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当時の数寄者達は感じ入ったと言うが

2021年04月23日 17:56

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/23(金) 15:30:44.96 ID:dXmDSpBq
古田織部が家康公より逆心の咎めを受けた時、

「申し分を仕れば助かることも有るだろうが、この上において申し分をするのは見苦しい。」

と言って、申し分する事なく切腹した。
これについて、当時の数寄者達は感じ入ったと言うが、本当に身に誤りが無かったのであれば、
申し分をしたであろう。彼が切腹したのは、実際に逆心があった故ではないだろうか。
それは大阪城内への内通の罪であるという。

烈公間話



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天下の茶湯指南は、

2021年04月21日 18:46

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/21(水) 16:01:16.20 ID:sY+axhzY
千利休、同道庵(道安)、古田織部についての事、
細川三斎(忠興)が利休に問うた
「貴老が五百八十年後にあい果てるとして、それ以後に天下の茶湯指南は、誰にて有るべきでしょうか」

利休答えて曰く
「倅の道庵については、彼はハタラキタル茶湯であります。しかしながら人柄が悪く、天下の指南は
成らないでしょう。古田織部がそう有るべきでしょう。」
と申した、その後、果たしてその様になった。

烈公間話



古田について、上記のように諸人崇敬したのだが

2021年04月20日 16:55

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/04/20(火) 14:14:29.64 ID:O4Ie7grK
古田織部について、彼は家康公の御意に入り、御懇意であった。
茶湯の者で、その上古田は度々功名があったのだが、世上に於いては茶湯のことばかり
沙汰され、武名を語られることは少なかった。これは茶湯が害と成ったのである。

家康公が、御庭の物数寄を古田に致させた所で、円座を御手自ら古田のために敷いたという。
これによって、諸大名は殊の外古田を敬った。

駿府にて、(池田)輝政様を始め諸大名が、御館に於いて、列座して料理を食していた半ば、
古田が表れ来ると、皆座を立って膳の前に座らなかった。
その時、「茶道がありますので数寄屋を見られるように。」
と、連れ立って数寄屋を見せ、脇道より帰されたという。

古田について、上記のように諸人崇敬したのだが、冥加尽きて逆心したのだという。

烈公間話



道恵の茶湯には

2021年02月23日 17:55

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/02/23(火) 14:14:56.86 ID:ciKhsDbE
古田織部殿の茶湯が盛りであった頃は、遠国よりも多くの人が伏見へ登り逗留して、
織部殿の手透きを伺って茶湯を所望していた。

織部殿の殊に気に合った塗師の道恵という者、都に住んでいたが、織部殿の余勢によって、
茶湯も家業も上手であると、京都の人々は褒めそやし、自身も運も良さを自慢していた。

その頃、田舎に住んでいる士が四、五人打ち連れて伏見へ赴く途中、道恵の家の側を通り、
そこで案内を通してこのように伝えた

「我々は伏見へ赴く者たちなのだが、織部殿の所にも折々出入りさせて頂き、そちらのこと、
かねてより承っている。このような折から幸いに思い、寄って御茶を所望仕りたい。」

これに道恵は喜び
「丁度釜の湯も湧いています。よく我が家を訪ねてくれました。」と、露地の戸を開き招待した。
互いに挨拶事が終わると、茶請けとして煎海鼠、串鮑、蒲鉾の煮染めた物を出し、茶を点て仕廻し、
時宜を述べて各々立ち帰った。

道すがら、道恵の作意について彼らの褒貶はまちまちであったが、その中で千田主水が難じたのは
「今日の茶請けは潔くなかった。不時の作意も無く、ただ残り物の類を出されたようで、気分が
良くない。道恵の茶湯には奥ゆかしさがない。」

そう言うと、聞いた人は皆是に同意した。
このような事は茶湯に限らず、時により人により、よくよく遠慮があるべき事である。

備前老人物語



601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/02/23(火) 16:39:36.11 ID:l3tNfJO0
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3557.html
千利休と親しい侘茶人


蒲鉾そのまま出すと前もって来ることを知ってたな
と言われるし
煮染めにすると残り物みたいだと言われるし

602 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/02/23(火) 21:21:11.16 ID:vk/HjP/K
こうして、京都市街の住民は不意の来客、ことに好まざる相手に対してはぶぶ漬けを出す様になったと言う。
(民明書房刊『日本全国県民性起源』より)

冥加尽きて逆心があった

2019年08月29日 17:22

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/29(木) 16:48:58.29 ID:idWAWTqs
古田織部は家康公の御意に入り、御懇意だった茶道者である。そのうえで古田は度々功名があった。
しかしながら茶湯の沙汰ばかりで世上の武名は少ない。茶湯は害となるのである(茶湯害ト成也)。

御庭の物数寄を古田が致されたところ、(家康は)円座(敷物)を御手自ら古田へ敷きなさったの
だという。これによって諸大名は殊の外古田を敬った。

駿府で輝政様(池田輝政)を始め、御館で諸大名の列座で料理があった。その中半に古田が来られ
ると、皆が座を立って(古田を)膳に座らせた。その時、茶道が終わって「数寄屋を見なされ」と
連れ立って数寄屋を見せ、脇道から帰ったのだという。

古田は以上の通り諸人の崇敬があったのだが、冥加尽きて逆心があったのだという。

――『烈公間話』



古田織部などでもあろうか

2019年08月13日 14:52

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/13(火) 13:55:02.76 ID:Pv9b1yua
千利休は同子の道菴(道安)と古田織部について、細川三斎(忠興)が「貴老が五百八十年後
(長寿した後)に果てなさったとして、以後天下の茶湯指南は誰なのでしょう」と問うた時、

利休は答えて曰く、「世倅の道菴は働いた茶湯である。しかしながら人柄が悪い(然トモ人柄
悪シ)。天下の指南はなるまい。古田織部などでもあろうか」と申したという。果たしてその
如くである。

――『烈公間話』



逆心がある故か

2019年08月08日 17:39

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/08(木) 01:18:17.75 ID:Z1L+3mDB
古田(織部)はまた家康公より逆心の御咎めがあった時に、申し分仕ったならば助かり申す
こともあったけれども、「この上で申し分は見苦しい」と申し分なく切腹した。これを時の
数寄者は感心したという。

身に誤りが真に無いのならば、申し分があっただろう。逆心がある故か、大坂城内へ内通の
罪だという。

――『烈公間話』



大阪の陣の頃の流行り色々

2018年07月03日 21:43

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/07/03(火) 21:31:20.04 ID:XBNxngP4
大阪の陣の頃、数寄屋道具に織部焼と言って、厚手にして青黒い薬をかけた茶碗を用いていた。
上下ともに、その道具にて円座を敷き、茶を点てることが流行した。

その頃、馬道具などは大小名から下々まで、紫、または紅の大房の尻懸が流行っていた。
刀脇差の鞘は、のし付きの金銀、又は朱鞘などが用いられていた

(長澤聞書)

大阪の陣の頃の流行り色々


見れば明日も生きていけるって思うCMです。

2016年10月30日 20:58

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/30(日) 16:10:43.00 ID:zMfwUGF6
ちょっといい話でも何でもないけど見れば明日も生きていけるって思うCMです。

https://www.youtube.com/watch?v=37Fy8w5aNpI

織部事件

2016年05月16日 15:30

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/15(日) 23:38:21.49 ID:g0H9Yewj
大阪夏の陣が始まろうっとしていた慶長20年(1615)4月28日の昼、京都一条岩神に住む町人の
岡村喜左衛門という具足師が二条の京都所司代へと参り、

「神泉苑の傍に、怪しき者十余人が隠れています。」

との情報を板倉勝重に伝えた。これにより板倉は雑色を先に立て、与力10騎、同心20人を派遣し、
16人ほどを捕縛した。

板倉が彼らを糾明すると、その賊の中の一人で、年寄りの者が白状した。

「我々は、将軍が28日に御出陣と承りました。その時洛中に火を放つべきことを大野と約を定め、
私は十余人ほどを引き連れ京に潜伏しましたが、未だに御出陣の沙汰無く、このため仲間たちは皆々
落ち失せ、今はこの16人だけとなってしまいました。
ここ一両日は食に飢労し、体力も無くなっていたため、動くことも出来ずこのようにやみやみと
縄に懸かってしまったのです。
哀れと思し召され、御慈悲を以って、どうか生命をお助けください。」

これを聞いて板倉は
「下臈の事であるかあら、有体を申すにおいては上に伺い命を助けよう。
しかし、ここ一両日飢えていたというのはよく解らない。なにか買い求めて食おうとしなかったのか?」

「いかにも、代物があれば買い調えたでしょう。しかし一銭の貯えもなかったのです。」

「それは不審な事だ。このような大事を思い立つ者が、どうして用意をしていないのか?」

賊、重ねて言った
「我々も最初は、二十日あまりの計画を立て金銀を用意していましたが、
古田織部正の茶道である宗喜と友人でありますので、彼と合図を定め、城中に狼煙を上げるのを見れば
所々に火をかけると約束し、一両日分だけの糧を貯え置いたのです。
残りの者達は皆、古田織部正に従いました。」

この言葉に板倉は驚愕した
「お前は宗喜と何の由縁があるのか!?」

「博奕の友です。」

「博奕で、初めて出会ったのか?」

「いいえ、十年来の友人です。」

板倉は彼から篤と証言を聞いたうえで宗喜を捕え、双方を監禁し、この旨を言上した。
これによって古田織部正も、その後切腹を仰せ付けられたという。

(新東鑑)



「彼は必ず禍に巻き込まれて死ぬだろう」

2016年01月28日 12:51

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 08:10:08.01 ID:mxjf220e
古田織部正は、古くから伝わる器などが完全に保存されているのを、「あまりに思うところがない」として
好まなかった。されば、書画のような物でも、かしこを切りここを裁ち、普通の茶道具も、多くは破損させ
或いは砕いて、それを再び補修し、継いで用いた。世の人々はこれを興あることと思い真似たため、
世の中から全き物は無くなってしまうようであった。

松平伊豆守信綱の実父である大河内金兵衛久綱は、古田織部について近くの人々に、
「彼は必ず禍に巻き込まれて死ぬだろう」と言っていた。
後年、織部は罪を蒙って誅せられた。
人々は大いに驚き、久綱に聞いた
「あなたはどうして、織部があのようになると知っていたのか?」

「古の宝器と聞こえた物も、世々の乱に多くは紛失し、現在まで残っている物は、皆神仏によって
護持されていたからこそ、このように世に残ったのです。それを、己一人の好みに合わせて破損させると
いうのは、必ず鬼神の憎むべき行為でしょう。ならば、それをしている人もまた、身を全うして終わることを
得られない。そう思って言ったのです。」

これは名言であると、古き人の物語を承った。この事は萬に渡り心得あるべきだろう。

(藩翰譜)



47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 13:10:40.58 ID:WL2rLY7i
言いがかりだなぁ…
たまたま当たったからこうやって記憶にも記録にも残されてるけど
外していたらあっという間に忘れ去られているだろうよ。

安藤さんが本多正純の失脚を言い当てたのも同じようなもんだな。

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 13:15:29.13 ID:WL2rLY7i
織部のやつ怪しからんって思うのは個人の勝手だけど、織部には織部の思うところ(豊臣の存続?)があって

それの実現のために動いた結果、徳川政権と相容れなくなった。つまり結果論だろう。

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 13:23:35.17 ID:my13jaj9
DQN眼竜「ほんま名物壊すとかロクでもないな」

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 14:36:46.95 ID:jd9xfX/V
破袋みたいなゴミをありがたがってる織部の審美眼はかなり怪しいw

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 14:59:43.17 ID:nTarwUBU
審美眼は人それぞれだから何とも言えないけどわざわざ壊してまで好みに合わせるってのは凡人にはよく分からんなあ
自然に壊れたものに金継ぎしたり鎹打ったりしたものが味が出て喜ばれるってのなら分かる気もするけど

古田織部が茶の湯の宗匠だった時

2014年04月25日 18:45

78 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/24(木) 20:57:18.18 ID:B5vX70uC
せっかくだから茶の湯の話をしようか。

古田織部が茶の湯の宗匠だった時のお話。

織部が気に入っていた大工に喜右衛門という者がいた。
そのころ茶の湯を嗜むものは織部を崇敬していたので、喜右衛門にも懇ろにしていた。

ある人が茶会を催し、谷衛友を上客にし、お相伴のニ三人のうちに喜右衛門を加えた。
その茶会の当日、やってきた谷衛友喜右衛門は露地で出迎えて
「今日はお相伴させて頂きますので、かなり早く来てしまいました。」
と言ったところ、谷衛友の機嫌はみるみる悪くなり
「客の選び方がおかしいだろ」
と帰りそうになったが、お相伴の人たちがいろいろ取りもって、何とか穏便に済ますことができた。

当時はこの出来事について、様々な批判がでたそうだ。





79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 21:06:09.90 ID:c8AoaX8x
そういえば今日へうげもの18巻発売日だったね(宣伝)
ついでにローゼンメイデン最終巻も買ってきたわ

茶入が高値になったのも

2014年04月23日 18:52

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 19:47:01.19 ID:+iMs8WN/
茶入が高値になったのも、ここ近来の事である。この老人(著者)が少年のころは、
世上おしなべて名物というのは、玉堂という茶入と、利休の円座肩衝と言うものだけであった。
しかしこれらも、何程という物でもなかったのに、今では無類の名物のように言われている。

その後ある時、相国寺にあった、名を相国寺という唐焼きの肩衝を、古田織部が黄金1枚で求めた。
これが茶入が高値となった始まりである。しかし程なく加賀の前田家に千五百貫で売った。
これは当時、古田織部が間悪く金が無く、借金の返済をせつかれた為、その借金を支払うために
売ったのである。

道哲親円浄坊が取り次いで、前田家より代金を持ってきた時、この私も織部方に居合わせていた。
黄金60枚と、蓮華王の茶壺をひとつ持って来た。壺は織部の方から所望したものである。

円座肩衝は今は江戸にあるが、明暦の大火の時に消失したそうである。

(老人雑話)




50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 22:38:13.61 ID:oQ50ob0w
戦国期の茶器の名物って、ふ~ん、この程度のもんがね~
といいたくなるような代物ばっかりという印象。

江戸時代とは工芸のレベルが違いすぎるんで、
どうしても稚拙に見えちゃう。

もちろん、戦国期でも明のものすごい陶器・磁器は入っていたんで、
あえてああいうものを名物扱いした面もあるんだろうけどさ…

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 22:51:25.83 ID:lz5MHbul
おいおい、いくらなんでも知ったかぶり過ぎだろ

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 23:18:01.33 ID:QApH+8kg
これは酷い

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 23:35:46.65 ID:USbTqCmw
>>50
工芸品としては曜変天目(特に稲葉天目)が最高峰だろうけが
茶を飲むなら、工芸品としては大した事ない楽の黒茶碗の方が
濃茶の緑が映えておいしいはず

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/22(火) 23:46:28.39 ID:zVDrE6OV
確か利休の頃までの茶は黄褐色だった様な

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 00:00:19.02 ID:uTXUlDps
日本では茶器の来歴が一番重要だからね。
大陸ではただの雑器でも、将軍や大名、大商人が
これは良いものだと言い、受け継がれていくと名器に化ける。

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 00:16:38.86 ID:ruw1rFiG
茶器バブルは信長公の頃頂点に達し、焼き味噌殿が天下取って崩壊

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 00:22:11.32 ID:dqLsp4XZ
この前の逸話であったように金銀の流通が多くなればそれだけ貴重品の物価も上がるのでは

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 00:29:17.28 ID:mQzjKopQ
今日、有田の天目が\1000で無造作に積まれてた

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 00:34:16.85 ID:rBfI8Yi+
気に入ったのを買ってらっしゃい

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 11:47:08.23 ID:tlFClwQp
有田って磁器だよな?
天目って陶器だけど?
もうちょうましな嘘つこうぜ

61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 14:25:58.47 ID:3Ecy/FsP
有田陶器市来れば有田焼買い放題だぞ

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/23(水) 15:47:19.85 ID:eaAIOIIi
織部のほうがいいな。黒は重々しくなってしょうがない

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/24(木) 00:58:31.06 ID:KGiRFpVz
>>60
有田っていまも陶器だけなの?
じゃあ、有田と嘘ついて売ってるのかな

72 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/04/24(木) 17:39:05.58 ID:b6x5TlJJ
天目形ってかたちがあるから、
天目形してる茶碗なら磁器だろうがプラスチックだろうが天目茶碗と言っても間違いではない。
使う時は天目台っていう台にのせて、貴人にお茶を出すときや神仏へのお供えに使う。

実家は古い寺だったから色んな天目茶碗があった。
唐物もあったし、瀬戸物も染付のもあった。

[ 続きを読む ]

織部も泉下にて喜んでいることでしょう

2013年07月20日 19:57

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/19(金) 21:24:08.37 ID:ALqSd73d
前田利常の元に小堀遠州が御出でになり、四方山の話をしていた時に、利常がふと

古田織部の焼かれた茶入の中でも良い物で、なおかつ織部自身の茶の湯に出した
茶入というものは、あるのでしょうか?」

遠州は答えた
「ええ、御座います。その茶入は、餓鬼の腹によく似ているからと、『餓鬼はら』と名付けられた
茶入です。実に、一段見事な茶入です。」

これを聞いてその茶入を手に入れたく思った利常は、遠州の語った内容を書き付け、
京都でこれを尋ねよと高田弥右衛門らに命じた。

高田達が探し尋ねると、その茶入はとある町方のものが所有していることがわかった。
その町人に、譲ってもらうよう頼み、代金のことについて尋ねると、
高田が買取の値段を言い出す前に町人は

「何と言っても御大名様がお尋ねになった事ですから、金五百枚と申し上げてください。」

と、金五百枚を要求した。そこで高田弥右衛門もこれを利常に報告した。
そうした所で利常は小堀遠州に京へ言ってもらい、その茶入を確認してもらった所、
「成程なるほど、間違いなくこの茶入です。」
とお墨付きを得たため、利常は高田に金五百枚を遣わし、町人より茶入を買い取った。

その後、小堀遠州がまた利常の元に参った時、利常はこの『餓鬼はら』の茶入で茶の湯をされた。
茶の湯が終わると小堀遠州が尋ねた

「この茶入を買い入れるのに、代金はいかほど必要だったのでしょうか?」

「持ち主が金五百枚と申しましたので、その通りに遣わしました。」

これを聞くと小堀遠州、手を叩いて痛快そうに
「実にご尤もなことです!御大名がそのようにしていただいてこそ、織部の焼き物に
価値が付くというものです!織部も泉下にて喜んでいることでしょう!」

そう申し上げ、帰っていったそうである。
これは今枝伊兵衛の話に承った事である。
(微妙公夜話)




733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 00:06:01.37 ID:MNPFUEiv
糞ガキの元ネタか

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/07/20(土) 11:32:29.75 ID:S2B+QJIP
みんなで価値を釣り上げるのか

細川家「古田織部は…」

2011年10月20日 22:00

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 11:05:38.81 ID:59//tCDO
いい話か微妙だが

天正7年(1579)9月、雲林院式部大輔を主将とする三千が篭る丹波鬼ヶ嶽城を攻めていた明智光秀のもとに、
細川忠興が重臣・松井康之等の手勢を率いて駆けつけた。光秀は、婿の加勢を喜んだ。

「では忠興殿、大手門(表口)を攻め候え!」
「手柄の機会を回していただけるか、かたじけない。」

だが、光秀の命に従わない者もいた。

「ふっ、馬鹿正直に大手から攻めていては、いつ落とせるか分からぬわ。」
細川家臣の古田左助は、城の裏山から搦手門(裏口)を打ち破って攻める事を企て、山の間道へ押し入った。

左助は途中、城方の物見と遭遇し、一騎討ちの末これを下したり、木の根、岩の角に取り付いたりしながら
やっとの思いで城の裏山によじ登る事に成功すると、一息に坂を駆け下り、搦手をこじ開けて大音声を発した。

「古田左助、一番乗りして敵を討ち取ったるぞ!!」

「ちッ!左助に出し抜かれたか!」
これを見た忠興が発奮し、相手をしていた騎馬武者を突き伏せ首を取ってみせると、それが合図としたように
全軍一同に城へ攻めかかった結果、城主の雲林院こそ逃がしたものの、城を落として二百余を討ち取り、
城方の救援に駆けつけた、名だたる赤井悪右衛門直正を撃退する大戦果を上げた。


褒美として五百石を与えられた左助は、その後も戦功を重ねて信長の直参に取り立てられて織部正を名乗り、
千利休に弟子入りして茶道の達人となった。すなわち、古田織部である。

“(当家の記録はこうなので)信長公記等で織部を最初から信長直参とするのは疑問が残る”(綿考輯録)


工エエェェ(´д`)ェェエエ工




179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 12:28:15.04 ID:SntYkKwA
その記録の方がよほど疑問に残るw

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 12:53:16.92 ID:RT4ksHeo
織部が細川家家臣だったなんて面白いw

181 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/10/20(木) 13:12:24.61 ID:wLqoC7B4
なんと言う猪武者…織部


だめだ、イメージがわかない

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 14:26:34.54 ID:vAdDsRZl
ありえない

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 14:31:55.87 ID:72Gec9Ki
これはあり得んだろうとは思うが
実際、古織さんはどれくらいの強さだったんだろう

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 16:20:05.64 ID:cyAcRuAk
まあ一応信長直参の侍だしそれ相応の強さだったんじゃないか?

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 17:05:50.41 ID:tLFlhn2W
確か、細川元首相がへうげ作者との対談で言ってたなあ、これ
ソースは綿考輯録だったのか

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 17:29:00.88 ID:xy+6/ktN
細川元首相って今は茶人、陶芸家をしてるらしいが
作品が結構な値で取引されてるみたいだな
ネームバリューでの評価が高いんだとは思うが現代にも数奇者が多いのかね

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 18:49:17.72 ID:AOq2ILgY
永青文庫ってお宝あったっけ

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 19:42:47.05 ID:uWBq4EYU
永青文庫はお宝の山です。
仕事で関わる度にゲヒヒしたくてたまりませんよ!

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 19:47:43.84 ID:3GhbbP3C
へうげもので細川ガラシャの死がむちゃくちゃに書かれていた、ときいて
細川元首相の心象を害さなかったんだろうか、と思ったが、細川ガラシャ系の子孫ではなかったんだな

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 19:53:38.84 ID:Rj5aTVKA
>>187
金象嵌銘 光忠光徳っていう刀とか時雨螺鈿鞍、金銀錯狩猟文鏡は国宝だよ。
宮本武蔵が描いた掛け軸とかは重文だったかな。

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/20(木) 21:49:00.31 ID:Q1KysmMC
特別展覧会 「細川家の至宝―珠玉の永青文庫コレクション―」
ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/tokubetsu/111008/index.html
 三斎様の偏屈そうな肖像画と忠利の人のよさそうな肖像画の対比が印象的でした。

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 02:14:15.42 ID:nNPXazme
>>189
つか幽斎様だし>細川護煕(職業:陶芸家)

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 03:06:35.09 ID:r7txd6tf
>>189
無茶苦茶といえば無茶苦茶だけど、
大変格好いい死に様でしたよ

12連斉射銃を持ちだして石田勢をなぎ倒すとか、
さすが鬼の嫁は蛇と自称するだけのことはある

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/21(金) 09:55:06.34 ID:Hb/COBz3
>>191
「美の世界では天下人」とかいうやつだなw

古田織部、微妙に(?)間違った教訓を得た後日談

2011年09月03日 22:03

670 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 13:40:36.56 ID:zAQjJHSq
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5420.html
このお話で佐竹陣でハゲ頭のおかげで負傷した古田織部さん。その後日談


慶長19年(1614)11月27日、古田織部は将軍徳川秀忠の元を訪れ

「いやはや!先日佐竹義宣の陣に訪れた時、堤の陰より放たれた銃弾が左の眼の辺りに当たりました!」

と語ったが、秀忠はそれに感心のない様子で、すぐに別の話題を始めた。
後で秀忠の近習たちがこの事について語ったことには

「自分の陣所で傷を負うなら忠節というものだろうが、軍令に背いて他人の陣所に行って流れ弾にあたって
負傷するなど、不覚なだけではないか。」
と笑いあったという。

しかし先の逸話で
> 「ああ、この初めての手傷を自分の担当する仕寄で負ったなら、少しは御感に入ることも出来ただろうに、
> よりにもよって他所の仕寄で負うとは、これでは丸損ではないか。」

って自分で言ってるのに、それでも一応、ものは試しに言いに行ってみたんですね、織部さんw
(難波戦記)





671 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 14:57:44.79 ID:2qeS4u7Z
何となくなんだけど、権現様と織部の関係って太閤さんと利休の関係と被るんだよね。
茶の湯ってそこまで凄いものだったのかねぇ。

672 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 15:07:20.62 ID:6RFc39b6
その織部も大坂の陣後秀忠に切腹させられてるからな
茶人の末路はせつない

673 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 15:08:17.25 ID:IugRXrva
今の日本文化は茶の湯が作ったという人もいるからな

茶しばくだけじゃなくて、礼儀作法全般から、
書、絵、陶器などの美術品から、建築や作庭、装束まで網羅するとも言える
今みたいなただの趣味とは意味合いが異なる

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 16:02:05.00 ID:akHi88yC
そういえば秀忠の茶の湯のブレーンは、山本道句といい金森可重といい、古田織部の弟子なんだなあ。
何故かその中に、あの佐久間信盛の嫡男で、信長から例の折檻状で「茶の湯やりすぎ!」って叱られた
佐久間信栄が、茶人として混じってたりするがw

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 18:19:52.62 ID:vfoDCM4N
なんか古田織部は反抗のための反抗って感じで、利休と違ってあんまり同情できないんだよな
茶道のために筋を通したんならともかく他人の嫌がる様をみて喜んで、挙句の果てに大阪方に内通
いつか誰かに殺されてもしょうがない生き方だったと思うよ

まあ>>670の織部は、書き方もあってユーモラスに見えるけどw

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 18:37:43.88 ID:ghZpOZWt
実際の古田織部がどうして内通したかは分からんが
へうげものの古田織部だと茶器を大阪城から盗む為に息子と共謀してたんじゃね?と思えてくる
不思議!

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 21:26:08.44 ID:2qeS4u7Z
動機って点じゃめちゃくちゃ不自然な事件だとは思う。
既に勝負が見えてからの、真田信繁、後藤基次、塙直之。
当時の武将が何考えていたのか、損得だけで動機考えるのって無理があるかな。
ただね、織部が切腹した後の家康の反応がこれまた不自然。
それこそ長安事件と同じ匂いがするんだよね。


678 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 21:33:07.51 ID:XW0Eps16
師匠の利休とはまた違う意味で、謎の多い死を遂げたのか織部

679 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 21:42:38.20 ID:akHi88yC
しかし織部は大坂の陣の段階でも大物ってほどでもなく、利休のように政権に深く食い込んでいたわけでもなく、
コネクションがあると言ってもそれが即幕府の脅威になるようなものではなく、
やっぱり単純に、息子が何らかの形で豊臣と通じていたのが発覚して、責任とって連座で切腹、
ってことだと思うよ?

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 22:15:00.38 ID:uz/LElpf
茶道筆頭でしょ? 当時の茶の湯の政治的重要性から考えると十分に重要人物だと思うが。

681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 22:17:36.25 ID:81XZEsGI
まぁそう思うだけなら故人の自由ですから

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/03(土) 22:28:20.51 ID:1e7JzRzD
まあ、マジで内通してたなら切腹じゃなくて斬首ものだよな。

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 00:16:22.80 ID:SGh8Mp4H
へうげものや、上のリンクの逸話を知る前の古田織部のイメージ
・千利休の追放の際、細川忠興と二人で堂々と見送った剛の者
・歪な道具を好んだ粋な茶人
・武士としても活躍

あれ


684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 06:22:18.12 ID:a7ThJi9u
茶の湯の文化だけじゃなく、安土桃山の政治史への重要な関わりを知れば知るほど
韓国茶道ってばかみたいと思うの

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 07:55:39.83 ID:J40O4g6A
織部切腹は、徳川家以外に権威があっては好ましくないから始末されたのだと推測

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 10:30:02.51 ID:BZvGkTZF
織部の権勢なんて徳川からみたら屁みたいなもんだろ

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 10:43:33.72 ID:pMlIvP4l
邪魔だから排除した、じゃなくていらないから捨てたってイメージ

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 12:50:33.00 ID:lgImhBFC
切腹まで含めて織部の芸術なんだという気もする

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 12:53:54.74 ID:UuF0Kzeq
へうげなら、最後はさぞ凄い顔芸して終わってくれるだろう

ある時、浅野幸長が古田織部から

2011年07月27日 23:09

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 18:15:12.99 ID:EeG8E2xt
古田織部「五金時殿くらいで」



175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/26(火) 21:44:40.24 ID:/pLjZPZs
>>173
ある時、浅野幸長古田織部から、狭い茶室での道具の置き方・所作の仕方等の稽古を受けた。

「よいですかな浅野殿、客も炉も自分の右側にある時はこうする。客が右、炉が左の時はこう。」
「ふむふむ。」
「客も炉も左の時はこう、客が左、炉が右の時は…って、この辺は前の稽古の時どう教えましたかな?」
「………済まぬ、忘れたようです。」


そこで二人は、前回の稽古で同席した上田宗箇を呼んで、この件について問いただした。

「………申し訳ござらぬ、それがし、師の教えを失念いたし申した!!」
「(え~)………」
「………?」
「……………」

「…と、とにかく、こういうものはその場その場でやってみなけりゃワカランものにござるよ。」
(織部候云、兎角その座敷にて置合てみねば、たしかならず)

「なるほど、そういうものですか。」
「うむ、そういうものです。」


織部のおかげで一つ勉強になった
…わけもなく、こーゆーお人に「白黒つけろ」とか㍉にゴザルよ。




182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 09:56:45.63 ID:K5IF7UPx
>>175
みんな忘れたのかよwwww

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:02:15.87 ID:IUg9pvcb
>>175
織部も忘れてる?www

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:10:52.93 ID:O5JhFgs2
消防のころ先生が答え忘れてみんなに聞いてもわからなかったこと思い出した

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:30:13.96 ID:WBUAFs8e
小学校の問題の解答くらいは、その場で考えられるだろ・・・と思うけど、焦るとそれすらも分からなくなるんだよね

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:38:13.40 ID:Gb/IrSc2
これ、小学校の問題と解答とかそういう話じゃなかろ。
マニュアルも正答もない、どうやったら非礼にならずに人をもてなせるかという話なんだから。
当然正解なんてないよ

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:46:37.99 ID:O5JhFgs2
前の稽古の時教えたことあるんだから正解はあるだろ

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 19:57:05.26 ID:Gb/IrSc2
「教えたことある」なんて文中に書いてないけどねw

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 20:03:41.54 ID:O5JhFgs2
読解力が乏しいのか、単に引っ込みがつかなくなっちゃったという
ちょっと悪い話

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 20:43:32.16 ID:YemAPnjX
ひどいオチだw

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/27(水) 21:32:09.63 ID:r2+J8sfP
ひどいお茶でもある

織部盃

2011年07月03日 23:36

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/03(日) 20:31:27.78 ID:mheKI5DY
古田織部の作る品は、茶道の趣味がある無いにかかわらず世間がもてはやし、
食事の時酒を呑むため出す杯にも、織部盃と言うものが現れ、これが大流行した。

ところで京に三八という男があった。これが織部の流行があまりに著しいため、
盃の事を織部と言うのだと思い込んでしまった。ある時のこと、三八が赤い顔をして
良い機嫌でいるのをみて、知り合いのものが

「そちはひどく酔っているようだな?」

というと、三八

「当たり前だ!今朝の振舞に汁の椀の織部で続けざまに三杯飲んだからな!」

と答えたそうだ。

織部風の流行を垣間見せてくれるお話である。
(醒睡笑)




864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/03(日) 23:23:33.10 ID:yVkKAlpu
醒酔笑はすっげえくだらない話ばかりなんだけど
読むと止まらなくなくなるくだらなさが好きだ

古田織部、微妙に(?)間違った教訓を得る

2011年05月18日 00:02

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 01:05:58.20 ID:VuWajU97
もう一つ。大阪冬の陣の折のことである。

その頃、古田織部といえば天下の数奇者の宗匠と呼ばれていた。
大阪城攻めの合戦騒ぎの中でも、織部は「数寄の友だから」とわざわざ佐竹義宣の陣に
訪ねて行った。

が、その時佐竹義宣はちょうど城攻めのための仕寄に付いていたが、しばらくして矢弾避けの
竹束の内に入り、そこで織部と対面、義宣は兜を脱いで織部とつもる話をし、またそこで風呂を炊かせ
もてなし、その後茶を飲むなどしていたところ、織部は突然、竹束の方をキッと見て

「この竹束の中に、茶杓になるべき竹がある!!」

と、竹束の側まで寄って顔を打ち傾けながら熱心に見始めた

時にこの頃古田織部は僧形であり、頭は当然だが、見事にそり上げていた。
あまりに熱心に竹を見ていたため、ついうっかり頭を竹束の影から出してしまった。
その頭に日光が当たる。ピカーッ!彼の禿頭は日光を反射しキラキラと輝いた!

これを見た大阪方
「佐竹陣の竹束のところから、なにやら光り輝くものが現れました!」
「何だと怪しい、怪しすぎる!撃て、撃てー!!!」

大阪方の放った銃弾は、あやまたず織部のハゲ頭に命中した!
…が、運が良かったのか、頭から血は流れていたもののかすった程度で済んだらしい。
しかし織部はすっかり肝を潰し頭を抱え

「我、手負いたり!」

と叫び、その場に居た茶坊主が茶巾袱紗などでその血をぬぐった。
これをその場に居た人々「数奇者に似合いのぬぐい物である」と囁いたとか。

そして織部は
「ああ、この初めての手傷を自分の担当する仕寄で負ったなら、少しは御感に入ることも出来ただろうに、
よりにもよって他所の仕寄で負うとは、これでは丸損ではないか。」
と嘆いたという。

この後、自分の陣屋に帰ると家臣たちに
「武士が付けておくべきは兜である!今後わしは数寄屋においても兜をつけるぞ!」
と宣言したそうだ。

以上、古田織部が微妙に間違った教訓を得た話である(大阪物語)


関連
古田織部、微妙に(?)間違った教訓を得た後日談
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5746.html
古田織部と上田宗箇IN大阪の陣「・・・・・・あ、アルェ━━━━━━??!」・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1297.html


220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 04:49:03.56 ID:sYhf+P8e
・・・いやいやいや
微妙にってか、豪快に間違ってないかな、その教訓・・・

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 06:19:54.52 ID:0QcYz3Ew
手遅れにならんように鎧も着けとけ
結局切腹するわけで兜は役に立たないわけだが

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 09:04:41.44 ID:/P7+tcMI
光った頭を見て発砲

なんだこのコント

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 14:49:25.68 ID:ZBHgIIeB
茶杓→竹→光ると読み上げて、光る竹が出てきて竹取物語かよ、と思ったら、
禿げ頭が光ってうおまぶしっ!ってなんてコントだよ。
最初の茶杓がどうとかもう放り投げっぱなしだよ。

所でそのあと、ゲヒさんはお目当ての竹を見つけ出せたの?
それとも見つけられないままハラキリ直行?

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 19:34:14.02 ID:pUod8rVZ
全部、漫画の絵で想像できる。リアルが漫画と変わらねえよ、古田織部

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 21:09:44.12 ID:iHKEneIC
つくづくへうげものって凄い漫画だな。

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 21:22:45.37 ID:rZMLgl78
完全にフィクションだけどな

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/17(火) 21:39:53.37 ID:SjxQU2JR
フィクションを楽しむのは全然アリだけどごっちゃにするのはダメ、絶対
と、バサラ見てるとつくづく思う

慶長12年(1607)4月、織田有楽、古田織部を招き

2010年06月14日 00:00

375 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 16:16:50 ID:QCnJByLK
慶長12年(1607)4月、織田有楽は大坂天満の自邸に古田織部を招き、“台子点前”の茶会を開いた。

“台子点前”とは、飾り台に茶道具を置いて茶を点てる作法であり、貴人をもてなす作法とされるものである。
有楽が本日の客で当節、宗匠と呼ばれる織部を敬った形であり、さらに有楽は加藤清正が朝鮮から持ち帰り、
太閤秀吉に献上した「天下無双」と言われる“龍頭の水指”を用意した。

通常、台子点前においては、このような貴人ゆかりの道具は押しいただいて拝見するのが作法であったが、
肝心の客の方は台子の作法に詳しくなかったのか、織部はそれをしなかった。
これでは秀吉・その子秀頼、もしくは水指の発見者である肥後国主の清正を敬わない、という事になってしまう。
しかし有楽は、そんな織部を眺めて、ただニヤニヤしていた。

微妙な空気の中、茶会は進み、やがて有楽が炉の炭を起こし、茶釜を火にかけると織部は、ニヤニヤした有楽の
顔色から己の無作法を悟ったのか、「失礼だが、台を拝見したい。」と言い出した。
「・・・どうぞ。」有楽の許しを得た織部は、台子の作法をモノにせんと台の茶道具の並べ方など凝視して調べ、
それに飽き足らないのか、台の棚に顔を突っ込み、釜の炭の置きようまで、食い入るように見つめた。

そこへ炭の火の粉がはじけて、織部の頭にクリーンヒット!!

「 うぁ熱ちゃあああああああああああああああっ!!!!! 」
思わず飛び上がった織部は飾り台に頭をぶつけて破壊し、畳は一面抹茶の海と化した。動転した織部は、
茶入に抹茶をかき集めると、なぜか茶入を抱えて茶室を飛び出した。

「も・・・もういい、カンベンして織部・・・・・・」
イロイロ我慢できなくなった有楽は、「もういいや、今日はゆっくりしよう。」と、小姓に枕を二つ持ってこさせ、
織部と二人、寝転がってテキトーに茶を点て、その日は一日ダベって過ごしたということである。




376 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 17:24:54 ID:DB6KDsWx
>>375
> 動転した織部は、
> 茶入に抹茶をかき集めると、なぜか茶入を抱えて茶室を飛び出した。

わらたw
人間慌てふためくと意味不明の行動するもんだが、織部でもこれかw

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 18:10:25 ID:pYkQR/b2
へうげものの絵で再生されたw

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 18:26:43 ID:/RsKGWLo
へうげ織部なら明らかに盗みにかかってるぞ、それw

379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 18:32:00 ID:EXcJ4jw9
有楽も人が悪いなw

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 18:37:13 ID:JsLq+fXh
1607年か、へうげものでこのエピソードが語られるのはまだまだ先だねぇ

382 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/13(日) 20:23:49 ID:VgHtQQJH
>>378

                      、_f^ヽ
                  ミ三ニ彡ゞ=ニ'、
                 / ̄ ,イリハi})ヾ丶、
                /   /ィノリ川l.i.l.i.l.i.ヽ、
                  /   く彡彡ノノノj⊥、l.i.l.ヽ_,ノ
              /     `ゞッ=ミソ(ィ'ぅ丶l.i.l.iV_,' _,_
              l  , '  ,、 '´  `ヾj,ニ、 )ヽミッゞくラ丶、
              '、/  ,イツ        、゙_,ノ  ,! l/:.:.:.:.丶、
ヾ 川川川川川川川,ノ  '、'、,li},イ   _、    ヽ'、 i,  /:.:.:.:.:.:.:./l
三           三.   ヾミ'゚'゙ー _,ィf トミ、   ヾ!l! /:.:.:.:.:.:.:.:/:.l
三 ゲ 良 こ 俺 三      ', ::... '゙//::::ヽ    lリ/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.l
三 ヒ  い の .の 三      l '´ /ノヘ::::::l   ,' /:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.l
三 ヒ. 物 茶 盗. 三     `⌒ '゙´  `tヲノ  /, /:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:l
三 ヒ  で 入 っ 三          _,.ン介-イl'/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:.,'
三 ヒ  ご と  た. 三         /:.:.:.:l:.:/l::ll/:.:.:.:.:.:.:.:./:.:.:.:.,':.
三    ざ て    三         l:.:.:.:.l:./ l::l':.:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.,':.:
三    る      .三       (^ヾ:.:.:l:./ ,l:/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:,:':.:':.
三    よ      .三       ,/`ト,∨:/ l/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.l⌒l:.:.:
三           三     /: : l{∧∨ ,/:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.:l'^'l:.:.:
ノ 川川川川川川川ヾ    ,イ_ ,ィ'l:しヘ.∨:.:.:.:.:.:.:.:/:.:.:.:.:.:.'(ソ:.:.:
                /: : : : : lr‐-=.ヘУ:.:.:.:.:../:.:.:.:.:.:.:.:.:',:.:.:.
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              //: :/, -、 、_,.ヘ、 `~`゙'ー- ヽ:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:
             /´: : ノ/_,_ 、__ 〉、 `ヽ丶、   'i,:.:.:.:.:.:.:.:.:.:




383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 21:01:47 ID:/Is8XE2s
>>382
作ってもないものでえらそうにすんなw

384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 21:07:07 ID:uyWYjjf0
>>375
ウマが合うってこんな感じを言うんだろうなあw
還暦すぎてもこんな友人関係でいられるのって、うらやましいと思う

385 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/13(日) 21:08:14 ID:TlJ8F6lq
有楽と織部、面白いコンビだったんだろうなあw


388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 01:43:40 ID:2GyftF75
>>375
事故に見せかけて茶入盗もうとしたんだと思った

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 08:48:39 ID:3Zy+og1t
へうげものでは利休在世当時に有楽には台子手前を教え、
織部は教わってないという話があったが、
このエピソードへの伏線だったのか。

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/14(月) 09:31:23 ID:UoWPtULc
>>375
(荒)大名茶とは別の意味で抱腹絶倒の落ち話だな w w さすが有楽斎と古織