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『山城に行こう!2018~森長可の東美濃統一~』のお知らせ!

2018年10月29日 17:35

森長可   
376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/28(日) 21:19:37.48 ID:6VuEZ25F
殺 伐 と し た ス レ に 鬼 武 蔵 が !
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山城に行こう!2018~森長可の東美濃統一~
http://www.city.kani.lg.jp/15128.htm
日程
平成30年11月23日(祝日・金曜日)、24日(土曜日)、25日(日曜日)

場所
広見地区センター(岐阜県可児市広見7丁目77番地)

(23日)戦国寺子屋
特別顧問によるトークショーを開催!
日時:11月23日(金曜日)13時30分~16時00分
会場:広見地区センター
内容:
●第一部 森長可と東美濃の山城
長可の東美濃統一から小牧・長久手の戦いで討ち死にするまでのストーリーと東美濃の山城との関わりを城跡ごとに解説します。
●第二部 描き手からみた山城の魅力
漫画『センゴク』で描かれている山城を題材に、宮下氏が裏話を交えながら山城の魅力を特別顧問と語ります。

(24日)群雄割拠の山城めぐり!
美濃金山城跡、久々利城跡、今城跡をバスが巡回し地域団体がガイドなどでおもてなし。
現地では、特別顧問に会えるかも?!
日時:11月24日(土曜日)9時00分~13時00分
会場:市内城跡(美濃金山城跡、久々利城跡、今城跡)
内容:
可児市山城連絡協議会への運営協力金(各城跡500円以上)を納め、各城跡の通行証を手に入れて、特別なおもてなしを受けよう!
・美濃金山城跡、久々利城跡、今城跡の各城跡でガイド等を受けることができます。
・通行証を2枚以上お持ちの方は、25日(日曜日)縄張りシリーズ第二弾「縄張りクリアボトル」と引き換えが出来ます。

縄張りボトル引き換え方法:
25日(日曜日)10時00分~10時30分の間に、広見地区センター内の可児市山城連絡協議会ブースにて引き換えが出来ます。(通行証2枚につきクリアボトル1本)
先着300名(3城×100本)ですが、11時以降可児市山城連絡協議会のブースにて1,000円で販売します。

(24日)先手必勝山城軍議
パネルディスカッション「東美濃の山城に行こう!」
日時:11月24日(土曜日)14時00分~16時00分
会場:広見地区センター
内容:
中津川市、恵那市、可児市の城跡保存団体関係者がこれまでの整備等の成果について発表します。
(出演者)
●香川 元太郎
●中井 均
●加藤 理文
●萩原 さちこ
●3市城跡保存団体関係者

(25日)東美濃の山城が大集合!!
東美濃の山城が可児市に大集合!お城好きの人も、そうでない人も楽しめる企画満載!
日時:11月25日(日曜日)10時00分~16時00分
内容:
●合戦場
・チャンバラ合戦IKUSA 小牧・長久手の戦い
(参加費)500円 各回先着50名
(受付時間)
(1)10時00分~10時20分
(2)11時00分~11時20分
(3)13時00分~13時20分
(4)14時00分~14時20分

・あっちゅうまにカッチュウ
(参加費)1,500円 各回先着15名
(受付時間)
(1)10時00分~10時30分
(2)13時00分~13時30分

●城内
・講演会
山城が誘う戦国史の魅力と楽しみ方~明智光秀と東美濃の城~
(時間)13時30分~15時00分
(内容)
スペシャルゲスト小和田哲男氏を迎え、可児市にゆかりのある戦国武将「明智光秀」と、東美濃の城との関わりについて講演します。

・書籍グッズ販売
漫画『センゴク』の単行本を販売。また、作者の宮下英樹氏制作のオリジナルグッズも特別販売。※23日、24日も販売有り。

・山城紹介ブース
(時間)10時00分~16時00分
(内容)各城跡のPRブースが出展します。

●城下町
・戦マルシェ
(時間)10時00分~15時00分
(内容)鉄砲火薬ごはん、光秀の本能寺「焼き」そば、可児才蔵の串刺し五平などユーモア溢れるメニューが盛りだくさんとなっております。

・戦国武将を出陣させよ
会場内に設置された特製パネルにシールを貼ってドット絵を完成させよう。

・センゴク騎馬隊(ポニーの乗馬体験)
甲冑を着て乗れば気分は戦国武将!※衣装貸し出し有
(参加費)500円
(時間)10時00分~15時30分



とても面白そうです、興味の有る方、お近くの方は是非!
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何條八幡の神体可成

2018年10月15日 18:24

森長可   
316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 21:19:14.41 ID:FVCoKXYq
長久手合戦の時のこと

森武蔵守長可は美濃国金山が居城のため、大垣にほど近く油断していたため、池田勝入に先に
犬山城を占拠されたことで大いに焦り、池田へも知らせず犬山の先に進出し、羽黒八幡村を後ろに見、
前に小川を隔て、いかようにも一働き致すべきと、備えた。

この時、八幡の林に大蛇が出た。神主は「これ則ち八幡宮の御神体です!御勝利疑いありません!」と
申し上げたのだが、武蔵守は

「こんなものが八幡の神体なものか!(何條八幡の神体可成)」

と、これを引き裂いて捨てたという。金山から羽黒まで六里である。

森長可は血気の勇将であり、古より良将は神威を尊ぶということを知らなかった。
木曽義仲は新八幡に願書を籠めたし、織田信長も熱田神宮へ祈誓した。彼は良将とは大いに違っていた。

(長久手戦話)



世にその勇を称して“鬼勝蔵”という

2018年10月14日 18:16

森長可   
353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 15:19:32.34 ID:Zngx3QBK
滝川一益がすでに厩橋を去って上洛した以上は、上野・武蔵の輩は北条に敵し難く、皆々降参して旗下に
属した。信濃小諸城主・道家彦八郎正栄と伊那郡の毛利河内守秀頼もたちまち城を捨てて上洛した。

真田安房守昌幸は北条へは降らず徳川家に帰順した。信濃川中島城主・森勝蔵長一(長可)は上杉景勝の
所領を侵略せんと越後の関山・三本木まで攻め入ったところ、京都で織田殿御父子が討たれ給い、

弟の蘭丸・力丸も皆討たれたと聞いて「私は一日も早く都に攻め上って亡君の仇を報じ、兄弟の幽憤をも
慰めなければ!」と思い立ち、早速海津へ引き返して伊那の毛利・小諸の道家へも示し合わせ、

不日に川中島を打ち立たんと用意した。国人・春日周防(信達)らは、この虚に乗じて人質を取り返し、
否と言わば帰路を妨げんと騒動した。長一は大いに怒り「汝らこの弊害に乗じて人質を取り返さんと

するならば、力をもって取るがいい!」と人質をも引き連れ城を出た。国人らは織田方の落武者を討ち
取って上杉家の恩賞に預からんと、所々の山険水涯に埋伏して帰路を妨げるのを長一は一々追い払い、

猿ケ馬場で春日周防の一子を始め人質を皆々刺し殺し、木曽(義昌)の人質だけを帰して難無く美濃金山
に帰着した。世にその勇を称して“鬼勝蔵”という。後に武蔵守といったのはこの人なり。

(原注:原書(三河後風土記)に川中島の城を上杉景勝がやって来て攻めた。森勝蔵は後詰の頼りもない
ので風雨に乗じて寄手の陣に夜討を掛け、その紛れに城兵は皆逃げたとするが誤りなり。今『柏崎物語』
『武徳編年集成』に拠って改める)

――『改正三河後風土記』



354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 15:59:53.54 ID:Cpv7oSjd
弟達の尻穴で得た所領で蛮行を働く鬼

355 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/10/14(日) 16:16:57.95 ID:EdAdicSZ
その後>>354の姿を見た者は居なかったと言う

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 16:18:39.81 ID:VbLfZ+Cx
河尻秀隆みたいに逆さ吊りで死ぬよかマシ

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/15(月) 18:38:09.46 ID:e0Jyqt6G
河尻って岩殿城からバンジーしたんだっけ

無事に帰陣して……

2018年09月30日 19:43

森長可   
231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/30(日) 00:05:59.88 ID:Skd+u1dp
無事に帰陣して……


濃州金山に自考斎という金持ちがいた。
あるとき(森家の)士たちに
「士という者は、戦陣で虎口に臨めば討ち死にを心がけるものだと聞いていますが
 長可様の御家来にも討ち死にと覚悟する士はいないようですね」
と語った。若い士が聞き咎めて
「士であれば誰でも、殿の御馬先で埋もれ草になってもよいと心がけるので
 生きて帰ろうと思う者はいない」
と言った。

そのとき自考斎は「聞いて下さい」と言って、証文を読み始めた。
「『今度荒木摂州(村重)の謀叛により、上様(信長)が行かれることになったので
  殿(長可)も先手として近日出陣します。近頃は甚だ御無心しておりますが
  金子五、六両をお借りしたく存じます。戦が終わった際には無事に帰陣して
  元利共に返済します』」
「とあるので、討ち死にの心がけはないと思ったのです。もし某が今度
 御先手のお供をするとしたら、某は討ち死にするかもしれない身なので
 『諸道具をもってなんとしても精算するように、と家人に申し置きました』
 と(証文に)書きますが、頼もしくはないでしょうね」
と言ったとか。


――『森家先代実録』



234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/30(日) 09:36:04.04 ID:+wh1ddCw
>>231
内容とはずれるけど、題でアニメの可成戦死前後の諸々を思い出した
可成とえい様や長可たち家族の一時の団欒
出陣する信長と帰蝶の会話
そして今期最終話のえい様と信長の会話
長可の憤慨

3分アニメのわりにはかなり濃い

森忠政、川中島四郡のかわやに牢屋番などを命じる

2018年08月01日 21:57

森忠政   
988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/01(水) 00:04:14.80 ID:EJ6MU2Mq
森忠政、川中島四郡のかわやに牢屋番などを命じる


以下は森忠政がかわや*(いわゆる被差別民)の孫六に送った黒印状。
慣習権が認められる一方、後のえたと同様の役務が課せられていた。

四郡の内のかわや共に牢屋番や細工の仕事を、物頭の孫六が申し付けること。
扶持として(百姓)一戸ごとに籾を一升ずつ取らせる。ただし村々の家の数を
追って書き付けて提出するように。形式は口上にて申し渡す。
下々のかわやは、その者の居住地で稲を一戸につき一把ずつもらう代わりに
城の掃除を油断なくするように。

慶長五年                    忠政黒印
  七月九日
         孫六

――『続舊記集』

* かわたとも言う。語源は"皮のやく"とされ皮革業に従事する人を指した。


高遠城の"化物"

2018年07月18日 17:14

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/18(水) 13:14:41.83 ID:HI2wwpjF
高遠城の"化物"


森武蔵守(長可)殿の家来に大塚主膳という者がいた。
(跡を継いだ)美作守(忠政)殿が川中島を領知していたとき
主膳の親(丹後守)は高遠城を預かり、在城していた。

主膳は近習として小室(小諸)城にいたが、所用で高遠城へ行った。
高遠城は山城なので、植え込みが山へと続いている。
その夜(主膳が)「囲のくさの間に寝る」と言うと、児小姓共が
「その部屋には化物がいて、寝る者を必ずたぶらかすのです」とささやいた。
主膳は若き者なので「どうして戯言を言うのか」と聞かない。
年老いた者も「入らないで下さい」と再三諫言したが(主膳は)
「左様なことがあるだろうか」と言って、(その部屋で)起きていた。

その夜主膳が横になっていると、得体の知れないものが体に上ってきて
一晩中そのままだったので、息も絶えるような心地になった。
東雲のころ(夜明けごろ)になってから探したが、どこに行ったか分からない。
主膳は無念に思ったがやりようがなく、その日には帰る約束だったが
とにかく他の理由にかこつけて城に留まった。

先の夜と同じく抜身の中脇差を小夜着の下に隠し、小夜着の裾を足に纏い
蹴ってはげるようにして、少しも寝ないで待ち構えた。
子の半刻になる頃には、眠くて仕方がない。
主膳は「化物は間違いなく今来るはずだ」と思うようにして
気を静めて少しも眠らず待ち構えていると、村雨が夥しく振り
風が吹き渡って、木々の梢をひどく鳴らした。

そのとき何かが縁側に上る足音がしたかと思うと、腰障子の掛金を
自力で外し(障子を)さらりと開け、主膳の上にぱっと上った。
そのとき主膳は小夜着を蹴ってはぎ、すぐ(化物を)切った。

(主膳は)化物が飛び退るより早く飛び起きて、障子を閉め掛金を掛け
次の間にいる小姓を起こし「蝋燭を持って来い」と言ったところ
(主膳の)親がその声を聞いて、十文字槍の鞘を抜き手燭を持って来た。
「何物かは分かりませんが、傷を負わせました。先に手燭を入れて下さい」
と主膳が言ったので(親は)障子を細めに開け、手燭を入れてから入った。

脇差に血は付いていたものの、(部屋には)付いていなかったので
この部屋より外には出ていないだろうと探したが、一向に見つからない。
思いがけずあちこち見ていると、見回す者の後ろに猿のような影が
壁に写っていたので、気づかなかった体で取って返し押さえた。

見れば狸であった。
切られた前足を口にくわえ血を吸い、血を下に落とさないようにして
人の陰に付いて回ったのは、畜生と言えども賢き物である。
(この狸が)来るときに村雨が夥しく降ったが、どこにもその様子はなく
飛び石も濡れてはいなかったので、不審千万であったらしい。
(狸は)台所に繋ぎ、四、五日人に見せた後に殺したという。

誠に勢い強く心が強ければ功は成るが、勢いが弱ければ功を遂げにくい。
だからこそ武士は、勇猛の心を日夜朝暮にひたすら願い求めるべきなのだ。


――『功名咄』



88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/18(水) 14:57:40.88 ID:P7fNmpSG
>>87
>切られた前足を口にくわえ血を吸い、血を下に落とさないようにして
>人の陰に付いて回ったのは、畜生と言えども賢き物である。
怪談なのに妙にリアルだなw

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/18(水) 18:07:39.33 ID:mmGCON2A
そんなのを台所に繋いだのか....
もしかして、後で美味しく頂きました?

90 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/07/18(水) 21:54:33.59 ID:/NO3z8Xw
>>89
そらもう餌断ちして臭みが少し減ったら〆て狸汁よ

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/18(水) 23:15:17.74 ID:F+2jpvv+
     )、._人_人__,.イ.、._人_人_人
   <´ 狸じゃ、狸の仕業じゃ! >
    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  //
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  /
// //,|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| /
/ // |:::     +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;|// ////
/// :|::       ( (||||! i: |||! !| |) )      ;;;|// ///
////|::::    +   U | |||| !! !!||| :U   ;;; ;;;| ///
////|:::::       | |!!||l ll|| !! !!| |    ;;;;;;| ////
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|    ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: :   | `ー-----' |__////

92 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/07/19(木) 07:31:41.10 ID:d/QlK5mL
     ,へ、        /^i
     | 〉`ヽ-―ー--< 〈 |
     7   , -- 、, --- 、  ヽ
    /  /  \、i, ,ノ    ヽ  ヽ
    |  (-=・=-  -=・=-  )  |
   /  <  / ▼ ヽ    >   、 はいはいワシのせいワシのせい
  く彡彡   _/\_    ミミミ ヽ
   `<             ミミ彳ヘ
      >       ___/   \
     /         7      \
     |        /

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/19(木) 16:43:01.09 ID:MMKjxULT
ぽんぽこぽん

鬼武蔵、神蛇を喰う

2018年05月29日 09:49

森長可   
819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 22:19:24.48 ID:G3/hr0Wa
小牧長久手の陣において、羽黒合戦で若干の味方を討たれた森武蔵守(長可)は、
備の編成を変えるため移動し、小牧山の東北、二ノ宮の森の麓に陣を取った。
そこには朱の玉垣の花表(鳥居)があり、武蔵守も「いかなる神の社か」と思っていた所、
神主が現れ、武蔵守の御前に参り、このように申し入れた

「この神は深く穢を忌まれます。精進潔斎無ければ、花表の内に入ってはいけません。
殊に不浄の人馬を入れるなど、誠に勿体無い事です。諸人が木の枝を折ることすら
神慮計り難いのです。御陣場を速やかに改められるべきです。」

武蔵守はこれを聞いて激怒した
「悪しき神主の申しざまかな!異議があるなら鉄砲で討ち殺す!
(悪敷神主ノ申様也、及異議ハ鉄砲ニテ可打殺)
私は大義を思い立ったのだ、全く私の利益のためではない。それは神慮も鑑みるだろう!」

そう言っているところ、社壇の上に、長さ一丈(約3メートル)ばかりの蛇が現れ、
軍勢の方に向かい声高く鳴いた。
神主これを見て叫んだ

「御覧有るべし!あれこそ当社の御神体です!」

軍勢の者たちも驚いた。しかし武蔵守は

「この蛇を飼い置いて、土民共を迷わし金銀を取っておるのか!
井原はおらぬか!?あのような有様であるぞ!」

これを井原小市郎承り、腰刀を抜いて蛇を寸々に斬った。
そして武蔵守は

「そういえばここでは精進しろと言っていたな。」
そう言って切られた蛇を二口三口食い、残りは社壇に捨てた。
神主は身の毛もよだち、立ち退いた。

※この後兼山記の作者がこれだけでは鬼武蔵がやべー奴と思われると考えたのか、鬼武蔵とは
全然関係ない甲斐に現れた巨大鱸を漁師が獲って切り刻で神なんてものは人間が信仰するかどうかの
問題で云々とか書いてるけど割愛
(兼山記)



820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 22:39:29.27 ID:DVaPyOBu
この後、亡くなったんだよね…

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 22:42:30.80 ID:homQuwcC
生蛇はだめなんじゃないか・・・

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 23:46:26.00 ID:T+OMRWOR
捕まえたマムシをその場で皮剥いで心臓を食った爺さん見たことあるから大丈夫なんじゃ

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/29(火) 02:10:04.73 ID:8lE87rYa
寄生虫やばいよ

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/29(火) 02:59:40.77 ID:IFix9tXT
蛇やカエルは絶対に火を通さないとだめ。

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/29(火) 05:38:33.97 ID:nZWjCmsu
ヒャッハーすぎるぞ武蔵守

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/29(火) 12:18:31.80 ID:/SpPBZVC
迷信打破って西門豹みたいなつもりなんだろうけどやり方が短絡的過ぎる

仙千代奪出

2018年05月28日 17:28

森長可   
958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 09:59:11.73 ID:G3/hr0Wa
本能寺の後、信州より居城兼山に帰ってきた森長可は言った
「弟である乱丸、坊丸、力丸は討ち死にしたという事だ。信長公も御生害なされ、
この上は京に上っても意味がない。
岐阜の城にいる、残る弟の仙千代(森忠政)を奪い取ろう。
しかし人数多くては無理であろうから、井戸宇右衛門一人供をしろ。」

宇右衛門畏まり、加えて下人少々召し連れ、主従6人にて岐阜城に忍び入った。
日暮れまで静かに待ち、人質を置かれている家に、長可一人忍び入った。
傅役として付けられた各務長助13歳、仙千代14歳、二人共に手を取り家より引き出し、
城の下十丈ばかり(約30メートル)の谷底に大きな布団が用意してあり、
井戸宇右衛門その他が待っていた。

長可は二人をその布団の上に飛び降ろさせ、下に落ちると馬に乗せ、豆渡りの渡に向かい、
浅瀬に馬を入れて難なく川を越え尾張の地に入った所で夜が明けた。
そこから馬を早め、その日の内に兼山へ入った。

兼山で待っていた御母公は、「七世の孫に逢ったような心地です」と、喜ぶこと限りなかった。

(兼山記)



959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 12:07:42.11 ID:kUWGZNYS
30mと言うとマンションの10階位の高さか...
こわっ!!

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 12:38:40.87 ID:DVaPyOBu
布団でなんとかなる高さなのか・・・
かなり、高さは盛ってある感が。でも、岐阜城だと、山の上だしなあ。

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 18:46:24.88 ID:homQuwcC
布団にまいて落としてなかったっか?

964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/30(水) 22:48:48.01 ID:8830ayA8
>>960
すまんけど、ちょっと布団持って行ってやって来てくれよ
報告よろ

瀬田橋乗打

2018年05月27日 16:40

森長可   
804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/27(日) 09:42:07.54 ID:Y4V4mLfi
織田信長が天下を掌握した頃、内裏修理のため伏見に滞在し、またこの普請のため
国々の大名残らず上洛した。ここで信長は、瀬田の橋に関を設け、家中実名を尋ねた上で
通過させるようにと命じた。

このような中、森勝蔵が家中の面々を引き連れ瀬田の橋へと指し懸った。
関守の侍たちが出てきて「上意であります。下馬をして家名実名を名乗り通って下さい。」
そう声をかけたが、勝蔵は

「それは許してもらおう。私は濃州住人森勝蔵と申す者である。御帳に書いておけ。」

そういい捨てて通ろうとした。関守の侍たちは驚いて馬の口にすがり
「そんな事で通せるものか!その上乗打など以ての外!」そう叫んで、鑓長刀などを
番所から出してきて色めき、絶対に通さない姿勢を示した。

勝蔵はこの様子を見ると
「なんと心得のない者達だ!乗打だと!?公方の御前ならばともかく、汝らごとき
侍分の為にこの勝蔵に下馬をしろと!?推参である!」
(元来心得ス者共也、乗打トハ何事ソヤ、公方之御前ニテアラハコソ汝等如キ侍之為す分ト
此勝蔵ニ下馬トヤ推参ナリ)

そういって太刀を抜き、2,3人の首を落とし諸鐙をかけて橋を走り通った、
関守の侍たちはこれを大勢で追いかけ、大津膳所の町口の木戸を早く閉じるよう
呼びかけた。町人たちは二ヶ所の木戸を閉じようとした。しかしこれを見た森勝蔵が

「ものども!火を懸けよ!」

と叫んだため、町人たちは驚き木戸を開いた。ここから勝蔵は急ぎ伏見の信長のもとへ向かい、
御前に罷り出でると瀬田のことを詳細に申し上げ、「切腹つかまつる覚悟」を伝えた。

これを聞いた信長は笑いだした
「昔五条の橋にて人を討ったのは武蔵坊だとか。汝も今より武蔵と名を改めよ。」
そう、非常に機嫌よく仰せに成った。
万座の人々は「実に忠ある武士の例かな。」と羨ましく思った。

勝蔵はその年の内に侍従の位に上り、森武蔵守長可と名乗った。

(兼山記)

鬼武蔵には自分の命令を違反されても自分が命じた関守を殺されても嬉しそうな信長公



805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/27(日) 12:15:38.40 ID:hpLrEv3C
史実だと武蔵守を名乗るのは信長死後の話だけど
いかにも鬼武蔵らしい逸話だな

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/27(日) 14:15:52.36 ID:YRLqfHWA
字が書けなかったからだろ
記帳させたらバレるもんな

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/27(日) 15:44:17.34 ID:XRtYoX8J
あの有名な妻宛の長可の遺言状は自筆だぞ

よく人を見立ててから

2018年03月22日 18:39

森忠政   
717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/22(木) 14:38:32.21 ID:Ml9sJDFQ
よく人を見立ててから


あるとき、森忠政君に近習の者が
「中小姓の扶持方に切米で勘定するのは、百石の物成より多くなりますから
 (中小姓に)所付*されて下さい」
と申し上げれば、(忠政は)
「折紙は本阿弥の札のごとく大切な物である。切米を貰っている者が
 他の国へ行っても大したことにはならないが、所付は他国でその者が
 放言すれば『あんな馬鹿者に知行を取らせたのか』と俺が笑われることに
 なるのだから、よく人を見立ててから所付はするものだ」
と仰せられたという。


――『森家先代実録』

* 具体的に知行所(領地)を付けること。


首を取り返す程なら

2018年01月27日 15:41

森忠政   
502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 03:05:35.16 ID:sDG9Imzt
首を取り返す程なら


大坂夏の陣でのこと。
森家家臣の石田惣右衛門が、佐竹衆から味方討ちにあったので
惣右衛門の子供二人が追いついて首を取り返すということがあった。

そのころの評判で
「知らないふりをしておけば、親はよく奉公したことになり
 佐竹衆も手柄に出来ただろう。首を取り返す程ならその者を討って
 親の首と一緒に持って帰ればよかったのに。二人とも弱いことだ」
といわれたという。


――『森家先代実録』



503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 09:44:51.58 ID:VA82doJi
お、おう

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 10:43:16.03 ID:MG3bVX6b
情け容赦がねえな

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 15:18:35.40 ID:oJeOzHbl
夏の陣でも戦国の気風は残ってたんだなw

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 16:23:19.87 ID:jh7qn4rj
まさむね「知らないふりをしておけばいいものを神保が…」

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 18:26:15.97 ID:h5bGR4Hh
この場合、惣右衛門さんの扱いはどうなるんだ?
事故死?

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 20:58:26.45 ID:S3i1cgJH
たぶん討たれ損なんだろうね
だからこそ、黙ってれば戦闘中の討ち死にですんだんだろうし
武士としての面目を考えるなら、やはり敵を討ち取ってくるべきだったと思う

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 22:45:01.93 ID:CmJGJAHL
中途半端が一番悪いというのがよくわかる事例

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 23:42:10.35 ID:VA82doJi
秋田佐竹は遅参で居ないからどこの佐竹衆だろう

勝蔵は手負たり

2017年10月22日 16:47

森長可   
332 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote![sage] 投稿日:2017/10/22(日) 10:17:08.95 ID:lD4HBGRz
勝蔵は手負たり


信州高遠城に仁科五郎信盛・小山田備中・渡辺金大夫が立てこもったので
信忠公が攻められた時の先手は森長可・川尻肥前守・毛利河内守・団平八が
追手(大手)より向かうことになった。
然るところ長可は右の衆を出し抜かれて、小笠原掃部之介に案内させて
夜明けには高遠へ詰めかけられたので、(高遠方は)すぐに二の丸を空けて
本丸へ集まったので、(長可は)虎口を固められて御注進された。

信忠公は早々とお越しになられ総攻めと仰せられたので、長可が一番に
本丸へ乗り込まれて、広間口左の方へ入り座敷内で迫り合いになり
比類なき御働きで高名を上げられたが、手傷を負われた。
長可の家臣渡辺助右衛門豊守・林長兵衛為忠も高名した。

長可が腰より下は血になられて、首を持って参られたところを
信忠公が御覧になり
「勝蔵は手負たり」
と仰せになった様子は見事なる義にございました。


――『森家伝記』



333 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote![sage] 投稿日:2017/10/22(日) 12:14:35.34 ID:MmZEA88k
まとめの3131
「森長可『血染めの赤備え』」
だと腕にかすり傷で腰から下は全て返り血だったけど
これだと自分の血も混じってるような

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/22(日) 21:12:38.35 ID:LPWCxxI8
返り血のことを手負いと言い表すのか、手負いが高名なのかどっちだろう

淀殿に仕えた各務兵庫の娘

2017年06月29日 11:48

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/29(木) 00:04:31.96 ID:RInqlD5Z
淀殿に仕えた各務兵庫の娘


森家の家臣・各務兵庫(元正)には息子が2人、娘が5人いた。
長女は森重政の妻だった。
次女は大坂衆で落城後に切腹した竹光伊豆の妻だった。
三女は丹後の田中七兵衛の妻だった。
四女は作州の各務勝太夫の妻だった。
五女は淀殿の侍女だった。

大坂城が落ちる前、淀殿は不憫に思い城を出るように勧めたが
どうあっても出ていかない旨を述べ、小脇差を懐に差したという。

後に京極高知の側室となり一男一女をもうけた。


――『武功雑記』



70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/29(木) 06:23:26.13 ID:Tm2U+4xu
脇差が欲しかったのか

人間無骨の槍

2017年04月18日 18:22

森長可   
831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/17(月) 23:11:23.85 ID:K6rQcq2l
人間無骨の槍

かの武州(森長可)が戦で持っていた人間無骨という槍のことは、
今でも町の中にいる軍書よみという者どもの口からも普く出ている。
先年美濃守(森忠賛)と同席した時に話し合ったなかで、
濃州が話してくれた。

「正しく今でも伝わっています。すなわち出入に見られる玄関に掛けてあるものがそうですよ。」

と答えたので注意して見ると、成程殊に大きな十文字槍である。
立ち寄って見たけれど、さすがに勤番士が並み居る前なので憚って、
濃州に頼んでその図を写してもらった。
今思い出して図を出して見ると、直刃がけら首から鋒までは一尺二寸二分、
横手刃端の見渡しが一尺一寸であった。
直刃のところに血漕が一筋あった。横刃には二筋で表裏で違っていた。
四分の所に、表に人間と彫り、裏に無骨と彫ってある。
茎には和泉守兼定と銘じてある。

また濃州の話か、もしや馬谷〔軍書よみの名〕の話か、今は分明でないが、
武州が戦争のとき首を獲って、この槍鋒に貫き槍を立てて一突きすれば、
首が槍柄を貫いて槍の下に至ったという。
剛者の所為といえども、これはこの刃が鋭いためであると聞いたことがある。

(甲子夜話)

蜻蛉ではなく生首とは…


832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/18(火) 19:58:13.20 ID:Aio4r9/e
和泉守兼定
あまりに切れ味がいいので手にすると無性に人が斬りたくなるのである。

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/18(火) 23:53:22.49 ID:DRuzF2OV
三斎様「うん、しょうがないよね」

今西春房と娘の大蔵姫

2017年03月31日 21:45

森忠政   
708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/30(木) 22:04:28.35 ID:Tm99nypP
今西春房と娘の大蔵姫


摂津今西氏は元を辿れば春日大社の社家出身で摂津国垂水西牧に下向し
現地において荘園経営を行った荘官である。
代々従五位下に叙され室町時代には「南郷目代」と称されたとする。
戦国時代になると周辺の有力国人が台頭して荘園を
脅かすようになったため、今西氏の屋敷の回りの約216m四方は
内外二重の堀で囲まれ、内堀は約2mの深さがあったという。

荘園を守るため姻戚関係を結ぼうと、社家36代目の今西春房
明智光秀の娘・美津を正室にする。
長女の大蔵姫をはじめ子に恵まれたが、本能寺の変が起きてしまう。
山崎の戦いでは弟の春光が明智方で参戦したが敗戦。
当然秀吉の怒りを買い荘園を没収され、目代としての実権を失ってしまった。
以降は医者や神主として家を続けていくことになる。

一方光秀の孫娘にあたる大蔵姫はというと、最初は多田の豪族
山問左近将監に嫁いでいたが、山問氏が没落したため
娘二人を連れて実家に戻っていたらしい。
どういう訳か大蔵姫はその後中川秀成の養女となり、森忠政に再嫁した。
その縁で弟たちの浅田宗英は2700石、今西道春は1500石で召し抱えられ
他の一族からもその後何人も森家に仕えることとなった。

大蔵姫は元和9年9月13日に亡くなったが、忠政に遺言をして自分の衣装と
愛玩の手道具、自身の肖像画を今西氏に送らせたという。
大阪府豊中市にある今西氏の屋敷は現在は国指定の史跡となっており
その西南にある松林寺の墓地には大蔵姫の五輪塔がある。

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以上の話は、主に今西家に伝わる史料(『今西家文書』)から見た話で
森家の史料とは少々食い違っている部分がある。
『森家先代実録』では、大蔵姫は森忠政に嫁いだとは記されていない。
大坂夏の陣で森軍の渡河で活躍した宗英・道春兄弟の姉として紹介されるが
”中川清秀の従弟山問の妻” ”女中頭を務め御内所まで申し上げることが出来た”
という記述があるのみで、表記も大蔵卿となっている。
加えて大蔵姫の肖像画の記述を見ると忠政が従三位とされていたり
遺体が葬られたとする津山の寺がどこか分からないなど不明な部分が多い。
おぉこれは……という訳で悪い話スレに。


春日周防の徒党の磔

2017年03月25日 20:44

森忠政   
698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/25(土) 00:05:44.43 ID:Ko4xD5Gw
春日周防の徒党の磔


ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-357.html
↑の記事の2つ目の話の詳しい版になります。

天正壬午の乱のときに森長可を裏切ってひどい目にあった春日周防
(参照 ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5950.html)
慶長5年3月に弟の忠政が海津城に入った頃には病死していたので
(葬儀で)親類が一か所に集まっており磔に懸けることになった。

そのとき彼の地の風説では、信州は人がいない国なので
徒党の者を残らず成敗してしまっては亡所になるだろう。
ならば(忠政が)見回りに来る前に、磔に懸けてご覧に入れ
御成敗したと判断してお通りした後で悉く命を助けようと
下劣の者共が(春日周防の徒党に)申し做した。

そういうことならば一日磔に懸けられているのもどうかと
日用を雇って名代として磔に懸かってもらうことにした。
米壱石で懸かる者が多く、あるいは七、八斗で懸かる者もいたが
少しの内なのだからと値切る者がいたり、壱石出すくらいなら
自分で懸かろうという者が、金持ちの中にもいたそうだ。

海津城はその頃松城といったが、乾の方角にある鳥居坂から
なしか池まで二十町ばかりに磔を懸け並べた。
そこに先走りの者が、忠政様の追付きお通りと参るやいなや
大身の槍を持って片っ端から突いて通った。
そのとき磔木の上から口々に日用なりと断る声があったという。
百々瀬加兵衛、三溝三右衛門[両人共に信州のあのあたりの地侍の家
だったが森家へ召し出された]がこの話を度々承ったそうだ。

そのときの罪人の内6才の子供を一人、名は又右衛門と申す者を
お竹様(忠政側室・香々美殿)が引き取り養われた。
後に大膳重政様(忠政庶長子・母お竹)の草履取りとして仕えたが
元和4年に大膳様が御逝去の後、作州久米南条郡中嶋村へ引っ込んだ。
百姓をしていたそうだが、同郡北村の者と公事取詰になり
寛永16年6月3日、46才で一家残らず長法寺河原で御成敗に逢ったのは
天罪奇妙な事なのでここにこのことを記す。


――『森家伝記』


702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/03/25(土) 22:47:30.61 ID:gmJK76VS
>>698
この「松代物語」でも春日皆殺しについて触れられてるね
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4100.html
ところで高坂信達(春日周防)って病死って書いてるけど、真田昌幸のせいで上杉裏切ろうとして殺されたんじゃ
(真田丸では調略がバレたのをなぜか昌幸の策略にして主人公側を悪どく書いてたな)

一人の弟を捨て殺さば

2017年02月06日 17:56

森長可   
588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/06(月) 13:03:39.23 ID:hcZgHN4K
一人の弟を捨て殺さば


天正十年冬、未だ天下の主が定まらないなか森長可の弟
お千(忠政)は岐阜城で神戸信孝の人質になっていたが
秀吉は(長可に)尾藤甚右衛門を遣わして、自分に一味するならば
遠江駿河両国を約するという誓詞を送ってきた。

森家の家老衆を悉く集めた評議の時に、一同それぞれが
秀吉公に一味するのが尤もだと長可様に申し上げたが
長可様がお千のことはどうしようと言われたので、その時
長田又左衛門(長可の姉婿)がお捨てしましょうと申し上げた。

長可様は
「先年三左衛門殿(父可成)が討死になり、蘭丸を始め三人が本能寺で
 生害した。御母公はこのことで日々お目が乾くことはないという。
 その上予の骨肉にはお千を除いて外はいない。秀吉公に一味して
 たとえどれほど立身しようとも、一人の弟を捨て殺さば母公への
 不孝となるので心得がたい」
と仰せられご同心されなかったので、林長兵衛為忠が進み出て
「私がお千様を盗み出してみせます」
と申し上げたので、ならばその方が取り計らうようにと仰せられた。

長兵衛が岐阜城へ行くとお千様は近江櫓にいたので
長兵衛は機転を利かせ櫓の窓子を引き剥がしお千様を跳躍させて
下には大布団を広げ待ち受けたので怪我などはなかったという。


――『森家系譜』

ちなみにこの長田は忠政が家督を継いだ後、居づらくなって出ていったとか。



589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/06(月) 16:43:13.61 ID:r2/kuP1d
>>588
森家らしくない(偏見

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/06(月) 18:38:33.89 ID:94zKLE+Z
遺言状とこの話だけで鬼武蔵を知った人は
情に厚い家族思いの武人だったと感動するなきっと

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/06(月) 19:49:41.22 ID:H2xryelB
徳川の領土の遠江駿河を宛がうだなんて、いくら武蔵がアホの子だからって舐めすぎだろ

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/06(月) 23:08:42.84 ID:94zKLE+Z
>>591
過去に二回ほど出た逸話だと
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5948.html
鬼武蔵「駿河遠江に加え甲斐もよこせ」
秀吉の使者「さすがにそれはならぬ」
(使者が帰った後)
鬼武蔵(家来に)「さっきの条件でもわしに不自由はないのだ。だが駿遠甲の三ヶ国を手に入れれば、次節が来れば
其の方達にも小城の一つでも持たせることが出来たのに、お前たちにとっても運がなかった。」

やはり鬼武蔵さんは情に厚いお方だ

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/06(月) 23:15:08.55 ID:2frsTZP4
逸話スレが広まる以前に戦国関係の個人サイトでは、
森長可の遺言書の件で情にも厚い武人だったというと紹介されてた思い出

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/06(月) 23:30:12.41 ID:DTcCJHU8
情に厚い人ではあるんだよ。戦になるとやりすぎちゃうだけで。

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/07(火) 01:35:08.44 ID:t/aGTs/k
酒呑むと人格変わるキチガイと一緒やな

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/07(火) 06:01:55.42 ID:MBpleLyQ
ああ嫁が絡まなければの人と一緒だな

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/07(火) 15:22:33.98 ID:Qz9rerfe
>>597
敵に厳しく家族に甘い…そういえばプーチンやトランプも家族には凄く優しいそうな

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/07(火) 16:51:11.22 ID:YRcOd+eb
DQNの家と一緒ですね

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/07(火) 17:47:17.86 ID:tUWAHyh0
そりゃ敵には強面で当たらないといけないんだから
その分身内には優しくしないとまずいだろう

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/07(火) 17:53:07.49 ID:jlg7zLfd
その割には家族で殺し合いする家が多いような…

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/07(火) 19:31:21.27 ID:5gqA2q1V
おっと河内源氏の悪口はそこまでだ

森忠政の水理

2017年01月08日 16:12

森忠政   
494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/08(日) 14:57:57.93 ID:IDAI/Glu
森忠政の水理


森忠政は美濃国可児郡金山城に生まれ、慶長5年に信濃国川中島城に移ったが
どちらの場所も川に近いところだったので、水理には細心の注意を払っていた。

美作に初めて入ったとき、津山川(現:吉井川)の水の勢いを見て
日照りの年でも涸れないだろうと喜ぶと共に、排水にも大いに配慮した。
津山への築城に決まってからは、市街に三十六の町を置く計画で区画を定め
市街の南方、津山川の沿岸には悉く石垣を設けて十箇所余りに水刎を築いた。

ttp://www.civil.pref.okayama.jp/img/hyakusen/spot/059-03.jpg
059-03.jpg
(画像手前の構造物が今も現役の吉井川の水刎)

洪水に備え津山川の川幅は、水上の村落や山野の広狭を考えて
上流一里に対し、幅員を六間以上八間までに定めた。
津山川の水源、西々條郡上齋原村までは七里十一町の行程だったが
伯耆国の境までの川路が屈曲しているので十里余りあるものとみなし
津山町においては、岸に達する川幅が最も狭い八出村覗山下までの
距離を八十二間とした。
(津山)市中を南北に横断する宮川の源流の上横野村までは
二里九町余りだったが、川路屈曲から三里余りとし宮川大橋を二十六間とした。
翁川は水源まで一里以内だったが、市の西北部を取り囲むように流れているので
翁橋を八間一尺に定めた。

森氏入封後この排水の施策が行われない内は、慶長12年と17年の二度の洪水で
市中が浸水し、いくらか人家も流出したことは先代実録にも記載があるが
その後市内の備えが全て出来た後は、天明5年までの170年あまりにわたり
しばしば洪水があって、この施策のない沿岸で堤防が決壊したり浸水しても
津山市中では水災がなかったのは忠政の余沢である。


――『美作中古紀事』



伴惟安、妙向尼と森忠政を救い出す

2016年11月02日 17:11

森忠政   
283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/02(水) 16:21:59.71 ID:e8s4vPn2
伴惟安妙向尼森忠政を救い出す


天正十年六月二日、京都に於いて信長・信忠親子と蘭丸、坊丸、力丸
伴氏の伴正林伴太郎左衛門等が討死したことは三日の辰刻には甲賀の伴惟安にも伝わった。

そのとき長可は川中島にいて、母の妙向尼と千丸(忠政)は人質のために安土にいたが
惟安は以前から可成、長可にとりわけ目をかけられていたので
「今お二人はさぞ途方に暮れていられるだろう」と一族で話し合い
四日に野越の間道を越え安土へ行き、妙向尼と千丸をお守りして五日に甲賀へ連れ帰り
二人をすぐに自分の家に移し、伴氏一党で番をした。

十三歳の千丸はどじょうすくいとカエル釣りが好きなので伴家の子供達は日々お供していた。
あるとき「お千殿、いざカエル釣りに行きましょう」と子供達が言うと親どもが来て
「大名のお子様だが、訳あって少しこちらにいらっしゃる間は
お千様とお呼びし、何事も逆らわずお心のままにするのです」
と堅く制したという。

長可が信州を引き払って金山に帰ってくると、九月十一日に甲賀に迎えを送ったが
伴一党は守山武佐筋に朝倉の残党がいる可能性を危惧し、伊勢街道をお供して
勢州坂下で妙向尼と千丸を迎えの金山の者に渡した。

この忠義により天正十二年の暮れ(長可が討死し忠政が家督を継いだ頃)に甲賀に迎えが送られ
十三年の春、伴惟安と惟利の親子は初めて森家へ出仕することになり
他の残った伴党もこの親子の口利きで召し出されることになったという。


――『森家先代実録』



徳守神社と森忠政の奉納鉄盾

2016年10月18日 18:39

森忠政   
252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 17:17:10.34 ID:aUAL/OcM
徳守神社と森忠政の奉納鉄盾


現在、大阪歴史博物館で行われている特別展『真田丸』に展示されている"鉄盾"は
森忠政が大坂の陣後に徳守神社に奉納したとされ、津山市の重要文化財に指定されている。

ttp://stat.ameba.jp/user_images/20160920/19/tokumorijinjya/7a/b5/j/o2336175213753264122.jpg
o2336175213753264122[1]


盾一つの大きさは縦91cm横44cmで15kgの重さがあり、一対で30kg。
ところどころに深さの異なるくぼみや、銃弾が当たって割れたような跡がある。

森家の記録には直接この鉄盾の記載はないものの、
『駿府記』等には大坂の陣のときに家康が備後から鍛冶を呼んで鉄盾を作らせ
城内からの銃撃を竹束で防いでいた諸大名に10張ずつ配ったという記述があり
そのときに使った物ではないかと推定されている。

徳守神社では津山城完成400周年を記念し、この鉄盾のレプリカを作成する。
10月23日に行われる徳守大祭には忠政が徳守神社を造営したときの時代背景を伝えるため
今年から従来の神事に加え津山城鉄砲隊と備州岡山城鉄砲隊の発砲演武などを行い
鉄盾のレプリカもその際に使用される予定。



253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 17:35:55.52 ID:PWWTSBp7
>>252
一応防げたのか

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 17:39:34.54 ID:gq55S696
鬼武蔵の眉間よりは頑丈だったということか

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 20:23:28.97 ID:YdJlLrny
古田織部のハゲ頭と組み合わせればこうかはばつぐんだ!

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/18(火) 21:51:26.62 ID:9mEXkEVr
ソーラレイ+重装甲か