【佐久間盛政、前田利家に戦功を譲る】

2016年08月11日 13:48

55 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2016/08/10(水) 20:06:22.68 ID:kv4aHxC0
佐久間盛政前田利家に戦功を譲る】

清須会議の後、能登では有力寺院の天平寺が織田家に敵対し、越後へ亡命していた国人衆を呼び戻して挙兵した。
天平寺は要害の石動山を本拠地とし能登の国人衆に強い影響力を及ぼした強大な組織であり、北陸で猛威を振るった一向一揆が能登国に浸透しなかったのは、天平寺の存在があったからだった。
織田信長が存命だった頃、織田家は天平寺の寺領の大半を没収した。
また能登国人衆の温井家や三宅家などは織田家に降ったが、彼らに恨みを持つ長連龍に攻撃されて逃亡し、故郷へ戻る機会を窺っていた。
上杉景勝は能登へ戻る国人衆に兵を貸し、さらに後詰の軍勢を派遣する準備を進めた。
反織田家の軍勢は、能登と越中の国境にある石動山と荒山に籠り、荒山では既存の砦の改修工事を始めた。

当時の上杉家は宿敵だった北条家と和睦の交渉を進めて背後を固めていた。
上杉家が越中・能登の反織田勢力を糾合して北陸方面軍と対決するには都合の良い時期だった。
本能寺の変の直後に信長の元馬廻り衆だった前田利家が明智討伐よりも能登に留まることを選んだ事実を考えると、北陸の情勢は深刻で荒山合戦は北陸の勢力図を塗り替える可能性が
あったかもしれない。

天平寺が挙兵すると、前田利家は柴田勝家と
佐久間盛政に応援を要請した。
要請を受けた盛政からも柴田勝家に事態を報告すると共に、情勢が逼迫していたため直ちに出陣した。
盛政と拝郷家嘉は、僅か二日で兵を集めて荒山の近くの高畠という土地に入った。
この時点で荒山の砦の工事はほとんど進んでいなかった。

拝郷家嘉の居城は加賀南部の大聖寺城で、
兵の召集から現地入りまで二日は驚異的
な速さになる。
おそらく盛政たちは天平寺の挙兵に備えて、
予め兵を集めていたのだろう。

盛政と拝郷は現地の人々の協力を取り付け、荒山の砦改修の情報を知ると、直ちに出陣して荒山へ向かった。盛政は斥候を出して状況を把握すると、反乱軍の主力数千人が籠る荒山を猛攻撃した。佐久間勢の猛攻を受けて敵軍の指導者は尽く戦死。
指揮官を失った敵軍は敗走して石動山へ向かったが、退路に回り込んだ拝郷勢に捕捉されて壊滅した。

友軍を失い孤立した石動山は前田利家
制圧して反乱を鎮圧。
上杉軍が送った援軍は間に合わず撤退した。
合戦の結果、織田家は能登と越中北部から
上杉家の影響力を排除することに成功した。
その後は佐々成政と傘下の越中国人衆が
独力で上杉軍を抑え込み、
北陸の情勢は安定した。

荒山合戦における佐久間盛政の働きは、
350年後に日本陸軍の戦史研究チームから絶賛された。
『第九師団管古戦史』では、参考にした
史料群から佐久間盛政の働きについて、
・事態を想定していた。速やかに出陣した
・現地の住民を味方につけた
・戦機を見逃さなかった
・諸将とよく協力した
・手柄を前田利家に譲った
(佐久間勢が討ち取った敵将たちの首を、
盛政は前田利家に譲った。
能登を安定させるためか)
等々を挙げ、盛政の采配と戦術眼を高く評価した




56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/10(水) 20:38:48.25 ID:BlSChZfX
>>55
>・手柄を前田利家に譲った
ほんまかいな…?家臣や兵士が反乱起こしそう。

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/10(水) 22:02:11.36 ID:0rKTAGi4
柴田が諭したんじゃね

58 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2016/08/10(水) 23:46:30.98 ID:Aep4nCw4
>>56
書いてあるとおり能登を安定させるためじゃないかな~

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/11(木) 02:48:55.26 ID:d07OqDCz
で 350年後の陸軍の連中はこれを手本と出来たのかね

60 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2016/08/11(木) 03:09:01.69 ID:u+mu/5nD
>>59
どうだろうね。
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「軍兵どもはかがむな!当たらぬものぞ!」

2016年06月16日 12:26

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 04:22:34.61 ID:qyrPuhLC
大納言様(前田利家)も折々御話になり、戸田武蔵殿(勝成)や猪子内匠殿(一時)
なども御話になったことである。

信長公の御時代、柴田修理殿(勝家)、森三左衛門殿(可成)、坂井右近殿(政尚)は
各々が意気盛んな言葉を申した武辺者であった。

鉄砲の玉が撃たれ来る時、柴田は立ちながらおられて、「軍兵どもはかがむな!
当たらぬものぞ!」と、御申しになった。

一方では、三左衛門殿と右近殿などは、「柴田じゃというても絶対に当たらないなんて
ことはない。武者というものはかがむ時はかがんで、鉄砲や弓矢に当たらぬようにし、
攻め掛かる時は押し開き、何にも構わず掛かるものである」と、申された。

これに大納言様は、三左衛門殿や右近殿などの言い分は功者であると仰せられた。

――『亜相公御夜話』



851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 06:55:04.08 ID:t3AlYHdJ
>>850
柴田は脳筋だから付き合いきれなかった、というお話しですね

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 07:01:00.39 ID:t8BHoxnC
勝頼は脳筋じゃねえだろ

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 07:01:32.26 ID:t8BHoxnC
あ、勝家だった。富田さんのところいってくる。

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 08:11:20.86 ID:FrL4idmq
狂犬の話かと思った

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 15:00:01.08 ID:krlDiNlY
戸田勝成に猪子一時って織田家の古株なんだな
知らなんだ

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/16(木) 21:35:19.91 ID:H0UyalCR
>>850
鬼武蔵は親父の言葉どおりしゃがんでたのかな
それで撃たれて死んだならかなり恥ずかしいな

死せるエムベロルの妻の弟なる柴田殿

2016年02月18日 18:02

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/18(木) 16:53:07.51 ID:gfgaEMBE
死せるエムベロル(織田信長)の妻の弟なる柴田殿(Xibatodono)は、信長の遺族中、最も近い
親類であったが、羽柴藤吉郎の行為を快からず思い、力を極めて彼に抵抗した。ここにおいて、
藤吉郎は柴田殿を滅ぼさんとその居城を囲んだ。

柴田殿は突然攻撃を受け、免れる事ができないのを知り、将士を尽く集めて言った
「卿等は予の窮境をしらん。予は残虐なる暴王に屈せんよりは、むしろ自殺せんとす。
予の願う所は、予が死したる後は卿等が予を火葬するにあたり、不人情なる叛乱者をして
誇らしめるべき何者をも残さざるように成してほしいという事である。
卿等は生命を保たんがために如何なる談合を成すも可なり。」

しかし万座の者達は、柴田殿の決心を賞賛し、みな柴田殿の例に倣わんと決心した。

柴田殿は彼らの忠義に感じ、この世の別れとして宴をおこない、食卓上には様々な肴を具え、
ある限りの楽器を鳴らし、彼らの好む茶、および酒を飲み交わし、かくて饗応も静まるころ、
彼らは起きて各種の燃焼物を部屋に満たし、これに火を放つと、焔煙は屋を貫いた。

ここにおいて、残酷なる饗宴が始まり、柴田殿は先ず妻子、僕婢を刺殺し、あるいは重傷を負わせると、
彼の諸将もこれに倣って同様に親族従者を殺した。次に彼らはこれらの死骸を火中に投じ、その上に立ちながら
切腹して果てた。

時に藤吉郎は、城中に火災が起こったのを見て、偶然の失火だと思い好機を逸してはならないと
総攻撃を命じたが、門といい城壁といい何らの戦備も抵抗もなく、ただ未だ焼け終わらない
数個の死骸を見たのみであった。

藤吉郎は柴田殿の城を陥れて都に帰るや、最初の名の藤吉郎のみならず羽柴の名も改めて、
関白殿、すなわち日本の最上卿と称し、1594年以降は太閤様と名乗った。すなわち大エムベロルの事である。

(モンタヌス日本誌)

モンタヌス日本史より、柴田勝家の最期についての記述である。



彼を味方に引き入れよ

2015年02月02日 18:44

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/02(月) 17:18:46.62 ID:v46v+ulg
賤ヶ岳の合戦の前、羽柴秀吉は湯浅甚助を呼び出しこう命じた
「汝は長浜に参り。柴田勝家の養子の、伊賀守勝豊の与力共に近づき、弁舌を以って彼を味方に
引き入れよ。伊賀守は、内々、佐久間(盛政)と不和であり、それ故に勝家にも恨みを持っていると聞く。
これ畢竟の幸いである。

何故汝を差し寄越すかといえば、前に長浜城を引き渡す時、伊賀守の家老与力らと、互いに親しく
語り合っていたためであり、それ以上に深い仔細があるわけではない。」

これに湯浅畏まり、長浜表に至って、勝豊の家老・徳永石見守、並びに与力の大境藤八、疋田左近、
山路将監、木下半右衛門、神谷越中守らに対面して、

『今度味方に参られれば、皆様は大名に取り立てられます。ことさら伊賀守様に対しては、
秀吉からは、以前より内々ご入魂に語り合う仲で、今以って些かも疎遠にしようと思っていないので、
各々が進めて秀吉に力を合わせるということになれば、先ずは当分の賞として越前国を参らせ、
その上で時期を見て、北國の総大将に取り立てたいと考えていると言われました。
それ故に、このようにあなた方に申し入れたのです。』

甚助はそのように弁舌を振るい、朝夕に親しく語りかけたので、やがで各々も同心し、主人勝豊に
秀吉の考えを詳しく申し述べて、それに同調するよう勧めた。
しかし勝豊はこれを聞くと
「秀吉がいかに懇切に申されると言っても、父に向かって弓を引く道理があるべきものか。」と
それを喜ぶ気色は全く見えなかった。

それでも右の者達は、勝豊の前に代わる代わる進み出て
「殿の仰る通り、父子に仲違いが在ったからと、敵方に与力遊ばされるのは、我々が無道であるかのように
思われることでしょう。

ですが、殿にはご病身であられる故に、かねがね勝家公の御前も遠ざかられ、父子の御仲も疎遠に
なられたように見えます。
一方で佐久間(盛政)殿は、加州表で優れた働きがあったため、大身と成られ、家中の者達も
甚だ以って尊崇しております。

それに引き換え、殿は勝家公には疎まれ、家中の面々にも、有り甲斐もなく思われており、何の
御面目がありましょうか。

その上勝家公には、御実子である権六殿もいらっしゃいますから、行く末も良き事はないでしょう。
また、勝家公は武略知謀も類ない方ですが、現在は御簾中と成られた小谷の御方(お市)の容色に
耽られ、軍の駆け引きも、以前と違いはかばかしいご方便も無いように見えます。

一方の秀吉公の業績を見るに、知謀勇決は古今に優れ、民を憐れむこと堯舜の如くであり、
殿が日頃から彼と昵懇であるのは幸いの事です。今度の招きに応ぜられ、御合力なされば、秀吉も、
よもやその恩賞を忘れることはないでしょう。行く末北国の総大将と成り給われば、誠に以って
目出度き事ではありませんか。
例え殿がご立身なさらなかったとしても、今度の合戦に秀吉公がお勝ちになる事、鏡に映すように
見えております。
また、無道の父を討ってその子を取り立てる事も、和漢にその例多くあります。

とにかく、行く末頼もしからぬ勝家公に従うよりも、秀吉に与する事こそ、然るべきと存じます。」

このように、様々な言葉で勧めたため、勝豊も終に欲心に引かれ本性を取り失い、
「私もよく考えて見れば、汝らが言うところ、尤もに思う。この事、良きに取り計らうように。」
と認めたため、家老与力の面々大いに喜び、急ぎ湯浅を招いて同心する旨を語り、宜しきように
頼み入ると述べたため、甚助は「仕済したり」と早々に帰り秀吉に報告すると、大いに喜ばれ、
勝豊に来國實の太刀に金子三百両を添えて贈り、その他家老・物主(指揮官クラス)達にも、名作の太刀に
黄金を相添えて先々の事も含めて、当座の褒美として贈った。
(余吾庄合戦覚書)

秀吉による、柴田勝豊寝返り工作についての記事である。



352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/02(月) 18:37:02.40 ID:QJ6jOJwH
秀吉「幼君担いじゃったけど、異心とかないから。」
柴田「異心ないなら、お前さんの近江の本拠地である長浜城もわしによこせよ」
秀吉「おうあげる。ただしお前さんの息子の勝豊さんを城主にしろ」
柴田「いいとも。よっしゃ、秀吉の居城を奪ったったわw」

秀吉「ねえ、ぶっちゃけ俺と組まない?」
勝豊「えっ」
秀吉「あんたにあげた長浜城って長年俺の城だったからさー、あんたが知らない城の弱点とか抜け道とか全部知ってるんだよね」
勝豊「えっ」
秀吉「戦になったら一瞬で城を奪えるってことよ。親父さんは雪で支援にも来れないしさ、降伏して俺の仲間になんない?」
勝豊「えっ」
秀吉「知ってるよー、親父さんと折り合いがよくないってこと。後継者レースで旗色悪いんだってね。俺のとこに来たら柴田の家督はあんたに継がせるけど。」
勝豊「降伏します」
秀吉「よっしゃよっしゃ」

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/03(火) 19:55:20.58 ID:wH2fpVQL
>>352
映画 清州会議見た後だとやっぱ勝家ってアホだなと思ったw

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/03(火) 20:15:23.98 ID:9SXo73QX
そりゃ映画はそういうキャラ造形してるだけの話だから

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/03(火) 20:52:28.59 ID:VHdjDGxt
信雄ェ…

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/03(火) 21:44:47.01 ID:UPmazaXR
信雄なんてうつけを演じて生き永らえたからな
お陰で阿呆の役柄になっとる

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/04(水) 12:49:50.16 ID:8X7Rn/qa
>>357
うつけを演じてなければ大織田家の跡取りになれたかもねww

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/04(水) 13:00:16.44 ID:LIUZm0by
やっぱ鼻の毛が足らんかったんや

フロイス書簡から、柴田勝家の最期

2015年01月20日 18:43

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/20(火) 15:42:47.78 ID:0TlXsLFW
もうすぐセンゴクの勝家が死にそうなのでフロイス書簡から勝家の最期

六月三日、羽柴は勝利を保ちつつ全軍をもって越前国に侵入し、
柴田がわずかな手勢と共に逃げ込んだ北庄の城を包囲するに至った。

彼はすでに六十歳になるが、はなはだ勇猛な武将であり、また一生を軍事に費やした人である故、
広間に現れると彼に侍していた武士たちに向かって、
「予がここに入るまで逃れてきたのは武運によるものであって、予が臆病なためではないが、もし予の首が敵に斬られ、
 予と汝らの妻子や親戚が侮辱を受けるならば、我が柴田の名と家を永久に汚すことになる故、
 予はただちに切腹し、この身は敵に発見されぬよう焼かせるであろう。
 もし汝らに敵の赦しを得る術があるならば、その生命を永らえさせることを予は喜ぶであろう」
と簡明に語った。

一同、
「武士のみならず、その妻子までがことごとく必ずや彼に倣い、来世まで随従するであろう」
と答え、柴田はこれに対し、
「汝らが速やかに決心し、予と同じ意志であることを大いに喜ぶが、
 ただ心苦しく思うのは汝ら一同の予に対する愛情に報いる術がもはや今生においては得られぬことである」
と言った。

そして彼は数多くの馳走を運ばせて彼らに振る舞い、酒を飲んでは楽器を奏して歌い、
大いに笑い楽しむ様はあたかも戦勝祝いか、夜を徹しての宴のようであった。
城の各部屋と広間にはすでにたくさんの藁を積み、戸も窓もことごとく堅く閉じ、
城を包囲する敵に向けて城内から銃を一発も撃たなかった。
城外の兵士らは内からまったく武器の音がせず、陽気な歌声が盛んに聞こえてくることに驚いた。
事ここに至って柴田は藁に火薬を撒き、家屋が燃え始めると誰よりも早く、信長の姉妹で数ヵ月前にめとった妻と
その他一族の婦人たちを殺し、続いて短刀で己の腹を十字に切り、その場で息絶えた。
他の武士および彼と共に内にいた残る人々も皆、同様にまず己の愛する妻子を殺した。
すぐさま前述の歌に代わって、はなはだ大きな悲鳴と鳴き声が聞こえ、燃え広がる炎が生ずる音よりも高く恐ろしげであった。
彼らは幼い子供たちの年齢や涙を少しも顧みず、全員を殺した後、ある者は自らの手で、またある者は互いに差し違えた。
そして、この痕跡を消すべくただちに火の手が回り、同署にあった憐れむべき亡骸を焼き尽くした。
羽柴やその他の敵に城内で起こったことを完全に知らせるため、柴田は死ぬ前に諸人から意見を徴した上で、
話術に長けた身分ある老女を選び、右の出来事の一切を目撃させた後、城の裏門から出して敵に事の次第を詳しく語らせた。
こうして、信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将であり果敢な人がこの地で滅び灰に帰した。




柴田勝家の肖像画

2014年01月25日 18:39

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/25(土) 06:29:53.95 ID:iQ6lVeQj
柴田勝家の肖像画

賎ヶ岳の戦いに敗れた柴田勝家は北ノ庄に落ちると、城下の僧を呼び寄せ敗残の将の姿を描かせ城を枕に自害を果たした

現在、柴田勝次郎氏の所有する柴田勝家の画像は有名だが保存状態が悪く、あちこち欠損しているために胴や袖の細部が判らない部分が多かった

しかし同じ絵の写本とされるものが江戸時代に纏められた『本朝名将百図』に残されている

図版の「柴田勝家図」はちぢれ毛(天パ調?)に破れ袖、膝の脇には前立付きの兜も描かれている他に
腕や臑、足は剛毛で被われ
注釈には「面赤メ」等といった書き入れも見受けられる

写しのために原本と景色が幾分変わるかも知れないが
当時の人名の判る武将像を伝える貴重な史料と思える

※絵の兜の前立は有名な連鳥の家紋に脇立の着いた物ではなく、三つ柏葉?の様なもの

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/25(土) 06:35:36.13 ID:iQ6lVeQj
『本朝名将百図』の肖像画は「柴田勝家」で画像検索をすると
陣羽織無し・龍の絵の描かれた鎧の像として出てきます





柴田殿の分別類いなし

2013年04月07日 19:03

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/06(土) 20:23:19.27 ID:uiONzrgf
柴田修理亮勝家が越前を領した年の事である。

その城下に、美々しいなりをした60ばかりの老婆が、人を数多召し連れ宿を取った。
この老婆は城下の者達に

「人の妻女を押し取って都に登らせる、その邪魔をする者あれば処罰いたす!」

と言い、実際に5,6人のものがこの老婆のもとに拉致された。これは下々の者では解決できないこであると、
領主である勝家に訴えが上がり、勝家は

「なんという奇妙な事件だ。急ぎこの者たちを連れて寄越せ!」

直ぐに家臣たちが老婆の元に行き「殿よりの仰せである!すぐに来るのだ!」と言ったが、老婆は

「修理殿は慮外なことを言うものかな。我に来いなどと言うのはおこがましいが、行ってこそ
知ることもあるだろう。」

そう言って乗り物で城へと向かった。
勝家は老婆と対面すると

「お前は私の町中に入って、人の妻女を理不尽に取って行くと言うのは、一体どういう理由からか?」

老婆が申すことに
「御身は事の様をご存じない。私は信長公に召し置かれたものである!
信長公の御意に入りそうな女房があれば、この国に限らず、どこの国であっても見立て次第に
連れてまいれ、との仰せによって私はここに来ているのだ。
これを偽りであるとお考えになるなら、人をやって信長公に訴えなされ!」

勝家はこれを聞くと暫く考えた
『この老婆の言うことはきっと真実なのだ。であるが、信長公はなんと前代未聞の無道を
なされることか。尋常のことではないが、ここで何とかせねば。』

そして

「老婆よ!お前は何と恣に振舞っているのか!?そもそも信長公は世の政法を正しくされ、
無道の輩を罰されるのが常である。
人の妻女を拐かすのは、その咎至極であること、前代よりの定法である!

信長公ほどの賢君を無道の犯罪者の如く語ったこと、その罪軽からず!」

そうして老婆とその配下十余人を召し捕ると縛り付けて船に載せ、大海に漕ぎ出し、
そこで穴を開けて沈めた。
その後、勝家はこの事を包み隠さず信長に報告した。

信長は勝家からの報告を見てたちまち興を覚まし、何も語らず、

『柴田の忠節の仕置、神妙である。今後そういった者があれば、私の方に知らせるように。』

と返事を返した。
これ以後、信長はこのような行為を思いとどまり、人々は、柴田殿の分別類いなしと喜ぶこと限りなかった。
日頃”鬼柴田”と武勇と呼ばれているが、それだけの事はあると、褒めぬ人は居なかったという。
(義殘後覺)


参考
柴田勝家と信長の女狩り・いい話


942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/06(土) 22:06:48.08 ID:s8JE6rh5
織田が無道…すまん

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/06(土) 22:28:36.59 ID:3fiOjRyy
何で人妻…

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/06(土) 22:44:08.38 ID:DOwNY/e1
何で婆さんに頼む…

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/06(土) 23:34:30.74 ID:I4IGnLHk
穴を開けて沈めたって船に穴開けたってこと?

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/06(土) 23:39:19.05 ID:Ccjgq9sW
太平洋でやれば補陀落渡海できたのに

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 00:07:06.68 ID:aXA4HYNI
>この老婆の言うことはきっと真実なのだ。

勝家の中でのノブ酷いな

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 00:27:09.55 ID:RglCw+fd
ソマリア沖で海賊をボート1艘に押し込めて漂流の刑にした某ロシアを思い出した。

>>947
信長に取り立てられて恩義を感じる奴は多いだろうけど、
信長の人柄に心服している人間なんていなかったんじゃない?w

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 01:01:47.91 ID:vtfZ77yE
>>947
まあ信長の蛮行に呆れて敵対してた時期ありますしwww

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 02:10:18.91 ID:27qIEd/T
わざわざ船に押し込めて沈めるて、フランス革命のヴァンデ反乱みたいだな

951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 04:57:16.95 ID:5cbBzom4
この話は既出だね。

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 09:55:54.39 ID:3z5WgOEd
信長の有力家臣でずっと忠誠していたのは丹羽と池田ぐらいじゃないの。

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 10:10:30.94 ID:lWQzATh/
佐久間信盛「…」

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 12:42:37.53 ID:oUb71fmX
既出の話にしては記憶になかったから調べたら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-42.html
なるほど、随分前の話だったか

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 13:36:37.25 ID:MAND/M52
>>952
池田が有力なら川尻も有力でいいんじゃね

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 15:17:15.47 ID:27qIEd/T
安心と信頼の森家

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 15:40:09.72 ID:56uDSA8a
池田が有力家臣とか(笑)

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 18:34:07.20 ID:aeCUbO6X
有力じゃないの?

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/07(日) 19:18:41.81 ID:nlHdZ48x
有力ってのがどの程度のレベル指すか次第じゃない?
池田家は姉川の恩賞で2万石の城持ちになってるから有力幹部であることは間違いない
でもこのレベルの幹部は織田家中に数十人居るわけで幹部中の幹部の丹羽と並べて語るほどではない

佐久間盛政の処刑

2012年09月22日 20:29

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 07:34:28.08 ID:/3atuCBe
柴田勝家を滅ぼした羽柴秀吉は、越前を丹羽長秀に、加賀を前田利家に与え戦後処理を終えると帰洛。
捕縛された佐久間盛政も山口甚兵衞、副田甚左衞門に警護され京へとその身を移された。

秀吉は浅野長政を使いに立て盛政にこう言った
「私はお主の大功を知っているので、殺すに忍びない。そこで怨敵と言う思いをひるがえして、私に従ってはくれないか?
九州の諸大名は未だ服属していない。私はお主に肥後を与え、九州の討伐を任せたいと考えているのだ。」

盛政はこれを聞くと
「命を助けてもらい、その上大国を与えられるということ、これは後代までの名誉である。
私が九州に行けば1年のうちに平定するだろう。平定を終えて上洛をして、秀吉に対面すれば、
その時私は必ず憤怒の感情が生じて、思わずとも秀吉を斬り捨てるだろう。
そうでなくても肥後に下って、反乱を起こすだろう。私は秀吉とはそれほど相容れないのだ。

命を助けてもらった恩、国主としてもらった恩を返すこと無く却って災いになるというのはどうかと思うだろう?
恩というなら、速やかに死罪にしてもらいたい!」

長政は帰って秀吉にこれを報告すると、秀吉は再び長政を盛政の元に使いさせた

「もしかしてお主は、私が何かはかりごとをお主に対して企んでいると考えているのではないか?
私はそんなことはしない!その事は天のご照覧に任せる!とにかく、早く私に従って欲しい。」

盛政は答えた
「私は秀吉にはかりごとが有ると考えてはいない。そもそもそういう話ではない。
勇者たるもの発した言葉を、再び翻すべきではない!
私に対しては明日、必ず車に乗せて洛中を一見させて、河原にて殺されるのが良いだろう。」

秀吉もこれには
「勇者の一言というものは俚諺にもあるように、もはやとても、私に従うような事はないだろう。」
と、ついに盛政の助命を諦め、彼に最期の衣装を与えた。

佐久間盛政は自らの小袖の上に染物の赤い大広袖を着て車に乗った。
その姿は、身長六尺(約180センチ)、顔は紅潮し、頬髭があったと云う。

天正11年(1583)5月12日、年齢は30、車にて洛中を引き回れた。
世に聞こえた鬼玄蕃を見ようと貴賎上下を問わず馬車道に横たわり、
男女が巷に立ち並んでこれを見た。

盛政は引き回されながら彼らを睨みつけ、河原において処刑されたとの事である。
(佐久間軍記)

以上、佐久間軍記に見える、佐久間盛政の処刑に至る様子である。





517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 08:51:18.05 ID:lu9U/Xis
肥後はアカン

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/22(土) 09:24:56.87 ID:LIK4VB4Q
ここで素直に部下になっても、佐々のようになるのがオチか

あの藤吉猿面郎にひとこと言っておきたいことがある

2012年09月21日 20:39

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 18:03:47.66 ID:MHus+mKZ
賤ヶ岳の合戦で柴田軍が討ち負け崩壊すると、佐久間玄蕃允盛政はともかくも合流しようと加賀まで
向かったところで、中村と言う場所で落ち武者狩りの郷民に取り囲まれた。
盛政は彼らを睨みつけ

「私の命運はここに付きた!再び合戦をしても勝機はないだろう。
お前たち、あの藤吉猿面郎のところへ私を連れて行け!ひとこと言っておきたいことがある。」

こうして盛政はこの郷民たちに捕われ、北の庄の浅野長政のもとに連行された。
長政は盛政を見て、彼を侮るように言った

「あなたは鬼玄蕃とまで言われた人ではないか!どうして未だ死なずにいるのか!?」

盛政はこれを聞くと
「汝はなんと愚かなことか。かつて源頼朝は大庭景親に負けて伏木の中に隠れ、将軍足利義稙(原文では義昭)は
細川政元に捕われ幽閉されたが、後についに脱出し大功を立てたではないか!
将たるものが、どうして容易く敵に自分の死を許すことがあろうか!」

これを聞いた人たちはみな、盛政の凄まじい気魂に舌を巻いたという。

(佐久間軍記)




504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 18:18:55.37 ID:61LT6kna
それなら素直に捕まえろと言わず、うまく買収でもすべきなんじゃ…

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 19:02:33.25 ID:2M0Px8yd
問答無用で竹槍や妖怪首置いてけの餌食にならんかっただけマシか

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 19:29:48.96 ID:ggKjd+3g
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4596.html
郷民も身ぐるみはぐより褒美をもらうほうが得だと思ったんだろうね

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 20:10:46.61 ID:eEqRxYjX
>>505
(諦めが)悪いように見せかけていい話かな

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 21:15:12.12 ID:Dhfzjym2
連れてきた連中の玄蕃さんの扱いがあまりに酷いので秀吉が処罰したとかなかったっけ?

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/21(金) 21:20:11.71 ID:N7QhuWx+
>>509
>>507に書いてある

虎姫の戦い

2012年04月26日 21:14

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 20:57:25.11 ID:sev6+b2r
虎姫の戦い

賤ヶ岳で有名な鬼玄蕃・佐久間盛政が滅んだ時、一人娘である虎姫が残された。

盛政を高く評価していた秀吉は、この虎姫の結婚の仲立ちをした。
結婚相手は何と、その佐久間盛政が賤ヶ岳においてその陣を急襲し討ち死にさせた中川清秀の次男、
中川秀成であった。
秀成の兄、播州三木城・6万6千石の中川秀正が文禄二年(1594)、朝鮮水原城のほとりで
鷹狩りをしていたところを毒矢で射かけられて没すると、秀吉は秀成に家督を継ぐことを
認めると同時に、この結婚を命じたのだ。

中川家では佐久間盛政との戦いで、清秀を始めとして多数の死者を出したこともあって、この結婚に
大いに不満であったが、秀吉の命には逆らえず、秀成は虎姫を迎えた。

しかしこの夫婦の仲は至って良く、嫡男久盛をはじめ、多くの子宝に恵まれた。

慶長15年(1610)1月、7人目の子を妊娠した虎姫は、夫・秀成に願い事をした

「もし今度の子供が男子ならば、その子に盛政の佐久間家を継がせたいのです。」

はたして生まれた子は男子であった。ところが虎姫は産後の肥立ちが悪く、間もなく死んでしまう。
しかし秀成は妻との約束を守った。彼は生まれた子を内記と名付けると、これを佐久間盛政の弟、勝之
(鬼玄蕃の弟たちのその後http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6335.htmlこの話の佐久間源六)
に養子に出した。勝之はこの甥を養育し、元服すると『佐久間勝成』を名乗らせ、自分の娘と結婚させた。
ここに盛政流佐久間家の復興は成った。

この後、この新生佐久間家は中川家の親族衆として存続、明治まで至る。

余談だが、虎姫は息子である嫡男の中川久盛にも一つ頼みごとをしていた。それは父、佐久間盛政
菩提寺を建立して欲しい、ということであった。

彼も母の死後、その約束を果たした。その菩提寺の名は『英雄寺』という。


佐久間盛政の娘、虎姫の、佐久間家のための戦いであった。





842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 21:26:20.78 ID:esZJkMB/
またもイイ話

映画化されてもいいくらいだと思うが
賤ヶ岳の戦犯にされてるから
あまり世間受けしないのかな?

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/25(水) 21:41:29.74 ID:GEiclbes
シエや山内妻の活躍なんかが捏造されるのに比べて
こういう実際にあった女性の働きが埋もれるのはもどかしいな

天正十年十月、堀秀政宛、柴田勝家書状

2012年03月07日 21:50

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 05:04:23.05 ID:L0jQzyS1
天正十年十月、堀秀政宛、柴田勝家書状

『覚

一・羽柴筑前守(秀吉)、約定違反のこと

一・清須において誓い、それぞれに印も押した置目について、秀吉は全く守っていない。
  政治の形が今までと全く変わったことに、庶人は不信を申し立てている。諸国の下々がそのように言っているのは
  当然のことである。政治が分明に、決まった通りに行われていればどうしてこんな事になるだろうか?

  羽柴筑前とこの勝家の間は、、元々は疎遠でなかったはずなのに、この頃では人々も不和だといっている。
  天下の織田家御分国を静謐にするという評定は当然のものなのに、清洲会議以来の秀吉の裁許は、言葉にもならない
  有様である。諸人がこれを不審に思うのも尤もである。
  
一・この勝家自身のことを言わせてもらえば、私は長浜を分配していただいた以外、米一粒、一銭足りとも私していない。
  申次の諸侍から、この事に対して私に嘆いてくるものが聊かあるが、そういった者たちにもその理由を申し使わして、
  道理のあるところをよくよく説明しているので、私の方では知行にも諸侍にも手心を加える事は一切無いのだ。

一・若子様(三法師)の事だが、惟住五郎左(丹羽長秀)より、岐阜に申し上げるべきだとの意見により、各一同の
  兼ねてからの約束通りに、岐阜から安土への御動座をされるようにと、岐阜へも、五郎左へも返事をした。
  その墨付は双方に存在している。

一・今度の上様(信長)のご不慮によって、天下は混乱し治め難き様相となった。未だ四方に敵があるのだから、
  内輪は対立を自重し、上様の行いを引き継ぎ四方に馳せ走る。上様がおられなくてもそのようにするのが
  本来で有るべきなのに、全くそのようになっていない。

  一方で家康の行動を見てみろ。彼は度々の上様の御動座によって、武田一類を尽く討ち果たし、その後の平定を
  仰せつかった。ところが北条が、彼らは上様御在世中は上様の御意に従っていたというのに、状況が変わると
  その態度を一変させ織田の軍を攻め家康と対陣に及んだ。事ここに極まって、天が味方もしてくれたのだろう、
  徳川家の者共は皆で一致してこれに立ち向かい、即座に追い崩し討ち果たした。誠に上様の時より続く軍忠、
  これは上様へのお弔いにもなるもので、かつ天下の誉れ、これに過ぎるものはないではないか!

  しかるにそんな事を考えもせず、御分国の内に私的に新城(山崎城)を建設するなど、様々な我意を通している
  秀吉は一体、誰を敵としているのか!?
  政治を担当するものがそのような事をするのは許されないものである。私と彼との関係が悪いといっても、
  今は心をあわせて、上様のご苦労によって治められた織田家御分国をあい治め、御分国の政治を、たとえ
  上様には及ばなくても、相守るべきなのである。
  このままでは結局共食いをして双方果て、織田家の領国も他人の国になってしまうだろう。
  これは我々一同の本位ではないだけではなく、天道にも背いた行いであろう。
  しかし今、情勢はそのような方向に向かっていることが、無念至極なのである。


                   柴修 勝家(花押)
天正十年十月六日
  堀久太郎殿』
  

清洲会議の約束を守らず独自行動を拡大する秀吉に対する、柴田勝家の危機感が溢れる書状である。
(南行雑録)







272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 06:59:47.53 ID:1pP/TvnR
>>270
平山優が「天正壬午の乱」で一部を紹介してた手紙だね。

秀吉と勝家が争い始めたせいで、予定されてた織田政権
からの援軍が貰えなくなったとあった。

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 07:43:57.22 ID:9YCq36jo
>>270
火事場泥棒的に甲斐、信濃掠め取ってる家康褒めてるwww
そこも織田領だから

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 07:50:37.32 ID:1pP/TvnR
>>273
それは事実誤認。
家康は、ちゃんと織田政権の許可を貰って侵攻してる。


275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 07:56:52.37 ID:4UlnHobY
「援軍を送れないのは~だからだよ」という勝家の書状か、なるほど

>>274
織田政権っていったい誰?

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 08:15:35.47 ID:1pP/TvnR
>>275
具体的に侵攻を認める書状を出したのは秀吉。

勝家の手紙でも判るように信長亡き後の織田家は、清須会議の
結果を受けて重臣の合議制で進めることになってた。
だから、織田政権扱いにしてる。

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 08:23:26.73 ID:2yGOlGLa
あと織田信雄からも織田信孝からも、家康に対して充分な援助ができないことを詫びる書状が出てたりするね。
織田家中では争っていても、対北条に関しては意識が統一されていた。
家康の甲斐信濃侵攻は、織田家の完全な支持のもとの行動だったわけだ。

278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 08:28:48.98 ID:VeIse7g4
うーん、時代に置いていかれた感が漂う文面

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 08:43:37.32 ID:bmHT1+x3
>>273から漂う家康アンチの臭い

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 09:45:53.50 ID:iaQ7qK/H
ていうか、上杉や北条が攻めてきてるのに切り取られるがままにしておく方が問題だろ。
「織田から許可取ってないから黙って見てました」じゃ済まん。

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 10:22:28.35 ID:O9eygUz0
>>277
織田の援軍が、信雄からの三千で終わっちゃったからね。
北条との和睦の時には、ちゃんと信雄、信孝が仲介したけど。


282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 10:41:32.15 ID:N92JjHc1
埋められたり北条にボコられて逃げたりしたからしょうがない

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 12:16:21.79 ID:iCWn/gbD
肝心の織田家が内部で争いを始めていたから、家康がおいしくいただいてももしょうがない

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 12:27:57.43 ID:a20rsPRR
鬼武蔵さんが無責任に帰っちゃったのがいかんかったよね、河尻さん滝川さんが惨いめにあったの

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 13:12:49.90 ID:ouTTO3FR
滝川一益はともかく、
川尻も鬼武蔵も在地武士たちから恨み買いまくりだったからな…
逃げるか殺されるか二つに一つだったと思うよ

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 13:16:29.11 ID:Wc6mNpzP
鬼武蔵さんならそこは返り討ちにして欲しいところだが、足場が固まってない・
多勢に無勢・自陣は浮き足立ってるってのじゃ逃げるしかないわな。

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 13:18:32.88 ID:cXUR8w+6
いや、でも家康の甲斐・信濃獲りは、火事場泥棒とかおいしく頂いたとか、そんな
生易しいもんじゃなかったと思うぜ。確かにあの時しかチャンスはなかったとは
いえ、中身を見ると、けっこうムチャしてるから。ここぞとばかりに甲・信に大兵
力を送り込む余力があったわけでもないし。家康にとっても大きな賭けだったんじ
ゃないかと。
失敗して逆に徳川がぶっ潰れてた可能性も十分あったと思う。北条が出てきた後
なんか特にね。完全に数的不利の状況でぶつかったわけで。
当時の徳川にとってある意味、身の丈以上の冒険。

家康って、後に天下とっちゃったからイメージ的にちょっと大物感あるかもしれ
ないけど、独立後は対今川でも対武田でも対北条でも、基本的に相手の方が兵力的
にずっと有利な状況で、辛抱強く戦ってきた立場だったんだから。


288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 13:34:23.20 ID:ouTTO3FR
家康が秀吉に臣従するまでに戦った格下って真田くらいだよな・・・

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 14:41:17.84 ID:O9eygUz0
>>288
木曾義昌とかもいるよ。

本人が出馬してるケースだと、三河や遠江辺りの
国衆を相手にしてる時くらいかな。

290 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 19:55:30.71 ID:2TvwxyNL
その国衆だって今川や武田のついていたような連中だしなあ

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 20:19:43.49 ID:TTvOZGf5
三河一向一揆

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/07(水) 20:20:27.93 ID:TTvOZGf5
真田だって当時は上杉配下だ

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/08(木) 09:15:48.51 ID:yyCUGesD
>>287
まぁそれだけのことができるからこそ織田も同盟という関係を続けわけだわね。

使えないならどこより先に信長が潰して自分の手駒置いてただろしうな。

わしは何者が出頭したとしても恐ろしくないぞ!

2011年04月15日 00:00

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/14(木) 21:33:12.17 ID:I0Q0kNCW
柴田勝家が織田信長より越前を与えられた頃のこと。
勝家はある夜、その配下の武将を集めて振る舞いをした。この時勝家、酒も入って大変に機嫌よく、
前田利家にこう話しかける

「又左殿(利家)聞き候え、最近はあの表裏者である菅屋(長頼)や明智(光秀)が信長公のお側で出頭しておる。
又左殿!指を折って考えてみよ!今まで26回、この柴田の手柄故に勝利を得た!
そして信長公直々のお礼も承った。わしは何者が出頭したとしても恐ろしくないぞ!
さあ又左殿も指を折って数えるのだ!」

これに利家

「おやじ(勝家)は人持ちでもあるから、先陣をされて度々手柄もし、また槍を入れることも半鐘を鳴らすように
度々であって、その武勇は今の世には並びなき人です!
では私も言わせていただきましょう!」

と、指を折りつつ利家がこれまで、所々でなした18度の手柄について語った。
これに柴田勝家は一層機嫌良くなり、

「細々としたことを期限に間に合わせ、どうということもない内容を格式張って話す、そんなことをいくら
嗜んだとしても、合戦での働きがなければまるで意味のないことだ!
今の時代は武勇を仕ろうとするなら、いくらでも機会がある世の中である!
又左やこの柴田は、信長公へも傍輩衆へも、その前に出て恥ずかしくないぞ!」

と言い、大いに笑ったそうである。
(利家夜話)

ただ逆に見ればここまで意識している以上、この時期菅谷や明智といった人々が、信長の傍で
一種の文官的権能により権力を拡大させている事に、内心何らかの驚異や圧迫を感じていたと
見るべきで、そんな状況を勝家も酒の席でこのように、憂さを晴らしていたのだろう。

そんなことを想像させる、柴田勝家の越前での酒宴のお話。




665 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/14(木) 21:55:26.12 ID:ULTcU9KJ
特に菅屋の存在は面白くなかっただろうな。北陸方面軍にとっちゃ目の上のたんこぶ。

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/14(木) 23:40:57.36 ID:AjXCYMNe
悪い話と言うか、色々切ない話だな・・・

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 01:21:26.48 ID:D7KaAIKS
しかし光秀だって結構戦場で手柄立ててる気がするけどな

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 02:25:33.81 ID:vWJu+lLU
奉行衆のエリートで片手で数えれるくらいしか実戦に出てない菅屋と一括りにされるのはちょっとなw

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 02:53:53.64 ID:aE+5u85H
>>667
つか光秀といえば戦上手で有名やん。

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 02:55:09.46 ID:gppu6zFr
>>668
菅屋の武功ってそこまで少なかったっけ?

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 06:38:16.51 ID:iqyJ7Ytf
ノブヤボに出てこない武将はわからない

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 06:45:24.11 ID:LrOYMMgE
戦働きしかできない古いタイプの武将が抱える鬱憤みたいなもんか

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 07:32:55.32 ID:vY6f+QCc
越前の織田神社が、利家や成政、光冶に信長の朱印状を握りつぶされて荒れ放題だった時、
実情を知った信長の意を汲んで、
「ちゃんと仕事しろよ。下手な弁解したらどうなるかわかんねえからな」
と書状を送ったのが菅屋なんだよね

でもさ、菅屋くらいの世代になると堀秀政みたいな例外を除いて近習ってほとんど前線に立たなくなるよね
やっぱり信長自身が前線に出ることが少なくなったからなんだろうね

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 09:07:06.68 ID:OieZABso
例えば万見重元なんかは有岡城攻めに軍監として参加したのだけど、
血気にはやったのか総攻撃に参加して戦死している

記録はないけれど、もしかしたら信長から「参加するな」という厳命が出たのかもね

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 09:31:15.64 ID:c1ulH4TY
軍監が我先にってのは役目が違うだろうからなぁ・・・

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 09:31:19.06 ID:vY6f+QCc
万見が戦死した時の有岡攻めは信長自身が出向いてるよね
桶狭間や朝倉追撃戦みたいに、こういうときは馬廻りや小姓連中が手勢を率いて相手に向かったりしたそうだよ
ちなみにこのときは菅屋・堀・万見の3人が鉄砲隊を指揮していたそうな
で、城内の内応者の合図で突撃したら最愛の万見があっけなく討ち死にしちゃったと


677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 09:35:20.60 ID:/fOP8BgW
最愛はお蘭でねーの

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 10:18:11.91 ID:SGA9LXth
万見と長谷川には及ばない

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 12:06:05.43 ID:h2rv/tG2
万見が死んだから蘭丸に移行したんじゃね?

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 18:37:21.72 ID:vWJu+lLU
>>670
ほぼない。

行政関係では抜群だが。

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 21:30:37.62 ID:Z1dZtoP9
菅屋は野望に出たら政治90とかそんな感じかしら

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 21:34:42.59 ID:cheFDZ1M
蘭丸は大して活躍してないのに、なんで兄が信濃に移った後の兼山5万石をもらえたんだろうか?
堀秀政の長浜2万5千石より多いじゃないか。

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 21:51:06.57 ID:67xD98a9
わかってるくせにw

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 22:29:10.75 ID:5uJs87VM
でも森家は死亡フラグ立ってるしな

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 23:27:21.44 ID:J8zIrcwP
菅屋さんの先代は森可成みたいな立場だったんかねえ>信長直属軍部隊長みたいなの

690 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/04/16(土) 07:28:20.36 ID:LElC96TQ
>>686
親父さんなら、小豆坂で活躍したひとかどの武将だっはず

小姓・馬廻りという意味でなら、利家や成政たちのあとの連中かな
古株の信長近習にいびられて、耐えかね切り捨てて出奔
徳川からの誘いをけって織田家への帰参を願っていたけど、三方原のときに佐久間隊に属し討ち死にしてる

詳細がわかればひとつの逸話にできるんだけどなあ

若武者と手植えの松『死なば墓場のしるしとやせん』

2011年01月08日 00:00

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/06(木) 23:37:14 ID:iq9DhIn8
何年か前に地元紙に載ってた話。うろ覚えなので色々おかしいかもです。

時は天文の頃。尾張の国に初陣を迎えようとしている若武者がいた。
戦支度で忙しい中、城主の息子である若武者の姿が見当たらない。
はてどこへ行ったかと家中の者が探したところ、城の裏手で見つかった。
初々しい具足姿で泥だらけの両手を合わせ、一心に何かを祈っている様子だった。

「若、何をしておられるのです」
「ああお前か。すまぬな、すぐ行く」

若武者はその場を離れ、声をかけた家中の者と連れ立った。
その者は不思議に思い若武者のいた場所を振り返って見たが、
それこそ木立ちがあるばかりだ。

「何をあのように祈っておられたのです?」
「いや、大したことではない。気にするな」

このとき若武者は、城の裏手に一本の松を植えた。そして次の歌を詠んだ。

 『初陣に松一本を手植えして死なば墓場のしるしとやせん』

残念ながら、この戦については資料が残っていない。
相手は誰だったのか、規模はどのくらいだったのか、勝算は高かったのか低かったのか。
それらは推測するしかないが、彼の根城はそれほど大きなものではなく、
あるいは城を枕に討ち死にすることを考えていたのだろうか。

結果的に彼はこの戦では死なず、その後も幾度もの戦を潜り抜け手柄を上げ、
長じては天下布武を掲げる男の下、織田家の筆頭家老にまでなった。
主君を失った後、かつての同僚に敗れ越前は北ノ庄城で自害、その生涯を終えた。

松を植えた故郷から遠く離れてはいるが、やはり自らの居城が墓場となったのである。
彼の戦に臨む覚悟は、その初陣の頃から変わらなかった、と言えるかもしれない。


柴田権六勝家の生誕地、明徳寺に伝わる逸話でした。




丹羽長秀宛・柴田勝家書状より、濃美国境問題

2010年11月10日 00:02

473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 21:45:53 ID:A4Tw86r4
天正10年、本能寺の後秀吉によって明智光秀が討たれ、清洲会議によって
当面の体制が決まった。その頃出された、丹羽長秀宛、柴田勝家書状より


『尾張と美濃の国境のことですが、私の方にも御兄弟様(織田信孝・信雄兄弟)双方より
同時に言ってこられています。

この両国が御兄弟様に渡された以上、国境を決めて分けるのは当然のことではありますが、
三七郎殿(美濃を領有した信孝)は

「大河(大川)を国境にしないのなら、自分の家臣たちからは勿論、百姓たちからまでも
不満の声が出るのは間違いなく、領主としてそういうことは出来ない。」

とおっしゃっています。

三七郎様は前々から大河を国境とするよう主張されていますが、これを国境とすれば東部において
尾張の三郡が美濃に編入する事になり、これを目論んでそう言っておられるのでしょう。

三介殿(尾張を領有した信雄)は旧来の古木曽川(足近川)による国境線を主張し、
当然ですがご同心ありません。』


この、濃美国境線問題における対立は羽柴秀吉が漬け込む絶好の隙となり、
間もなく賤ヶ岳を引き起こし、織田体制を完全崩壊させることとなるのである。


織田家体制崩壊の端緒となった、信孝と信雄の国境問題についてのお話。




474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 23:34:31 ID:7t9ra+0k
これは信孝が悪いのかな?

475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/08(月) 23:41:20 ID:A4Tw86r4
>>474
おそらくこの頃川の流れが変わって、古木曽川が衰退しこの大河というのが現在の木曽川の
流れを形成し、尾張三郡が岐阜側から見て川の内側に入ってきたと考えられるわけです。

なので信孝の立場から言えば、行政の一体化から言っても川を国境とする慣習から言っても
国境の変更が正しく、信雄からすれば当然受け入れられない、という対立ですな。

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 00:09:39 ID:oqSRgyQZ
>>475

詳しくありがとう。
これは勝家も困っただろうね。

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 00:13:43 ID:y7kThAtc
江戸時代初期にも利根川の付け替え工事で
武蔵=下総の国境が大きく変わってるからなぁ

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/09(火) 00:14:29 ID:usvRIPA2
>>476
ついでに言うと信長・信忠が濃尾両国を支配していたときはどうも、その尾張の三郡は
美濃側の行政区域の中に入ってたっぽいのね。

なので信孝としても現地の領民としても、当然それが踏襲されるべきだと考えていて、
それに対して信雄が旧来の国境線を主張した、という感じみたい。

柴田源左衛門勝定、勝家に追放される。その理由とは?

2010年11月08日 00:00

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/06(土) 22:56:16 ID:XNFL6uOv
柴田源左衛門勝定、勝家に追放される。その理由とは?

天正七年のある日、近江坂本の明智長閑斎、その子十郎左衛門光近のもとに
柴田源左衛門と名乗る者が一族郎党百余騎随え訪ねて来た。
自分は故あって主君勝家に改易されましたので、明智家に仕官したいと願い出る。
この源左衛門、明智左馬助の妹を娶り、十郎左衛門もまた左馬助の妹を妻として
いた縁により越前より頼ってきたそうな。
十郎左衛門の父、長閑斎は明智光秀の伯父であったので、源左衛門の願いを聞き
光秀と引き合わすこととした。
さて光秀、源左衛門と対面して尋ねられる。
汝の先君柴田殿は北陸を平定してこれを良く治め、威勢盛んであると聞くが、其方
いったい何をして越前を立退くこととなったのか。
源左衛門勝定これに答えて申すには、勝家様は領内を統治するにあたって家臣の所替を
決められました。その中にそれがしも含まれており越中木船の城へ遣わされることと
なりました。けれども実はそれがし寒いのが苦手でございまして、元居た越前安居
でさえ難儀していたところ、今度は越中と聞き、これより寒い所に行くのは困ると
訴えたのですが、勝家様は既に決めたことであるのに命令に背くのかと甚だ立腹され、
たとえ一族の者であっても聞き届けるわけにはいかないと、それがしに暇を言い渡され
たので越前を立退き参ったのです。と。
光秀はこれを聞いて、それならば当家で召抱えようと、彼を丹波の国柏原の城に
入れ置かれました。

以上、寒がり柴田源左衛門のお話でした。上の方で明智軍記のことが出ていたので
便乗仕り候。想像力を働かせれば勝家なりの気遣いと思えなくもないが、こっちに
投稿します。なお、寒がりと書いたけど、原文では寒気を痛むる持病候てとあるので
もしかしたら病気か何かかもしれない。
余談であるが、この源左衛門、本能寺の変後も光秀に属し山崎合戦に従軍。光秀が
滅ぼされてからは堀秀政に仕え越前へ、久太郎没後は子の秀治に仕え越後へとどんどん
寒いところにいってるわけだが寒気痛むる持病とやらは治ったのだろうか・・・?




440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/06(土) 23:04:27 ID:F7kNdUSJ
この主君に仕えていては危ないと言う悪寒がしたと言うことかw

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/06(土) 23:09:32 ID:OokD/8Qd
当時の暖房や衣服の貧弱さって洒落にならないからなw
さらに雪を掻き分けて戦場に出ることを思うととんでもない寒さだろうよw

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/06(土) 23:20:46 ID:F8HkL/TZ
ちょっと面倒な骨折したことがあるんだけど、寒い日には
本気で涙目になるほど痛むからなあ・・・

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/06(土) 23:31:16 ID:OIfE65EY
漢よといわれた傷が秋を知る という川柳を思い出した。

「柴田の首なし行列」

2010年08月19日 00:00

531 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/08/18(水) 15:50:17 ID:h2vnL9Ia
この時期だからこそていう怖い逸話とかある?




533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/18(水) 16:40:33 ID:ej0vL+to
>>531
まとめスレにはなかったと思うので

「柴田の首なし行列」
賤ヶ岳の戦いでの敗戦の後、見事切腹し、お市とともに北ノ庄城
に果てた柴田勝家であったが、
以来毎年、北ノ庄城落城の四月二十四日になると首なしの武者行列が
城下を徘徊するようになった。
「首なし行列を見たら死ぬ」という噂までいつの間にかついたため、
その日になると城下の人々は雨戸を深く閉め、覗かないよう注意したという。

実はこの行列、柴田勝家の旧臣が主人を偲ぶために行っていたそうで、
素顔がわからないよう黒い覆面をつけたため、遠目には首なしに見えたらしい。
・・・しかし、この「首なし行列」目撃の噂、昭和以降も存在したそうだ




534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/18(水) 22:47:27 ID:rqh+rgzW
ハロウィンみたいに恒例行事になっちゃったんじゃ

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/19(木) 01:16:51 ID:xrOOwz1A
>>533
「何者か」と聞かれて「勝家公の家臣である」って答えれば助かるって伝承もあるな

柴田勝家の人材募集広告

2010年08月03日 00:00

472 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 15:03:51 ID:ba7KRD68
天正5年(1577)の能登、七尾城の戦いにおいて、約1年の籠城の末、上杉謙信に内応した
遊佐続光、温井景隆、三宅長盛らの手により、大将の長続連をはじめとした長一族は
悉く殺され、残ったのは、織田信長のもとに援軍要請に行っていた長連龍だけとなった。

長連龍は柴田勝家の軍に属し、裏切り者に対する弔い合戦を望んだが、
一族悉く滅ぼされたため、いかんせん兵が無い。
そこで勝家は越前の大橋に、こんな札を立てた。

『長九郎左衛門(連龍)は、近々能登に発向する!
立身を望む者は、たとえ我が被官であっても構わないので、これに属し参じるべし。
能州一国、平均あることは必定である!』

これを見て元長家の牢人など、80騎ほどが駆けつけたそうである。

今風に直せば
「長連龍さんが新しいプロジェクトチームを立ちあげられました。
この新しいチャンスにチャレンジしたい方は、私の部署の人であっても構いません、
これに参加してみませんか?
このプロジェクトはきっと、成功すると思いますよ!」

という感じか。
そんな、柴田勝家の人材募集広告のお話。




473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 16:18:46 ID:pKAgmYz3
長「能登かわいいよ能登」

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 20:29:04 ID:p+sImrVV
>>473
昨日の夕方に見た某アニメで、お市の方の声優が能登だったせいで、
柴田「これから能登を攻めるぞ!」
を卑猥な意味に捉えてしまったじゃねーか

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/02(月) 21:38:44 ID:lkx5hE07
>>472
結果的に加賀百万石のトップ、加賀八家の一角で3万3千石になったんだから勝ち組なんだよな長連龍。

毛受庄助の進言

2010年08月01日 00:01

431 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 12:57:08 ID:tmKB7t2n

賤ヶ岳においてついに秀吉軍に敗れた柴田勝家軍。
軍勢が崩壊する中、勝家の家臣、毛受庄助はこう言上した

「どうか北之庄に速やかに戻り、思うままに城下に敵を受けて御一戦ください!
然らば私は、恐れ多いことですが勝家様のお名前を偽り、御馬印も使わせていただいて、
ここにおいて敵を防ぎまする!」

庄助は、自分はここで、勝家の身代わりとなって死ぬ。死んで勝家が北之庄に落ちる時間を稼ぐ。
そう言っているのだ。しかし勝家は既に、覚悟を決めていた

「庄助、どうしてお前にそんな事がさせられるだろうか?わしはおまえたちと共に、
ここで死ぬよ。」

庄助はカッとなって怒鳴った

「大将というものは、匹夫のためには死なないものでござる!」

そうして馬印を奪い取り、勝家の馬の口を取って無理矢理に引き下がらせた。
ここにおいて勝家は、庄助のするがままにさせ、北之庄へと退いた。

秀吉の大軍が、ついに攻めかかる。
庄助は高名な勝家の馬印『金の御幣』を池原山に高らかに押し立て、叫んだ

「我は柴田勝家なり!わしの首、取ってみよ!」

攻めこむ秀吉軍に庄助は、脇目もふらず戦い、討死した。
この庄助の奮戦により勝家は、心静かに北之庄へ落ちることができた。

毛受庄助の死に様は、近頃稀なる忠死であった。
後で人々はそう、語り合ったという。

勝家の、賤ヶ岳からの撤退の中にあったエピソードである




432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 13:39:01 ID:78+SLXIV
毛受って何て読むのかと思ったら「めんじょう」って珍しいな

伊勢長島一揆勢に奪われた勝家の馬印を取り返すって手柄を立てて、
最後はその馬印を主君から奪って身代わりになったのか・・・

433 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 15:30:32 ID:rYYayqVy
>>432
俺は「めんじゅ」って読んでるよ

434 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 15:33:11 ID:5JlQWat+
「めんじゅ」

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 16:25:02 ID:1avg69//
>>432
ずっと「けうけ」と読んでた
そう言う間違えて覚えてる名前結構あるんだろうなぁ


436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 17:06:24 ID:LXMxzIex
島津忠長→しまづただたけ とか

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 17:08:38 ID:rYYayqVy
最上家臣で光がつくのもそうだよね

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 18:06:39 ID:jSVxTllQ
>>435
明石全登「私を呼んだかな?」

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/31(土) 19:49:40 ID:78+SLXIV
>>433
そっちが主流なのかな?
wikiと、ぐぐって出てきた会社の名前も「めんじょう」だったから
そのまんま書いちゃった (ノ∀`)

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 01:12:15 ID:pdUH63Db
>>435
みんなの菅谷さんとかな。「すげのや」だし。


449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 11:11:14 ID:RTLw0kTy
>>448
菅谷も本によって違わない?
「すがや」って書いてるのもあれば「すげのや」って書いてるのもあるし。

あと畠山順尚も正確な読みがわからんって見たな。

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 12:27:56 ID:vPYpW/NR
>>449
「すがたに」さんって読んでた俺は流石に論外か・・・

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 12:29:15 ID:F+4PlYt6
水谷正村を「みずたにまさむら」だと思ってた俺もダメですね

452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/01(日) 12:32:09 ID:usMR7XoR
>>438

長宗我部「明石さんには負けてはおれぬ」

「木下藤吉郎が大名になれたのは自分のおかげだ」

2009年12月18日 00:03

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 18:40:09 ID:sHDYFo7/
 天下統一を進める織田信長が浅井長政を滅ぼした後、木下藤吉郎(後の秀吉)を
旧浅井領の大名にさせたい意向をもらすと、木下藤吉郎に反感を抱いていた重臣の柴田勝家は
強く反対した。
しかし、信長はその反対を押し切ったので、木下藤吉郎は無事に大名になることができた。
その後、木下藤吉郎の耳に、柴田勝家が「木下藤吉郎が大名になれたのは自分のおかげだ」と
吹聴しているという噂が飛び込んできた。
 木下藤吉郎は「あれほど反対していたのになぜそんなことを言うのか?」と不審に思っていると、
同僚の丹羽長秀が「柴田は最初反対していたが、信長様がどうしても秀吉を大名にしたいと
言われると、そこまでおっしゃられるならば、と賛成に回った。もし柴田が最後まで反対していた
のであれば お前の大名就任は実現されていなかった」と解説した。
木下藤吉郎は丹羽の言いたいことを察すると、すぐに柴田勝家のところへお礼の挨拶に行った。

後に木下藤吉郎が改名する際、丹羽の「羽」と柴田の「柴」を取って「羽柴秀吉」と名乗ったのである。




271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 23:06:04 ID:8g/VNueN
>>238
羽柴の名字は大坂の陣が終わるまで池田福島細川家が使ってたな。
徳川の天下普請の時代に使ってた石切場で羽柴越中守石場と刻まれてるとか。

柴田勝家、進言す

2009年12月17日 00:12

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/15(火) 23:13:35 ID:QoDS5Hvn
朝倉・浅井勢の先陣が比叡山に陣どったことに驚いた織田信長はすぐさま
比叡山に向かおうとしたため、市井の人々は大騒ぎになった。
その時、茶室で家臣が集まるのを待っていた信長に柴田勝家が進言した。

「都の大衆が不安がっております。一刻も早く将軍様のお供をして心配ない
ということを示すべきでしょう」
「そんなことは後回しだ。今はすぐにでも敵を攻撃しなければならん」
「ほほう、急ぐと仰りながら茶をすすっているのは過失ではないのですか」
「なんだと?」

信長は勝家を睨んだが、同時に勝家の言葉は道理だとも思った。
そして信長は勝家の進言を受け入れ、将軍義昭が健在であること、自分の
軍勢がいる限り心配はいらないということを人々に知らしめた。




154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/15(火) 23:17:41 ID:vACryQaW
勝家って信勝から寝返った後はイエスマンのイメージだったけど
諫言した逸話なんてあったんだな~

聞き入れる信長もいい上司だ

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/15(火) 23:50:19 ID:AgVk0zAH
勝家の場合は、本能寺後の秀吉との対立からか、織田家の忠臣ってイメージは
つけられているんだよね

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/15(火) 23:58:50 ID:N4iI0syq
柴田勝家程度でイエスマンと言われてしまうとは、イエスマンもインフレ起こしているのなw

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/16(水) 00:42:39 ID:uB+fAssq
めんどくさい三河武士の逸話読みすぎて、食傷ぎみなんだよw

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/16(水) 00:51:11 ID:f6nbz+Gk
真の忠臣は主人の耳に痛い諫言をする人でしょ