そのようなことはあるはずもないものを、

2016年02月05日 12:41

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/05(金) 00:56:23.91 ID:wJtdm8/P
浅井の平生の存念は、越前が平定すれば、江北は肝要の
場所であるため、浅井も追い立てられるであろうというもので、

その旨嫌疑に及び、先年敵対したのだとか。

およそ信長公は大心第一の将であるため、そのようなことは
あるはずもないものを、

このように疑ったのは浅井の運の窮するところであろうか。

――『当代記』



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浅井長政嫡子、万福の事

2016年02月03日 18:37

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/03(水) 08:01:35.51 ID:bT7LTetB
備前守(浅井長政)の嫡子に万福という者がいた。越前に人質として
送り遣され、越前平定後は加賀国に行って隠れていたが、

盲人となったので、母、または祖母公(信長の母)を頼って出たところ、
近江国木本にて信長により誅殺された。

――『当代記』



浅井長政斎藤龍興と軍の事

2015年01月25日 17:07

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/25(日) 16:01:16.11 ID:nDHE0pBS
浅井長政斎藤龍興と軍の事

浅井備前守長政は玉淵川を場所を決めて斎藤龍興と戦をした。
或る時長政は五百ばかりの兵を選び、関ヶ原野上の宿に火をかけ、樽井の前にある小川に、柵の木を結んで待ち受けた。
龍興は一万ばかりで出てくると長政は聞いて、百人ばかりを菩提の小道から敵の後ろへ回らせ、自ら四百ばかりで、敵が気を緩めているところを夜討ちした。
思いもよらぬところから鬨の声が上がったので、龍興は内通している者がいると思い、慌てて岐阜に引き返した。
長政は大垣のあたりに火をかけたので、龍興は
「敵が勝ちにのって大垣を攻めるのだろう、いざ援けよう。」
と岐阜を出たら、長政はすぐに引き返して、熟練した足軽三十人を樽井の土民の家に隠して、龍興が樽井に入って士卒が疲れたので、
兵糧を食べて油断しているときに、隠れていた足軽達は、所々に火をかけて焼いて煙を立てた。
長政は思いもよらぬ所へ押し寄せて散々に敵を打ち破り、すぐに南宮山に登って敵を待った。
龍興は二度も敗北し、口惜しく思って、四面を取り巻いて余さず討とう、と押し寄せた。
長政はこれを見て、
「敵は大軍である。十死一生の戦とはこのことだ。我が下知がないうちは矢の一筋も射てはならない。」
と言って攻めかかって来るのを待って、山の上から一文字に切ってかかれば、龍興大いに敗北して、これより長政を恐れてまた戦をすることは無かった。
(常山紀談)



600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/25(日) 20:10:13.10 ID:gS2gNwYx
wiki見たら1563年に美濃遠征とある
留守中に六角が攻め寄せたんで赤尾が兵500で殿したらしい

去る江州一乱の時

2014年04月05日 19:29

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/05(土) 00:10:29.69 ID:FfYqcsdC
去る江州一乱の時(足利義材の六角征伐か)、浅井の某という者が、落ち武者となって日枝山の雲母坂を下って
京に赴く途中、不思議なものに出会ったという。

これは老人かと思うと、またにわかに若くなり、若いのかと思えばまた、忽然としてシワが寄って見えた。
一体どういう人物なのか一切判断できない、怪しい者であった。
この人物が浅いに語ったことは

「その方の家、必ず末に栄えて貴族の名を得るだろう。頼もしく覚えておくが良い。しかし慎みがなければまた憂うこともあるぞ。」

そこで浅井某が近づいて何か話しかけようとすると、たちどころに消え失せてしまった。

乱れた世には必ず魔障があると言われるが、この話のような類の事なのであろう。しかしこの曲者は良いことを言って
きたのであるから、只者では無いのであろう。

(塵塚物語)

天分21年(1552)成立とされる塵塚物語より、後の戦国大名近江浅井家の祖について書かれたと思われる逸話である。





遠藤喜右衛門の諫言

2012年06月28日 21:02

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 21:13:38.31 ID:zrrGgult
永禄11年8月5日、上洛を開始した織田信長は7日、馬廻の侍わずか二百四五十で、妹婿である
浅井長政の待つ近江佐和山城に入り、初めての対面を果たした。このとき京童たちは
『婿入りも無き先の舅入りとはこの事よ』と言いはやしたという。

その後各地の情勢報告が行われたあと、信長一行は近江柏原の成菩提院という天台宗の寺に座を移し
そこに一泊した。この寺において接待のため長政から浅井縫殿助、遠藤喜右衛門、中島九郎次郎が
付けられた。様々なもてなしに信長も非常に機嫌がよく、夜すがら打ち解け、酒宴の後就寝した。

これを見届けると遠藤喜右衛門は早馬に鞭を当てて急ぎ小谷へはせ帰り、長政を諌めて申し上げるには

「信長という人物は、大変に表裏の深い大将です。彼の行跡をよくよく見れば、その知略の早いこと、
サルが梢を伝うようです。我が浅井家を縁者として組み込み、こちらに参って懇切に言ってくるのも、
ただ上洛のための、当面だけの事です。功成り名を遂げたならば、朝倉も当家も必ず敵とするでしょう。
また、終始信長の気に入るように出来るかと考えても、なかなか想像のつかないことです。
そうして信長の怒りを買った時に戦うことになったとしても、必ず討ち負けて後悔しても手遅れとなります。

であれば、今夜柏原において、二百人ほどの供の者たちも皆町家に寄宿し、信長自身は酔いつぶれて
寝入っております。彼の側には14,5歳の小姓2,3人が眠っているに過ぎません。

ここで、どうか私一人に仰せ付けください。今夜中に柏原に罷り帰って、信長を安々と討ち取って
見せましょう。二百あまりの供侍たちも、大将が討ち取られればその上は、我先にと逃げ出すでしょう。
それを追って美濃に入り、岐阜の城を攻めるなら、城主はなく家督を継ぐ嫡男も幼少であり、彼の地の武士たちも
我も我もと味方に参り、美濃・尾張両国は時を移さずして攻め取ることが出来るでしょう。
そうなれば、その威勢に乗じて六角親子を押し倒し、帝都へ攻め上がって天下の仕置を助ける立場になることも…
誠に当家の興廃は、ただこの一挙にあるのです!」

こう言葉を尽くして説得した。これに長政はしばらく迷い、家老や一族を集めて密かに相談したが、一同が言うには

「信長はあれほど当家に対し懇切で、心やすく打ち解け、頼みまいらせているではありませんか。
そんな良好な関係を失い、公方様の上洛を妨げ、その上酔いつぶれて寝ている人を殺すというのは、
籠の中の飼い鳥を殺すのと同じ事です。

それに今のような時節に信長を討ち取れば、人望に背き、天の冥加も恐ろしく、侍の本意が立ちません。
そんなことは、絶対にあってはなりません。」

長政もこの意見に同意し、遠藤の諌めを用いず、彼に早々に帰って明朝も又接待をするようにと命じた。
しかし遠藤が重ねて申し上げる

「天の与えることを取らなければ、災に会うと申します!信長は表裏の大将です!必ず当家を
押し傾けようとするでしょう。その時、この判断が返って災いとなること、私には鏡に写したように
見えるのです!
どうか、どうか私の申し上げたことにご同心ください!」

そう、涙を流して訴えた。しかし長政は頑としてそれを聞き入れなかった。
遠藤も是非に及ばず、何事かブツブツと呟きながらその夜、柏原に引き返していった。

後にこれは信長の運の強さの現れだと言われた。
(総見記)





204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 21:22:30.85 ID:JEjEBXW+
>>202
信長の運の強さは異常

本当になんか憑いてたんじゃないか?

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/27(水) 21:40:40.85 ID:WXxewK+D
遠藤「もう手遅れですわ」(ブツブツ・・・)

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 08:47:45.14 ID:4lvFuVTE
>>202
遠藤さんは素晴らしい武士だな
もっと評価されるべき

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 09:23:46.25 ID:zaxIDqfm
もう出てるけど、長政が離反を決意したときには逆に、もう討つには手遅れだから止めなさいと諫めるんだよなあ

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/28(木) 09:29:30.47 ID:DFjGMWq7
まあ裏切らなきゃ別段潰されはせんだろ
気付いたら家臣になってるだけで

元亀4年(1572)2月 浅井長政書状

2012年06月10日 21:02

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/10(日) 16:11:17.85 ID:YCk9mbPc
武田信玄の上洛戦により信長包囲網が活発化する中の、元亀4年(1572)2月の浅井長政書状

『(上欠)書状を拝見したところ、懇ろな言葉をいただき恐悦に思っています。
去年12月22日の御合戦(三方原合戦)の次第を承り、耳目に驚愕を覚えました。
三河のことは、これも又信玄様の思い通りに掌握されたとのこと、その事は追々聞いております。
実に珍重であります。
日をおかず尾張・美濃に進軍なされること、偏にお待ちしております。

公方様(足利義昭)も立場を明確にされ、御内書を作られ信玄様に送られました。
こちらの方面でもその後威光を以って、(近江)滋賀郡全体が我が手に属しました。
朝倉義景は緊急に出陣することに決まりました。

申し上げている内容について、我々の方では油断はありません。
織田方から甚だ多くの調略などが行われるでしょうが、猶以て別して我らとご入魂頂ければ、恐悦に存じます。
詳しいことは使者に申し含めました。信玄様に直接申し伝えます。恐惶謹言。

元亀四年二月廿二日              長政(花押)

武田左衛門大夫殿(穴山信君)人々御中


(土屋文書)

『                浅井備前守
                     長政
(越中)勝興寺 御同宿中

前回お便りをしたところ、懇ろなる返報に恐悦に思っています。
そちらの方面の状況を承り、満足に思っています。

及ばずながら申し上げます。今は堅固な備えを構築することに専念すべきです。
輝虎(上杉謙信)との講和をお望みになっているようですが、武田信玄にご相談なくそのような行動をするのは、
全くあなた方にとって勿体のない話です。敵の計略に乗せられる可能性もあります。
我々は示し合わせ同盟をし、互いに同心を誓った、別格の関係なのです。
この事は常々、御門主様(本願寺顕如)の御意も得ています。

また、今月13日に公方様(足利義昭)も立場を鮮明にされ、朝倉義景、そして私に御内書を下されました。
そのためこれをあなた方にもご披見していただきたいと思います。

当国(近江)の滋賀郡も、全体が我が方に属しました。
東国では遠江・三河は申すに及ばず、東美濃の加治田、津保、鉈尾の三ヶ所の城が、揃って武田信玄
属し、甲州勢の先発隊は東美濃に乱入しました。
朝倉義景は我が方面への早々の出兵を決定しました。

申し上げた内容は、着々と進行しております。
諸方面の態勢をこのまま進めていけば、我らの目的が達成されるのは確実です。
どうか活動を停滞させることなく、積極的に策動していくことが肝要です。なお、度々ですが御備えの方は
宜しきように整備してください。

追ってまた申し入れます。恐惶謹言

(元亀四年)二月廿六日               長政(花押)


(勝興寺文書)

浅井長政が信長包囲網間の連絡調整に尽力しているのが、よく解る書状である




882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/10(日) 16:18:02.29 ID:CX7wcsOz
9月には滅んだんだっけ浅井

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/10(日) 22:36:12.04 ID:oGF3ZDbo
浅井タン・・・(*´д`)/ヽァ/ヽァ

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/10(日) 22:41:55.71 ID:qglBnDHt
信玄の病死まで、あと一年と少し・・・

886 名前:sage[] 投稿日:2012/06/10(日) 23:22:45.80 ID:z6kcZuJ3
信長包囲網の調整役か。
どんな心境だったんだろうね。

徳勝寺由来

2011年12月05日 22:01

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/05(月) 00:47:30.15 ID:9LE/C9C7
天正元年(1573年)浅井家が滅亡し、羽柴秀吉が江北一円を与えられ、長浜城を築き
文禄四年(1595年)長浜城に内にある寺を移した

それは浅井家の菩提寺であり、元々は小谷城の背後にある上山田村にあった医王寺という寺を
浅井家初代、亮政が小谷城と共に同山麓に移して菩提寺にしたものだ
それを秀吉は、亮政の法号、徳勝寺殿にちなんで、徳勝寺と改名した

時は流れて徳川の世となった慶長十一年(1606年) 時代は二代将軍秀忠の頃
徳川譜代の内藤信成が長浜を与えられた際、城下の田町に同寺を移転させた
秀忠は、江の父祖の寺なのだからと配慮し、寺領三十三石余を安堵した

更に時は流れて寛文十二年(1672年)
長政の百回忌に、彦根藩主の井伊直惟が現在の地に移転し境内を整備した

江戸中期の頃、中御門天皇が長政に従二位大納言を追贈して以来、皇室が年忌ごとに香料を下賜する慣例になった

そして現在、境内には、亮政・久政・長政の三代の供養墓が並び
寺内には、浅井氏三代の夫婦像や一族の位牌、過去帳などが所蔵されている

逸話じゃないけど、一つの菩提寺でも色々な配慮がされているんだなぁと思ったので




893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/05(月) 09:53:28.26 ID:LT1PHWv7
凄い寺だが、霊感強い人が行ったらなんかこう…

浅井亮政、武田晴信のクーデターを評す

2011年05月21日 00:00

274 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 00:21:54.48 ID:t9E3gFGk
天文10年(1541)のこと。
甲斐の武田晴信はその父武田信虎を駿河に追放。クーデターにより武田家の実権を
奪い取る、という事件があった。

さて、その事を聞いた近江の浅井亮政(久政の父、長政の祖父)は大いに憤り
こう批判した

「人々は皆こう言う、武田晴信は良将である、と。
しかしそれがどうして、此の様な乱暴なやり方で父親を追放するのか!?
実に憎むべきこと甚だしい所業である!

その武田家というのは、自身の武に奢るというものであろうか。
これは人望に背き天道に捨てられる行いである。

私はこう断言しよう、武田晴信を良将と呼ぶべきではない、と!」
(浅井日記)


まあ後年、そんな事を言ってた亮政の息子の久政が孫の長政から、武田とほぼ同じような
クーデターされて強制引退食らうんですけどねw




282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/20(金) 11:10:20.99 ID:QlKynUP4
>>274
なんか浅井亮政がギレンで再生された

あえて言おうカスであると! 

まあそういうギレンさんも妹にやられちゃったわけですけど

浅井長政、斎藤龍興を評す

2011年05月20日 00:01

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 11:32:25.09 ID:WpXvErRg
永禄7年(1564)7月の末、尾張の織田信長と美濃の斎藤龍興が戦い、
龍興が敗北した。
また同年8月10日にも両者は戦い、この時は斉藤勢が大敗北をした。
しかし龍興は決して、信長に降伏しようとはしなかった。

さて、この事を知った近江の浅井長政は、赤尾という家臣にこんな言葉を漏らした。

斎藤龍興という人は誠に、今の世の義士である。

将来、我々の武威が盛んになれば必ずこの人を幕下に加えよう。
もしまた我々の武威が衰えて他の勢力に付かねばならぬ時が来たら、
必ずこの人を頼ろう。

ああ、今後の世の中に義士が現れるとは私には思えない。
ただ裕福な商人の友を作ってこれを縁とし、それにへつらうような士や将ばかり多い
世の中ではないか。」

浅井長政による、斎藤龍興評である。
(浅井日記)




682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 12:54:24.20 ID:FPEAlSY0
負けっぱなしの人の下に付いたり、家臣にしようとしたりする
意味が解らんが…
気概だけは立派なり!ってことなん?

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 13:31:56.12 ID:EktnG6Iv
六角に屈した事とかもあると思う

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 14:38:53.63 ID:5OyY7kHY
浅井長政が天庵さまと出会ったとしたら、もはや何が興るか想像できない

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 18:45:04.49 ID:FCmIQRs1
天庵さまって別に義士じゃないよな。奇怪な徳はあるけど

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 19:20:01.94 ID:vLE0dyFo
龍興もどの辺が義士なんだ…
信長=(当時の長政にとって)悪 に一貫して反抗してるから?
それ以外では暗君エピソードくらいしか知らなかったのでwikipe見たら
長政の甥か従兄弟に当たるんだな
キリスト教に接近したからかもしれんが、宣教師からの評価も高い

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 19:22:11.67 ID:Hbqph87K
宣教師の武将評価ほど信用ならないものはない

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 20:02:44.33 ID:yGWwilAu
宣教師の記録を信じるなら、あの一条兼定はスーパー聖人君主なのである。

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 20:13:08.36 ID:stFhYcRd
聖人が悪人の策謀に勝てるわけもなく

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 20:27:07.36 ID:M28elnrz
>>685
義士は菅谷さんと小田領民の皆さんだな。

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 20:43:27.19 ID:q0LMY/Jh
宣教師が入れ込んだ大名が悉く衰退したのは策謀に劣る聖人だったからかw

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 22:19:55.89 ID:APCW+l9I
織田秀信とか前田玄以の息子(パウロ、長男のほう?)も宣教師からは高く評価されていた


693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/19(木) 22:25:39.57 ID:RJMZT/VL
竜造寺「カエサルとか言われて調子こいてたら釣られたクマー」

磯野員昌、お礼参りと称して

2011年04月03日 00:00

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/02(土) 11:14:42.32 ID:LFR3emiD
戦国乱世であるからには、政略結婚と一口に言っても、遠隔地に輿入れするのは容易なことではない。
間を美濃国の斉藤に遮られた尾張国の織田と近江国の浅井の場合は、次のような策を講じて信長の妹・お市を
浅井長政のもとに送り届けたという。

永禄3年正月、剛勇で鳴る浅井家家臣・磯野員昌は大病にかかるも九死に一生を得た。
ついては伊豆・箱根・三島明神・浅間神社に祈願した霊験のおかげなのでお礼参りをしたいと東海・東山道筋の
各城主に員昌の使者が送られた。

員昌は音に聞こえた勇士。戦乱の世とはいえ、お礼参りとあれば今川も北条も通行を許可しない訳には行かない。

しかし員昌のお礼参りは口実だった。
道中、尾張に立ち寄った員昌は織田家の佐久間信盛と密会し、お市と浅井長政との婚姻の話を取り決める。

翌永禄4年6月、員昌は再びお礼参りの旅に出る。今回は夫婦共に参拝したいと今川・北条に申し送り、女輿や
侍女を多く連れて東国を巡る旅となった。

そして、帰路に立ち寄った清洲にて、員昌の妻として輿に乗っていた替え玉の女性とお市とを入れ替えた。
その後、お市を加えた員昌一行は何食わぬ顔で小谷まで戻り、無事長政の祝言を執り行ったのである。

以上、後に姉川の合戦における十一段崩しで有名となる磯野員昌は意外と策謀にも長けていたという、
「川角太閤記」に記されたウソみたいな本当の作り話。




689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/02(土) 14:16:54.07 ID:cuHJRVlm
嘘みたいだろ、でもやっぱり作り話なんだぜ

691 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/04/02(土) 15:31:48.08 ID:n8K4t/gZ
普通に使者とかが往来してたんと違うの?

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/02(土) 16:43:16.50 ID:679CCU9z
著作権の問題で最終巻が発売されなかった『信長』だと
市自身のアイデアで対斎藤には囮の輿をしたて、市は少数の侍女を従えた旅人を装って小谷に入っていたっけ

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/02(土) 21:37:42.86 ID:ThEttSCr
>>692
メディアファクトリーから最終巻出てるよ
なぜか改訂版だと松永久秀の髪が黒くなってるがw

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/03(日) 00:58:44.28 ID:UOCUQZ4x
桶狭間の頃から蘭丸が近侍しているね。
信忠もかなり早い頃から登場しているね。

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/03(日) 05:56:44.83 ID:us+ZgtUB
>>694
森成利(永禄八年~天正十年)

ははは御冗談を

697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/03(日) 07:33:27.13 ID:HTW7epGZ
>>696
>>692>>693

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/03(日) 07:37:05.19 ID:us+ZgtUB
>>697
なるそういう流れね

浅井長政の姉、昌安見久尼

2011年03月31日 00:01

408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 21:28:36.96 ID:vituTarA
もしかしたらその評判の悪い大河ドラマでもやってたかも知れないけど、見てないので既出だったらスマン。

小谷城の南にある実西庵。その庵主・昌安見久尼は浅井長政の姉である。
天正元年に浅井家が滅亡した際、お市と浅井三姉妹は一時、この実西庵に身を寄せていたという伝承がある。
信長の手勢がこの庵にお市と三姉妹を探しに訪れた際には、昌安見久尼が法衣の中に三姉妹を隠して守ったという。

しかし、いくら子供とはいえ三人も法衣の中に隠せるものか?

実は、昌安見久尼は身長175センチ、体重105キロという巨躯の持ち主。幼少時からあまりに大柄だった為に、
早々に結婚を諦めて尼になったとさえ言われる女性であった。

織田兵にしてみれば「お前のような尼がいるか!」といいたくなったかもしれない。

そんなデカい姉がいたのなら、と浅井長政デブ説の傍証になりそうなので、イケメン説を信じる人にはちょっと残念?な話。




409 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 21:44:59.31 ID:ne50t0eo
淀殿もデカかったという話あったよね。
身長170㌢超とか。

410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 21:57:09.36 ID:C7A/BqTr
以前いい悪いスレで淀殿の身長が168cmという記述を見て、出典を探してみたら
肖像画の着物の寸法から推定・計算したものらしいね

411 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 21:57:29.48 ID:nvLGpUYl
織田も浅井も当時としては高身長な家系なんだな

412 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 22:17:39.25 ID:vh5Qr9dM
高虎「北近江の米を食べると大きくなれるのでござる」
清正「左様。今浜あっての某でござる」
正則「然り然り」

浅井長政「横に大きくもなるとは」
遠藤直経「殿……」


413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/29(火) 22:50:18.84 ID:/aa9rkyr
石田佐吉「・・・」

浅井長政の関ヶ原合戦

2010年05月01日 00:06

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 19:52:35 ID:NecJ7J0f
浅井長政の関ヶ原合戦

ある時、浅井長政は五百の精兵を選り抜き、関ヶ原は野上の宿へ討ち入って火をかけた。
報告を受けた斎藤龍興は一万の兵をこぞり、踏み潰さんと打って出る。
長政は圧倒的な劣勢である。
垂井の手前に流れる小川を堀とし、柵を築いて持久の構えをとった。
が、これは見せかけで、長政は菩提の間道に小勢を走らせ、斎藤勢の背後へと走らせていた。
そしてある夜、長政自ら陣頭に立って夜襲をかけ、頃を見て別働隊を思い切り騒がせた。
「さては寝返りが出たか!」
斎藤勢は混乱し、龍興は岐阜まで撤退せざるを得なくなった。

さて、勝ちに乗る長政は大垣までも焼討する。
捨て置けない斎藤勢は態勢を立て直し、再度出撃。
浅井勢は槍を合わせず、あっさりと退いた。
龍興は垂井まで進み、そこで疲労した軍勢に一息入れさせようとした。
が、斎藤勢が休息を取り始めると、家々から轟々と火が吹き始めた。
実は長政、垂井を引き払う際、数十の足軽を伏せさせていた。彼らが手当たり次第に放火しだしたのである。
斎藤勢は右往左往、そこへ長政が斬り込み、またも龍興は逃げるはめになった。

「おのれ!小勢にいいようにされてなるか!」
龍興は怒り心頭。
浅井勢が立て篭もった南宮山へ向かい、包囲を固める。
大軍でもって攻め上ったが、敵からは矢の一筋も飛んでこない。
「はは、戦意を失ったか」
意気上がる斎藤勢が敵陣に足を踏み入れた瞬間。
一丸となった浅井全軍、真一文字に突撃してきた。
斎藤兵は山を転げ落とされ、完全に壊乱して逃げ惑う。
長政らはその隙に包囲を抜け出し、戦場を離脱していった。

これ以後、龍興は長政を甚だ恐れ、再び出陣することはなかったという。




678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 21:01:10 ID:trW42hTO
>>677
それだけだと、ちょっと戦がうまい話だからなぁ~
長政パパが僻んだり龍興さんが馬を背負って逃げたりとかなかったのかね~!

つか、山科けいすけの浅井長政が戦バカの恐妻家だっけ?
もう忘れたな・・・

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 09:48:57 ID:RpdKWkwH
>>677
義龍でないとてんで駄目か

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 10:20:15 ID:2vKFhKNV
印象では義龍死亡→ほど無く滅亡だけど、実際は結構保ってるよね龍興

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 14:42:59 ID:+w0MYoW4
保ってるとはいえどんどん調略で切り崩されてたから・・・。

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 14:54:50 ID:+4ltOrut
Wiki見たら13で家督相続して19で稲葉山城を失ってたんだね、龍興さん
暗君のイメージあったんだけど、こんな若かったんだ・・・

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 15:12:06 ID:xoxyMMuc
>>686
その後越前朝倉家と運命を共にするまで反信長が活動を延々続けた勇将だったりもする

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 16:14:48 ID:XGK5aQWL
総大将、総責任者としての才能は無くても、一部隊の隊長としての才能はあったてことかな。
痛い目にあって成長しただけかもしれないが。

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 16:32:16 ID:J0SCmgzC
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-219.html

今までの龍興の逸話見ても少なくとも暗君じゃあないな、
苦労した事で人間性が磨かれたのかなって感じは確かにする
↑の九右ェ門伝説が本当だったなら良いんだがなぁ、一寸報われて欲しいわ

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 16:42:37 ID:wNft5O00
信長も何度も痛い目にあって成長してるし、失敗が人を強くするんだな
ただ、失敗しすぎて国まで失うともう挽回できないけど

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 18:00:50 ID:9MD+ndr6
>>690
ゴンベ「いや、やり方によるよ?」

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 18:19:59 ID:wwEfqlKK
>691
 ち ね ば い い の に 

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 19:09:57 ID:JJt5EVHp
小田さんは・・・

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/01(土) 22:29:03 ID:zwov4o+D
小田さんは再起動するたびにメモリの内容が消えますから

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/02(日) 00:31:04 ID:NxHSUFbG
>>692
長宗我部さんの叫び

太尾城攻め、同士討ちのこと

2010年03月07日 00:09

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/05(金) 22:15:28 ID:vZUR1baG
永禄四年(1561)のこと。

近江の浅井長政は、六角氏に奪還された米原の太尾城の回復を狙っていたが、
この頃防備が手薄なのを見て取ると、家臣の今井定清と磯野員昌に命じて夜討を架ける計画を立てた。

そこで今井は配下の武将と相談し伊賀衆を雇い入れ、彼らの手で火攻めを行わせる契約を結んだ。
伊賀衆を太尾城に密かに侵入させ、城中で火の手を上げさせ、それを合図に本丸二の丸を一度に攻め滅ぼす、
と言う作戦である。決行の日取りは7月1日と決まった。

さて同日夕刻、今井隊、磯野隊はそれぞれ配置についたが、肝心の火の手がいつまでたっても上がらない。
浅井家の者たちはしびれをきらせて伊賀衆に詰め寄るが、彼らは

「それは忍の作法を知らぬ湖北武者の言葉である」

と一蹴する。とにかく信じて待っていろ、必ず火をかけると言う。
そうこうしている内に、夜明けも近くなった。

さて、待機している今井隊であったが、配下の島若狭守が「この様子ではもはや作戦の決行は無理でしょう。
今回は諦め、後日を期して帰陣いたした方が良いのでは?」と進言、今井定清もこれに同意し撤退を始めた。
ところが腰越まで退いた時

「太尾城の方向に火の手が!」

伊賀衆、見事に仕事をこなしたのだ。
慌てたのは帰陣中の今井定清である。

「城の放火に成功したのか!?いかん!このままでは城攻めは磯野隊に先をこされるではないか!
そうなっては一生の不覚である、急げ!」

今井隊はもと来た道をしゃにむに駆けた。そして深坂の中程でついに、磯野隊に追いつき、さらにこれを追い越そうとした。
夜明け近くと言えども、伊吹山中はまだ暗闇のなかである。磯野隊は後ろから突然現れた軍勢に驚き

「何者だ!?名を名乗れ!!」

と叫んだが、磯野隊を追い越すことに夢中な今井隊からは何の答えも帰ってこなかった。そこで磯野隊は
「おのれ怪しい奴ら!」とこれに攻めかかった。同じ浅井軍による、暗闇の中の同士討ちが始まったのだ。

この混乱の中、今井隊の大将今井定清は磯野隊の岸沢与一によって討たれ、他に二十数名の死傷者が出た。
そして当然のことながら、伊賀衆まで雇った太尾城攻めの作戦は完全に失敗した。


この事件の後、磯野員昌は事実を知り大変に驚き、

「天道いかなる神仏による罰でありましょうか、誠に口惜しく感じております。」

…と、涙を流して今井の遺族に謝罪した事が、今井の配下にあった島若狭守秀安の家記「島記録」に
残されている。

浅井家における、同士討ちの話である。




13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/05(金) 22:45:51 ID:/+tCtXSE
実際、こんなgdgdな事態っていくらでもあったろうね・・

14 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/05(金) 23:30:54 ID:dmUSEh4G
一番ビビったのは城方かもな
朝起きたら麓で正体不明の勢力同士が戦してんだから

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/05(金) 23:37:42 ID:4KsUi6sQ
浅井が磯野に命じてわざとやった可能性もあるな
もともと今井氏は同僚だったし、六角と浅井を天秤にかけてる歴史があるからな


ってかこの話つい先月ガイシュツ

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/05(金) 23:46:52 ID:vZUR1baG
>>15
うわ、今確認した…

ま、まあ、詳細や磯野の謝罪の言葉は新しいと言うことでorz




関連
今井定清の死
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3603.html

今井定清の死

2010年02月06日 00:18

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 02:07:34 ID:sGsMf90z
永禄四年七月、南近江の六角氏は畠山氏と連携して三次長慶を南北から攻撃した。
この時、浅井長政は手薄となった六角領へ侵攻、吉田安芸守兄弟の守る太尾城の
奪取を企てた。

赤尾清冬、磯野員昌ら浅井家中の主だった武将がこれに参加したが、なかなか城は
落ちない。攻め手はいろいろと策を練り始める。

今回の城攻めでは磯野隊に属していた今井定清は夜襲を計画、伊賀者を忍び込ませ
城中から火の手が上がるのを合図に本丸・二の丸同時攻撃を行う手筈を整えた。

そして当日の夜半・・・

【今井】「丹州(磯野員昌)ばかりにいい格好させれないからな。さて、合図はまだかなー?」

・・・・・

【今井】「おいおいどうしたんだよ、夜が明けちまうぞ、しくじったのか?」
【島秀安】(今井の配下)
「夜も明けちゃいますから、殿はもう帰られた方がよろしい。ここには自分が残りますから」
【今井】「う~ん、まあ、失敗はつきものか・・・引き上げるわ、あとはよろしく」

今井が惜しく思いながら自陣に引き上げたところ、いきなり城に火の手が上がった!

【今井】「いかん!やはり戻るべきではなかった!丹州に手柄とられてなるものか!!!」

馬を戻して、先頭に立って供の者に叱咤する。

【今井】「急げ急げ急げ進め急げ急げ進め進め~~!!!!」

そして、磯野勢の中を走り抜けようとしたその時!

【今井】「げちょ!」

今井の背後から鑓が突き出され、まともに食らった今井定清は馬から転げ落ち絶命してしまった。

【島秀安】「ひゃあ、殿ぉ!」

今井の手勢は大混乱、城の火はすぐに消し止められ、何ら浅井勢は得るところなしに終わった。
今井の遺骸は館に戻され葬られた。今井定清の子はまだ幼少であったため、一族が相談して小谷城へ
犯人の詮議を訴えでた。

【今井親戚】
「こりゃ前代未聞の味方討ちじゃ!そういえば陣中から田那部式部丞の姿が見えなくなっておる!
 まさか、あやつが定清を手にかけたんじゃ・・・ウオーッ!殺す!!」
【長政の使者】
「ま、待て!お屋形様も『浅井の家は末代まで責任を逃れられぬ』と申されておる。田那部のことは
 不審に思って義兄である遠藤直経と連絡を取っておるところじゃ。落ち着かれよ!」

【田那部式部丞】
「すんません。何かみんなから疑われちゃったんで兄貴のところに匿ってもらってました。
 でも、自分無実なんで出頭いたしましたペコリ」

その後の調べで、結局、磯野員昌の兵士が今井定清をやっちゃったことが判明、磯野員昌は今井家中へ
誓詞・起請文を捧げ「合戦の最中であるため、とりあえず山中で謹慎」する羽目になった。

何だかねえ・・・('A`) ('A`) ('A`)




282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 04:54:52 ID:bFFonHI9
>>281運悪く芯じゃったのがね……カワイソス(´・ω・`)

矢に刺されても槍で突かれても不思議の生を拾った人が居てこっちは勇者としての逸話になるけど..


284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/05(金) 09:46:16 ID:dBWByPOh
>>281
これ実は暗殺じゃないかとも言われてるよね

浅井長政の降伏

2009年12月27日 00:11

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 17:06:50 ID:DjuibA9D
天正元年(1573)9月1日、
織田信長の攻撃により近江小谷城は陥落寸前となり、浅井長政は今まさに
切腹に及ぼうとしていた。

ところがこの時信長より、不破河内守を通じて

『我らは縁者である以上そなたを疎意に思ってはいない。悪いようにはしないので、
ただ兜を脱いで降参なされよ。』

と言ってきた。長政は「このようなもの返答に及ばない。ただ腹を斬るだけだ。」と拒絶したが、
傍の者たち、「信長がこれほどまで慇懃に言ってくるからには、何かの仔細があるのでしょう。
どうかここは降参なさって、お家の存続を図るべきではないでしょうか?」
などとしきりに言うため、長政も「父久政も許されるならば」と、ついにこれに同調し、
百二三十騎ばかりで、降参の体でもって城を出た。

ところが信長、矢倉の上よりこれを見つけると、彼らに向かって

「あれは長政か!?何の面目があって降参するのか!?」

と、声高に叫んだ。
長政は大いに面目を失い、すぐさまその道沿いの赤尾美作の屋敷に入り、自害して果てた。

信長は長政に、この恥辱を与えんがため降伏勧告を送り続けていたのだろうか?

一般には長政は降伏勧告を最後まで拒絶し切腹したとされているが、浅井家滅亡に関して伝わる
異説の一つである。




376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 18:57:41 ID:jQOt8u8V
|┃三ガラッ! ____
|┃    |どっきり|
|┃ ≡/⌒\ ̄∥ ̄ミ
|┃ ( 信長 ) ∥ サッ
|┃≡(_》^ω^)E)
|┃=⊂   ノ
|┃≡(_ノノ

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 20:47:22 ID:FFAKAVw5
>>375
不破さん気の毒

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 20:53:11 ID:vx2EV2jQ
信長、二重人格説

379 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2009/12/26(土) 20:59:40 ID:byqSJsF4
赤尾曲輪の位置。

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 00:10:06 ID:+MQzUgek
>>379
これ原文には「赤尾美作の屋敷」じゃなくて、「赤尾美作の衣装部屋」になってるな。

浅井賢政(長政)、六角家臣一の美女平井氏との縁談を

2009年10月16日 00:10

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/14(水) 22:48:56 ID:6MCNhAyY
長政がらみでいい話を

浅井久政は六角氏に従属していました。
そして息子の賢政(六角義賢から一字拝領)と六角家臣一の美女平井氏との縁談をまとめました。
しかし賢政は美人というところに反応してしまいました。
美人で懐柔される俺ではないというわけです。
そこで賢政はクーデターを起こし父親の浅井久政を捕え島流しにすると、嫁を送り返し
強大な六角氏に戦いを挑みました。
わずか十六歳の少年と侮った六角氏の油断もあり、圧勝した賢政は北近江を平定し
六角氏に肩を並べる大大名になりました。そして賢の一字も返却し長政と名を改めました。
後年久政配流先の竹生島の宝厳寺には長政の外孫、徳川家光によって大伽藍が建てられました。




593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/15(木) 00:59:40 ID:bSZg3tlU
>>592
なぜ市はおkなんだww>美女NG

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/15(木) 01:10:18 ID:q885aU/t
実は美人じゃなかおっとこんな時間に宅配便だ…

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/15(木) 01:13:00 ID:9bp/i47G
賢くなくなった訳だ

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/15(木) 02:04:54 ID:E+g63Jvm
上手い事言うなぁ

浅井長政家臣、安養寺三郎左衛門と信長

2009年10月03日 00:07

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 12:11:07 ID:d+eYVH7j
浅井長政の家臣に、安養寺三郎左衛門と言う者がいた。
この男、姉川合戦にて織田軍に生け捕りとされ、瀧ヶ鼻の信長本陣に召された。
信長は三郎左衛門に話しかける

「わしは、お前の一命を助けようと思う。…その代わり、わしの作戦案についての是非を
答えるのだ!よいな?

先の合戦で大勝利を得た以上、この勢いのまま小谷へ攻めかけ、一気に落としてやろうと
考えているのだが、このことどう思う?」

何故俺に聞く?三郎左衛門はそんな風にも思ったが、よく考えれば、これは浅井家への
忠をつくすチャンスでもある。今、混乱している小谷城に攻め寄せられれば、浅井は
ひとたまりも無いだろう。そこで…

「ははっ!長政は兵を率いて姉川表で戦いましたが、城には父君である久政が
およそ三千の兵を擁して守っております。
京の合戦で疲れた兵で、要害であり、かつ新手のこもる小谷城に攻め寄せると言うのは、
さすがに難しいかと…」

「そうか、それじゃあ諦めよう」
     *      *
  * (うそです)  +  
     n ∧_∧ n
 + (ヨ(* ´∀`)E)     ←三郎左衛門
      Y     Y    *
>

上手いこと信長の考えを変えさせた三郎左衛門に信長、今度はこんなことを頼んできた。


975 名前:2/2[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 12:12:08 ID:d+eYVH7j
「今日の合戦で多くの首を取った。お主はこれを見て、その姓名を答えよ。」

彼はそれを承知し、次々と首の名を答える。
浅井雅楽助、浅井兼之介、上坂刑部、上坂五介、関弥太郎、細江左馬…
みなみな、浅井の勇者と呼ばれた人々である。
その中でも、竹中久作が取ったと言う首を見て、三郎左衛門は大いに驚き、
竹中に聞いた

「こ、この方は、どのような働きをしておりましたか!?」

「この者は首一つ抱えて味方を装い、信長公の陣近くまで来て、『殿はどこに?』と
聞いてきた。そこで、こやつは敵だととっさに気付き、組討ちをして首を取ったのだ。」

「そうですか…、この方は遠藤喜右衛門殿と申します、
昨晩大衣山において、同輩と合戦の勝敗について語り、『もし負けるようなら生きては帰らぬ!
撤退するくらいなら、信長に一太刀浴びせてくれるわ!』と、申しておりましたが、
その言葉通り、信長公のお側近くまで進んだのですね。
本意は遂げられなくとも、あなたは流石の武士でござった。」

そうして次に運ばれてきた首を見た瞬間、三郎左衛門はにわかに顔色を変え、
がっくりと頭を垂れ、涙を流した。信長が「何事か?」と問えば、三郎右衛門

「この首は、私の弟、彦六と甚八のものでござる。
合戦の前、死ぬならば一緒だぞと語り合っていたのに、先立たれてしまうとは…
この上はどうか、お情けと思って我が首を刎ねてくだされ!」

そうして、それ以上首の名を答えようとはしなかった。しかし信長

「そうは言うが、わしは先に、おぬしの命を助けると言った。いまさら殺すわけには行かぬ。
どうかこのままわしの元に仕えてくれ。」

いつの間にやら信長、三郎左衛門に懇願していた。しかし彼も
「命をお助けいただいても、私は弟を打たれた恨みを晴らすため、小谷に帰り
織田と戦います!」
と言ってきかない。

そこでどうしようもなくなった信長、ついに三郎左衛門を、小谷に返してしまったそうだ。

信長が、なんだか妙に人のいいお話





976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 12:41:31 ID:vGf3SFcD
ユダヤにはこんなことわざがある。「敵に相談せよ、そしてその逆をやれ」
っていうゴルゴ13のイスラエル兵士の台詞を思い出した。

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 13:41:00 ID:UpLJjvrd
>>974-975
そうだよね。
そこまで言われたら斬ってやるのが武士の情k・・・って返したんかいっ!w
変に素直だし、相変わらず憎めないなあ、のぶ。力作乙。

だいぶ違うけど、曹操と関羽の話を思い出したよ。

978 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/10/02(金) 14:00:33 ID:3zYNZYDQ
浅井は家中に忠義の士が多い気がする、朝倉よりはw

979 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 14:16:28 ID:9fP3CFK/
印牧能信、山崎吉家、鳥居景近、高橋景業、等々
朝倉氏なめんなw

980 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 15:07:39 ID:FB3vClcl
浅井家中だって、裏切りがぽろぽろ出たから追い詰められたのだしねえ

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 18:03:57 ID:HHB+4XLC
>>976
「敗軍の将、兵を語らず」のエピソードとは真逆の台詞やね
こういう裏っ返しになってる言葉を知るのは楽しい

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 18:25:00 ID:eSaYIah3
>>980
国人衆の集合体の浅井と古くからの名門の治める朝倉では、裏切りって言葉で
同列に片付けてはちと良くない気がする…。

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/02(金) 18:51:57 ID:9fP3CFK/
>>987
国人の集合体という意味なら朝倉も同じだし
4代前の朝倉孝景一号からの成り上がり者で名門と言うほどでもないじゃない


浅井家重臣浅井石見守、信長の前に引き出され・悪い話

2009年06月08日 00:06

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/07(日) 00:15:21 ID:zVpVj5wa
浅井長政が小谷城において自害した時の事である。

浅井家の老臣、浅井石見守、赤尾美作守も、主君に続いて自害せんとしたが、
大勢の敵に取り囲まれ、また老齢でもあったため思いを遂げる事ができず、
生捕りとなり、信長の前に引き出された。

信長は彼らに言う
「お前達は理由も無いのにわしへの反逆を長政に勧め、朝倉と一味して、親戚であるわしを敵とした、
その果てに今、長政は自害し、お前達は絡め捕られ、わしの前に引き出されておる。
何か言う事はあるか!?」

赤尾は何も言わなかったが、浅井石見は信長のほうを睨み

「理由が無い!?なんと耳新しい仰せかな。朝倉義景に手は出さないと誓った、
その血判も乾かぬうちに越前に攻め寄せたのは何者か!?
長政は義理を違える事ができなかったから、朝倉に味方したのだ!
今度も長政に、『別儀は無いので城を出るように』と、何度も書状を出されましたな、
長政は、『信長と言う男は、いつも手のひらを返す事を考えているのだ』と言って、
自害することを選択したのです。
我々は、天命あって命続けば、いつか時節が参って信長をこのように攻め滅ぼせますと
諫めたにも拘らず!

信長様、あなたはただ、運が強いだけの人だ!
義理を知らす恥も知らず、偽りだけを撒き散らす。形は人だが、心は畜生である!」

こう、憚る所無く言ってのけた。

信長はこれに大いに怒った。
「お前はそんな事を言いながら、今生捕られて恥を晒しているのはどういうことだ!?」

「老い衰えて、止むを得ず生捕られること、古今にもよくある事である。
そんな事より、武勇にて敵を討たず、偽りをもって人を滅ぼす。これこそ武士の恥辱で無くて
何だというのか!
今に見ていよ!あなたは必ず下人に首を取られるであろう!」

信長は憤怒に耐えず、杖で浅井石見を打ち据えたが、石見はからからと笑いながら
「絡め取られている者をこのように扱うとは、さすが有能な大将の作法ですな。

いくらでも打てや、犬め!」

この後、浅井石見、赤尾の両人ともに、斬首されたとの事。


まあ、臨場感がありすぎて、おそらくは軍記ものの脚色なのですが、浅井の思いをよく表し、かつ
かっこよかったので、書き込んでみる。





92 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/07(日) 03:18:54 ID:068Sws0v
>>87
血判の血って数ヶ月たっても乾かないものなのかw

いや、冗談ですよ

93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/07(日) 09:02:36 ID:It6if6+d
>>87
自分の行いが、後に自分に返ってきたんだ

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/07(日) 12:02:46 ID:AUKIz4WM

>>87
封建社会の完成形は、少数のサディストと、多数のマゾヒストによって構成されるのだ


湖北ヤバイ・悪い話

2008年12月04日 00:02

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 14:54:36 ID:hblRdKGn
なるほどこれはヤバイと思ったので転載

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/18(火) 22:17:59 ID:pK8dkZf4
ヤバイ。湖北ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
湖北ヤバイ。
まず仏像。もう多いなんてもんじゃない。超多い。
あと伊吹山。標高1377.3m滋賀県最高峰。積雪11.82mは世界記録。ヤバイ。積もりすぎ。かまくら作る暇もなく死ぬ。怖い。
それに超何も無い。超ガラガラ。それに超のんびり。白猪とか平気で出てくる。白猪て。ヤマトタケルでも勝てねぇよ、最近。
なんつっても湖北は雪が凄い。50cmとか平気だし。
うちらなんて雪とかたかだか5cm積もっただけで上手く歩けないから転倒したり、電車遅らせてみたり、ホカロン使ったりするのに、
湖北は全然平気。雪で屋根が潰れるとか茶飯事。凄い。ヤバイ。
とにかく貴様ら、湖北のヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイ湖北でのし上がった浅井とか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。



989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 18:46:15 ID:tP31AB+K
悪い話じゃなくて
過酷な環境でがんがった浅井エライ!という
いい話向けのような気がしますな >>988

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 18:57:29 ID:hblRdKGn
(環境が)悪い話ということで、どうかひとつ。

織田VS浅井!in工事現場!・悪い話

2008年11月13日 00:26

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/12(水) 15:47:28 ID:Iz0ZnmJ+
埋め代わりに

永禄12年(1569)、三好三人衆による足利義昭襲撃事件があり、美濃より急ぎ京に戻ってきた信長は
将軍の安全のため、二条城の拡張工事を始めた。

その工事での事

この普請は、織田信長と浅井長政の両者が引き受ける形となり、信長側からは
佐久間信盛、柴田勝家、常識的なほうの森こと森可成、長政の方からは三田村左衛門大夫、
大野木土佐守、野村肥後守が、それぞれ奉行となって進められた。

しかし、実際に普請を行うこの両家の足軽たちは、実に仲が悪かった。
織田方は去年の箕作城の攻めのおりの、浅井勢の働きが鈍かったと悪口をいい、浅井側も
それに強く反発していた、そして、事件が起こった。

佐久間の侍達が何故かわざわざ、浅井の持ち場の方に水を捨てに来たのだ。浅井側が
「何故こっちに捨てるのだ」と言うと

「そのほう受け取りの丁場で捨てずに、どこへ水を持っていくべきなのだ。何さ、浅井のぬる若者ども。」

挑発である。これに浅井の足軽たちは、300人ほどが一斉にもっこの棒をはずし、それを持って
佐久間の足軽たちに打ちかかった。佐久間の側も待ってましたとこれを向かい撃ったが、
浅井のほうが強く、たちまち追い立てられてしまった。
これを見た織田方の奉行、佐久間、柴田、森は、「構わん!刀を抜いて懸かれ!」と下知を出す!
それに頭にきた浅井側の三奉行もこの乱戦に加わる。騒ぎは大きくなる一方。

浅井側が織田側を立売堀川まで追い立てると、騒ぎを聞きつけてきた織田軍の物頭たちが加勢し、
逆に浅井勢を二条まで押し返す。すると今度は浅井家中の者が200人ほど駆けつけ、再び
立売まで追い返した。そこで双方、どうにか兵を引いて分かれた。

この事件で双方の死者150人。
「野戦でもこんなに死者は出ないだろうに」と、京の評判になった。

この日一日織田浅井双方は、臨戦態勢のままであったが、翌日、将軍義昭のとりなしにより、
どうにか和睦したとか。



989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/12(水) 17:20:53 ID:CEWEtTx9
森と柴田は味方や部下には優しいから止めると思ってたんだがな

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/12(水) 17:38:52 ID:axfKA8QP
まぁそこで止めたら主家の面子が潰れるからな。
森の次男坊だったら先頭に立ってたろうなw

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/12(水) 18:06:36 ID:pWH0hv8B
ただの喧嘩なんだよ

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/12(水) 18:55:51 ID:MhCeFiA4
>>988
いつ信長が登場するのかwktkしながら読んだけど結局登場せずかw


994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/12(水) 18:59:22 ID:Iz0ZnmJ+
>>993
一応出ては来るんだけど、柴田たちをなだめるだけで大したことしてなくてw>信長
最後は義昭に丸投げ。


996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/12(水) 19:18:00 ID:MhCeFiA4
>>994
マジでかw
騒動を聞いて駆けつけてきて権六たちをなだめるが
興奮度MAXな権六たちは聞く耳持たずでそれ以上何もできずに渋々引き下がって
将軍に仲裁を頼む信長の姿を想像してフイタw
信長のイメージと全然ちげえw


997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/12(水) 19:21:36 ID:Iz0ZnmJ+
まあこの頃は形式上、浅井は信長の臣下ではなく、信長と同じ将軍の臣下、って建前だから
織田と浅井という大名同士の紛争を調停できるのは将軍だけ、と、法理論上はそうなるわけで。

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/12(水) 19:36:50 ID:yiCcZuqf
死傷者が出ているし将軍の暇つぶしにもなるしな

999 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/12(水) 19:38:58 ID:Vp9+vhhx
義昭さん喜んでやりそうwww