這い出る病

2017年06月05日 21:11

832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/05(月) 01:20:22.37 ID:wjxtjziB
丹羽五郎左衛門殿(長秀)には常々強い痞えがあった。にわかに胸先に
込み上げる折には、五郎左衛門殿は事の外難儀致された。

ある時、急に差し痞え、何ともしのぎ難いために五郎左衛門殿は脇差で
胸を突いて、すぐに卒去された。

その後、火葬に致したところ、病が火の中より真っ黒になって這い出た。
その病には首・足・耳などがあり、亀子(亀の甲)に似ていた。

家来の者どもは主人の仇であるので、近寄ってそれを打ち殺した。
稀有のことに付き、太閤秀吉公にそれを御覧に入れたところ、

「今後は、医者の考えにもなるであろう」との由にて、竹田法印の先祖に
与えられ、今もこれを所持しているとのことである。

いかにも常に痞える折には、胸の内を噛むように“めりめり”と歯の音が
聞こえたとの旨、己丑6月14日の夜に(松雲公前田綱紀より)拝聴仕る。

――『松雲公御夜話』


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が、江口石見という者は

2017年01月10日 17:47

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/10(火) 04:28:01.89 ID:XIXVpzdu
 人の禍福は決まっているという事は、珍しくない事である。
が、江口石見(正吉)という者は、さしたる場も聞き及んでもなく、徳が有る人でもない。
されども、幸運な生まれつきなので丹羽五郎左衛門(長重)について万石を領した。
朝倉能登は首供養を三回もした武功の者であるが、北条氏康のもとで五百石を領したとか。

 茶臼と石臼の替わりがあるように、世間で言う福耳というものがあるのだろうか。
これを見て必ず羨ましがってはならない。
自分は自分で生まれ持ったものがあり、ふさわしくない事を願い無理に利を得れば滅亡することも早くなるのである。


『武士としては』

江口さんにやたら厳しい



「あざ丸」

2016年12月11日 16:30

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/11(日) 12:19:38.64 ID:wrFBh8rX
斎藤道三と織田信秀が合戦したとき、
千秋季光という武将が討ち死にした

季光は平景清が所持していたという「あざ丸」なる刀を差していたが、
後に陰山一景の手に渡った

その後、この刀を持って出陣した一景は、
牛屋山大日寺の寺内に陣を構え床机に腰を掛けていたところ、
敵方の城内から矢が飛んできて、
その矢が一景の左眼に深く突き刺さったという

一景はすぐさまこれを引き抜いたが、
また鋭い矢がまた飛んできて、今度は右眼を射潰されてしまった

この後、あざ丸は丹羽長秀の所持するところとなったが、
間もなく丹羽長秀は眼病を煩ってしまった

そのため、『あざ丸を所持すれば必ず目を煩う』という風聞が流布し、
丹羽長秀は周囲の勧めもあって、
この刀を熱田神宮に進納したところ間もなく眼病は回復へ向かったという

実はこの刀の最初の持ち主である平景清は、
源平合戦において『悪七兵衛』と呼ばれた男であったが、
源平合戦に敗北した後は怨みのあまりに
自ら両目を繰り抜いて盲になってしまったのだという

この痣丸は今も熱田神宮に奉納されているという




408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/11(日) 12:28:15.11 ID:HWGYWPFm
千秋家って熱田神宮の宮司だな
神主武将

409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/11(日) 15:29:21.03 ID:L8TjvmB6
千秋さんの痣丸に因る死は以前出たと思ってたけどまだだったか
ついでに千秋家は桶狭間の前哨戦で佐々と一緒に突撃かまして全滅してるね

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/12(月) 18:46:41.12 ID:vfphFEwK
今年の漢字をやってた清水の観音様のところに百日参りすれば
悪七兵衛景清の奉納した両眼をもらって眼を治すことができたのに

【雑談】そういや五郎左さんの織田家の序列って

2016年10月24日 18:25

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/23(日) 23:34:18.48 ID:0wNx8Ksp
安定の五郎左さんだが、そういや五郎左さんの織田家の序列って
どんなもんなんだっけ?

小説とかでは、佐久間追放後は織田家ナンバー2扱いだけど、
織田家四天王に入っている割には、石高が圧倒的に下で、軍団長にも
任命されずじまい。(好意的な視点では信孝の副将=実質的な総大将だけどさ)

信長末期時での立場とか考えると、光秀・勝家よりは下で、「信長の古参中の古参」
ということで、秀吉や一益よりは上(ただし絶対的な差はない)あたりかねえ。

270 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/24(月) 09:06:27.85 ID:ufTBOjVK
大将向きじゃなかったんだろ
補佐役のイメージがある
突出した武功があったわけでもないしね
野心もなさそう

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/24(月) 10:27:48.70 ID:A54ceQ90
織田家臣団は一国持ちまでというサラリーキャップ制を取ってて
近江攻めまでに抜群の功績上げて最初に一国持ちになったのが過小評価の元。
織田が巨大勢力になった後なら一国でも大国をポンともらえたが、まだ小国やるのがせいぜいの時だったからね

272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/24(月) 11:18:42.06 ID:RyTlRMNM
五郎左はショウカみたいな存在だったんだろうね。織田幕府ができていれば一番評価されてたんじゃなかろうか。

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/24(月) 15:19:40.86 ID:ngDmiDsL
自身は信広の娘を(信長の養女として)嫁に貰いその息子の長重は信長の娘を嫁に貰ってるんだから
能力の評価はともかくとして信長からすれば一番信頼してる存在なんじゃないか

丹羽長重が赦免された理由

2015年11月27日 17:47

38 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/26(木) 21:19:33.99 ID:UmHPvjDh
関ヶ原の戦いのあと、丹羽長重が赦免された理由の一つとして、
大相国家(徳川秀忠)が未だ童形であった頃、この長重と親しく語り合い、
『如何なる事があってもこの好を決して忘れない!』と、
固く誓った事があった。

このことを密かに家康に伝えた人があり、それもあって赦免に至ったのだという。

これを家康に伝えたのは、土井利勝だとも、本多正信だとも伝わる。

(藩翰譜)

徳川家康、息子の友だちならしゃーないと丹羽長重を許すの巻



39 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/26(木) 23:43:35.70 ID:Anv+yfLZ
前田利常が人質だったときの逸話があるし、仁徳者だったんだろうね

成田十左衛門、一矢報いる

2015年10月26日 18:53

889 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/10/25(日) 16:45:45.59 ID:Mf6eo+pI
「お前たちは人間じゃない」(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7244.html)

成田十左衛門が、細やかではあるが一矢報いたいい話。



成田道徳に謀反の計画があるということで、豊臣秀吉は蒲生氏郷に命じて町野左近を
討手として道徳を攻めさせた。そして道徳の首を刎ね、京の一条戻り橋(勢多橋という説もある。)にて梟した。

その後、たまたま梟し場を通りかかった秀吉が台上の道徳の首級を見て「何者の首か、不浄なり」と糾問すると、
道徳の首級はカッと目を見開き今にも飛びかからんばかりに秀吉をにらみつけた。秀吉は一瞬たじろぐも、
家臣の「成田弥左衛門尉道徳の首級にござりまする」の声に気を取り直し、「成田弥左、勇者なり。
豪の者なり」と、静かに呼びかけた。
すると、道徳の首級は静かに目を閉じ、円満な仏顔に変貌したという。



890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/25(日) 19:42:06.12 ID:jaBqglJz
暑さで目やにが緩んだのかな

酒瓢箪の仕業

2015年04月05日 14:16

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/05(日) 04:49:32.80 ID:33Db5drP
 江口三郎左衛門正吉の家人に出口某という者がいた。
この者は元来丹羽長秀の旗指であり、度々の手柄を立てていたが、ひどい無法人であったので取り立てもされていなかったところを、
江口が申し請けて、二百石の所領を与えて召し置いたのである。
 
 浅井畷の戦いのさい、真っ先に進み、思う様に戦って、敵一人を切り伏せ、首を取ったが、六十余歳の男であるので、
息切れをして休んでいると、そこに雑兵十四、五人が駆け寄って、何者かが理不尽にも首級を奪ってしまった。
 またこの出口の女房という者は似た者を友とする習いのとおり、甲斐甲斐しい女であった。
糟毛の髪を唐輪曲げで結い、染帷子に上帯し、酒瓢箪と茶の湯を左右に持って、江口のいる陣所を目指して、敵の中を通り行く。
遅れて引き上げる金沢勢が田のあぜ道の傍らに芝居して休んでいたが、この女房に向かって、
「姥御前は、何を手に持って、どこへ行きなさるのか。」
と問うと、
「そのことでございますが、向かいの山上に陣されている、江口殿とは我らが主君でございます。
今朝からの合戦に、さぞやお疲れなさっていると思ったので、酒を持っていこうと参ったのでございます。」
と答えた。出口はこれをみつけて大喜びし、
「それがしはここにいるぞ。」
と指し招いた。しかし女房はこれを見やりもせずに通り行く。敵も是を見て、
「どうなされたのですか姥御前、あの田の畔に休んでいる武者が呼んでいますよ。」
と言うと、
「案の定、あの男は我が夫です。殿が山上にいらっしゃるのに、首の一つも取なさいよ。
昼寝するくたびれ男に、酒を飲ませても無駄でございます。」
となんでもない体で、山にたどり着いて登り、
「ご酒宴に参りました。」
と件の酒を差し出す。江口は是を感じ、手先が遮って見えないほどの盃を取りふるまおうとしたところに、
南部南無右衛門は江口の寄子であったので、助勢しようと来ていたのだが、
江口に劣らぬ上戸で、指し受けて飲んでると、
酒はあったが、盃を流せる流れもなく、南無右衛門が一滴も残さず飲みつくしてしまい、残りは喉が渇いたままであった。
 出口は、女房にすげなく言われて、
「ならば、首を持参し、首を肴にして酒を呑もう。」
と、太刀を打ち振るい回して、また首を取り提げて、浅井山の陣へ参った。
「姥よ、是を見よ」
と、首級を投げ出す。女房は打ち笑って、
「その首はあなたの高名によるものではなく、この酒瓢箪の仕業と申すべきでしょうよ。」
と瓢箪を逆さに振って見せれば、出口は頭を垂れて、
「おまえに誑されて、アダ骨折ったよ。」
と言うと、江口も、南部も笑ったというそうだ。
(小松軍記)




丹羽家の太郎坊

2015年03月28日 17:33

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/27(金) 23:28:06.20 ID:5De09kWQ
丹羽家の太郎坊

加藤嘉明が会津四十万石を拝領して入部した時、白河にあった丹羽五郎左衛門長重は、かねてから
懇意の間柄でもあったので、会津まで入部の見舞いに行った。
これに嘉明は大いに喜び、酒宴を催して饗応し、酒も追々進んで興に入った時、嘉明はこのように言い出した

「今度のあなたの来臨は、どう感謝していいかわからぬほどである。
せめての事として、私が秘蔵する道具を進上しよう。」

そして太郎坊という刀を取り出し

「これは関ヶ原の一戦が終わった後、家康公より下された名刀なのだ。」

そう言って手ずから長重に渡すと、長重は大いに喜び厚く礼を言うと、どう思ったのか、
その日のうちに急ぎ若松を起って白河へと戻っていった。

翌日になり、嘉明は近臣たちを招き尋ねた
「昨日、酒の興に乗じて太郎坊を丹羽に譲ったような気がするのだが、まさかその通りか?」

「御意の通り、進ぜられました。」

これに嘉明たちまち不機嫌となり
「それは私が大酔して前後を忘却した上でしてしまったことだ!例の太郎坊を出せと汝らに申し付けたとしても、
遠慮して他の刀を出すべきなのに!
ともかく秘蔵第一の道具を人手に渡したのは是非もない次第である。急いで取り返すのだ!」

そうしてにわかに早馬をたて白河に向かわし、「件の刀は我家の重宝第一の道具であれば、返し賜るべし」
と申し入れたが、長重は

「重宝の賜り物ですから、お返し申すこと思いもよらず」

と、一向に取り合わなかったという。

この刀はもともと織田信長秘蔵の品で。明智光秀がこれを賜り、光秀が後にこれを愛宕山に奉納したのを、
豊臣秀吉が他の刀を納めてこれを取り出し、太郎坊と名づけた。その後徳川家康の所有となった。
長さは二尺三寸であった。

(刀剣談)





615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/28(土) 08:50:44.37 ID:oFwOfqpk
>>613
返せって言われたら

     )、._人_人__,.イ.、._人_人_人
   <´ 天狗じゃ、天狗の仕業じゃ! >
    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  //
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  /
// //,|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| /
/ // |:::     +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;|// ////
/// :|::       ( (||||! i: |||! !| |) )      ;;;|// ///
////|::::    +   U | |||| !! !!||| :U   ;;; ;;;| ///
////|:::::       | |!!||l ll|| !! !!| |    ;;;;;;| ////
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|    ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: :   | `ー-----' |__////

ってやれば多分大丈夫だろその刀
そもそも太郎坊は愛宕山に住む天狗の名前
一説によると日本一の大天狗(後白河法皇とは別人)

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/28(土) 11:11:49.18 ID:xiYsLJmM
>>613
懇意の間柄だったのに重宝がもとで…
しかしこの時代って返さない奴おおいな
ごうつくばりばっかり

北陸の関ヶ原の戦いの原因

2015年03月28日 17:32

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/28(土) 00:22:36.97 ID:cx1J4gVH
 慶長五年七月二日、家康公は武州江戸にご到着になり、御仕置等を仰せ置かれ、同二十一日、家康公秀忠公御父子は十二万余の軍勢を
率いて奥州へ向かいなされた。
景勝もかねてから支度していて、城々を堅固に守り、自らも二万余騎を率いて白川口へ出張る。
 利長も本国へ馳せ下り、近隣の勢に会津攻めの軍勢を出すよう促し、小松の丹羽長重にもその旨を達した。

長重が思はれるに、
『心得ぬことだな。去る頃、内府が利長に謀反の企てありとお疑いになったあの時、内府から頼まれてやむなくその周囲を探った。
利長との長い厚誼を振り捨てたのだ。これは忠義のためである。たとえ利長の陳謝がどのくらいであろうとも
内府はわしに知らせてから、和睦なされるべきであった。
 こたびの上杉景勝討伐、相手は天下の逆賊であるから誰が断るはずだろうか。
すぐにも、内府から直々に、長重も兵を出せとのご催促があって然るべきであるのに、利長からこれを達してくる事に納得がいかない。
利長はなにか計っているかもしれない。この頃の、わしの行った計略を遺恨に思い、会津長征の道すがら討ち果たすつもりかもしれぬ。
しばらく世間の様子をよく聞いて検討しよう。』
とて、
「早々に打ち立つべきでありますが、病にて歩行も思うままにできませぬ。
その上、長征の準備もいまだ半分しか整っておりませんので、それがしは後陣を担当したい。
まず、あなか方の国の者をお先に行ってください。」
と返答した。

利長はお聞きになされて、
「長重のこの頃の態度は分からない。わざわざ後陣を望むのはおかしい。ともかく、彼の安否をよく調べた上で打ち立とう。」
と不破斎宮之助という者を使者とした。
「奥州退治のこと、諸方の寄口を知らせる必要があります。催促したのは私ではなく貴命であります。
どのようなお考えから、こんなふうに出兵を延引なされるのか。このままでは人から不審も招きましょう。急ぎ出陣されよ。」
催促は立て続けに四度に及んだが、なおぐずぐずしている。
 そこへ、大坂の三奉行から、『秀頼公の命によって謀反を起こす』との廻文が届き、ほぼ時を同じくして内府から、
北国のことでは、特に長重を勇猛の武将として頼もしく思っている旨の檄文が届いた。
『かように期待されるのは本望であるが、利長の謀略も計り難い。いかがしたものか。』
と思案していた。

 斎宮之助は金沢城へ馳せ戻って、『小松側の態度は心得がたい』と報告した。利長は、
『大坂での三成らの謀反の動きは既に伝え聞いている。その上、謀反に加担せよとの回文も到来した。
さては長重、かねてより三成に与していればこそ、会津への出兵を遅らせたものと思われる。
この上は早々に小松を踏み散らして手元を安全にして、然る後に、上方へ打ち抜けるか、奥州へ向かうか、時宜に応じて行動するとしよう。』
と決めて、七月二十六日申の下刻、四万余騎の軍勢を率いてにわかに小松表へ押し出した。
「松任より向こうは小松領であるので、焼き払って通れ」
と道筋の在家を放火し、手取川を渡り、水島寺井まで押し寄せた。すでに時が過ぎて暁になっていた。
 
 小松側では、思いも寄らぬ事なので、上を下へと騒乱ひとしおの中、長重は、
『かねては内府を敵にまわす覚悟ではなかったといえども、今、大軍に押しかけられ、利長に陳謝するわけにもいかず、
もはやいかんともしがたい。籠城しよう。』
と決めた。
(小松軍記)

北陸の関ヶ原の戦いの原因である




丹羽長秀、危篤の時に

2013年08月19日 20:02

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/19(月) 18:30:01.36 ID:t/koTy7R
丹羽長秀は数年来の積聚に侵されて危篤の状態になった時、

「たとえどんな病気であっても、我が命を失わせるのならばまさしく敵である。
どうしてその敵を討たずして死ねようか」と腹をかき切り、腸を引き出した。

腸を見てみると奇妙な怪物が出て来た。形は石亀の如く、くちばしは鷹の如く
尖り曲がっていて、背中には刀の当たった跡があった。

長秀は自ら筆を執って事の次第を記し「我が家督の事を良いように処理してください」
と書きしたためて、腹を切った刀に積蟲を添えて御殿に献上した。秀吉はとても驚いて嘆き、
自ら筆を染めて「間違いなく子息に本領を与える」と固く誓った。

長秀はこの返事を披き見て「もう思い残すことはない」と言って亡くなった。

――『藩翰譜』




189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/19(月) 18:49:14.63 ID:8HWuks11
>>188
権現様「参考にさせて頂きます」

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/19(月) 19:00:37.73 ID:CUYyB3q+
有名な割に丹羽長秀の逸話って死ぬじきくらいのばかりなような

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/19(月) 19:07:24.98 ID:I74R3XdJ
>>188
そして子息にガッツリと減封につぐ減封を食らわせたと

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/20(火) 05:40:54.99 ID:+9AwLDop
織田の有力家臣はどうして嫡子がいなかったり若年だったりするんだろ
ふつう30歳辺りで子供が何人かいるよね

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/20(火) 13:15:07.24 ID:S8iFuCUq
>>193
なんかそれ、働きすぎのサラリーマンみたいじゃないか

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/20(火) 17:09:23.25 ID:L6kJ8zBX
>>193
年長の子が娘だらけだったりするケースもあるからね

丹羽長秀、任官を断る

2013年05月06日 19:52

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/06(月) 07:31:06.78 ID:UwuGLQuO
丹羽長秀、任官を断る

天正三年信長、長秀に惟任の氏を賜り壱岐守に任じた。

長秀は「惟任については畏まり受け奉りますが、
壱岐守についてはご勘弁ください
某は若き時分より呼ばれている五郎左衛門のままでいたいのです。」

と達て申し上げたので、その望みに任された。

(名将言行録)


198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/06(月) 08:43:05.61 ID:br2kSEcp
>>196
惟任じゃなくて惟住じゃね

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/06(月) 09:43:17.03 ID:UwuGLQuO
>>198
判ってはいるけど、元本にそう書いてあったのでそのままにしといた。

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/06(月) 10:10:09.55 ID:MqipYOaQ
丹羽丹羽丹羽丹羽長秀がいる

丹羽長秀の憤死

2013年05月05日 19:10

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 06:59:37.19 ID:L9T8304a
丹羽長秀の憤死

後年、秀吉天下を掴まんとするに、心平らかなるあたわず。
ひそかに信雄(のぶを)卿を助けて、織田家の再興を計りて果たさず、
一室に籠りて懊々たり。

疾病に罹り、晩年ほとんど堪えず、遂に刀を抜きてはらを割き、
塊物を抉り出して死す。

塊物亀形をなして、鷹觜の如きあり、背に刀痕を帯ぶ、
秀吉竹中法印に命じて、これを蔵さしめたりき。

(続 鳴呼古英雄)




543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 09:00:21.04 ID:GBiO5QUA
〉竹中法印に命じて、これを蔵さしめたりき

この部分の現代訳をご教授お願いします

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 09:11:55.39 ID:BkSiWucm
>>543
「蔵さしめる」は「蔵に納める」ってこと。
つまり丹羽長秀が腹から取り出した塊を、秀吉が竹中法印に命じて蔵に納めさせた、という事だね。

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 10:23:59.64 ID:OWxix9Q8
腹に納めて縫ったのかと思ったが
塊を秀吉に送りつけてた気がするから、やっぱり蔵に納めたのか

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 11:28:35.29 ID:GBiO5QUA
>>544
ありがとうございます。
そのニュアンスは、丹羽さんの覚悟を讃えて蔵入りか、
それともその覚悟を隠したくて蔵入りなのか、
どちらに読めばいいのか…いまいちわからない

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 12:13:35.78 ID:ulbPAqWe
丹羽長秀を検索したらフンドシ姿のお姉ちゃんが出てきて死にたい

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 13:44:02.91 ID:befZ1wQQ
激寒採点おばさんの悪口やめーや。

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 15:52:47.11 ID:+ZHacaZi
>>547
画像も笑えたけど、検索したついでにあったアンサイクロペディアがくそ笑えた
>「織田」と名前のつくチンピラどもが仲間割れを繰り返す厄介な国である尾張において、牧舎の鶏小屋で丹羽長秀は誕生した。ってなんだよw

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/05(日) 17:17:42.91 ID:hl7L+R7x
丹羽には丹羽丹羽鳥がいる

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/07(火) 07:35:54.88 ID:WUvNQt0U
>>538
丹羽長秀の死に方の何が怖いって

「去ぬる十四日(天正十三年四月)に腹切り、終に十六日死去しおはんぬ」
(多聞院日記)

ってことなんだよな。
腸抉り出すほどの割腹して尚死亡までに二日のタイムラグがあると言う・・・

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/07(火) 14:19:54.01 ID:pCP2coqL
長秀が亡くなって以降の丹羽家はそれこそ波乱万丈の連続だったが息子は逞しく育ったな
決して世渡り上手の人ではなかったみたいだけれど

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/08(水) 11:29:47.62 ID:97/v4Lob
>>567
多聞院日記はネタの宝庫だなー
噂を書きつけておくことが多いからビックリするような話が残ってて楽しい。

雑談・丹羽長重って

2013年04月28日 19:00

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 12:28:53.41 ID:KmFhVaoa
北陸関ケ原はちょっと前まで敵だった、前田が味方で、
味方だった大谷と丹羽が敵になってて面白い。

435 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 01:00:28.79 ID:N2441eKb
>>427
丹羽長重って立花宗茂と同じくらい名将だと思うけど
全く評価されてないよね

436 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 04:20:52.81 ID:T2ysZs7J
>>435
全く評価されてない人をなぜ名将と思うのかが知りたい

437 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 06:13:48.24 ID:MkNtV6ec
築城に長けていたとはよく聞くけど

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 07:08:03.56 ID:nVqyR022
名将かは知らないけど、関ヶ原で改易されたのに
最終的に関ヶ原前以上の石を得てるのはすごいかもしれない
もっとも、親父から受け継いだのは100万石以上だけど
あれはほら、ラスボスに睨まれてたし

439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 07:29:48.21 ID:p2cuovEF
同じように改易から復活したのにその点で仙石秀久を評価する人はめったにいない罠
まあそもそも仙石の改易は完全に自業自得だけど

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 07:37:48.44 ID:T2ysZs7J
力関係を見極めての根回しとか、自分の印象付けとか上手いよね。
御子柴とかに比べて圧倒的に。

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 07:38:27.23 ID:9iZ4bBa4
>>430
生前の家康公は、狸ではなく猛牛に喩えられていたとか何とか

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 08:00:31.96 ID:Pm2buK+h
>>441
なんか、現在の良くも悪くも我慢強くて怜悧なイメージと違って、秀吉が「おれに天下でかなう奴居ない」って言ったとき
「殿下は小牧のことを忘れたか!」って怒鳴った話みたいに、あいつ怒らせるとガチで危ない、みたいな印象があったらしいね。
多分三方ヶ原で武田軍相手に玉砕して以来の印象。

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 08:19:26.74 ID:KTXbAPOz
>>440
御子柴って、阪神の元ピッチャーの?

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 10:27:35.89 ID:I+I6BckX
>>438
秀忠のアッー!の兄貴だったからじゃないの

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 11:08:13.16 ID:I+I6BckX
修行中の身でリンク禁止だから貼れないけど
まとめサイトの「丹羽長繁るへの、秀忠の懇志」にも書かれているけど
ほぼ確実に衆道の間柄だったとみていいと思う

『徳川実紀』には
「右大将殿もとより長重とは懇に御したしみありければ、しばしば長重が事なげかせ給ひしにより、
かく召し出されたり」

『名将言行録』には
小田原の役の時に長重がまだ若いのによく兵を用いているのを見た家康が深く親しで
秀忠と兄弟の契りを結ぶように引き合わせたと書かれている

「お前たちは人間じゃない」

2013年01月28日 19:52

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/27(日) 23:47:22.68 ID:HRn8JFsi
丹羽五郎左衛門の家臣に成田十左衛門(弥左衛門道徳)という勝れた武士がいた。

丹羽家の大きな領地が、子の長重の代には豊臣秀吉に取り上げられて四万五千石に
なってしまった時、成田は広間で「誰か我に一味する者はいないか」と言ったのだが、
座の者は誰一人として答えなかった。

「お前たちは人間じゃない」と、成田は言った。

後にこれが秀吉に知られ、成田は(出奔して隠れていた)伊勢で誅された。

――『老人雑話』




326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/28(月) 18:16:00.79 ID:C2ohUS3j
>>321
当時丹羽家で最大の重臣だった長束正家が、とっくに秀吉に取り込まれているんだよなあ…。

丹羽長重の戦略

2012年10月07日 19:17

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 12:09:46.04 ID:SGttm6PW

世に言う浅井畷の戦いの折、江口正吉は引き退く前田軍に喰らい付き、
鳥銃を打ち掛けた。主君の丹羽長重は銃声を聞いて「遅れるな者共!」と、
馬に鐙を合わせて馳せ着け、終には寡兵をもって前田利長の大兵を追撃した。
この時、正吉は「この殿の早業は今に始まったことではないぞ!」と喜んだ。

この戦いは立花宗茂が寡兵で鍋島勝茂の大兵を打ち破ったのと並び称された。
この後、長重は封地を失うことになったが、後に白川十万石に封じられたのは、
この戦いの勇功を賞されてのことといわれた。当時、諸将は長重と会うたびに
その戦略を質問していたということである。

――『名将言行録』





772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 12:29:16.09 ID:QgFtWxCg
知りたいのは戦場の駆け引きじゃなくて老中たちの接待についてだろうけどな

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 14:49:06.91 ID:DxV9hUs0
老中よりむしろ秀忠さんとのお付き合いの仕方だと思うの

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 15:19:45.74 ID:nlO52Lj8
長重さんって賤ヶ岳当たりで初陣で戦役の度に減封なのによく腐らずに育ったよな

丹羽長重への、秀忠の懇志

2012年03月21日 21:51

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/21(水) 13:07:34.69 ID:Mw6q4DU5
慶長6年(1601)正月のこと。

関ヶ原で没落した丹羽長重の元に、何事か、土井利勝よりの書状が届いた。
これを開いてみてみると、そこには徳川秀忠の内意が記してあった

『内府公(家康)のあなたに対するご機嫌も和らぎ、今こそ復権の機会です。
早々に江戸に出府してください。』

長重はこれを見て甚だ喜び、早速3人の共を連れて江戸へと登った所、芝の町家において不思議なものを見た。
そこには大きな木札に『丹羽五郎左衛門宿』と書かれていたのだ。

不審に思った長重がその家の亭主に尋ねると、亭主曰く「先日、土井大炊頭(利勝)様より、このようにせよと
仰せつかまつりました。」と言う。

そして長重一行はこの宿にて非常な歓待を受けた。そして数日ここに滞留している間に、
小松時代の家臣たちがこの事を聞きつけ毎日のように馳せ訪ね、あっという間に24,5人も集まった。

これも全て秀忠の心遣いであったが、それまでも、家康が長重を許さずにいた間も、秀忠は長重に対し
色々な懇志をずっと示していたのだという。

長重はここでしばらく幽居し、慶長8年3月、常陸古渡1万石を拝領し、ついに大名に復帰した。

(雄藩雑話略抄)





354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/21(水) 16:10:39.79 ID:gQEkI2Ji
>>352
何で秀忠が丹羽にここまでやってくれるかが分からん。

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/21(水) 16:57:53.74 ID:kBRjxao5
>>354
親父さんと比較される次代の立場にシンパシーでも感じてんじゃね?w

丹羽長秀、上洛せず

2012年03月03日 21:51

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/03(土) 07:36:20.52 ID:T43T6MHy
天正11年(1583)

羽柴秀吉は7月に大阪に居城を築く。この頃参議に任官し、従四位の下に除し、その権威は添加に振動し、
各地の諸侯は我先にと大阪に馳せ上り彼の謁見を受け、皆その麾下に属した。

そんな中、丹羽長秀だけは越前に移って以来、秀吉に対し音信の使いも登らせず、この年の末になり
冬となっても上洛することも無かった。
これに秀吉は激怒し、使いを越前に派遣し長秀の態度を激しく責めた

『今私は天下の覇権を握った!禁裏を守護し、勅許を受け天下の兵権も掌握した。
そうであるのに長秀は、そんな私との約束に背き上洛してこない。一体どういう理由で私の側に来て
私を輔けないのか!?速やかに上洛せよ!』

この秀吉の言葉を聞き、丹羽長秀は更に激怒した

「秀吉は私のことを何だと思っているのか!?私はこれに返答すべき言葉がある!
汝(秀吉からの使者)は私の家臣を連れて、京に戻るが良い!!」

そして家臣の中から村上次郎右衛門義明を選び、自身の言い分を伝え、秀吉の使いに付けて京へと向かわせた。

義明が上京すると、秀吉はその周りを威儀厳重にしてこれを召し出した。
しかし村上義明はいささかも恐れること無く秀吉の前に出ると、こう声を上げた。

「長秀の言葉はこうです。当国(越前)に移って以来、国務は甚だ多忙であり、またこの北陸の地は雪深く、
冬になれば道を通ることすら容易ではない。その上、天下は既に足下が安定して掌握している。
それ故に私は、安心して在国して足を休めているのだ。

今、あなたが天下の覇権を握るのに、私もおおいに助力した。
それなのにどうしてこのように、私を甚だしく責めるのか!?そこをよく考えていただきたい!」

これを秀吉の前で言い放った義明の勇壮に、祗候の諸大名たちは皆驚き、秀吉の反応を恐れた。
が、この時秀吉は

「…私の言い過ぎであった。汝(秀吉の派遣した使者)も長秀に陳謝せよ」

と、義明に付けて再び越前へと送った。

この秀吉の態度に長秀の怒りも解け、秀吉、長秀は以前のように懇意の間柄になったという。

丹羽長秀が上洛しなかった事からきた騒動に関する記録である。
(丹羽歴代年譜)




245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/03(土) 12:03:58.61 ID:qXXkHXJx
最後の一文は・・・なぁ?

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/03(土) 14:09:23.04 ID:oZ3YvhSI
織田株式会社(新興ブラック企業)
丹羽長秀=部長
秀吉=平社員

20数年後、羽柴財閥(日本一の巨大財閥)
丹羽長秀=子会社社長
秀吉=羽柴財閥総裁

柴田、丹羽、池田と仲良く出来るわけないわ

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/03(土) 18:52:46.03 ID:xyzviczL
堺屋太一っぽいな
元記事の長秀を普通に格好いいと思ってしまったけど

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/03(土) 19:14:57.35 ID:U+Hrgor7
>>247
だって丹羽家藩祖の公式記録だもんw

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/04(日) 00:39:03.31 ID:u550q+Io
>>246
池田恒興は信長の乳兄弟で別格だし目障りだったろうな
小牧長久手の戦いの際に三河への直接攻撃を功にはやった恒興が秀吉に
許可を求めた事になってるけど、秀吉から命令された説もあるんだよな。
そうすると無謀な作戦で死を覚悟した鬼武蔵の遺言に合点がいく

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/04(日) 06:02:54.20 ID:6zNwtS2t
森家も目障りだったのかな?

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/04(日) 07:40:12.24 ID:eliJJb+0
秀吉個人としてみれば旧織田家中で目障りなのはいなくなったからな
長秀死亡時点で

丹羽家の不穏と秀吉

2012年02月24日 21:51

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/24(金) 17:45:51.42 ID:/jZaIhlV
天正13年(1585)7月、羽柴秀吉は越中の佐々成政を征伐すると、近々北国に発向すると表明。
そして越前領主丹羽長重にその先陣を許した。長重は急ぎ帰国し、軍馬を揃え秀吉の下向を待つ。

8月、秀吉は北伐と称し越前路に来臨。長重は北ノ庄城を発して近江路まで出てこれを迎え、北ノ庄城への
渡御を乞う。秀吉はこれを許諾し、総軍は街道に残した上で、扈従ばかりの人数で北ノ庄城に入城し、長重からの
饗応を受けた。時に秀吉の、長重への懇意なことは、まるで父子のようであった。

この時、丹羽家中では一部に、秀吉に対し密かに反逆せんとする企てが進んでいた。
ところが秀吉はその事を以前から気き知っており、しかしそれをいささかも顔に出さず、この饗応に
大いに喜んだ風で、丹羽家の重臣一同(無論反秀吉派も含む)を御前に召し出し、特別に銘々に盃を与える。
そして一同にこう申し下した。

「よいか、国主長重は年若い。お前たちは故越前守(丹羽長秀)の遺訓に違わず、忠義をなして長重を補佐するべし!
万一、彼が幼主であるのを侮り、私意を以って悪事を進める賊臣があるようならば、直ちに首を刎ね、長重の領地は
全て没収する!そうなれば長重は不肖の子であり、お前たちは不義不忠の賊臣である!
固くこの旨を心せよ!」

そう厳命すると長重の方を向いて

「わしからの、そなたの家臣共への命令は今聞いたとおりだ。そなたは若年といっても、これをいささかも忘れてはならない。
そなたの父長秀は、信長公天下創業第一の功臣であり、その英名は天下を恐服させたものだ。
そなたもその父の資質を受け継いでいる風にみえる。謹んで臣下の善悪を究明し、国家の大事を怠るでないぞ!
年頃に至れば朝廷に奏し高官に登用し、これから攻めとる佐々成政の領地を加増し北国一円の主とさせるであろう。
そのつもりであるから、今回の佐々成政に対する先陣も許したのだ。この旨をよくよく理解せよ!」

そう厳命した上で北の庄を発した。

秀吉による、丹羽家中及び丹羽長重に対する牽制と懐柔である。

(丹羽歴代年譜)






151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/24(金) 18:36:41.79 ID:AA7P8lgF
??「北伐と聞いて」

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/24(金) 18:54:12.21 ID:52PWb2W7
>>151
丞相は三戦板に帰れ

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/24(金) 20:05:49.27 ID:a+L0bCZ7
いや、岳飛かもしれんぞwしんかいさんにとっちゃ鬼武蔵みたいなもんかもしれんがw

155 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/02/24(金) 21:00:44.10 ID:zjFqp70B
>>147
減封されたのってこれが原因?

丹羽家改易顛末

2011年10月24日 22:04

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/23(日) 22:58:11.96 ID:y5v3wUby
天正14年(1586)の早春の事だという

京にあった丹羽長重は、帰国するため豊臣秀吉に対し暇を賜ることを願った。このとき秀吉は
長重の膝下まで近づくと、彼に言葉を投げつけた

「お前は知っているのか!?お前が歳若きことをお前の家老たちが侮り、長秀の遺した掟、
そしてわしが直々に申し渡した掟にすら背き、私意を持って国を乱そうと企んでいることを!

既に去年秋の北成(佐々成政成敗)の時、お前を欺き悪事を働く家臣があって、越中表において
軍令に背いた!

この糾明のため、しばらくお前の分国を散り上げる!
ただし、特別に若狭だけは残してやる。
お前は帰国の上早々に、若狭国小濱の城に移るのだ!!」

しかし、この没収命令以前に、丹羽家において秀吉の命令に従わなかった重臣たちは、すでに
追放されるか又は逃亡し、処分は既に済んでいたのだ。
そして長重の若狭移封により、秀吉の命令に従ったものまで丹羽家を離れることになり、彼らは
あるいは秀吉の直参となり、あるいは新たに越前に入った堀秀政に与えられた。
丹羽家中の解体が、行われたのである。

ともかくも、ここに百万石を超えた丹羽家の領地はそのほとんどを没収され、丹羽長重
わずかに若狭小濱12万3千石の領主に転落した。
(丹羽歴代年譜)






483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/24(月) 22:34:25.42 ID:rYEbY7FF
>>467
丹羽家は秀吉に散々な目に合わされたのに、
なぜ関ヶ原では西軍についたの?
長重と徳川家の関係は悪く無かったろうに。


484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/24(月) 22:40:17.02 ID:uAZicEAC
>>483
東軍派だったけど、大谷吉継に警戒して見せかけは西軍としておいたとか?
前田家とは割りとだらだらとしていたり、和睦したりしているし
完全に西軍派には見えないかな

485 名前: 忍法帖【Lv=15,xxxPT】 [sage] 投稿日:2011/10/25(火) 00:39:10.61 ID:IhhQzdeq
>>483
確か前田利長に騙されたんじゃなかったっけ?


487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 05:02:01.30 ID:jNkdrLhp
>>383
関ヶ原の戦いの構図は徳川vs豊臣ではないから。


地理的な事も大きかったんだろうけど、西軍についたのは丹羽家は前田家の事を嫌いだったからじゃないかな。

信長の家臣時代、長秀存命中は丹羽家の方が上だったのに現政権では立場が逆転。
利家と家康が一触即発の事態になった時は家康邸に参集
結果かわされたけど利長謀反も訴えでて、
大名に復帰した後、子孫は前田の分家とトラブル起こしてる。

徳川家の抑えとして東海道沿いに配置された子飼いがことごとく東軍についちゃったのとは逆で
前田家の抑えとして機能したって事かな。

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 09:17:50.42 ID:0QcW39aV
>>467>>487
秀吉と利家の死んだ順番が逆なら
前田家も石高を10万石程度にされてたんだろうか?

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 10:38:15.41 ID:C/dOVjvj
前田家百万石は秀吉と利家の個人的な仁義関係が基盤になってると思う
だから秀吉の存命中に利家が死んだら利家に秀頼を守らせるって構想が崩れるし、やっぱ改易すんじゃないかな
利家だからこそ豊臣家に尽くすって見積りがあってこその百万石だろうし
ラスボスは大和大納言家すら潰したわけだし

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 11:54:02.86 ID:QEb6e5VB
秀吉は、大名を家でなくて個人で見すぎたんだと思う
だから個人が能力を発揮したら大領土を任せるけど
死んで子供になって同程度の統治能力を期待できなくなったら
容赦なく減封しまくった
蒲生家とかいい例だわ

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 12:35:41.72 ID:0QcW39aV
親が死んだら8割以上の減封で功績次第で大増封
みたいな能力主義も間違いって訳じゃないだろうけど

ただ秀吉自身にやられるならまだしも
三成みたいな官僚たちに査定されるようになるとまた変わってくるのかな

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 12:50:48.00 ID:qF3xeU4r
問題なのは、大名を育成するのは難しいけど官僚育成は比較的容易な点
つまり奉行連中だけは自分の仕事を子供に継がせられる訳だ

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 13:27:45.60 ID:8nasM1kQ
官僚が常に有能で、情報を多く保有し、
情勢を判断出来るのだ!
って思い込みは日本特有だよな。

結局は、責任とる気概がないから、
失政すると責任回避でいつもグタグタになる。

三成しかり、戦中しかり、現在しかり。

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 13:46:54.25 ID:C/dOVjvj
三成は最終的には斬首という形で責任とったじゃん
有能無能はともかく、官僚としては体制の維持っつー最低限の義務は果たそうとしてたと思うよ
責任から回避しようとしたのは諸大名を監督する奉行の地位にありながら、遺法破りまくりの家康に媚び売ってた
増田・長束らだろ
官僚として責を果たすどころか自分の保身しか頭にないっていうね

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 17:02:18.43 ID:BouorWkK
>>487
>前田家の事を嫌いだったからじゃないかな
本気で嫌ってたらあんなgdgdの八百長合戦してないと思うがなぁ

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/25(火) 17:13:17.84 ID:pQ79CznJ
三成は常に自分が表に出ていたし、矢面に立つ事を避けなかったよ
今の官僚は政治家の後ろに隠れて顔も名前も出さずに安全圏で貪っているだけだわ

丹羽家解体顛末

2011年05月04日 00:00

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 04:30:38.90 ID:UfUYSQxM

丹羽長秀が腹の中にできた腫瘍に怒り、自身で腹を斬りその腫瘍を取り出して死んだ、
という話は有名である。この死の前、羽柴秀吉は長秀に対し自筆の書状にて、「子息に
本領を安堵すること相違あるべからず」と固く誓っていた、という。

さて、長秀の跡を継いだのは若干15歳の丹羽長重であった。
秀吉は小牧長久手の際、徳川家康・織田信雄方に味方した越中の佐々成政に対処するため
丹羽家の軍勢を早速動員した。が、その所領安堵のことについては何の言葉もなかった。

この頃丹羽家でも最も力のある重臣は、成田弥八郎であった。

成田は家中の者たちを集め、語った

「それにしても我々の故主(長秀)は、織田殿の御恩が非常に深い方であられた。
それが秀吉という無道人にたぶらかされて、織田家の天下が奪われてしまったのは、
一生の不覚と言うべき事である。

その上大恩ある織田家の公達をすら殺そうという人間(秀吉)がどうして、かつて織田家の
同僚であったというよしみを気にかけ、まだ幼い我らが主君に大国を数多く任せよう、などと
考えるだろうか?

得難きは時、失い易きは勢という。

今にも滅びようとしている我が丹羽家だが、未だ勢が散り失せていない今のうちに、秀吉が
越中に入る頃を見計らって、織田殿の御為義兵を挙げ、佐々と挟み撃ちにしてこれを滅ぼし、
故主の恥を雪ぐ事こそ、いかなる仏事、供養にも勝ることであると考える。
方々はどう思われるか!?」

これに丹羽家中の人々は驚き、「以の外の大きな議題である」と様々な意見が出て、
なかなか意見がまとまらず時間ばかり過ぎた。
そうしているうちにこの事が秀吉の耳に達する。これは丹羽家家臣である長束正家、戸田重政が
秀吉に密かに知らせたのだ、とも言われる。

秀吉の行動は早く、たちまち成田弥八郎を捕らえ死刑に処した。そして佐々成政が降伏すると、
今度は丹羽家の主な家臣、長束大蔵大輔(正家)、村上周防守(義明)、溝口伯耆守(秀勝)、
青木修理亮(宗勝)、青木民部少輔(一重)、寺西下野守(清行)、上田佐太郎(重安)、
奥山雅楽助(正之)、といった人々を全て自分の直臣として召し上げ、その上で丹羽長秀の所領であった
越前、加賀を没収。

「本領であることには相違無い」

と、『織田時代』の所領であった近江国内の三郡を、長重に与えた。


秀吉による丹羽家解体の顛末である。




989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 06:06:06.26 ID:HYKZxb++
秀忠さんお気に入りなんだよなぁ~
でも、パーフェクト超人に比べると地味すぎるけどな~

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 07:34:09.46 ID:ZVDFfcse
>>988
秀吉は約束を反故にしたか
もしかしたら秀吉より家康の方が先に亡くなってたら関八州も取り上げられたかもしれんな

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 08:56:02.74 ID:fzqDC46e
>>988
成田もあながち間違っちゃないんかもしれんが
もっと信頼できる人と話しあってからにすればいいのに

992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 09:12:43.24 ID:JhgpqIZ5
厳しいこというと、家臣の一部が反乱を企てたとしてそれを主人として抑えることができなかった以上
「大封に要地を任せておくことはできない」という判断も非難できないんだよなあ
丹羽家が主導でこの企てを潰していたらまた秀吉の対応も変わったかもしれないけど

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 10:26:05.97 ID:B3b/p1db
まあ、長重も鬼吉川みたいに、秀吉の命を受けたクロカンに毒鮭
食わされなかっただけ、ましだと思うがね。
命あってのものだねだよ。

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 10:53:43.30 ID:qWh7RT0N
まぁ、秀吉からすれば長秀に恩はあっても、息子の方には何にもないしね。

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 11:05:36.34 ID:yZiUMPKa
長秀が北条降伏後まで生きていたら関東入りしてたかなあ

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 11:54:42.02 ID:fFHCHO72
長束・戸田「計画通り」

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 12:16:07.61 ID:v+ulFDbP
ラスボスは親や親、子は子って割り切るよね
丹羽さんの件も蒲生工場長の時も

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/03(火) 12:25:00.01 ID:YbX/+Jn7
>>988
浅井が朝倉攻め途中の織田を後方から攻撃した話とかぶるね