八丁念仏団子刺

2015年03月12日 18:41

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/11(水) 19:17:49.29 ID:aFyOPpo+
八丁念仏団子刺

戦国時代の勇士に、紀州の牢人で雑賀孫市という者が居た。織田信長が石山本願寺を攻めた時、
本願寺方に味方して大いに勇名を轟かせた。
慶長5年7月、関ヶ原の役、伏見の城攻めでは西軍の寄せ手に加わって城将鳥居彦右衛門を討ち取り
ますます驍名を天下に上げた。
その後徳川家康に召し出され水戸頼房に付けられ、子々孫々水戸家にあって千石を領した。

この雑賀孫市の佩刀に『八丁念仏団子刺』という太刀があった。その名称の由来にこのような挿話がある。

ある月の明るい夜、孫市は自分の佩刀の切れ味を試そうと思い辻に出た。すると寂しい道を、
念仏を唱えながらトボトボと歩いてくる人影が見えた。孫市はいきなり馳せ寄ると、袈裟懸けに斬りつけた。

確かに手応えはあった。が、不思議なことにその斬られた男はなお念仏を唱えながら歩いて行くではないか。

孫市は首を傾げながら、刀を抜き身のまま杖について、その男の跡をつけた。
おおよそ八丁ほど来た時、ビタリと念仏の声が途切れたかと思うと、その男は真っ二つになり
倒れて死んだ。

その時杖についていた刀を見ると、往来の石が切っ先に刺し貫かれて、団子の串刺しのようになっていた。

これよりこの刀は『八丁念仏団子刺』と名付けられ、当時「雑賀の八丁念仏」と言って、名誉の太刀と
されていた。作は備前の行家で、二尺九寸物。今は小梅の徳川家(旧水戸家)に蔵されているという。

(古今名家珍談奇談逸話集)



552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/11(水) 23:26:26.68 ID:YELtE+yN
>>551
シグルイやん

スポンサーサイト

鈴木重朝と雑賀孫市の系譜

2010年03月08日 00:05

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/07(日) 14:16:29 ID:7lauRvrC
ROMるばかりじゃなくてたまには自分でも書いてみようと思った。

雑賀孫一という名前はここを見ている諸兄ならご存じだと思う。
雑賀衆の頭目で、石山合戦では本願寺に助力して織田軍を苦しめたとされる人物である。
紀伊雑賀衆に関する文献が少ないこともあり、それ以外の来歴はあまりはっきりせず、
一応今では『鈴木孫一重秀』が本名とされているが、以前には重意、重元、重治など本名は
いくつかの説があった。

さて、かつて雑賀孫一であろうと言われた人物に、孫一重秀の弟とも息子とも言われ
伊達家および水戸徳川家に仕えた鈴木孫三郎重朝という人物がいる。
水戸徳川家の史料である水府系纂に拠ると、彼の履歴は文禄元年の肥前名護屋城駐屯から
始まっているのでとても孫一とは言えないのだが、何故孫一候補に名前が挙がったかというと
どうも水戸の鈴木家は「我が家こそ雑賀孫一の後継である」としたかったらしく、
「我が家の当主が代々雑賀孫一」と自称した上に他に孫一を名乗れるような人物を
重朝の係累として系図に取り込んでしまったのである。

例えば重朝と同時期に紀伊徳川家に仕えた鈴木孫三郎某という人物がいるのだが
彼も重朝の弟として家系図に取り込んだりしている。
両方成人した兄弟同士が同じ名前と言うことはあり得ない事であるし、水府系纂より前に
編纂された新補水城実録には彼の記述は全く無い。
古いものにある記述が新しいもので省かれることはあってもその逆は中々あり得ない事を考えると
これも家系図の工作に因るものだろう。

鈴木家のちょっと外聞の悪い話し




雑賀孫市、信長の元へ挨拶に出かけ

2009年08月07日 13:03

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/06(木) 11:04:54 ID:79gHJLRO
織田信長が紀伊の雑賀孫市(鈴木孫一)と協定を結ぼうと、使者を送った。
しかし、いつまで経っても使者は帰らず、信長は重ねて稲葉一鉄を雑賀へ送った。
その結果、協定が成立し、孫市は信長の下へあいさつにやって来た。

「孫市、よく来た。しかし、最初の使者とは会わなかったのか?」
信長の問いに孫市は、
「ああ、最初の使者ね。消しました。」
「!?何故、殺した?」
「あの男は多くの兵を率い、先触れも無しに来て馬に乗ったまま門を叩き、
『信長公の使者だ!』と居丈高に言うので、門を開ければ乱入されてこっちが危ない、
と思って城の本丸へ案内すると見せかけ、門を閉じて皆殺しにしました。」

「うーむ、ならば何故、一鉄は殺さなかった?」
重ねて問う信長に孫市は、
「一鉄は・・・まず『信長の使者として来ました』と丁寧に先触れを寄こしました。
これを聞いたオレが櫓に上がって一鉄を見ると、城門の外で馬から下りて、
若党二人、中間一人だけ連れて威儀を正し、静かに歩いて来たんです。

これにオレも応じて、自分で門を開いて会いましたが、口上を聞くに道義も理屈も明らかで
分かりやすい。
衣服も立派でしたが、袴の裾から見える肌着は木綿の粗末なもんでした。
身がまえは倹約して使うべき所に使う、こんな男がいるなら信用できる、そう思って
ここに来ました。」

信長は、且つは孫市の決断の早さを笑い、且つは何気ない心がけが生死をも分けることに
嘆息したという。





109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/06(木) 11:46:50 ID:iz7pWyF4
礼儀のない人間に礼儀で返すのはバカだしな
雑賀の大将さすが!!

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/06(木) 12:13:13 ID:nDaKsnLw
分類としては一鉄さんのいい話になるのかな?

113 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/06(木) 12:31:55 ID:biVeOBY6
>>110
主役は孫市なんだから、孫市の見識の高さを示すいい話でいいでしょ

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/06(木) 17:39:54 ID:T3UTLeTS
>>109
ところが、政治的には無礼に対して礼節で答えると大きなポイントになったりもする

115 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/08/06(木) 17:45:30 ID:n0eLhysS
>>110

いやぁ、最初の使者の人の主君の威勢を借りるとろくなことにならない悪い話と取れないこともない


116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/06(木) 18:24:06 ID:MKoTIXhw
蝮の人「無礼な格好で会見の場に来るはずだった婿殿相手に、
    こっちもそれなりの格好で対応しようと思ったら、見事に一本取られました」

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/06(木) 18:45:23 ID:iz7pWyF4
>>114
「臨機応変」ということですな

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/06(木) 19:34:22 ID:E2RHD4nH
>>114
それは横から見てる第三者がいてこそだし、この場合にはあてはまらないんじゃ?