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「つんつくおどり」

2012年11月29日 19:51

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 23:49:05.47 ID:7gcmoWU5
「つんつくおどり」
現在も四日市市日永地区に伝わるこの踊りは、
滝川一益が起源に関係していると言われているようです。

説は2つあり、1つは滝川一益が母の隠居所を実蓮寺境内に建築する際に、
地固め工事に歌った歌謡と動作を元にしているというもの。
もう1つは、滝川一益が毎年大雨のため田畑が流出してしまう農民の困窮を見て、
天白川の堤防を築き、その際の地固め、地つきに歌ったという説です。

そしてその踊りがどんなものかというと、天明八年(1788年)の司馬江漢の日記には、
「十二歳から十七歳の男女、手と手をとり、輪になってツンツクツンツクとて踊るなり。
中に十五、六の男の子、白きさらしの手拭いをほうかむりして、うたをうたいて太鼓をたたく。
(中略)その夜も前夕の通りツンツク踊あり。踊と云うには非ず、
ただ手と手を取り、伸びたり屈んだりするのみ。誠に田舎の踊りなり」とある。

こんな思春期の少年少女たちがドキドキできる
マイムマイムみたいな踊りを滝川一益が作っていたとは。
ちょっと面白かったのでいい話に。




滝川一益二話

2011年09月01日 22:01

384 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/01(木) 20:01:07.31 ID:dm3WrxJx
滝川一益が桑名城で読書をしていると庭に雷が落ち、家臣が大騒ぎしたが、

「うろたえるんじゃあないッ! 滝川武士はうろたえないッ!」

と顔色一つ変えずに読書を続けたという。また、厩橋城主だった頃は一着しか無かった服が
洗濯中で全裸で過ごしていた所に来客が来た際も

「私の服が乾くまで待っていてもらえ。」

と服が乾くまで待たせたという。以上、「名将言行録」より滝川一益の豪胆さを示す逸話である。




385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 20:11:26.79 ID:6aZ2QESu
褌も一着…?

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 20:22:07.74 ID:iYm2bJ12
一軍の将にもなって着物一枚ってことはないだろwww
「俺は将門とは違うぜ~www」的なパフォーマンスだべwww

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 20:24:23.46 ID:6aZ2QESu
この時の来客って名前があったような
池田恒興だったかな 違ったかな

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 20:38:38.66 ID:tr+CvJPh
名将言行録の該当箇所には「諸将」としか書いてなかった

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 20:42:49.72 ID:c0sAsYNR
今日は池田勝入の脇役祭か?

滝川一益「飯は朝晩…」

2010年08月13日 00:03


632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 00:33:08 ID:ZAqESBQn
うむ、昔の人を見習って励むべし。


滝川一益「飯は朝晩二合半ずつ食って然るべきである。」(武功雑記より)

一日二食の時代だから、一日辺り五合=小さい炊飯ジャーで目一杯炊いたメシを一日かけて一人で食え、ってこった。
オカズの品目の少ない時代だから一概に言えんけどガンガレ




不破光治からの縁談

2010年06月03日 00:04

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 20:52:59 ID:1ZsmTYwc
今月は「 6月の花嫁 」ということで縁談に関する逸話を投下

天正元年十二月に不破光治は、せがれの直光の嫁にある織田家重臣の娘を娶せようとした。
その重臣とは、先年の伊勢攻略戦で大活躍した滝川一益である。
不破家といえば、かつては西美濃4人衆に数えられた由緒ある家柄であるから、婚姻の申し出
一益が了解するものと考えていた。

ところが一益はにべもなく光治の申し出を断り、冷笑をうかべてこう言い放った。
「はいはい4人衆ワロスワロス。わが滝川家の娘はしかるべき格式のある家に嫁がせるつもりである。
不破家と言えば西美濃3人衆だとメンバーに入れてもらえないマイナー武将ではないか。」

これを聞いた光治は、
「不破家はいまでこそ織田家の中堅家臣に甘んじているものの、先祖は美濃国守護家の土岐遠山
の嫡流である。それにひきかえ滝川家は今でこそ織田家で羽振りがよいが、先祖の氏素性も定か
ではないいやしい出自ではないか。当家を侮ることは決してゆるさんぞ!」
と激怒し、手勢を率いて滝川一益の宿所に討ち入ったという。




146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:01:57 ID:5Tk6BbqU
武士って面子で食ってるのかな?
こういう話聞くと極道と変わらないんじゃ無いかと(ry

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:03:57 ID:u1T7SKiF
その後どうなったか気になるんだがw

148 名前:145[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:30:11 ID:1ZsmTYwc
自分は和田裕弘氏の事典から引用しましたが、討ち入りの逸話は一益スレでも出典不明のいわくつきの
逸話みたいです。
ちなみに、破談となった光治のせがれ不破直光は伊勢国司北畠具教の娘を正室としたそうなw

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:33:03 ID:NCEurufs
武家と極道なんてそんな差がないと思うんだが・・・



150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:33:22 ID:21jV20HP
>>148
北畠家って・・・由緒ありすぎだな

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:43:55 ID:5PytBZf/
>>145
そのいやしい出自の家から嫁とろうとしたのはどこの誰だよw

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:44:35 ID:ywXgYdnG
>>146 >>149
武士=ヤクザ、ゴロツキ論は
折口信夫以来の伝統です。

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:45:23 ID:RElEVrN9
むしろヤクザが武士の真似をしたんじゃね?

滝川一益の最期

2009年11月29日 00:25

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 14:33:25 ID:/dP2D5gJ
滝川一益の最期

蟹江城の戦いが終わり、豊臣の世がやってきた
剃髪し、僧籍に入った滝川一益は放浪し、越前国今立郡の五分一庄に流れつき、
そこで何をするでもなく毎日村はずれの楠木の下に座り込んでぼんやりとしていた
そんな姿を地元の人々は時折気にして見ていたのだが
ある日奇妙なことに、この一益の足元の真っ黒な影が
日に日に小さく、薄くなってゆくことに気がついた
空模様のせいだろうなどと言っていたのだが、しかし改めて見てみると
やはり楠木の影と比べて一益の影は異常に薄いのだった

ある日とうとう影は、フッと消えてしまった
それを見ていた人が驚いて走り寄ると、もはやそこには
一益自身の姿もなかったという話である




675 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/28(土) 17:03:54 ID:aEWVkSGM
>>674
伝説だろうけどある意味スゴイ話しだな。
ゾッとした

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 17:04:55 ID:zp6qLNeM
そう言えば滝川一益忍者説、なんてのもあるな。

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 17:07:50 ID:TY8J/lKh
>>674
戦国ちょっとホラーな話だな
こんな話他にもある?

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 20:23:41 ID:DTQj3VaP
>>676
某ゲームでも忍者だしね

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 21:12:45 ID:0umufALV
海外なら、リンカーンが暗殺される前に
メイドが自分の死を悼んで泣いている夢を見た
という話があった


683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 22:23:36 ID:FFwIVmm7
>>674
一益も本能寺から後は転落人生だよね…
関東を任された時が絶頂で。

滝川雄利、小牧長久手にて

2009年08月28日 06:55

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 01:31:01 ID:18y5Gpto
小牧長久手の時のこと

織田信雄の家老、滝川雄利は、羽柴方と城から撃ち出て戦ったが、引き取る際に
敵の追撃にあった。

その時城の門役をしていた二蔵三蔵と言う者は機転が利いたので、わざと門を閉めるのを
遅らせ、追撃してきた敵を城の中に閉じ込めた。これにより敵は引き取る事もできず、
まさに袋のねずみとなったのだが、この時雄利はあえて再び門を開かせ、敵を討つことなく
引き上げさせた。

さて、その頃徳川家康より、雄利への援軍として、近藤石見守の部隊が到着した。
近藤は雄利が敵を逃がした事を聞き、なぜそんな事をしたのかと尋ねた。

雄利は答えるに
「あの敵は、閉じ込められた事により死地の兵となっていました。これを討とうとすれば、
城内にも多くの犠牲が出た事でしょう。また、彼らを討った所で、この戦の勝敗の大局には
かかわりありません。
そのように判断したため、彼らを引き上げさせたのです。」

近藤石見守はこれを聞き、大いに感じ入ったと言う事である。


と、雄利の戦術眼のいい話なのだが、この人後で、信雄の秀吉との単独講和を
家康に内緒で推し進めた中心人物なので、単純に秀吉に対しての心証を悪くしない為、
羽柴軍にあまり損害を与えたくなかっただけかもしれない、などとうがった見方も出来るお話。





789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 18:10:55 ID:NhGIEK05
> 二蔵三蔵
姓がふたくら、名がさんぞう か
姓が某、名がにぞうさんぞう か
紛らわしいなw


下津次郎右衛門と二枚の感状・いい話

2009年04月06日 00:09

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 07:23:56 ID:YQrDWa3V
滝川一益の家臣に、下津次郎右衛門と言う者がいた。
この人、武功を称えられた感状を、2枚も持っている勇者であった。
彼は滝川没落の後、松平忠明に仕えた。

ある時、この下津の所に客人が来て、感状とはどんなものか、是非見せてほしいと言った。
しかし津田は
「昔の感状なんて、役に立つもんじゃないよ。それにどこにやったか…
古いものをまとめてある所に、まぎれてると思うんだけど…。」

そこで津田の女房が古物入れの中から探し出してきて、客の前に出した。

客、下津が感状を、あまりに大切にする気配が無いので思い切ってこう尋ねた
「もしよかったら、この感状、1枚頂けませんか?」

すると下津、「いいよー」と、簡単にこれを与えてしまった。

感状を持ち帰った客は、この事を色々な所で話したため、たちまち世間に広まり、主君松平忠明は
「1,2枚の感状に拘らないとは、流石は下津次郎右衛門」と、感じ入り、二百石を加増したそうである。

才能と言うか自分への自信というか、そう言うものをもっている人は、今も昔も強いなあ。
そんな事を思ってしまうお話。




502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 11:21:35 ID:xHdKYiJx
>>499
何気に悪い話なんだよな~
感状ってのは公文書だから無碍に扱う事は旧主への礼を失する事になる
忠節の道筋からすれば軽薄ととられかねない
感情が公文書であるが故に再仕官に際しては強みになるんだし
保管していた妻は間違いなく良妻

伊勢の源浄寺の僧侶から・いい話

2009年03月19日 00:18

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 19:11:30 ID:Ec+qH2a3
YBB規制で投稿しづらい…

伊勢の源浄寺に、一人の僧がいた。

織田信長の伊勢攻略に協力したことから、信長にその才覚を愛され、還俗した。
信長の家臣滝川一益より姓をいただき、滝川三郎兵衛と名乗り、
その後伊勢を治めた織田信雄の重臣となった。

その信雄が、小田原陣のあと没落をすると、今度は秀吉に召し出された。
この時彼の名は、羽柴下総守となった。

関ヶ原の時、彼は西軍に属した。敗戦後、逃亡。その後伊勢神宮の御師、慶徳主馬に
かくまわれているのを徳川家康が知り、今度は家康が彼を、知行二万石で召し出した。
彼の姓は再び、滝川となった。

戦国三傑全員にその才を愛され、滝川雄利として今に名の伝わる男のお話。




滝川一益と雀・いい話

2008年10月16日 10:50

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/14(木) 23:06:15 ID:4xoZcDaX
滝川一益が上野厩橋にいたころのはなし

ある日一益が何人かの家臣と亭で休憩をしてると周囲を警戒しながら餌を食べている鶴を見つけた。

しかしもう少し近くを見てみるとその鶴の周囲にじゃれあい、好き勝手に餌を啄ばんでいる沢山の雀がいるのを見つけた。

昔の自分と今の自分を比べた一益は家臣たちに呟いた。
「あの鶴はまるで私、大勢の雀は家来である貴様らのようだ」
「大名ともなればあの鶴と同じく一時として安心できるときはない、心配してばかりだ。
だが貴様ら雀はあのように自由気ままな暮らしが出来る」
「貴様らは鶴を羨んだり、また、鶴になろうなんて思わず、今の雀の楽しみを楽しみ給え」

晩年、一益は雀に戻ったわけだが実は幸せだったのかもしれない。