与えなかった者の馬は

2016年07月25日 13:46

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 02:35:17.88 ID:8T2sXMC4
滝川一益が武蔵野合戦(神流川の戦い)に打ち負けて撤退した時、
極暑の頃だったために馬はたいへん疲れ、全身が汗にまみれた。

川を馬に乗って渡る時、馬に水を与えた者と与えなかった者がいた。
水を与えた者の馬は、10町ほどでみな行き倒れたのだが、与え
なかった者の馬は、別段の支障はなかったという。

――『武将感状記』



915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 07:38:19.20 ID:qe87IzyC
体育教師「よし、運動中は水飲むなよ!」

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 07:44:13.86 ID:Ej7RqOj7
>>914
なんでだ?

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 07:47:28.36 ID:qe87IzyC
人間なら水だけで塩分与えないと帰って血中の塩分濃度が低くなり、
血中の塩分濃度を高くするために体外に水分を出そうとして
水を飲むとよけいに脱水状態になるとか

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 08:02:43.74 ID:JZ2D5XOT
水中毒ってやつか
水ばっかり飲んでるとバテるぞとよく言われたっけか

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 17:20:06.39 ID:8xAJT9gO
ノドが乾いても水を飲ませてもらえず
疲れたら馬針で脚をブスブス刺される
戦国時代の軍馬は地獄だぜぇ
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滝川一益「服が乾くまで暫く待って下さい。」

2015年10月17日 12:22

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/17(土) 00:35:30.38 ID:T1GsVD9m
ある老人の語ったところによると。戦国の頃、衣服も質素であったのは言うまでもないことで、
滝川左近一益が関東の管領として厩橋に至ると、諸将が対面のため駆けつけたが、その時

「ただ今一つある衣服の、垢の付いたのを洗ったため丸裸なのです。服が乾くまで暫く待って下さい。」

そう言ったと語り伝えられている。
しかしその後泰平に成って、衣服も美々しくなったが、寛文の頃までは、なお戦国の遺風があって、
金銀や利潤のことを語るのは武士の恥だと心得てしなかったものだ。

酒井雅楽頭忠清が大老であった時、春の末の頃のこと、殿中で下に着ている服が汗で濡れたのを、
休所の欄干にかけて乾かしていたが、その服も所々継当てられていて、とても見苦しいと、
帰宅してから語った。

ところが衣服を司る老女がこれを聞いて
「時が移って君は驕ってしまった!私が生きている間にこんなことになるなんて!」
と、絶句したという。
これは厳有院様(徳川家綱)の時代の事だという。

(明良洪範)



499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/17(土) 09:58:29.29 ID:HCgkqS4U
おあむさんげきおこ

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/17(土) 10:01:50.91 ID:2u0qoykE
裸に鎧着用で問題なし

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/17(土) 11:21:48.13 ID:Ot3kUTrA
蒸れ蒸れっすよ

502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/17(土) 17:37:17.09 ID:Usi9GtWj
???「衣服も鎧も必要なし!編み笠ひとつあればそれで十分!」

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/17(土) 19:34:36.42 ID:r0DXq3kg
天海「時の流れには逆らえんな」

秀吉もこの道理に伏し

2014年05月23日 19:07

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/23(金) 02:34:43.13 ID:UhcbaXh0
ある時、秀吉が多くの美女を集めて酒宴を行った際に、羽柴下総守(滝川雄利
を呼び出して言うには「合戦で勝利を得て、このように美女を集めて楽しい」
とのことだった。

その時、下総守は刀を抜いて女どもを激しく追い立てたので、秀吉は驚いて、
「何事を仕るのか」と言った。すると下総守は申し上げて、

「まったくもって、ひたすらふざけた事をしているわけではありません。

天下の大敵にさえお負けにならない御大将が、あれら如き女どもにお負けになって
天下の政をもお聞きなされず、そのうえ御病身にさえもなられてしまいましたので
以ての外なことであり、あの女の中にきっと一人か二人敵がいるはずです。

そう思いましたのでただいま切り殺そうと思い追いかけましたが、大勢の中なので
どれがそれとも知り難く思いました」と諫言した。秀吉もこの道理に伏して笑った
ということである。

――『明良洪範続編』





滝川一益の転落

2014年05月23日 19:07

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/22(木) 19:20:11.04 ID:RWbobTCw
滝川左近(一益)は、関の城、亀山の城、長島の3ヶ所を所領する大名であった。

羽柴秀吉が柴田勝家を攻めた時(賤ヶ岳合戦)、一益は勝家の後巻をしようとしたのだが、勝家敗れるの報を聞くと、
秀吉に降参をした。

後、秀吉と織田信勝との関係が悪化し合戦となった時(小牧長久手合戦)、秀吉に対して抜群の忠節を成そうと思い、
この頃、蟹江城は織田信勝・徳川家康方の城であったが、この城主と内通して心変わりをさせ、一益はこれに入城
しようとした。

伊勢より船に乗って向かった所、蟹江城の周辺ではにわかに潮が引いて、船が着岸することが出来なくなってしまった。
この頃一益は病中であった事もあり、肩輿に乗ってようやく城に入り、従う者達も多くは入城できず、船に乗ったまま
海に漂っている状態であった。

ここに、徳川家康が急襲を仕掛け皆殺しにした。一益の身はあつかいと成り、信雄・家康の味方となって、
秀吉のことを謀ると約束し、生命は助かったが、自身もあまりの事と思ったのか、妙心寺に入って落髪、出家した。
その後一益は、越前において死んだそうである。

信長の時代、天下の政道は4人の手にあった。すなわち柴田勝家、羽柴秀吉、滝川一益、丹羽長秀、である。
滝川一益の武勇は無双の名があって、度々関八州を引き受けて合戦した。関八州の者は、滝川の名を聞いただけで
恐れたほどであったのだが、末に至って散々の体となったのである。

(老人雑話)

滝川一益の転落についての記述である。





滝川さんのちょっとした勇み足

2014年05月19日 19:11

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/18(日) 20:32:52.16 ID:0+1esdaL
滝川一益が、伊賀国衆を退治したとき、
つづけて甲賀に陣を張り、重ねて信長に使者を立て、
「甲賀衆をこの際、退治いたしましょう」
と申し上げた。

信長はこれを聞き、
「滝川は武勇の士なりと言えども、情を知らぬ。
甲賀は己の本国生地であろう。
例え信長が退治を申しつけたとしても、詫び言いたすべき所を、
是非退治を、と申す様、不道である」
と、言い、その後はあまり賞を与えなかった。

                  『異本小田原記』

滝川さんのちょっとした勇み足の話。




335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/18(日) 20:37:21.33 ID:K9ROe21Z
滝川さん身内に恨みでも合ったのかね

336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/18(日) 22:20:06.06 ID:bJIgUvyy
そらまぁ、尾張まで流れていって就職したことを考えると、故郷ではあんまりいいことなかったんじゃないの

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/18(日) 22:25:08.88 ID:HCLvtvw2
だから珠光小茄子が貰えなかったのか・・・

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/18(日) 22:29:11.27 ID:YDeANWAP
その後はたったの上野一国しか与えなかった

339 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/05/18(日) 22:32:17.98 ID:EKkKofWP
上野一国って、地理的条件を除けば悪くはないんじゃね?

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/18(日) 22:44:20.52 ID:Wh8Oshgl
上野一国って言うけど、信長は上野国衆の領地はほとんどそのまま認めているから、
一益は直接的には厩橋城とその一部の枝城程度しか支配できていないんだよね。
滝川一益の関東支配は、信長の威光あっての限定的なものでしか無く、一益が嫌がったのも
わからんでもない。

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/18(日) 23:45:33.85 ID:w+UXueac
そんなこと書き込むと現代の真田家当主が悲しむぞ

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/18(日) 23:51:44.85 ID:AD5N25Fc
最初は認めて~は上野だけの話じゃ無いし

343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/19(月) 00:37:09.87 ID:dkjLWj4b
本能寺の後に上野の国人集めて、光秀を倒すために国へ帰るけど
北条に味方して私の首を討ちたい者は遠慮なく攻撃していい
と言い張った一益は格好いい

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/19(月) 00:52:48.66 ID:VEUi/lf+
>>343
まあ実際には普通に秘密にしてたらしいけどねw
上野の国衆には北条経由で本能寺の件は伝わった。

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/21(水) 04:43:27.53 ID:onfILAIp
>>340
そういう言い方するんなら、一益がもらったのは「関東」だぞ

346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/21(水) 11:03:48.84 ID:XYhB37jT
>>345
だから、権限と実態が乖離しすぎてる、って話じゃないの?

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/22(木) 00:22:31.15 ID:zo2Jw5KY
>>346
直轄領の大きさについての話にしか読めないが

人の徳

2014年05月05日 18:08

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 04:43:19.79 ID:CtjeyP82
人の徳

織田信忠に従い武田勝頼を破った滝川一益は功績により上野と北信濃を新領として織田信長に与えられた

一益は厩橋を居城に定め、上野の国人衆に従来の本領を安堵する約束を行い、合わせて武田家滅亡により
上野に逃れていた武田の旧臣らに対しても「一益は関東には不案内。地の利は生まれ育ったその方らが
断然に詳しいだろうから是非に力を貸してほしい」と融和策を敷いた

信長が本能寺の変で斃れると、一益は上野の主だった城将や国人らを集め
京の本能寺で明智光秀の謀叛により信長親子が死んだ事を述べ
滝川一益は上野を離れ上方へ戻る。信長公の弔い合戦に臨むつもりである。
これを好機と感じこの一益の首を獲り北条へ寝返ろうと思う者は遠慮なく申し出よ。恨みはせん。
戦いを仕掛けてくる者とは一戦交えてでもワシはなんとしても光秀を討ちに西へ進む」と思いを吐いた

北信濃の藤田信吉が離反し
時を経ずに北条軍が上野へと侵攻を開始

一益の漢気に感じ入り「武士の鏡」と滝川一益が上野を離れるのを惜しみ、反北条の意を表した上野衆もいた

一益は上野の国人らを城に招き、別れの酒宴を開くと城の宝物を惜しみもなく与え、箕輪を後にした

一益は北信濃から尾張を目指したが、道中の木曾義昌が滝川勢の通過に難色を示した

一益は真田昌幸らから預かっていた人質を義昌に渡す約定を取り付け、信濃路の通行の権を得た

清洲についた時には一益抜きで織田家の指針を決める「清洲会議」はすでに終わっていた

織田家内での一益の権威は清洲会議を境に大きく失墜したが
森・毛利が全面的に敗走し、河尻が討たれた織田家の東国前線にあって
関東調停役としての人柄を見せた
滝川一益の没落に関してのお話

215 名前:214[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 04:49:47.40 ID:CtjeyP82
「一益は~」の書き出しばかりで読み辛くてすみません

…藤田信吉の所領
北信濃と書いてしまいましたが、もしかして…北上野?




216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 09:25:05.77 ID:IFd5Lhkm
一益帰る前に北条と一戦交えて敗れてるがあれは必要だったのだろうか
軍団率いて信濃は通れなかったとしたら結果オーライだろうが何とも勿体ない

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 10:22:02.79 ID:CtjeyP82
>>216
北条軍は5万、滝川勢は上野衆を交ぜて2万。
上野衆にとっても火事場泥棒に似た北条軍に地元を好き勝手にさせるわけにはいかなかったから
「いくさ」という形での意地(抵抗)を滝川一益への付き合いとして、最後の奉公と上野衆の誇り代わりで
示したのでは?

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 10:24:41.90 ID:CtjeyP82
長野業正の亡き後の上野は軍神・信玄・北条の草刈り場にも似た雰囲気みたいだから…

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/05(月) 15:48:30.22 ID:PTPkC1JZ
真田昌幸「俺のターン!ドロー!」

滝川一益がいまだ匹夫だった時のこと

2013年10月24日 19:18

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 18:12:12.73 ID:JWtR0ukI
滝川一益がいまだ匹夫だった時のこと。伊藤内蔵という者がいて、
多くの人がこの者を討ちあぐねていたところ、

一益は思案して、ある宮の拝殿に伊藤が参詣する時に座るところの柱に
穴をあけておき、伊藤が社参した時にその穴から鉄砲で撃ち殺した。

これに立ち騒ぐ諸人の中を一益は障りなく退いたのだが、
刀の鞘を落としたことを無念に思って引き返し、鞘を取って退いた
ということである。

――『名将言行録』




576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 18:15:30.31 ID:EkpOBQfM
どこからつっこめと

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 18:35:40.34 ID:I65kX809
ケツからだろう

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 18:43:53.36 ID:2dc+yolJ
なぜ鞘だけ落としたw

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 18:57:23.67 ID:F3ZUhnVt
ノブ野望で滝川一益の鉄砲ステータスが高いのはこの逸話のせい?

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 19:59:45.10 ID:p0HZ9wCZ
××人皆殺し!とか書いてあるから貶してるのかと思ったら
実は、カッケー!スゲー!!ってアゲてるんだった、なんて話を聞いてから
こういう話をどう受け取ったらいいのか分からなくなった…。

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 20:53:18.98 ID:+3FCDnJC
書かれてないけどこれは上意討ちか何かで、
首をとる必要があったから、その時に鞘を忘れたってことなのか?

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 21:00:15.42 ID:vQURCEwh
穴のあいた柱って残ってないのかな
つか穴あけてる最中に来たら間抜けだな

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/24(木) 23:34:19.32 ID:UDBh0w+w
いまだ匹夫というか、やり口がまさに匹夫としか

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 00:48:56.43 ID:/qbf96ER
鞘だけ落としたってことは、抜き身で腰に差していたのか?
それとも抜き身をぶら下げて帰ろうとしたのか?

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/25(金) 04:55:42.87 ID:95vLKmEi
『武功雑記』巻十(p33)にも同様の記述あり
http://bushomemo.blog.fc2.com/blog-entry-700.html
だそうだ

滝川一益「私の紋は殿より」

2013年02月25日 20:05

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 08:25:16.70 ID:Ej/xhwgj
ある時、織田信長の御前で家臣を集めての酒宴の席でのこと、
滝川一益がこのようなことを言った

「私の紋は殿より一つ少ない4つですが、それでも立派に立っておりますぞ!」

これは説明が必要であろう。信長の家紋といえば有名な織田木瓜であり、
これは5弁の木瓜なのだが
http://www.harimaya.com/kamon/column/mon2/mokko2.jpg
mokko2.jpg

滝川氏の紋は同じ木瓜ながら、4弁なのである
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/buke/takigawa.jpg
takigawa.jpg

これを聞いた信長は機嫌を害したように
「何だ、お主はわしに立ち向かう気か!?」
と言ったが、一益は

「いいえ、殿を上に立てるのでございます。」

そう見事に受け答えたという。
(家紋逸話辞典)




523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 11:05:58.86 ID:QScXydi2
馬上でもウンコはできますぞ!

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 12:42:26.47 ID:uh+jpmGk
(`Д´)いい加減尻の話はやめい!

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 14:16:56.08 ID:DwgtOsy9
木瓜を尻の○と申すか

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 15:51:03.73 ID:Lyn37Doj
ちょっと待て家紋が木瓜の人にマジ謝れw
因みに我が家は何の変哲もない丸に木瓜だ

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/25(月) 17:28:52.12 ID:Ub5n/s1R
たしかに>>525は浅はかで失礼だよな(笑)
木瓜紋が全国何人いると思ってんだという


「つんつくおどり」

2012年11月29日 19:51

620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/28(水) 23:49:05.47 ID:7gcmoWU5
「つんつくおどり」
現在も四日市市日永地区に伝わるこの踊りは、
滝川一益が起源に関係していると言われているようです。

説は2つあり、1つは滝川一益が母の隠居所を実蓮寺境内に建築する際に、
地固め工事に歌った歌謡と動作を元にしているというもの。
もう1つは、滝川一益が毎年大雨のため田畑が流出してしまう農民の困窮を見て、
天白川の堤防を築き、その際の地固め、地つきに歌ったという説です。

そしてその踊りがどんなものかというと、天明八年(1788年)の司馬江漢の日記には、
「十二歳から十七歳の男女、手と手をとり、輪になってツンツクツンツクとて踊るなり。
中に十五、六の男の子、白きさらしの手拭いをほうかむりして、うたをうたいて太鼓をたたく。
(中略)その夜も前夕の通りツンツク踊あり。踊と云うには非ず、
ただ手と手を取り、伸びたり屈んだりするのみ。誠に田舎の踊りなり」とある。

こんな思春期の少年少女たちがドキドキできる
マイムマイムみたいな踊りを滝川一益が作っていたとは。
ちょっと面白かったのでいい話に。




滝川一益二話

2011年09月01日 22:01

384 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/01(木) 20:01:07.31 ID:dm3WrxJx
滝川一益が桑名城で読書をしていると庭に雷が落ち、家臣が大騒ぎしたが、

「うろたえるんじゃあないッ! 滝川武士はうろたえないッ!」

と顔色一つ変えずに読書を続けたという。また、厩橋城主だった頃は一着しか無かった服が
洗濯中で全裸で過ごしていた所に来客が来た際も

「私の服が乾くまで待っていてもらえ。」

と服が乾くまで待たせたという。以上、「名将言行録」より滝川一益の豪胆さを示す逸話である。




385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 20:11:26.79 ID:6aZ2QESu
褌も一着…?

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 20:22:07.74 ID:iYm2bJ12
一軍の将にもなって着物一枚ってことはないだろwww
「俺は将門とは違うぜ~www」的なパフォーマンスだべwww

388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 20:24:23.46 ID:6aZ2QESu
この時の来客って名前があったような
池田恒興だったかな 違ったかな

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 20:38:38.66 ID:tr+CvJPh
名将言行録の該当箇所には「諸将」としか書いてなかった

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/01(木) 20:42:49.72 ID:c0sAsYNR
今日は池田勝入の脇役祭か?

滝川一益「飯は朝晩…」

2010年08月13日 00:03


632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/12(木) 00:33:08 ID:ZAqESBQn
うむ、昔の人を見習って励むべし。


滝川一益「飯は朝晩二合半ずつ食って然るべきである。」(武功雑記より)

一日二食の時代だから、一日辺り五合=小さい炊飯ジャーで目一杯炊いたメシを一日かけて一人で食え、ってこった。
オカズの品目の少ない時代だから一概に言えんけどガンガレ




不破光治からの縁談

2010年06月03日 00:04

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 20:52:59 ID:1ZsmTYwc
今月は「 6月の花嫁 」ということで縁談に関する逸話を投下

天正元年十二月に不破光治は、せがれの直光の嫁にある織田家重臣の娘を娶せようとした。
その重臣とは、先年の伊勢攻略戦で大活躍した滝川一益である。
不破家といえば、かつては西美濃4人衆に数えられた由緒ある家柄であるから、婚姻の申し出
一益が了解するものと考えていた。

ところが一益はにべもなく光治の申し出を断り、冷笑をうかべてこう言い放った。
「はいはい4人衆ワロスワロス。わが滝川家の娘はしかるべき格式のある家に嫁がせるつもりである。
不破家と言えば西美濃3人衆だとメンバーに入れてもらえないマイナー武将ではないか。」

これを聞いた光治は、
「不破家はいまでこそ織田家の中堅家臣に甘んじているものの、先祖は美濃国守護家の土岐遠山
の嫡流である。それにひきかえ滝川家は今でこそ織田家で羽振りがよいが、先祖の氏素性も定か
ではないいやしい出自ではないか。当家を侮ることは決してゆるさんぞ!」
と激怒し、手勢を率いて滝川一益の宿所に討ち入ったという。




146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:01:57 ID:5Tk6BbqU
武士って面子で食ってるのかな?
こういう話聞くと極道と変わらないんじゃ無いかと(ry

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:03:57 ID:u1T7SKiF
その後どうなったか気になるんだがw

148 名前:145[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:30:11 ID:1ZsmTYwc
自分は和田裕弘氏の事典から引用しましたが、討ち入りの逸話は一益スレでも出典不明のいわくつきの
逸話みたいです。
ちなみに、破談となった光治のせがれ不破直光は伊勢国司北畠具教の娘を正室としたそうなw

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:33:03 ID:NCEurufs
武家と極道なんてそんな差がないと思うんだが・・・



150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:33:22 ID:21jV20HP
>>148
北畠家って・・・由緒ありすぎだな

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:43:55 ID:5PytBZf/
>>145
そのいやしい出自の家から嫁とろうとしたのはどこの誰だよw

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:44:35 ID:ywXgYdnG
>>146 >>149
武士=ヤクザ、ゴロツキ論は
折口信夫以来の伝統です。

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/02(水) 22:45:23 ID:RElEVrN9
むしろヤクザが武士の真似をしたんじゃね?

滝川一益の最期

2009年11月29日 00:25

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 14:33:25 ID:/dP2D5gJ
滝川一益の最期

蟹江城の戦いが終わり、豊臣の世がやってきた
剃髪し、僧籍に入った滝川一益は放浪し、越前国今立郡の五分一庄に流れつき、
そこで何をするでもなく毎日村はずれの楠木の下に座り込んでぼんやりとしていた
そんな姿を地元の人々は時折気にして見ていたのだが
ある日奇妙なことに、この一益の足元の真っ黒な影が
日に日に小さく、薄くなってゆくことに気がついた
空模様のせいだろうなどと言っていたのだが、しかし改めて見てみると
やはり楠木の影と比べて一益の影は異常に薄いのだった

ある日とうとう影は、フッと消えてしまった
それを見ていた人が驚いて走り寄ると、もはやそこには
一益自身の姿もなかったという話である




675 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/11/28(土) 17:03:54 ID:aEWVkSGM
>>674
伝説だろうけどある意味スゴイ話しだな。
ゾッとした

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 17:04:55 ID:zp6qLNeM
そう言えば滝川一益忍者説、なんてのもあるな。

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 17:07:50 ID:TY8J/lKh
>>674
戦国ちょっとホラーな話だな
こんな話他にもある?

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 20:23:41 ID:DTQj3VaP
>>676
某ゲームでも忍者だしね

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 21:12:45 ID:0umufALV
海外なら、リンカーンが暗殺される前に
メイドが自分の死を悼んで泣いている夢を見た
という話があった


683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/28(土) 22:23:36 ID:FFwIVmm7
>>674
一益も本能寺から後は転落人生だよね…
関東を任された時が絶頂で。

滝川雄利、小牧長久手にて

2009年08月28日 06:55

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 01:31:01 ID:18y5Gpto
小牧長久手の時のこと

織田信雄の家老、滝川雄利は、羽柴方と城から撃ち出て戦ったが、引き取る際に
敵の追撃にあった。

その時城の門役をしていた二蔵三蔵と言う者は機転が利いたので、わざと門を閉めるのを
遅らせ、追撃してきた敵を城の中に閉じ込めた。これにより敵は引き取る事もできず、
まさに袋のねずみとなったのだが、この時雄利はあえて再び門を開かせ、敵を討つことなく
引き上げさせた。

さて、その頃徳川家康より、雄利への援軍として、近藤石見守の部隊が到着した。
近藤は雄利が敵を逃がした事を聞き、なぜそんな事をしたのかと尋ねた。

雄利は答えるに
「あの敵は、閉じ込められた事により死地の兵となっていました。これを討とうとすれば、
城内にも多くの犠牲が出た事でしょう。また、彼らを討った所で、この戦の勝敗の大局には
かかわりありません。
そのように判断したため、彼らを引き上げさせたのです。」

近藤石見守はこれを聞き、大いに感じ入ったと言う事である。


と、雄利の戦術眼のいい話なのだが、この人後で、信雄の秀吉との単独講和を
家康に内緒で推し進めた中心人物なので、単純に秀吉に対しての心証を悪くしない為、
羽柴軍にあまり損害を与えたくなかっただけかもしれない、などとうがった見方も出来るお話。





789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/27(木) 18:10:55 ID:NhGIEK05
> 二蔵三蔵
姓がふたくら、名がさんぞう か
姓が某、名がにぞうさんぞう か
紛らわしいなw


下津次郎右衛門と二枚の感状・いい話

2009年04月06日 00:09

499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 07:23:56 ID:YQrDWa3V
滝川一益の家臣に、下津次郎右衛門と言う者がいた。
この人、武功を称えられた感状を、2枚も持っている勇者であった。
彼は滝川没落の後、松平忠明に仕えた。

ある時、この下津の所に客人が来て、感状とはどんなものか、是非見せてほしいと言った。
しかし津田は
「昔の感状なんて、役に立つもんじゃないよ。それにどこにやったか…
古いものをまとめてある所に、まぎれてると思うんだけど…。」

そこで津田の女房が古物入れの中から探し出してきて、客の前に出した。

客、下津が感状を、あまりに大切にする気配が無いので思い切ってこう尋ねた
「もしよかったら、この感状、1枚頂けませんか?」

すると下津、「いいよー」と、簡単にこれを与えてしまった。

感状を持ち帰った客は、この事を色々な所で話したため、たちまち世間に広まり、主君松平忠明は
「1,2枚の感状に拘らないとは、流石は下津次郎右衛門」と、感じ入り、二百石を加増したそうである。

才能と言うか自分への自信というか、そう言うものをもっている人は、今も昔も強いなあ。
そんな事を思ってしまうお話。




502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 11:21:35 ID:xHdKYiJx
>>499
何気に悪い話なんだよな~
感状ってのは公文書だから無碍に扱う事は旧主への礼を失する事になる
忠節の道筋からすれば軽薄ととられかねない
感情が公文書であるが故に再仕官に際しては強みになるんだし
保管していた妻は間違いなく良妻

伊勢の源浄寺の僧侶から・いい話

2009年03月19日 00:18

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/18(水) 19:11:30 ID:Ec+qH2a3
YBB規制で投稿しづらい…

伊勢の源浄寺に、一人の僧がいた。

織田信長の伊勢攻略に協力したことから、信長にその才覚を愛され、還俗した。
信長の家臣滝川一益より姓をいただき、滝川三郎兵衛と名乗り、
その後伊勢を治めた織田信雄の重臣となった。

その信雄が、小田原陣のあと没落をすると、今度は秀吉に召し出された。
この時彼の名は、羽柴下総守となった。

関ヶ原の時、彼は西軍に属した。敗戦後、逃亡。その後伊勢神宮の御師、慶徳主馬に
かくまわれているのを徳川家康が知り、今度は家康が彼を、知行二万石で召し出した。
彼の姓は再び、滝川となった。

戦国三傑全員にその才を愛され、滝川雄利として今に名の伝わる男のお話。




滝川一益と雀・いい話

2008年10月16日 10:50

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/14(木) 23:06:15 ID:4xoZcDaX
滝川一益が上野厩橋にいたころのはなし

ある日一益が何人かの家臣と亭で休憩をしてると周囲を警戒しながら餌を食べている鶴を見つけた。

しかしもう少し近くを見てみるとその鶴の周囲にじゃれあい、好き勝手に餌を啄ばんでいる沢山の雀がいるのを見つけた。

昔の自分と今の自分を比べた一益は家臣たちに呟いた。
「あの鶴はまるで私、大勢の雀は家来である貴様らのようだ」
「大名ともなればあの鶴と同じく一時として安心できるときはない、心配してばかりだ。
だが貴様ら雀はあのように自由気ままな暮らしが出来る」
「貴様らは鶴を羨んだり、また、鶴になろうなんて思わず、今の雀の楽しみを楽しみ給え」

晩年、一益は雀に戻ったわけだが実は幸せだったのかもしれない。