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などと当時、吹聴されたという

2022年06月24日 15:33

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/06/24(金) 13:27:06.95 ID:xQzhpBRV
大阪夏の陣、大阪落城の時、吹田の渡しでは、落人たちがこれを渡るため大勢が我先にと船に乗り込んだが、
このため転覆し、足軽などには溺死した者もあった。しかしこの時期は水が深くなかったため、
助かった者も多かった。

この時、吹田の庄屋である太郎左衛門(一説に五郎左衛門)という者、元は荒木摂津守(村重)の家臣であった、
織田信長公の為に荒木の家は断絶され、彼は吹田に引き籠もった。
そして元来慈悲深い人物であったので、船の転覆を聞いて水に落ちた者共を連れ帰り、衣類を乾かし、
数百人に食事を与えた。

しかし彼らの多くは、或いは親類に離れ、又は金銀を皮に紛失するなどして泣き悲しみ、また服が乾くまで
丸裸で居るものもあったので、道行く人達はこれを見て

吹田太郎左衛門は、落人から物を剥ぎ取る為に、呑口を拵えた船五艘を用意し、兵船十艘ばかりを
水際に控えさせておき、川向うに屈強の者共五十人余りを楯突かせて伏せ置き、手向かい出来ないような
落人は何の仔細もなく船に乗せ、川中に至る時、川岸の双方より兵船を漕ぎ寄せて物を奪い取り、
しかし叶わないときは、船の呑口を抜いて水に沈めた。さらにこの時、水練の達者な者が乗り合わせていて
向こう岸まで泳ぎ着いたなら、伏せ置いていた者達を以て討ち取らんと用意した。
そして凡そ、落人八百余人を殺した。」

などと当時、吹聴されたという。

新東鑑



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もとより信長公の異形不思議の御振舞に

2021年01月31日 17:53

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/31(日) 15:11:36.42 ID:jIZQT6cw
織田信長が安土に御座されていた頃、荒木摂州(村重)より仔細の事があり、使者を参らせるとして
家中より人選した所、荒木彌助でなければ使者にすべき者は無いとして、この彌助を安土へ派遣した。

彼は菅屋九郎右衛門(長頼)の取次によって御前に召された。使いの事が終わった後、信長公は
こう仰せになった

「汝は荒木彌助という者であるか。その名は内々に聞き及んでおる。これへ、これへ」
と、食籠にあった餅を二つ三つ脇差にて貫かれ、それを彌助の前に差し出された。

これに彌助は「畏まって候」と、己の脇差を抜き、腹ばいになって這い出て口を開けて
餅を賜らんとした。
この様子を御覧になって、信長公はにっこりと笑われ、その餅を御脇差ごと打ち捨てられたのを、
彌助が取って押し頂いて退き、餅を皆うち食らい、御脇差を袖にて拭うと、小姓衆にこれを渡した。

小姓衆は受け取って、鞘に収めて再び信長公に参らせると、脇差はそのまま、彌助が賜った。
彌助はこれを三度頂いて退出した。

もとより信長公の異形不思議の御振舞に、荒木のとっさの対応、古今珍しき事であると、その頃の人々は
申しあったという。

備前老人物語

脇差に指した餅の事、ここでは村重ではなくその家臣の話なんですね



897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/31(日) 15:28:00.66 ID:77Y0ikbF
信長ってめんどくさい人だよな
こういうピエロじみた振る舞いも好きだし
謹厳居士もそれはそれで嫌いじゃないし
その時の気分次第か
秀吉は気分を読むのが格段にうまかったんだろうな

898 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/01/31(日) 15:37:47.65 ID:Vtd2rZqU
家康も信長に負けず劣らずの相当な気分屋に見えるけどな

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/01/31(日) 17:17:39.84 ID:IK6o6DfY
そういう無茶振りに対応できる人は有能だからね
名人Q太郎とか秀吉を重用したのも分かる
常識人の光秀には出来ない腹芸だよ

荒木は思わず計らず、信長の敵と

2018年03月18日 19:10

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/17(土) 20:24:38.14 ID:3TbVHzKY
天正6年の秋の頃より、摂津国有岡方面では雑説が流れ、しきりにこの方面の者達が
織田信長の敵に成るとの風聞が聞こえた。それはあってはならないことであると、
信長より織田政権の歴々が差し下され調査が行われるということで、荒木信濃守(村重)にも
雑説があったため、彼は茨木城まで移動し、そこから安土へと向かおうとしたところ、
茨木城の守備を担当していた中川瀬兵衛(清秀)がこのように諫言をした

「絶対に安土に行くべきではありません。安土に置いて切腹させられるよりも、摂津国表へ
軍勢を引き請けるべきです。合戦に及んだとしても、手に溜めず切り崩せるのに、安土に置いて
犬死するなど、沙汰の限りです。」

もう申し留めたため、荒木は有岡に立ち返り、思わず計らず、信長の敵となってしまった。

この時荒木は、国中の年寄共を集めて談合に及んだのだが、皆も中川瀬兵衛が申す所に
同心した。
その中で、高槻城守であり、高山飛騨守の息子である高山右近だけは
「言語道断である!荒木摂津守の普段の覚悟と相違した、曲事の仔細である!
信長の御芳志のかたじけなさを、たった今忘れ去り御敵申し上げるなど、
沙汰の限りである!」

そう、一人反対したが、彼以外は尽く中川の意見に同心し、高山の意見には同意しなかった。
ために是非に及ばず、高山も最後には摂津国衆の総意に同心した。

(立入左京亮入道隆佐記)

ちなみに荒木村重、「信濃守」は自称(受領名)で、「摂津守」は正式な任官ですね



611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/17(土) 21:04:41.19 ID:jtiZDeeJ
このあと、清秀は右近に説得されて荒木を裏切るんだよね

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/18(日) 00:21:49.38 ID:yFZe1MKP
そもそも荒木が翻身しようとしたきっかけも中川が原因なんだよな
早死にしても仕方ないわなこのオッサン

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/18(日) 05:58:38.93 ID:jdyuLToD
でも賤ヶ岳だと…よく分からない人ですよね…

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/18(日) 07:38:22.99 ID:4WKc0lBa
人望はあったらしい

摂州白井河原の戦い

2017年10月02日 10:30

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/10/02(月) 09:48:09.84 ID:I3B0BlWP
永井隼人佐道利は、濃州金山城の城主であったが、織田信長による美濃平均の時流浪し、
その後足利義昭に仕えた。

ある時、摂津において、池田正勝を追放し池田衆を率いる荒木村重と、和田伊賀守(惟政)とが相戦う
ことがあったが、この頃、道利が和田の元へ使節に参った。その時、合戦について言った

「今の敵に対する軍立ては心得られませんし、地利も良くない。ここは待って戦うべきです。
さもなければ必ず敗北するでしょう。」

しかし和田は
「池田衆との戦では、普段から見方が少人数でも大利を得ている。池田方の兵の事など全く気にならない」
そう、大いに侮った。

和田は糠塚に陣をはり、荒木は馬塚に陣をはっていた。
この間は、荒木の方がつま先上がりの地で、和田方のほうが地形低く、掛かりやすい場所であった。

果たしてこの日、和田は敗軍し、義昭の使節であった永井道利も巻き込まれ討ち死にした。
これを摂州白井河原の戦いといい、元亀2年(1571)8月28日の事だという。

(士談)



生きて五鼎に食まずんば、死して即ち五鼎に烹られん!

2017年04月29日 15:00

名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/29(土) 02:52:33.56 ID:piYyeD9Z
荒木村重は俵藤太秀郷の末葉・宇治次郎義定の9代の後胤である。曽祖父・安芸守は、
大永7年の桂川合戦(桂川原の戦い)で道永(細川高国)の陣に従って戦死した。

その子・荒木大蔵大輔は丹波国に住んだが、摂津へと越えて豊島郡坂根というところに
居住した。その子は信濃守義村と称し、その頃、当国の六人衆の中で随一の人だった。

ところが信濃守は中年に及んでも子がいないので、これをいたく憂いて夫婦一緒に同国
中山の観音へ参籠して、12の灯火を掲げて28品の経を転読し、

「哀れ願わくは1人の男子を授けなさり、その子が成人の後には、天下に威名を振るう
弓取りとなしてください!」と肝胆を砕き、心根を投げて祈祷した。

すると不思議なことに、7日に満ずる暁(七日参籠)に至って、義村は12の灯火の光の
中から明珠が飛んで来て、彼の女房の懐中に入るという夢を見て目を覚ました。

夫婦は大願成就したと喜びの眉を開いて帰ったところ、女房はやがて妊娠し、それから
15ヶ月目というのに子が出生した。その子は世に優れて大きく逞しい赤子であった。

夫婦はたいへん喜んで、12の灯火の光から出た玉の男子であるからとして“十二郎”
と名付けた。後に弥介と称し、また信濃守と改め、しまいには攝津守と称した。

十二郎は幼少の時、その身長は年齢よりもはるかに伸びて力強く、常に弓馬の芸術を
好み、槍や太刀の勝負を試みていた。しかし、この子は世にも優る大食であったので、

父・義村は彼に向かい、「汝は食を費やすことについては、甚だ余人以上だ。その益は
何かあるのだろうか?」と、問うた。村重はこれを聞き、「武将たる者は筋力無くては

叶いますまい! 槍を突いたり、太刀を打つにしても、余人以上の兵具を持てばどうして
勝てないということがありましょう!」と言い、その場をズンと立ち、

側の碁盤を掻い掴んで引き寄せると、義村をその上に乗せて盤の小角を取り、座敷の
隅の柱どもを3遍数えて廻りつつ、もとの座に置いたので、父は大いに感心し、

「汝は中山の観音に祈ってもうけた子なれば、ひとえに千手の力を受けたのである。
『好堅地底に萌し、芽百囲を生ず』と言われている。今年12歳でこのような大力で

あれば、これからは項羽の山を抜き、樊カイが門を押す力をも得ることであろう。大食
するのも道理であるな」と、微笑して喜んだ。すると村重は、

「大食多力だけで、どうして益ありと申せましょう。“貞松は巌嶺に産す”と言われています。
いま乱世に生まれたことこそ幸いです。悪逆の国賊を誅し、数カ国を領してのちにこそ、

我が大力の益を現すでしょう。生きて五鼎に食まずんば、死して即ち五鼎に烹られん!」
と言ったので、父はますます歓喜し、寵愛は日頃に増益した。

――『陰徳太平記』



865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/29(土) 08:21:02.75 ID:QYwFUQZ/
後に道糞となるとは思いもしない頃の話である

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/29(土) 08:27:52.93 ID:XoVJM2Bt
一瞬、荒木大輔がなにゆえ戦国時代に?と思ってしまったのは内緒

天正12年、荒木村重

2012年08月23日 20:58

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/23(木) 17:42:28.64 ID:0hZ60kwz
荒木摂津(村重)は摂津国の領主であったが、3年間信長と戦い、その頃彼に使えていたジェスト(高山右近)の言を
用いなかったため、その領地を尽く失ったことは、尊師の既にご存知のところです。
彼はそれ以来五畿内のキリシタンに対し、心底からの憎悪の念を抱きました。

信長の死後、彼は大いに謙遜を示して羽柴殿(秀吉)に仕え、他の小姓と等しく茶の用を務めていました。
そして彼は海の司令官アゴスチニョ(小西行長)とその父が羽柴殿より寵を受けるのを妬み、
羽柴殿の前で密かに、また極めて巧みに彼らに対する重大なる偽の証言をしたのです。

彼が巧妙にこれを為したため、羽柴殿はこれを信じ、ジョーチンとアゴスチニョ父子の任を解き、
全キリシタンに大いなる打撃と恐怖の念を与えました。
ですが我等の主デウスは罪なきものに慈悲の目を向け給い、荒木は大いに信用を失い、
ジョーチンとその子アゴスチニョは最初に地位に復帰したのみならず、今はさらに恩寵を加えられ、その収入もまた
倍増するに至っています。

その荒木が羽柴殿と共に茶の湯の場にあった時、羽柴殿はジュスト(高山右近)の事について、その類い稀な
才知と善良なることを語り始めました。彼は荒木にとって甚だしき敵なので直ちにこれに答えました

「そうではありません。殿下が賞賛されている所は彼が外見を偽ったものであり、心中にそのような善良さは
持っていません。」

この言葉に羽柴殿は大いに怒り、彼を呼ぶのに再び「汝」という言葉を使って言われました

「去れ!かくの如き言葉を発してはならぬ!余は彼が内心も外見も異なる所がない事を良く知っておる!」

これによって荒木は直ちに羽柴殿の寵を失い、羽柴殿は再び彼を見ることを欲しませんでした。
荒木は多数の仲介者を通じて宥免を請いましたが、羽柴殿はついに彼を許しませんでした。

そして今度の戦争(小牧・長久手の戦い)において羽柴殿が多数の人を殺した時、荒木は都において彼を軽蔑する
発言をしました。この事が大阪にあった羽柴殿の夫人の耳に入り、彼女より使者を以って厳しく譴責されたのです。
荒木は羽柴殿が帰京した後、殺害されることを恐れて、妻と家を捨てて寺院に入り坊主となりました。
ですが果たして死罪を免れる事ができるかどうか、明らかではありません。
(ルイス・フロイス・天正12年次日本耶蘇会年報)

ルイス・フロイスによって伝えられる、天正12年(1584)ごろの荒木村重の動向である。




115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/23(木) 19:24:16.36 ID:ijGl90yK
そりゃ村重は右近に梯子外されて酷い目にあってるんだから文句の一つも出るだろうよw

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/23(木) 20:17:50.77 ID:pm0V7Yjv
>>114 妻を捨てたということは、道糞になって以降に再び妻帯したのかな? 単なる妾?

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 07:48:53.20 ID:tZ3UYXU1
道糞さんは波乱万丈の結果、比較的良い晩年だったよね。
フロイスの記述は貴重な歴史なのに、もう少しフェアに記述されていれば・・・

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 10:35:02.23 ID:g66CsgaY
道糞は賤ヶ岳で中川清秀討ち死にして嬉しかっただろうな
もうちょっと長生きしてればジュストが追放されるのも
見れたのに

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/24(金) 10:51:45.73 ID:38zWfZKr
道糞て見るとつい「みちぐそ」さんて読んでまう…

荒木村重と羽柴秀吉

2012年06月01日 21:01

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 17:21:57.36 ID:WyGCBjnL
荒木村重織田信長が讒言を信じ、自分を殺そうとしているのを察知した。
怖れを抱いた村重はついに叛乱を起こした。

羽柴秀吉は村重の叛意は讒言によるものと知り、信長に請うて説得のために有岡まで
やってきた。しかしどんなに秀吉が言葉を尽くして諌めても村重は耳を貸さなかった。

この時、河原林越後守が「秀吉を殺して信長の片腕を奪いましょう」と勧めてきた。

「お前の言う事はもっともだが、わしと秀吉はここ数年のあいだ断金の好みがあった。
だからこそ、秀吉はわが家の絶えることを悲しんでここまで説得に来たのだ。

秀吉はわしの心を知る者だ。だから『村重は義をもって絶対に自分を殺さない』と
信じてここに来たのだろう。懐に入った窮鳥を殺さないのが人の心だ。

それに、朋友を信じて諫言に来た者を殺すのは禽獣にも劣る振る舞いであろう。
秀吉を殺して負ける軍が勝つわけではない。帰して勝つ軍が負けるわけでもない」

村重は河原林の言葉に従わず、秀吉とにこやかに対面し酒肴をもって饗応した。
そして秀吉が帰る時には手を携えて玄関まで送り出して別れた。




512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 17:24:48.16 ID:6oYruMbj
秀吉と官兵衛…何故差がついたのか…慢心、環境の違い

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 17:28:24.92 ID:P8kRno0x
村重さん謀反の原因って、陰徳記だと本願寺に兵糧を横流しした部下がいて、それが信長に知れそうだから先手を打ったとか……。
これが本当なら讒言でもなんでもなく、普通に利敵行為かばいじゃ。

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 17:29:41.71 ID:2ZaZyRhF
道糞さんて基本的にいい人だよね

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 17:33:10.22 ID:XPBplObM
断金の好みって、断金の交わりのことか?

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 17:48:29.53 ID:Nr+pNUOq
>>513
どうも村重謀反の実態としては、荒木勢が敗亡した後も領民の反織田活動が続いて、織田軍もその掃討を
続けざるを得ない状況だったところから、どうやら村重が主導したのではなく領民のほうが織田体制に
(多分その重税と軍役の負担から)反発して、それが抑えきれなくなって領主として領民に同調した、
という所らしい。

517 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/01(金) 19:12:59.44 ID:B8ILllWQ
秀吉は官兵衛が捕まってから行ったのかな?

518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 19:16:20.96 ID:Kuw0CXSQ
>>515

好み(よしみ)だからどう考えてもそれだろ

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 19:19:08.19 ID:qIdpJJEP
うわー、俺もこのみって読んでた…
恥ずかしいw

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 20:00:38.24 ID:6lmRnTgF
秀吉は信長に折檻されまくってたらしいから
仕方なく信長に従ってる仲間みたいに思えたのかも

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 20:10:48.21 ID:L+HLZcF3
荒木村重って、信長が天王寺合戦で大暴れした時に先鋒を命じられたのに断った事あったっけ。
あれ以外ぎくしゃくしたのかな……。
村重の武士の面目丸つぶれだろう(もっとも、信長以外だれがあんな無茶やってしかも勝てるねん、というレベルだが)。
もっとも信長は三度も村重に使者を出して慰留につとめているから、村重の一方的被害妄想だった可能性大だが。

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 20:13:38.10 ID:6lmRnTgF
>>521
信長は一回弟を暗殺してるからな
似た方法で暗殺されると思われても仕方ない

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 20:15:36.22 ID:YpObaqrI
約束破る男ですから信長は

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 20:27:40.98 ID:fcJnZBub
>>511
黒官ディスリすぎだろwww

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 20:33:38.84 ID:WNJPUpo0
こういうのを宋襄の仁っていうんだっけ。実力考えず謀反した奴が、相手の幹部潰すチャンス逃してどうするんだと。
それに黒田さんは……。

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 20:36:58.76 ID:2ZaZyRhF
黒田さんは黒田さんの主家の小寺さんにはめられたんじゃなかったっけ

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 20:44:13.68 ID:vp+u21JC
>>516
もともと国人・地侍の力が強いところだっただけで、体制や税は特に関係ないかと。

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 21:29:10.21 ID:8l2nlPTG
>>525
まあ秀吉が天下をとった後は堂々と茶人として生きられるようになったわけだし

調子に乗ったのかはっちゃけ過ぎて秀吉に怒られたりしてるが

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 21:35:46.60 ID:6C1Tg7XK
>>516
信徒が多い地域なだけじゃないの?

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 21:58:17.12 ID:ruAwSseb
信長「何?官兵衛が帰ってこない?奴も裏切ったか!息子を殺しておしまい!」
秀吉・半兵衛「アラホラサッサー!!」

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 22:01:17.95 ID:HcCfmW67
黒官はさらにこの会談のあとに自分が説得してみせる、って乗り込んだんじゃなかったっけ?

この人策士のわりにはお人よしだよね、敵はだませても味方を騙せないというか

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 23:51:44.07 ID:WinjFMig
>>531
黒官はおだてに弱いからなあ

533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 23:55:30.18 ID:oC7BrIcs
つまり荒木村重を一時的にでも謀叛を思いとどまらせた
明智光秀は秀吉や黒官に勝っていると
順番の違いだろうけど

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 00:01:15.22 ID:8fZXJxex
むしろ秀吉は村重煽ってたりして

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 00:11:00.58 ID:5hI6Ld1I
それはゲヒヒ史観

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 06:15:27.29 ID:pG5mphBQ
>>531
黒官は村重に呼応しようとした主君の小寺政職を止めるために村重を説得しようとして
政職から黒官を殺すように伝えられていた村重により捉えられたとなっている

村重からしても呼応しようとしている政職を止めようとする黒官を
政職の元へ帰すという選択肢は無かったと

命を張ってきた黒官を哀れんだ村重のこれもいい話だと思う

その後の村重の逃亡と
城中に残された家臣の皆殺しさえ無ければなあ

「某は決して命を惜しんでなどいない。だが…」

2012年05月30日 21:00

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/30(水) 17:38:43.77 ID:+9t1O/w2
織田軍が有岡城を攻めた時、四十歳ほどの武者が一番乗りと声を上げながら
堀を越えてきたものの、敵に取囲まれて万策尽きてしまった。

「某は先を争ってここに来たのだ。決して命を惜しんでなどいない。

だが某には七十歳の母がいる。明日も知れない身で某以外に養うことが
できる者もいない。この期に及んでもなお頭に掛かるのは母のことだけだ。

ここで某が討たれれば、老母は明日より飢えと寒さに苦しみ死んでしまう。
それはあまりにもうらめしいではありませんか。

どうか哀れとお思いなら私を逃がして下さい」

この時、荒木村重は武者の顔に溢れ出る孝心を感じ取った。

「なんと不憫なことであろうか。親を大切にする気持ちは誰でも同じだ。
早く帰って老母をいたわってやれ」

そう言うと村重は武者に金銭を与え、門外まで人を添えて送り返したという。




459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/30(水) 17:57:44.94 ID:b+z6tHCD
なんだその気の弱いコンビニ強盗みたいな奴は

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/30(水) 18:03:38.76 ID:h3oCyGhs
これ全部言うまで手を出さなかった荒木の兵達も優しいな。

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/30(水) 18:05:59.20 ID:cxMB0KuZ
スパルタ先生で鍛えればいいんじゃね?
戦国の教師っていうと道雪、小十郎さん、工場長、あと誰がいる?

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/30(水) 18:40:55.42 ID:lnrPfrHR
>>458
生易しくてポロリとする話
略してナマポ

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/30(水) 19:06:53.24 ID:4wxySj+S
>>459と合わせて
いい話というより笑える話になってしまった

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/30(水) 19:36:13.01 ID:4pMcy+Lb
>>461
武田信玄が臆病な武士を合戦のど真ん中に縛り付けて放置して勇猛な武士にクラスチェンジさせた話がw

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/30(水) 19:42:16.00 ID:7ngvSc1X
>>458
もし見逃してもらえなかったら
「今になって考えてみると、むちゃくちゃ甘い考えだったと深く反省しています」
と言おう

466 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/30(水) 19:49:15.99 ID:ynBd7fdc
>>458
一番乗りっていうかもう完全に一人で突っ込みすぎて取り残されたんだろうな
荒木側ものんびりしてるしw

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/30(水) 20:37:31.50 ID:TTevQghn
>>466
敵味方両方とも、あーあー飛び込んじゃったよwみたいな空気になってる情景が頭に浮かんだw

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/30(水) 20:40:42.61 ID:IxCRiw0K
一番槍とか一番乗りが評価されるのは、その場に至れる勇敢さだけじゃなくて
その最も危険な状況から生きて帰って来れる戦術眼を含めてだもんね

森家のかがみんとか真田家の人々みたいな、やらかしたけど槍一本でナントカしてしまうような
一線を超越した人外もいるのはけどw

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/30(水) 20:57:04.85 ID:tMjjgKC4
荒木村重が家族思いだったとは
[ 続きを読む ]

荒木村重は幼名を十二郎といい

2012年05月25日 22:51

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 01:05:35.07 ID:sHh0Ay2n
荒木村重は幼名を十二郎といい、子供の時分より武芸全般にすぐれていた。
12才の時、十二郎は父の義村を碁盤の上に載せると、碁盤の小角を掴んで持ち上げ、

座敷の隅の柱を三度廻って元の位置に戻した。これを見た義村は喜んだが、十二郎は

「力だけで一体何の役に立つでしょうか。ですが乱世に生まれたのは幸いでした。
この時に乗じて暴徒を誅し、乱を平らげ、数国を領してこそ、この力も役に立つ
というものです」

と、大志を語ったので義村はますます喜んだという。


碁盤の上に親父を載せて歩き回る少年ってシュールな光景だなw




334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 05:26:11.34 ID:h9cMAIjR
暑くもないのに碁盤を軽々と左手で持って涼しい顔で扇ぎながら
『いや~羨ましい、うちわ、駄目ですよ、うちわ。
御家も安泰で左団扇でしょうなぁ』
とかいつもの調子で言ってそうな幽斉先生の姿が真っ先に頭に浮かんだ。

『当代記』より、荒木村重謀反の理由

2012年04月28日 21:06

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 14:19:06.95 ID:lxgRHWqB
『天正6年(1578)10月、荒木摂津守(村重)反逆のこと、方々より注進があった。
信長はこれを聞き及び、
『これはきっと、村重が何者かに騙されているのだ。そうであれば宥めることが出来るはずだ!』
そう考え、松井友閑、惟任(明智光秀)、万見仙千代を10月下旬に遣わした。

村重は家老に対し、彼らと対面し、近いうちに信長のもとに出仕すると言うつもりだ、と伝えた。
しかしこれを聞いた家老は、すかさず諫言に及んだ

「この度の事は、もはやその科を逃れることは出来ません!このまま出仕を止められるべきです!」

村重も内々にそう考えていたので、家老の意見に同調し、使いの三人に対面すると、そう言い切って、
信長への敵対の姿勢をはっきりと打ち出した。

そもそも荒木村重は、信長の厚恩により出頭した者であって、特に摂津一国を与えられ、反逆など
有り様はずもなかったのだが、彼に対して、信長の寵愛する小姓、長谷川藤五郎(秀一)がしきりに慮外を企てた。

ある時のこと、信長が三河岡崎城を訪問した時、それに従っていた荒木村重が門の所に立っていたところ、
長谷川は2階から、村重に向かって尿をしかけた。

これに気がついた人が、村重にそのことを伝えたが、村重は「苦しからず」と言ってその場を立ち去ろうとしなかった。

こんな事があったために、謀反に及んだのだ、と言われている。』

つまり、当時信長の寵童であった長谷川の嫌がらせに当初は耐えたものの、これが原因で、そんな長谷川を
重用している信長に対し逆心を抱いたのだ、ということである。

『当代記』より、荒木村重謀反の理由についての記載である。




905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 16:13:06.62 ID:5D9Lsl0e
竹中半兵衛「その程度で逆心とは、なんと器の小さい男」

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 16:33:07.14 ID:IAX/Zo7P
長谷川がこういう軽薄なことするイメージにピンとこない
逸話レベルとしても人選がどうしてこうなったかに興味

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 17:14:11.30 ID:Uc5/dZXL
織田家中で重用されてなかったうえに
信長の小姓にまでこんな扱いされたら謀反するかもしれん

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 20:00:04.57 ID:dNIuXleX
創作臭いが、実際になぜ荒木が謀反したのかって謎が多いからな……。
ボンバーマンと違って……おやだれk(ry

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 20:04:31.53 ID:43tvGGII
>>906
江戸時代まで残ってた家は悪役に使いづらいからじゃね?
長谷川家って途絶えてたよね?

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 20:39:47.48 ID:ZWEDU/G3
>>905
先越された

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 22:59:08.32 ID:w5fKeVgs
秀吉もトイレでわざとおしっこかけられて相手に謝罪させた上で
名前を売っていたらしいがw

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 00:00:14.41 ID:KLkzLPcu
>>909
荒木攻めで死んだ万見仙千代あたりで因縁話にする方が分かりやすい気もするなぁ

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 17:42:46.39 ID:TbMbEuJJ
>>908
中川清秀にハメられただけのような気がしないでもない

村重、出家する

2011年09月05日 22:04

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 00:24:20.49 ID:in8MiQF5
村重、出家する


信長に謀反して敗れ、天下に汚名を轟かせた荒木村重
彼は反省するどころか、いち早く降伏して助かった高山右近を恨み、そのためにキリシタン嫌いになっていた。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
荒木はキリシタンである小西行長を讒訴した。
が、これは失敗し、小西は何ともなかった。

しかし懲りない村重。
ある茶会で秀吉と同席した時、秀吉が右近の話をし始めると、右近を讒訴しようとした。
「殿の讃えられる右近の勇気は実は見せかけのもので、本物ではございません」
「出て行け!右近が裏表の全くない人物であることは俺が良く知っておるわ!」
秀吉の怒りを買った村重は、長く引見を許されなかった。

まだ懲りない村重。
秀吉が小牧・長久手の戦いに出陣すると、京にいた村重は、今度は秀吉の悪口を言い始めた。
これが運悪く北政所の耳に入ってしまい、彼女に叱責された村重は、死刑にされることを恐れ、ついに出家したという。




703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 00:30:08.67 ID:91CMIHtn
小物すぎだろ。出家するだけで命が助かってよかったな。

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 00:31:19.43 ID:kXaVKb61
さすが道糞の名にふさわしい男

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 00:38:20.69 ID:8CcnIR3T
>>702
なんか、荒木道糞と名のる人間とは思えない小物振りだな。

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 01:00:09.18 ID:S34bd7Vb
謙遜して道糞名乗ったんじゃなくて
本当に心根クソな奴が開き直っただけに見えてくる

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 01:52:16.05 ID:HzJyI8Kr
秀吉が大物に見える

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 02:05:30.49 ID:67lIseDQ
言った後で周りの反応見て後悔するタイプなんかねw

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 08:32:52.36 ID:qICeGW/6
結局はウコンも追放されキリシタンも絶滅だから荒木さんの言ったことは効いていたわけだ
さすがだ

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 11:41:39.21 ID:UwBRUzbm
元ネタ宣教師くさいなw

711 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/05(月) 12:59:20.67 ID:BO/3Tn1L
糞だけに肥やしになったわけだw

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/05(月) 13:31:53.49 ID:m84arMM+
と言うか荒木は秀吉とトラブッテ織田家から離反したのに何やってんだww

池田和泉守の自殺・別Ver

2009年12月18日 00:15

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/16(水) 22:18:12 ID:FFHn0w5r
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1232.html

この話の別Ver

主君村重が尼崎城に脱出した後、池田和泉は荒木久左衛門と共に有岡城を守っていたが、
明智光秀の降伏勧告を受け、温厚篤実な人柄で知られた久左衛門が村重の説得のため
尼崎城へ向かうのを見送った

しかし久左衛門は尼崎城に入城することもできず、かと言って有岡城に帰ることもできず、
進退窮まった久左衛門はそのまま淡路岩屋に逐電してしまった

一方有岡城の池田和泉は久左衛門が逐電したということを聞いて絶望し、

「もはやもう何も見とうはない 聞きとうもない さらばじゃ」

と言い残して鉄砲自殺してしまった




116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 01:37:25 ID:UcECl7/o
なぜ鉄砲自殺w切腹じゃなく爆弾正さんみたいに新しい自決方法模索してたのか

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 01:47:51 ID:3DKjujp/
これは日本初の鉄砲自殺だったりするのかな?

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 10:01:01 ID:yet//tKj
腹切るより遥かに楽に死ねるじゃん。
もう絶望して武士の意地とかもどうでも良くなって
とにかく早く楽に死のうと思ったとか?

120 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 13:41:18 ID:iir5zqbG
拳銃と違って火縄銃で自殺って難しい気がするがw
確かに火縄ってセルフタイマーみたいなもんだろうけど
自分撮りの写メみたいな自殺って何だかなあ

121 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 14:45:12 ID:xK+OPYMG
短筒も存在したし、それで自決したんでない?

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 14:48:05 ID:sG8zLLZG
足で引き金引くんだろ

123 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 16:59:15 ID:dvTkZJ3w
>>122
昔そうやって自殺した俳優いたな

124 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 17:35:55 ID:4xBNAjrY
大河の毛利元就で井上なんとかが「新しい切腹して死んでやる!」
って火縄で自害してたな。

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 19:43:32 ID:KpSqNdPh
>>116
最初の鉄砲自殺は毛利元就に粛清されたか滅ぼされた豪族じゃなかったっけ?

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 19:51:07 ID:cSbKqOhD
>>126
それ>>124?
正直ドラマの話だと思う

128 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/17(木) 20:55:30 ID:MYVooW02
だろうね
明確ではないが種子島銃の製造・普及がおそらく1550年以降であるから
井上一族の粛清はちょうど1550年に起きたから鉄砲自殺とは考えにくい

川原林越後守の死に様

2009年04月10日 00:10

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/09(木) 21:01:46 ID:a9jqosZU
荒木村重の家臣に、川原林越後守と言う者がいた。
彼は村重が有岡城に籠城した際、秀吉が説得のため城に訪れた時に、
「秀吉を抑留すべきです!」
と、進言した男であった。

有岡落城の後、流浪していたが、ある人が
「お主の有岡でのこと、秀吉は大いに感じ入っているそうだ。その上秀吉は今、数奇を好んで
茶道具などを集めている。お主は荒木が所有していた茶道具をいくつか所持しているとのこと、
それを携えて秀吉の元に行けば、恩賞にあずかれるのではないか?」

川原林、最初はそんな話を聞き流していたが、多くの人たちが「そうするべきだ」と
あまりに言うので、ついに秀吉にその旨を伝えた。

これを詳しく聞いた秀吉は怒った。「なんという不義の者か!有岡でワシを害しようとしたこと、
これは忠義から出たものである。が、村重の没落に殉じずのうのうと生き、あまつさえ先君の
茶道具を貢物にして命を繋ごうなどと、これ以上甚だしい無道があろうか!」

と、川原林に切腹を命じた。

やがて、川原林が切腹に望む日が来た。
その日、彼の元には友人達が集まり、色々な物語をして、切腹の予定の時刻を過ぎた。
親しい友人達はこれを心配し、
「普段のおぬしらしくも無い。速やかに腹を切り、潔さを見せるべきではないか?」
と諫言をする。

これに川原林笑って「色々な美物を整え、ご馳走を並べてもてなす振る舞いの席にも、
約束よりは刻限を過ぎていく事など、世の中にはよくある事です。
ましてやその先に何も無い死の時を、どうして急ぐことがありましょうか?
ここで少しでもあなた方と物語をして、名残を惜しむ事こそ、今生の思い出となるのです。」

そこに秀吉から人が使わされてきた。「まだ切腹をしていないと言うので、秀吉公は大変に
ご機嫌を悪くしている。早く切腹して、その知らせを持っていくように!」

川原林、この言葉に「それはまるで理解できない。
秀吉が私に知行や俸禄をくれると言うのなら、当然何事も、秀吉の機嫌に合わせるようにするさ。
が、切腹を命じられているというのに、秀吉の機嫌に会うようにして、私に一体、何の益があるのだ?
どれほど機嫌悪くされようが、殺される以上のことを、秀吉もする事は出来ないだろうよ。」

と、動ずる気配も無く、心静かに友たちと物語をし、やがて、心残りも多いがもはやこれまで也、と言って
腹を斬って死んだ、とのことである。

そんな、ある侍の死に様のお話。




610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/09(木) 21:03:49 ID:DlB/uZcG
帰参
恩賞

ラスボスへのNGワード

611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/09(木) 21:50:57 ID:pl8JQoDk
その図太さにあこがれる

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/09(木) 22:14:58 ID:nt7rfq7o
他人の無責任な言動には耳を貸すなと言う教訓ですね

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/09(木) 23:16:33 ID:BFnP6Rsp
戦国期の飄々とした武士道には憧れるな
自分がそんな風に生きられないだけに・・

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/09(木) 23:43:10 ID:qXyE66Fx
>>612
ほんとその通りだよ

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/09(木) 23:57:38 ID:RqR0W666
>>613
それを感じる心があるってことは、
そういう生き方が出来るってことだよ

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/10(金) 00:06:42 ID:5I1aV+m2
御本尊、荒木村重が茶人道糞として華々しく再デビューする前の
話かな。

荒木村重の気概・いい話

2009年04月09日 00:16

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 10:35:27 ID:0gBAm329
荒木村重の気概

細川藤孝はこれまで担いできた将軍義昭を見放し、織田信長の臣下となることを選んでいたが、
その手みやげが摂津荒木村重への調略であった。
1557年、その甲斐が成り荒木村重は重い腰を上げ信長の元に伺候することとなった。
しかし、荒木村重の本心は、信長が大嫌いであった。
出自の低さは互いに似たり寄ったりであったが、これまで村重が苦労して切り取ってきた摂津を、
一時の勢いとはいえ無造作に掴み盗られるような被害感を感じていた。
更に村重の心を不愉快にさせたのは、信長が派手にやらかしていた強引な茶道具の収集であった。
村重は、その蛮勇剛腕ぶりとは裏腹に、父の代から継承する数寄者としても高名であり、
その手前は野趣と風雅が混じりあった洗練されたものであり、
細川藤孝には見事な自作の茶杓を進呈し驚かせている。
また今井宗久、津田宗及らの堺の茶人、政商との付き合いも深かった。
そんな村重であったから、信長の権高な俄数寄者ぶりは蔑視ていたし、
彼が村重が所有する摂津釜などの数々の大名物を狙っていることもお見通しであった。

嫌々ながら信長の前にぬかずく村重であったが、意地でも名物の茶道具は持参しなかった。
当然一つや二つの献物があると踏んでいた信長は当てが外れてがっかり、
額に青筋を浮き上がらせながらの刺々しい口調となった。
のらりくらりとかわす村重の態度に腹を立てつつも、なんとか臣従を約する対面は終わりを迎えた。
しかし、怒りの収まらない信長、急に太刀を掴み抜いたので家来達は騒然となった。

そこで有名な餅の話になるのであるが、太刀に先端に突き刺した餅を村重に突きつけ、
これ褒美じゃから食えと腹立ち紛れに強要した。
手で掴み拝するものと思っていた信長や家来達を尻目に、村重は口でくわえて餅をぱくぱく食べてしまった。
さすがの信長もあきれ果て、村重、この男とても一筋縄ではいかぬ、と思うのであった。




580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 11:15:19 ID:KspvpiEK
>>579
経験上、初対面でなにか気に障る相手ってのは、後々揉めたり、仲が上手くいかなかったりする
率が高いと思う…
信長と村重もそうだったんだろう
直感て意外と当たる

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 11:23:10 ID:AEDZ+NRR
さすが自分から道糞と名乗るだけはある

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 11:23:36 ID:G/1qVhLe
実際は信長とは上手くいっていて秀吉と根本的に合わなかったようだが
餅に剣を刺すとそのまま食うって信長と村重両方の心底が読めない

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 11:37:50 ID:64UjjRxM
あるいみここで喉でも突いて、
手討にされてた方が荒木一族にとっては幸運だったかもな・・・

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 12:09:55 ID:x7rr0kZ2
>>580
そういえば、一目惚れカップルはほとんど別れないらしいな。
戦国とは関係ない話だけど。

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 12:15:50 ID:1ws5eGTk
>>584
光秀「上様に一目お会いした時に、己の主人はこの人だ!と直感しました」

586 名前:1557は……[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 12:21:59 ID:dQpTeqxR
>>579
お互い本音がどうだったかはわからんけどね

中川清秀や高山右近や、摂津の大名寄騎の動きもあって有岡城謀反の詳細もわかんねし……

587 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/08(水) 13:48:14 ID:ZkFA2IsT
>>584
義昭「信長に一目会った時に、幕府中興の忠臣はこの者ぞ!と直感したぞ」

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 13:50:03 ID:Ju9Ah2F1
宇喜多直家殿は世評と違って大変誠実そうなお方でした!

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 13:57:25 ID:fZwrb3Ge
>>584
仕官にしても恋愛にしても、一目惚れは軽そうに見えて、
実は一番打算の入らない相手への好意だからな。
そういうことはあるだろうね。
義昭も光秀も、信長とはかなり計算的な付き合いのような・・・・
いろんな意味で京都が信長の鬼門だよね

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 15:10:29 ID:ZX4FOgp9
>>589
加納随天「そちらには、水山蹇がでておりまするゆえ」

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 16:28:23 ID:I53Te73z
>>584
> そういえば、一目惚れカップルはほとんど別れないらしいな。

佐竹義重「それは僕達の」
葦名盛隆「事かな?」

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 16:39:06 ID:dQpTeqxR
>591
鈴木大学「なんの!それがしと日根野織部正殿も……」    ・・・ポッ

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 18:00:32 ID:/xNGiGoI
>>592
陶隆房「それがしもお屋形様と無事添い遂げることができました^^」

荒木村重家臣、池田和泉守の自殺・悪い話

2009年02月06日 00:18

503 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 09:50:14 ID:I4Lc72kE
珍しい自害

荒木村重が織田信長に謀反するも、荒木勢の首脳が伊丹城から脱出してしまった
ことで、自壊の様相を呈した。
伊丹城で城内を警護していた池田和泉守は、絶望のあまり自害した。

辞世の句
『露の身も 消えても心 残り行く なにとかならむ みどり子の末』
(露のように儚い自分がこの世から消えるとしても、心残りは幼子のことだ。
あの子の将来は何とかならないだろうか)

和泉守は、辞世の句を詠むと火縄銃に火薬を詰めて引き金を引き、自らの頭を撃
ち抜いて自殺したという。
(信長公記)




505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/05(木) 10:05:32 ID:Nwomja3W
>>503
日本で最初の銃による自殺の記録だっけ、それ。



関連
池田和泉守の自殺・別Ver
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3354.html

荒木村重と尿・悪い話

2009年01月27日 00:09

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/26(月) 10:14:59 ID:ECKlcUMA
謀反の真相

ち○この話に便乗して、しっこの話

荒木村重は信長に謀反し、信長は荒木謀反の知らせにびっくりしたというが、
実はこんな謀反の真相があった。

「去年三河国岡崎へ御出の時、荒木門に居たりしに、二階より長谷川尿をしか
けたり。荒木苦しからずとて不立去、如此故に違心と云々。」(当代記)
(荒木は長谷川というものに二階から小便をかけられ、村重はこのことを遺恨に
思っていたということ。この長谷川とは、信長の近習の長谷川秀一ではないかと思う。)




786 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/26(月) 15:05:44 ID:eXKv9G3C
>>784
半兵衛もしっこをかけられて稲葉山城のっとったけど
しっこをかけられるってかなり屈辱的なのかな

荒木道糞…糞はいいのか

787 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/26(月) 17:09:08 ID:eqf4bCk4
歪んだ愛情表現かもしれないお(^ω^)

荒木村重と餅・いい話?

2008年11月30日 00:03

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 00:49:58 ID:5DXt8oUn
荒木村重と餅

荒木村重が信長に臣従し、信長に拝謁した。
信長は「褒美をやる。」といい、
脇差に餅を突き刺して村重に向けた。

村重は平然として、
「ありがたき幸せ」と言い脇差に口を向けてパクリと餅を食い、袖で脇差しを拭
って信長に返した。

村重の剛胆に驚いた信長はニコっと笑い、
「この脇差も褒美に取らせる」と言ったという。
(備前老人物語)



876 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/29(土) 02:02:33 ID:0Ju2RQxV
>>865
このとき、脇差を突きつけられたことに遺恨を持って後年謀反おこしたのかもなw