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「続武家閑談」から「徳川・北条・羽柴三家の鬼号の事」

2023年06月02日 20:52

森長可   
776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/06/02(金) 17:03:31.78 ID:BmMBtXp/

ついでに「続武家閑談」から「徳川・北条・羽柴三家の鬼号の事」

そのころ諸国干戈を争い、武辺場数の士はいちいち数えることができないほどであった。
その中でも徳川家には服部半蔵(服部正成)、北条家には松田孫太郎(松田康郷)というものたちが、諸国において鬼半蔵、鬼孫太郎と称されていた。
また少しほど経て羽柴秀吉の元に森庄蔵(後任武蔵守)という、鬼庄蔵(鬼勝蔵)と呼ばれたものがいた。

鬼武蔵は羽柴でなく織田のイメージではあるが。



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「朝野雑載」より信長と蘭丸の話

2022年03月30日 15:09

森蘭丸   
108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/30(水) 13:28:47.92 ID:kZPCgRyv
朝野雑載」より信長と蘭丸の話

信長公御座の間の窓に、突き上げ式の蔀(しとみ、日除け)があった。
信長公「おらんよ、これを下ろせ」
蘭丸は承って、まず小さな竹の杖で蔀の上を探ったところ、なにやら物があった。
踏み台を持ってきて蔀の上を見たところ、大茶碗に水がはったものが置かれていた。
蘭丸は静かに大茶碗を下ろし、そのうえで蔀を下げた。
もし何も考えずに蔀を下ろしたならば茶碗が割れ、水がこぼれていたであろう。
念を入れたために失敗せずにすんだ。
これは蘭丸を試そうと信長公がなさったことだそうだ。



武士の道、殊勝である

2021年01月26日 17:12

森長可   
874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/26(火) 16:26:05.31 ID:qq6aRlXV
長久手合戦の折、森勝蔵(長可)殿がその場の穿鑿をされた時、
「今度の一番鑓は山田八右衛門千田主水の両人である。」と定められた。

その時、千田主水進み出て
「一番鑓は八右衛門であり、その次が某です。」
と申したため、八右衛門に尋ねると
「その時はどのようであったか、私の周りは騒がしく、しかと覚えておりません。」
と申した。たって尋ねられると
「私の鑓の石突に物の触わったような覚えがありますが、一番か二番かは存じません。」
との事で、これに対し人々は

「互いに、有り体に申しており、武士の道、殊勝である、」

と沙汰した。

備前老人物語



『天狗の雑説』という事があるもので

2021年01月09日 17:35

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/09(土) 13:36:18.29 ID:uXyU3sPj
小田原陣の時、韮山城を囲んでいた際に、森右近(忠政)殿は味方の人と先を争って、城際まで
竹束を付けられたが、一体誰が言い出したのか、「やがて城中より敵が打ち出る様子である、
皆々旗本に集合して一手になって戦うべし!」と触れられたため、味方の勢は我も我もと後先になって
引き退いた。

その中で若尾弥平次という鉄砲頭は、彼に付けられた二十人の足軽たちに下知した
「私の下知が有るまで、この場所を去ってはならない。もしこの下知に違う者は罪有るべし!」
そう言ったが、みな耳にも入らず、終に残り留まったのは七人だけと成った。

「場所はここを立ち去るべからず。敵が来ると見えれば下知をする。その時鉄砲一撃ちして、その後
私が一番に鑓合わせをする。」と、鑓を取り手ぐすねを引いて居た所、後ろから小声にて
「そこに居られるのは誰か」との声が聞こえた。
「若尾弥平次これに有り。そなたも鑓すべしと思われるのであれば、これへこれへ!」と言って
返り見ると、それは右京という者であった。名字は忘れたので記さない。

その時右京の言った事は、「何とは無しに人々引き退いたので、私も人並みに引いたのだが、あまりに
心もとなく、帰り来て見るに其の方だけが居られた。一体どういうことなのか。」
弥平次これを聞いて「どういう理由でこうなったのかは知らない。しかし、皆々慌てふためいて
引き退くと言っても、私の方には何の使いもなく、まして鉄砲などを預かっている者が、事の実否を
聞き定めずに立ち去るべきではなく、その事を足軽に下知したのだが、臆病者どもにて大方引き退き、
わずかに七人だけが残った。もし敵が出てくるのなら、せめて残った足軽たちに一撃ち撃たせて、
これにて一番に鑓を仕るべし、そなたも鑓を致さんとするのなら、ここに居られよ。」
そういうと、「尤もに候」と、一つ所に加わった。

この右京は大身の鑓を横たえて、弥平次の右側に居た。弥平次はこれを見て「貴殿の鑓の持ちようは、
敵が来ればその鑓に私を躓かせて、自分が一番鑓をしようとする心得と見た。中々おかしき事かな。
ここに留まったのは私一人であり、私の力があってこそ其の方もここに来たのだ。その鑓の持ち様は
侍の作法ではない。きたなし。その鑓引かれよ。」と言った。
右京は「その心得では無いが、鑓を引こう」と引いた。

「それにてこそ侍れ」として、一所に有った所に、森家の家老である各務兵庫(元正)が、前線の様子が
心許ないと、長刀を杖につき来ており、二人の後ろにしばし立ち居て、かれらの先の問答の様子を
つくづくと聞き、「さては聞くに及ぶ若尾の言葉である。」と、後々まで返すがえす感じ入ったという。

その後、城より敵が打ち出ることもなかったので、面々はそれぞれの持ち口へと戻った。
「惣じて陣所においては、『天狗の雑説』という事があるもので、しっかりと、確かに聞き届けないうちは
進退はせぬものである」と、若尾は語った。

彼は十八歳から高名があり、森武蔵守(長可)殿より感状三つ、その他信濃にて森右近殿よりの感状もあり、
されば色々、心がけの事多い人であった。彼は後に作州を去って福島殿に仕え、近年紀伊の御家(徳川頼宣)
に召されて終に病死した。その頃は佐々木善兵衛と名乗っていた。

(備前老人物語)



834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/09(土) 14:23:21.22 ID:yK/TwY+e
三河者か

【雑談】森長可も名君になった可能性

2020年02月17日 16:16

森長可   
647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/15(土) 11:00:25.93 ID:MsjspBDx
水野勝成の晩年の名君っぷりを見ると、森長可も名君になった可能性結構あるような気が。
少なくとも、森忠政みたいに外面だけはいいけど内政ぼろぼろということはないような気がする。

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/16(日) 00:32:21.86 ID:mq716C2i
>>647
そう考えると長可の遺言の金山とか森家の跡を仙千代に継がさないでってのも
家族に武家なんて継がせたくないとかそんなんじゃなく
仙千代あいつやばいやつだから無茶苦茶しかねんっていうすごく実を見た判断だったんかなぁ

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/16(日) 00:50:05.41 ID:jacqQtHU
坊丸力丸はどんな人だったんだろうね?
一番影が薄いお兄ちゃんもw

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/16(日) 14:32:59.50 ID:MEjxNpV7
長可も忠政も癖が強いから単に合わなかっただけと思うw

どっちも不要の波風と人間関係に角立てまくりながら
やることやった上うまく乗り越えて結果オーライで治る
という評価の難しい人物

家臣団が優秀だっただけかも知れんけど

655 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/16(日) 16:50:17.35 ID:zL0mkG8W
>>653
忠政は川中島でも津山でも暴政やらかした実績あるぞ。
長可は芋川一揆を強引に鎮圧したけど、あれは状況が状況だったし、
それ以外に苛政とか暴政と言えるようなものはあまり見当たらない。

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/16(日) 17:55:49.09 ID:jacqQtHU
>>653
罪の無い門番を殺したりするくらいだよね

【雑談】森家の通称・幼名

2020年02月04日 18:10

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/04(火) 03:47:22.38 ID:hg3s6MrU
森家、あまりに幼名が有名な三男の乱丸につづいて力丸、坊丸、千丸
ですけど次男は勝蔵?ってなんか妙に毛色が違うんですね

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/04(火) 09:08:28.87 ID:e/CShCHM
>>601
三左衛門、傳兵衛、勝蔵
乱丸、坊丸、力丸
千丸(仙千代)→近太夫

残ってるのが通称か、幼名か、両方か
の差では無いかな

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/04(火) 12:11:52.19 ID:rsIlikFX
勝蔵は通称、乱丸は幼名でしょ

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/04(火) 14:10:48.02 ID:uKjy8IMS
>>605
小姓3兄弟は元服済みじゃない?
乱丸の諱は成利
先輩たちも大人になってもお長とかお竹とか幼名で呼ばれてる

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/04(火) 15:39:28.80 ID:hg3s6MrU
>>603
あれ、勝蔵って通称でしたっけか

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/04(火) 17:41:25.38 ID:uKjy8IMS
>>608
森武蔵守長可って名乗ってたはず
お父さんが死んじゃったから元服と家督を継ぐの同時だよね

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/04(火) 19:13:59.39 ID:e/CShCHM
信長公記なんかにも初出から死ぬまで勝蔵で通してるし通称(仮名)でいいと思うぞ

【雑談】森蘭丸の蘭の字が

2020年02月01日 16:34

森蘭丸   
766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/01(土) 00:29:57.50 ID:xb5ZsLQv
森蘭丸の蘭の字が他の兄弟の名前見る限り乱のがあってそうな気がせんでもないんだけど
やっぱり蘭の字なんだろうか

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/01(土) 01:07:34.67 ID:n/NFstfN
>>766
同時代史料だと、森乱、或いは乱法師。
蘭丸表記は江戸期になってからだね。

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/01(土) 03:00:00.37 ID:xb5ZsLQv
>>767
おお、やっぱり蘭の字は後付けでしたか
ありがとうございます

信長が後世に暴君的な扱いになっていくにあたって乱丸が傾国の美女的な扱いになっていくようになった感じなんですかね
その途上で麗しそうな当て字が当てはめられた的な

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/01(土) 03:12:15.38 ID:PeSnTRaX
>>766
館山市立博物館で見た蘭丸が団平八に宛てた自筆書状は「森乱」で花押部分の署名は「成利」だったよ

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/01(土) 03:22:34.69 ID:971EeQfn
芝居では名前を変えなきゃならないから
小田春長、森蘭丸、真柴久吉、武智光秀
というように変えていたら蘭丸だけややマイナーだからそのまま広まったのかと思った

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/01(土) 04:36:30.64 ID:72hdcskU
もし蘭丸がもっと表立って活躍してたらあの兄や弟みたいな性格で蘭じゃなく乱の方が有名になっていたのだろうか
どうにも蘭丸は大人しくてしっかり物のイメージしかないから本当は乱と言われても違和感がある

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/01(土) 11:52:50.07 ID:6FJYrFcW
傅兵衛 勝蔵 坊丸 力丸 千丸
ここに蘭を入れるのは違和感あるな

『高遠の屋根ふき衆』

2020年01月30日 16:17

森長可   
761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/30(木) 01:28:48.66 ID:Ii3m2zTb
天正五年五月、森蘭丸、坊丸、力丸の三人共、織田信長卿が召し出され、御近習に召し使われると
仰せ付けになられた。中でも蘭丸は、器量人に勝れ発明であったので、御寵愛限りなく思し召された
故に、御側を離される事がなかった。

信長卿が武田勝頼を攻められた時、御嫡子である信忠公に数万の軍兵相添えて、関東へ差向けられた。
武蔵守(森長可)も手勢を率いてお供し、信州伊奈郡、小笠原掃部の城に武蔵守は取り掛かり、攻めた所、
早速に城を明け渡して降参し、城内の者達は旗下に加わった。次に飯田城へ押し寄せ散々に戦い勝利を得られ、
城を乗っ取り、首三百余を信忠公へ進上した。
そして高遠城へ取り掛かり、息も継がせず、各務兵庫、渡辺越中、豊前縫九郎、同市之丞、細野左近、林新右衛門、
同長兵衛、井戸宇右衛門、その他家中一命を軽んじて攻め戦い、この城も長くかからず落とした。

信忠公は御感限りなく、「今に始まらぬ武蔵守が働きよ」と御喜悦斜めならず、御感状を下され、信州四郡、
更科、高井、水内、埴科を下され、海津城を拵え住居すべしと仰せ付けられた。そして海津城の普請のための
軍営が成就した所で、近辺の野伏一万が海津城へと押し寄せ、鬨の声を上げた。この時海津城は未だ堀も
出来ておらず逆茂木すら無かったため、森勢は各々外へ打ち出て追い捲いて、火の出るほど戦った。
野伏たちは堪らず散々に打ち負け引き退いたが、森勢はそれを追い詰め追い討ちをかけて、首三千余を討ち取り、
信忠公へ実検に入れ奉った。信忠公は再び御喜悦斜めならぬ様子であった。そして降伏した小幡備中、春日周防
からの人質を預けられた。

舎弟蘭丸は京都に在ったので、海津城は各務兵庫を城代と為し暫く居住した。そして信忠公は関東平均を
打ち納め、京都へ上洛された。これらの事は悉く信長記に書かれている。

(枠外註:高遠の城攻めで、織田の兵は武田の鋭武に当たること能わず、森の兵は城の屋根に上り、
屋根の上より鉄砲を撃ち入れたとか。『高遠の屋根ふき衆』と言って、その頃物笑いにしたという。)

(兼山記)



汝も今より武蔵と名を

2020年01月29日 17:33

森長可   
582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/29(水) 02:05:21.04 ID:nBERtwW+
織田信長卿が天下を掌の内に握り給い、内裏の修理のため伏見に御座を据えられた。ここで国々の
諸大名は残らず上洛するに於いて、瀬田の橋に関を置いて、通過する者の家名実名を尋ねた上で
通過する旨を仰せになった。

森勝蔵が家中の面々を引き連れ瀬田の橋に差し掛かられた時、関守の侍たちが立ち出て言った
「上意であるので、下馬をして家名実名を名乗った上で通られよ。」
勝蔵はこれを聞かれると

「急いでいるので御免有れ。濃州の住人森勝蔵と申す者である。御帳へ書くのはそちらに頼む。」

そう言い捨てて通ろうとした所、関守の侍たちは勝蔵の馬の口にすがり
「そのような事では通せない!その上乗打することは出来ない!」
そう言って鑓長刀を出し、番所は立ち騒ぎ色めき、「ここは通さじ。」と伝えた。

勝蔵はこれを見られて
「元来心得ない者達だ。乗打とは何事だ!公方の御前であればまだしも、汝らの如き侍の分際で
この勝蔵に下馬だと!?推算なり!」
(元来心得ヌ者共也。乗打トハ何事ソヤ、公方之御前ニテアラハコソ、汝等如キ侍之為分ト
此勝蔵ニ下馬トヤ推算也)

と太刀を抜き、二、三人の首を打ち落とし、諸鐙を合い懸け通られた。
関守の侍たち大勢がこれを追いかけ、大津膳所の町口の木戸を早く打ち閉めよと呼ばわった。これに町人共が
両所の木戸を打とうとしたが、これを見た勝蔵が「それ侍共、火を懸けよ!」と宣うた所、町人たちは
驚き木戸を開いた。

そこから駒に白淡噛ませ、伏見の御殿に着くと直ぐに御前に罷り出て、瀬田での事を委細言上し、切腹仕る
覚悟の旨を申し上げた。
これを聞いて信長卿はうち笑わせられ、「昔五条の橋にて人を討ったのは武蔵坊であった、汝も今より
武蔵と名を改めよ。」と、誠に御機嫌にて仰せになった。(誠御機嫌ニテ被仰ケレ)
満座の人々も、「実に忠ある武士のためしかな。」と羨ましく思った。
その年の内に侍従の位に上り、森武蔵守長可と申された。

(兼山記)



583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/29(水) 02:08:42.18 ID:QnyOZgTw
長可も暴れてからやっちゃったと思ったのかちゃんと腹切るって言ってるのね

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/29(水) 08:29:26.01 ID:61Wwk3D+
忠あるという概念w

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/29(水) 11:43:47.15 ID:XF+bDJjT
ほんと若い奴に甘いな信長

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/29(水) 12:18:16.89 ID:QnyOZgTw
これ信長の命を忠実に守って命落とした関の門番たちは補償なりあったんだろうか

森可成の件があったから森家に優しいのかそれともこういう荒武者好みなのか、どっちなんだろう

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/29(水) 20:27:12.93 ID:vADGVagl
ちょっと悪い話の気がする
鬼武蔵を通せば信長に斬られ
信長の命令を守れば鬼武蔵に斬られる
関所役人としては回避しようのない絶『対』絶命

信長はその他一般には厳しく処断するけど
親しい奴には滅法甘いからなぁ…

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/29(水) 22:47:43.41 ID:9dW4fkmE
>>587
関所の役人は武蔵を討取ればよかったんだよ

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/29(水) 23:47:19.33 ID:vADGVagl
>>588
お気に入りを斬られてぶちギレた信長に斬られるに3000貫!!

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/30(木) 07:31:15.36 ID:qL0nrU6k
>>587
>鬼武蔵を通せば信長に斬られ
信長はそんなことしないだろ、苦笑いしてあいつ相手ならしょうがないって許すよ

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/30(木) 08:24:15.48 ID:AwV3CZX4
こうして関所が廃され楽市楽座がすすんだのであった

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/30(木) 09:10:47.13 ID:Xt7Yd0o4
やらかした時に先んじて自己申告して責任取ろうとする
というのは上から見て可愛い部分かもなぁ

そう観ると鬼武蔵って傍若無人なやばいやつじゃなく
むしろコミュ力お化けだった可能性あるな
vsノブ特化かもしれないけど

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/30(木) 16:24:41.88 ID:iZ8V0ScY
武士って基本コミュ力お化けじゃないとやってけないものね、コネ社会だし
古武士然とした武士って本来武士としちゃ異端も異端なんだろうなー

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/30(木) 19:05:41.89 ID:DRGE5Nek
>>590
信長は感情の振れ幅が大きいから可能性は0ではないけど…
お気に入り以外だと怠慢や命令無視として激怒することが多いし
例外の対象は鬼武蔵であって関所役人じゃないし…

信長は京の民心掌握を重視して家中に身分の上下を問わず
京での振る舞いに注意する御触れを何度も出してる
二条城築城時に女にちょっかいをかけていた家中の者を
御触れを無視したと激怒し信長自ら斬り捨てたこともあるからなぁ…

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/31(金) 08:44:00.65 ID:z9QzQJP3
>>592
気に入ってる幹部の息子だからだろ…

鷹に対する意見の相違

2020年01月02日 15:45

森忠政   
474 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/01/02(木) 07:40:47.00 ID:Wcs3LzPY
新年明けましておめでとうございます。初夢の鷹にまつわるエピソードを。

鷹に対する意見の相違

ある時、大名衆の寄り合いがあった時のこと、森忠政が金森法印(長近)に声を掛けるとこう言った。

忠政「金森殿、高麗鷹が沢山入って来たので目利きをして、良い鷹を2~3羽選んでもらえませぬか?」
これに長近、答えて曰く
長近「美作殿、鷹など好んでその様に飼って何になるのかね?」

忠政「好き嫌いではなく、鷹は大名でなくては飼えぬ物。鷹を飼うのは大名の義務であって、国への奉公のような物でござる。」

長近の言葉に忠政はこう切り返したと言う。
ちなみに徳川家康が公家の鷹狩を禁じたのが1604年の事とされ、これ以後の事なら1608年に長近が亡くなるまでの4年以内の話であり、
幾ら茶の湯で知られた長近でも80歳超える頃で鷹狩する様な歳でも無さそうだし、鷹のこと聞かれても困ったんじゃなかっタカ?と思った今日この頃。



475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/02(木) 08:34:34.85 ID:JV2Y+tb7
森家が絡むと何かハラハラする

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/02(木) 16:59:19.12 ID:nqke4BFJ
嫌疑をかけられてザマァと思うのが森家のやり口

森の美作殿、屋敷の池に化け物すみし事

2019年08月27日 17:18

森忠政   
341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/26(月) 22:14:32.56 ID:Dm7AYDWD
「諸国百物語」「森の美作殿、屋敷の池に化け物すみし事」
まとめの5865の
「森家屋敷の怪女」
と後半が被ってるけど書いとく。

森美作殿、屋敷の裏に小さき堀あり。
その堀の内より小さき児出づる事もあり。
又女のかづきを着たるが、あなたこなたと歩く事も有り。
ある時美作殿、近習の衆を集め夜ばなしをなされけるに、
座敷のまはりを、女、髪を下げ、二人連れにてあなたこなたを歩きける影、座敷の壁に映りて見えければ、
美作殿、不思議に思召し座敷の内を立て廻し、すみずみまで侍どもに探させ御覧なされ候へども、何物もなし。
ただ影ばかり、あなたこなたとするが、みな人の目に見えけるとなり。
それより一年ほどすぎて、殿も御死去なされけると也。

参照
森家屋敷の怪女








森武蔵守平井頼母を討つ

2019年07月07日 13:05

森長可   
231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/07(日) 04:07:09.23 ID:2ZKpV0XZ
森武蔵守平井頼母を討つ

岩村城主・森蘭丸は京都本能寺の変に殉じたので、森氏家中の各務兵庫(元正)を城代に遣わした。土岐の
高山・小里及び明智分は城附である。

高山の城主・平井頼母方へ森長可は使者をもって曰く、「貴殿の領地は当方の朱印の内なので、紛れもなく
当家中である。そうであるからには金山に屋敷を渡し申すので、近日参着して受けとるように」と。平井は
使者に対面し「下命の趣、つぶさに承る」と言って、急に返状をしたためて使者に渡した。

 来命を受けるといえども、いささか承知しがたい。

 さて私は元来播磨国に城を有し、昔より数代の将軍にかしずき、諸騒乱の時のみならず木曽の戦の砌に
 は、織田信長公に従って木曽路に迫り、丹波国の住人・西尾某は3百余人を率いて上海道を固めて、土
 岐郡釡戸境権現の城を守った。某もまた2百余騎を率いて伊賀・伊勢・尾張から下海道の要害として当
 城を固め、ついに軍功をなして自力の働きあり。

 しかるに何故、今新たに武蔵守に属すというのか。まったくもって思慮に及ばぬなり。よって返状かく
 の如し。

         天正11末年(1583)正月      平井頼母佐

                  森武蔵守殿

この返状が武蔵守のもとに至る。武蔵守はこれを見て「頼母方は当方の領分でありながら、謂れなきこの言
い立て、近頃のわがままな振る舞い以ての外である! 高山の城へ押し寄せて討ち取るべし、用意せよ!」
と命ず。時に森主水が進んで曰く「今の治平の世に、私に弓矢を弄んではこれ偏に乱を好むようなものです。
私がよろしくこれを処しましょう」と。武蔵守が主水に任じると、主水はすなわち家中の高木与一を久々利
に招いて、密かに内談した。

与一は分別して「まず私が高山の城主・頼母に対面して、計略をもって我が方へ招き寄せて詰腹を切らせま
しょう。私に了見があります」と言い、高山の城へ馳せ参った。頼母に対面すると慇懃に一礼を述べ、次に
「今日某が来城したのは別儀にあらず。この度、貴方より武蔵守へ返状した趣を、君公(長可)は甚だしく
立腹しています。しかしながら私がよろしく取り成し、そのうえ和睦を取り繕うとしています。内談もして
頂ければ」と来訪を勧めた。頼母はその好意を感謝し、「明日推参する」と約束した。高木与一は急ぎ立ち
帰り、屈強の武者2,30人に旨を含めて、頼母が来るのを待った。

平井は家老の土本某とその他家来2人を連れて、久々利に高木を訪ねた。与一は迎え出て、山海の珍味でこ
れを遇した。予め用意した兵どもは広縁の先に出ると「森武蔵守の命である! 平井頼母急ぎ切腹せよ!」と
大音声で呼ばわった。

平井は思いも寄らず「そのこと心得難し! 誰かある!」と呼べば、随行の家老を始めとして部下2,3人が
太刀を抜き、切り出て守り戦うも衆寡敵せず、多勢に切り立てられついに土本は討たれ、他の者どもは皆逃
れ去った。平井も今や叶わぬと思ったのか押し肌を脱いで、「口惜しや! 高木に謀られたるか!」と腹を十
文字に掻き切って死んだ。与一は立ち寄って首を掻き、ただちに武蔵守に送った。

この報が高山に至る。頼母の嫡子・巳之助はすでに13歳の時に母と離別し、今また18歳で父を討たれて
愁嘆限りなし。頼母の妾のまのという者は腹に子を持っていた。

時に巳之助は命長らえても仕方のないことと既に切腹せんとするのを、まのはすがり付いて「どうして切腹
するのです! 播州には一門多し、一先ずはかの地へ忍び、両親の御菩提のために出家しなされ! まず私の
故郷である渡合の里に姥母の家もありますから、ここへ忍ばれませ。幸いにもまた、虎渓山の慶徳院の僧は
播州生まれで、先君と縁だと常に承っておりますから、播州への案内も私から願い出ましょう。それ故、急
ぎ渡合の里へ忍びなされ!」と諫めれば、巳之助ももっともであると部下1人を連れて渡合へ落ちて行った。

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/07(日) 04:14:45.25 ID:2ZKpV0XZ
小里城主・和田彦五郎、明智城主・遠山民部(景行)らはこの由を聞き、密かに城を開けて各々立ち退いた。
さて小里・明智の両城主は三河辺りに隠れる。武蔵守は高山の次第を聞き、林長兵衛(為忠)を城代とする。

さて林長兵衛はその城下の百姓どもを召し寄せ「この度、平井の一子・巳之助が落去した。所在が分かった
らただちに当方へ知らせよ」と命ず。百姓どもは村々家並に触れを出した。しかるに渡合にいたまのの母は
この由を聞いたことにより娘に密かに告げ、「巳之助を匿ってもし高山に漏れ聞こえたら、どんな憂き目に
あうかも計り難い。密かに訴人して汝も我も命を逃れようと思うがどうか」と語った。

まのは思って「さてはもはや命のほども知れた老母! 今際も知れぬ歳で訴人し命長らえようと計る所存は、
親子ながら恨めしい!」と申せば老母は手持無沙汰の顔をして、ただしおしおと立ち出て後ろの山に登って
行く。まのはこの様子を見るなり「さては訴人するか!」と合点して、老母の心底委細を巳之助に告げた。

巳之助は「そうだろうな。某はこのように世に落ちたのだから是非もなし。討手が向かうなら討死する所存
である。汝は若君を連れてここから妻木の家中に忍び、中垣助右衛門を訪ねて行って、この由かくの如しと
頼み申せ」とあって、まのは仰せを承る。

「私とて女であっても心は男に違いありません。この若君を刺し殺して御最期の御供申さん! たとえ討手
が50騎,百騎来ようとも私が防ぎ申します! 主君はその間に御自害なされよ!」と、まのは足を上げて
力足を踏めば、大地も動くほどであった。

巳之助もこの有様を見て「汝は常に柔和に見えたが今の有様は、まことに木曽義仲の妾の巴とやらもどうし
て汝に勝てようか。たとえ軍兵50騎,百騎が押し寄せてくるとも恐れるに足らず。けれども今を限りの我
が命、所詮長らえることはできない。是非若君を連れて落ち、成長すれば父母、次には私の忌日も語り知ら
せて菩提を頼むぞ!」と是非に是非にと促せば、まのも今は力及ばずして「主君の仰せならば」と泣く泣く
妻木の城下へ落ちて行った。

そこへ討手の大勢が馳せ来たり「頼母の一子・巳之助がここにいる由により討手に向かった! 早く御切腹
あらせられよ!」と呼ばわると、「平井の一子・巳之助これにあり!」と言うやいなや太刀を振りかざして
受けつ開きつ戦ったが、さしもの大勢に切り立てられて思わず後ろのいり(圦か)へ落ち込んだ。討手の者
どもがこれを見て、松明に火を付け振るが如くに投げ込めば、どうして堪えられようか、ついに巳之助は空
しくなりにけり。討手の者どもは首を取り、勝鬨を揚げて帰った。

また、まのはようやく妻木の城下に着き、中垣助右衛門を訪ねて泣く泣く始終を語れば、助右衛門はこれを
聞き「さても頼母氏は切腹、巳之助も今を限りとは痛ましき有様なるかな。願いのままに親子諸共匿い申す
のは安きことだが、ここは高山に程近い。幸い尾州品野の里に永井作右エ門という私の縁者がいる。私から
書状をもって頼み送ろう。まず今宵はここで休息せよ」と心を尽くして言った。

まのは一入力を得て当方の子を抱いて中垣に向かい「このうえの情には、この君は未だ名もありません。名
を付けて頂ければ生々の情でございます」と申すと、中垣は「しからば」と自分の名を形取り“平井助五郎”
と呼ばしむ。程なく夜も明ければ、仲間1人を添えて尾州品野村の永井氏へ送られた。作右エ門は承知して
「5年,10年匿い申そう!」と頼もしく申されたので、諸共に安堵したのである。

かくて助五郎まだ7歳の時、土岐郡の某はかねてこの事々を詳しく伝え聞き「養子にしたい」と永井氏へ申
し入れると、永井氏は「いかにも所望に任せよう。しかしながらこの人は深い由緒のある者なので、養子と
なされても平井の名字を名乗らせられたし」と、肥田の某の方へ送り遣わした。しかるにこの時は森長可
討死して、舎弟の森右近忠政の代であった。

――『妻木戦記』



234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/09(火) 00:55:25.67 ID:BTnI+Yho
>>232
戦国の世とはいえ読んでてつらい

森武蔵守土岐三河守を討つ

2019年07月06日 13:07

森長可   
230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/05(金) 21:28:01.80 ID:+PSLviV1
森武蔵守土岐三河守を討つ

可児郡兼山城烏峰は、永禄年中に信長公の下知によって森越守可勝(越後守可行)が城主であった。その
子・三左衛門可成を経て、武蔵守長可に至って当時は信濃にいたのだが、信長の凶変(本能寺の変)を知
ると急いで帰って領地の可児郡木曽川を限り、恵那・土岐三郡の内7万5千石を有す。ただし妻木領はそ
の他である。

さて妻木(広忠)の舎弟・喜十郎頼明、及び妻木長兵衛頼知の嫡男・久右衛門惟知両人は森長可へ降って
旗下となる。惟知は名を“日本六蔵”と改める。

長可は久々利城を降さんとの意あり。されど三河守(久々利頼興)は文武二道の達人なので、容易に討つ
ことはできないため、方便をもって討とうとする。天正11年(1583)正月、使者を送り、とにもか
くにも打ち続いている疎遠を謝罪し、さて軍議仕りたいので御大儀ながら御来駕を待っている由を、慇懃
に申し送った。

三河守は返答して「口上の委細は承知したけれども近頃は不快(病気)に付き重ねて折を得て、もって参
上致そう」と使者は復命した。長可は重ねて使者を遣わして言う。

「御所労に付き御出馬なき由ですが、当節は取り分け穏やかならぬ砌ですから御疑いもありましょう。貴
殿は信長公の御噂でも、『近辺に肩を並べる者はなし。味方にしたいものだ』と仰せられた程で、貴公よ
り他に頼む方はおりません。御疑いを散ずるがため、舎弟の仙千代(森忠政)を人質に遣わしますので、
隔意なく水魚の思いをなされてしかるべきです。もし御来駕が長引くに及びますれば私めが推参申します」

と、清げなる若武者を仙千代に作り立てて乗り物に取り乗せ、侍2人を差し添え日本六蔵を使者にして、
程なく久々利へ赴いた。三河守に対面して弁舌あざやかに言い、巧みに述べたところ三河守は易々と方便
に落ちて気を許し、「再三の御使者、殊に人質まで御念の入ったこと痛み入る。それならば明日参上して
御意を得申すべし」とのことであった。

よって人質ばかり返し置き(残し置き?)、程なく日本六蔵は首尾良く立ち帰り、ただちに登城してこの
由を武蔵守に告ぐ。武蔵守は喜ぶこと限りなく、ただちに佳酒美肴をもって歓待した。

翌朝、三河守は烏峰に入る。武蔵守は対面してその厚遇に至らざることなし。三河守曰く「御相談の事が
あるとして再度の使者、殊に我が疑いを散ずるがために人質を送られた心底分明、どうして疑おうか。故
に舎弟の仙千代殿と同道して来城したものである」と仙千代を返す。

武蔵守はいよいよ喜び「御承諾のことは大慶浅からず。さてまた相談の事とは他でもない」と雑談を繰り
返し繰り返し、酒を持たせて饗応した。その時の吸い物は鹿だという。台所は狼狽えて生の鹿を出した。

盃が終わって三河守は退城しようとする。かねて合図していた者ども8,9人はこれを送った。城の坂の
東にかかり、板の洞の大道に達する頃に「帰られよ」と言って、三河守が何心なく馬に乗ろうとしたとこ
ろを、戸田勘右衛門(勘左衛門)が抜き打ちに肩先から脇腹にかけて切り落とせば、従者も案に相違して
驚き入り、抜き合わせようとしたが敵い難く是非もなし。皆散々に逃れ帰った。

かくして三河守の首を取り、実検に備える。長可は「仕済みたり」と喜んで久々利を押領し、戸田勘右衛
門を置いて守らせた。

――『妻木戦記』



作州は即日に京の町人から借りていた銀を返しなされ

2019年04月23日 18:37

森忠政   
818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/23(火) 18:16:07.38 ID:dWsJWe3M
難波の役の冬陣(大坂冬の陣)で大名たちに白銀を分かち下された。加賀・仙台・薩摩などは
取り分けての大名なので、台徳院殿(徳川秀忠)から白銀3百枚、東照宮(徳川家康)からは
2百枚、合わせて5百枚ずつを下された。

森作州(忠政)などの大名には2百枚と百を合わせて3百枚を下された。作州はその時、即日
に京の町人から借りていた銀を返しなされ、人々は感心した。

――『老人雑話』



819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/23(火) 18:46:17.16 ID:xWlDplvi
コーエーのゲームだと金も米も腐るほど余るけど、実際の台所事情はどこも厳しかったんだろうね
毛利なんかも、隆元が亡くなったあとは信用がなくて商人から金が借りられないって嘆く逸話があるし

本多八蔵という者が武蔵守の首を取ったが

2019年04月19日 16:36

森長可   
888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/19(金) 00:49:30.25 ID:x5TTO26Y
(長久手の戦いの時)

この時、森武蔵守(長可。原注:勝入の婿なり)は犬山より南にいた。三河に入って岡崎の城を取ろう
と思う心があり、勝入(池田恒興)を救わなかったが、急を告げられて是非なく北に向かった。しかし、
長久手へは2里程行き着かずに、敵と組み合って討死した。

本多八蔵という者が武蔵守の首を取ったが、その首を捨てて小脇差だけを取って帰って来た。武蔵守だ
ということを知らなかったのである。その後に脇差を見知っている者がその事を告げると、八蔵はまた
行って首を取ろうとして、敵に出会って討たれたという。

――『老人雑話』



889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/19(金) 01:12:14.66 ID:LPaMcXP7
兜首捨てるとは思えんけど…

イケメンすぎて町娘から惚れられる森蘭丸

2018年12月23日 18:14

森蘭丸   
588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/22(土) 22:24:08.35 ID:NOdo3XWy
イケメンすぎて町娘から惚れられる森蘭丸


森武州長可は濃州金山城におり、弟の蘭丸長定も同じところにいた。

金山の町人の娘が病になり今にも死んでしまいそうなときにこっそりと
「恥ずかしいですが限りのある命なので申します、どうにも出来ないことですが
 蘭丸君の世に妙なる御形を離れたところから見て、朝も夜もなく心が引かれて
 色恋に溺れてしまいました。このことは人に語らないで下さい」
と打ち伏せた。

ちょうどそのとき蘭丸が野に行く道でこれを聞き、小鷹を拳の上に止まらせて
その町人の家の娘の寝所へ入って、「まん、まん」と呼ばれると
娘は顔を持ち上げて苦しそうな息をしながら「あっ」と答えた。
「煩い早く良くなれ。我は必ず汝に配下を遣わす、またすぐに来るぞ」
と言って(蘭丸が)帰ると同時に(娘は)死んでしまった。
この女の名が"まん"といった。

この蘭丸長定は森三左衛門可成の次男、十五にして信長公に仕え、恩寵他に異なり
濃州岩村五万石の城主であった。
若いが勇智があり、本能寺の逆乱に死を先にして名を残す。


――『木村咄』
ちなみに著者の木村昌明は明智光秀の享年70才説が載ってる『武家聞伝記』の著者でもある。



589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/23(日) 02:39:19.44 ID:3/L8vHvF
優しいな蘭丸

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/23(日) 17:54:42.79 ID:84QYjF74
>>588
そのまま死んじゃうのがリアルで悲しい

『山城に行こう!2018~森長可の東美濃統一~』のお知らせ!

2018年10月29日 17:35

森長可   
376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/28(日) 21:19:37.48 ID:6VuEZ25F
殺 伐 と し た ス レ に 鬼 武 蔵 が !
https://i.imgur.com/ycmhdzs.jpg
https://i.imgur.com/cpyqDDJ.jpg
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山城に行こう!2018~森長可の東美濃統一~
http://www.city.kani.lg.jp/15128.htm
日程
平成30年11月23日(祝日・金曜日)、24日(土曜日)、25日(日曜日)

場所
広見地区センター(岐阜県可児市広見7丁目77番地)

(23日)戦国寺子屋
特別顧問によるトークショーを開催!
日時:11月23日(金曜日)13時30分~16時00分
会場:広見地区センター
内容:
●第一部 森長可と東美濃の山城
長可の東美濃統一から小牧・長久手の戦いで討ち死にするまでのストーリーと東美濃の山城との関わりを城跡ごとに解説します。
●第二部 描き手からみた山城の魅力
漫画『センゴク』で描かれている山城を題材に、宮下氏が裏話を交えながら山城の魅力を特別顧問と語ります。

(24日)群雄割拠の山城めぐり!
美濃金山城跡、久々利城跡、今城跡をバスが巡回し地域団体がガイドなどでおもてなし。
現地では、特別顧問に会えるかも?!
日時:11月24日(土曜日)9時00分~13時00分
会場:市内城跡(美濃金山城跡、久々利城跡、今城跡)
内容:
可児市山城連絡協議会への運営協力金(各城跡500円以上)を納め、各城跡の通行証を手に入れて、特別なおもてなしを受けよう!
・美濃金山城跡、久々利城跡、今城跡の各城跡でガイド等を受けることができます。
・通行証を2枚以上お持ちの方は、25日(日曜日)縄張りシリーズ第二弾「縄張りクリアボトル」と引き換えが出来ます。

縄張りボトル引き換え方法:
25日(日曜日)10時00分~10時30分の間に、広見地区センター内の可児市山城連絡協議会ブースにて引き換えが出来ます。(通行証2枚につきクリアボトル1本)
先着300名(3城×100本)ですが、11時以降可児市山城連絡協議会のブースにて1,000円で販売します。

(24日)先手必勝山城軍議
パネルディスカッション「東美濃の山城に行こう!」
日時:11月24日(土曜日)14時00分~16時00分
会場:広見地区センター
内容:
中津川市、恵那市、可児市の城跡保存団体関係者がこれまでの整備等の成果について発表します。
(出演者)
●香川 元太郎
●中井 均
●加藤 理文
●萩原 さちこ
●3市城跡保存団体関係者

(25日)東美濃の山城が大集合!!
東美濃の山城が可児市に大集合!お城好きの人も、そうでない人も楽しめる企画満載!
日時:11月25日(日曜日)10時00分~16時00分
内容:
●合戦場
・チャンバラ合戦IKUSA 小牧・長久手の戦い
(参加費)500円 各回先着50名
(受付時間)
(1)10時00分~10時20分
(2)11時00分~11時20分
(3)13時00分~13時20分
(4)14時00分~14時20分

・あっちゅうまにカッチュウ
(参加費)1,500円 各回先着15名
(受付時間)
(1)10時00分~10時30分
(2)13時00分~13時30分

●城内
・講演会
山城が誘う戦国史の魅力と楽しみ方~明智光秀と東美濃の城~
(時間)13時30分~15時00分
(内容)
スペシャルゲスト小和田哲男氏を迎え、可児市にゆかりのある戦国武将「明智光秀」と、東美濃の城との関わりについて講演します。

・書籍グッズ販売
漫画『センゴク』の単行本を販売。また、作者の宮下英樹氏制作のオリジナルグッズも特別販売。※23日、24日も販売有り。

・山城紹介ブース
(時間)10時00分~16時00分
(内容)各城跡のPRブースが出展します。

●城下町
・戦マルシェ
(時間)10時00分~15時00分
(内容)鉄砲火薬ごはん、光秀の本能寺「焼き」そば、可児才蔵の串刺し五平などユーモア溢れるメニューが盛りだくさんとなっております。

・戦国武将を出陣させよ
会場内に設置された特製パネルにシールを貼ってドット絵を完成させよう。

・センゴク騎馬隊(ポニーの乗馬体験)
甲冑を着て乗れば気分は戦国武将!※衣装貸し出し有
(参加費)500円
(時間)10時00分~15時30分



とても面白そうです、興味の有る方、お近くの方は是非!

何條八幡の神体可成

2018年10月15日 18:24

森長可   
316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 21:19:14.41 ID:FVCoKXYq
長久手合戦の時のこと

森武蔵守長可は美濃国金山が居城のため、大垣にほど近く油断していたため、池田勝入に先に
犬山城を占拠されたことで大いに焦り、池田へも知らせず犬山の先に進出し、羽黒八幡村を後ろに見、
前に小川を隔て、いかようにも一働き致すべきと、備えた。

この時、八幡の林に大蛇が出た。神主は「これ則ち八幡宮の御神体です!御勝利疑いありません!」と
申し上げたのだが、武蔵守は

「こんなものが八幡の神体なものか!(何條八幡の神体可成)」

と、これを引き裂いて捨てたという。金山から羽黒まで六里である。

森長可は血気の勇将であり、古より良将は神威を尊ぶということを知らなかった。
木曽義仲は新八幡に願書を籠めたし、織田信長も熱田神宮へ祈誓した。彼は良将とは大いに違っていた。

(長久手戦話)



世にその勇を称して“鬼勝蔵”という

2018年10月14日 18:16

森長可   
353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 15:19:32.34 ID:Zngx3QBK
滝川一益がすでに厩橋を去って上洛した以上は、上野・武蔵の輩は北条に敵し難く、皆々降参して旗下に
属した。信濃小諸城主・道家彦八郎正栄と伊那郡の毛利河内守秀頼もたちまち城を捨てて上洛した。

真田安房守昌幸は北条へは降らず徳川家に帰順した。信濃川中島城主・森勝蔵長一(長可)は上杉景勝の
所領を侵略せんと越後の関山・三本木まで攻め入ったところ、京都で織田殿御父子が討たれ給い、

弟の蘭丸・力丸も皆討たれたと聞いて「私は一日も早く都に攻め上って亡君の仇を報じ、兄弟の幽憤をも
慰めなければ!」と思い立ち、早速海津へ引き返して伊那の毛利・小諸の道家へも示し合わせ、

不日に川中島を打ち立たんと用意した。国人・春日周防(信達)らは、この虚に乗じて人質を取り返し、
否と言わば帰路を妨げんと騒動した。長一は大いに怒り「汝らこの弊害に乗じて人質を取り返さんと

するならば、力をもって取るがいい!」と人質をも引き連れ城を出た。国人らは織田方の落武者を討ち
取って上杉家の恩賞に預からんと、所々の山険水涯に埋伏して帰路を妨げるのを長一は一々追い払い、

猿ケ馬場で春日周防の一子を始め人質を皆々刺し殺し、木曽(義昌)の人質だけを帰して難無く美濃金山
に帰着した。世にその勇を称して“鬼勝蔵”という。後に武蔵守といったのはこの人なり。

(原注:原書(三河後風土記)に川中島の城を上杉景勝がやって来て攻めた。森勝蔵は後詰の頼りもない
ので風雨に乗じて寄手の陣に夜討を掛け、その紛れに城兵は皆逃げたとするが誤りなり。今『柏崎物語』
『武徳編年集成』に拠って改める)

――『改正三河後風土記』



354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 15:59:53.54 ID:Cpv7oSjd
弟達の尻穴で得た所領で蛮行を働く鬼

355 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/10/14(日) 16:16:57.95 ID:EdAdicSZ
その後>>354の姿を見た者は居なかったと言う

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 16:18:39.81 ID:VbLfZ+Cx
河尻秀隆みたいに逆さ吊りで死ぬよかマシ

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/15(月) 18:38:09.46 ID:e0Jyqt6G
河尻って岩殿城からバンジーしたんだっけ

無事に帰陣して……

2018年09月30日 19:43

森長可   
231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/30(日) 00:05:59.88 ID:Skd+u1dp
無事に帰陣して……


濃州金山に自考斎という金持ちがいた。
あるとき(森家の)士たちに
「士という者は、戦陣で虎口に臨めば討ち死にを心がけるものだと聞いていますが
 長可様の御家来にも討ち死にと覚悟する士はいないようですね」
と語った。若い士が聞き咎めて
「士であれば誰でも、殿の御馬先で埋もれ草になってもよいと心がけるので
 生きて帰ろうと思う者はいない」
と言った。

そのとき自考斎は「聞いて下さい」と言って、証文を読み始めた。
「『今度荒木摂州(村重)の謀叛により、上様(信長)が行かれることになったので
  殿(長可)も先手として近日出陣します。近頃は甚だ御無心しておりますが
  金子五、六両をお借りしたく存じます。戦が終わった際には無事に帰陣して
  元利共に返済します』」
「とあるので、討ち死にの心がけはないと思ったのです。もし某が今度
 御先手のお供をするとしたら、某は討ち死にするかもしれない身なので
 『諸道具をもってなんとしても精算するように、と家人に申し置きました』
 と(証文に)書きますが、頼もしくはないでしょうね」
と言ったとか。


――『森家先代実録』



234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/30(日) 09:36:04.04 ID:+wh1ddCw
>>231
内容とはずれるけど、題でアニメの可成戦死前後の諸々を思い出した
可成とえい様や長可たち家族の一時の団欒
出陣する信長と帰蝶の会話
そして今期最終話のえい様と信長の会話
長可の憤慨

3分アニメのわりにはかなり濃い