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森の美作殿、屋敷の池に化け物すみし事

2019年08月27日 17:18

森忠政   
341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/26(月) 22:14:32.56 ID:Dm7AYDWD
「諸国百物語」「森の美作殿、屋敷の池に化け物すみし事」
まとめの5865の
「森家屋敷の怪女」
と後半が被ってるけど書いとく。

森美作殿、屋敷の裏に小さき堀あり。
その堀の内より小さき児出づる事もあり。
又女のかづきを着たるが、あなたこなたと歩く事も有り。
ある時美作殿、近習の衆を集め夜ばなしをなされけるに、
座敷のまはりを、女、髪を下げ、二人連れにてあなたこなたを歩きける影、座敷の壁に映りて見えければ、
美作殿、不思議に思召し座敷の内を立て廻し、すみずみまで侍どもに探させ御覧なされ候へども、何物もなし。
ただ影ばかり、あなたこなたとするが、みな人の目に見えけるとなり。
それより一年ほどすぎて、殿も御死去なされけると也。

参照
森家屋敷の怪女








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森武蔵守平井頼母を討つ

2019年07月07日 13:05

森長可   
231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/07(日) 04:07:09.23 ID:2ZKpV0XZ
森武蔵守平井頼母を討つ

岩村城主・森蘭丸は京都本能寺の変に殉じたので、森氏家中の各務兵庫(元正)を城代に遣わした。土岐の
高山・小里及び明智分は城附である。

高山の城主・平井頼母方へ森長可は使者をもって曰く、「貴殿の領地は当方の朱印の内なので、紛れもなく
当家中である。そうであるからには金山に屋敷を渡し申すので、近日参着して受けとるように」と。平井は
使者に対面し「下命の趣、つぶさに承る」と言って、急に返状をしたためて使者に渡した。

 来命を受けるといえども、いささか承知しがたい。

 さて私は元来播磨国に城を有し、昔より数代の将軍にかしずき、諸騒乱の時のみならず木曽の戦の砌に
 は、織田信長公に従って木曽路に迫り、丹波国の住人・西尾某は3百余人を率いて上海道を固めて、土
 岐郡釡戸境権現の城を守った。某もまた2百余騎を率いて伊賀・伊勢・尾張から下海道の要害として当
 城を固め、ついに軍功をなして自力の働きあり。

 しかるに何故、今新たに武蔵守に属すというのか。まったくもって思慮に及ばぬなり。よって返状かく
 の如し。

         天正11末年(1583)正月      平井頼母佐

                  森武蔵守殿

この返状が武蔵守のもとに至る。武蔵守はこれを見て「頼母方は当方の領分でありながら、謂れなきこの言
い立て、近頃のわがままな振る舞い以ての外である! 高山の城へ押し寄せて討ち取るべし、用意せよ!」
と命ず。時に森主水が進んで曰く「今の治平の世に、私に弓矢を弄んではこれ偏に乱を好むようなものです。
私がよろしくこれを処しましょう」と。武蔵守が主水に任じると、主水はすなわち家中の高木与一を久々利
に招いて、密かに内談した。

与一は分別して「まず私が高山の城主・頼母に対面して、計略をもって我が方へ招き寄せて詰腹を切らせま
しょう。私に了見があります」と言い、高山の城へ馳せ参った。頼母に対面すると慇懃に一礼を述べ、次に
「今日某が来城したのは別儀にあらず。この度、貴方より武蔵守へ返状した趣を、君公(長可)は甚だしく
立腹しています。しかしながら私がよろしく取り成し、そのうえ和睦を取り繕うとしています。内談もして
頂ければ」と来訪を勧めた。頼母はその好意を感謝し、「明日推参する」と約束した。高木与一は急ぎ立ち
帰り、屈強の武者2,30人に旨を含めて、頼母が来るのを待った。

平井は家老の土本某とその他家来2人を連れて、久々利に高木を訪ねた。与一は迎え出て、山海の珍味でこ
れを遇した。予め用意した兵どもは広縁の先に出ると「森武蔵守の命である! 平井頼母急ぎ切腹せよ!」と
大音声で呼ばわった。

平井は思いも寄らず「そのこと心得難し! 誰かある!」と呼べば、随行の家老を始めとして部下2,3人が
太刀を抜き、切り出て守り戦うも衆寡敵せず、多勢に切り立てられついに土本は討たれ、他の者どもは皆逃
れ去った。平井も今や叶わぬと思ったのか押し肌を脱いで、「口惜しや! 高木に謀られたるか!」と腹を十
文字に掻き切って死んだ。与一は立ち寄って首を掻き、ただちに武蔵守に送った。

この報が高山に至る。頼母の嫡子・巳之助はすでに13歳の時に母と離別し、今また18歳で父を討たれて
愁嘆限りなし。頼母の妾のまのという者は腹に子を持っていた。

時に巳之助は命長らえても仕方のないことと既に切腹せんとするのを、まのはすがり付いて「どうして切腹
するのです! 播州には一門多し、一先ずはかの地へ忍び、両親の御菩提のために出家しなされ! まず私の
故郷である渡合の里に姥母の家もありますから、ここへ忍ばれませ。幸いにもまた、虎渓山の慶徳院の僧は
播州生まれで、先君と縁だと常に承っておりますから、播州への案内も私から願い出ましょう。それ故、急
ぎ渡合の里へ忍びなされ!」と諫めれば、巳之助ももっともであると部下1人を連れて渡合へ落ちて行った。

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/07(日) 04:14:45.25 ID:2ZKpV0XZ
小里城主・和田彦五郎、明智城主・遠山民部(景行)らはこの由を聞き、密かに城を開けて各々立ち退いた。
さて小里・明智の両城主は三河辺りに隠れる。武蔵守は高山の次第を聞き、林長兵衛(為忠)を城代とする。

さて林長兵衛はその城下の百姓どもを召し寄せ「この度、平井の一子・巳之助が落去した。所在が分かった
らただちに当方へ知らせよ」と命ず。百姓どもは村々家並に触れを出した。しかるに渡合にいたまのの母は
この由を聞いたことにより娘に密かに告げ、「巳之助を匿ってもし高山に漏れ聞こえたら、どんな憂き目に
あうかも計り難い。密かに訴人して汝も我も命を逃れようと思うがどうか」と語った。

まのは思って「さてはもはや命のほども知れた老母! 今際も知れぬ歳で訴人し命長らえようと計る所存は、
親子ながら恨めしい!」と申せば老母は手持無沙汰の顔をして、ただしおしおと立ち出て後ろの山に登って
行く。まのはこの様子を見るなり「さては訴人するか!」と合点して、老母の心底委細を巳之助に告げた。

巳之助は「そうだろうな。某はこのように世に落ちたのだから是非もなし。討手が向かうなら討死する所存
である。汝は若君を連れてここから妻木の家中に忍び、中垣助右衛門を訪ねて行って、この由かくの如しと
頼み申せ」とあって、まのは仰せを承る。

「私とて女であっても心は男に違いありません。この若君を刺し殺して御最期の御供申さん! たとえ討手
が50騎,百騎来ようとも私が防ぎ申します! 主君はその間に御自害なされよ!」と、まのは足を上げて
力足を踏めば、大地も動くほどであった。

巳之助もこの有様を見て「汝は常に柔和に見えたが今の有様は、まことに木曽義仲の妾の巴とやらもどうし
て汝に勝てようか。たとえ軍兵50騎,百騎が押し寄せてくるとも恐れるに足らず。けれども今を限りの我
が命、所詮長らえることはできない。是非若君を連れて落ち、成長すれば父母、次には私の忌日も語り知ら
せて菩提を頼むぞ!」と是非に是非にと促せば、まのも今は力及ばずして「主君の仰せならば」と泣く泣く
妻木の城下へ落ちて行った。

そこへ討手の大勢が馳せ来たり「頼母の一子・巳之助がここにいる由により討手に向かった! 早く御切腹
あらせられよ!」と呼ばわると、「平井の一子・巳之助これにあり!」と言うやいなや太刀を振りかざして
受けつ開きつ戦ったが、さしもの大勢に切り立てられて思わず後ろのいり(圦か)へ落ち込んだ。討手の者
どもがこれを見て、松明に火を付け振るが如くに投げ込めば、どうして堪えられようか、ついに巳之助は空
しくなりにけり。討手の者どもは首を取り、勝鬨を揚げて帰った。

また、まのはようやく妻木の城下に着き、中垣助右衛門を訪ねて泣く泣く始終を語れば、助右衛門はこれを
聞き「さても頼母氏は切腹、巳之助も今を限りとは痛ましき有様なるかな。願いのままに親子諸共匿い申す
のは安きことだが、ここは高山に程近い。幸い尾州品野の里に永井作右エ門という私の縁者がいる。私から
書状をもって頼み送ろう。まず今宵はここで休息せよ」と心を尽くして言った。

まのは一入力を得て当方の子を抱いて中垣に向かい「このうえの情には、この君は未だ名もありません。名
を付けて頂ければ生々の情でございます」と申すと、中垣は「しからば」と自分の名を形取り“平井助五郎”
と呼ばしむ。程なく夜も明ければ、仲間1人を添えて尾州品野村の永井氏へ送られた。作右エ門は承知して
「5年,10年匿い申そう!」と頼もしく申されたので、諸共に安堵したのである。

かくて助五郎まだ7歳の時、土岐郡の某はかねてこの事々を詳しく伝え聞き「養子にしたい」と永井氏へ申
し入れると、永井氏は「いかにも所望に任せよう。しかしながらこの人は深い由緒のある者なので、養子と
なされても平井の名字を名乗らせられたし」と、肥田の某の方へ送り遣わした。しかるにこの時は森長可
討死して、舎弟の森右近忠政の代であった。

――『妻木戦記』



234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/09(火) 00:55:25.67 ID:BTnI+Yho
>>232
戦国の世とはいえ読んでてつらい

森武蔵守土岐三河守を討つ

2019年07月06日 13:07

森長可   
230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/07/05(金) 21:28:01.80 ID:+PSLviV1
森武蔵守土岐三河守を討つ

可児郡兼山城烏峰は、永禄年中に信長公の下知によって森越守可勝(越後守可行)が城主であった。その
子・三左衛門可成を経て、武蔵守長可に至って当時は信濃にいたのだが、信長の凶変(本能寺の変)を知
ると急いで帰って領地の可児郡木曽川を限り、恵那・土岐三郡の内7万5千石を有す。ただし妻木領はそ
の他である。

さて妻木(広忠)の舎弟・喜十郎頼明、及び妻木長兵衛頼知の嫡男・久右衛門惟知両人は森長可へ降って
旗下となる。惟知は名を“日本六蔵”と改める。

長可は久々利城を降さんとの意あり。されど三河守(久々利頼興)は文武二道の達人なので、容易に討つ
ことはできないため、方便をもって討とうとする。天正11年(1583)正月、使者を送り、とにもか
くにも打ち続いている疎遠を謝罪し、さて軍議仕りたいので御大儀ながら御来駕を待っている由を、慇懃
に申し送った。

三河守は返答して「口上の委細は承知したけれども近頃は不快(病気)に付き重ねて折を得て、もって参
上致そう」と使者は復命した。長可は重ねて使者を遣わして言う。

「御所労に付き御出馬なき由ですが、当節は取り分け穏やかならぬ砌ですから御疑いもありましょう。貴
殿は信長公の御噂でも、『近辺に肩を並べる者はなし。味方にしたいものだ』と仰せられた程で、貴公よ
り他に頼む方はおりません。御疑いを散ずるがため、舎弟の仙千代(森忠政)を人質に遣わしますので、
隔意なく水魚の思いをなされてしかるべきです。もし御来駕が長引くに及びますれば私めが推参申します」

と、清げなる若武者を仙千代に作り立てて乗り物に取り乗せ、侍2人を差し添え日本六蔵を使者にして、
程なく久々利へ赴いた。三河守に対面して弁舌あざやかに言い、巧みに述べたところ三河守は易々と方便
に落ちて気を許し、「再三の御使者、殊に人質まで御念の入ったこと痛み入る。それならば明日参上して
御意を得申すべし」とのことであった。

よって人質ばかり返し置き(残し置き?)、程なく日本六蔵は首尾良く立ち帰り、ただちに登城してこの
由を武蔵守に告ぐ。武蔵守は喜ぶこと限りなく、ただちに佳酒美肴をもって歓待した。

翌朝、三河守は烏峰に入る。武蔵守は対面してその厚遇に至らざることなし。三河守曰く「御相談の事が
あるとして再度の使者、殊に我が疑いを散ずるがために人質を送られた心底分明、どうして疑おうか。故
に舎弟の仙千代殿と同道して来城したものである」と仙千代を返す。

武蔵守はいよいよ喜び「御承諾のことは大慶浅からず。さてまた相談の事とは他でもない」と雑談を繰り
返し繰り返し、酒を持たせて饗応した。その時の吸い物は鹿だという。台所は狼狽えて生の鹿を出した。

盃が終わって三河守は退城しようとする。かねて合図していた者ども8,9人はこれを送った。城の坂の
東にかかり、板の洞の大道に達する頃に「帰られよ」と言って、三河守が何心なく馬に乗ろうとしたとこ
ろを、戸田勘右衛門(勘左衛門)が抜き打ちに肩先から脇腹にかけて切り落とせば、従者も案に相違して
驚き入り、抜き合わせようとしたが敵い難く是非もなし。皆散々に逃れ帰った。

かくして三河守の首を取り、実検に備える。長可は「仕済みたり」と喜んで久々利を押領し、戸田勘右衛
門を置いて守らせた。

――『妻木戦記』



作州は即日に京の町人から借りていた銀を返しなされ

2019年04月23日 18:37

森忠政   
818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/23(火) 18:16:07.38 ID:dWsJWe3M
難波の役の冬陣(大坂冬の陣)で大名たちに白銀を分かち下された。加賀・仙台・薩摩などは
取り分けての大名なので、台徳院殿(徳川秀忠)から白銀3百枚、東照宮(徳川家康)からは
2百枚、合わせて5百枚ずつを下された。

森作州(忠政)などの大名には2百枚と百を合わせて3百枚を下された。作州はその時、即日
に京の町人から借りていた銀を返しなされ、人々は感心した。

――『老人雑話』



819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/23(火) 18:46:17.16 ID:xWlDplvi
コーエーのゲームだと金も米も腐るほど余るけど、実際の台所事情はどこも厳しかったんだろうね
毛利なんかも、隆元が亡くなったあとは信用がなくて商人から金が借りられないって嘆く逸話があるし

本多八蔵という者が武蔵守の首を取ったが

2019年04月19日 16:36

森長可   
888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/19(金) 00:49:30.25 ID:x5TTO26Y
(長久手の戦いの時)

この時、森武蔵守(長可。原注:勝入の婿なり)は犬山より南にいた。三河に入って岡崎の城を取ろう
と思う心があり、勝入(池田恒興)を救わなかったが、急を告げられて是非なく北に向かった。しかし、
長久手へは2里程行き着かずに、敵と組み合って討死した。

本多八蔵という者が武蔵守の首を取ったが、その首を捨てて小脇差だけを取って帰って来た。武蔵守だ
ということを知らなかったのである。その後に脇差を見知っている者がその事を告げると、八蔵はまた
行って首を取ろうとして、敵に出会って討たれたという。

――『老人雑話』



889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/04/19(金) 01:12:14.66 ID:LPaMcXP7
兜首捨てるとは思えんけど…

イケメンすぎて町娘から惚れられる森蘭丸

2018年12月23日 18:14

森蘭丸   
588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/22(土) 22:24:08.35 ID:NOdo3XWy
イケメンすぎて町娘から惚れられる森蘭丸


森武州長可は濃州金山城におり、弟の蘭丸長定も同じところにいた。

金山の町人の娘が病になり今にも死んでしまいそうなときにこっそりと
「恥ずかしいですが限りのある命なので申します、どうにも出来ないことですが
 蘭丸君の世に妙なる御形を離れたところから見て、朝も夜もなく心が引かれて
 色恋に溺れてしまいました。このことは人に語らないで下さい」
と打ち伏せた。

ちょうどそのとき蘭丸が野に行く道でこれを聞き、小鷹を拳の上に止まらせて
その町人の家の娘の寝所へ入って、「まん、まん」と呼ばれると
娘は顔を持ち上げて苦しそうな息をしながら「あっ」と答えた。
「煩い早く良くなれ。我は必ず汝に配下を遣わす、またすぐに来るぞ」
と言って(蘭丸が)帰ると同時に(娘は)死んでしまった。
この女の名が"まん"といった。

この蘭丸長定は森三左衛門可成の次男、十五にして信長公に仕え、恩寵他に異なり
濃州岩村五万石の城主であった。
若いが勇智があり、本能寺の逆乱に死を先にして名を残す。


――『木村咄』
ちなみに著者の木村昌明は明智光秀の享年70才説が載ってる『武家聞伝記』の著者でもある。



589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/23(日) 02:39:19.44 ID:3/L8vHvF
優しいな蘭丸

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/12/23(日) 17:54:42.79 ID:84QYjF74
>>588
そのまま死んじゃうのがリアルで悲しい

『山城に行こう!2018~森長可の東美濃統一~』のお知らせ!

2018年10月29日 17:35

森長可   
376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/28(日) 21:19:37.48 ID:6VuEZ25F
殺 伐 と し た ス レ に 鬼 武 蔵 が !
https://i.imgur.com/ycmhdzs.jpg
https://i.imgur.com/cpyqDDJ.jpg
ycmhdzs.jpg
cpyqDDJ.jpg


山城に行こう!2018~森長可の東美濃統一~
http://www.city.kani.lg.jp/15128.htm
日程
平成30年11月23日(祝日・金曜日)、24日(土曜日)、25日(日曜日)

場所
広見地区センター(岐阜県可児市広見7丁目77番地)

(23日)戦国寺子屋
特別顧問によるトークショーを開催!
日時:11月23日(金曜日)13時30分~16時00分
会場:広見地区センター
内容:
●第一部 森長可と東美濃の山城
長可の東美濃統一から小牧・長久手の戦いで討ち死にするまでのストーリーと東美濃の山城との関わりを城跡ごとに解説します。
●第二部 描き手からみた山城の魅力
漫画『センゴク』で描かれている山城を題材に、宮下氏が裏話を交えながら山城の魅力を特別顧問と語ります。

(24日)群雄割拠の山城めぐり!
美濃金山城跡、久々利城跡、今城跡をバスが巡回し地域団体がガイドなどでおもてなし。
現地では、特別顧問に会えるかも?!
日時:11月24日(土曜日)9時00分~13時00分
会場:市内城跡(美濃金山城跡、久々利城跡、今城跡)
内容:
可児市山城連絡協議会への運営協力金(各城跡500円以上)を納め、各城跡の通行証を手に入れて、特別なおもてなしを受けよう!
・美濃金山城跡、久々利城跡、今城跡の各城跡でガイド等を受けることができます。
・通行証を2枚以上お持ちの方は、25日(日曜日)縄張りシリーズ第二弾「縄張りクリアボトル」と引き換えが出来ます。

縄張りボトル引き換え方法:
25日(日曜日)10時00分~10時30分の間に、広見地区センター内の可児市山城連絡協議会ブースにて引き換えが出来ます。(通行証2枚につきクリアボトル1本)
先着300名(3城×100本)ですが、11時以降可児市山城連絡協議会のブースにて1,000円で販売します。

(24日)先手必勝山城軍議
パネルディスカッション「東美濃の山城に行こう!」
日時:11月24日(土曜日)14時00分~16時00分
会場:広見地区センター
内容:
中津川市、恵那市、可児市の城跡保存団体関係者がこれまでの整備等の成果について発表します。
(出演者)
●香川 元太郎
●中井 均
●加藤 理文
●萩原 さちこ
●3市城跡保存団体関係者

(25日)東美濃の山城が大集合!!
東美濃の山城が可児市に大集合!お城好きの人も、そうでない人も楽しめる企画満載!
日時:11月25日(日曜日)10時00分~16時00分
内容:
●合戦場
・チャンバラ合戦IKUSA 小牧・長久手の戦い
(参加費)500円 各回先着50名
(受付時間)
(1)10時00分~10時20分
(2)11時00分~11時20分
(3)13時00分~13時20分
(4)14時00分~14時20分

・あっちゅうまにカッチュウ
(参加費)1,500円 各回先着15名
(受付時間)
(1)10時00分~10時30分
(2)13時00分~13時30分

●城内
・講演会
山城が誘う戦国史の魅力と楽しみ方~明智光秀と東美濃の城~
(時間)13時30分~15時00分
(内容)
スペシャルゲスト小和田哲男氏を迎え、可児市にゆかりのある戦国武将「明智光秀」と、東美濃の城との関わりについて講演します。

・書籍グッズ販売
漫画『センゴク』の単行本を販売。また、作者の宮下英樹氏制作のオリジナルグッズも特別販売。※23日、24日も販売有り。

・山城紹介ブース
(時間)10時00分~16時00分
(内容)各城跡のPRブースが出展します。

●城下町
・戦マルシェ
(時間)10時00分~15時00分
(内容)鉄砲火薬ごはん、光秀の本能寺「焼き」そば、可児才蔵の串刺し五平などユーモア溢れるメニューが盛りだくさんとなっております。

・戦国武将を出陣させよ
会場内に設置された特製パネルにシールを貼ってドット絵を完成させよう。

・センゴク騎馬隊(ポニーの乗馬体験)
甲冑を着て乗れば気分は戦国武将!※衣装貸し出し有
(参加費)500円
(時間)10時00分~15時30分



とても面白そうです、興味の有る方、お近くの方は是非!

何條八幡の神体可成

2018年10月15日 18:24

森長可   
316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 21:19:14.41 ID:FVCoKXYq
長久手合戦の時のこと

森武蔵守長可は美濃国金山が居城のため、大垣にほど近く油断していたため、池田勝入に先に
犬山城を占拠されたことで大いに焦り、池田へも知らせず犬山の先に進出し、羽黒八幡村を後ろに見、
前に小川を隔て、いかようにも一働き致すべきと、備えた。

この時、八幡の林に大蛇が出た。神主は「これ則ち八幡宮の御神体です!御勝利疑いありません!」と
申し上げたのだが、武蔵守は

「こんなものが八幡の神体なものか!(何條八幡の神体可成)」

と、これを引き裂いて捨てたという。金山から羽黒まで六里である。

森長可は血気の勇将であり、古より良将は神威を尊ぶということを知らなかった。
木曽義仲は新八幡に願書を籠めたし、織田信長も熱田神宮へ祈誓した。彼は良将とは大いに違っていた。

(長久手戦話)



世にその勇を称して“鬼勝蔵”という

2018年10月14日 18:16

森長可   
353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 15:19:32.34 ID:Zngx3QBK
滝川一益がすでに厩橋を去って上洛した以上は、上野・武蔵の輩は北条に敵し難く、皆々降参して旗下に
属した。信濃小諸城主・道家彦八郎正栄と伊那郡の毛利河内守秀頼もたちまち城を捨てて上洛した。

真田安房守昌幸は北条へは降らず徳川家に帰順した。信濃川中島城主・森勝蔵長一(長可)は上杉景勝の
所領を侵略せんと越後の関山・三本木まで攻め入ったところ、京都で織田殿御父子が討たれ給い、

弟の蘭丸・力丸も皆討たれたと聞いて「私は一日も早く都に攻め上って亡君の仇を報じ、兄弟の幽憤をも
慰めなければ!」と思い立ち、早速海津へ引き返して伊那の毛利・小諸の道家へも示し合わせ、

不日に川中島を打ち立たんと用意した。国人・春日周防(信達)らは、この虚に乗じて人質を取り返し、
否と言わば帰路を妨げんと騒動した。長一は大いに怒り「汝らこの弊害に乗じて人質を取り返さんと

するならば、力をもって取るがいい!」と人質をも引き連れ城を出た。国人らは織田方の落武者を討ち
取って上杉家の恩賞に預からんと、所々の山険水涯に埋伏して帰路を妨げるのを長一は一々追い払い、

猿ケ馬場で春日周防の一子を始め人質を皆々刺し殺し、木曽(義昌)の人質だけを帰して難無く美濃金山
に帰着した。世にその勇を称して“鬼勝蔵”という。後に武蔵守といったのはこの人なり。

(原注:原書(三河後風土記)に川中島の城を上杉景勝がやって来て攻めた。森勝蔵は後詰の頼りもない
ので風雨に乗じて寄手の陣に夜討を掛け、その紛れに城兵は皆逃げたとするが誤りなり。今『柏崎物語』
『武徳編年集成』に拠って改める)

――『改正三河後風土記』



354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 15:59:53.54 ID:Cpv7oSjd
弟達の尻穴で得た所領で蛮行を働く鬼

355 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/10/14(日) 16:16:57.95 ID:EdAdicSZ
その後>>354の姿を見た者は居なかったと言う

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/14(日) 16:18:39.81 ID:VbLfZ+Cx
河尻秀隆みたいに逆さ吊りで死ぬよかマシ

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/15(月) 18:38:09.46 ID:e0Jyqt6G
河尻って岩殿城からバンジーしたんだっけ

無事に帰陣して……

2018年09月30日 19:43

森長可   
231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/30(日) 00:05:59.88 ID:Skd+u1dp
無事に帰陣して……


濃州金山に自考斎という金持ちがいた。
あるとき(森家の)士たちに
「士という者は、戦陣で虎口に臨めば討ち死にを心がけるものだと聞いていますが
 長可様の御家来にも討ち死にと覚悟する士はいないようですね」
と語った。若い士が聞き咎めて
「士であれば誰でも、殿の御馬先で埋もれ草になってもよいと心がけるので
 生きて帰ろうと思う者はいない」
と言った。

そのとき自考斎は「聞いて下さい」と言って、証文を読み始めた。
「『今度荒木摂州(村重)の謀叛により、上様(信長)が行かれることになったので
  殿(長可)も先手として近日出陣します。近頃は甚だ御無心しておりますが
  金子五、六両をお借りしたく存じます。戦が終わった際には無事に帰陣して
  元利共に返済します』」
「とあるので、討ち死にの心がけはないと思ったのです。もし某が今度
 御先手のお供をするとしたら、某は討ち死にするかもしれない身なので
 『諸道具をもってなんとしても精算するように、と家人に申し置きました』
 と(証文に)書きますが、頼もしくはないでしょうね」
と言ったとか。


――『森家先代実録』



234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/09/30(日) 09:36:04.04 ID:+wh1ddCw
>>231
内容とはずれるけど、題でアニメの可成戦死前後の諸々を思い出した
可成とえい様や長可たち家族の一時の団欒
出陣する信長と帰蝶の会話
そして今期最終話のえい様と信長の会話
長可の憤慨

3分アニメのわりにはかなり濃い

森忠政、川中島四郡のかわやに牢屋番などを命じる

2018年08月01日 21:57

森忠政   
988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/08/01(水) 00:04:14.80 ID:EJ6MU2Mq
森忠政、川中島四郡のかわやに牢屋番などを命じる


以下は森忠政がかわや*(いわゆる被差別民)の孫六に送った黒印状。
慣習権が認められる一方、後のえたと同様の役務が課せられていた。

四郡の内のかわや共に牢屋番や細工の仕事を、物頭の孫六が申し付けること。
扶持として(百姓)一戸ごとに籾を一升ずつ取らせる。ただし村々の家の数を
追って書き付けて提出するように。形式は口上にて申し渡す。
下々のかわやは、その者の居住地で稲を一戸につき一把ずつもらう代わりに
城の掃除を油断なくするように。

慶長五年                    忠政黒印
  七月九日
         孫六

――『続舊記集』

* かわたとも言う。語源は"皮のやく"とされ皮革業に従事する人を指した。


高遠城の"化物"

2018年07月18日 17:14

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/18(水) 13:14:41.83 ID:HI2wwpjF
高遠城の"化物"


森武蔵守(長可)殿の家来に大塚主膳という者がいた。
(跡を継いだ)美作守(忠政)殿が川中島を領知していたとき
主膳の親(丹後守)は高遠城を預かり、在城していた。

主膳は近習として小室(小諸)城にいたが、所用で高遠城へ行った。
高遠城は山城なので、植え込みが山へと続いている。
その夜(主膳が)「囲のくさの間に寝る」と言うと、児小姓共が
「その部屋には化物がいて、寝る者を必ずたぶらかすのです」とささやいた。
主膳は若き者なので「どうして戯言を言うのか」と聞かない。
年老いた者も「入らないで下さい」と再三諫言したが(主膳は)
「左様なことがあるだろうか」と言って、(その部屋で)起きていた。

その夜主膳が横になっていると、得体の知れないものが体に上ってきて
一晩中そのままだったので、息も絶えるような心地になった。
東雲のころ(夜明けごろ)になってから探したが、どこに行ったか分からない。
主膳は無念に思ったがやりようがなく、その日には帰る約束だったが
とにかく他の理由にかこつけて城に留まった。

先の夜と同じく抜身の中脇差を小夜着の下に隠し、小夜着の裾を足に纏い
蹴ってはげるようにして、少しも寝ないで待ち構えた。
子の半刻になる頃には、眠くて仕方がない。
主膳は「化物は間違いなく今来るはずだ」と思うようにして
気を静めて少しも眠らず待ち構えていると、村雨が夥しく振り
風が吹き渡って、木々の梢をひどく鳴らした。

そのとき何かが縁側に上る足音がしたかと思うと、腰障子の掛金を
自力で外し(障子を)さらりと開け、主膳の上にぱっと上った。
そのとき主膳は小夜着を蹴ってはぎ、すぐ(化物を)切った。

(主膳は)化物が飛び退るより早く飛び起きて、障子を閉め掛金を掛け
次の間にいる小姓を起こし「蝋燭を持って来い」と言ったところ
(主膳の)親がその声を聞いて、十文字槍の鞘を抜き手燭を持って来た。
「何物かは分かりませんが、傷を負わせました。先に手燭を入れて下さい」
と主膳が言ったので(親は)障子を細めに開け、手燭を入れてから入った。

脇差に血は付いていたものの、(部屋には)付いていなかったので
この部屋より外には出ていないだろうと探したが、一向に見つからない。
思いがけずあちこち見ていると、見回す者の後ろに猿のような影が
壁に写っていたので、気づかなかった体で取って返し押さえた。

見れば狸であった。
切られた前足を口にくわえ血を吸い、血を下に落とさないようにして
人の陰に付いて回ったのは、畜生と言えども賢き物である。
(この狸が)来るときに村雨が夥しく降ったが、どこにもその様子はなく
飛び石も濡れてはいなかったので、不審千万であったらしい。
(狸は)台所に繋ぎ、四、五日人に見せた後に殺したという。

誠に勢い強く心が強ければ功は成るが、勢いが弱ければ功を遂げにくい。
だからこそ武士は、勇猛の心を日夜朝暮にひたすら願い求めるべきなのだ。


――『功名咄』



88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/18(水) 14:57:40.88 ID:P7fNmpSG
>>87
>切られた前足を口にくわえ血を吸い、血を下に落とさないようにして
>人の陰に付いて回ったのは、畜生と言えども賢き物である。
怪談なのに妙にリアルだなw

89 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/18(水) 18:07:39.33 ID:mmGCON2A
そんなのを台所に繋いだのか....
もしかして、後で美味しく頂きました?

90 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/07/18(水) 21:54:33.59 ID:/NO3z8Xw
>>89
そらもう餌断ちして臭みが少し減ったら〆て狸汁よ

91 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/18(水) 23:15:17.74 ID:F+2jpvv+
     )、._人_人__,.イ.、._人_人_人
   <´ 狸じゃ、狸の仕業じゃ! >
    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  //
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  /
// //,|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| /
/ // |:::     +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;|// ////
/// :|::       ( (||||! i: |||! !| |) )      ;;;|// ///
////|::::    +   U | |||| !! !!||| :U   ;;; ;;;| ///
////|:::::       | |!!||l ll|| !! !!| |    ;;;;;;| ////
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|    ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: :   | `ー-----' |__////

92 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/07/19(木) 07:31:41.10 ID:d/QlK5mL
     ,へ、        /^i
     | 〉`ヽ-―ー--< 〈 |
     7   , -- 、, --- 、  ヽ
    /  /  \、i, ,ノ    ヽ  ヽ
    |  (-=・=-  -=・=-  )  |
   /  <  / ▼ ヽ    >   、 はいはいワシのせいワシのせい
  く彡彡   _/\_    ミミミ ヽ
   `<             ミミ彳ヘ
      >       ___/   \
     /         7      \
     |        /

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/19(木) 16:43:01.09 ID:MMKjxULT
ぽんぽこぽん

鬼武蔵、神蛇を喰う

2018年05月29日 09:49

森長可   
819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 22:19:24.48 ID:G3/hr0Wa
小牧長久手の陣において、羽黒合戦で若干の味方を討たれた森武蔵守(長可)は、
備の編成を変えるため移動し、小牧山の東北、二ノ宮の森の麓に陣を取った。
そこには朱の玉垣の花表(鳥居)があり、武蔵守も「いかなる神の社か」と思っていた所、
神主が現れ、武蔵守の御前に参り、このように申し入れた

「この神は深く穢を忌まれます。精進潔斎無ければ、花表の内に入ってはいけません。
殊に不浄の人馬を入れるなど、誠に勿体無い事です。諸人が木の枝を折ることすら
神慮計り難いのです。御陣場を速やかに改められるべきです。」

武蔵守はこれを聞いて激怒した
「悪しき神主の申しざまかな!異議があるなら鉄砲で討ち殺す!
(悪敷神主ノ申様也、及異議ハ鉄砲ニテ可打殺)
私は大義を思い立ったのだ、全く私の利益のためではない。それは神慮も鑑みるだろう!」

そう言っているところ、社壇の上に、長さ一丈(約3メートル)ばかりの蛇が現れ、
軍勢の方に向かい声高く鳴いた。
神主これを見て叫んだ

「御覧有るべし!あれこそ当社の御神体です!」

軍勢の者たちも驚いた。しかし武蔵守は

「この蛇を飼い置いて、土民共を迷わし金銀を取っておるのか!
井原はおらぬか!?あのような有様であるぞ!」

これを井原小市郎承り、腰刀を抜いて蛇を寸々に斬った。
そして武蔵守は

「そういえばここでは精進しろと言っていたな。」
そう言って切られた蛇を二口三口食い、残りは社壇に捨てた。
神主は身の毛もよだち、立ち退いた。

※この後兼山記の作者がこれだけでは鬼武蔵がやべー奴と思われると考えたのか、鬼武蔵とは
全然関係ない甲斐に現れた巨大鱸を漁師が獲って切り刻で神なんてものは人間が信仰するかどうかの
問題で云々とか書いてるけど割愛
(兼山記)



820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 22:39:29.27 ID:DVaPyOBu
この後、亡くなったんだよね…

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 22:42:30.80 ID:homQuwcC
生蛇はだめなんじゃないか・・・

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 23:46:26.00 ID:T+OMRWOR
捕まえたマムシをその場で皮剥いで心臓を食った爺さん見たことあるから大丈夫なんじゃ

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/29(火) 02:10:04.73 ID:8lE87rYa
寄生虫やばいよ

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/29(火) 02:59:40.77 ID:IFix9tXT
蛇やカエルは絶対に火を通さないとだめ。

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/29(火) 05:38:33.97 ID:nZWjCmsu
ヒャッハーすぎるぞ武蔵守

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/29(火) 12:18:31.80 ID:/SpPBZVC
迷信打破って西門豹みたいなつもりなんだろうけどやり方が短絡的過ぎる

仙千代奪出

2018年05月28日 17:28

森長可   
958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 09:59:11.73 ID:G3/hr0Wa
本能寺の後、信州より居城兼山に帰ってきた森長可は言った
「弟である乱丸、坊丸、力丸は討ち死にしたという事だ。信長公も御生害なされ、
この上は京に上っても意味がない。
岐阜の城にいる、残る弟の仙千代(森忠政)を奪い取ろう。
しかし人数多くては無理であろうから、井戸宇右衛門一人供をしろ。」

宇右衛門畏まり、加えて下人少々召し連れ、主従6人にて岐阜城に忍び入った。
日暮れまで静かに待ち、人質を置かれている家に、長可一人忍び入った。
傅役として付けられた各務長助13歳、仙千代14歳、二人共に手を取り家より引き出し、
城の下十丈ばかり(約30メートル)の谷底に大きな布団が用意してあり、
井戸宇右衛門その他が待っていた。

長可は二人をその布団の上に飛び降ろさせ、下に落ちると馬に乗せ、豆渡りの渡に向かい、
浅瀬に馬を入れて難なく川を越え尾張の地に入った所で夜が明けた。
そこから馬を早め、その日の内に兼山へ入った。

兼山で待っていた御母公は、「七世の孫に逢ったような心地です」と、喜ぶこと限りなかった。

(兼山記)



959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 12:07:42.11 ID:kUWGZNYS
30mと言うとマンションの10階位の高さか...
こわっ!!

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 12:38:40.87 ID:DVaPyOBu
布団でなんとかなる高さなのか・・・
かなり、高さは盛ってある感が。でも、岐阜城だと、山の上だしなあ。

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/28(月) 18:46:24.88 ID:homQuwcC
布団にまいて落としてなかったっか?

964 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/30(水) 22:48:48.01 ID:8830ayA8
>>960
すまんけど、ちょっと布団持って行ってやって来てくれよ
報告よろ

瀬田橋乗打

2018年05月27日 16:40

森長可   
804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/27(日) 09:42:07.54 ID:Y4V4mLfi
織田信長が天下を掌握した頃、内裏修理のため伏見に滞在し、またこの普請のため
国々の大名残らず上洛した。ここで信長は、瀬田の橋に関を設け、家中実名を尋ねた上で
通過させるようにと命じた。

このような中、森勝蔵が家中の面々を引き連れ瀬田の橋へと指し懸った。
関守の侍たちが出てきて「上意であります。下馬をして家名実名を名乗り通って下さい。」
そう声をかけたが、勝蔵は

「それは許してもらおう。私は濃州住人森勝蔵と申す者である。御帳に書いておけ。」

そういい捨てて通ろうとした。関守の侍たちは驚いて馬の口にすがり
「そんな事で通せるものか!その上乗打など以ての外!」そう叫んで、鑓長刀などを
番所から出してきて色めき、絶対に通さない姿勢を示した。

勝蔵はこの様子を見ると
「なんと心得のない者達だ!乗打だと!?公方の御前ならばともかく、汝らごとき
侍分の為にこの勝蔵に下馬をしろと!?推参である!」
(元来心得ス者共也、乗打トハ何事ソヤ、公方之御前ニテアラハコソ汝等如キ侍之為す分ト
此勝蔵ニ下馬トヤ推参ナリ)

そういって太刀を抜き、2,3人の首を落とし諸鐙をかけて橋を走り通った、
関守の侍たちはこれを大勢で追いかけ、大津膳所の町口の木戸を早く閉じるよう
呼びかけた。町人たちは二ヶ所の木戸を閉じようとした。しかしこれを見た森勝蔵が

「ものども!火を懸けよ!」

と叫んだため、町人たちは驚き木戸を開いた。ここから勝蔵は急ぎ伏見の信長のもとへ向かい、
御前に罷り出でると瀬田のことを詳細に申し上げ、「切腹つかまつる覚悟」を伝えた。

これを聞いた信長は笑いだした
「昔五条の橋にて人を討ったのは武蔵坊だとか。汝も今より武蔵と名を改めよ。」
そう、非常に機嫌よく仰せに成った。
万座の人々は「実に忠ある武士の例かな。」と羨ましく思った。

勝蔵はその年の内に侍従の位に上り、森武蔵守長可と名乗った。

(兼山記)

鬼武蔵には自分の命令を違反されても自分が命じた関守を殺されても嬉しそうな信長公



805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/27(日) 12:15:38.40 ID:hpLrEv3C
史実だと武蔵守を名乗るのは信長死後の話だけど
いかにも鬼武蔵らしい逸話だな

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/27(日) 14:15:52.36 ID:YRLqfHWA
字が書けなかったからだろ
記帳させたらバレるもんな

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/27(日) 15:44:17.34 ID:XRtYoX8J
あの有名な妻宛の長可の遺言状は自筆だぞ

よく人を見立ててから

2018年03月22日 18:39

森忠政   
717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/22(木) 14:38:32.21 ID:Ml9sJDFQ
よく人を見立ててから


あるとき、森忠政君に近習の者が
「中小姓の扶持方に切米で勘定するのは、百石の物成より多くなりますから
 (中小姓に)所付*されて下さい」
と申し上げれば、(忠政は)
「折紙は本阿弥の札のごとく大切な物である。切米を貰っている者が
 他の国へ行っても大したことにはならないが、所付は他国でその者が
 放言すれば『あんな馬鹿者に知行を取らせたのか』と俺が笑われることに
 なるのだから、よく人を見立ててから所付はするものだ」
と仰せられたという。


――『森家先代実録』

* 具体的に知行所(領地)を付けること。


首を取り返す程なら

2018年01月27日 15:41

森忠政   
502 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 03:05:35.16 ID:sDG9Imzt
首を取り返す程なら


大坂夏の陣でのこと。
森家家臣の石田惣右衛門が、佐竹衆から味方討ちにあったので
惣右衛門の子供二人が追いついて首を取り返すということがあった。

そのころの評判で
「知らないふりをしておけば、親はよく奉公したことになり
 佐竹衆も手柄に出来ただろう。首を取り返す程ならその者を討って
 親の首と一緒に持って帰ればよかったのに。二人とも弱いことだ」
といわれたという。


――『森家先代実録』



503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 09:44:51.58 ID:VA82doJi
お、おう

504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 10:43:16.03 ID:MG3bVX6b
情け容赦がねえな

505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 15:18:35.40 ID:oJeOzHbl
夏の陣でも戦国の気風は残ってたんだなw

506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 16:23:19.87 ID:jh7qn4rj
まさむね「知らないふりをしておけばいいものを神保が…」

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 18:26:15.97 ID:h5bGR4Hh
この場合、惣右衛門さんの扱いはどうなるんだ?
事故死?

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 20:58:26.45 ID:S3i1cgJH
たぶん討たれ損なんだろうね
だからこそ、黙ってれば戦闘中の討ち死にですんだんだろうし
武士としての面目を考えるなら、やはり敵を討ち取ってくるべきだったと思う

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 22:45:01.93 ID:CmJGJAHL
中途半端が一番悪いというのがよくわかる事例

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/27(土) 23:42:10.35 ID:VA82doJi
秋田佐竹は遅参で居ないからどこの佐竹衆だろう

勝蔵は手負たり

2017年10月22日 16:47

森長可   
332 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote![sage] 投稿日:2017/10/22(日) 10:17:08.95 ID:lD4HBGRz
勝蔵は手負たり


信州高遠城に仁科五郎信盛・小山田備中・渡辺金大夫が立てこもったので
信忠公が攻められた時の先手は森長可・川尻肥前守・毛利河内守・団平八が
追手(大手)より向かうことになった。
然るところ長可は右の衆を出し抜かれて、小笠原掃部之介に案内させて
夜明けには高遠へ詰めかけられたので、(高遠方は)すぐに二の丸を空けて
本丸へ集まったので、(長可は)虎口を固められて御注進された。

信忠公は早々とお越しになられ総攻めと仰せられたので、長可が一番に
本丸へ乗り込まれて、広間口左の方へ入り座敷内で迫り合いになり
比類なき御働きで高名を上げられたが、手傷を負われた。
長可の家臣渡辺助右衛門豊守・林長兵衛為忠も高名した。

長可が腰より下は血になられて、首を持って参られたところを
信忠公が御覧になり
「勝蔵は手負たり」
と仰せになった様子は見事なる義にございました。


――『森家伝記』



333 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote![sage] 投稿日:2017/10/22(日) 12:14:35.34 ID:MmZEA88k
まとめの3131
「森長可『血染めの赤備え』」
だと腕にかすり傷で腰から下は全て返り血だったけど
これだと自分の血も混じってるような

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/22(日) 21:12:38.35 ID:LPWCxxI8
返り血のことを手負いと言い表すのか、手負いが高名なのかどっちだろう

淀殿に仕えた各務兵庫の娘

2017年06月29日 11:48

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/29(木) 00:04:31.96 ID:RInqlD5Z
淀殿に仕えた各務兵庫の娘


森家の家臣・各務兵庫(元正)には息子が2人、娘が5人いた。
長女は森重政の妻だった。
次女は大坂衆で落城後に切腹した竹光伊豆の妻だった。
三女は丹後の田中七兵衛の妻だった。
四女は作州の各務勝太夫の妻だった。
五女は淀殿の侍女だった。

大坂城が落ちる前、淀殿は不憫に思い城を出るように勧めたが
どうあっても出ていかない旨を述べ、小脇差を懐に差したという。

後に京極高知の側室となり一男一女をもうけた。


――『武功雑記』



70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/29(木) 06:23:26.13 ID:Tm2U+4xu
脇差が欲しかったのか

人間無骨の槍

2017年04月18日 18:22

森長可   
831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/17(月) 23:11:23.85 ID:K6rQcq2l
人間無骨の槍

かの武州(森長可)が戦で持っていた人間無骨という槍のことは、
今でも町の中にいる軍書よみという者どもの口からも普く出ている。
先年美濃守(森忠賛)と同席した時に話し合ったなかで、
濃州が話してくれた。

「正しく今でも伝わっています。すなわち出入に見られる玄関に掛けてあるものがそうですよ。」

と答えたので注意して見ると、成程殊に大きな十文字槍である。
立ち寄って見たけれど、さすがに勤番士が並み居る前なので憚って、
濃州に頼んでその図を写してもらった。
今思い出して図を出して見ると、直刃がけら首から鋒までは一尺二寸二分、
横手刃端の見渡しが一尺一寸であった。
直刃のところに血漕が一筋あった。横刃には二筋で表裏で違っていた。
四分の所に、表に人間と彫り、裏に無骨と彫ってある。
茎には和泉守兼定と銘じてある。

また濃州の話か、もしや馬谷〔軍書よみの名〕の話か、今は分明でないが、
武州が戦争のとき首を獲って、この槍鋒に貫き槍を立てて一突きすれば、
首が槍柄を貫いて槍の下に至ったという。
剛者の所為といえども、これはこの刃が鋭いためであると聞いたことがある。

(甲子夜話)

蜻蛉ではなく生首とは…


832 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/18(火) 19:58:13.20 ID:Aio4r9/e
和泉守兼定
あまりに切れ味がいいので手にすると無性に人が斬りたくなるのである。

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/18(火) 23:53:22.49 ID:DRuzF2OV
三斎様「うん、しょうがないよね」