樋口三郎兵衛(直房)と多羅尾右近を籠め置き、本江の要害には黒田長兵衛を、
横山城には大野木土佐守・三田村左衛門・野村肥後守・同兵庫頭を籠め置いた。浅井父子は小谷城にあって色々と

手配りし織田勢が寄せ来るのを遅しと待ち受けた。江北は要害堅固で急に攻め入るのは難しく、信長は出陣以前に
木下藤吉郎秀吉に内意を含め、竹中半兵衛重治に内々樋口と語らわせた。重治は樋口と数年来の知音なので樋口の

方へ赴き、理を尽くして誠を現し諸々語らうと、ついに樋口も得心し同列の多羅尾に相談して信長方に一味した。
この城が織田方へ降参したと聞いて苅安・長比両城に籠っている越前勢も浅井には一言の伝えもなく3千余騎は皆

越前へ逃げ失せた。信長はこれを聞いて近江へ攻め入り18日に坂田郡柿田村の西山に陣を張り、19日に横山城
を巡見された。この城の押さえとして水野下野守信元・織田上総介信包・丹羽五郎左衛門長秀ならびに堀次郎の勢

を残し置かれ、信長は坂井右近(政尚)・森三左衛門(可成)を両先手とし数万の軍兵を引き連れて小谷の向かい
虎御前山に備えて雲雀山の方より森・坂井、尊勝寺の方より柴田・内藤らが攻め入って小谷の町中を所々放火した。

この時、浅井備前守長政は「城より打って出て一戦せん!」とはやったが、「城兵は小勢で信長の大軍には当たり
難し。越前の加勢を待ちなされ」と、家老どもが諫めて出陣せず。よって織田勢は西は馬上、東は小室・瓜生まで

焼き立て、その夜は矢島に野陣して明朝には早々に龍ヶ鼻へ本陣を引き横山表へ向かわんとした。長政はその機を
察して「明朝に打って出て信長の退口を追討せん!」と申したが、この時も父・下野守久政も家老どもも、

「とにかく越前の加勢を待って合戦すべし」と申して長政の申すところを用いず。しかし長政の家人の若者どもは
あまりに無念に思って2百騎ほどが打って出ると、織田勢の佐々内蔵助(成政)・中条将監(家忠)の陣に弓鉄砲

を撃ち掛けて多くの敵を討ち取ったのである。織田方でも佐々・中条ならびに簗田左衛門次郎(広正)が奮戦し、
柴田勝家も味方を救って引き取らせた。これを“三田村の後殿”といい、当時美談とした。

――『改正三河後風土記(東遷基業・岐阜記・武徳編年集成・四戦紀聞)』


手ひどき合戦には不合と見へたり

2018年11月08日 18:23

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/08(木) 17:41:29.66 ID:Y2HvOdmo
ある時、織田信長の前に武者修行をしているという武功の者がまみえた。
彼は冑に白熊の引き回しを付けて、冑立てに立てさせ、後ろに持たせて出た。

信長はこれを見て「彼はいままで手ひどい合戦には出会わなかったらしい。気に入らない。」
(彼はつひに手ひどき合戦には不合と見へたり。心にくからず。)
と言った。

これは白熊の引き回しなどと言うものは、それを損ねずに戦をするなどありえないためだという。

(士談)

関連
白熊の引きまわしなどでは、



415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/08(木) 18:07:11.78 ID:/DFHlKKj
おお。読んだことあると思ったら違うソースだった
いい悪いブログ10501 (まとめサイトのURL貼るとエラー出る)

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/08(木) 20:17:44.62 ID:1gkzLAvN
>>414
信長公へのお目通りという事で気合入れて新調しただけかも知れないのに…
まぁ、何となく信長ってこういうの嫌いそうなのも判る
でも傷だらけの甲冑で来たらそれはそれで主張がワザとくさくて信用ならないとかも言いそう

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/08(木) 20:34:15.44 ID:0WodYPFi
白熊ってホッキョクグマじゃなくてヤクのことなんだな

御父 織田弾正忠殿

2018年11月07日 19:38

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/07(水) 04:36:39.32 ID:yJTjxHUj
足利義昭将軍宣下の時)

信長が帰国の暇を申し上げられると、義昭は不日に逆徒を退治し将軍家を再興した御感激のあまりに3通の
御内書を賜った。そのうち一通は信長を左兵衛督にと仰せ出されたものだったが信長はこれも辞退された。

その他には、

 今度国々の凶徒らを日を経ず時を移さずして退治せしめたのは武勇天下第一なり。当家再興の大忠として
 これ以上のものはない。ますます国家の安治をひとえに頼み入り候。この他に頼み入る他事はなし。なお
 子細は藤孝(細川藤孝)と惟政(和田惟政)が申すものである。

  永禄11年10月24日 判

    御父 織田弾正忠殿

また1通には、

 今度の大忠により桐紋と引両筋の紋を遣わし候。武功の力を受けることだろう。祝儀である。

  永禄11年10月24日 判

    御父 織田弾正忠殿

信長は大いに面目を施され、ただちに暇を賜り25日に京を発って、28日に美濃岐阜城へ帰陣され諸軍勢
に銘々賞禄を施して帰国せしめられた。

――『改正三河後風土記(永禄記・岐阜記)』


信長が少女を斬り捨てたのは驚くに足らぬこと

2018年10月14日 18:15

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/13(土) 19:46:33.21 ID:+oppITPP
日本人の清潔を好むことは想像が出来ないほどで、特に家および常に座する畳の清潔なことは、
最も忠実な聖器所預かり人の保った祭壇の清潔さに比べることができる。私はビジタドールのパードレと共に
織田信長、及び内裏の邸に行ったが、新しい靴でなければ入ることが出来ず、広間を通る時には、
暗黒の祝日の墓所の階段を登る時のようで、しかも一人が箒を持って塵を掃きつつ後ろから随って来た。
土間、及び縁側も清潔で、唾を吐くことが出来ず、ハンカチを用いなければならない。

台所には大きな鍋があり、沸騰していたにもかかわらず、水も灰もその他も、箒で掃いたように綺麗であり、
馬の居る厩もまた同様であった。

信長がその居室に落ちていた果物の皮を掃かなかった少女を斬り捨てたのは驚くに足らぬことで、
非常に清潔に注意するため、少しの不潔も大いなる罪と成るのである。

広間、居室、聖堂等は皆畳を敷き、外で靴を脱がねば入ることが出来ない。
庭(niuas)すなわち庭園は常に清潔で、箒を以て掃き、特別の位置に据えたものの他、一草一石も無く、
果樹を喜ばず緑と陰を珍重する。

(1586年1月6日付、パードレ・ロレンソ・メシヤ書簡)

ちょっとまて信長果物の皮掃き忘れた女の子斬ったんかい。



311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/13(土) 20:57:51.28 ID:z69OWUY6
信長って自分の爪を小姓たちに切らせたときに1つ隠して、あとでわざと落としたことあるよね

中国の逸話が元ネタだけど

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/13(土) 21:22:11.58 ID:dQRjJYkR
内裏の邸って安土城を指すのかな?

坂井政尚の討死

2018年09月23日 19:00

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/22(土) 20:39:43.56 ID:5fRHuOJu
織田信長の軍の大将である坂井右近(政尚)が元亀元年(1570)11月26日に堅田の戦いでに討ち死にした理由だが、
彼はその以前、6月21日の姉川の戦いで嫡男久蔵(尚恒)が討ち死にして以来、何事も心に入ってこない様子で
あったのだが、敵対する堅田の一揆の内より、猪飼昇貞、居初又次郎、馬場孫次郎の三名が、信長へ寝返ることを
申し出てきたため、信長より「家臣の誰かが海を越えて堅田に行くべし」と命じたところ、坂井がこの命に応じ、
一千あまりの兵を率いて11月25日の夜中に堅田に入り、その構えに火の手を上げて合図を示した。

ところが、浅井朝倉軍がこの火の手に気づき「このまま放置して織田軍に堅田を取り固められては大変な
事になる!」と、26日の早朝よりこれを攻めた、そのため坂井政尚をはじめ安藤右衛門佐、桑原平兵衛などが
討ち死にした。

坂井は勇猛な将であったが、事の利を尽くさず、早くに敵に察知されたことが誤りであろう。

これは天正時代の尾張蟹江城の戦いでも、滝川一益が早くに合図の火を発したために、ついに敗北している。
全て名のある勇武の将であっても、事の理を詳らかにしなければ、このような落ち度があるものなのだ。

(士談)

嫡男を亡くした動揺が続いていて判断を鈍らせた、という事なんでしょうね。



197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/23(日) 21:50:26.46 ID:al5PRGdw
朝倉にしては動きが速いな

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/24(月) 03:48:41.32 ID:XTRl6+g8
朝倉って動くべきところで全然動けて無いという偏見があるから
この動きも浅井主導だったんじゃ…とか思ってしまう

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/24(月) 11:43:23.04 ID:EluHms2J
朝倉の初動の遅さについて理由も検証されるようになってきたからな
度重なる動員と領外出兵で徐々に統制ができなくなっていったっぽいとか

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/24(月) 15:07:56.65 ID:w1gRc5ll
義景さんは攻めはヒドいが守りはなかなかだろ

織田信長公は信を堅く守る人物であった。しかしそれ故に

2018年09月21日 10:00

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/20(木) 22:38:34.64 ID:myQ+WRsY
織田信長公ご自身は、金石をも欺くほど、信を堅く守る人物であった。
しかしそれ故に、人の非を以ての外に悪まれた。そして臣の職分に違う事があれば、
殊に記憶し忘れること無く、一旦はそれを宥しても、腹の中に籠め、多くの年月を経て
何人かは流罪に処せられた。

一善を賞する時は衆も善を励み、一悪を罰する時は衆は自らの悪を恐れる。況やその類悪であれば
なおさらである。これを以て惟任日向守(明智光秀)は、己がこれまでした事を顧みて、
非義が累積していると感じた。しかし

「それを弁解した所で宥してはもらえないだろう、今はそのような色が見えなくても、今後必ず
戒められるだろう。」

そう思い究め、却って逆寄せして弑したのだ。

自分は忠を尽くしても、人が己に忠を尽くすことを欲するべきではない、という言葉があるが、
これが至当であろう。上下共に旧怨というものは、義を優先して捨てるべきなのだ。

(甫庵信長記)

信長が、自分と同じ倫理基準を家臣にも求めたために結果として裏切られ殺された、という批評。



188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/20(木) 23:22:50.07 ID:FJ0UgTgQ
>>186
突然過去のやらかしを理由に追放されたのが林秀貞だけじゃなかったならなおのこと光秀じゃなくても誰かに討たれそうだな

「筑前、早くも天下を併呑する気象あらわれたり」

2018年09月21日 09:58

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/21(金) 06:03:05.42 ID:fX5WZda+
山崎の戦いの時、神戸信孝(織田信孝)は斎藤利三勢に攻められるも中川清秀が横合より斎藤勢を
攻めたため、利三は敗れて落ちていった。合戦が済んで後、信孝は瀬兵衛清秀の手を取って戴き、

「今日、親の仇を討ち取ったのも、まったくそこもとの武功ゆえ!」と、感涙を流して感謝された。
その時、秀吉は駕籠に乗ってその様子を見て「瀬兵衛瀬兵衛、今日は骨折り骨折り」と言いながら

通り過ぎた。清秀はこれを聞き「筑前、早くも天下を併呑する気象あらわれたり」と申したという。

――『改正三河後風土記(柏崎物語)』


今川の ながれの末も絶えはてて

2018年09月16日 17:27

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/16(日) 14:19:10.26 ID:BFVsBUOo
天正10年の甲州征伐を終えた織田信長は富士遊覧の後駿河へと回り、駿府に到着すると
そこでは徳川家康が假屋を宜しく立ち置き、一献を進められた。

その頃は卯月の十日あまりであったが、今川義元が植えさせたという千本の桜も、花はすっかり
散り去っており、信長は「植え置きし主の栄えも、このようになってしまったな。」とつぶやき、
続けて思い浮かんだ一首を詠んだ

『今川の ながれの末も絶えはてて 千本の桜ちりすぎにけり』

(甫庵信長記)

ここから信長の「桜」が散るまで、4ヶ月あまりであった



信長は彼が陪臣であるにもかかわらず

2018年09月15日 19:05

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/15(土) 13:14:52.04 ID:134JHZze
天正9年3月26日、若狭の逸見駿河守(昌経)が病死した。彼の所領は八千石であったが、
相続すべき実子が居なかったため、織田信長の命により、そのうち三千石は武田孫八郎(元明)へ、
残りの五千石は溝口竹(秀勝)に与えられた。この溝口は後に受領して、伯耆守と名乗ったが、
彼は惟住五郎左衛門尉(丹羽長秀)が幼少の頃より取り立てた者で、普段より正意誠心にして
武道を心がけ、何事にも心を尽くす人物であったため、信長は彼が陪臣であるにもかかわらず、
五千石を与えたのである。

このように信長は、陪臣であってもそういった人物であるなら賞禄を与えたため、彼の配下は
上下の区別なく功に励むこと、日々新にして、日々に新に、また日々に新たなりとも申すような
雰囲気であった。

(甫庵信長記)

直接の部下でなくてもきっちり評価してくれる信長公であった。


汝の不明は私の不明

2018年09月14日 10:36

139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/13(木) 22:27:15.75 ID:pFVibWI+
ある時、織田信長の元へ、村井長門守(貞勝)が、鏡屋宗白という者を召し連れ、
彼は手鏡を信長に献上し、御礼申し上げた。

信長はこれを取り上げて眺め
「非常に明白な鏡だ。願わくば心の善悪も見ることの出来る鏡であればなあ。
世の癖として、諸侯大夫、寵臣たちの為したことは、良いことも悪いことも、
人は皆極端に語るために、却って心を暗ませるという事が、日々月々に悪化している。
しかし行いの悪さを諌めるという事はしない。
そういう事に左右されない諫臣を求め得なければ、政道の実態を聞くことは出来ないのだ…」

などと物思いにふけりながら、ふと鏡の裏を見るとそこには『天下一』と銘があった。
これを見て信長たたちまち気色が変わった

「去る春、どこかの鏡屋が献上してきた鏡にも、裏に『天下一』と銘があった!
『天下一』はただ一人であってこその、一號にてあるべきなのに、二人あるというのは
猥りというものではないか!
これ偏に長門守、お前の不明より起こったことだ。そして汝の不明は私の不明なのだぞ!」

そう、殊の外悔やむ様子であった。

(甫庵信長記)


腹も背も切るる計に笑ひつつ、息しもあへず臥轉び給ひけり

2018年09月11日 17:17

275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/10(月) 21:40:00.05 ID:kgqM6l2n
織田信長が有る時。安土城の御物預かりの者を召して、

「(信長の御物である)武具小袖、錦糸扇子等を、価値の高い順に千種広間に並べ置くように。
楠(信長の右筆である楠木正虎か)は給人帳(信長が禄を与えた者を記録したもの)を持ってくるように」

と命じた。
翌日、「その事調い候」と申し上げると、信長は給人帳の上下を切って、真ん中の紙に
千種広間に置かれた御物を書かせた。それが終ると三つに別れた給人帳を再び元に戻し
これを開くと、そこには

『扇筒井順慶』『小袖十村田吉五』『馬正林坊』

という具合に、御物と給人の名前が並んだ状態になっていた。

これを見た信長は「こんな高下(ランク付け?)になったか!」と、お腹も背中も切れてしまうかと思うほど
大爆笑し、あまりに笑いすぎて呼吸が苦しくなり倒れて転がる有様であった。
(斯様に高下ある事よとて、腹も背も切るる計に笑ひつつ、息しもあへず臥轉び給ひけり)

万座も一入興に入り、笑いを含んだという。

(甫庵信長記)

御物の名前と家臣の名前をドッキングさせる遊びが信長のツボにはまって、呼吸困難になって
ヒーヒー言いながら転げ回るくらいに爆笑したらしい。ちなみに名前とドッキングした御物はその者に与えられたそうで。

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/11(火) 06:08:45.23 ID:shsob15l
>>275
かわいいな
上司にしたい

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/11(火) 13:11:12.76 ID:OkP/KYSh
>>275
何がそんなに面白かったのかわからんw

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/11(火) 18:56:19.42 ID:bJM+QjnP
惟任日向(・・・今なら言上しても殴られないかな?)

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/11(火) 19:00:52.86 ID:ucgBqjD7
>>277
御物と大名小名たちの組み合わせのギャップでしょ

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/12(水) 00:26:40.23 ID:7ozAjbvN
絶対周りも空気読んで愛想笑いしてる

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/12(水) 00:56:06.11 ID:zs9vkfK6
ちゃんと物をくれるあたりがさすが信長

一生の期はここにあり

2018年09月06日 21:10

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/06(木) 07:40:35.46 ID:4nhJDA70
織田有楽の子、河内守(長孝)の所へ出入りする浪人に鈴木道休という者があり、彼は以前には
侍の役も勤めた者にして、大名貴人であっても侮らせないものがあった。

或る時、河内守の所にて人々寄り合い咄の有った時、河内守弟の左門(頼長)が鼓を鳴らした。
道休はそれを褒めたのだが、その褒め方が気に入らなかったのか、左門は鼓を道休に投げつけた。

道休もさしもの者故、その場にて左門を討ち果たそうとしたが、大勢が押し留めあつかいとなり、
その場は治められた。

道休はこの時不首尾に終わったため、返報の機会を待っていたが、その冬、大阪冬の陣が起こった。
織田左門は大阪城へ向かい、道休はこれをつけた。しかし左門は大名故に、道中で襲撃すること
叶わなかった。ここに於いて道休は思い究めた

「私は既に年老いている。もはや左門を討つ機会はないだろう。明日は左門が城中に入ってしまう
以上、一生の期はここにあり!」

そう言って、枚方において切腹した。

その後、織田左門はどう思ったのか、無頼漢と成り、冬の間城中に於いて戯け者となって、牛の角に
金銀の箔を貼り、自身はその牛に乗り、遊女にその牛を引かせるなどした。故に城より追い出され、
左門は入道して雲生寺と号して、武士を止めたという。

(士談)



98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/06(木) 10:15:29.07 ID:Ww/zjHKh
かぶいてるな

『運は天に在り、生死は定まる』

2018年09月05日 21:22

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/04(火) 23:29:30.08 ID:NGVt5dhV
天正2年の長島攻めの事、織田軍の荒川新八郎は度々駆け合い、何度も敵を突き退けたため、
非常に疲労しある堤に腰を掛け休息した。そして喉が渇いたため堤より下りて水を手で汲んで
飲んだ所、彼の兜の前立てに付けられていた『運は天に在り、生死は定まる』という文字が
水鏡に鮮やかに映った。

これを見て新八郎は一際心も励み、気も猛くなりて、また取って返し敵陣に駆け入り、比類なき
働きをして討ち死にした。

この時、休息してそのまま引いていれば、命に別状無かっただろう。しかし日頃の志を印として
付けていたため、これを感じこのように剛操な行為を行ったのである。

そして彼のような勇猛な働きが有ったが故に、長島は陥落し、北伊勢五郡を副えて滝川一益へ
与えられたのだ。

(士談)


幾程命伸びた所で

2018年09月04日 17:48

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/04(火) 06:42:27.78 ID:NGVt5dhV
天正2年、織田信長による長島の凶徒退治の時、貴族(信長の一族)多く討ち死にした。
その中に津田市助信成(織田信成)もあった。

信成の乳母人に小瀬三郎次郎清長という者が居たが、彼はこの時体調を崩し、陣屋に伏して
治療養生を受けていたが、信成討死と聞くと、物の具を着けて打ち出ようとした。
彼の郎従たちは「このように所労甚だしいのです、どうかお止めください!」と止めたが

「幾程命伸びた所で!」

そう言い捨て「何れの軍勢が信成を討ったのか」と問うと、振り返りもせずそこへ駆け入り、
馬を乗り放ちて敵5,6人を切り伏せ、自身もずたずたに成って討ち死にした。(我身もずたずたになりて打死す)

この小瀬は織田造酒丞の嫡男であったが、小瀬三右衛門尉の養子として家を継ぎ、尾張春日井郡小幡郷にて
五百貫を領していたが、極めて貧しかった。
その頃、柴田勝家が江州蒲生郡を領しており、「三千貫を参らせるほどに柴田をたのまれよ」と
彼の寄騎になることを誘われたが、

「代々市助家の家臣であり、どうして禄が豊かだからといって他に忠を成すでしょうか」

そう固く断り義を失わず、ついに戦死の功を顕した。

(士談)



86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/04(火) 16:18:14.14 ID:yCWOoY3D
信長の弟が生きてたらまた違った歴史になってたな
特に信與は有能だった、一番信長に愛された弟だ

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/05(水) 05:04:27.82 ID:NdrGecMC
最後が消えてる

90 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/05(水) 14:25:45.77 ID:FXDdffr9
>>88
投稿者です。下から2行目の「 は入力ミスです。申し訳ない

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/05(水) 15:57:05.24 ID:u9h/GRwu
信長の弟、一向一揆とのだから戦いで死にまくってるよな。
なのに信長は顕如が降伏してきたら、あっさり許してるし。
信長ってイケメンキャラだよな。

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/05(水) 20:56:23.57 ID:MWzlI9b3
信長に家族愛とか一族愛とかあったのだろうか。
家臣や領民を労わったり情を示す話はいくらかあるが、一族に対しては聞いたことがない。
息子にすら、思いつきで変な名前つけるくらいだし。

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/05(水) 21:07:21.63 ID:VF4CIbvP
長島一向一揆で弟殺した一向勢皆殺しとか?

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/05(水) 21:10:53.91 ID:G228q1j6
>>92
なんだかんだ、一族をそれなりには重用したよ。

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/05(水) 22:34:52.10 ID:1WbwG0Kh
>>92
反抗した義兄と弟は一度は許してるね

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/05(水) 23:24:33.42 ID:V05fc2qi
あの時代武士の子なんて親兄弟とは大して会わないからそんなに親愛の情もないだろ
恒興とかの方が関係深そう

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/08(土) 07:58:29.66 ID:2tdKSWZ8
>>92
息子の名前についてはありきたりな名前で無い所に
信長なりの愛情を感じないでも無いかな
信雄の伊賀のやらかしで思いっきりブチキレこそしたけど
実際に縁切りや処罰までは至ってないし

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/08(土) 10:03:17.08 ID:P3EW1Rpx
>>92
家族親族に甘々で有名なんですが?

武器がなくてもどうということのない伊東七蔵さん

2018年09月01日 21:24

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/31(金) 23:21:25.07 ID:Nd9a42yo
織田信長が江州小谷城を攻めた時、織田方の伊藤七蔵は一番に乗り上がった。
しかしこの時、七蔵の上帯を下人たちがしっかりと掴んで彼に続いていたのだが、
それに耐えかね上帯が切れ、彼の刀脇差も下人たちと共に落ちた。

しかしそんな事で
伊藤七蔵は少しも動揺せず、無刀にて塀を乗り越え、傍らの柵の木を取って
3人打ち伏せた。

この事は無類の剛勇であると、信長も大いに感じ入ったという。

(士談)

相変わらず武器がなくてもどうということのない伊藤七蔵さんであった。



246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/31(金) 23:34:53.60 ID:jNOLOAtT
やはり丸太は最強・・・

真実無妄の誠を以って

2018年08月28日 18:44

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/27(月) 21:33:24.49 ID:FERgEUgq
天正7年(1579)11月3日、二条御新造の御所が完成し、織田信長は則ち四伝奏を以て奏聞あって、
皇太子誠仁親王へこれを奉った。
同じく22日に、式掌の御移徒(わたまし)があった。その後信長は参内したが、このとき親王に夥しい
捧げ物が贈られた。
かくして信長は妙覚寺において巻物、板の物二千端ばかり包みおき、近習外様の人々を召し寄せ、
それぞれに下された。

12月6日、山崎方積寺に至って御座を移されたが、俄に大雨があり両日逗留した所、八幡宮の木桶が
朽ちてしまったことを申し上げると、「唐金を以て鋳てまいれ」と、武田左吉、林甲兵衛に仰せ付けた。
また同所において片岡鵜左衛門尉が、周光香炉を所持していたのを召し上げ、対価として銀子一千両を
下した。

同17日、各方面において苦労をした諸侯大夫を慰るとして、天下一共の藝者を揃え、桟敷を作り、能を
仰せ付けた。そして桟敷桟敷へ四日の間、毎日食事として折二十合、柳五十荷づつ賄うようにと
京中に宛行わせ、その代金として黄金二百両を下した。そのほか見物の下々へも食事を配り、
寒飢を補った。
これぞ一河の箪醪(河に酒を流し兵士たちと分かち合う中国の故事)ではないか。

これは五逆罪の荒木村重に対し、幾程もなく御本意に達せられ天下静謐に帰した悦びの為であると言われた。
総じて信長は強いて神仏に祈りをかけることはせず、自ら真実無妄の誠を以って祈られた。
誠に今の世には稀なことである。

同じく20日、天下の仕置等仰せ付けられ安土に帰城したが、この時も京中に八千石、安土の町中に三百石、
酒を食べよと下された。

(甫庵信長記)

凄まじいほどに気前の良い天正7年の信長公であった




230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/28(火) 15:16:21.53 ID:uouo1Z/w
>>229
>信長は強いて神仏に祈りをかけることはせず、自ら真実無妄の誠を以って祈られた。
宮本武蔵かな?
今じゃすっかり神仏に祈願するのが当たり前になっちゃったけどこのころはそうでもなかったのかな

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/28(火) 15:21:28.83 ID:FA447Pf0
苦しい時の神頼み

信長公、検校からの罰金で

2018年08月26日 18:14

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/25(土) 22:11:53.36 ID:vdaAkkxv
摂津国兵庫の町人に、常見という、飽きるほど富み楽しむ者があったが、一生の間財産を減らさず
生きていく方法を考えた結果、検校の仲間に入り、その配下である座頭達からの配分を取れば、
そんな商売よりも効率的であると思い付き、すぐに良きように工作し、検校中へ本銭千貫を出して
その中に加わり、検校職と同じように、座頭からの配分の下りものを受け取った。

しかし配分を取られる側の座頭たちは、このように法度の濫用を行えば、果ては町人の過半が検校職を
持ってしまうようになると思ったものの、検校たちが一味して計ったこと故力及ばず、すでに数年、
その状況が変わらなかった。

そこで座頭たちはついに「織田信長公の正しき御制断を頂き、年来の愁眉を開き、先規のように
戻すべし」と衆向一同したため、信長に直訴を遂げた。

信長はこの訴えを聞き、暫く馬を止め内容を右筆に一々書記させ、
「申し状の如くならば不便の次第である。訴えどおりに計らうべきである。」
そう言って、直ぐに検校中へ問い合わせた
「云々の事聞こえあり、これは事実か?」
「左様候」

そこで信長は命じた
「法令を乱す事、悪行の内何がこれに過ぎるだろうか!されども盲目であるので斬刑まではしない。
検校の位をすべて剥奪する。今後再び、昇進のための功を励むように。」

これを村井長門守より申し付けられると、検校中は非義極々としたが弁解することも出来ず、
後悔してももはや及ばず、「御憐を垂れられて宥し置かれますように」と、五山僧侶を頼み
嘆き申し上げた

これに対し「ならば懈怠として黄金二千両出すべし」との事になり、検校中は畏まり、悦んでこれを出した。
すると信長は「ならば此れを以て宇治橋を掛けよ」と、宮内法印、山口甚介に命じて架橋させた。
翌年6月、橋は完成し、上下の往還安らかにしてその恩恵を楽しむ声、さらに洋々であった。

(甫庵信長記)

信長公、検校からの罰金で宇治橋を掛ける



221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/26(日) 20:20:32.18 ID:dncSpBoR
>>220
ただの名君じゃねーか!

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/26(日) 20:38:18.91 ID:Jwmeqw3a
やるなノブ

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/26(日) 21:29:24.28 ID:W3LlOJZ8
ノッブは日本改造論の初代だな

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/27(月) 10:31:04.77 ID:KYawnVbX
ノブ君の野望

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/27(月) 10:37:22.65 ID:Sse4I+gN
腐儒の甫庵著作出展だからこれは疑わしいゾ

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/27(月) 10:58:29.01 ID:xKUTCWuX
検校の話はこれとほぼ同じ内容で牛一の信長公記にもあるぞ

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/27(月) 13:11:04.51 ID:rhnB8gQ5
宇治橋ってすぐに壊れたの?

右府信長公は末世において稀なる大将

2018年08月22日 19:24

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/22(水) 18:21:57.45 ID:LwZBVn2t
織田信長は若年より弓箭を業として長じ、今天下を平らげたが、戎夷猶属せざるもの多かった。
そのため昼夜天下一統の事業のため暇なく、士の賞罰、国の安否、おおよそそういった物ばかりで
心安らぐこともなかった。

しかし、多くの場合己の功に誇って、古き事などは嘲り要らぬことと思うのが世の常であるのに、
信長は古き政に心をかけられ、それを知る者には様々に尋ねた。これは絶えてしまったものを継ぎ、
廃れたものを興そうという心からであった。
中でも、右筆である二位法印(武井夕庵)には特に尋ねること多く、夕庵も事に触れて信長を諌めた。

或る時、夕庵が申し上げた
「朝廷の節会が久しく廃絶して、中老以下の者では礼楽の事名も知らず、勿論見聞など夢にも
経験がなく、哀れにもその様になって十年あまりも過ぎたため、我が朝の礼楽は跡形もない
有様です。
国家を治めるには礼楽の正しきを以てする事、和漢の流例であり、哀れにも浅ましいことです。」

こうしめやかに語った所、信長がそれを痛ましく思う表情は、涙もさらに咽び顔であった。
上下万民を一子として天下を慰撫したいと二六時中励んでいるその耳に、どうしてその言葉が留まらない
事があるだろうか

「直ぐにお前たちで対策を計るように。そういった事は誰に問えば良いのか?」

「何と言っても、禁中伺候の老者たちでしょう。」

そこで誰彼と人の薦めるにまかせて問いただし「先ず何から初めて興行すべきか」と
詳細を求め、菅屋久右衛門尉(長頼)、武井夕庵を以て夫々改めた。
節会、あるいは謡物などにおいて、中老以下の諸卿殿上人も、まるで今はじめて稽古するようで、
大変趣深かった。

このようであったので、貴賤おしなべて、この右府信長公は末世において稀なる大将であると
誰言うと無く諷した。

(甫庵信長記)

古を尊び旧来のものを復興する事に熱心な信長



201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/22(水) 19:22:27.49 ID:EP5h4uYx
>>200
意外と皇室を大事にしてるんだよね~。

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/22(水) 20:46:30.27 ID:hlLUN9am
朝廷・公家に対してラディカルにめちゃくちゃやらかすのは秀吉のほうがよほどひどいのに、
なぜかそのイメージが信長についちゃっているんだよなぁ。

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/22(水) 22:15:31.40 ID:Hw58TqZF
まるで儒者だな
国学者の書いた創作の文ではないか?

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/22(水) 22:42:27.63 ID:CBq0+MkX
朝廷にこまめに献金してた=皇室の権威を重んじていた大名って、毛利家と織田家ぐらいしかわからん。
朝廷が間に入れば両家の和睦ができたんじゃねえかと思う。

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/22(水) 23:32:48.70 ID:3GVdf7rN
信長以前は大内が莫大な献金してた

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/23(木) 07:46:09.66 ID:0Yr8qeZS
信長のは親父譲り