579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/12(金) 16:25:20.74 ID:/jyzK9dg
宮部善祥坊(継潤)は、元々近江国宮部の者であった。この宮部は比叡山領だった所であり、
でおよそ三千石、当時この善祥坊を含め3人が領していた。堀氏もその一人であった。
善祥坊は浅井氏にに仕え、堀などと共に織田信長への押さえとして置かれていたのだが、
心変わりして信長に通じた。
しかし、宮部は前々から浅井より疑われており、信長に通じたことを知られれば、浅井によって
妻子尽く殺される事確実であり、家臣の友田左近右衛門を遣わし、早々に宮部より引き取らせるよう
命じた。
この時友田は「御証文を遣わさねば、ご家族は同心して頂けないでしょう」と申し上げると、
善祥坊「そういう事ならば、かねて合言葉が決めてある。この合言葉を言って聞かせよ」
そう言い付けた。
友田は急ぎ宮部に向い、善祥坊の家族をここより引き取ることを伝えたが、案の定
同心してもらえなかった。そこで合言葉を出すとたちまち同心し、妻子を問題なく引き取った。
この時、友田は父の家の前を通ったのだが、行く時も帰る時も父に告げることはなかった。
行きに告げなかったのは、大事の使いの故であり、帰りには知らせようと思ったのだが
事が多聞に漏れては大功成りがたしと考え直し、知らせることを止めた。
その翌日、小谷より未だ浅井の軍勢の向かわない内に、織田家の軍勢が宮部村を接収したため、
宮部の人々には別状無かったという。
(士談)
580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/12(金) 18:29:27.36 ID:jf5269Wz
>>579
合言葉が気になるじゃねーか!
宮部善祥坊(継潤)は、元々近江国宮部の者であった。この宮部は比叡山領だった所であり、
でおよそ三千石、当時この善祥坊を含め3人が領していた。堀氏もその一人であった。
善祥坊は浅井氏にに仕え、堀などと共に織田信長への押さえとして置かれていたのだが、
心変わりして信長に通じた。
しかし、宮部は前々から浅井より疑われており、信長に通じたことを知られれば、浅井によって
妻子尽く殺される事確実であり、家臣の友田左近右衛門を遣わし、早々に宮部より引き取らせるよう
命じた。
この時友田は「御証文を遣わさねば、ご家族は同心して頂けないでしょう」と申し上げると、
善祥坊「そういう事ならば、かねて合言葉が決めてある。この合言葉を言って聞かせよ」
そう言い付けた。
友田は急ぎ宮部に向い、善祥坊の家族をここより引き取ることを伝えたが、案の定
同心してもらえなかった。そこで合言葉を出すとたちまち同心し、妻子を問題なく引き取った。
この時、友田は父の家の前を通ったのだが、行く時も帰る時も父に告げることはなかった。
行きに告げなかったのは、大事の使いの故であり、帰りには知らせようと思ったのだが
事が多聞に漏れては大功成りがたしと考え直し、知らせることを止めた。
その翌日、小谷より未だ浅井の軍勢の向かわない内に、織田家の軍勢が宮部村を接収したため、
宮部の人々には別状無かったという。
(士談)
580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/12(金) 18:29:27.36 ID:jf5269Wz
>>579
合言葉が気になるじゃねーか!
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