この根本を三好は推し量り

2017年01月25日 09:21

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/25(水) 04:00:28.67 ID:CHjahkZO
佐々木承禎(六角義賢)は、三好のことを憎んで、「四国から異な者が
上り居て、威を振るうことかな」と、終いには三好追討のことを

公方に勧め、時に東山へ勢を出した。この根本を三好は推し量り、
松永(久秀)を大将として、公方を弑逆した。

承禎は家来の後藤という者の娘が、公方に近侍しているのを縁として、
公方に親しかった。

松永は三好の乳母に密通し、これを縁として三好は松永に親しかった。

――『武功雑記』



549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/25(水) 11:53:48.33 ID:8SvKVSKd
さすがゴールドフィンガー霜台さんやで

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/25(水) 18:09:13.59 ID:ivLwVkKw
黄素妙論(震え声

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/26(木) 19:09:47.99 ID:6U7WMmld
黄素妙論は道三が松永に渡した本だが
松永が書いた、という意味でなければスマソ
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大事の談合は昼に行うべし

2016年12月26日 16:05

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/25(日) 13:57:01.93 ID:rz8P6Z61
松永霜台(久秀)曰く、

「人が談合分別をする時、夜に致すと合わずして悪しき
ものである。大事の談合は昼に行うべし」

と、言ったということである。予(山鹿素行)が案ずるに、
談合の事柄にもよるであろう。

――『山鹿素行先生精神訓』




刀で柱にざっくり傷を

2016年10月06日 17:32

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/05(水) 16:45:39.11 ID:c3gMfmgy
大河で呂宋助左衛門がでてたので

堺市の大安寺本堂は元、呂宋助左衛門の屋敷であったが、
呂宋助左衛門が秀吉にフィリピンの便所壺を高く売りつけたのがバレて
呂宋助左衛門がフィリピンに逃亡した際に移築したと言われている。
呂宋助左衛門が屋敷を建てた時のこと、松永久秀を招待したところ、あまりにも豪勢な屋敷に驚いた松永久秀
刀で柱にざっくり傷をつけてしまった。
呂宋助左衛門が「なにをする!」と怒ったところ、松永久秀
「盈つれば欠けるもの、完璧なのはかえっていかん」と言ったとか。
この柱の傷は今でも見られるらしい。



168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/06(木) 00:04:46.44 ID:DPpI50nX
>>163
>「盈つれば欠けるもの、完璧なのはかえっていかん」

家光「なるほど」
藺相如「せやろか」

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/06(木) 13:36:49.56 ID:JZZmnAdY
>>163
前田慶次にも同じ逸話があったような

松永久秀の会席料理

2015年05月12日 17:13

4 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/11(月) 18:31:18.92 ID:9yEUVtvr
永禄6年(1563年)正月11日、松永久秀は居城の多聞山城に新しく作った茶室で
その開庵の茶事を行った。
招かれた客人は成(西)福院の住職・真名瀬道三・若狭屋宗可・松屋久政・竹内下総守秀勝の5名。
このうち松屋久政は当時の茶会の様子を記録に残している。
九十九茄子の茶入、平蜘蛛の釜を使用した茶会は濃茶→薄茶→会席料理と進行し
会席料理の品揃えは以下のようなものであった。

「本膳 煮昆布 汁チサ 揉み瓜 牛蒡 飯 塩 山椒 箸の台に白い箸
 二之膳 蓮 独活 芹焼 汁、各々土器に 干瓢・漬け物 アツメ五黄 上に結び昆布
 ツクツクシ
 三之膳 絵を書きて金の桶 宇治梅漬けて 亀足に刺して蒟蒻 金箔にて飾り 煎麩
 菓子は七種 結び昆布に作り花二種刺して青芽 美濃柿 慈姑 銀杏 焼栗 亀足刺して胡桃 楊梅」
(松屋会記)

(補足)
チサ=チシャ、レタスの仲間
芹焼=芹の炒め煮
土器(かわらけ)=使い捨ての素焼きの器、当時最も清浄な器とされた
アツメ五黄=投稿者の知識では不明 「棗(ナツメ)・牛黄(漢方薬の一種)」の意?
ツクツクシ=土筆
亀足(きそく)=串焼き等の串の持ち手部分に紙を巻き、捻って留めたもの




悪魔は早速自分の仕事をやり始めた

2014年12月09日 18:53

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 06:59:52.34 ID:uKneZsTT
永禄十二年、将軍義輝を奉じて入洛した織田信長がフロイスと面会することになったときのこと

パーデレもキリシタン達も暢気にしていられないように、悪魔は早速自分の仕事をやり始めた。
それというのは、先ず第一に、まえに公方様を殺してパーデレを追放した松永霜台(久秀)は、信長やかの殿たちが皆パーデレに示した歓迎
を見たときに、
 
「パーデレが説くあの忌まわしい教えが伝わる所はどこであろうと、忽ち国も街も破壊されるということはこれまでにあれほ
明瞭に経験したことであるのに、どうして殿下が御命令になるのか、呆れるばかりである。」

と信長に言った。すると信長はそれに答えて、

「霜台、歳も長け、思慮もある其方が、かくも小心臆病であることを予は呆れておる。たった一人の異国の者が、この大きな国ではどんな
害悪をなすことができるというものか。それどころか、ここで自分の教えを説くために、かくも遠方から、またかくも遠い国から一人の男
がやって来ることは、かほどまでに多くの宗派が存するこの町にとって名誉なことだと思われるのだ。」

 信長に不機嫌な顔をされると、その者はもう一言も言えず、もう目も上げる勇気もなかった。それで、霜台は一言も答えず黙り込んでし
まった。
 こういう反対者達は仕返しをせずにはいられないものなので、信長は霜台から日本にある最良で最も価値の高い茶の湯の器を奪った後
で、彼と息子を彼らが強奪した大和国から追出して、河内国の山間、信貴山に移させた。そうして、そこでも彼らの悪意が止まらなかった
ので、信長は彼らを殺すことを命じた。しかし、襲撃を受ける前に、霜台は城に火を放ち、城中にあった全財産、婦女もろともに、生きな
がら焼け死んだ。しかし、息子は助かる途も見出すことを期待して窓から飛び降りたが、脚を折り、忽ち敵方がやって来て、彼を完全に殺
した。
(ルイス・フロイス『日本史』)


平蜘蛛は無事だったみたいですね




978 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 07:07:39.75 ID:2V9S/OTD
ここで取り上げたってのは九十九髪茄子だろ

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 08:18:40.22 ID:lVwjUkjr
切支丹が一向宗と同一視(一揆という意味で)されるようになった後の世からすると霜台の危惧は当たっていたと考えるべきでしょうね
彼の家臣に切支丹に改宗した高山・結城などがいるのでその影響力は肌で感じていたと考えられます

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 18:25:37.33 ID:MIVD3f6y
いや、坊主から金もらって言ってただけで全く関係ないよ
この時点でのキリシタンの数からしても

981 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 22:50:24.09 ID:PpDqgtbf
将軍義輝を奉じて
まえに公方様を殺して

さすがフロイスさんやで

982 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 23:55:38.58 ID:lVwjUkjr
>>980
買収されていた証拠はあるのかい?
それに有識者の改宗は意味があると思います
領主なら尚更

ここに居る男は松永弾正久秀と言って、

2014年11月27日 18:39

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/27(木) 01:44:44.44 ID:tMU/qxXI
徳川家康がある時、信長のもとに居た折、信長は家康に向かって言った

「ここに居る男は松永弾正久秀と言って、人の成し難きものを三度まで成し遂げた者である。
第一は己の主人である三好義長(義興)に勧めて、共に光源院将軍(足利義輝)を襲い殺した。
第二には将軍を弑せし上にて、主の三好をも滅ぼした。
第三には南都の大仏を消失させた。
これらは大胆不敵の所業であり、並々の者の及ぶところではない。良くお見知りあるように。」

そう事も無げに言い、これに久秀は赤面して何も言わず、全身から汗を流してひれ伏していた。

家康はやおら立ち上がると、久秀の側に寄り
「御邊の事はかねてから承っておりましたが、互いに遠路を隔てていたため、これまで面会する機会も
ありませんでした。今後は心やすく声をかけて頂けますように。」と挨拶をした。

帰殿の後、老臣達が御前に出てきた折、家康はこのことを話した
「その時の久秀の様子は大変気の毒であった。彼の悪行というのは確かに言うまでもない。
しかし先ごろ、信長が金崎を引き取る時、前後に大敵を受けていかにも危急ならば、近江の
朽木の領内を通って帰ろうとした。朽木は佐々木氏の領邑であり、同じく浅井の与党であるから、
如何せんと信長は心悩ませていた所に、久秀自ら朽木の方まで行き、種々説得して彼を味方につけた上に、
人質まで出させて立ち帰り、そのことを信長の申し上げれば、信長も懸念を散じ、朽木を通って
帰還することが出来たという。
もしこれが事実だとすれば…。」

家康はこれだけを言い、末の言葉はなかった。
(もし此事の実正ならばと仰せられしのみにて、末の御詞はなかりしとなり。)

(落穂集)

家康はこの後どのように考えていたのか、色々と想像をさせる逸話である。



906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/27(木) 08:44:12.79 ID:/m4g7mHR
>>901
時系列がおかしくないかこれ

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/27(木) 19:37:01.05 ID:iTneZW9J
何か変なところがあるのかな?

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/27(木) 21:58:06.39 ID:uknHPjtM
昔から不思議に思っていたのだが
>>901は信長流の誉め言葉だと思うのだが
弾正は何故赤面するのか
所詮はその程度の器だったと言う事か

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/27(木) 22:04:20.86 ID:DcS2Ndx3
過分の誉め言葉に照れてたんじゃない?

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/27(木) 22:12:04.55 ID:OK7R2zc3
多分、前提としてこの話がある
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8515.html

913 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/11/28(金) 12:59:19.05 ID:He2d5W0A
>>911
人前で家康age弾正sageされてプルプルきちゃったって事か

霜台はたとえ首になったとしても

2014年04月03日 18:59

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/03(木) 04:49:33.39 ID:Col/hL4H
松永霜台(久秀)が織田信長に反逆し籠城した時、信長は討ち手に羽柴秀吉を遣わした。
秀吉は信長に報告する箇条書を右筆に書かせた。曰く

『この日に城の外側を破ります。この日には二の丸を破ります。この日には本丸を破り、
この日には霜台の頸を取ります。』

右筆は「これはどういうことでしょうか?」と尋ねると、秀吉はこう答えた

「こうしなければ、信長は私を生かさないだろう。もしこの通りにならなければ死ぬしか無い。」

そして、報告した期日に無理に撃ち破り、秀吉は報告とともに久秀の頸を函に入れて信長へと送った。

信長は届いたその函を見るとこのように言った

「これは偽首であろう。霜台はたとえ首になったとしても、私の前に来るような者ではない。
筑前(秀吉)は才気でこんな事をしたのだ。」
函を開いてみると、果たして信長の言ったとおりであった。
久秀は終に降伏することなく、鉄砲の薬に火をかけ、自ら焚死したという。

(老人雑話)





我は寺僧・空圓。実は

2013年06月29日 20:00

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 14:13:43.66 ID:wXEh7esj
天正5(1577)年、龍造寺隆信神代貴茂の手引きで島原に上陸し侵攻した。
有馬晴信も兵を出してこれを迎撃したが、龍造寺勢に破られた。
隆信は余勢を駆って千々石氏を攻めたが、これに有馬の援軍も加わり先手はおろか旗本まで崩されることとなった。
これはその時の話である。


隆信の陣には空圓という僧が陣中を見舞っていた。
この空圓は近年肥前に寄って与賀の蜜蔵寺に宿を取っていた際に、村中城へ招かれて法談をしたところ、
隆信夫妻が深く帰依して、蜜蔵寺を修造して光照寺と改め、住職に置かれたものであった。

さて、空圓は、龍造寺の軍が崩壊する様を目撃すると、長袖を結んで肩にかけ長刀を取ると、
「我は龍造寺興賀・光照寺が寺僧・空圓。実は松永弾正(久秀)が弟なるぞ。出家とて侮るなかれ!」と叫んで敵に斬りかかり、
四方八方へと敵を討ち払い、奮戦して遂には果てた。
この空圓は、これまで生国も俗姓も話すことはなかったが、ここに至って初めて名乗りを上げたのであった。




578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/29(土) 14:56:08.81 ID:MqAbeISa
誰だよ・・・つか松永久秀の弟が何で今更

彼らの恥は松永の恥だ

2012年12月06日 19:52

664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/05(水) 23:45:34.05 ID:+E8g/w+O
五月三日、五月雨が晴れ間もなく朝から暮れまで降り続け、加茂川・貴布禰川が
一つになって万里小路へ一文字に押しかけ洪水が入り込んだ。洛中はさながら
河原のようになり、訴えがあったので検断人・伊澤新右衛門の同心・岡部忠兵衛が
奉行として普請を務めた。

人々は土俵を築き立てて井関を組み、雲霞の如く南北に馳せ群がって働いていたところ、
ある四十歳ほどの男が精根尽きて、堤の下の柳の陰で東を見渡して伏していた。
これを見つけた岡部は杖で男の背中をひどく突いて「こんなにも皆が隙なく相働き、
休む間もない普請だというのに伏せておるとは物臭き曲者め。とっとと立ち上がれ!」
と、男を睨んだ。

すると男は「今朝より人一倍働きましたので精根尽きて休んでおります。
それを泥杖で突っかかる方こそ曲者じゃ」と言い返した。それを聞いて岡部が
「何という狼藉を言うのだ!」と重ねて杖で打ったが、二打目に男は
腰の一尺と五、六寸の打刀を引き抜き、弓手の脇腹を彼方へ通れと突き刺したので
岡部は二言と言わずに死んでしまった。そして男もまた大肌を脱いで土俵の上に腰掛け、
腹を十文字に切った。

この一件が松永の耳に入り、松永は「日本一の不覚者め。物頭だからと下を侮る者が
必ずこのような怪我をするのは度々の習いだ。同心は自身のせいで、使用人は運が
尽きたためにまったくの犬死をしてしまった」と散々に立腹して伊澤を呼び
「重ねて起こりうることなれば、同心たちによくよく言い付けよ。彼らの恥は松永の恥だ」
と、怒った。

――『室町殿物語』

松永は平蜘蛛の人かな?




667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 10:02:17.05 ID:tphg29US
>>664
ふんどし一丁かと思ったら服着て腰に刀挿してたのか

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 21:35:51.97 ID:zpDC8OmD
>>667
俺も思った。身なりの悪そうな奴をなめてかかったのかと思ったら
服着て帯刀してる人間を杖でぶん殴って罵倒したんだな
ブラック企業の上司みたいな奴だな

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 21:48:28.74 ID:FWiPdoP8
当時は百姓町人でもみんな普通に帯刀してて外見の差異はあんまり無いんだよ。
時代劇では身分が分かりやすいように刀差してるのは武士だけになってるけど。

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/06(木) 22:01:51.73 ID:HkcDNvVH
俺もほぼ裸のような格好想像したよ
身分より梅雨時に土木作業で疲れてぶっ倒れてる状況から

猿沢の池の魚が

2012年10月16日 20:11

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 19:30:34.77 ID:W0cyz0fV
慶長14年(1609)、
奈良の有名な猿沢の池において、10月15日から水換えを行い、11月4日5日と池の魚を一方の
水たまりに寄せ、主池を掃除して22日に再び水を入れそこに魚を離すと、魚が10匹ばかり
たちまちのうちに死んでしまった。

これを一乗院は夢のお告げによって、この事は不吉な兆しだと言っているそうである。
かつて、80年以上前にもこれと同じことがあり、天下は凶相の有様となった。
また、去る永禄10年(1567)にもこの池において同じことが起こった。
すると翌年より天下大乱となり(三好三人衆と松永久秀の争い)、これにより当時天下の主人であった
三好家が滅亡したのである。
(当代記)

大仏焼き討ちで有名な東大寺大仏殿の戦いのころ、こんな怪奇現象があったらしい、というお話




880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 19:34:45.65 ID:aZMW5iMW
水槽の水換えではカルキ抜きは大事(´・ω・`)

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 19:35:15.81 ID:LUpvVy8y
入れた水が汚染されていたりキレイ過ぎたりしてたんだろうなあ

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 20:48:43.84 ID:bRgAzFFN
元アクアショップ店員の俺が推測するに
pHショック、硬度ショック、水温ショックのいずれかが起きたと思われ.



お魚を別の水に移動させる時は「水合わせ」を忘れずに!!!

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 20:49:55.47 ID:UqMlIr4a
澄まず濁らず、出ず入らず、蛙湧かず藻が生えず、魚七分に水三分

なんて謡われる不思議池ですし

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 20:50:21.33 ID:qQUoZR4D
掃除に失敗してる人が多いってことだなw

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 00:08:32.27 ID:phStM6dH
田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水

白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 00:18:52.96 ID:dSnOhPMA
そういう問題じゃねーから
魚飼ってる奴なら分かると思うが
池の水を全部交換とか論外にも程があるわボケ
自分のミスを不吉な兆しで誤魔化すなw

松永弾正の性ハウツー本について

2012年10月14日 19:30

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 15:48:46.09 ID:7uyBR+Z9
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-811.html
ところでここに出てくる松永弾正の性ハウツー本だが、
曲直瀬道三が弾正に送った「黄素妙論」に
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/mg5/image/mg5shf/mg5sh0002.html
夫女人の淫念いたらざる間は男子しゐてまじはるべからず女人に淫慾の情念のいたるしるし五つあり。
一には男女ひそかに対面し物語などするに俄に女のおもて赤くなるは心中淫事の念きざすしるし也。
其時男子の玉茎を女人の玉門にあてがふべし
ニには女人はなをすすらば慾念肺の臓にうごくと知るべし、即玉茎を少し入るべし
三には女人目をふさぎ口をあき舌をさましいき使ひあらく成は淫情脾の臓にいたるとしるべし。
其時ゆるゆると玉茎を出入すべしあまりにふかく入べからず
四には女の玉門の中あたたかにうるほひゆたかにして津液外にながれは腎気のいたると心得て
玉門の口へ玉茎をぬき出し左右をよこにつくべし
五には女の足にて男の腰をはさみ女の手にて男の背をいだきしめ口をすはんことをもとめば
肝の臓の気いたると心得て玉茎をふかく玉門の奥さしつめてしづかに左右につくべし

殆ど同じことが書かれてるんだが




847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 16:04:23.22 ID:fI6j+dl6
松永弾正の性ハウツー本が黄素妙論だろ?

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 16:14:53.19 ID:3qTu7GkG
弾正が性指南書書いたんだと思ってた

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 16:16:48.24 ID:nJktpLb6
エロの伝道師w

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 17:18:28.48 ID:kHMbetqx
ググったら弾正が書いたのは「五傷の法」ってやつらしい
内容的に道三のを参考にしたっぽいな

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 00:24:48.08 ID:FWcWnClT
>>851
「五傷之法」は「黄素妙論」の六章目のようだ
「一に、玉門ふくれず、うるほはざる間は、必ず玉茎を入べからず、しゐて入る時は肺をやぶる
ニに、女人の淫情既に動ずといへども、男子それをもしらず、漸女の心中に興つき、
時過て交合する時は、必帯下の病となる
三に、少壮之女に白髪之老男相対して、玉茎かたからず、なましゐに少しおゆるといつて、
しゐて交合し精汁をもらすことかさなれば必目をやみ、終には盲目となる也、
四に、女の月水いまだやまざるに、しゐて交合すれば互に腎をやぶる、
五に、男子沈酔して交合し、女人の美快なる事過おはありたるに、しゐて久しく出入をおこなふ時は、
必面黄之病を生ず。」

内容も前にこのスレに出たやつと同じっぽい
あと、「黄素妙論」全文および現代語訳は、新潮新書の山崎光夫「戦国武将の養生訓」に載っているな
上記以外は体位(9つ)とか精力剤の処方とか

老人はかつて松永久秀に仕えていた

2012年09月09日 20:33

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 23:04:17.56 ID:QI+KIRTd
1610年ぐらいの頃、山城の国に90歳近い老人が住んでいた。老人はかつて
大名の松永久秀に仕えていた侍だった。

老人が語る話によると、松永久秀はかつてキリシタン布教を取り締まるため、領内にいた2人の
宣教師を追放することにして配下の2人の侍にその追放令を宣教師たちに伝えるよう命じた。
(続く)

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 23:17:41.82 ID:QI+KIRTd
>>410の続き
2人の侍が宣教師たちに会ってみると、その教えが素晴らしかったので侍たちは感激してしまった。
松永久秀の所に戻った2人の侍は追放令を伝えたことと、宣教師の説く教えが
素晴らしかったことを報告した。報告を聞いた久秀は追放令を解除した。
その時の2人の侍の1人がこの老人であった。(耶蘇会年報集)




412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/09(日) 18:02:23.93 ID:G/YDcRto
後のクリスマス休戦である

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/09(日) 18:26:08.18 ID:9TP2VF3z
時は流れクリスマス商戦の現代である

414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 06:56:25.65 ID:p7V+8Xg1
今は正月ですら休戦じゃないからなあ>商戦

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 07:35:16.01 ID:QAK14FIe
>>413-414
????「多々買え… 多々買え…」

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 11:41:31.41 ID:gDOTx3uD
越後商人「塩止めうまいれす」

418 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/10(月) 18:56:42.51 ID:r9jGWneM
越後屋「多々買え、多々買うのだ現代のモノノフよ」

???「越後屋、オヌシもワルよのお」

松永久秀と明智光秀が陣を並べることがあった

2011年07月14日 23:07

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/14(木) 00:32:08.29 ID:03siNorf
信長包囲網が形成されていたころ、松永久秀明智光秀が陣を並べることがあった。戦を前にして、
陣を見回っていた光秀は、久秀の備えの一部が突出しているのを見つけ、久秀に忠告した。

「松永殿、貴殿の備え、少し出張り過ぎたところがあるようだ。今のうちに、備えを立て直されよ。」

「おお、これは面目ない!・・・しかしのぅ明智殿よ。この松永も日ごろ茶人、数寄者と呼ばれる身。
それが人前で二の湯を継ぎ足し、茶を『点て直す』などという見苦しきマネは思いもよらぬ。
あの一備え、廃るというなら捨てるまでよ。それ、かかれ―――ぃ!!」

そう言ってそのまま敵陣に突き入れ、勝利してしまった。(茶窓閑話より)




584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/14(木) 00:43:27.97 ID:FGiOzc4D
決断力に優れた曲者、と島左近(異説あり)に評された二人だけど
弾正のこの行動は少々無茶ではないのかと

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/14(木) 00:56:23.71 ID:7hNSG0It
織田信長「見たか、他人の思惑の逆をするこの久秀の行動こそ器用というものだ
     光秀も>>584も裏を掻かれておろう」

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/14(木) 08:11:55.58 ID:R+j7jN03
着眼点が違うぜ
さすが、ノブさま!そこに痺れる、憧れるぅ!

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/14(木) 08:37:29.05 ID:scyIQdZT
>>584
久秀と並び称されるって光秀的にどうなんだろうな…

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/14(木) 10:57:56.31 ID:TIhvGKAz
後世の俺ら的にはお似合いじゃないの?って思っちゃうトコだがなあ

639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 00:54:49.95 ID:DV/FpV1w
>>583.584
そういや『無茶』とか『無茶苦茶』とかの言葉はお茶からの由来した言葉なんだよね。

頻繁に使ってる言葉だから再認識させられた。

芝居の「金閣寺」では

2011年06月14日 00:01

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 20:39:44.21 ID:qQDOzjsF
芝居の「金閣寺」では
将軍足利義輝を暗殺した国崩し(国を傾けるほどの大悪人)の松永大膳が
雪舟の孫娘、雪姫を口説こうと金閣寺に縛って監禁するが、
雪姫は桜の花びらでねずみを描いて、そのねずみに縄を食いちぎらせ、
小田春永の部下で、此下東吉と変名を使って松永にとりこんだ
真柴筑前守久吉と、その部下の佐藤正清に助けだされる、とかなんとか

松永大膳、小田春永、真柴久吉、佐藤正清が誰かはあえて書かない




139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 20:47:04.99 ID:qZS7vHjR
>>138
おだしゅんえい・・・間違いなく、天庵様だな

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 20:50:12.17 ID:XoGIYf9D
>>138
縛って監禁とか、もはや口説く、ではなく脅迫の域だな。

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 21:03:24.62 ID:YIMK5opn
佐藤政清って虎殺しの人か
さすが芝居、年代とかガン無視やでぇ

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/13(月) 21:11:57.10 ID:5Q58zHZb
最後の人がサッパリだったが言われてなるほどだわ

ある時松永久秀の家老が。久秀にこう申し上げた

2011年02月23日 00:00

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 04:12:42.00 ID:QUoufZ3H
ある時松永久秀の家老が。久秀にこう申し上げた

「殿がご所有の平蜘蛛の釜を、信長公はご所望になっております。
この上はご進上申し上げるべきではないでしょうか?」

ところがこれに久秀

「たわけたる事を申すな。あの釜を信長にやった上に、我らが首まで所望されたら
どうするのだ?」

それから暫く後、再び家老が久秀に申し上げた

「この頃世間に取りざたされている話を聞いてみれば、殿の御身に大事が迫っておるようですぞ!」

久秀これを聞くと胸を反り返らせ

「ふぁ~ぁ」

と大あくびをし、

「あらうれしや。思い出になることだ」

そのように言ったそうである。

2度目の謀反の前あたりの話であろうか?松永久秀とその家老の会話である。




921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 17:54:41.21 ID:5SiBRRQH
>>909
子供の頃は大嫌いだったんだけどね、弾正。

923 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/02/22(火) 18:37:12.31 ID:DAvt/LVK
>>921
弾正好きな子供というのも…

結城弥平次の改宗

2010年08月05日 00:01

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/04(水) 06:50:10 ID:2mnPCtjx
摂津国岡山を治める領主、結城山城守忠正。彼は松永久秀の配下として活動していた。
彼の甥に結城弥平次という男がおり、伯父の片腕として岡山の治世に大いに貢献して
いたという。

この弥平次、出身は美濃国であり、今も岐阜の町に母と3人の弟を残していた。
彼はたびたび「一緒に暮らそう」と母に手紙を送るのだが、母の返事と言えば息子を
罵り、嘲笑するような内容ばかり。
何故なら弥平次はキリシタンだったのである。

熱心な法華教徒であり、下の息子達3人すべてを僧侶とした母にとって、コトある毎
に「改宗しない?」「キリシタンって良いモンだよ?」と手紙を送ってくる長男は、
正直頭痛の種であった。
しかもこの長男弥平次、伯父であり主君でもある結城忠正をキリシタンに改宗させて
しまった前科がある。母としては気が抜けない相手でもあったのだ。

ところがある時、手紙ではなく弥平次本人が直々に岐阜までやってきた。
「母上、私もこのたび、嫁を取るコトになりました。今までは独身の気楽さ故、一人
でも不自由はありませんでしたが、嫁が出来、一家を構えるとなると、やはり母上に
姑として嫁を教育して頂かねば不安でなりません。どうか、一緒に暮らしては頂けな
いでしょうか?」
「……でも、お前の嫁といったら『アレ』なんだろう?」
「個人の信仰と家庭は別です!キリシタンと仏教徒の夫婦だっているのですから。ど
うか、姑として嫁を助けてやっては頂けぬでしょうか?」

母は息子への愛情に負けたのだろうか、暫く考えた末、摂津行きを承知した。
すると弥平次、3人の弟にも声をかける。

「仏法修行も良いが、目出度い結婚の祝いだ。お前達も出席してくれないか?ついで
に京の都にでも寄って、色々と珍しいモノでも見物して行くと良い」

こうして母と弟、計4人をつれた弥兵次は岐阜から摂津岡山へと帰還した。

「えっ、ちょっと弥平次!? ココはどこ!?」
「兄上、この者達は一体……」

「ここはキリシタン達の寺、教会です。母上達の当面の宿として用意いたしました。
この者達は当地のキリシタンで、是非、母上達の世話をしたいと買って出てくれたの
です。どうです、キリシタンとは親切でしょう!」

こうして教会に監禁され、キリシタン達に囲まれた状態で朝も夜もキリストの正しさ
と仏教の非を説かれ続けた4人は、弥兵次の結婚式までには立派なキリシタンとして
生まれ変わっていたと言う。

……教団の支部に連れ込まれ、信者に取り囲まれて説教。というのは僕も経験ありま
すが、マジ恐怖です。
日蓮系仏教はすべて滅びればいいのに(いや、そーゆーヤツばかりじゃないのは分か
ってますケドね?)……つかこの4人、法華宗かっ!どっちもどっちじゃねぇか!




結城弥平次の遺体

2010年08月05日 00:00

292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/04(水) 06:51:47 ID:2mnPCtjx

ある時、結城弥平次は古橋という土地を攻める軍勢の一員として河内国に従軍していた。
兵糧は現地調達というコトなのか、ただの略奪なのか、それとも戦に勝っての戦後処理の一環だったのかは
分からないが、彼の率いる部隊は農民から年貢米の徴収を命じられた。
3~400人の部隊で高台に陣取り、のんびりと集めた米の計量を行っていた時、敵方である三好三人衆の軍が
弥平次達に奇襲を仕掛けてきた。

弥平次の部隊が400人に対して、敵は2500。
到底勝ち目はない戦力差だが、場所が高台だったコトが幸いした。
2ヵ所の上り口を押さえ、上から次々と矢を射掛けるコトで敵は甚大な被害を出した。
しかし、それでも物量差は歴然としている。弓の名人である弥平次の守る上り口は堅
固であったが、もう片方の上り口を破られ、腹背に敵を迎えるハメになってしまった。
あっと言う間に勝敗は決した。弥平次の率いる部隊は壊滅したのである。


摂津に残った弥平次の母や妻らは、弥平次の部隊が敵の奇襲により全滅したという報を受け、
彼の死を嘆き悲しんでいた。
「生も死も、神の思し召し。仕方のないコトだと諦めましょう。ですがせめて、弥平次の遺骸
葬ってあげたいのです」
古橋から弥平次の遺体を拾って来い、と結城家に仕える者に命じた。
家臣としてもその気持ちは判る。危険を押して河内国に潜入、戦場跡を訪れた。

しかし戦場に打ち捨てられた死体は皆、雑兵のモノばかり。
立派な鎧を身に着けた死体は首を取られ、身元を確認する術もない。
仕方なく、同じような体格の死体の内、衣服や鎧が似ているモノを「弥平次の遺体」として
摂津で待つ家族の下へと届けたのである。

摂津の教会に運び込まれた「弥平次の遺体」は、待ち受けていた家族や友人に迎えられた。
遺体を目にした彼等の悲嘆は深く、争う様に「弥平次」を抱きしめ、斬られた首の傷痕に口付けをした。
彼等は自らが血まみれになるのも構わず、ただひたすら「弥平次」と共にありたいと願っていたのである。

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/04(水) 06:52:58 ID:2mnPCtjx
そしてそんな風に悲しみに包まれたまま2~3時間が過ぎた頃。
「あのぅ……奥方様?」
一人の家人が教会の扉を開けた。
その時、彼が目にした光景を想像すると、彼の恐怖は如何ばかりかと思う。

薄暗い教会の中、金屏風に閉ざされた一角で死体を取り囲む男女。
彼等は争うかのように死体を奪い合い、口元は血で濡れ、それでも涙ながらに首のな
い死体に口を寄せ……

何のホラーだ。
まぁ、それはともかく。

「弥平次様から手紙が届いております」
そんな家人の言葉に、一同は耳を疑った。

死ぬ前に出した手紙が今、届いたのだろうか?
恐る恐る手紙を開けると、

『心配かけてゴメンね!今回ばかりはオレも死ぬと思ったよ!ホント、神様の御加護
って偉大だよねっ!みんなが心配してると思ったから、とりあえず無事だってコトだけ、連絡しとく。
多分、2~3日でそっちに帰れると思うよ』

「……………………ゑ?」

じゃぁ、コレ……誰?
教会に詰め掛けた家族&友人一同、手元の死体を見つめた。
そして次に隣の人間を見た。
腐りかけの死体を抱きしめ、血に塗れた傷口に口付けた、血と腐汁に汚れた姿。
…………同じ姿をしている自分。

「イ、イヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!」

今まで抱きしめていた死体を放り出し、逃げるように教会から転げ出る。
恐怖に震え、十字架を握り締め、ひたすらキリストとマリアの名を口にし続ける人々。
家人がその遺体を教会から引きずり出し、近くの湖に捨ててしまうまで、彼等は恐怖のあまり、
教会に足を踏み入れるコトが出来なかったという。



結城弥平次と三木半太夫

2010年08月05日 00:00

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/04(水) 06:55:33 ID:2mnPCtjx
一方、少々時間は戻って古橋の戦場。

部隊が壊滅し、組織的な抵抗が出来なくなっても、次々に味方が討たれて行く中で、
「JESUS」の前立ての兜を付けた弥平次は狂った様に矢を射続ける。
既に周囲に残る味方はわずか数人。もうダメかという時、敵の攻撃の手が止んだ。

敵の武将らしい一人の男が騎馬で進み出て、
「ワシはこの軍の大将、三木半太夫と申す!先程からの戦いぶり、敵ながら見事なモ
ノである!その前立てを拝見するに、キリシタンであろうか、是非名乗られよ!」
「某は摂州岡山城主、結城山城守の甥、ジョルジ弥平次と申す!仰せの通り、キリシタンである!」
弥平次が言葉を返すと、半太夫は即座に馬から下りて弥平次に歩み寄ると、鎧の上から
羽織っていた虎皮の上着を脱ぎ、弥平次の肩に掛ける。

「キリシタンなら命を無駄にするな!ワシの下に降って欲しい。なに、そなたを罪に問うようなコトはせぬ。
我が殿から責めがあったとしても、ワシの命ある限り、そなたには指一本触れさせぬ!」

半太夫もまた、キリシタンだったのである。
三木軍に投降した弥平次は、まるで賓客のような扱いを受けたと言う。
家族への手紙に書いた通り、数日で解放され、攝津に無事帰るコトが出来たと記録されている。


……基本的にはいい話として良いと思うんだケド、討ち死にした挙句、弥平次の遺体と間違われ、更には
埋葬もされずに捨てられちゃう味方の兵隊さんがあまりにもカワイソス。
しかも、「この死体がある一人の異教徒のモノだと思い至った」から彼等は教会から逃げ出したとか。
仲悪かったにせよ、知り合いの遺体だったのかよ!遺族に引き渡すくらいしたれよ!




美人過ぎる人妻と松永久秀

2010年07月19日 00:00


934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/18(日) 00:04:14 ID:S+9Dz1ZV
携帯すまん

有名な能楽師の妻おりきは美人すぎる
ということで有名だった
だが夫が死んでしまい独り身になってしまう
そこで目をつけたのが松永久秀^^ジュルリ
三好実休も目をつけていたため実休は
あせり、宗易(のちの利休)に松永との茶会で、あれはおれの女だと言ってくれと頼まれる

そして
松永「あれは君の女なのかい、噂あるよ」
宗易「うーん…ははは」
濁される松永そこで賭けにでる^^よーしパパ頑張っちゃうぞー
平蜘蛛と交換しようというのだ
だが宗易は反対し、出ていってしまう
松永「……ぐすん」
果心「」つハンカチーフ
松永「許さん許さん許さん許さんry」

そしてなんとおりきの家に火の手があがる
そう松永がおりきの家に放火したのだ
松永の可愛さ余って憎さ百倍な話

結局おりきは宗易とry




935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/18(日) 00:07:33 ID:MpCBFZf7
千小庵は松永弾正の子供という噂が・・・

クリスマスも近いという事で、松永久秀の話

2009年12月21日 00:02

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 22:15:33 ID:zFDIvZda
クリスマスも近いという事で、松永久秀の話を…

乱世の梟雄、松永久秀。
彼が三好長慶に仕えていたのは、ご存じの方も多いだろう。

(諸説あるが)長慶は、後々一族の者が松永に暗殺され、実権を握られるなど夢にも思わず彼を非常に信頼していた。
また、松永の器量に惚れ込み自分の娘を松永に嫁がせる。

しかし、ここでちょっと考えてほしい。
松永の生年は1510年前後。対して、主である長慶の生年は1522年。
そう、この二人実は12歳の差があるのだ。

長慶には20歳の時に嫡男の慶興が生まれている。その後に生まれた姫が、松永に嫁ぐのだが
逆算すると松永は30歳以上歳の離れた姫を娶る事になったのだ。
初夜の光景を考えると、どう考えても松永がロリコ(ry


この時代では幼くして輿入れしたり、かなりの歳の差での婚姻も珍しくないが
主君の娘を、30歳前後の歳の差があって娶った話はあまり聞かないので投下。

ちなみに松永の嫡男、久通は生年から考えておそらく前妻の子。
その妻が病か何かで亡くなり、その後長慶から娘を娶ったんだと…


まとめサイトに長慶の妻を自分の物にした話もあったが、それってもしかして親子(ry

乱世の梟雄、松永久秀。
彼はやっぱり凄過ぎる。いろんな意味で。




261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 22:28:46 ID:EX3RZcIh
>>260
松永一族って長慶が死ぬ直前には、家中において三好一族に匹敵するほどの
大勢力になってるんだよね。
それだけ有能だったんだろうけど、あれじゃあ長慶がいなくなれば内紛になるわ。
長慶が松永を信用しすぎて家中のバランスを考えなかった悪い話でもあるな。

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 22:51:13 ID:NQXQWG5k
兄弟の死が続いて一族の藩屏が崩壊していたってのもあるがな

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 23:07:12 ID:qiwXvu45
>>260
クリスマスが近いから久秀の話ってのもなんだかなぁw

それはさておき、
その幼妻は久秀の秘伝のテクによりメロメロにされちまったわけだ。

なんという悪い話。

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/20(日) 23:27:23 ID:bRQN8E0O
>>261
三好氏の場合、久秀と長逸が三好長慶への取次ぎ全般を行っているので、長慶が
衰えてくると自然このふたりが台頭してくる。阿波も三好実休がかなり強い権限をもって
統治しており(「新加制式」も実休が生前支配してた範囲で適応された分国法だし)、
主要な一族(実休、長逸)・家臣(松永兄弟、篠原)に権限が集まる傾向があったみたい。

268 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 10:42:15 ID:pBnMzuLX
>>263
如安ってことかな?
それとも岐阜にいったのが24日だからかな?

269 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/21(月) 11:18:16 ID:0UehFI5j
>>268
日本で最初にクリスマス休戦したからでしょ?