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河内帰還

2018年03月23日 16:50

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/22(木) 21:19:31.86 ID:Go8PNewW
明応の政変によって畠山尾州(政長)が自害し、その嫡子である尚慶(尚順)は大和の奥郡に隠れた。

畠山家の侍である木澤という者、尾州生害の後、いかにもして主の本意を達し、尚順をもう一度、
その本拠である河内へ返さねばと、骨髄に徹して思っていた。

その志が天に通じたのだろうか、彼は和泉の堺は落ち行き、商人として日を送っていたが、
ある時大雪が降った。彼は「名屋」という商人の邸宅の門の前を通っていたが、夜も相当に更け、
体の前にも後ろにも雪がついていたので、名屋の小門の板(看板?)にてたたき落とした所、
内より戸が開き、何者かが彼の袖を引いた。

木澤は怪しいと思ったが、無言のままこれに引かれて奥に入ると、屏風の中に引き入れられた後、
女房二人が火を灯し持ってきて、この木澤を見た途端、驚き呆れた表情になった。
これは、名屋という商人が高麗へ商売に渡っている留守の間、夜な夜な他の男が名屋の
妻の元に通う、いわゆる忍男があり、その忍男が門を叩いたと思って、間違って木澤を
引き入れてしまったのだ。

木澤はこの有様を見てそれを悟り、言った
「私はこの屋の主と知人である。彼が高麗より帰れば、この事を伝える。」

これに主の妻は手を合わせて詫び嘆き、金銀を持ってきていろいろと宥めてきたが、
彼は金銀を取らず、床にあった笛を密かに取って帰っていった。

程なくして名屋が高麗より帰国することが先立って知らされた。そのため邸宅の中を掃除した所、
名屋秘蔵の笛が見つからず、妻も不思議に思いかれこれ尋ねた所、有る女房が
「いつぞやの夜の男が、笛を懐中に入れたのではないでしょうか?」
と申し上げたため、かの男を詳しく尋ねると、やはり木澤のもとに笛があった。

木澤は尋ねてきた相手にこう申した
「私は必ずあの夜のことを名屋に申す。笛はその証拠とする。」

名屋の妻の父である紅屋という者がこれを知らされ、木澤の元に行き、訴えた
「どうか我が娘の命を助けてほしい。笛を返してほしい。」
そう嘆いて申した所

「ならば、我が望む所を達してくれるなら笛を返そう。」

紅屋は誓った
「どのような事でも、決して背きません。」

「では言おう。私は故畠山尾州守の家人である。主の本意を達すること計る心を、今も持っている。
現在、河内の平野には桃井兵庫が有るが、これを討とうと考えている。しかしその時、兵糧が
なくては叶わない。我々が挙兵するとき、必ずそれを頼む。」
そう伝えて、笛を紅屋に返した。

その後、杉原、斉藤、丹下、貴志、宮崎、安見、木澤、そして遊佐河内守をはじめとした
畠山尾州家の牢人たちを紅屋の元に集めた。
そして地の利を詳しく知っている彼らは、平野に夜討ちをして桃井、一色といった者たちを
討ち取り、畠山尚順は本意を達し河内へ帰還した。
そして河内の高屋は安閑天皇の墳墓であったが、要害が良いためここに城を築いた。
(足利季世記)



719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/23(金) 23:38:13.64 ID:R6aFemdC
全くいい話に見えないな

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 02:28:05.90 ID:aZ7j2nv1
明応の政変って戦国時代か?

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 07:04:51.85 ID:qpZjEP8O
享徳の乱以後は戦国時代でおk

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 07:42:36.08 ID:s940ZZCm
古い話も新鮮でよいけどな

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 18:13:24.89 ID:E6lAAeej
主家復活のため手段を選ばない男が人の浮気をネタに恐喝して得た資金で目的を達成ってどっちかって言えばいい話に読めるけどな

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 19:49:43.26 ID:Uvw5N+xj
まあ武略の類いでいいんじゃないかなあ
木澤って長政のじいさんとかなのかね

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/24(土) 21:10:18.02 ID:VcxbanMs
主の本意を達成させた普通にいい話だよなあ
脅したっていっても別に悪意を持って陥れたって訳でもないし
嫁さんとその父親が身銭を切らされるのは自業自得
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畠山政長の最後

2018年03月15日 21:29

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/14(水) 22:27:07.05 ID:MY/3Tvpu
文明一統(応仁の乱の終結)以来、畠山義就も逝去し、細川勝元も山名宗全も逝去し、
応仁の乱の中心人物の中では、畠山尾張守政長だけが残った。
政長は元より一方の棟梁であり、位も従三位に叙し、再び管領にも就任したため、
三管領四職から御供衆に至るまで、彼の風下に立ち、政長による書状の文面は、
四職に対してはまるで被官に下すような書礼であった。

このような状況に、赤松一色山名といった人々、様々にこの不当を訴え、政長への恨みを
つのらせた。

この頃、畠山総州義豊(義就流畠山総州家)は、河内国誉田に在城して、政長と対立していたが、
さらに上意にも背くこと有り、公方足利義材は政長に心を寄せ、正覚寺に御動座あって、義豊を
退治しに向かった。

しかし、細川右京太夫政元も畠山政長に恨みがあった。
そのため彼は義豊方に加勢した。
すると、桃井、京極、山名、一色といった人々も皆義豊方に加わり、逆に正覚寺へと攻め寄せた。

政長方では、遊佐、斉藤、杉原、貴志といった人々が、ここを先途と防いだが、敵は四万余騎、
見方は二千余人という絶望的な状況であった。
そのため、先ずは公方義材を夜に紛れ、馬を召して、大和国筒井の城へと落とした。
そして夜が明けると、敵は徐々に四方より取り巻き、落ちのびる道もない状況となった。
正覚寺に籠もる者達は皆、自害せんと心を沈めていたが、政長は平某を召して、御児丸殿といって
この時13歳になる若君、彼は三才の時、常徳院殿(足利義尚)より一字を賜り尚慶と申したが、
これを呼び出し平に

「この君を汝に預ける。いかなる謀をも廻らせて彼を落とし、再びの当家再興の時を待て。」

そう命じたが平は

「私は最期のお供をすると決心しています。私の一族の、平ノ三郎左衛門に仰せ付けください。」

そのため三郎左衛門に命じたが、彼も最期のお供をしたいと申し出た。これに政長は大いに怒り

「汝は不覚を申しようだ!死を一時定めるのは却って易い、若君を落としそれに付き従うのは
大事である!」

こう言われて、平三郎左衛門も泣く泣く座敷を立ち、この時正覚寺の中には、公方様への
御慰みとして歌舞などを行う桂の遊女たちが居たのだが、その装束を借り、若君に着させ、
若君を桂の遊女に扮装させ、女たちの中に紛れさせ、自分は桂遊女に従う男の風情となり、
馬の腹帯の類に装束などを包み入れ、畠山重代の長刀(粟田口藤右馬則國が作)を竹の筒に
入れて背負い、敵陣の前を通った。
敵方にも、この桂の遊女たちを見知っている者達が居たので、問題なく通行が許可された。
敵陣を通過すると、若君を馬に乗せ、鞭を進めて大和国奥郡へと落とした。

明応二年四月九日の夜に入り、政長は心安しと、葉室大納言以下籠城の人々と最期の盃をし、
真っ先に腹を切った。しかしこの時、政長は藤四郎の刀にて三度まで腹を切りつけたが
全く切れず、そのため投げ捨てた所、側にあった薬研に当たり、その薬研を真っ二つに切り裂いた。
このためこの脇差は、薬研藤四郎とも申す。

「さては重代の刀にて、主を惜しみけるか、いかがすべきか。」

そう困惑する政長に、家臣の丹下備後守、かむり落としの信国の刀を抜いて、己の腿を二つ、
突き通し
「いかにも、良く切れます」
と、政長に奉った。政長はこれを逆手に取って、腹を十文字に掻っ切り、そのままその刀を
葉室大納言光忠卿へと渡した。その後、みな順次腹を切り、二百余人、一人も残らず自害し、
城に火をかけた。

(足利季世記)



605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/16(金) 01:53:33.13 ID:XPawPm2/
長文起こしてくれる人ありがとう

右衛門佐 頂くものが二つある

2017年07月17日 18:06

3 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/17(月) 10:20:06.97 ID:PQvx1qrF
朝敵として幕府の討伐を受けていた畠山右衛門佐義就であったが、寛正4年11月に赦免を受けると、寛正6年12月、山名宗全などの援助を受け、
ついに河内より上洛を果たす。一騎当千の士卒五千余期にて千本の地蔵院に着陣した。すると彼はそこから、直に山名宗全入道の許に行き、謝礼を述べた

「今度、私が出仕できたのは、御芳志によるものです。」

宗全も
「佐殿の上洛のこと、ただ一身の大慶なり」と賀し、通夜酒宴の興を催した。

翌朝、義就が宿舎とする地蔵院の門の扉に、何者かが落首をしていた

『右衛門佐 頂くものが二つある 山名の足と御所の盃』

(応仁記)

義就が、畠山家の家督としての復帰を認めるという意味での、御所(将軍)の盃を頂くために、山名宗全の足元にひれ伏した、という意味ですかね


薬研藤四郎

2015年03月11日 18:52

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/11(水) 00:02:34.27 ID:aFyOPpo+
薬研藤四郎

明応の頃のことである。
畠山政長は細川政元のために包囲され、ついに自害に及ぼうとした。(明応の政変)
彼は帯びていた吉光の担当を抜くと、もろ肌脱いで腹に突き立てようとした。
しかしどうしても切れない。三度刺したが腹が切れないのである。
政長は怒って吉光の短刀を投げつけた。ところが、それは傍らにあった薬研に当って貫いた。
政長はこれを眺めると

「累代の短刀、さすがにその主人を殺すに忍びないと見えるわ」

そう嘆じた。
その時重臣の丹下備前守、自身の帯びた信国の短刀を抜き放ち、自分の体や腿を刺して試みた上で

「殿、この刀、切れ味よろしゅうござる」

そう言って渡した。そこで政長は快く腹を斬って斃れた。

この藤四郎吉光作の短刀は、薬研を貫いたという所からその後「薬研藤四郎」と呼ばれ、
後に松永弾正(久秀)の手に入って秘蔵されたのであるが、更に織田信長に献じられた。
しかし本能寺の変とともに消えた。

(古今名家珍談奇談逸話集)



546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/11(水) 00:35:08.25 ID:N/WhovJN
薬研藤四郎「お、大将……太っ腹だなぁ」

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/11(水) 16:35:24.29 ID:YQr/l5mb
ビビって腹切れなかっただけじゃ・・・とか言っちゃいけないか

畠山長経は余りにも物荒い大将で

2012年04月06日 21:32

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/06(金) 15:00:18.29 ID:u+TG/TkE
天文10年(1541)8月、その頃河内高屋城にあった畠山長経は余りにも物荒い大将であり、家老達の言うことも
全く聞き入れようとしなかった。
そのため家中の者たちは毒を酒に入れて長経に進め、これを殺したという。

え?長経が言うことを聞こうとしたなかった家老って誰かって?

木沢長政・遊佐長教「私達ですが、何か?」

質の悪い連中に担がれた殿様の悲劇である。
(足利李世記)



558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/06(金) 15:26:17.67 ID:oYjeHFnB
この時代の近畿はカオスやな

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/06(金) 16:00:47.96 ID:u5iQrIXN
カオスじゃなかったところってどれくらいあるかな?

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/06(金) 18:48:36.18 ID:VNxRcHen
史料がろくに残ってないところかな

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/06(金) 18:57:22.91 ID:nZd5sPYw
能登の畠山さんとこの遊佐さんも・・・

畠山尚順挙兵秘話

2011年09月10日 22:26

841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 19:37:01.06 ID:+aqI29u/
明応のころ、堺に菜屋という豪商があった。主人が朝鮮へ渡海して商売するほどの家だったが、その留守の間に
女房は間男と密通を重ねていた。

ある雪の夜、菜屋の女房を訪ねて来た男があった。間男が来たと思った女房は、使用人に言って自分の部屋まで
案内させると、みずから部屋の戸を開け、男の手を取った。部屋から漏れる明かりに照らし出されたその顔は、
間男のものでは無かった。

「わしは、そなたの亭主と懇意の者だ。ご亭主が帰って来たら、全て話してやろうか?」
「そ、そんな・・・金なら出します、どうか主人には!!」
しかし行商人姿の見知らぬ男は、女房の願いに承知せず、女房の部屋に上がり込んだ。


その後、主人が朝鮮から帰って来るとの報が入り、女房は家中の大掃除をさせた。自分でも主人の部屋の掃除など
していたが、そのうち菜屋の家宝である名笛が無くなっているのに気づいた。使用人たちにその事を聞くと、
「ああ、いつかの雪の夜に来た旦那様の知人とか言う男が、持って帰りました。」

女房は男を捜して会い、笛を返してくれるように頼んだ。
「何を言う。この笛を証拠に、そなたの密通のこと、詳細にご亭主に伝えてくれるわ。」

困った末に女房は、実父で同じく堺の豪商である臙脂屋(べにや)に相談した。娘の不始末が菜屋に知れたら、
最悪、娘の命に関わるばかりか、自分の堺衆への聞こえも悪い。やむを得ず、臙脂屋は男に会った。
「金でも物でも好きなだけ差し上げます。どうか、娘をお許しくだされ。」

「そうか。実はわしは今でこそ、このような行商人の姿をしているが、畠山政長公にお仕えしていた者だ。
政長公の遺児を奉じ、再起を図っておるが、金穀が不足しておる。臙脂屋どのの、お力を借りたい。」

大義名分を得た臙脂屋は、喜んで莫大な金穀を男に与えた。畠山尚順が紀伊で挙兵したのは、間もなくの事だった。
(応仁後記より)

菜屋の関係者によると男は「木沢」と名乗ったという。
畠山でKIZAWAというと、「あのお方」のパパとか親戚であらうか・・・




842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/10(土) 21:05:02.14 ID:GZBZ0WZW
ああ、戦国5大長政の内の1人か

刺客 業阿弥

2011年08月13日 23:02

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 00:03:59.78 ID:Hiaz1mgo
紀州守護、畠山尚順が野辺氏を改易しようとしたところ、野辺氏はこれに反抗し自らの紀州平須山城に立て篭もった。
畠山尚順はこれを討伐せんと河内に居た息子の稙長に使いを出し、守護代遊佐長教を派遣させ自らも出陣した。
一方の平須山城方にも日高地方に勢力を誇った湯河直光一党が応援に入った。
この湯河氏の一族に業阿弥という法師が居たのだが、この男が一策を献ずる。

業阿弥「私が河内からの使者と偽り、本陣に入り込み畠山尚順を討ち取りましょう。」

かくして、業阿弥は使者に化けて、易々と本陣に入り込むことが出来たのだが、問題が一つあった。

業阿弥「いずれが畠山尚順か・・・」

業阿弥は畠山尚順の面体を知らなかったのである。
しかしながら、業阿弥は床机に腰をかけ兵に指示を与えている者に目をつけた。

業阿弥「(この者が尚順に違いなかろう)こちらが河内からの書状にございます。」

と、書状を渡すが、その者は尚順ではなく遊佐長教であった。
そうとは知らず、業阿弥は長教が書状を開いた隙を狙い、二の太刀まで斬りつけたものの、
頭を丸め、鎧の上に僧服を着ていた尚順に後ろから斬られ、その場で絶命した。
業阿弥は倒れても目を見開き長教を睨み続けており、陣中の者もなんと名誉な勇士かと感嘆し
業阿弥の血を指につけ嘗める者まで居たという。

尚順は無傷であったが、実際に采配を取り仕切っていた長教が重傷を負った畠山方の動揺は相当なものであった。
さらに、そこに城方が夜襲をかけて来た為、尚順も長教もそれぞれの本拠に撤退せざるを得なくなったのである。




79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 20:45:54.68 ID:rqi45c4P
>>78
最後まで使命を果たそうとするとはあっぱれ。
写真やらがないこの時代、人の識別とかは苦労したんだろうなぁ。

日本各地の畠山さんと遊佐さんのお話

2010年11月20日 00:00

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 13:48:18 ID:dYb2g0gt
室町から戦国時代にかけ、源姓畠山氏の守護代として栄えた一族に遊佐氏があった。
14世紀に畠山高国が奥州探題として出羽国に入国した際、その家臣となった一族である。

さて戦国時代には、室町期の栄華の名残として畠山氏には全国で大きく三つの流れがあった。
一つは総領家である河内畠山氏。
一つは河内畠山氏から別れた能登国守護畠山氏。
最後に本来は畠山一族の総領家であったはずの陸奥国二本松畠山氏である。

この三家はいずれも旧態依然とした体制のまま戦国時代を乗り切ることができず、
それぞれ大名家としては滅亡の道を歩む結果となるのだが、その末路は概ねこんな感じである。

●河内畠山氏
早くも文安年間には実子vs養子のお決まりの構図で内乱を起こし、応仁の乱の原因となる。
長期化した相続争いで大きく力を殺がれて戦国時代後期には家中の主導権を握りきれず、

内乱に勝利した尾州家でも末期の当主の畠山高政、昭高兄弟は半ば家臣団の傀儡であった。
兄高政は三好氏の進出とそれに通じた『遊佐長教』の専横に悩まされた挙句、
三好氏を逐って入洛してきた織田氏に下った後に長教の子『遊佐信教』に追放されている。
その高政の後釜に担がれた弟・昭高も、織田氏の力を借りて信教排斥を企てた結果、
三好氏に通謀した信教一派によって逆に殺害されて大名河内畠山氏の滅亡を迎えてしまった。

●能登畠山氏
戦国時代中期までは名君・義総のもと安定した栄華を誇っていたが、
その子である義続の時代には家督争いに敗れた叔父が一向一揆を能登に引き入れるなど、
一気に家中の不安定化が進んだ。
天文末年から弘治年間に掛けては七尾七人衆と呼ばれる重臣団の権力闘争で七尾城が焼かれるなど、
もうしっちゃかめっちゃかの状態である。

権力回復を狙う義続・義綱父子は温井総貞と三宅総広の勢力を弘治の内乱で撃滅したものの、
そのために一度追放したものを呼び戻した『遊佐続光』の謀叛を受けて国外追放の憂き目に遭い、
以後二度と能登に返り咲くことはなく。
跡を継いだ義綱の子や孫たちも遊佐続光と長続連の権力闘争の巻き添えで次々と死亡し、
織田信長に従属した最後の当主春王丸も疫病で倒れて大名としての能登畠山氏は滅亡する。
その後、遊佐続光らはクーデターで親織田の長氏を滅ぼし上杉謙信に降服するが、
謙信没後に能登に侵攻してきた織田軍によって続光・盛光父子は斬首されている。

●二本松畠山氏
本来の総領家ながらも幕府からの役職もなく、領地も二本松周辺のびびたるものであり、
ただの国人領主に過ぎない存在だった二本松家は戦国期初期から伊達家の影響下にあった。
伊達洞中の空中分解が進むと畠山義国は蘆名家に接近して伊達輝宗と対立する路線を打ち出し、
その子である義継は父の路線を継承して蘆名家に服しつつ、同じく蘆名陣営の大内定綱と姻戚を結ぶ。
この姻戚が仇となり、天正十二年に伊達政宗の怒りを買って定綱が敗走すると二本松も標的となり、
その降服交渉が拗れて義継による輝宗の拉致と両者の殺害、二本松攻囲と佐竹蘆名等の連合軍の来援、
そして人取橋に至った経緯は言うまでもないところ。

さて人取橋の合戦の結果、幸運にも引き分けを拾う形となった伊達勢は二本松の反撃を受けるのだが、
被占領地域奪回を狙うこの反撃は本格化する前にあっさりと終息してしまった。
というのも、引き続き二本松を狙う伊達成実らの誘降工作に我先に応じる重臣が続出し、
攻撃続行どころか二本松での持久すら不可能になってしまったからだった。
中でも二本松に残された支配地域でも最前線を担う『遊佐丹波守』『遊佐重勝』らの寝返りは深刻で、
遊佐兄弟の居城であった田子屋館は渋川城として成実の二本松攻撃の拠点になってしまった。
結局二本松国王丸とその後見新城弾正はこれで抵抗を続けるだけの戦意を失ってしまい、
相馬義胤の調停を受けて二本松を開城、蘆名領へ亡命することとなってしまう。

ちなみに遊佐兄弟はそのまま伊達成実の家臣となり、特に弟重勝は成実とは馬が合ったようで、
のちの成実の伊達家出奔と帰参にも行動を共にしている。


以上、日本各地の畠山さんと遊佐さんのお話。
或いは遊佐さんが畠山さんに同時多発テロを仕掛けたお話。




667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 14:08:02 ID:6DOCOnP7
初歩的な質問だが、各地の畠山家に仕えた遊佐氏って親戚同士?

668 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 14:15:36 ID:2/umWVRG
一応、畠山氏の進出に従って出羽の遊佐氏から分かれた同族のはず

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 21:39:24 ID:z4QOYvGg
>>668
長男、次男と別々の家を建てるからね。
済む場所も、河内、能登と分かれる。

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 22:56:52 ID:k7gDckPq
どっちも似たような悪党だから笑える

671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 23:35:05 ID:nFgw74Gn
血は争えんね

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 23:37:46 ID:4a5suRdh
畠山氏の歴史は殺伐としすぎてる。
特に応仁の乱の直接の原因と言っていい畠山義就と畠山政長!
この二人のうちどちらかが生まれていなかったら、戦国時代は起きなかったと断言ていい。

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/19(金) 23:47:47 ID:c1uBjkqj
戦国時代が来るのが50年遅れた位の感じじゃね?

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 00:05:01 ID:mjTOLHYu
義就の方かなぁ、生まれなかったら……と思うのは
政長は人並みの人間に人並みのプライド持ち合わせているだけで
周囲に振り回されてる感がある


675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 00:29:10 ID:IuyHqysh
義就が化物じみた名将なのが又、応仁の乱やその後の両畠山の戦争が
にっちもさっちも行かなくなる理由になってしまったりねえ。

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 00:34:07 ID:nN51s4Y9
義就って日本で最初に水攻めしたんだっけ

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 00:41:22 ID:Z3U2s3uf
義就はよくもまぁ天寿を全うして死ねたもんだよ。

678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 00:52:09 ID:IuyHqysh
義就は領地の独立割拠や城下町形成など、日本で始めての戦国大名化を志向していた節もある。

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 01:34:09 ID:mjTOLHYu
義就にはそこまで名将というイメージはないが
細川の大軍が居なくなった時にサッと湧いて河内を荒らし回る
→細川の攻撃に晒されて耐えきれずに落ちる
これの繰り返し

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/20(土) 16:22:13 ID:LUkrCdpr
>>679そして細川の被官だった三好……

三好の被官だった松永……

管領家畠山氏の分裂

2009年06月27日 00:01

713 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/26(金) 18:05:49 ID:dnNfQY4u
畠山家は能登・越中・河内・紀伊の守護で、管領も務める室町幕府の大物。
よくある話で当主持国には子供がいないので、甥の政長を養子にして跡を継がせるつもりだった。
しかしその後側妾が男子を出産、持国気が変わった。

1448年にその男子、義就が家督を認められてからが騒動のはじまり。
応仁の乱の引き金をひき、諸大名がうんざりしても戦い続け、
山城国人に追い出され、
領国をほぼ全て失うまで、100年以上争ったのだった。

義就流は没落して義昭還俗のころを最後に歴史からこぼれおちる。
政長流は1574年に信長包囲網に参加した昭高が自刃して滅亡。




714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 18:16:06 ID:dMcfxStj
>>713
この「妾」がすごいのよ。畠山持国のほかに、小笠原長将や飛騨の有力国人
江間氏の「妾」にもなって、
それぞれで子を産んでいる。どうも当時の高級娼婦だったようだ。
小笠原家で産んだ子も、しっかり家督争いの元になっていますw

んで、畠山義就の幼少の時の呼び名は、「小者」
ひどい。




715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 18:49:53 ID:ylmha9Ft
まこと傾城の美女ですな。

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 18:51:41 ID:YzrtN8xY
>>714
(T^ω^)<・・・

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 19:15:37 ID:Lo8bzXOe
>>714
奇妙丸よりインパクトあるわ「小物」

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 19:31:14 ID:yef37KXD
>>716
試合中だ、さっさと帰れw

出産能力があるからって後家が良いってのは神君だっけ?
しかしこの場合はそんなレベルでもないけどw

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 20:03:31 ID:CCsuFq4Y
>>714-715どっかの小少将さんに匹敵するアクージョ様だな。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2181.html

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 22:36:21 ID:ayQTUn1S
>>718
奇妙の弟には大洞、小洞、酌、人、縁とか居るけどな
信長パパはやっぱりおかしい

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 22:57:18 ID:TrrFgPOI
お前は自分の子供に「人間」と名づけるのか?

724 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 23:13:13 ID:yrdg0G1C
>>723
な、なるほど、デーモン小暮閣下理論で言うと信長公は…

725 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/26(金) 23:16:15 ID:tEtCezfn
幻の銀侍よかマシ

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/26(金) 23:46:45 ID:uUR2pr5E
>>722
酌とつけられたのは母親がお鍋という名前だったから。

728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/27(土) 04:11:47 ID:7+DZAWec
天才丸もインパクトがある

729 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/27(土) 08:03:01 ID:LAoA2rbc
>>724
魔王と自称しているくらいだからなw

730 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/27(土) 09:04:06 ID:nDsM6bZX
山の中で生まれたのに幼名が「海賊」という
恥ずかしい人もいましたなそういえば

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/27(土) 09:19:09 ID:mbZveu05
兵庫第三協栄丸さんかよw


732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/27(土) 11:03:56 ID:7lq8JICA
>>720
細川真之1538年生
長宗我部右近大夫1575年以降生

真之生んだ時13,4歳だとするとぎりぎり有り得るのかな?

しかし長宗我部元親は1539年生で、おかんみたいな歳、しかも
50を超えてる熟女に挑んで孕ませるとは勇士にも程がある。
姫若子って呼んだ奴出て来いよ!

733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/27(土) 11:08:10 ID:xAhuWoRe
重度のマザコンって事で姫若子で問題なし

750 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/27(土) 19:46:05 ID:f/ldyfHP
>>729
そうか、これで謎は全て解けた…
なぜ閣下がリアリティのない年齢を詐称するのか
そして信長の魔王自称
なにより遺体も発見されてない事実
そこから導き出される答えは………




信長公も閣下も相撲好きだよね(´・ω・`)


751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/27(土) 19:51:10 ID:m2NKC5RR
そういえば閣下も歌うと声が高くなる…

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/27(土) 20:43:46 ID:kexM5wdj
ナッナンダッテー!



第六天魔王ってシヴァ神のことで、
謙信が毘沙門天名乗ってるって聞いて
マジちょーwウケるwww
あの坊主が毘沙門天なら俺第六天魔王じゃねww
ワロタwwww邪気眼乙www
って感じに言ったジョークだったらしいよね

756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/27(土) 23:21:23 ID:i31hCh32
>>752
謙信じゃなくて信玄だね。信玄が確か不動明王を称していたんですよ。
んで、それを知った信長が謙信に

「信玄が不動明王とか言うのなら、俺は第六天魔王ですよwww」

とかお手紙書いた。


畠山義就の上洛に・悪い話

2009年06月12日 00:05

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 22:06:23 ID:vHUDeOqg
応仁の乱、直前の事である。

かねて政長と畠山家の家督を争っていた畠山右衛門佐義就は、文正元年(1466)、
大和、河内の軍勢を率い、ついに上洛を果たした。
五千余騎の軍制にて千本地蔵堂に陣を敷くと、直ちに山名宗全の許に行き

「この度私が上洛を果たせたのは、ひとえにあなたの援助のおかげです。」

と、頭を下げ、宗全も、あなたの上洛は私にとっても大慶ですと、これを賀して
通夜の酒宴を開いた。

その朝、義就が陣を置いた地蔵堂の門の扉に、何者かが落首を残していった

『右衛門佐 いただくものが 二つある
          山名のあしと 御所のさかづき』


京都人はこの当時も、強烈な皮肉が大好きなのだ。




224 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/12(金) 00:19:06 ID:mRFVwe3h

>>218
山名のあし、の意味がわからん。

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/12(金) 00:29:48 ID:CWNU5gZ4
>>224
山名の足をいただくってのは、山名の足元に平伏するってことだよ。
「恥も外聞もなく山名にぬかづいたおかげで、将軍と和解できて、名誉と身分が回復してよかったね」
って事ですな。

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/12(金) 00:43:57 ID:mRFVwe3h
>>226
なるほど、そういうことか。