313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/07/26(火) 19:52:15.23 ID:gT3YMaZZ
福島左衛門大夫正則は、諸将の中でも殊の外物狂わしい人物だった。
猟より帰ってきて口をすすがないまま食事を取り、食物の中に砂があると言って料理人を誅した事も
度々であった。剰えその首を脇差しで貫き、くるくると回して興じたこともあったとか。
されども、思いの外の事もあった。
ある日、福島家の一門衆が集まり酒宴をした時、給仕をしていた正則の寵愛する何某とかいう小姓が、
懐よりその酒宴に出されていた菓子を二つ三つ落とした。
正則はこれを見て大いに怒り、かの者を引き寄せて左出て頭髪を握り、右手に刀を抜き持って、
小姓の股を刺した。血が夥しく流れたが、彼は少しも動じず、始めの如く給仕をした。
この場にいた者達は何れも正則の気質を知っていた故に、終に死罪に及ぶ事を惜しみ、彼を片脇へと
引き退かせ、「申し分が有るのか?」と尋ねてみたものの、一向に物を言わなかったために、遂には
「侍の子たる者が、どうして酒宴の菓子を盗むような卑劣な事を成したのか。お前の身が死罪となっても
仕方がない。そして死しても父兄弟までの面汚しであるぞ!」と言った。
すると小姓はこれを聞いて
「申すべき事もありますが、人の命を取るような事になり本意ではありません。
その人の命を救って頂けるのなら、仔細を語ります。
私の命は、免ぜられるべきではありません。しかし一門の名折れと仰せられる事の口惜しさに、
このように申すのです。」
これを聞いて何れも誓って
「其の方のことは力及ばないにしても、この事について、他の人の命は我々の命にかけて救う。」
と申したため、この小姓は語った
「彼の人も、殿様の御家中の若き者なのですが、私に恋い焦がれ、数十通の文を私は賜りました。
しかし私も殿様の御座をも汚す身ですから、取り上げてさえしませんでした。それでも三ヶ年の間、
日々に文を送ってくる心の切なさを愛で、ある時その文の内容を見てその志を感じ、思わず返事を
した後、かの者はいよいよ耐えかね、虚労の様に煩ったと聞きました。
自分のために人の命を失ってしまうことの笑止さに、どうにかして一度逢いたいと思ったのですが、
出仕している間は外の御傍にあり、帰れば寄り合い部屋であり仲間の目も忍び難く、下部屋にて
なりとも逢うべしと思い、かの男を番葛籠へ入れさせ、一日前に入れ寄せました。
然れども折悪しく、三日三晩の御酒宴となり、致し方なき上に、かの者が飢えることの痛ましさに、
この菓子なりとも遣わさんと懐中に入れたのですが、運が尽き御前に於いて落としてしまったのです。
願わくば、かの葛籠を何も言わずに下してください。私は命を惜しむようなことはしません。」
一門の輩はこれを聞いて「正則に対しかの小姓の命乞いをしたとしても。承知して頂けないのは
必定であろう。しかし彼が菓子を盗んだのは卑劣なる所業では無いのだから、せめて死後の恥辱を
救い取らせん。」と、事の始末を正則に語った。
正則はこれを聞くと機嫌直り
「我が側に召し使う者ほどあって、卑劣の業はなさなかったか。恋する男に逢おうとしたのは、我が目を
欺くにも似ているが、事情を見れば深く咎めるべきことでもない。
その上今日の様子、流石に私の目鏡も違わなかったと感じた。である以上、彼の死罪を許そう。
また彼に心を懸けた奴も、私の気質を知った上で、是非に逢おうとしたというのは、用に立つべき者
なのだろう。かの倅を、恋した男の所に遣わすように。」
として、大方ならぬ機嫌であったという。
(新東鑑)
物狂いとされた福島正則も恋愛については大目に見たというお話
福島左衛門大夫正則は、諸将の中でも殊の外物狂わしい人物だった。
猟より帰ってきて口をすすがないまま食事を取り、食物の中に砂があると言って料理人を誅した事も
度々であった。剰えその首を脇差しで貫き、くるくると回して興じたこともあったとか。
されども、思いの外の事もあった。
ある日、福島家の一門衆が集まり酒宴をした時、給仕をしていた正則の寵愛する何某とかいう小姓が、
懐よりその酒宴に出されていた菓子を二つ三つ落とした。
正則はこれを見て大いに怒り、かの者を引き寄せて左出て頭髪を握り、右手に刀を抜き持って、
小姓の股を刺した。血が夥しく流れたが、彼は少しも動じず、始めの如く給仕をした。
この場にいた者達は何れも正則の気質を知っていた故に、終に死罪に及ぶ事を惜しみ、彼を片脇へと
引き退かせ、「申し分が有るのか?」と尋ねてみたものの、一向に物を言わなかったために、遂には
「侍の子たる者が、どうして酒宴の菓子を盗むような卑劣な事を成したのか。お前の身が死罪となっても
仕方がない。そして死しても父兄弟までの面汚しであるぞ!」と言った。
すると小姓はこれを聞いて
「申すべき事もありますが、人の命を取るような事になり本意ではありません。
その人の命を救って頂けるのなら、仔細を語ります。
私の命は、免ぜられるべきではありません。しかし一門の名折れと仰せられる事の口惜しさに、
このように申すのです。」
これを聞いて何れも誓って
「其の方のことは力及ばないにしても、この事について、他の人の命は我々の命にかけて救う。」
と申したため、この小姓は語った
「彼の人も、殿様の御家中の若き者なのですが、私に恋い焦がれ、数十通の文を私は賜りました。
しかし私も殿様の御座をも汚す身ですから、取り上げてさえしませんでした。それでも三ヶ年の間、
日々に文を送ってくる心の切なさを愛で、ある時その文の内容を見てその志を感じ、思わず返事を
した後、かの者はいよいよ耐えかね、虚労の様に煩ったと聞きました。
自分のために人の命を失ってしまうことの笑止さに、どうにかして一度逢いたいと思ったのですが、
出仕している間は外の御傍にあり、帰れば寄り合い部屋であり仲間の目も忍び難く、下部屋にて
なりとも逢うべしと思い、かの男を番葛籠へ入れさせ、一日前に入れ寄せました。
然れども折悪しく、三日三晩の御酒宴となり、致し方なき上に、かの者が飢えることの痛ましさに、
この菓子なりとも遣わさんと懐中に入れたのですが、運が尽き御前に於いて落としてしまったのです。
願わくば、かの葛籠を何も言わずに下してください。私は命を惜しむようなことはしません。」
一門の輩はこれを聞いて「正則に対しかの小姓の命乞いをしたとしても。承知して頂けないのは
必定であろう。しかし彼が菓子を盗んだのは卑劣なる所業では無いのだから、せめて死後の恥辱を
救い取らせん。」と、事の始末を正則に語った。
正則はこれを聞くと機嫌直り
「我が側に召し使う者ほどあって、卑劣の業はなさなかったか。恋する男に逢おうとしたのは、我が目を
欺くにも似ているが、事情を見れば深く咎めるべきことでもない。
その上今日の様子、流石に私の目鏡も違わなかったと感じた。である以上、彼の死罪を許そう。
また彼に心を懸けた奴も、私の気質を知った上で、是非に逢おうとしたというのは、用に立つべき者
なのだろう。かの倅を、恋した男の所に遣わすように。」
として、大方ならぬ機嫌であったという。
(新東鑑)
物狂いとされた福島正則も恋愛については大目に見たというお話
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