750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2023/04/22(土) 20:28:49.01 ID:HFxUyFUP
「朝野雑載」から石田三成と田中吉政
(前半は有名だけどついでに)
関ヶ原での敗戦後、田中吉政は石田三成の捕縛を命じられた。
吉政は「三成は風流ゆえ、もし途中に匂いのある鼻紙が落ちていたら気をつけろ」と下知した。
石田三成は古橋村の与次郎大夫のもとに匿われていたが、近辺の村まで吉政の追及が及んでいると知った三成は与次郎に自分を突き出すよう命じた。
与次郎は拒んだが、三成は「病が重く歩行もままならぬ。このまま探し出されるようなら汝も罰せられるだろう」と説得したため、与次郎はしかたなく訴え出た。
田中吉政は石田三成を乗り物に乗せて連れて来させ、対面した。
吉政は慇懃に挨拶したため、三成は太閤から賜った秘蔵の貞宗を吉政に授けた。
吉政は三成が下痢を患っていると聞いたため、韮雑炊と薬を勧めた。
三成は「こうなっては薬を服用しても意味があるまい。田兵もおかしなことを言うものだ」と言ったが、
吉政が「命を救うためではなくお苦しみを和らげるためです」と勧めたため、三成は承知して保養した。
三成が囚人となってもいつも通り「田兵(田中兵部大輔吉政)」と言ったのは、さすが秀吉の寵臣だけはある。
しかし太閤御在世の時に伏見城で家康公と田中吉政が碁を打っていた時、家康公に助言する者が多かったのを見た三成が
「この碁は敵が多いため、田兵の負けであろう」と言い捨てたのは、おのれの権威を誇って無礼をなす悪人と言うべきであろう。
また三成が小西行長、安国寺恵瓊とともに囚人となった時、家康公から服を与えられた。
小西は「これほどのご厚情を受けようとは」と恥ずかしがり、
安国寺は何も言わなかったのに対し
石田は取次に対して「この小袖は誰から賜ったものだ?上様から?秀頼公のほかに上様がいる者か」
とカラカラと笑ったため、みな石田を憎んだという。
「朝野雑載」から石田三成と田中吉政
(前半は有名だけどついでに)
関ヶ原での敗戦後、田中吉政は石田三成の捕縛を命じられた。
吉政は「三成は風流ゆえ、もし途中に匂いのある鼻紙が落ちていたら気をつけろ」と下知した。
石田三成は古橋村の与次郎大夫のもとに匿われていたが、近辺の村まで吉政の追及が及んでいると知った三成は与次郎に自分を突き出すよう命じた。
与次郎は拒んだが、三成は「病が重く歩行もままならぬ。このまま探し出されるようなら汝も罰せられるだろう」と説得したため、与次郎はしかたなく訴え出た。
田中吉政は石田三成を乗り物に乗せて連れて来させ、対面した。
吉政は慇懃に挨拶したため、三成は太閤から賜った秘蔵の貞宗を吉政に授けた。
吉政は三成が下痢を患っていると聞いたため、韮雑炊と薬を勧めた。
三成は「こうなっては薬を服用しても意味があるまい。田兵もおかしなことを言うものだ」と言ったが、
吉政が「命を救うためではなくお苦しみを和らげるためです」と勧めたため、三成は承知して保養した。
三成が囚人となってもいつも通り「田兵(田中兵部大輔吉政)」と言ったのは、さすが秀吉の寵臣だけはある。
しかし太閤御在世の時に伏見城で家康公と田中吉政が碁を打っていた時、家康公に助言する者が多かったのを見た三成が
「この碁は敵が多いため、田兵の負けであろう」と言い捨てたのは、おのれの権威を誇って無礼をなす悪人と言うべきであろう。
また三成が小西行長、安国寺恵瓊とともに囚人となった時、家康公から服を与えられた。
小西は「これほどのご厚情を受けようとは」と恥ずかしがり、
安国寺は何も言わなかったのに対し
石田は取次に対して「この小袖は誰から賜ったものだ?上様から?秀頼公のほかに上様がいる者か」
とカラカラと笑ったため、みな石田を憎んだという。
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